ニッポン。コム[2018.12.29] 品川 真紀【Profile】
嫁ぎ先の阿里山・楽野村の風景(筆者撮影)
台湾と関わって20年以上になるが、私が台湾先住民族の文化に触れたのは実はごく最近のことだ。がむしゃらに50回以上も彼らの村や祭典を訪れるうち、これが自分のライフワークだと感じるようになり、2017年のある時、私の目の前に一人のツォウ族の男性が現れ、運命に引き寄せられるまま、私たちは結婚することになった。
昨今、日台カップルは珍しくない。私の身辺にも数多くいる。しかし私は山に住む先住民族に嫁いだ。必要な書類さえそろえていれば問題なく手続できるだろう一般的なカップルとは訳が違った。私の予想をはるかに超える大変な出来事の連続だったのだ。
台湾での婚姻届の手続きからつまずく
結婚は当人らの思いだけでは形にならない。必要な書類を提出して初めて成立する。
私は書類を準備するに当たり、まず個人のブログ等に紹介されている先輩らのアドバイスを参考にした。どうやら台湾で先に手続きをする方が書類も少なく済むらしい。台湾での必要書類は私の戸籍謄本1通、台北駐日経済文化代表処もしくは日本各地にある台湾の弁事処より発行された婚姻要件具備証明(独身証明書)およびパスポートの3点。私は戸籍謄本を持って台北駐大阪経済文化弁事処へ出向き、翌日に交付された独身証明書を持って台湾へ向かった。
台湾での結婚手続には事前に台湾の戸政事務所(日本の役所に当たる政府機関)で入手した「結婚書約」(婚姻届)が必要で、結婚の証人となった二人の署名捺印もなければならない。まずは婚姻届を完成させ、帰国前日の午前中に阿里山郷にある嘉義県竹崎戸政事務所阿里山弁公室を訪れた。
そこは1日に何人訪れるか分からない静かな事務所で、早速書類を提出すると、何と2日かけて取得した有効なはずの独身証明書が違うという。そんなはずはない、私は取得した際に窓口担当者に間違いはないか何度も確認した。おまけにパソコンの婚姻登録システム上のフォームでは日本人名の入力ができないとまで言われた。戸政事務所のシステムの問題ならこちらはどうすることもできない。私は全く想定外の事態にいら立ち、「書類は日本の事務所に直接確認して、入力方法に関してはそちらで尋ねるなりして、何とかしてほしい」と伝え、一旦引き下がった。午後に連絡があって再び出向くと、独身証明書と入力の件は解決したが、今度は私の戸籍謄本の中国語訳がいるという。それは私が事前に調べた情報にはなかった。しかもこれは必須書類で、独身証明書を取得する際に窓口で言われなかったのかとまで問われた。
言われなかったのだ――。
そこで事務所と話し合い、ひとまずは日本の公証役場で証明してもらったものを、訳文は後日提出し、届自体はこの日の受理となった。こうしてほぼ1日かけて台湾での結婚が成立し、夫の戸籍謄本の配偶者欄に私の名前が入った写しが発行された。
日本では国籍の表記でつまずく
台湾での手続きが完了すると、今度は3カ月以内に日本での結婚手続きを行わなければならない。夫の来日に先立って私の本籍地の役所へ出向き、必要書類に関して確認。この際に一つ問題が浮上した。婚姻届の夫の国籍を「中国」と書かなければならないということだ。
1日目は説明だけ聞いてそのまま帰宅したが、納得がいかず数日後にもう一度役所へ向かった。中国と書かなければならない根拠を示してもらったが、到底納得のいくものではなかった。夫は台湾で一番古くから住んでいる人々であり、彼らとは関係がない中国と書くことを夫のアイデンティティーが許さなかった。窓口担当者も初めは逃げ腰だったが、私の押しと粘りと熱弁に少しずつ動かされ、法務局に国籍を「台湾」と記入していいかどうか確認を取ってくれた。回答が来るまでの間、担当者はインターネットで個人的にいろいろ調べていたようで、何だか台湾や先住民族に興味を持ってくれたように感じた。そして法務局からの回答で、記入は「台湾」でよいが、入力時に「中国」と読み換えるとのことであった。戸籍法がそうであるのでやむを得ない。お互いに最大の譲歩をした形で合意に達した。そしてまた行き違いが発生してはいけないので役所にあらかじめ婚姻届を提出する予定日時を伝え、来日した夫とそろって役所へ向かい、夫の戸籍謄本と日本語訳文を付けて提出し、受理された。法務局での手続を経て約1週間後、私の戸籍謄本には夫の国籍は「中国」と記載されていたが、「婚姻の方法」という項目には「台湾の方式」とあった。こうして無事に日本での結婚の手続きは終わった。
戸政事務所での経験から念を入れて行動する
次は台湾で生活するために必要な手続き、配偶者ビザと外国人にとって身分証明書代わりとなる居留証の申請である。まず台北駐日経済文化代表処のホームページから「一般ビザ申請書」を作成する必要がある。また、申請時には「無犯罪証明書」と「健康診断書」も併せて提出しなければならない。そこで初めに無犯罪証明書の取得に動いた。これは所轄の都道府県警本部での申請となる。ビザ申請に必要であることを証明するため、ビザ申請書の写しを持参した。鑑識課に通され、全ての指の指紋を採取された。2週間後、結果の入った封筒が交付され、ビザ申請の際には未開封のまま提出するように求められた。
一方、健康診断書は書式が決まっており、病院の指定もあった。日本でも台湾でも可能だが、台湾の方が費用は格段に安く予約も不要とのことなので台湾で受けることにした。しかし台湾では結果が出るまで5~10日程度かかるらしく、後述するが、居留証の申請ではビザ取得から14日以内に行う必要があり、スケジュール管理に注意を要した。検査項目は胸部X線撮影、はしかの抗体と梅毒の有無。ぎょう虫検査の項目もあったが、日本人は不要だった。私が受診した嘉義市内の病院では1580元(約5800円)だったが、日本では3万円程度かかるようで、金額の差に驚いた。
以上2点と一般ビザ申請書、そして夫の戸籍謄本の写しをそろえて台北駐大阪経済文化弁事処へ向かった。その他パスポートの写しや写真が必要だったが、代表処や弁事処などによって必要な提出物が少し違うという。ビザと併せて私は自分の戸籍謄本が正式なものであると証明する書類の発行を依頼した。ところがその窓口では「これは不要の場合がほとんどですよ。それでも証明書の発行を申請しますか?」と言われ、ふと、阿里山での独身証明書のやり取りを思い出した。あの時この証明書を取得していれば訳文は必要なかったのではないか。そのことに気付いた私は「いえ、絶対発行してください。それがなくて以前大変なことになりましたから」と言って申請した。翌日無事にビザは発給され、申請した際に提出した証明写真も返された。これを台湾で居留証申請の際に提出するようにとのこと。また申請に当たってはビザ取得から14日以内に最寄りの移民署で申請しなければいけないと注意された。
ハプニングは続いたが、最終的に居留証を取得する
再び台湾に向かった私は、嘉義市移民署へ向かった。ところが、移民署はビザに添付された住所から別の場所に移転していた。なんと最新情報ではなかったのだ。しかしこれまでの苦労を思えばゴールはもうすぐ。気を取り直して、翌日改めて移転先へ向かった。すると今度は阿里山郷の住民は嘉義市では取り扱いできない、嘉義県移民署に向かえとのこと。しかも証明写真は持参した青背景のものでは受理できないので白背景で撮り直せときた。この辺りまで来ると、さすがに怒り心頭だったが、後日改めて嘉義県移民署へ向い、約2週間後、無事に居留証を取得した。苦労が多かった分、喜びもひとしおだった。
こうして恐らく国際結婚カップルの多い都市部では経験しなかっただろう数々の困難を乗り越え、どうにか台湾での生活をスタートさせることができた。しかし驚きや困惑はこれからであった。都会育ちの日本人女性が阿里山のツォウ族集落での暮らしになじむまで、まだ多くの困惑が待ち受けていたのだ。
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