ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

天皇即位20周年

2009年11月12日 | その他
天皇即位20周年の今日その記念式典や皇居前広場で催された国民祭典の様子をTVニュースや民放では盛大に中継放送も実施した。
当事即位の礼に続きパレードも行われ、自分は東北チームのTD(テクニカルデレクター=技術プランニング・現場責任者)として福島のTV中継車で赤坂御所前を4台のカメラでわずか45秒間のパレード中継を担当、正に日本の歴史に関わった瞬間(他には東京オリンピック・日中国交回復・横井、小野田さん帰国・浅間山荘事件・皇太子ご成婚パレード等)でもあった。当事は首都圏に近い事もあり、また東京中継OBで勝手知ったる古巣と重宝がられて、ほとんど毎年中継車に随伴して応援に出掛けていた。この時は機材をバラシたり補充しながら新たなシステムを組上げる必要があったので、打合せ現場下見等も含めて一週間程の出張だった。このIDカードも、これまでは如何なるセキュリテーの厳しい所でも事前の届出だけだったのが、初めて携帯を義務付けられスタートした年でもあり、首から下げての不自由な初体験をした。
そしてこのHK0TU(Malpelo Is)コロンビア領の無人島、鉛筆のとがった先端が海から突き出している形をして、全てが7~80度の勾配をもった崖で上陸が非常に困難な海抜約300面積2k㎡からコロンビア海軍の救援により、史上5回目のDXペデションがこの時11月3~8日まで行われていた。5日ローカルでは大御所JA7SSBが7エリア指定の時出来なくて、3エリア指定の時京都時代のJA3CKIとJA7SSB/3を使ってQSOした一幕もあったが、仲間のJA7BEI,CWZ,TAPの全員が出来て自分だけ出来ず、失意のまま8時の新幹線で上京した。出張先の職場にはここ中継時代のDXの師匠JA1MJ,FHK先輩も居て、その後の情報は逐一耳にしても、自分にはもう絶対にチャンスは無く諦めるしかなかったが、FHKが「今晩家に泊まってやれば」と進めてくれた。朗報に違いは無かったが、無線設備の免許は個人に付与、ここで運用すれば電波法違反なのである。法を犯してまでは・・・・でもこれが重要なヒントになり、もう時効だろう、内密に一夜だけ帰宅したのである。
当事デスクだった青森出身の後輩A君、山形時代には何度も福島へ応援に来てもらっていたので周知の仲である。機材整備調整も全て完了していたので「悪い、今夜はホテルをキャンセルして、しばらくぶりなので墨田の姉の家に泊まりたいんだけどイイ?」と許可を得て、自宅まで2時間弱、東京在勤者の平均的な通勤時間と同等である。作戦は見事に成功、夜チャンスは無かったが、翌朝21MHzSSBでGet。再び88時の新幹線で上京して10時には13階の喫茶室でA君と中継現場方向を眺めながらモーニングコーヒーを飲んでいた。
この件は自分だけの秘密だったが、夕方秋田からJA7GDU先輩が到着して「ハガチャン、今朝ドッカラやったの?」と挨拶代わりの一言、バレテしまったのだ。仕事を犠牲にした訳ではないが、たかが無線道楽もこんな形で自分の身の上には歴史の一コマとして懐かしく思い出されるのである。
また同時に昭和天皇御崩御等、皇室儀式で皇居内宮殿を担当していた同僚のJA9JX氏はこの節目に、この秋の叙勲者の一人としてご夫婦で宮内庁から招待され、再び今度は天皇陛下から直接お言葉を頂くとの事で、JX氏は模範者として本日の祝賀を迎えられた事を思い、改めて心よりお祝いを申し上げたい。

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