ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

はたはた

2008年12月10日 | その他
             
今年も男鹿北浦港から全てメスばかりの超高級な“はたはた”が直送されて来た。これは秋田の友人が送ってくれた物で、自分が住んでいた頃北浦港で水揚げされる“はたはた”は超一級品だと聞かされ、最盛期には三回も仕事で訪れていた。この“はたはた”と対面する度に当時の北浦港の情景が眼に浮かび、また塩汁鍋に箸を運びながら自然に青春時代の懐かしい思い出に耽ってしまうのだ。
   
                    
三浦氏直伝の今回仕込んだ酒粕付けと美食家三浦氏の著書。
今自分が料理をやっているのは多分に同僚の三浦氏から受けた影響もあったのではないかと思う。三浦氏は今で言うグルメで、旨い物を食べたいと思ったら自ら包丁を握り、また余り手をかけないで美味く食べる方法も数多く編み出していたので、元祖グッチ裕三ではなかったかと思う。この酒粕漬けも「何とか生の“はたはた”を東京の姉に食べさせたい」と相談した時、当時は輸送にも時間がかかりとても無理だったので「これなら送れるぞ」と伝授された物だった。
秋田出身の三浦氏は当時から酒には一段と造詣が深く当然酒豪で、この著書の内容は正に“酒”、他にも10回ほどの転勤で得た“郷土料理”やベトナム料理にまで興味を持って“ベトナム料理”の本まで出版してしまった。大阪在住の三浦氏、今頃「山陰で捕れたのは旨グネー“はたはた”はヤッパリ秋田だ!」と叫んでいる様な気がする。

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