環境問題
私ら団塊世代が若かりし頃は、熊本と新潟の「水俣病」、富山の「イタイイタイ病」、「四日市ぜんそく」など、公害による甚大な健康被害が噴出した。そこまでいかなくても、そこかしこ公害だらけであった。
昭和41年春、就職で愛媛県松山市の港から山口県岩国市へ向けてポンポン船で出発したが、船上から岩国市の装束から和木にかけての山並みが見え始めた頃から、船の進行によって生じる波しぶきが茶色になっていったものだ。
瀬戸内海を航空写真で見れば、淡路島の大阪湾側の海は黒々としていた。瀬戸内海は太平洋からの潮流で常時入れ替わっているが、それでも人の活動による排出物が循環を間に合わせていなかったのだ。瀬戸内海に浮かぶある島では、全体が産廃捨て場になっていたと聞いた。
工場でPCB汚染というのが発覚した近くの海岸の砂地で、多くの人がアサリを採っているので、自分も掘ってみると砂の中から油膜が生じる。これは食べられないと、採ったアサリは誰かにあげて帰ったものだ。
交通死亡事故も公害も昭和45年頃がピークで、1970年代に入り2度のオイルショックによって、捨てていたものを捨てなくなり、再利用も進んだお陰で、海も空もきれいになっていった。1971年には公害防止管理者制度が出来て、工場には所定の有資格者の管理者が必要となった。工場から排出される廃液も煙突から吐き出される廃ガスも、有害物質の濃度と総量の両面から管理されるようになった。
車のガソリンに含まれる有害物質である鉛やベンゼンも厳しく規制されるようになり、燃費も向上したお陰で、車の排気ガスによる汚染も緩和された。21世紀に入ると東京都知事の石原慎太郎氏の提唱で、トラックなどから排出される真っ黒のススをなくすため、大幅なディーゼル規制が実行に移された。石原氏は福田赳夫内閣当時環境大臣をやっており、水俣病などとも向き合ってきた経験がモノを言った。フリップを掲げるだけの知事とは大きな違いである。
現在の環境問題は何といっても温暖化促進ガスである。また海洋汚染源としてのプラスチックの問題もある。二酸化炭素の発生を抑えるために再生可能エネルギーとして太陽光発電が身近で一番見られるようになったが、山林の緑の地を切り開いて太陽光パネルを設置するのは如何なものか。太陽光パネルの生産にも相当の電力を消費するというが、しっかりと差引勘定ができているのかどうか。アマゾン川流域なども開発が進み、二酸化炭素を酸素に変える森が激減していると聞くと寂しくなってくる。
温暖化で空気が乾燥し、世界で山林火災も増加しているようだ。山火事自体は森の再生の為にもある程度必要らしいのだが、勿論過ぎたるは何とか。
中国はじめ、20世紀には開発途上国と言われている国々が、今や経済発展で先進国並みに海を汚し、空気を汚染するようになっている。先人に倣い、どうしても公害防止よりも経済発展が優先されるのだ。