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四季のある国 第10回

2024年07月29日 | ブログ
二十四節気

 『中国の戦国時代の頃(紀元前5世紀~紀元前221年)に発明されたとある。二十四節気(にじゅうしせっき)は、今でも立春、春分、夏至など、季節を表す言葉として用いられています。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたもので、「節(せつ)または節気(せっき)」と「気(中(ちゅう)または中気(ちゅうき)とも呼ばれる)」が交互にあります。』<ウキペディア>

 春は、如月(2月)、弥生(3月)、卯(4月)に分けられる。さらに「如月」は「立春」と「雨水」に、「弥生」は「啓蟄(けいちつ)」と「春分」に、「卯月」は「清明」と「穀雨」に分けられる。

 「立春」は2月4日頃、春の気配が立ち始める日。暖かい地方では梅が咲きはじめる。そして「雨水」は2月19日頃。空から降る雪が雨に変わり、農耕の準備が始まる。「啓蟄」は3月6日頃、冬ごもりをしていた虫たちが出てくるという意味で、現代にもよく使われている言葉だ。「春分」は3月21日頃、良く知られる通り、昼夜の長さがほぼ同じ日で、以降は昼の時間が長くなる。この日を中日に前後7日間が春彼岸である。「清明」は4月5日頃。「清浄明潔」の略の通り、空は晴れ渡り、花の咲く美しい季節を迎える。「穀雨」は4月20日頃。穀雨とは穀物の成長を助ける雨のこと。田畑の準備が整い、合わせるように雨が降る。

 夏は、皐月(五月)、水無月(6月)、文月(7月)で、「皐月」は「立夏」と「小満」、「水無月」は「芒種」稲など芒種(トゲのようなもののある穀物の種)まきをする時期と「夏至」(1年で一番昼が長い)に、「文月」は「小暑」と「大暑」に分けられる。

 秋は、葉月(8月)、長月(9月)、神無月(10月)に、冬は霜月(11月)、師走(12月)、睦月(1月)に分けられる。それぞれ「葉月」は「立秋」と「処暑」。「長月」は「白露」と「秋分」。「神無月」は「寒露」と「霜降」。「霜月」は「立冬」と「小雪」。「師走」は「大雪」と「冬至」。「睦月」は「小寒」と「大寒」に分かれる。

 これらに加え、季節の移り変わりが明瞭なわが国には、四季折々の美しい習慣がある。子供の頃にはよく訳も知らず、母が作ってくれた柏餅を食べ、おはぎをほう張り、月見団子をいただいた。両親が若くて元気な頃は、この国に昔ながらの風習が色濃く残り、近所づきあいも今よりは大切にされていたように思う。

 室礼(しつらい)には春・秋のお彼岸や七夕、十五夜、冬至などがあり、冬至にはゆず湯で体を温め無病息災を祈った。正月三が日前の年末には、家族が多かったこともあり、自宅で大量に餅を撞いた。

 春・秋のお彼岸は仏教の祭事だが、父に連れられ祖父の墓に詣でた。当時は平らな石ころを積んだだけの粗末なものだった。その後、本家(父の兄)で石碑を建立していた。50代で亡くなったという父方の祖父は戦前か戦中には亡くなっている。30代で逝ったと聞く父方の祖母の墓は知らない。

 あれだけ日の丸は、米国はじめ連合軍にこっぴどく潰されながら、昭和30年代頃までの祝日には、多くの家庭で玄関に国旗を掲げた。父に倣い未だわが家では国旗を掲げるが、この新興団地では隣近所で国旗を掲げるのを見ない。





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