日本裁判官ネットワークブログ
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1 平成3年4月私は高知から鳥取地家裁米子支部に転勤し,妻が勤務した松江の宿舎に4年間住んだ。転勤の際,高知で家族で桜の花見をして,松江に移動した数日後,再び裁判所の歓迎会の花見の宴があり,この年は2度花見をしたことになる。長女は小学6年生,次女は2年生で,長女も次女も転校によりそれぞれ3か所の小学校に通学した。私は松江から米子まで片道30キロをマイカー通勤した。米子には伯耆大山がある。
2 米子にも釣り師が揃っていた。そして米子の運転手さんが私の釣りの師匠になった。彼はチヌ釣りの名手で,私もその指導を受けてヌカダンゴ釣りではない方法で,45センチ級のチヌを何枚も釣った。60センチのスズキを釣ったこともある。
3 釣りの名所は何カ所もあるが,一番のお気に入りは境港の一文字であった。港から渡船で約500メートルの沖合に長さ1キロを超えるような長い防波堤があり,サビキ釣りでウンザリするほど小鯵が釣れ,子供達のお気に入りの釣り場であった。小鯵を頭と内臓を除去して,小分けして冷凍しておくと,1年位は唐揚げに使えるのである。チヌも釣れたし,投げ釣りでキスやカレイも釣れた。
 私が幻のわが大山山荘で,親しい友人達と小鯵の唐揚げでビールパーティをしたいとしきりに思うのも,みんなでこの防波堤で思い切り小鯵を釣る楽しさを思い描くからである。
4 米子の釣り師達は,岡山県北の人たちは,家族で大きなクーラーをいくつも持ってきて,この防波堤で小鯵を一杯釣って帰り,調理して小分けして冷凍しておき,唐揚げにして1年中食べると非難する。よその県から来て海を荒らすというのである。また「馬の背」というチヌ釣りの名ポイントを,岡山県人が金曜日の昼から押さえてしまい,真面目な米子の人が,金曜日の夕方仕事を終えて駆けつけても,時既に遅しなのだという。そして一晩釣ると次の朝は別の岡山県人にバトンタッチし,更に次の日も同様で,週末は岡山県人がそのポイントを独占するという。かくして岡山県人は何とひどい人たちかと,私は岡山県人を代表して,何度も皆さんの非難を受け,ひたすらお詫びをした。
5 米子の裁判所は,毎晩裁判官の誰かが逮捕状などを発布するという令状当番がある。私もその当番を担当していたから,当番の日は帰宅をできるだけ遅くして,当番を済ましておく必要がある。それでも松江に帰宅した後の夜10時ころ呼び出されて,泣きの涙で再び米子まで出向くこともたびたびあって,いろいろと大変だったのである。
 講談調にいえば,「そこでムサシは考えた」ということになるが,私は一計を案じて,令状当番の日は近くの弓ヶ浜でキス釣りをするという名案を思いついた。そしてキスの投げ釣りをしながら,ポケベルの呼び出しを待っており,暗くなって釣りができなくなると松江に向けて車を走らせたのである。それでも帰宅後Uターンしたことも少なくない。
6 ある夏の土日を使って,一泊で隠岐の島へ釣りに出かけたことがあった。裁判官と職員で総勢20人くらいであったと思う。そしてある防波堤の上で,釣りをしながら一晩を過ごした。夕食は防波堤の上で焼き肉パーティでビールを飲んだ。夜の12時ころから空を見ながらゴロ寝をした。真上にクッキリと見事な天の川が横たわっていた。ああこれは小学生のころ,毎日眺めていたと同じ様な天の川だなと感慨にふけりながら,しばし天の川を眺めていたが,いつのまにか2~3時間眠ったようであった。フト見上げると天の川の角度が30度ほど回転していた。このときは宇宙の不思議を実感した。
 この防波堤ではやや小振りの石鯛がたくさん釣れた。
7 家族で宍道湖でハゼ釣りをしたこともある。秋の快晴の日曜日であった。全部で百匹ほど釣った。家族で釣りをしたときの料理当番は妻となっている。ハゼのテンプラを満喫した。
 翌日長女の担任の先生が,「昨日先生は宍道湖でハゼ釣りをしてたくさん釣った。誰か昨日釣りをした人はいますか。」と聞いたとのことで,長女と男子生徒が1人手を挙げたそうである。先生は驚いた様子で,長女に向かって,「君は釣りが好きですか。」などといろいろと詳しく聞かれて,家族で100匹位釣ったとか,テンプラにして食べたらおいしかったなどと話したことを嬉しそうに報告した。
8 ある冬の日に,釣りの師匠である運転手さんと5人ほどで岩場で釣りをしたときのことである。完全な防寒体勢の服装であった。少し風があり海は荒れ気味であった。岩の上から竿を出していたところ,突然予想を超えた大きな波が胸の高さまで襲ってきて,全員体が浮いてしまった。一瞬死を覚悟した。しかしすぐに同じところに着地できて全員死を免れた。釣り竿入れなど釣具の一部を失った。すぐに場所を変えてそれからもしぶとく釣った。海水も完全に遮断できており,下着は濡れなかった。
 たまに釣りをしていて死亡した記事を新聞で見るが,このようにして死ぬのかと実感した。それ以降は危険な釣行は一切しないことにしている。これは家族の知らないことである。
9 私は山陰が気に入っている。特に伯耆大山に対する思いは年々強くなっているように感じる。まだ元気で車を運転でき,釣りができるうちに大山山荘で暮らしたい。大山山荘の資金についてはいろいろと秘策があるが,一層策を練って,資金捻出の速度を速めたいと考えている。(ムサシ)

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