先住民族関連ニュース

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「耐性黄色ブドウ球菌の感染源いまや病院外に」

2017-10-31 | 先住民族関連
日豪プレス2017年10月30日
 ほとんどの抗生物質に耐性を持つ黄色ブドウ球菌(golden staph)の感染源はこれまで病院内とされてきたが、最近の研究で今や感染の機会は病院よりも一般社会の方が多いと判明した。
 ABC放送(電子版)が伝えた。
 病院内での多剤耐性黄色ブドウ球菌感染が減った理由として病院内の感染防止措置の普及や抗生物質使用の抑制などがある。一方で抗生物質処方の見直しや患者の感染の監視などが求められている。
 ハンター・ニューイングランド地域保健局の伝染病対策担当ジョン・ファーガソン博士は、「一般社会でも耐性菌の感染は公衆衛生の見地からも重大だ。皮膚や血液を多剤耐性黄色ブドウ球菌に感染している患者の来院が増えている。ハンター・ニューイングランド地域のMRSAについては以前から懸念していたが、一般社会での多剤耐性黄色ブドウ球菌感染発生率の調査が間もなく完了する」と語っている。
 ファーガソン博士やオーストラリア国立大学(ANU)の研究者は、2008年から2014年までのこの地域の感染患者の何万件にものぼる病理サンプルを分析した。その結果、耐性菌が見つかったサンプルの60%の患者はサンプル採取以前にはしばらく公立病院に来たことがなかった。「60%の患者は医療機関で感染したとは考えられないから一般社会で耐性菌が蔓延し始めている徴候だ。
 しかも、その研究では、耐性菌感染率が異常に高かったのは40歳前、先住民族、高齢者施設住人となっており、ファーガソン博士は、「海外のデータでは、一般社会で処方箋などによる抗生物質服用が疑われている。また、家庭内、施設内、スポーツ・チーム内で人から人に伝染するようだ」と分析している。
 また、対策として抗生物質処方をさらに抑えることが必要だとしている。
■ソース
Golden staph: Drug-resistant infections now more likely outside of hospitals, research suggests
http://nichigopress.jp/ausnews/news/152411/

救っているのでなく、救われている。文化人類学者・辻信一さんが、先住民とナマケモノと出会って見つけた、スローな生き方。

2017-10-31 | 先住民族関連
greenz.jp2017.10.31
昨日公開された記事に登場した坂本龍一さんと、今日登場する辻信一さんのふたりは、中学生時代の僕に、社会と自分をつないで物事を考えるきっかけをくれたヒーローです。今回こうして、ふたりが連続してgreenz.jpに登場するのは実に誇らしく、うれしい。石村研二さんが前後編で描く、辻さんのストーリーと提案、たっぷりご堪能ください。
スズキコウタ 副編集長、ミュージシャン
文化人類学者で環境活動家、スローライフや生き方についての著書も数多く著している辻信一さん。グリーンズとも関わりが深いようでいて、実はこれまでじっくりと話を聞かせていただく機会がありませんでした。
そんな辻さんが中心メンバーとなって11月11日・12日に開催されるのが「しあわせの経済 世界フォーラム 2017」。グリーンズもメディアパートナー、実行委員会メンバーとして参加します。この機会に改めて、辻さんがどのようにして現在のような問題意識を持つに至ったのか、そして私たちになにができるのかをお話いただきました。
辻信一(つじ・しんいち)
1999年にNGO「ナマケモノ倶楽部」を設立、以来その世話人を務める。「スローライフ」、「100万人のキャンドルナイト」、「ハチドリのひとしずく」、「GNH(国民総幸福)」などの環境=文化運動を提唱、2014年、「ゆっくり小学校」を開校。『スロー・イズ・ビューティフル』、『よきことはカタツムリのように』など著書多数、映像作品にDVDシリーズ「アジアの叡智」(現在6巻)がある。
レイジーマン=怠け者
今回、お話を聞かせていただいた場所は神奈川県・戸塚にあるお寺、善了寺。お寺でありながら辻さんが理事を務める「NPO法人カフェ・デラ・テラ」の拠点でもあり、お寺内のスペースでヨガやトークイベント、落語会などが行われていて、最近カフェもオープンしたという不思議な空間です。
お話は、そこで出していただいたコーヒーから始まりました。
これは、タイのカレン族という少数民族のレイジーマン・ファームのコーヒーなんです。美味しいでしょ。
一口飲むと、深いコクと苦味とほのかな酸味が感じられ、本当に美味しいコーヒーでした。そして、このレイジーマンとの運命的な出会いについて話してくださいました。
1992年に先住民が屋久島の森に集まるイベントを開催したんです。僕はカナダの先住民を連れて行ったんですけど、そこにカレン族のおじさんがいて、その人は木を得度(とくど)させるということをやってたんですね。
得度とは出家の儀式のことですが、木をお坊さんにしちゃうんです。
そうすると仏教国のタイではその木を切れなくなってしまって、それでこれまで5000万本の木を守ったって。それは面白いなと思ったんだけど、そのときはそれで縁が切れてしまったんです。
それから25年が経って、全く関係ない用事でチェンマイに行ったときにひとりの青年が現れて、自分はカレン族の「レイジーマンファーム」から来たっていうんです。
レイジーマンって「怠け者」という意味なんですが、僕もナマケモノ倶楽部やってるから、「え、レイジーマン? 面白い」と思って、「カレン族と言えば25年前にこんな人と会ったことがある」って話をしたらその青年が「それは僕の父です」っていうんですね。それで次の日、山奥にあるその農場に行ったんですよ。
行ってみると、その農場は森の中にあって、森林農業をやっているんです。タイでは40年くらい前に、森林を伐採して換金作物をつくろうという”緑の革命”運動が国を挙げて推進されていて、いろいろな作物が試されたんですね。
コーヒーもそのひとつだったんですが、国際的な競争に勝つことができなくて産業としては定着しなかった。でも、それがひっそりと森の中で育っていたんです。それをレイジーマン、25年前に僕が出会ったおじさん(ジョニさん)が見つけて、タイで今、急速に広がっている遺伝子組み換えトウモロコシに変わる作物として栽培を始めたんです。
栽培といっても無理に増やすのではなく、森に生えている木に最小限の手を入れて収穫するということをやっていて、自分たちが食べる作物は別につくっているんです。
そうやってつくったコーヒーを、連帯貿易という形で海外に売ろうとしている。僕らも同じ「怠け者」だから一緒にやるしかないなって、今は行くたびに少しずつ持ち帰って、みんなに試してもらってる段階なんですけど、ゆくゆくは販売していこうと思ってるんです。何と言っても「レイジーマン」っていう名前がいいじゃない?
辻さんが現在力を入れて発信しようとしているのは、ローカリゼーションによって行き過ぎたグローバリゼーションに対抗しようという考え方です。
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんが提唱し、ドキュメンタリー映画『幸せの経済学』にもまとめられていますが、レイジーマンのあり方はまさに「しあわせの経済」を自分たちの足元からつくっていき、それを国際的に連携させていこうという動き。これが、辻さんが世界に伝えたいこととピタリと一致したのです。
そして、さらに大事だと思うのは、レイジーマンとの25年を経ての出会いという”縁”です。辻さんは、縁がいかに重要かということも話してくださいました。そのような考え方へと至った辻さんの歩みは、一体どのようなものだったのでしょうか。
グレート・カナディアン
辻さんの現在にまで至る活動の原点は、カナダの先住民”インディアン”にあるといいます。「黒人音楽が好きでアメリカに憧れていた」という辻さんは、20代半ばでアメリカに渡ります。そして黒人を出発点に、先住民や移民についてより深く知るべく文化人類学などを学ぶようになり、2年後にはカナダへ。そこでカナダの先住民に出会います。
カナダには黒人は少ないんですけど、街にいるホームレスなんかを見ると僕らと似た顔をしているわけですよ。
日本にいた頃から”インディアン”の歴史にも興味があったので、彼らの考えを聞きたくなって。アメリカの黒人の一部が白人社会に同化することで黒人の中に差別や葛藤が生まれたように、カナダの先住民も都会に出て白人的な生き方をすることに葛藤を抱えているんじゃないかと思ったんです。
当時はちょうど先住民たちが昔から住んできた土地がダムやゴルフ場にされるので、そうした開発から森や湖を守ろうという運動が展開していて、1990年にはそれが「オカの戦い」という武力闘争になるんですが、そこに参加している人たちに研究のために話を聞きに行きました。
でも、行くと一緒になってやっちゃうんですよね。すっかり友だちになっちゃうから。自分にできることはなんだろうって考えて、研究そっちのけで。学者に向いてないんですよ(笑)
学者として彼らのことを知りたいという気持ちと、友人として彼らのために何かしたいという気持ち、そのふたつの間を揺れ動いているとき、辻さんに大きな出会いが訪れます。
その頃、デヴィッド・スズキに出会ったんです。
彼は、将来を嘱望された遺伝学者で、ノーベル賞をとるかもしれないとも言われてたんですが、科学は環境破壊を引き起こすものでもあることに矛盾を抱え、悶々としていたんです。そのようなときに、ラジオやテレビに出るようになって、自分が科学をわかりやすく喋ることに長けていることがわかった。それで心を決めて、自分は環境活動家としてやっていくことに決めたんです。
国営放送のCBCで『The Nature of Things』という自然科学番組が大変な人気になって。カナダ人の尊敬を集めて、2004年には”Greatest Canadians”っていう国民投票で存命の人物では1位になったんですよ。
彼は一切妥協せずに自分の信じることをどこまでも言うんだけど、尊敬されてるから政治家もやめさせられないわけ。日系人で、戦争中は収容所に入れられて差別されていたのに、それだけ尊敬を集めるようになった。
彼の存在は僕にとってすごく大きくて、学者として、自分のために研究をするだけじゃなくて、そんなふうに世の中のために活かしていく道があるんだってことを教えてくれた。それで、すごく勇気が出たのをはっきりと覚えてます。
カムイチカップ=神の鳥
カナダで学者として学生を教えながら、先住民を応援する活動を続けていた辻さんは、1992年に日本の大学で教えるために帰国します。しかし日本でもただの学者になるつもりはなく、活動家として先住民のための活動を始めます。
日本に帰ってきた年が、ちょうどコロンブスがアメリカに到達して500年で、いろいろな行事が世界で行われていたんですが、先住民は「何がお祝いだ」と言っていた。
そこで、カナダやアメリカの先住民やアイヌの人たちを呼んで「もうひとつのコロンブス五〇〇年ー先住民族の英知に学ぶ」という会議を開催したんです。デヴィッド・スズキさんに基調報告をしてもらって。

「もうひとつのコロンブス五〇〇年ー先住民族の英知に学ぶ」フライヤー
拠点を日本に移して活動が続けられるのかと、葛藤を抱えながらの帰国だったと振り返る辻さんですが、この会議とそれに続くデヴィッド・スズキさんとの北海道の旅で日本でもやることがあると思うようになったそうです。
せっかくデヴィッド・スズキさんに来日してもらったので、NHKにはたらきかけて、彼を中心に先住民がアイヌの土地を旅する番組をつくるという企画を出して実現したんです。
企画は、二風谷(にぶたに。北海道南部平取町にあり、アイヌが今も多く暮らす地域)でアイヌの人たちに会いながら最後にシマフクロウに会おうというもので、シマフクロウはコタンコロカムイ(カムイはアイヌの言葉で神を意味する)といってアイヌの人たちにとっては神様なんです。その神様に会いに行く。でも、シマフクロウは絶滅の危機にあって、会えるかどうかわからなかった。
一緒に旅した中に、以前から友人だったチカップ美恵子さん(アイヌ文様刺繍家で文筆家)がいました。チカップはアイヌの言葉で鳥という意味で、シマフクロウをカムイチカップとも言うんだけど、チカップさんはシマフクロウに会ったことがなかった。だから彼女は自分の神様にぜひ会いたいと、旅しながらずっと言っていたんです。
それが旅の最後に根室で夕方、森に入っていったら、すーっと雪が振り始めて、目の前の木にシマフクロウが降り立ったんですよ。
それで僕らは木の陰に隠れて静かにしていたんですけど、チカップさんがスーッと近づいていって、シマフクロウが止まってる枝の真下に行って見つめ合うんです。全然逃げないの。そのときは本当に感動しましたね。
この出会いには、先住民の自然とつながる力の強さに対する気づきがあります。辻さんも「今考えればそういう出会いが支えてくれた」というように、出会いと気付きによって、次々と問題意識を持っていくのです。
ハチドリのひとしずく
日本に帰ってからも、先住民のために活動を続けていた辻さんに、次なる気づきが訪れます。
帰国して数年してから、エクアドルでマングローブを守ろうという活動に参加するようになりました。エクアドルのジャングルの中、観光客はおろかエクアドル人も行かないようなところに世界最大のマングローブ生態系が残っていて、そこを通って現地の人々に取材をしたりして、マングローブを守ろうと訴えたんです。
現地の人たちは逃げてきた黒人奴隷と先住民が混ざったような独特の人たちで、周囲からは隔絶していて独自の社会をつくっている。そこに車で乗り付けて5日くらいインタビューしたり調査をしたりして、また帰っていく。そんなことをやっていました。
そうしたらあるとき、現地の誰々に子どもが生まれたから日本に帰ったら知人に伝えてって僕に言ったんですよ。それでそのときは「ああわかった」って答えたんですね。
それで、街に出てみんなでお酒を呑んでたら、何か急におかしくなって、腹を抱えて笑い始めたんですよ。何がおかしいかって、自分たちですよ。
現地の人が僕にメッセージを伝えたのは、僕が日本に帰ったらすぐその人に会ってメッセージを伝えてくれると思ったからでしょ。彼らの村みたいなところに僕らは一緒に住んでいると思っている。でも、僕らは日本中に散ってるし忙しいから実はほとんどエクアドルでしか会わないわけ。
僕らは現地の人に偉そうに「ああしろこうしろ」って言ってるけど、よく考えたら自分たちは友人とゆっくり話す時間もなくて、自分たちのローカルやコミュニティは崩壊して、下手すると家庭も崩壊して、自分の息子や娘ともコミュニケーションが取れていないわけですよ。なのに、偉そうに説教して……。コメディですよ、こんなの(笑)
だから変えるべきはエクアドルじゃなくて俺たち自身だって、そのときはっきりわかったの。
僕らが彼らに教えるんじゃなくて、彼らが僕らに教えてくれているんです。人生もっとスローに暮らしなさいよって。”助けに行ってる”んじゃなくて”助けられに行ってる”。
環境を守る人も壊す人も、右翼だって左翼だってみんな同じで、僕らはいつも忙しがっている。でも、その自分自身を変えなければ、世の中を変えることなんてできないとわかった。
それもどっちが先にじゃなくて、同時に。
変革というのは、自己の変革と世の中の変革、自分の魂そのものの変革と一体なんだってわかったんです。そこから僕なりのスロームーブメントが始まったんですよ。
自己の変革と世の中の変革のためスロームーブメントに取り組もうとした辻さんですが、もう一度エクアドルに引き戻される出来事が起こります。そして、そこでまた大きな出会いが訪れます。
マングローブの活動が終わりに差し掛かった頃、アンニャ・ライトさん(ナマケモノ倶楽部の共同代表で環境活動家、辻さんにとっては「妹みたいな人」)がやってきて「大変、エクアドルで日本の企業が森を破壊する鉱山開発をしている」って言うんです。
それでエクアドルに行ったときに、現地に行ってみたんですよ。今度はアンデスの中腹の雲霧林(うんむりん。熱帯・亜熱帯地域の山地で湿度の高い場所に発達する常緑樹林)で、ほとんど残っていない生態系で、美しいんです。ランの原種のほとんどがそこにあるとも言われていて。
その森を象徴する存在がハチドリで、そこの先住民のケチュアから『ハチドリのひとしずく』という話を聞いたんです。
「ハチドリのひとしずく」
森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げていきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
辻さんはこの話を持ち帰り、2005年に『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』という本にして出版。地球温暖化防止のためにできる小さな取り組みをみんなでやろうというキャンペーンを立ち上げました。
またしても先住民に教えられる形で、辻さんのスロームーブメントが形になり始めます。
ナマケモノ
ハチドリに加えて、辻さんがエクアドルの森で出会ったのがナマケモノでした。ナマケモノも辻さんに大切なことを教えてくれました。
森林伐採が進んだところに行くと、ナマケモノだけが逃げ遅れて、伐採された木と一緒に倒れて来たりして。それを人間が食べるところがないのに食べたり、虐待したりしていたんです。貧しい人たちだから責められないんですけど、「これは救わないといけない」とナマケモノを買い取って、ボートを仕立てて移住させたんです。
あんなことよくやったと思うけど、船がナマケモノでいっぱいで、ナマケモノって森の中にいると可愛いんだけど、森から引き離されてそこら辺にいると不気味なんですよ。やたらと手が長くて痩せててね(笑)
それを見ていて、今度も「僕らは救っているのではなくて救われているんじゃないか」と思ったんです。
今の社会は競争によって成り立っているというのが常識になってますが、それは本当なんでしょうか。実はそういう物語は最近のもので、昔の人たちは人生が競争だなんて誰も考えていなかった。人を蹴落とさなくたって、自分が人を押しのけて前に出なくたって、みんな生きてたんですよ。
でも今の社会は、人々が自分の我欲を最大限に発達させて、それで競い合うことによって、かろうじて成り立っている。競争によって成立する社会が成り立つっていうのは、その裏側を言えば不安と恐怖によって成り立ってるってことですよね。どうしてなんで戦うかっていうと、負けたくないからでしょ。学校に行くのだってそのため。
ナマケモノは違うんですよ。彼らはほとんど木から降りることなく葉っぱだけを食べてゆっくり生きています。
どうして彼らがそのようなスローな生き方ができるのかというと、競争から下りたから。自分だけのニッチをつくって、牙を持ったり毒を持ったりすることでジャングルの他の動物と競争する方向に進化しなかった。まったく無防備な方向に進化することによって森の中で栄えた。
ナマケモノは森の中に置いておいてくれれば絶滅なんてしない。僕らはナマケモノを救いながら、ナマケモノの生き方に教えられて、救われている。そのことに、僕は森から引き離されたナマケモノの姿を見て気づいたんです。
競争型ではないスローな生き方をナマケモノから学んだ辻さんは、その名も「ナマケモノ倶楽部」という団体を設立。
ナマケモノに学ぶスローな生き方をする仲間を増やすことで、恐怖と不安に基づいた社会ではない社会をつくろうと活動を始めます。先住民の暮らしからヒントをもらったスローに生きることは、ナマケモノという象徴的な存在によって確実にひとつのムーブメントとなったのです。
そして辻さんは、ナマケモノからもうひとつ大事なことを教わったと言います。
ナマケモノって1週間に1回だけ木から静かに降りてきて糞をするんです。でも、そのときは無防備だから本当は木の上で排泄したほうがいいんですよ。
それなのになぜそんなことをするのか。研究からわかったのは、自分のした糞が確実に根を通して木の栄養になるためだということ。上から糞をしたら地面の表面で分解されてしまうから、わざわざ木の根元に少し穴を掘って糞をするんです。
自分は生態系の中で生きている。だから自分の生態系にお返しをする。それを命がけでやってるんです。
インドに『バガヴァッド・ギーター』という聖なる書があって、僕の友人でもあるサティシュ・クマールは、その鍵となる概念のひとつとして「ヤグナ」を挙げています。
これは「補うこと」を意味していて、自分が生態系・自然・人々のおかげで生きているんだから、それを少しでも補いなさいという教えなんです。
家を建てるために木を切ったら木を植えなさい。
食べ物を食べてゴミが出たらそれは堆肥にして畑に返しなさい。
そういう考え方なんです。
それって、ナマケモノの生き方そのものじゃないですか。彼らは僕らに教えてくれているわけですよ、生き方を。
今回のフォーラムにも登壇する、インド出身のイギリスの思想家サティシュ・クマールさんは著書『君あり、故に我あり』の中で『バガヴァッド・ギーター』における3つの鍵となる概念として「ヤグナ(補うこと)によって土を育てること、 ダーナ(与えること)によって社会を育てること、タパス(自己修練のこと)によって自己を育てること」を挙げています。
スローな生き方とはつまり、地球の生態系のスピードにあわせて生きること。人間も生態系の一員である以上、そうしなければ生態系を崩すことになってしまいます。辻さんは先住民やナマケモノやデヴィッド・スズキさんらとの出会いからそのことを少しずつ学んでいったのです。そして私たちに教えてくれているのです。
しかしなぜ、私たちはそのような生態系を崩すようなスピードで生きることになってしまったのか。そしてゆっくりとしたスピードで生き直すためには何が必要なのか、近日公開の後編でさらに聞いていきます。
(撮影: 廣川慶明)
「しあわせの経済」世界フォーラム 2017 – Local is Beautiful!
11月11日(土)、12日(日)に、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんが提唱する、ローカリゼーションについての国際会議「Economics of Happiness Conference」が東京にやってきます。ヘレナさんはもちろん、「シューマッハ・スクール」のサティシュ・クマールさんや、地域通貨の先進事例を行ったブリストルの元市長であるジョージ・ファーガソンさんらの来日も決定。greenz.jpもメディアパートナー・実行委員会メンバーとして参画します!
http://economics-of-happiness-japan.org
http://20171111.peatix.com
https://greenz.jp/2017/10/31/tsuji_shinichi_story1/

アイヌ文様刺しゅうの巨大パッチワーク完成 町文化祭で展示-白老小学校緑塾

2017-10-31 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2017/10/30配信

子どもたちが手作りした巨大パッチワーク
 白老町の白老小学校緑塾の子どもたちが、アイヌ文様刺しゅうの巨大パッチワークを完成させた。4~6年生の児童15人が、町内のアイヌ文様刺しゅうのサークル「フッチコラチ」の指導を受けながら1枚ずつ丁寧に刺しゅうを施した。「白小」の文字も入れた巨大パッチワークは11月の町文化祭で展示される。
 緑塾は地域住民を講師に招いたクラブ活動で、12ある活動のうちの一つがアイヌ文様刺しゅう。巨大パッチワークは15センチ四方の布にアイヌ文様刺しゅうを施して何枚もつなぎ合わせたもので、民族共生象徴空間開設に向けた町民の機運醸成に向けたまちぐるみの取り組みとして広まっている。
 今回、子どもたちは5月から全8回にわたって刺しゅうとパッチワークに取り組んできた。1人2~3枚の刺しゅうを施しており、細かなチェーンステッチを何度も繰り返す地道な作業に臨んできた。子どもたちは持ち前のチャレンジ精神で楽しく作業を進めるなど、巨大パッチワークの完成を楽しみにしてきた。
 この日は、子どもたちが作ったアイヌ文様刺しゅうとその他の布をフッチコラチが縫い合わせ、裏側の縫い代を子どもたちがアイロンをかけて完成させた。横105センチ、縦195センチの巨大なパッチワーク作品。子どもたちは歓声を上げ、大作の仕上がりに大満足の様子だった。
 5年生の木村愛さんは「細かく縫うところが大変だったけど、みんなでうまくできたので良かった」と話す。4年生の藤代ひよりさんは「最初は簡単かなと思ったけど、実際やってみると難しかった。みんなで楽しく作業ができたので、たくさんの人に見てほしい」と笑顔で語った。
 フッチコラチの岡田育子代表は「皆さんの頑張りで作品ができました。また来年も一緒にやりましょう」と子どもたちに声を掛けた。
 作品は11月2~4日に白老コミュニティセンターで開かれる町文化祭で展示される。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/12489/

アイヌ民族と歩んだ松浦武四郎をテーマに講演会【登別】

2017-10-31 | アイヌ民族関連
室蘭民報 - 2017/10/30 12:34

「アイヌ民族と歩んだ松浦武四郎」をテーマに開かれた講演会
 知里真志保を語る会主催の「アイヌ文化講演会」が29日、登別市中央町のホテル平安で開かれ、参加者約200人がアイヌ文化の歴史について理解を深めた。
 松浦武四郎記念館(三重県松阪市)の山本命主任学芸員が「アイヌ民族と歩んだ松浦武四郎」と題し講演した。
 アイヌの人々の手を借り、6度の蝦夷地調査によって”北海道の名付け親“といわれる武四郎は「北海道の開拓の基礎およびアイヌ民族の生活や生活圏を詳しく紹介した人でもある」と紹介。
 150冊以上の蝦夷地調査記録と詳細なアイヌ語地名を収めた地図を完成させ、情報発信した武四郎の生涯をひも解き、「さまざまな文化や価値観を受け入れる広い心や、うわさや誤った情報に惑わされない真実を見抜く目、どんな困難をも乗り越え常に先を切り開く力を養ってもらいたい」と述べた。
 アイヌ民族や蝦夷地の歴史、文化を物語る貴重な文書も紹介され、参加者らは熱心に山本講師の話に耳を傾けていた。また、北海道には武四郎の足跡をたどる記念碑が60カ所ほどもあり「こちらもぜひ巡ってみてください」と話していた。
 講演前には、登別古式舞踊保存会「フンペ」のメンバーが伝統衣装に身を包み、アイヌの古式舞踊を披露、来場者を楽しませた。
http://www.hokkaido-nl.jp/detail.cgi?id=43010


“彼のための音楽を彼が弾く”左手のピアニスト 舘野泉、間もなく開催の公演に向け本人よりメッセージが到着

2017-10-31 | 先住民族関連

billboard-japan.2017/10/28舘野泉
 “彼のための音楽を彼が弾く”左手のピアニスト舘野泉が、11月10日に演奏する「風のしるし」は、左手の作品として日本にはじめて誕生した作品だ。2002年に脳溢血で倒れ右半身不随となりその後、舘野泉が再起の道にピアニストとしての命の音楽を与えた素晴らしい一曲。舘野泉の演奏で聴いてこその満足度得られる作品といえるだろう。今回のピアノ・リサイタルのプログラムは、いずれの作品も舘野泉のために書かれた作品で、世界初演の「ヴィオラ・ソナタ」は、今井信子と初共演。東京1公演のみの貴重なデュオに向けて、舘野泉本人からメッセージが届いた。
 今年も前半期は日本で仕事をし、たくさんの演奏をしてくたくたの襤褸糞(ボロクソ)になり、疲れきって西も東も分からぬくらいに働いたのだが、その激しい疲労が実は爽やかであり自分にはなくてはならぬものであるというのは一般的には説明出来ないことかもしれない。多くの古いレパートリーも新しい作品も観て、そのひとつひとつから命を貰い、生命を与えていく。何度でも同じ作品と向きあい、何度でも脱皮を繰り返す。この作業があるからこそ自分は蘇り常に新鮮であるのだと思う。「お疲れになったでしょう。休暇をとられてエネルギーを蓄えてください」などと云われるのは、実は一番困ったことなのだ。年齢を増すごとに休むのが辛くなってくる。休んでしまうと、一度止めたエンジンをかけるのが大変で、時間もかかってしまうのだ。7月はまる一か月仕事もなく、ハイクポホヤの別荘で静かに暮らした。8月初旬にエストニアでリサイタルと2枚のCD収録があり、それをゆっくりと準備することも出来た。有り難や有り難やと思ったのだが、実はそうではなく、ひどく疲れて、暫くは何も出来なかった。
 或る日、思い立って間宮芳生の<風のしるし・オッフェルトリウム>を弾いてみた。ほんの2~3段弾いただけで命の蘇ってくるのが分かった。魂の芯にあるものが目覚めて激しく叫びかわしているのだ。ほんの一瞬ピアノに向かっていたとばかり思っていたが、実は4時間も夢中で弾いていたのだった。私が脳溢血で二年間も何も弾けずに過ごし、左手のピアニストとしてステージに復帰したときに弾いたのが<風のしるし>。日本で初めて誕生した左手のための作品だ。<風のしるし>の風は、アメリカ先住民族ナヴァホ族の創世神話で語られる風の神、ニルチッイ・リガイのことである。ナヴァホの人々は、この地上の生きるものすべての誕生の時、生命を与えてくれるのはその風の神だと信じてきた。「人はその体内を風が吹いている間だけ生きている。体の中で風が止めば、人は言葉を失い、死ぬ」と。手の指の先の渦は、はじめて体の中を風の神が通り抜けた誕生の瞬間に、風が残していった風紋なのである。
 いつも思うのだが、間宮さんの音楽は雄勁そのものである。激しい時も優しい時も真直ぐにすくっと立っている。その音楽に惹かれて50年近くも弾き続けてきた。11月10日には上野の文化会館で<風のしるし>を演奏するが、長い間の闘病生活から復帰し、また作曲活動を開始した87歳の間宮さんも聴きにきてくださるという。有難いことだ。Text:舘野 泉(ピアニスト)
◎公演情報【舘野泉 バースデー・コンサート 2017】
2017年11月10日(金) 東京文化会館小ホール START 19:00
http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/56886/2



JAL、「新・JAPAN PROJECT」の地域紹介シリーズで道東を中心とした「北海道」を特集

2017-10-31 | アイヌ民族関連
トラベル Watch,10/30(月) 19:36配信 編集部:多和田新也
 JAL(日本航空)は、地域活性化プロジェクト「新・JAPAN PROJECT」の地域紹介シリーズで、10月~12月に「北海道」を特集。機内食やラウンジ、機内誌、ツアー商品など、さまざまな媒体を通じて北海道の魅力を伝える。
 機内食は、11月の国内線ファーストクラスの夕食として、阿寒摩周国立公園を背景に宿を構える「あかん鶴雅別荘 鄙(ひな)の座」の金子善行料理長による監修メニューを提供。
「南瓜饅頭の餡かけ」や「知床どりの鴫焼き(しぎやき)」「阿寒湖産姫鱒の幽庵焼」「阿寒ポーク煮」「秋鮭ちゃんちゃん焼」など、道東の旬の食材を中心にした3種類のメニューを上旬、中旬、下旬と期間を分けて提供する。
 また、国内線ファーストクラスの11月の夕食では、栽培に適した一部の産地でのみ作付けしているという道南で開発された北海道産米「ふっくりんこ」や、日本酒はいずれも北海道産酒造好適米で仕込んだ「千歳鶴瑞翔 純米大吟醸」「金滴 純米大吟醸」も提供する。
 国内線ファーストクラスの昼食時間帯には、北海道銘菓を提供。羽田発便ではペイストリースナッフルス(函館市)の「ボナペティ」、羽田着便では柳月(河東郡)の「三方六の小割」を提供する。
 このほか、10月29日からエンブラエル E190型機を導入した伊丹~函館線の機内では、11月30日までペシェ・ミニョン(函館市)によるJ-AIR(ジェイエア)オリジナルのお菓子「サブレココとショコラオサブレのセット」を提供している。詳しくは関連記事「JAL、伊丹~函館線にクラスJシートやAC電源搭載のエンブラエル 190型機導入 10月29日就航、11月30日までぺシェ・ミニョンのJ-AIR限定サブレ提供」を参照されたい。
 新千歳空港のJALダイヤモンド・プレミアラウンジでは、十勝産小豆と伝統の配合による生地で作り続ける創業111年の「ほんま」による「月寒あんぱん本舗ほんま『寒月』」を11月1日~12月31日に提供するなど、北海道の銘菓や北海道産ワインを提供する。
 機内誌「SKYWARD」の11月号では、グランピングの受け入れ体制を整えつつある十勝エリアでのキャンプの魅力を紹介するほか、国際線版の英語記事で北海道の自然に根ざしたアイヌ独特の食文化を紹介。お笑いコンビ・パックンマックンが北海道釧路市の阿寒湖周辺を紹介する機内ビデオも国内線で11月、国際線で12月~翌1月に放映、提供する。
 ジャルパックでは、「JAL.JR北海道 ひがし&きた北海道キャンペーン」に連動した釧路エリアの魅力を堪能できる撮影ツアー「冬の海を歩く!?絶景体験“氷平線”ツアー」や、JALダイナミックパッケージで、釧路市内や、網走市または斜里町(ウトロ)の指定宿泊施設を対象に1泊5000円などを割り引く「JALふるさと応援割」などを提供。
 JALマイレージバンクでは、帯広/釧路発着路線へ搭乗した人を対象にしたボーナスマイルキャンペーンを実施するほか、マイレージバンク交換特典の「とっておきの逸品」に「帯広の味 豚丼」「十勝橋本牧場 プレミアム アイスセット」といった十勝の特産品を期間限定で提供する。
https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1088953.html

ゴールデンカムイを語る 札大でアイヌ文化フェス 作品の魅力、作者の秘話も

2017-10-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞10/30 05:00
 アイヌ文化の担い手を育てる札幌大学ウレシパクラブのイベント「ウレシパ・フェスタ」が29日、同大で開かれ、アイヌ民族の少女が活躍する人気漫画「ゴールデンカムイ」の関係者が作品の魅力を語り合った。
 同作品は、北広島市出身の漫画家野田サトルさんが描く。アイヌ語を監修した千葉大文学部の中川裕教授は基調講演で「作者は綿密に歴史を調べた上で予想外のストーリーを展開している。リアルとフィクションの傑作」と評価。アイヌ民族の少女に今の登別市周辺の幌別方言を使わせている背景などを説明した。
 続くパネルトークでは担当編集者の大熊八甲(はっこう)さんが「野田さんはたくさんの本を読む。それに加えて実地体験を大切にしていて1人でいろんな所に行く人」と紹介。作品に登場したマキリ(小刀)をデザインした日高管内平取町二風谷の工芸作家貝沢徹さんは2年前、来店者にゴールデンカムイを教えたところ、その来店者が野田さんだったというエピソードを披露し、会場の笑いを誘っていた。
 フェスタではこの後、ウレシパクラブの学生たちが口承文芸や舞踊など日頃の学習の成果を披露した。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/141818

アイヌ伝統料理を味わう 札幌でシカ肉特製弁当完売

2017-10-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞10/30 05:00
 アイヌ民族の食文化を発信する初の「アイヌフードフェスティバル」が29日、札幌市南区の市アイヌ文化交流センターで開かれた。伝統料理の提供をはじめ、パネルディスカッション、箸やさじの製作体験などが行われた。
 アイヌ民族の女性でつくる全国組織「アイヌ女性会議―メノコモシモシ」などが、2020年に道内開催を目指す先住民族の食の世界集会「先住民族テッラ・マードレ」の事前イベントとして開催し、約300人が訪れた。「ラタシケプ」(カボチャなどの混ぜ煮)やシカ肉ステーキなどを詰めた100食限定の特製弁当は、約1時間で売り切れる人気だった。
 パネルディスカッションは「食」「食と経済の活性化」「医食同源」のテーマ別に行われた。「食」では、女性会議の多原良子代表が「アイヌ民族の女性が自らの食文化を発信し自信を持つことが、今後の自発的な行動につながる」と期待。アイヌ料理研究家のア●イ(アトゥイ)さんは「隣人や人間以外の生物と食べ物を分け合い、争わないことがアイヌ民族の精神的支柱としてある」との見方を示した。
 「食と経済の活性化」では、世界の先住民族の食に詳しい東京の人気フランス料理店「レフェルヴェソンス」の生江史伸(なまえしのぶ)シェフが「(情報発信には)自分たちの文化の原点と、現代に合わせて(アレンジする)変化の双方が求められる」と指摘した。
●は「ト」の右上に「。」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/141817

アマゾンにある伝説のぐつぐつと煮えたぎる川は本当に存在した。そこは先住民のヒーリングスポットとなっていた

2017-10-30 | 先住民族関連
BIGLOBEニュース 10月29日(日)20時30分 カラパイア

 アマゾンの奥深くには、煮えたぎるほど熱い川が存在するという伝説がある。日本にある温泉などというレベルではない。沸騰するほどの熱さだ。
 地質学者でありペルー出身のアンドレス・ルッソ氏は、その川の正体を探るためアマゾンへと訪れた。そしてそれは確かにあったのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=yRNwHoc7bq0
The Amazon’s Boiling River Kills Anything That Enters
【祖父から聞いた伝説の煮えたぎる川】
 ルッソ氏は12歳の時に祖父から不思議な話を聞いた。
 スペインの征服者がインカの皇帝を殺した後、彼らは黄金を求めてアマゾンの密林に足を踏み入れた。しかし帰ってきたのはほんの数人のみで、皆口々に毒に侵された水、人喰い蛇、飢餓、病気など悪夢のような話を語った。その1つが、まるで底を巨大な炎で熱したかのように煮えたぎる川であった。
 この話はしっかりとルッソ氏の心に焼き付けられた。
【伝説を確かめるべくアマゾンへ】
 成長したルッソ氏は、アメリカ・サザンメソジスト大学博士課程で地質学を研究するようになっていた。そして、幼いころ祖父か聞いたあの話の真相を確かめるべく、アマゾンに訪れた。
 彼の当初の論文テーマは、ペルーの詳細な地熱マップを作ることだった。祖父の話していた煮えたぎる川が実際に存在するかもしれない。
 しかし先輩にはあり得ないと一蹴された。川が沸騰するには狭い区間であっても膨大な地熱が必要になる。だがアマゾン盆地は活火山から遠く隔てられている。指導教授からもやはり馬鹿げたことを考えるのは止めろと諭された。
 それでもルッソ氏はあきらめなかった。そして、だが彼の話に真剣に耳を傾けてくれる唯一の存在に出会う。彼の叔母はなんとそこに行ったことがあるというのだ。
【マヤンチュヤックに存在した煮えたぎる川】
 そしてついに発見したのだ。煮えたぎる川は伝説上の存在ではなく、ペルーの熱帯雨林の奥深くにあるマヤンチュヤックの神聖なヒーリングスポットであった。
 最も広いところで幅25メートル、深さ6メートルある川は、およそ6.4キロに渡りお茶を沸かせられるほどの水温に保たれている。そしてその一部は実際に沸騰している。
 アマゾンには温泉の記録があるが、いずれも大きさの点でこの川の足元にも及ばない。
【詳細な調査と川の保全活動を】
 人数は多くないが、マヤンチュヤックには先住民族アシャニンカ(Ashaninka)伝統のヒーリングを受けるために毎年人々が訪れているという。
 だが1930年代の石油開発の資料に記載されている曖昧な記述を除けば、川について記した学術的な文献は存在しない。ここは実に75年もの間、広く知れ渡ることなくあり続けた。
 現在、地元のコミュニティときちんとした関係を作り上げたルッソ氏は、現在その地熱について詳細な研究を行ない、アマゾン盆地の文脈から捉えようとしている最中だ。
 また微生物学者と手を組み、熱湯の中に潜む極限微生物についても調査している。この環境で生きれる生物があれば、数十億年前のまだ地球が荒々しかった時代に起きた生命の誕生について知見が得られることだろう。
 だがルッソ氏にとって最も重要なことは、この場所を保全することだ。川は自然の驚異でありながら、保全なしではいずれ消えてしまう懸念があるのである。
 ルッソ氏が初めてここを訪れた2011年当時、周辺の森林は違法伐採によって切り倒されつつあった。このまま何もしなければ、間もなくこの世から失くなってしまう可能性が高い。
 そこで世間の注目を集めることで支援を募り、長期的な保全を試みようというのがルッソ氏の狙いだ。違法伐採から資源開発まで、マヤンチュヤックはいくつもの脅威にさらされているが、保全へ向けた体制は日に日に強固になりつつある。
 ルッソ氏の幼いころの好奇心からついにたどり着いた「煮えたぎる川」。地球上には残り少なくなってしまったもののまだ自然の驚異が隠されている。
 どれも守るべきものあり、国際的な規模でその保全活動を展開していく必要があるだろう。
via:digg / telegraph // translated by hiroching / edited by parumo
https://news.biglobe.ne.jp/trend/1029/kpa_171029_7756762572.html

アイヌ食文化発信成功を 札幌できょうフェス

2017-10-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞10/29 05:00
 アイヌ民族の食文化を発信する初のイベント「アイヌフードフェスティバル」(AFF)が29日に札幌市南区の市アイヌ文化交流センターで開かれるのを前に、成功を願い、食べ物の神様に祈る儀式「イペカムイコイノミ」が、センター敷地内にある伝統家屋「ポロチセ」で行われた。
 AFFを主催する「アイヌ女性会議―メノコモシモシ」と日本スローフード協会などから約40人が出席。札幌市の沢井政敏さんが祭司を務め、AFFの成功を願ってヌサ(祭壇)に祭った神々に祈りをささげた。
 儀礼の後、参加者たちはカボチャやシケレペ(キハダの実)の混ぜ煮「ラタシケプ」やシカ肉カレーなどを堪能し、交流を深めた。
 女性会議の多原良子代表は「アイヌ民族の伝統的な料理を味わって、先住民族の食に関心を持ってもらう機会になれば」と話した。
 AFFは午前11時~午後7時。入場無料で、一部のイベントは有料。
※「メノコモシモシ」の「シ」、「シケレペ」の「レ」、「ラタシケプ」の「シ」「プ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/141686

アイヌ民族遺骨、北大が4体返還 浦河で再埋葬

2017-10-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞10/29 05:00
 【浦河】全国の大学でアイヌ民族の約1600体の遺骨が保管されている問題で、北大は28日、日高管内浦河町杵臼(きねうす)の墓地から研究目的で1931年(昭和6年)に持ち去った4体の遺骨を、日高管内ゆかりのアイヌ民族有志の団体「コタンの会」に86年ぶりに返還した。コタンの会は同日、再び埋葬して先祖の霊を供養した。
 北大の長谷川晃(こう)副学長が浦河町の杵臼生活館を訪れ、遺骨をコタンの会に引き渡した。会員ら約30人は杵臼の墓地に移り、遺骨の入った木箱に民族衣装をかけて再埋葬した。
 慰霊の儀式「イチャルパ」も執り行い、遺骨返還訴訟の原告の1人だった城野口ユリさん(故人)の弟でコタンの会副代表の山崎良雄さん(71)=浦河町=は、「亡くなった母や姉の無念が晴らせた。先祖も喜んでいると思う」と目を赤くした。
 杵臼の墓地から持ち去られた遺骨は、昨年3月の返還訴訟の和解に基づき、昨年7月に既に12体が返還され、今回の4体と合わせて16体が再埋葬された。
※「イチャルパ」の「ル」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/141685

アイヌ、百人百様

2017-10-29 | アイヌ民族関連
ナショナル ジオグラフィック日本版2017.10.27

「みんなのおかげで、この歳になるまで生きていることを本当にありがたい。」遠山サキ/北海道浦河町/2014年8月23日(Photograph by Makiko Ui)
思い思いの場所や服装で撮ったポートレートは、心に秘めた一人ひとりの想いを伝えている。アイヌの人々の「いま」を写真家の宇井眞紀子氏が撮影した。(この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2017年11月号「写真は語る」に掲載されたものです)
 25年前からアイヌ民族の撮影を続け、写真集や写真展で発表してきたが、見た人から聞く言葉はたいてい決まっていた。「アイヌの方はまだいらっしゃるんですか?」といった質問、「自然と共生する神々しい人々」というアイヌらしいアイヌ像への強い期待。その度に現状を伝えきれないもどかしさを感じていた。そこで、それぞれのライフスタイルで暮らすアイヌの人たち100組を撮影するプロジェクトを始めた。「今一番言いたいこと」も尋ねて、ポートレートと言葉で写真集を編んだ。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/17/101600254/

佐賀)佐賀女子が金賞 全日本合唱コンクール高校部門

2017-10-29 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2017年10月29日03時00分
 大阪市のフェスティバルホールで28日あった第70回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の高校部門で、九州支部代表としてAグループ(8~32人)に出場した佐賀女子は金賞に輝き、グループ3位にあたる大阪市教育委員会賞を贈られた。
 アイヌ民謡をもとにした「阿寒古謡」「チカプ・レキ―北海道アイヌの9つの唄」(ともに池辺晋一郎作曲)を歌った。時には静かに、時には迫力ある発声で、鳥たちが羽ばたく大自然やアイヌの暮らしを表現した。アイヌ語の歌詞の意味を辞書をひいて調べたり、森をイメージできるように教室を折り紙で飾ったりしながら練習を重ねてきたという。
 「阿寒古謡」は、同校が作曲家の池辺氏に依頼してできた曲。部長の前田栞さん(3年)は「まだ知られていない曲なので、多くの人に紹介したいという気持ちで歌った」と話した。
http://www.asahi.com/articles/ASKBV048SKBTUNBS02P.html

アイヌの「川漁体験」 サケ捕獲やクチャ作りなど実施

2017-10-29 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2017/10/28配信

マレクを使ったサケの捕獲を体験する子どもたち
 白老モシリ主催のイオル体験交流事業川のイオル「川漁体験」が26日、白老町内のウヨロ川河川敷で行われた。白老小学校4年の児童45人が参加し、アイヌ民族が使用していたサケを捕るマレクの体験やクチャ(仮小屋)作りなどを実施。子どもたちはアイヌ民族の伝統的な川漁体験を通し理解を深めていた。
 体験会場となった河川敷は、アイヌの漁場があったといわれる伝承地カッケンハッタリ(カワガラスの淵)で、例年この時期になるとサケが遡上(そじょう)してくる様子が見られるという。
 子どもたちは3グループに分かれて、マレクと弓矢体験、サケの解体や、クチャ作り体験を順番に実施。今年はサケを確保できなかったため、発泡スチロールで作ったサケを使って、マレクでサケを捕獲する形で実施。また、狩猟で雨風をしのぐために活用するクチャは片屋根の木の骨組みにかやぶきを敷いてひもでくくり付けるなど、さまざまな体験に子どもたちは楽しそうな様子でアイヌの伝統について学んでいた。
 及川斗真君は「かやぶきをきれいにそろえて並べるのが難しかった」とクチャ作りについて語り、秋山彩乃さんは「マレクがうまく刺さって楽しかった」と話した。
 体験後には、イナキビご飯やシカ肉のジンギスカン、サケのチャンチャン焼き、チェプオハウといった伝統食を試食した。
 27日には萩野小学校3年の児童と一般参加者も同様の体験を行った。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/12480/

「住みたい飯田市に」 80周年記念式典で発展誓う

2017-10-29 | アイヌ民族関連
中日新聞2017年10月29日
 今年四月一日に市制八十周年を迎えた飯田市は二十八日、飯田文化会館で記念式典を開いた。牧野光朗市長ら関係者など約四百五十人が出席し、節目を祝った=写真。
 同市は、飯田町と上飯田町が合併して一九三七(昭和十二)年に誕生。当時は人口三万一千人余だったが、さらに近隣町村との合併を経て十万人都市になった。
 式典に先立ち、八十年の歩みを映像で振り返った。飯田カネト合唱団は伸びやかな歌声を響かせ、同じく八十周年を迎えたJR飯田線の全線開通に貢献したアイヌ民族の測量技師、川村カネト(一八九三~一九七七年)の功績をたたえた。
 牧野市長は式辞で「高速交通網時代の到来が間近に迫り、自発的な意思と具体的な行動で地域づくりに取り組むことが重要になる。市制八十周年を契機に、住み続けたい、住んでみたい飯田市をみなさんと創造していきたい」とさらなる発展を誓った。
 記念行事として「地域づくりへ向けた十万人の第一歩」と題したシンポジウムも開催。中学校の代表生徒八人が「他の地域との交流を盛んに行い、課題を解決する」「若い人が、身近な伝統文化の良さをもっと知る必要がある」など、未来のまちづくりを見据えた意見を発表した。 (牧野良実)
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20171029/CK2017102902000033.html