ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

料理教室32回目

2007年08月23日 | 男の料理
            
                        冬瓜きなこ粉まぶし
               かやくご飯             炒醤茄子
“かやくご飯”今では便利な具の壜や缶詰が各種販売されて、我が家では何時の頃からか具が異なっても毎回同じ味?になっていたが、久々に“おふくろの味”にめぐり合った気がした。市販品では何時までも口の中に味が残り、ラーメン屋などでも同じ様な事を体験する事があってこれらは多分に“化学調味料”などによるものらしい。冬瓜(冷たく冷したデザート)をこんな形で食べたのは初めてだった。わずか二口で終わってしまうこの調理に約2時間、日本料理の繊細さもこんなところからも生まれる様だ。
今朝は電車が到着した後に改札口を通過した。幸いシルバーシートが一席空いていたので“有資格者”とタメラワズ座って4~5分発車間際だった。隣席の老婆が「話しても良いでしょうか」と話かけてきた。「ハイ」と答えると「昔は蒸気機関車で、このホームから毎日6時に乗って須賀川駅まで3年間通った・・・・・」松川駅に着くと「川俣線廃線になったけど、ここから川俣小学校へも3年通いました・・・・」「貴方は定年になられて何年になりますか」また対面のシルバーシートで化粧を続ける35~6歳の女性を見て「今の女性は何の恥じらいも無く、教育の荒廃ですねー・・・・」などとよもやま話、初めのうちはあいずち程度で過ごそうとしていたが、79歳、足の治療に郡山のO総合病院へ5年も通院しているそうで、大部分は老先生独演の相手を務めてしまった。こんなご時世滅多に話かける事はしないと言っていたので、自分は余程“人畜無害”と感じたのだろうか?昔はごく“アタリマエ”の事だったのに。