公に殉ず
3.11の大震災は、多くの殉職者も出した。消防士、警察官、市や町村の職員など、子供を避難させるための教職員の殉職者も居たのかもしれない。先の殉職消防士の合同慰霊祭には、ご退院後間の無い天皇陛下に皇后陛下もご臨席された。結婚を控えていたという一人息子を亡くした母親は、寂しい時は未だに声を出して息子に呼び掛けるという。両陛下のお悔やみでさえその哀しみが癒えることはないであろうが。公職にある人にさえ命を捨ててまで名を惜しめとは求めはしないけれど、いかなる勤めも公への奉仕の心あってのものだ。
野田総理は所信表明演説に、被災地の町の広報スピーカーで避難を呼びかけ続け、自身の避難が遅れて犠牲となった女性の話を盛り込まれていたけれど、足下の閣僚はそのような公に殉ずる強い気持ちを持った大臣で構成されているのだろうか。ブータン国王晩餐会宮中行事を欠席して仲間の行事を優先した大臣が居た*10)。一発アウトと思うけれど、党内融和優先の総理はこれを罷免するつもりがないという。国家の大臣は公人中の公人でなければならない。公務をキャンセルして仲間のパーティーを優先するなど、大臣としては職を辞するに余りある行為だと私などは思う。武士の世ならば切腹ものだ。今は上に立つ者への懲罰が軽すぎるから緊張感がない。だからいい仕事ができない。
昼夜を問わず家に明かりが灯り、テレビが見れる。朝起きれば朝刊が届いており、仕事で出かけるバスや電車は定時に運行され、駅のトイレは清掃されている。ほとんどは民間企業で働く人々の仕事のお陰で、中には最低限の時給で働いている人も居ろうけれど、彼らが勤務中に事故死しても単なる労災に過ぎなくとも、それらを利用する人々に不都合はめったに起こらない。
公労協や日教組など、特権階級よろしくそれらのドンと呼ばれる政治家を立て、自らの既得権を守るために国家の財政など知ったことではないようだ*11)。足らなければ増税せよとの意向らしい。現政権の「国民の生活が第一」のキャッチフレーズは、「公務員の生活が第一」に聞こえてしまう。
司馬遼太郎の小説に「世に棲む日日」*12)という、幕末を舞台に吉田松陰(幼名、寅次郎)と高杉晋作を描いた物語がある。吉田松陰が幼少の頃に学んだ玉木文之進は、松陰の父親の末の弟にあたる。すなわち叔父であるが、その指導は熾烈であった。読書中に頬に止まった蠅を追った寅次郎をなぐりたおし、起き上がるとまたなぐり、突き飛ばした。たまたま見ていた松陰の母親は、気絶した息子が死んだと思ったほどである。文之進によれば、『侍の定義は公(おおやけ)のためにつくすものであるという以外にない、ということが持論であり、極端に私情を排した。学問を学ぶことは公のためにつくす自分をつくるためであり、そのための読書中に頬のかゆさを掻くということすら私情*13)である、というのである』。
『しかし、ここまでの極端さは、やはり一種の狂気としか思えない』。と司馬遼太郎も書いているけれど、緩めればどこまでも緩くなるのが人間でもある。折檻を奨励しているわけでも、正当化しているわけでもない。況(いわん)や幼子を虐待する親など許されるとは思っていない。ただ、極端であっても玉木文之進の持論の一片は日本人のDNAに残っておればこそ、仕事における公の部分にしっかりと応える国民性がこの国の風景を支えている。公の要職にある者にあらためて言いたい「組織は頭から腐る」*14)と。
*10)「私はこちら(政治資金パーティー)の方が大事だと思って来た」とまで発言している。
*11)政府の公務員給与7.8%削減案は民主党幹事長の采配でゼロ回答。人事院勧告は無視する代わり、公務員の交渉権拡大を主張した連合に対して、人事院勧告重視(人事院勧告減給案+7.8%の削減案を主張)の自民党と調整がつかなかった。
*12)文藝春秋社昭和46年5月第1巻刊(全三巻)
*13)「痒みは私(わたくし)。掻くことは私の満足。それをゆるせば長じて人の世に出たときに私利私欲をはかる人間になる。だからなぐるのだ」
*14)本HPエッセー平成23年11月7日「マネジメント第13回」参照
3.11の大震災は、多くの殉職者も出した。消防士、警察官、市や町村の職員など、子供を避難させるための教職員の殉職者も居たのかもしれない。先の殉職消防士の合同慰霊祭には、ご退院後間の無い天皇陛下に皇后陛下もご臨席された。結婚を控えていたという一人息子を亡くした母親は、寂しい時は未だに声を出して息子に呼び掛けるという。両陛下のお悔やみでさえその哀しみが癒えることはないであろうが。公職にある人にさえ命を捨ててまで名を惜しめとは求めはしないけれど、いかなる勤めも公への奉仕の心あってのものだ。
野田総理は所信表明演説に、被災地の町の広報スピーカーで避難を呼びかけ続け、自身の避難が遅れて犠牲となった女性の話を盛り込まれていたけれど、足下の閣僚はそのような公に殉ずる強い気持ちを持った大臣で構成されているのだろうか。ブータン国王晩餐会宮中行事を欠席して仲間の行事を優先した大臣が居た*10)。一発アウトと思うけれど、党内融和優先の総理はこれを罷免するつもりがないという。国家の大臣は公人中の公人でなければならない。公務をキャンセルして仲間のパーティーを優先するなど、大臣としては職を辞するに余りある行為だと私などは思う。武士の世ならば切腹ものだ。今は上に立つ者への懲罰が軽すぎるから緊張感がない。だからいい仕事ができない。
昼夜を問わず家に明かりが灯り、テレビが見れる。朝起きれば朝刊が届いており、仕事で出かけるバスや電車は定時に運行され、駅のトイレは清掃されている。ほとんどは民間企業で働く人々の仕事のお陰で、中には最低限の時給で働いている人も居ろうけれど、彼らが勤務中に事故死しても単なる労災に過ぎなくとも、それらを利用する人々に不都合はめったに起こらない。
公労協や日教組など、特権階級よろしくそれらのドンと呼ばれる政治家を立て、自らの既得権を守るために国家の財政など知ったことではないようだ*11)。足らなければ増税せよとの意向らしい。現政権の「国民の生活が第一」のキャッチフレーズは、「公務員の生活が第一」に聞こえてしまう。
司馬遼太郎の小説に「世に棲む日日」*12)という、幕末を舞台に吉田松陰(幼名、寅次郎)と高杉晋作を描いた物語がある。吉田松陰が幼少の頃に学んだ玉木文之進は、松陰の父親の末の弟にあたる。すなわち叔父であるが、その指導は熾烈であった。読書中に頬に止まった蠅を追った寅次郎をなぐりたおし、起き上がるとまたなぐり、突き飛ばした。たまたま見ていた松陰の母親は、気絶した息子が死んだと思ったほどである。文之進によれば、『侍の定義は公(おおやけ)のためにつくすものであるという以外にない、ということが持論であり、極端に私情を排した。学問を学ぶことは公のためにつくす自分をつくるためであり、そのための読書中に頬のかゆさを掻くということすら私情*13)である、というのである』。
『しかし、ここまでの極端さは、やはり一種の狂気としか思えない』。と司馬遼太郎も書いているけれど、緩めればどこまでも緩くなるのが人間でもある。折檻を奨励しているわけでも、正当化しているわけでもない。況(いわん)や幼子を虐待する親など許されるとは思っていない。ただ、極端であっても玉木文之進の持論の一片は日本人のDNAに残っておればこそ、仕事における公の部分にしっかりと応える国民性がこの国の風景を支えている。公の要職にある者にあらためて言いたい「組織は頭から腐る」*14)と。
*10)「私はこちら(政治資金パーティー)の方が大事だと思って来た」とまで発言している。
*11)政府の公務員給与7.8%削減案は民主党幹事長の采配でゼロ回答。人事院勧告は無視する代わり、公務員の交渉権拡大を主張した連合に対して、人事院勧告重視(人事院勧告減給案+7.8%の削減案を主張)の自民党と調整がつかなかった。
*12)文藝春秋社昭和46年5月第1巻刊(全三巻)
*13)「痒みは私(わたくし)。掻くことは私の満足。それをゆるせば長じて人の世に出たときに私利私欲をはかる人間になる。だからなぐるのだ」
*14)本HPエッセー平成23年11月7日「マネジメント第13回」参照