五輪は要らない
北京冬季五輪に、日本も米英などと倣い閣僚級の政治家は派遣しないという事で、東京五輪組織委員会会長の橋本聖子参院議員の派遣に止めることにしたようだ。まあ無難なところであろう。本来中共が支配する国で平和の祭典そのものがナンセンスで、本来ならIOCが招致の時点で採用してはならならなかった。
中共なんぞが金の力でIOCまで咥えこんで、国威発揚に利用する。スポーツの政治利用そのもので、オリンピックの趣旨に元々反しているが、相当前から中共に限らずどこの国も似たり寄ったりなのだからしようがない。
いっそオリンピックなんて止めた方がいい。先日もあるワイドショーで、コロナ禍の東京オリンピックのドタバタを見て、オリンピックに幻滅したような意見があり、出演の芸能人のコメンテーターも8割がた同意見だった。
私の意見などどうでも良かろうが、高校2年生の時の東京オリンピック、その前のローマやメルボルンでのオリンピック。その後もある時期から、オリンピックは開会式からビデオに残し、都度感動したものだった。しかし、今年の東京オリンピックは柔道さえ見なかった。すべての競技に亘りどうでもいいと思った。国内でコロナ感染が最大化し、まともに治療も受けられず亡くなってゆく人が出た(国内第5波は、東京オリ・パラに重なる)。選手がメダルを幾つ取ろうが、人の命に換わられるものではなかろう。オリンピックを待ちわびた選手や関係者には気の毒だけれど、やっぱり、聖火リレーなどセレモニーも含めすべてキャンセルすべきだった。自国の国民に止むなくも死を許容せざるを得ないのは、自衛の戦争による兵士に対してのみであろう。
真夏の暑い盛りにフルマラソンを行う。それも米国テレビの放映料が欲しいためという。誰にお金が入るのか知らないが、アスリートを犠牲にする。あれだけ体操女子選手などが演技中に、猥褻画像と同様のアングルで撮られることに抗議を行い、カメラマンに注意を促しているのに、一方で、新体操が新たな競技に加わった時は、従来の体操だけで十分と思ったのだけれど、次に出てきたビーチバレーボールなんぞは、ビキニ姿で競技を行う。IOCの好色おやじどもの目の保養としか考えられない。出場する女子選手もよくやるものである。
一体世界にビーチバレーボールを競技選手として活動している人が何人いるものか。女子にまでボクシングも要らない。ストレス解消、護身、美容としてサンドバックを叩くのは結構だが、やたら競技種目を増やし過ぎる。ゴルフなども要らない。金持ちの道楽的なスポーツもオリンピックに相応しくはない。
陸上競技でも砲丸投げくらいはまだいいけれど、槍投げやハンマー投げなど必要なのか。危険を伴うので、一般人は練習する場所もないではないか。
オリンピックの伝統的な競技は残したい気持ちも分かるが、この頃は競技数がやたら多すぎるように思う。そのために役員なども競技場も追加必要となり経費が嵩む。
コロナ禍の東京オリンピック、人権問題の中共支配の北京オリンピックをきっかけに五輪は止めましょう。単なる五輪オタクどもが推進する、札幌冬季五輪招致など論外である。