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体験や思い、アイヌ語で 千歳で弁論大会 子供のバンド演奏も

2018-12-02 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/01 23:18

アイヌ語で思いを語る出場者
 【千歳】公益財団法人アイヌ民族文化財団(札幌)主催の第22回アイヌ語弁論大会「イタカンロー」が1日、千歳市内で開かれた。アイヌ語を学ぶ33人が参加し、自身の体験や思いの丈をアイヌ語で語った。
 イタカンローはアイヌ語で「話そう」の意味。
 道内各地や静岡県、京都市などから集まった7~76歳の出場者が、子供や大人の部に分かれ弁舌を競った。
 好きな漫画をアイヌ語で紹介する子供や、曽祖母が実家に残したテープを基に語る人などさまざま。アイヌ語で作詞した楽曲を披露する子供のバンドも初めて登場し、大きな拍手が送られた。
 表彰式で弓野(きゅうの)恵子審査委員長は「音楽でアイヌ文化を伝えようとする人が初めて出てきたように、新しい発想で文化をつなげていこう」と話した。(高木緑)
 各部門の最優秀賞受賞者は以下の通り。(敬称略)
 ▽子供の部 楠本直嗣(札幌市)▽大人の部口承文芸部門 貝沢ユリ子(日高管内平取町)▽同弁論部門 該当者なし
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/253809

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白老・ポロト湖畔、象徴空間の施設整備進む アイヌ文化の発信拠点2020年4月オープン

2018-12-02 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2018/12/1配信
 2020年4月24日に白老町のポロト湖畔に開設されるアイヌ民族の文化復興拠点「民族共生象徴空間」の施設整備が進んでいる。中核の国立アイヌ民族博物館は、骨組みの進展で大型施設が姿を現し、体験交流ホールや体験学習館などの工事も着々。ポロト湖東側の高台では、アイヌ民族の遺骨を保管する施設の建設も始まっており、いずれも19年に完成する予定だ。
 象徴空間は、国がポロト湖周辺の約10ヘクタールの土地に整備。17年度に造成工事を始め、今年から施設の建設工事が本格化した。メインの国立博物館は、地上3階建て鉄筋コンクリート造り(一部鉄骨造り)。幅約130メートル、奥行き約40メートル、高さ約20メートルの大きさで、延べ床面積は8600平方メートル。アイヌ民族の資料展示室や研究交流室、ポロト湖を一望できるカフェなどが設けられる。建物の鉄骨を組み上げる作業が進み、関係者によると、工事の進捗(しんちょく)率は44%に達している。来年11月末には完成する予定だ。
 アイヌ文化を発信する共生公園のエリアでは、エントランス棟や体験交流ホール、体験学習館、工房の工事も進む。国立博物館の西側に設けるエントランス棟(面積1300平方メートル)は、扇状の建物2棟で構成。団体利用者向けガイダンス室のほか、一般客用の案内所、飲食スペースなどを備える。来年1月まで基礎工事を行い、その後に建物の本体工事に着手、夏ごろの完成を目指している。
 体験交流ホール(同1666平方メートル)は、鉄骨造り2階建て。ステージの背面をガラス張りにし、ポロト湖を一望しながら古式舞踊などが鑑賞できる造りで、来年12月中の完成を予定。修学旅行など団体利用者向けの体験学習館では、ムックリ作りやアイヌ語学習などの体験プログラムを用意し、アイヌ文化に触れてもらう施設。基礎工事が終わり、来年春ごろに完成する。木彫り製作などができる工房は、来年3月末までに建物が出来上がる。
 また、ポロト湖東側の高台4・5ヘクタールの土地に整備する慰霊施設では、アイヌ民族の祭具イクパスイをモチーフとした高さ30メートルのモニュメントが完成。鉄骨造り平屋建ての慰霊施設(同200平方メートル)の工事もほぼ終わり、隣接するアイヌ民族の遺骨保管施設(鉄筋コンクリート造り平屋建て、同800平方メートル)の整備が行われている。外壁にアイヌ民族の墓標を装飾し、遺骨保管室の納骨壇数は2304個。慰霊施設全体は、来年秋の完成を目指している。
(白老支局・完戸雅美)
https://www.tomamin.co.jp/news/main/15196/

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国立アイヌ民族博物館、1年後完成へ向け着々【白老】

2018-12-02 | アイヌ民族関連
室蘭民報2018.12.01
 国が白老に整備中の民族共生象徴空間(象徴空間)。今年2月に着工した国立アイヌ民族博物館は、高さ約20メートルの躯体(くたい)が立ち上がり、直近の進捗(しんちょく)率は44%、来年11月末の完成を目指している。一般公開は2020年4月24日。慰霊施設は、慰霊行事を行う施設が今年3月にほぼ完成し、現在「墓所」となる建物の工事が進められており、来年秋の完成を目指している。
 象徴空間の核施設で東北以北初の国立博物館となる同博物館は地上3階、延べ床面積8600平方メートル、横幅約130メートル、高さ約20メートル、奥行き約40メートル。文化庁の担当者は「9月に白老で震度5弱を観測したが、現場は被害もなく今のところ順調に進んでいる」と話している。

ほぼ完成した慰霊行事施設(右)と建設が進む「墓所」となる建物
 慰霊施設は、約30メートルのモニュメントが今年3月に完成。国土交通省北海道開発局によると、「墓所」となる建物には全国の大学に保管されているアイヌの人々の遺骨を集約し、受け入れ態勢が整うまで適切な管理を行う。
 民族共生公園には四つの建物が立つ。同局によると、レストラン、物販施設、ガイダンスルーム、案内所などを設置するエントランス棟は基礎コンクリートの打設中。来年2月ごろに鉄骨が立ち上がってくる。500人から600人を収容できる体験交流ホール(2階建て)は、今年9月に着工、来年3月までに基礎工事、1階床までの躯体工事を完了させ、翌4月から鉄骨工事が始まる。来年12月に竣工(しゅんこう)予定。
 修学旅行など団体客を対象にする体験学習館は、基礎工事が終わり、間もなく上屋工事に取り掛かる。来年1月中旬ぐらいに外形が見えてくるという。木彫りや刺しゅう、織物などが体験可能な木造の工房は、現在基礎工事を行っており、同じく来年1月中旬ぐらいに外形が見えてくる。
 12月11日には白老、室蘭、札幌で開設500日前カウントダウンイベントが行われ、象徴空間の愛称、ロゴマークが発表される。
 白老町議会の民族共生象徴空間整備促進・活性化に関する調査特別委員会(小西秀延委員長)は11月30日、JR白老駅周辺整備、象徴空間の運営主体となるアイヌ民族文化財団白老事務所(旧社台小)や、国が進める国立アイヌ民族博物館などを視察した。道担当者は踏切があるポロト線について、現状1・5メートルの歩道を4・5メートルに拡幅することを明らかにした。
 全議員14人が参加。小西委員長は「工事は国、道、町の関係がいろいろと進んでいる。視察を通して今後の特別委員会の活動に役立てたいと開催した」とあいさつした。
 道、白老町、JR北海道の3者が周辺整備を実施する白老駅では、道の担当者が駅前広場拡張整備と道道整備、町担当者が自由通路整備などについて説明した。このなかで道担当者は昨年7月に象徴空間へのアクセス道路として町道から道道昇格した公園通、ポロト線、中央通について「バリアフリーの目的を持った整備を行う。セイコーマートからSLがあるところまで約1・3キロは車道を補修し、照明を更新します」と説明。町担当者は「現在は自由通路下部工事の支障となるJRの通信ケーブル類の移転が完了し、基礎部分の杭(くい)工事が施工されている。来年度は昇降棟工事を実施します」と述べた。
 旧社台小の同白老事務所では、村木美幸本部長代理から象徴空間開設に向けた準備状況、国土交通省北海道開発局の担当者からは象徴空間へのアクセス改善などを目的に進められている国道36号苫小牧市樽前―白老町社台(延長4・8キロ)の拡幅工事状況の説明を受けた。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/8933

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一通の手紙で暗闇に光りを 明石でライティングマラソン 2日

2018-12-02 | 先住民族関連
神戸新聞NEXT2018/12/1 05:30
 一通の手紙で、自由が脅かされている人を助けたい--。国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の西神戸グループが2日、兵庫県明石市東仲ノ町のアスピア明石8階「ウィズあかし」で、「ライティングマラソン2018」を開く。信念に基づく行動で投獄されている人や、人権を軽視している政府に、世界の人と連携して手紙を届ける。手紙は大きな力となり、4割のケースで改善につながっているという。
 アムネスティは世界最大の国際人権NGO。1977年にはノーベル平和賞を受けている。
 ライティングマラソンは、12月10日の「世界人権デー」に合わせ、世界各地で一斉に行うイベント。昨年は550万通、日本からは約1万通のメッセージを被害者や政府に届けた。
 国内では今年、20カ所以上で実施する。その一つが明石だ。
     ◇
 今回、支援に取り組むのは8人と1先住民族。
 アムネスティによると、南アフリカのノンサ・ムツマさんは、チタン採掘を計画する鉱山会社から先祖伝来の土地を守るため、住民の先頭に立つ。だが、2年前に別の住民リーダーが射殺され、ノンサさんも脅迫を受けている。ノンサさんに励ましの手紙を送り、南アフリカ大統領にノンサさんの保護を求める。
 イランのアテナ・ダエミさんは、死刑制度に反対する意見を会員制交流サイト(SNS)で投稿するなどし、国家安全保障に対する罪で実刑7年の判決を受け、収監されている。
 ケニアのセングウェル先住民は「保護」を理由に政府に土地を追われ、女性たちを中心に抵抗する動きが出ているという。
 ブラジルの人権活動家マリエール・フランコさんは今年3月、何者かに銃撃され死亡した。家族に励ましの手紙を届け、政府に徹底した捜査を求める。
 ウクライナのヴィタリナ・コヴァルさんは性差別に反対し、極右グループから暴力を受けた。
 キルギスでは、モロッコでは……。
     ◇
 アムネスティ西神戸グループは今年、結成から30年になる。会員は現在、約20人。人権講演会の開催などに取り組む。
 呼び掛け人の平石いづみさん(66)=明石市=は30代の頃、死刑囚のえん罪事件をニュースで知り、死刑廃止に取り組むアムネスティに加わった。昨年のライティングマラソンでは明石から200通の手紙を送った。
 その中の一人がトルコの人権活動家、タネル・キリさん。
 開催したパソコン講習会がテロリストとの関係を疑われ、逮捕されたという。今年4月、身柄を拘束されているタネルさんから西神戸グループにお礼の手紙が届いた。
 「あなたたちの手紙によって状況が良くなった。人権を守るには市民の連帯が大事。私は大丈夫です」。タネルさんは今夏、自由の身になった。
 平石さんは話す。
 「世界が注目しているというメッセージを送れば、人権軽視の政府も無視できない。小さな力を集めたい。立ち寄って、1通でも書いてほしい。空いている5分でいいんです」
     ◇
 午後1~6時。無料。申し込み不要。切手代実費(航空便はがき1通70円)。会場では、英語や現地の言葉による文章の例を用意。本人や家族への支援、政府への要望など複数のサンプルがある。署名だけの参加も可。(木村信行)
https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/201812/0011865979.shtml

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児童労働の予防撲滅計画 公共政策の重要性を強調

2018-12-02 | 先住民族関連
サンパウロ新聞 2018年11月30日 72
 連邦政府は27日、第3次国家児童労働予防撲滅計画を発表した。通信社アジェンシア・ブラジルが27日付で伝えた。ブラジル国内では2016年、239万人の児童が労働活動に携わっていたとされる。政府はこの問題を25年までに解決するとの目標を定めている。
 労働省により発表された同計画では、19年から22年の間に採用される一連の措置がまとめられている。児童労働と児童の労働搾取が国内で継続しており、これらの活動に携わる子供・年少者の権利侵害を引き起こしているとの認識を示し、22年に農村部でも都市部でも、全ての年齢層で、こうした状況を迅速に減少させる事を目的としている。
 そのため、この計画では公共政策において児童労働の予防と撲滅を優先事項とし、その目的を達成するための活動を改善し、コミュニケーション活動を促進し、情報や知識の形成を促すとしている。
 また、無料で質の高い公的教育の保証、労働上のリスクに対する保護を可能にする医療サービスの提供、世帯収入の向上、子供・年少者を労働の世界に入れさせる圧力の低減など、構造的な公共政策の妥当性を再確認している。
 同計画では、公共政策が、いわゆる「最悪の形態の児童労働」と戦う必要性を強調している。 こうした労働には、性的搾取、麻薬密売、不正な活動への募集、債務による隷属や強制労働を含む奴隷状態に類似した形態といった犯罪や違反行為が含まれている。
 同省のカイオ・ビエイラ・デ・メロ大臣は同計画について、労働活動のために選ばれた子供・年少者の保護を保証する主な手段だと強調している。
 労働検察官のパトリシア・サンフェリシ氏はこの計画の課題の一つとして、政府機関が一体化して行動することを挙げる。同氏は「我々は行動を共にしなければならない。自分は取締りはできるが、違法な児童労働の状況で発見された年少者に対する公共政策は持っていない。つまり、問題は特定できても、解決策を提示する事ができない」と語っている。
 同計画のデータによれば、16年には5歳から17歳の子供・年少者239万人が何らかの労働活動に従事していた。同年の数値は過去最も少なく、15年は267万人、14年は330万人、13年は356万などとなっている、1992年には780万人だった。
 人種別では、全体の66%が黒人または褐色人で、白人は33%、先住民族は0・3%となっている。また、世帯の社会経済状態でみると、77・6%が世帯一人あたりの月収が1最低賃金以下の世帯に属していた。
 16年に児童労働の状態にあるとされた239万人のうち、136万人は16~17歳で、57万5000人が14~15歳、34万7000人が10~13歳の年齢層だった。地方別では北東部が33%で最も多く、以下、南東部(28・8%)、南部(26%)と続いている。
http://saopauloshimbun.com/児童労働の予防撲滅計画%E3%80%80公共政策の重要性を強/

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宣教師を殺害したインドの孤立部族、侵入者を拒んできた歴史

2018-12-02 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック12/1(土) 10:16配信
最後の手記には「矢が聖書を貫通した」、過去にはナショジオ取材班も
 11月中旬、インド領の孤島で米国人宣教師が殺害された。この事件は、外界と接触せず暮らす孤立部族の権利について、新たな緊急の問題を提起している。
 米国ワシントン州在住のジョン・アレン・チャウ氏は「冒険家」を自称する26歳の青年で、孤島の未接触部族をキリスト教に改宗させるために北センチネル島に侵入した。
 北センチネル島は、周囲をサンゴ礁に囲まれた面積70平方キロほどの島。インドの南東、ベンガル湾に連なるアンダマン・ニコバル諸島の1つで、インド領である。ここには地球上で最も孤立していると言っていい狩猟採集民が暮らしており、部外者の立ち入りを完全に拒んでいる。
 人口の流出入がなく、基本的に外界との接触がないセンチネル族の人々が、いつからこの島に住んでいるのか、正確なところは誰も知らないが、いくつかの研究により、数万年前にアフリカから移住してきた可能性が示唆されている。
 センチネル族の人々は弓の名手で、外の人間が島に接近すると、追い返すために激しく攻撃してくることで知られる。森に覆われたこの島の住人は彼らだけで、人口はおそらく100人程度。過去の接触の試みは、槍と矢の雨で迎えられた。
 1974年には、アンダマン諸島のドキュメンタリー番組の制作のためボートからセンチネル族を撮影していたナショナル ジオグラフィックTVのディレクターが、投げつけられた槍で負傷する事故が起きた。遠征に同行したナショナル ジオグラフィックの写真家ラフバー・シン氏はこのとき、白い砂浜で弓と矢を掲げて小躍りする戦士たちを撮影。この写真は、外界からの接触を拒絶するセンチネル族を象徴する写真となっている。
 彼らの猛々しさを示す事件は、2006年にも起きた。舟で眠っている間に北センチネル島の砂浜に漂着してしまった2人の漁師が、センチネル族によって殺害されたのだ。遺体を回収するためにヘリコプターが着陸を試みたが、島民がヘリコプターに矢を放ってきたため、回収は断念された。
 今回殺害されたチャウ氏は、最初に上陸を試みた11月15日の体験を日誌に記していた。
 彼はまず、防水加工された聖書を高く掲げた。すると、島から矢が飛んできて聖書を貫通したという。さらに2人の男性が弓に矢をつがえるのが見えたので、チャウ氏は慌ててカヤックを漕いで退却した。彼は漁師たちに約350ドルを支払って島の近くまで送ってもらい、海上で待機してもらっていた。
サタンの最後の砦
 チャウ氏は日誌に、北センチネル島の人々は「サタンの最後の砦」なのだろうかと記し、「彼らはなぜ、こんなにも身構え、敵意をむき出しにするのだろう?」と、自分が歓迎されなかったことに失望していた。
 おそろしい思いをしたにもかかわらず、チャウ氏はその夜、再び島に行くことを決めた。そして漁師に、今回は自分を待たず、アンダマン諸島を管轄する行政府があるポートブレアにいる友人に手紙を届けるように指示した。
 11月17日、漁師たちは島の様子を確認しに行った。のちに警察による事情聴取を受けた彼らは、遠くの海上から、センチネル族が浜辺で遺体を引きずり、それを埋葬するのを見たと語った。身につけているものと体形から、彼らはそれがチャウ氏の遺体だろうと思ったという。
 インド政府は、この事件に関連して、漁師たちと地元のエンジニア1名と、チャウ氏の今回の旅の計画を手伝った宣教師「アレキサンダー」の計7名を「過失殺人」により告発した。
「彼は自分がおそらく殺されることを知っていました」と、アンダマン諸島の先住民との交流の経験を『The Land of Naked People(裸の人々の土地)』という本にまとめたマドゥスリー・ムカジー氏は語る。「彼はキリスト教の殉教者になることを望み、その望みを叶えたのです。けれども彼は、自分の行動をきっかけにいろいろなことが起こり、結果的にセンチネル族に害を及ぼすことになる可能性は考えていなかったでしょう」
 ムカジー氏は、チャウ氏の遺体回収が国際的な圧力を受けて強行されるのではないかと危惧している。そのような試みは、予期せぬ破滅的な結果をもたらすかもしれない。「センチネル族の歴史上、大きな転換点となるかもしれません」
 チャウ氏の失踪を受け、インド当局は遺体が埋葬された場所を確認するため、2人の漁師とともに、飛行機で1回、舟で2回、島に向かった。舟で2回目に島を訪れた警察は、弓と矢で武装した5、6人の男性が浜辺で見張りをしているのを目撃した。
 アンダマン警察のディペンドラ・パサック長官は、ポートブレアの自宅でナショナル ジオグラフィックの電話インタビューに答えて、「現時点では、センチネル族と対決したり島に上陸したりすることは計画していません。そんなことをしたら、彼らを追い詰めてしまいますから」と語った。
 パサック氏によると、警察官であっても、島の周囲8km以内に立ち入ることは法律により禁止されているという。彼はまた、今回の出来事がセンチネル族のトラウマになった可能性を考え、その影響を理解するために人類学者や心理学者に相談しているという。ただ、遺体の回収について、パサック氏は「今は考えていない」と言ったものの、その可能性を完全に否定することはなかった。
 パサック氏と米国務省は、現在、今後の対応を協議している。ポートブレアからの情報によると、領事館員がチャウ氏の日誌などの持ち物の返還と死亡診断書の発行を検討しているという。通常、インドの死亡診断書は、身元を特定できる遺体なしでは発行されない。「規則の上ではそうなっています」とパサック氏は言う。「けれどもこのような状況では、現実を考慮する必要があります」
プレゼント投下作戦
 インド当局は、1960、70、80年代には、センチネル族を含めたアンダマン諸島の先住部族の「平定」に積極的に取り組んでいた。いわゆる「プレゼント投下」作戦では、舟で島の近くまで行き、先住民への贈り物として、ココナッツ、バナナ、プラスチック製のおもちゃなどを投下した。1991年には、数十人のセンチネル族が非武装で砂浜に出てきて、プレゼントを受け取るために腰まで水に浸かって侵入者を出迎えるまでになった。
 この取り組みは、地球の裏側の南米アマゾンで20世紀を通じて続けられてきたことと、概念的によく似ている。アマゾンでも、ブラジル人の偵察者と米国人宣教師が工業製品や栽培作物の魅力を利用してジャングルで暮らす未接触部族を誘惑した。
 ブラジルのベレンにあるエミリオ・ゴエルジ博物館の人類学者である米国人のグレン・シェパード氏は、「かつては宣教師が中心となって、アマゾン各地で孤立先住民に接触し、平定、定住を進めましたが、しばしばその結果として部族の消滅や文化的浸食を引き起こしました」と言う。
 こうした南米の部族と同様、アンダマン諸島の先住民は、接触からまもなく伝染病の蔓延に苦しみ、その社会は崩壊した。1990年代末に弓と矢を置いたジャラワ族は、その後、はしかの大流行を2回経験した。
 かつての誇り高き戦士たちは怠け者になって酒に溺れ、その子供たちは、部族を見世物にする観光ガイドから施しを受け、踊りを踊っている始末である。そうしてアンダマン諸島のほかの部族は、人口が激減し、文化も崩壊してしまった。
 ブラジルやその他のアマゾン川流域諸国は、こうした失敗から得た教訓にもとづき、非接触部族に無理に接触することをやめた。インド当局も、1991年の遠征後はセンチネル族へのプレゼントの投下をやめている。
 チャウ氏の死は、センチネル族の運命に対する新たな心配をもたらした。インドの著名な人類学者と活動家のグループは、11月26日にマスコミに公表した公開状で、宣教師の遺体を回収するあらゆる試みを中止することを政府に求めた。公開状には、「センチネル族の権利と要求は尊重されなければならない」と記されている。「衝突と緊張を助長することで得られるものは何もなく、事を構えるようなことになれば、より大きな被害が出るだろう」
 センチネル族は、世界で唯一、自分たちだけの島に住む未接触部族である。アンダマン諸島の部族の専門家で、先住民族の権利保護団体「サバイバル・インターナショナル」のメンバーであるソフィー・グリッグ氏は、このような環境に置かれたセンチネル族は、部外者が持ち込む疾患に対して「極端に脆弱」であると言う。「私たちが彼らの『接触されない権利』を尊重しなければならないのはそのためです。彼らは自分たちの要望をこれ以上ないほど明確に表明しています」
 センチネル族の人々は、自分たちを取り囲む異質な世界の存在を敏感に感じとっているにちがいない。空を見上げれば飛行機が飛んでいるし、水平線に目をやれば船舶が行き来している。彼らの矢じりは、難破船から取ってきたと思われる金属でできている。チャウ氏のように漁師に金を支払って沿岸警備隊のパトロールをかいくぐり、島に接近して双眼鏡で自分たちを覗き見する観光客の姿も見ているだろう。
 グリッグ氏は、インド政府が北センチネル島とセンチネル族を保護するためにいっそう努力することを望んでいる。「パトロールを強化し、島の周辺水域を適切に取り締まり、漁師、観光客、宣教師など、あらゆる部外者から彼らを保護することが重要です」
 センチネル族が外の世界にあれほど強い敵意を抱いている理由は、彼ら自身にしかわからない。もしかすると、1880年代に英国の植民地開拓者がこの島を訪れ、数人の島民を誘拐し、のちに英国で死なせてしまったことと関係があるのかもしれない。あるいは、善意で近づいてくる人々でさえ、外から来る人間が「今そこにある危機」をもたらすことを本能的に知っているのかもしれない。
 どのような理由にせよ、困難だらけの海に囲まれたちっぽけな緑の島で、自分たちの望むように生きるという強い決意をもって抵抗するセンチネル族に感心する人は多い。
文=Scott Wallace/訳=三枝小夜子
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181201-00010000-nknatiogeo-cul

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「ワニ狩り」一流シェフたち、アマゾン奥地に食材探し

2018-12-02 | 先住民族関連
COURRiER12/1(土) 8:15配信
ミシュランも扱わない場所へ
狩りは、夕暮れに浮かぶ三日月の下、蛙の合唱とともに始まった。突然、ライフルの音がしたかと思うと、斑点のある6体のケイマン(ワニの一種)が次々とボートに引き揚げられていく。そのうちの何体かは、全長2mを超えている。
ガストロノミーのトレンドが次々と移り変わるなか、一流レストランにとってメニューの探究は果てしないものだ。さらに近年、シェフの役割も変わってきている。たとえば、「偉大な料理人は、同時に偉大な語り部であるべき」といったものだ。彼らは食事だけでなく、自分たちが使う食材についてストーリーを用意しなければいけない。
2018年10月、私は、アンデス山脈で最も優れているとされるシェフたちに同行して、ケイマンの生息地であるボリビア北西部のコロラダ湖に向かった。
数年に一度、こうしてボリビア、アルゼンチン、ペルーの料理人と、名高いレストランのオーナーたちが集まり、川船を借りているという。ミシュランガイドに掲載されておらず、料理評論家があえて扱ってこなかったような場所に行くためだ。
私たちは、先住民族であるタカナ族の村に船で上陸した。湖とアマゾン流域にあるベニ川沿いでは、ケイマン猟のシーズンがちょうど始まったばかりだった。
タカナ族は私たちに挨拶するため、あらかじめ代表団を派遣してくれていた。ケイマンを採寸する公証人、ワニ肉をおろして切り身にする村長、そして、カヌーから懐中電灯の光をケイマンの目に照射するため、眠らないようにコカの葉を噛んでいる2名の狙撃手といった面々だ。
鯉よりもはるかに大きく、原始的な見た目をした淡水巨大魚のピラルクー。イチジクが落ちた下草の中で、よく堆肥を与えられた野生のカカオ豆。さらには、ヤシの木の中に住む昆虫の幼虫”ツヨツヨ“──こうした珍味がいま世界のグルメを唸らせている。
ボリビアの首都ラパスにあるレストラン「グストゥ」では、最近はこれらが前菜として提供されているという。料理長のマーシャ・タハはある夜、村のお年寄りにこう言った。
「私たちは、みなさんのキッチンにぶら下がっている食材を探しにきました。言い換えれば、みなさんが『都会に住む人は興味がないだろう』と考えていらっしゃるような食材です」
厳しい保護規制も
ときどき、アマゾンのジャングルで何が食べられるかについて、地元民に教えるのはシェフのほうである。
「カランパだ」
ペルーのリマにある、アマゾンの食材を専門的に利用するレストラン「アマス」の料理長マウリシオ・バルボンは、丸太を指差してそう言った。丸太を覆う、薄いピンク色のキノコのことである。それを聞いて、「まだ一度も試したことがない」と、森を案内してくれていたタカナ族の若きリーダー、ハビエル・マティアスが興味津々になっている。
キノコは、人間の耳のような形をしていた。バルボンによれば、料理として出する前に水でこれを漂白しなくてはいけないらしい。彼は、キノコの一部をはぎ取ってスパイスを加えた。
湖にいるケイマンに関しては、厳しい保護規制がある。何頭までなら狩ってよいのか、どのサイズまでならよいのか、そして一年のどの期間ならよいのか、といったことが制限されている。
タカナ族はまだ猟が制限されていなかった頃、輸出用にワニ皮を売ればよく稼げることを学んだ。この一族はいま、ワニ肉も新進気鋭のシェフに売っている。
タカナ族にとって、10月に何週間か続く狩りは「家族行事」だ。母親たちは幼子をハンモックの中で揺らしながら、ケイマンの皮を剥ぐのを手伝う。ほかの村民は大きな亀を裏返しにして、元に戻ることができないようにして遊ぶ。
タカナ族にとってケイマンの肉は、日常生活で手に入れられる「唯一の肉」というわけではない。
ある食事の席では、シェフたちは巨大なバクという食材に出会った。バクは植物を食べる、豚くらいの大きさの哺乳類だ。この肉をグリルで焼き、リブを食べた前出のバルボンは指を舐めながらこう言う。
「バクが解体されたのは見たことがなかったけど、おいしいね」
タカナ族はさらに、山刀と、赤くて少し発酵した「ケチョ」という果物も持ってやってきた。タハはケチョを一握り口に運びながら、こう話す。
「ただ食べるには充分な果肉がないけど、カクテルに入れてみるのはいいかもしれない」
シェフ一行がバクの肉を調理する気配は一向にない。代わりに巨大な亀が、甲羅が開けられ、中にポテトとチリペッパーが詰められてグリルされる運命になった。
古いタカナ族のレシピブックには、亀の調理法が多く書かれている。しかし、このねばねばした内臓の味や、噛み切りにくい皮、米の上に孤独に乗った前足を経験したシェフたちは、疑心でいっぱいだ。タハは言う。
「タカナ族はこの手の肉を村で食べることが許されているけど、売るのは合法ではないのよね」
分けられた亀肉を味わいながら、村のリーダーの1人がタハに噛み付く。
「もし合法だったとしても、それを私たちがあなたに売るなんて誰が言ったのですか」
みんなならどう料理する?
夜が明けていくにつれて、タカナ族はコロラダ湖に戻った。私は、水が漏れやすいボートの後ろに座った。先頭に立った猟師のライフルが、水面の様子をうかがう。
ケイマンの目が水面に浮上すると、猟師が狙いを定める。だがしばらくすると、ケイマンは潜水艦のように水面から沈んでいくのだった。午前1時までに、私たちのボートは5体の大きなケイマンで重くなっていた。
前出のレストラン、グストゥがこれまでワニ肉を提供してきた一方で、リマにあるアマスは、ワニ肉をペルーに輸入する許可を得るのに苦戦していた。しかしアマスのシェフ、バートンはケイマンの肉を客にどう振る舞うかについて考えるのをやめられないようだ。
「油で揚げてみようかな。揚げ物は誰もが馴染みのあるものだし。みんなならどう料理する?」
ブエノスアイレスにあるレストラン「エル・バキアノ」のガブリエラ・ラフエンテは、ふだんアルゼンチンのワニ園でワニ肉を買っているという。彼女は話す。
「私なら、しっぽまでとにかく全部使ってみるな」
シェフたちが一斉に、ラパスにある「ハルディン・デ・アジア」のシェフ、マルセロ・サエンスの方を見る。彼は一瞬止まって考えた。そしてこう言った。
「ケイマン寿司だね」
© 2018 New York Times News Service
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181201-00000001-courrier-life

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