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時事散歩Ⅸ 第30回

2021年07月28日 | ブログ
続、呪われた五輪

 都知事小池氏をモデルにした「女帝」は文春の大宅壮一賞を得ている。最近鬼籍に入った立花隆氏の「田中角栄研究その金脈と人脈」に比肩するジャーナリスト執筆本ではなかろうか。

 一方菅総理の身辺では。総務大臣時代に秘書としていた子息の接待問題は、別人格で片づけたが、過去から続く、政人脈を活用した身内への便宜については、文藝春秋などで報じられている。時々漏れ伝わる、その恫喝的な政治手法も印象が悪い。

 五輪がなぜ呪われなくてはならないのか。何が言いたくて呪われた五輪を前垂れにしたのか。すべて主催者側のトップの美しくない経歴や詐称や言動が、まじめに働く関係者の心を蝕んでいるのではなかろうかと言いたいのだ。世に呪いや魔物が棲むとすれば、すべて人の心の邪悪な部分であろう。

 政権とテレビ局(NHKも民放各社も)、政権と電通、政権と大手新聞社(読売新聞など)。黒い関係は無いのか。IOCと米国テレビ局、IOCと五輪支援のグローバル企業各社。中共のウイグル人権問題と同様、公明党や一部の中共の息のかかった人物(与党幹事長など)による証拠の曖昧なことを言い訳に蓋をしていいのか。

 呪いや魔物は、権力者がいかに蓋に重しを載せたとしてもどんどんと染み出して、人々に見せてくれる。それらが東京五輪の数多くのトラブルとして垣間見えているのだ。責任者の人選を間違えれば、その下に配する人材も間違った者が登用される。類は友を呼ぶものである。

 日本国も東京都もトップの選択を確実に間違えていると思う。それがどんなに取り繕ってもコロナ禍のような非常時には顕在化してくる。国民の目を政治から逸らせるナチスの3Sは有名だが、スポーツ(オリンピック)は本来政治色があってはならず、元々のスポーツの目的はオリンピック選手になることではない。「五輪で金メダルを取って10億儲けるのだ」はその人個人の勝手だけれど、本来のスポーツの目的ではなかろう。

 五輪が開幕し、日本選手が活躍して嬉しくない日本人は少ない。それは今回のコロナ禍の五輪開催に反対と言っていたこととは全く次元の違う価値観である。賛成派は「それ見たことか」「手のひら返しだ」などと幼稚な発言を弄するが、今回の五輪推進派はその程度の知性しか持ち合わせていない。

 戦後政治を振り返って、そのターニングポイントは今太閤と呼ばれた角栄氏の総理就任にあった。金権と気配り政治で上り詰めたものだった。佐藤栄作氏が少し長くやりすぎて、世間では次期総理の本命と見られていた福田赳夫氏が総裁選で敗れたのだ。金権総裁選に敗れたとする福田派が角栄派への激しい対抗意識をむき出しにする。角栄氏の現在日本への負の遺産として、日中国交回復の際の不手際(尖閣の事など、諸々の条件を曖昧なまま条約締結した)と小沢氏や二階氏を育てたことが挙がる。1964年の東京五輪には、まだ呪いなど掛る要素は少なかった。

 その後、小泉純一郎氏の金権政治打倒を表看板として「自民党をぶっ壊す」に始まり、長期小泉政権は始まったが、その後継の安倍氏や新自由主義を掲げる竹中平蔵氏を育てる結果となる。さらに竹中門下生として菅氏が勢力を伸ばし、また郵政民営化選挙で小池百合子氏を登場させたことなど、現代の日本に大きな負の遺産を産んだ。

 金権腐敗もそれに対抗した勢力も手法に無理があった。それが現代の五輪に呪いとなって、国民に政治とはどうあらねばならないかを問いかけているのだ。




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