ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

手打ち蕎麦屋

2014年04月24日 | 手打ち蕎麦打ち

今朝、朝刊の折込で偶に配達されるローカル情報紙Timeにこんな記事が掲載されていた。
この狭い福島盆地内にも手打ち蕎麦屋は数え切れない程存在するが、そんな中にはこの記事の店主同様趣味が高じて開業してしまった蕎麦屋も数多くある。
ここ貴福茶屋は盆地の北西部山裾にあり、わずか4~500m西側には同じ趣味で始めた紅葉亭、1Km南のフルーツライン添えには西友、スカイライン登り口には洋食のシェフが始めた胡々里庵と何れも1Km範囲内の手打ち蕎麦屋の激戦区だ。
「道楽が高じて蕎麦屋になった」こんな話は数多く耳にするが、大概はリタイア後で、そんな人達には心から尊敬してしまう。と云うのも自分を基準にしての考えだが、第一に健康状態と10年間の修練を積み先生の下で人様に教える事は出来ても、お金を頂戴して自信を持って提供出来る蕎麦は打てなかったからだ。
現役時代は一種の職人芸であったし、蕎麦打ちもこれに優るとも劣らない技の蓄積と奥深さがあったから、蕎麦打ちが出来なくなった今も情熱だけは失っていない。