ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

再びminiDVテープDVD化

2013年07月28日 | アマチュア無線
          
先日作業終了した孫達の素材テープに混り、存在すら忘れていた平成5年12月19・20日二本松岳温泉で開催された「福島県内二文字局ミーテング」が出てきたので、今日19年半ぶりに視聴した。
郡山地区では数回開催されていたそうだが、県内全体としては初めてでJA7AE,AI,BO,DH,EK,GB,HA,IC,KJ,MD,OG,PL,QI,SN,TX,TZ,UF,UM,BFHの19局が参加していた。
主催者GBさん挨拶の後、各局自己紹介近況報告と云う事だったが、ほぼ全員が開局前後の思い出話に終始した。「小学5年でラジオを作り短波を聴いていたら、官憲にバレて親父共々しょっ引かれて、子供の自分も拷問された」「郡山空襲で飛来したグラマンが不時着、自分は無線機を取り外して持ち帰った。真空管は既に1T4や3S4のMT管、これで戦争は負けたと思った」「駐留軍が何故か阿武隈川河川敷に大量の真空管を捨てたので、拾ってラジオを大量に作り県内を売り歩いたら10万円になった」「国家試験は毎回夜行列車で仙台まで、4回目でやっと合格した」「落成検査の立会を依頼され、スプリアス第二高調波が基本波より異常に高いと検査官から指摘され、対策に数時間かかったが、気が付くと終段タンクコイルの巻数が7MHzにしては極端に少なく、巻き数を増やしたらOKになった。午後に始まった検査が夜の8時頃まで、2人の技官と事務官は良く耐えてくれたと思う」等々、当時は参考書や測定器も無かったし、国家試験も一次と二次があり全て記述式、自分は電波法規が最大の難関だったので全てが理解出来る。参加者の最年少でもあったし、当時参加された諸先輩の多くもSK(故人)になり、戦後のアマチュア無線史参考の一部としても残したいと思ったので、再編集してDVDへコピーした。
当時誰が撮影して誰から配布されたのかも全く失念してしまったが、カメラワークや収音、画質からして、多分結婚式場等に関わっていたセミプロの制作かなと推察される。完プロにはなっていたが、無駄なカットも数多くあり時間も57分と長かったので再編集、新たにタイトルも付加して30分にまとめた。