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続、この国の風景その7

2011年12月19日 | Weblog
南極大陸

 「南極大陸」というドラマをTBSがやっていた。フィクションとはなっているが、多くは史実を基に作られていたと思われる。南極観測船「宗谷」も「昭和基地」もわが国の南極観測が開始された当時よく耳にし、子供心にこの国の誇りとして強く記憶に残っている。氷海で立ち往生した「宗谷」が当時のソ連の砕氷船に救われた話、カラフト犬「タロ、ジロ」も当時随分と話題になった。このドラマには昭和30年代初頭のこの国の風景がある。

 第一次南極観測隊が出発したのは、昭和31年とあるから、団塊の世代昭和22年生は小学3年生当時となる。今回のテレビドラマに出てきた美人先生(高岡美雪:綾瀬はるかさん) の教室で、赤ちゃんを背負った男子児童と同世代だ。もっとも私たちの学校に、弟や妹を背負ってまで来る児童は居なかった。しかし、遠足の弁当を満足に作って貰えない仲間は居た。貧しい時代であったことは身に浸みていたが、南極観測を始めるにあたっての関係者の苦労や、資金集めに国民が寄付金を供出した話は知らなかった。

 昭和30年代当時、紅白歌合戦の司会をやっていたNHKの宮田輝さんというアナンサーは、毎年「宗谷」や「昭和基地」から歌合戦の会場に届くという電報を紹介していた。少しとぼけた味の宮田アナの例の調子で、「(南極の)周りは白一色です」と白組の応援フレーズとしていたことを、この時期懐かしく思い出す。

 昭和31年というと、第三次鳩山一郎内閣、米国大統領はアイゼンハワー、ソ連の首相はフルシチョフ。その年の6月に東海村原子力研究所が発足し、11月1日には東海道本線全線電化完了とある。またこの年、日本の船舶建造高は、175万総トンで世界1位となっている。政府が「経済白書」で「もはや戦後ではない。・・・回復を通じての成長は終わった」と発表した年でもある*17)。敗戦後僅か11年目の年、若者は戦後の暗黒史観や罪悪史観に覆われていない。戦後初代世代のリードの下、ひたすらにあらためて坂の上の雲を黙々と目指していた時代と思える。

 それに引き換え、弱者の味方ぶった選挙に勝つためだけのビジョンなきポピュリズム政策が横行するこの国の現在の風景には、坂道をすべり落ちている人々の姿が見えるようで仕方がない。

 昨年の「はやぶさ」の快挙や毛利さんに始まり*18)最近の古川さんまで日本人宇宙飛行士の活躍、スパコン世界一の「京」、なでしこジャパンやイチローも居る。現在の子供たちにもこの国に生を受けた誇りとして、印象深いものとなっているであろう。
 
 無い袖は振れぬ。年金も医療、介護も各種給付金も公務員の給与水準も国家の財政能力に合わせて切り詰める政策を断行する必要がある。抜本的行財政改革によって、この国の風景を南極大陸に初めて挑んだ時代のように、貧しくとも未来志向の夢ある風景に変える必要があるのではないか。






*17)エコノミスト臨時増刊号「戦後日本経済史」毎日新聞社1993年5月17日号による。
*18)スペースシャトル計画において1992年日本人初飛行。日本人で最初に宇宙に行ったことでいえば、当時ソ連のソユーズに搭乗(1990年)した秋山氏(当時TBS社員:宇宙特派員)。
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