衆院選挙
一応政権選択選挙と言われる衆議院議員選挙だが、まだまだ本当に野党に政権を委ねることができるまでに野党は育っていない。
一度民主党時代に育つ可能性のある瞬間があった。福田康夫総理の時、衆参ねじれで自民党も苦しかった。この時当時民主党の確か代表だった小沢一郎氏が、自民党との一部連立を組むことを福田総理に申し入れ、福田総理も乗り気であったように記憶する。しかし、これを民主党内に持ち帰ると党員からは猛烈な拒絶反応が起こった。元々の民主党員からすれば、折角自民党を追い込んでいる時に、そんなことをしては自民党に取り込まれてしまうという疑念と、これまで散々自民党を批判していながら、連立するとは自党を支持している選挙民に説明がつかないなどの理由があったものと推測する。
私は昔から小沢氏は角栄氏の負の部分を引き継いだダーティなイメージや媚中体質もあり、好きではなかったが、この話に限れば、良かったかどうかは別として、二大政党制を目指して小選挙区制を先頭に立って進めた氏の本領であったと思う。しかし、普通の代議士に理解し腹を括らせるまでには至らなかったし、仮に一時的な連立でどれだけの民主党議員が政権運営のノウハウを実用レベルまでに会得できたかは分からない。
そして、その後強烈なマスゴミの後押しも得て半端者どもが政権を奪取したが、結果は見てきた通りで、その後の安倍長期政権を支える要因ともなり、わが国への負の遺産しか残さなかった。
民主党政権の目玉として取り組んだ事業仕分けなども、地域でささやかに活動していたサークルへの補助金がカットされ活動ができなくなったという話を聞いた。ほんの一部のそれこそささやかな話で、しかも理論的には不要な費用かもしれないが、人情の機微を理解しない政治家連中に国家を運営できる筈などない。人体でも大動脈、大静脈は毀損すれば命に関わるほど大切だけれど、末端の毛細血管が生き生きと活動してこその健康体である。
それにしても、議員さんと言うのは選挙では生き生きとする。地方の町の町会議員さんが、数百票の得票で当選する選挙ではあるが、自分の名前を書いてくれる有権者が居ることを確認できる選挙は、改めて初心に返り清新な気持ちになれる儀式だと言われていたのを聞いたことがある。解散時万歳する気持ちが分かるように思える挿話だ。
世襲で地元では圧倒的な票数を得て楽々と当選を重ねる議員さんが、今回「万歳三唱」に異議を唱えていたようだが、何でも昔からやって来たことを否定することが改革ではない。選挙後小石河プラス菅(すが)で新たな党内派閥を作るなどとの風聞もあるようだが、派閥もいいが、物事の本質をきちんと理解してから「改革」論を述べないと、却って不幸な結果を招く。
「知と愛」は人類の永遠のテーマだ。理屈だけでは人は動かない。どんな情熱も独りよがりでは本当の支持は得られない。