先住民族関連ニュース

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生きづらさ、文字で編む アイヌ民族女性、ウェブ創刊 多様な「少数者」執筆

2020-06-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/29 16:00

印刷した創刊号を手にRUYKA ITAKへの思いを語る原田公久枝さん
 アイヌ民族の原田公久枝(きくえ)さん(52)=札幌市在住=らが、ウェブ上で読めるフリーペーパー「RUYKA ITAK(ルイカ イタク)」を発刊した。さまざまな「生きづらさ」を抱える人たちの思いをつづる場にしたいと始めた取り組みで、創刊号には、発行会の代表に就いた原田さんのほか、LGBTなどの性的少数者らが寄稿した。
 アイヌ文化の伝承活動の傍ら、新聞などにエッセーを書いている原田さんと、特別支援学校教諭で歌人の智理北杜(ちりほくと)さん(本名・藤本哲生さん)=旭川市在住=が、4カ月ほど前から準備を進めてきた。
 「ルイカ イタク」は、アイヌ語で「言葉の架け橋」の意味。アイヌ民族や在日コリアン、障がい者への偏見、誤解などの理由で「生きづらさ」を抱える人たちが心情を打ち明けて交流し、社会に向けて思いを発信する場になるように―との願いを込めた。
 21日に発行された創刊号は、題字脇に「社会の生きづらさの激流を 渡っていくための橋を架けよう 私たちの言葉の力で」と説明を添えた。
 創刊号に寄稿したLGBT当事者で、旭川市でショーパブを営む紗滄(さくら)りょうさんは、心と身体の性が一致しないトランスジェンダーとしての苦悩や思い、同じ境遇にある人へのメッセージをつづった。アイヌ民族の高橋ひとみさんが、民族の血を受け継ぐ男性の葛藤を描く小説「ク リムセ」(弓の舞)の連載も始まった。
 巻頭言をしたためた原田さんは「マイノリティーが何に違和感を感じ、どんな言葉に傷ついているか、人ごとにせず考えられる媒体になれば」と言う。
 智理さんは、編集後記「架橋之語」で「それぞれの生きづらさを知り、寄り添うことから始めたい」とつづった。
 フリーペーパーは、RUYKA ITAKのフェイスブックページで誰でも無料で読むことができるほか、A4判2ページに印刷したペーパーを道立図書館と旭川中央図書館に寄贈。公共施設や店舗などでの配布も検討する。月1回の発行を目指しており、広く執筆者を募っている。
 問い合わせはRUYKA ITAKのフェイスブックページへ。(斉藤千絵)
◆「ルイカ イタク」の「ク」は小さい字。「ク リムセ」の「セ」は小さい字。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/435372

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コロナの収束、カムイに祈る 阿寒湖温泉 今夏から新規催し

2020-06-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/29 05:00

「カムイへの祈り カムイオリパク」のイメージ写真(NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構提供)
 【阿寒湖温泉】NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構は28日、阿寒湖温泉で通常総会を開き、新型コロナウイルスの感染収束への願いと、医療従事者への感謝を表す新たな催し「カムイへの祈り カムイオリパク」を、今夏から同温泉で開催する方針を示した。同機構の大西雅之理事長が明らかにした。
 カムイオリパクはカムイ(神)への謙虚さの意味。同機構によると、自然に対し畏敬の念を持つアイヌ民族の世界観に照らし、謙虚さを持ちながら新型コロナウイルスの収束をカムイに祈る催しを準備している。
 具体的には、参加者は午後8時に遊覧船で阿寒湖に出て、医療従事者のシンボルカラーである青色の電球が入ったプラスチック製ボールを船から湖に投げ入れる。下船後は厄よけのたいまつを持って温泉街を行進。最後に阿寒湖アイヌコタンの広場で、神へ祈る儀式「カムイノミ」を執り行い、参加者の健康とウイルスの収束を願う。
 事業費は約3千万円。観光事業者の雇用維持などを目的とした環境省と釧路市の補助金が出た場合、8月1日~11月8日に開催する方向で調整している。
 料金は大人(中学生以上)2千円、子ども(小学生)千円の予定。遊覧船の定員を通常の3分の1以下の100人とし、たいまつ行進では間隔を1・5メートル空けるなど感染防止策も行う。
 大西理事長は総会で「阿寒湖温泉だからできる催し。ぜひ、みなさんの力を借りて成功させたい」と話した。(今井裕紀)
☆「カムイオリパク」の「ク」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/435218

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<書評>まつろわぬ者たちの祭り 鵜飼哲著

2020-06-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/28 05:00

日本資本主義の欺瞞を暴く
評 中村一成(フリージャーナリスト)
 ビラの熱量と、文学ならではの言葉との緊張関係で書かれた思想書だ。書名には、蝦夷(えみし)、アイヌ民族、沖縄の人々など、朝廷時代から続いてきた「抵抗の系譜」につながる決意と、闘いを通じて新たな出会いの場を招来させるとの気概が込められている。
 原動力は怒り。2011年の震災で危機に陥った日本資本主義が「復興五輪」を掲げた「祝賀」でナショナリズムを扇動し、「なりふり構わず正面突破」しようとすることへの全力の否だ。著者はこれを「惨事便乗型資本主義の、最低、最悪の形態。一体となった愚民政策と棄民政策が、これほど公然と、体系的に、恥も外聞もなく強行されることは歴史的にも稀(まれ)だろう」と痛撃する。
 著者は個々の言葉を俎上(そじょう)に載せる。被災地の再建より首都圏の再開発を優先する「現実には『復興妨害五輪』」に「復興」の枕詞を付け、被災地の現状をイメージでごまかす欺瞞(ぎまん)を抉(えぐ)り出す。喫緊の課題は、原発推進と「犠牲のシステム」で維持されてきた国の有り様(よう)を問い、違う未来を描くこと、即(すなわ)ち「再生」だが、「復興」は「変わらなくていい」との認識を温存させる。
 近代五輪が孕(はら)む帝国主義、優生思想、レイシズムなどの実証的な指摘、五輪と縁深い天皇制への批判や、強制動員被害を巡る「政治的和解」と「歴史的和解」の考察にも、現代の混迷を開く鍵が詰まっている。
 黒田喜夫、宇梶静江、辺見庸らの詩を手掛かりに、問題の本質に迫る様はまさに「現実認識における革命」(金時鐘《キムシジョン》)の実践だ。その営為は人文学を敵視する「選良」が跋扈(ばっこ)する現在を映し出す。本著は人文学の重要性を証明するテキストでもあるのだ。
 コロナ禍は私たちが破局的状況の中にあることをより鮮明にした。それでも筆者は言う。「『力をつくして未来の前にたちはだかること』が『未来にたいする唯一の正当な儀礼』であることは、かつても今も変わらない」と。著者の思考の軌跡が残すのは、乗り越えるべき「思想の戦場」の数々だ。その先に仄(ほの)かに見えるのは、あり得べき自由で平等な世界のイメージである。(インパクト出版会 2750円)
<略歴>
うかい・さとし 1955年生まれ。一橋大特任教授。フランス文学・思想専攻
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/435304

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アイヌの心、歌い継ぐ姉妹 体に染みこんだ伝統民謡をわが子に

2020-06-30 | アイヌ民族関連
47NEWS-6/29(月) 7:32配信

 「ウポポ」などと呼ばれるアイヌ民謡は、喜怒哀楽の歌から儀式の踊りに合わせるもの、農作業中に歌う労働歌まで幅広い。アイヌを「音楽の民」と称する人もいる。人によってメロディーが異なり、即興で掛け声を入れることも。シントコ(漆塗りの器)のふたを囲んで座り、ふたをたたきながら、一つのメロディーをクラシック音楽の「パッヘルベルのカノン」のようにタイミングをずらしながら輪唱する「ロクウポポ」や、穀物などをきねでつくときに歌うものなど多岐にわたる。
 ときに楽しげに、ときに幽玄に響く―。アイヌ民族の歌を聞いたことがありますか?(共同通信=石嶋大裕)
 ▽カモメと花
 「元々ウポポは神に歌うもの。歌うときは敬虔(けいけん)な気持ちになります」
 そう話すのは民謡などを歌うアイヌ姉妹ユニット「KAPIW&APPAPO(カピウ&アパッポ)」の床(とこ)絵美さん(46)だ。2011年に妹の郷右近(ごううこん)富貴子さん(44)と結成。きっかけは、母と友人の言葉だった。東京から帰省していた絵美さんと、地元・釧路市の阿寒湖の観光船で歌を披露していた富貴子さんは「2人でライブをしてみたら」と勧められ、同年8月に北海道釧路市の老舗ジャズ喫茶で初めてのライブを行った。ユニット名は子どもから使っていた2人のペンネームから。アイヌ語で「カモメと花」の意だ。
ウタサ祭りで歌う床絵美さん(左から3番目)、郷右近富貴子さん(右から3番目)
 ▽シマフクロウの鳴き声をまねて
 その後、道内各地や東京、京都、岡山で活動、さらにスペインやキルギスなど、海外にも場を広げた。今年2月には阿寒湖で開かれた「ウタサ祭り」に参加した。他の歌い手とともに歌やアイヌ伝統の口琴「ムックリ」の演奏を披露。凍り付き雪に覆われた湖上に夜までアイヌ語の歌が響き続ける。フーンコ、フンコー、フーンコッ―。シマフクロウの鳴き声をまね、控えめな抑揚で短いフレーズが繰り返される。細かいビブラート。低く幽玄な歌声に、観客は聞き入っていた。
 2人にとってウポポは幼少期から身近な存在だったという。生まれ育った集落「阿寒湖アイヌコタン」は民族工芸品店などが立ち並び、エカシ(古老)たちの歌がいつも流れていた。大人と山菜採りに行けば森の奥からアイヌの楽しそうな歌声が聞こえてくる。自然と体に染みこんでいく環境に恵まれていた。
 ▽歌うことで心を継ぐ
 明治時代以降、アイヌは伝統的な暮らしを禁じられてきた。「フチ(おばあさん)たちは国からアイヌのことをしてはいけないと言われてきた。部屋で頭を寄せ合い、こっそり歌っていた」と富貴子さんも母や年配の人から聞かされてきたという。今は堂々と歌えるようになったが、かつて営みの一部だったものは、必ずしも暮らしに必要なものというわけではなくなった。「アイヌ文化は終わった」と言われたこともある。
阿寒湖アイヌコタン
 でも絵美さんは反論する。「形は変わっても心を継ぐことはできる。歌うことで届くものがある」。人だけでなく自然や身の回りの物にも届くはず。そしてわが子にも。「真剣に取り組む親の背中を見せていきたい。きっと見ていると思うから」
 富貴子さんも「強制はしないけど、歌や踊りに触れる機会をつくって、いつかやってみたいと思ってくれればうれしい」という。カモメと花の歌は届いているか―。最近、子どもの1人が言ってくれた。「アイヌ文化を継いでいきたい」と。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9b3522ee51afa42c00bb60df36bca7bc4c068ba

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女子大生ユーチューバー、アイヌ語を紹介 消滅の危機に父娘で挑む 50年後に残したい

2020-06-30 | アイヌ民族関連
47NEWS-2020/6/30 07:00 (JST)

「ユーチューブ」に学生の日常会話をアイヌ語で紹介するチャンネルを開設した関根摩耶さん=神奈川県藤沢市
 スマートフォンの画面を固定し、台本を入念にチェックする。撮影前の準備が整うと、慶応大3年の関根摩耶(まや)さん(20)が視聴者に向けて、語り掛ける。
 「おいしいはアイヌ語でケラアン。漫画『ゴールデンカムイ』に出てくるヒンナヒンナは命に感謝を述べる言葉なんですよ」―。
 昨年4月、学生の日常会話をアイヌ語に訳して紹介するチャンネルを、動画投稿サイト「ユーチューブ」に開設した。民族の言葉が消滅する危機に、アイヌの血を引く若い世代が立ち上がった。(共同通信=小川まどか)
 アイヌ語は日本語とは文法的に全く異なり、他のどの言語とも親戚関係にないと考えられている。現在、母語とする話者はほぼいない。衰退の背景にあるのは明治政府が推し進めた同化政策だった。
「ユーチューブ」で配信する動画を、友人(左)と撮影する関根摩耶さん=神奈川県藤沢市
 『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修を担当した千葉大の中川裕(なかがわ・ひろし)教授(言語学)は「日本語が話せないと経済的に立ちゆかなくなる状況で、家庭内で使われなくなったことが大きい。日本人がいくら学校で勉強しても英語が苦手なのは、英語が使えなくても生計に困らないからだ。経済と特定の言語の衰退は密接に関係している」と指摘する。差別を恐れ、子どもには教えない親も多かった。
 だが、消滅の危機にありながら、アイヌ語には高齢者の肉声を録音した音声テープなど、研究者や市井の人々の手によって豊富な記録が残っている。関根さんの故郷でアイヌにルーツを持つ人が多い北海道平取(びらとり)町はこの記録をデータ化している。
 データ化には、関根さんの父でアイヌ語講師の健司(けんじ)さん(48)も携わっている。関根さんはこうした音声データを活用した動画も配信している。「少しさかのぼれば話せる人たちがいた。ルーツに関係なくアイヌ語を勉強できる環境がもっと整えば、未来は変わってくるかもしれない」
 「しと(アイヌ語で団子)ちゃんねる」と命名したチャンネルは大学の友人に背中を押されて始めた。「自分たちのことを表現するときに、自分たちの言葉で言えたらかっこいいじゃないですか。私もまだまだ勉強中だけど」と関根さん。
 動画は一回3分ほど。健司さんの監修も得ながら、会話レッスンだけでなく、伝統料理や音楽も紹介している。総再生回数は10万回を超えた。「気軽にアイヌ文化に触れる媒体は提供できたかな」と手応えを感じる。
 父の健司さんは二風谷のアイヌ語教室で子どもたちに歌や遊びを交えながら教えている。兵庫県出身で、27歳のころに移り住んだ。元々英語が得意で、アイヌ語も講座に通ったり、古い音源を繰り返し聞いたりして習得した。「英語と比べたら全然カタコトですよ。しゃべる機会がなくて訓練ができないし、現代のことを表現する語彙(ごい)もない」
 2013年に初めて視察したニュージーランドの先住民族マオリの言語教育には圧倒された。「大人たちが真剣に習得しようと熱があった」と振り返る。現在、健司さんが行う子どもたちの授業は週2回。正直、もどかしさも感じている。
 「どれだけアイヌ文化が注目されても、言葉はどこか二の次なところがある。もっとたくさんの人に興味を持ってもらって、英語や中国語を勉強するようにアイヌ語という選択肢があってもいいんじゃないかな。ニュージーランドのラグビー選手が全員でハカを踊るように、日本もそういう風になるのが夢。僕も変わっているんでめげないですよ。今がどん底だから何かやれば全部新しい一歩になる」
関根健司さん
 一方、娘の関根さんは、講演会での質問の言葉が今もずっと心に残っている。
 50年後のアイヌはどうなっていますか―。
 「どきっとしました。そこまで見据えないとだめなんだなって。街角でアイヌ語が流れていても、アイヌ文様があちこちにあっても、気にならないぐらい自然になっている。そのためにアイヌとして何か残せたら」。模索しながら歩みを進めている。
 ▽一口メモ「アイヌ語」
 北海道を中心にサハリン(樺太)や千島列島、東北北部で話されていたアイヌ民族の言葉。固有の文字を持たず、片仮名やローマ字で表記される。日本語にはトナカイやラッコ、シシャモなどアイヌ語から入ったとされる単語が多くある。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は2009年、「消滅の危機にある言語・方言」に認定し、最も危機的な「極めて深刻」に位置づけた。
https://www.47news.jp/news/4962980.html

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オオウバユリでアイヌ民族伝統保存食作り 白老

2020-06-30 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020/6/29配信
小学生もオオウバユリの球根の採取を体験
 白老町の一般社団法人白老モシリは27日、アイヌ民族が食材に利用したオオウバユリの採取や伝統の保存食を作る体験行事を町内で開いた。同法人がイオル(伝統的生活空間)体験交流事業として企画。町内の小学生を含めて10人が参加した。
 オオウバユリはユリ科の多年草。アイヌ民族はその球根(トゥレプ)からでんぷんを取り、フキやイタドリの葉に包んで蒸し焼きにして食べたり、発酵、乾燥させてオントゥレプアカムと呼んだ保存食にした。
 参加者はまず、同町北吉原地区のオオウバユリ群生地で白老モシリ会員の野本紀一さんの指導を受けながら、伝統の堀り具トゥレプタニを使って球根を採取。大人の拳ほどの大きな球根もあり、作業に取り組んだ小学生は「一生懸命に茎を引っ張ってようやく抜けた」と話した。
 その後、参加者は同町末広のしらおいイオル事務所チキサニへ移動。白老モシリ会員の清水綾子さんの助言で、採った球根を臼ときねですりつぶし、ざるやさらし布でこして、でんぷんを取る作業に臨んだ。また、すりつぶした後にざるに残ったものを円盤状に固めてオオイタドリの葉に包み、保存食を作る手順も学んだ。参加者は保存食を自宅に持ち帰り、天日干しで乾燥、発酵させて食べる。
 参加した女性は「オオウバユリからでんぷんを取るというアイヌ民族の知恵に感心した」と話し、一連の作業を楽しんだ。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/17847

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「江戸時代=鎖国」ではなかった!

2020-06-30 | アイヌ民族関連
ブックウオッチ 2020年6月29日 6時30分
 江戸時代の日本は鎖国をしていた――長年の「通説」だ。学校の授業でもそう教えられてきた。ところが近年、それを疑問視するような見方が、歴史学の世界では広がっている。むしろ主流になっているようだ。本書『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫)は、代表的な「見直し論者」である立教大学名誉教授・荒野泰典さんによる解説書。話し言葉で書かれており、読みやすい。この機会に知識のリニューアルをしておきたい人にはうってつけだ。
この20年ほどで様変わり
 「四つの口」と聞いて、すぐに何のことかわかるだろうか。40歳以上は「知らない」という人が多いかもしれない。江戸時代に海外に向けて開かれていた「長崎」「対馬」「薩摩・琉球」「松前」という四つの窓口のことを指す。
 なぜ「40歳以上」と区切ったかというと、それ以下の世代は、学校の授業で習う機会が増えているからだ。例えば1998年版『詳解日本史B』(三省堂)。
 「幕府は貿易をオランダと中国にかぎったが、江戸時代を通じて、長崎の他に、朝鮮との対馬、琉球との薩摩、松前の三か所の外国や他民族との窓口が開かれていた」 「幕府による貿易独占などの政策を、中国の海禁政策と共通したものととらえ、キリスト教の禁止など日本独特の部分があるものの、海禁体制と呼ぶようになってきている」
 その少し前の1984年版の『日本史』(三省堂)では、「鎖国の結果・・・窓口も長崎と対馬にかぎられ」だった。わずか10余年間のうちに、窓口が二つも増え、「海禁」という用語が強調されるようになっている。
 教科書自体の説明が様変わりする中で、「江戸時代=鎖国」という「常識」も揺らいでいる。それはまだ、この20年ほどのことなのだ。
中国・朝鮮・日本はほぼ同じシステム
 実際のところ、著者の荒野さんもかつては「鎖国」という言葉を、疑問を抱かずに使っていたという。しかし、研究を進めるうちに江戸時代の日本が「四つの口」(荒野さんの発案)で対外関係を保持していたことに気づく。当時の対馬藩自身が、そうした認識を持っていたことも知る。
 「海禁」とは明・清の政策。民間人の海外渡航と貿易を禁止制限するものだ。朝鮮も同じだった。つまり、同時代の中国・朝鮮・日本はほぼ同じ国際関係の管理・統制体制をとっていたということになる。「鎖国」は日本独自のシステムではなかった。「私人」(一般国民)が自由に国際関係に関わることは禁じていたが、代わりに国家権力が独占的に国際関係を管理・運営していた。
 長崎にはオランダ商館があっただけでなく、唐人屋敷もあった。「唐船」は中国本土だけでなく、東南アジアからやって来ることもあった。多いときは年に300回近く来航している。朝鮮とは、対馬に日本が広大な「倭館」を常設。そこには対馬藩の人が数百人も常駐していた。中国の生糸は、この倭館経由で日本にもたらされ、西陣で高級織物になっていた。琉球は中国とも朝貢・冊封関係にあり、日本と中国の両方に服属していた。松前藩は蝦夷地のアイヌ経由で、沿海州の「山丹」とつながっていた。
 そもそも江戸時代は「鎖国」という言葉自体が一般化していなかったという。オランダ商館勤務者が書いた日本紹介本を、長崎の通詞が1800年ごろ翻訳した時に「鎖国」という用語を使ったのが最初だという。
「開国」と対になる
 荒野さんは1946年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学史料編纂所、立教大学文学部を経て、現在立教大学名誉教授。著書に『近世日本と東アジア』(東京大学出版会)、『日本の時代史14 江戸幕府と東アジア』(編著、吉川弘文館)、『日本の対外関係』(編著、全七巻、吉川弘文館)など。本書は以下の構成。
 第Ⅰ部 「鎖国」を見直す 1 見直される「鎖国」――現状と問題点 2 「鎖国」という言葉の経歴――誕生・流布・定着の歴史的意味 3 近世日本の国際関係の実態 4 東アジアのなかで息づく近世日本――「鎖国」論から「国際関係」論へ 5 鎖国を見直す意味――なぜ歴史は見直されるのか 第Ⅱ部 明治維新と「鎖国・開国」言説――なぜ近世日本が「鎖国」と考えられるようになったのか 1 前口上 2 はじめに――「鎖国・開国」言説ということ 3 近世日本の国際関係の実態 4 終わりに――「鎖国・開国」言説の成立と定着
 幕末になって、日本は欧米各国からの圧力が強まり、譲歩を強いられる。それらはまとめて「開国」への動きと称されてきた。「鎖国」はその「開国」と対になる用語として、一般化したようだ。
必要にして十分な国際関係は維持
 完全に「鎖国」をしていたのなら、1853年6月のペリー来航は「寝耳に水」ということになる。昔の教科書では、ペリー来航は常に「泰平の眠りを覚ます・・・」という狂歌と共に解説されていた。つまり、「鎖国」をしていたので事前情報がなく、慌てたとされていた。しかし、今では前年にオランダ商館を通じて、来航の予告があったことが常識化している。
 ペリー来航情報を知った国内の対応ぶりはBOOKウォッチで紹介した『幕末日本の情報活動――「開国」の情報史』(雄山閣)に詳しい。福岡藩主の黒田長溥(1811~87)は、幕府の阿部正弘老中から52年11月、ペリー来航の予告情報を聞かされる。福岡藩は、長崎の警備を担当していたので内々に知らされた。黒田は早くも12月には意見を具申している。その内容が興味深い。どう対応するべきか、今でいうシミュレーションをしている。黒田は、それができるだけの国際情勢についての情報を持っていた。
 荒野さんは、江戸時代の「鎖国」について、「実態は、いわゆる『鎖国』ではなく、必要にして十分な国際関係は維持し、それによる平和の下で緩やかな発展と進歩を達成し、それが維新後の急速な近代化の基礎となった」と書いている。
 BOOKウォッチではほかにも多数の関連本を紹介している。長崎の出島については、『オランダ商館長が見た 江戸の災害』(講談社現代新書)や『出島遊女と阿蘭陀通詞--日蘭交流の陰の立役者』(勉誠出版)。朝鮮との関係では『倭館――鎖国時代の日本人町』(文春新書)。アイヌとの関連では『地図でみるアイヌの歴史』(明石書店)など。同書には、蒙古襲来で、元の軍勢はサハリンにも到達、サハリンアイヌが防戦していたとか、間宮林蔵のサハリン探検は有名だが、その100年前にはすでに清による探検が行われていたとか、1771年にはエトロフ島でエトロフアイヌとロシアとの戦いが繰り広げられていたことなどが出てくる。
 ペリー来航前から琉球に欧米人が盛んに訪れていたことについては『青い眼の琉球往来――ペリー以前とペリー以後』(芙蓉書房出版)、江戸時代の科学技術力については『江戸の科学者』(平凡社新書)や『江戸時代のハイテク・イノベーター』(言視舎)、江戸時代にベトナムからゾウを招き、京都御所や江戸城で見物した話は『享保十四年、象、江戸へゆく』(岩田書院)、幕末に来日した外国人による見聞記は『チャールズ・ワーグマン 「幕末維新素描紀行」』(露蘭堂)や『欧米人の見た開国期日本――異文化としての庶民生活』 (角川ソフィア文庫)。幕末の西洋医学導入については『感染症の近代史』(山川出版社)、明治維新での世の中の激変については『維新旧幕比較論 』(岩波文庫)などに詳しい。
書名:  「鎖国」を見直す
監修・編集・著者名: 荒野泰典 著
出版社名: 岩波書店
出版年月日: 2019年12月15日
定価: 本体880円+税
判型・ページ数: 文庫判・183ページ
ISBN: 9784006004125
(BOOKウォッチ編集部)
https://news.livedoor.com/article/detail/18490046/

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「ゴールデンカムイ」支遁と一緒に動物さがそ♪ 期間限定ミニゲーム公開、クリアでいらすとやコラボ壁紙GET

2020-06-30 | アイヌ民族関連
アニメ!アニメ! 2020/06/29 21:30
「ミニゲーム『支遁動物記』動物探しアドベンチャーッ!!」(C)野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会
『ゴールデンカムイ』禁断のエピソード「支遁動物記」編の新作アニメDVDを同梱したコミックス第23巻が、2020年9月18日に発売となる。これを記念して、「ミニゲーム『支遁動物記』動物探しアドベンチャーッ!!」が特設ページで公開された。
『ゴールデンカムイ』は、「マンガ大賞2016」「第22回手塚治虫文化賞 マンガ大賞」などをこれまでに受賞し、シリーズ累計1,300万部を突破する冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・GAG&LOVE和風闇鍋ウエスタン。
明治末期の北海道・樺太を舞台に、金塊を巡るサバイバルが描かれており、2018年4月〜6月にはTVアニメ第1期、同年10月〜12月には第2期が放送され、2020年10月からは第3期の放送も決定している。
「『ゴールデンカムイ』コミックス アニメDVD同梱版 第四弾」として、原作第23巻に新作アニメDVDとして同梱されるのは、とある動物惨殺事件から始まる「支遁動物記」編。
犯人は刺青の脱獄囚の一人であり、学者の姉畑支遁だが、現場付近のアイヌから誤解を受けた谷垣が捕らわれてしまう。谷垣によると姉畑ははヒグマに“強い興味”を示していたそうだが……。
杉元たちは、姉畑がヒグマに食われてしまう前に、誤解を解いて谷垣を救い、刺青を奪取することはできるのか?
今回、第23巻 アニメDVD同梱版の発売を記念して公開されたのは、「ミニゲーム『支遁動物記』動物探しアドベンチャーッ!!」。『ゴールデンカムイ』公式サイトのあちこちに隠れた4種類の動物たちを探し出すと、いらすとやコラボアイコン&壁紙をゲットという企画だ。開催期間は、7月14日23時59分まで。
『ゴールデンカムイ』第23巻 アニメDVD同梱版の価格は3,600円(税別)。
7月14日まで予約を受け付けており、発売は9月18日を予定。
(C)野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会
https://news.goo.ne.jp/article/animeanime/entertainment/animeanime-54671.html

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化石の立体型パズル ネットショップで販売中-むかわ

2020-06-30 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020.06.29 

好評のむかわ竜立体型パズル
 むかわ町観光協会は、同町穂別地区で発掘された全身骨格恐竜「カムイサウルス・ジャポニクス」(通称むかわ竜)をはじめとする化石レプリカの立体型ペーパーパズルを事務局、インターネットショップで販売している。
 当初、恐竜の祭典「恐竜展2020」(6月20日~9月27日、札幌・北海道博物館)で販売する予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になり、行き場がなくなっていた。穂別地区の株式会社シオニーから委託を受けた。
 立体型パズルは、北海道大学総合博物館の小林快次教授監修のむかわ竜のほか、東京学芸大学の佐藤たまき准教授が監修するクビナガリュウ「ホベツアラキリュウ」も用意された。ほかに海生爬虫(はちゅう)類モササウルス類の「フォスフォロサウルス・ポンペテレガンス」、恐竜ファンに人気の「ティラノサウルス」や「デイノケイルス」もそろえている。
 それぞれ20体分ずつあり、価格は税込みで2200~2750円。同協会は「見栄えが格好良く、子どもよりも大人に人気です」とアピールしている。  詳細の問い合わせは、同協会 電話0145(47)2480。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/17848

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春秋

2020-06-30 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2020/6/29付
「なんだ、あの黒い雲は」。明治末期の北海道。平原のかなたに、むくむくと雲がわいたと思ったらトノサマバッタの大群だった。人気漫画「ゴールデンカムイ」の一場面である。無数の虫たちはまたたく間に作物を食い尽くし、人はただ逃げ惑う。「蝗害(こうがい)」の恐怖だ。
▼アイヌ民族の少女や日露戦争の帰還兵が財宝を追い求めるこの物語は、北海道の近代史を知る格好のテキストだろう。たび重なるバッタの襲来も史実である。「こいつら、集団で飛び立つと何十キロもの距離を移動して海だって越えちまう」。作中人物が嘆くとおり、トノサマバッタの群れは大昔から人類を苦しめてきた。
▼その仲間のサバクトビバッタが、いま世界を荒らし回っている。億単位の集団をつくり、1日の飛行距離は130キロメートル以上という。すさまじく繁殖して東アフリカやアラビア半島で猛威を振るい、群れはペルシャ湾を越えてパキスタンへ、インドへ。中国も警戒態勢に入っているそうだから、もはや遠い場所の話ではない。
▼北海道の蝗害は昭和初期まで続いた。こんどの「黒い雲」が日本にまで広がることはないにせよ、各地の食糧不足は地球全体に影響を及ぼすに違いない。新型コロナウイルスと向き合わねばならぬ困難な時代に、もうひとつの脅威が立ちはだかっているのだ。この虫たちの異常な繁殖は、地球温暖化が一因との指摘もある。
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO60908240Y0A620C2MM8000/

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ロシア帝国VSチュクチ人:その長きにわたる熾烈な戦い

2020-06-30 | 先住民族関連
ロシアNOW- 2020年6月29日 パーヴェル・ジューコフ

 17世紀、ロシアの入植者とその軍隊は、シベリア・極東にどんどん東進していったが、その前に立ちはだかったのが先住民族の一つ、チュクチ人だった。彼らは、強く巧妙で死を恐れぬ戦士であり、隣接する民族、部族すべてを畏怖させており、強敵ロシア人にも屈するつもりはなかった。
 ロシアによるシベリア、さらに極東の征服は、1581年にエルマークとのそのコサック軍がシベリア・ハン国への遠征を開始したときに始まると、一般に認められている。
 シベリア・ハン国の敗北後は、ロシアの遠征隊にはもはや手強い敵はおらず、新たな土地を征服、開発していく。
 この植民地化における主力は、依然コサックだった。コサックの中には、獲物を求めて自らヨーロッパ・ロシアを後にした者もいた。コサック以外には、傭兵と最初の開拓者の子孫が、征服の主力をなした。征服者たちは、川に沿って移動し、地元住民にヤサク(貢納)を課した。
 征服者、入植者にとっては、一箇所にとどまることは無意味だった。農耕に適していたのは、南シベリアの領域だけだったからだ。
 しかも、ロシアのツァーリは別のものを求めた。すなわち、ヤサクを支払える新しい臣民、そして交易できる商品だ。そして、シベリア北部は、良質の毛皮のとれる獣、魚類、アザラシの脂肪、セイウチの牙が豊富だった。
 かくして、入植者たちはさらに東進し、要塞(木造の砦)を建て、地元住民からヤサクを徴収した。もちろん、流血をともなう衝突も起きたが、「新たな臣民」をめぐる問題は、多くの場合、力の証明によって解決された。しかし、このやり方はチュクチ人には効かなかった。コサックの「大鎌」は、チュクチという硬い石にぶつかった。
予想外に手強かったチュクチ人戦士
 チュクチ人は、驚くべき民族だ。彼らは自分たちを「本当の人間」とみなしていた。彼らが自ら名乗る民族名「ルオラヴェトラン」はそういう意味だ。そして彼らは、すべての隣人は「二流の生き物」にすぎぬと考えていた。当然、ロシア人もそうみなされた。
 ロシア人とチュクチ人はいつ初めて接触したか。これについての信頼できる資料はない。両者がアラゼヤ川の近くで1642年の夏に遭遇したという情報があるが、最初の接触は、おそらくそれ以前に起きているだろう。
 いずれにせよ、コサックたちは、この場所には「恐るべき」人々がいることを知っていた。エヴェン、エヴェンキ、ユカギール、コリャークなどの民族は、チュクチとの長年の対立、抗争をコサックに物語ったからだ。
 しかし、コサックのアタマン(首領)たちはそれを真剣に受け止めなかった。コサックらは、チュクチ人と接触すると、汝らチュクチ人は今やミハイル・フョードロヴィチ(ロマノフ朝初代ツァーリ)の臣民であり、ヤサクを支払わねばならぬ、と言い渡した。先住民たちはこれに同意しなかった。のみならず、武力衝突が発生し、セミョン・デジニョフも参加した。彼は、未来の大探検家で当時はコサックだった。
 その後、アタマンのエラストフは、ミハイル・フョードロヴィチにこの事件を伝え、チュクチ人との戦いは「一日中、夕方まで続いた」と述べた。戦いが長く続いた理由は簡単に説明できる。コサックたちは、先住民からこれほどの勇武を期待していなかったからだ。
 エヴェンやユカギールなら、銃砲を見るや、発砲を待たずに狼狽して逃げ散ったが、チュクチは全然違った。彼らは平然と「ガラガラ棒」に対応して、弓矢で応射した。
 よくあることだが、敵のメンタリティーに無知だったことで、コサックは敵を過小評価することになった。チュクチ人の人生はすべて、生存をかけての無限の闘いだ。しかも彼らは、平然と死を迎えた。コサックたちは、こういうことすべてを、しばらく後に思い知ることになる。
 だが、コサックは後退するつもりはなかった。極東の植民地化のプロセスは既に本格化しており、ロシアは文字通り、勇敢な先住民の土地でも踏ん張っていた。もう一つの理由は、セイウチの牙だ。これは非常に珍重されており、その獲得を諦めるのは馬鹿げていた。
 最初、コサックはチュクチ人と平和裏に交渉しようとしたが、うまくいかなかった。もちろん、コサックの首領は、模範的な外交官ではなかったが、とにかく先住民は譲歩しなかった。障害の一つは、「本当の人間」が生きていた「原始的」なシステムで、明瞭な統治、指揮の系統がなかった。
 チュクチには、最高権力に当たるものがなかった。それぞれの部族を長老が率いてはいたが、彼は部族の運命を決めることはできなかった。部族の者たちは、長老の言葉に耳を傾けることもあったが、その意見が大多数の意見と異なる場合、彼はあっさり殺された。そして、長老の位置は、より扱いやすい者が占めることになった。だから、コサックのアタマンは、いかなる方法でも先住民の意思に影響を及ぼすことはできなかった。この状況からの出口は一つだけ。そう、戦争だ。
 体制は原始的で、武器も単純ではあったが、この先住民は非常に危険な敵だった。彼らの鎧は、アザラシやセイウチの皮でできており、膝から首まで体を覆っていた。一部の戦士の鎧は、鹿の骨と角で作られていた。また、やはりアザラシやセイウチの皮から、チュクチ人は頑丈な盾を作った。
 チュクチ人の主な武器は、弓、槍、短剣、投石器だった。彼らはこれらの武器の使い方を子供の頃から習っていたが、ロシア人に言わせると、「あまり上手くなかった」。捕虜になりそうな場合、チュクチ人は自害した。さらに、チュクチ人は、隣人たちを絶えず襲撃していたおかげで、戦術の観念を持っており、その点でも、他の先住民とは非常に異なっていた。
「本当の人間」は、巧妙な変装の達人であり、敵を欺き、罠に誘い込もうとした。各部族には「偉大なる戦士」がいた。チュクチ人には、敵を倒した後、手首に点の形の入れ墨をする習慣があった。当然、点の数が多いほど、尊敬され、権威が高まった。
チュクチの「征服者」とその死
 チュクチ半島への遠征、入植がはじまった時点で、約1万人の先住民がさまざまな部族に分かれてここに住んでいた。彼らはかなり頻繁に、鹿と縄張りをめぐって互いに争っていた。ロシア人の遠征隊と入植者は、これよりはるかに少なかった。コサックは数百人しかおらず、攻撃の主力は、他の先住民、つまりユカギール、コリャーク、エヴェンなどで、チュクチと抗争してきた人々だった。だが実際には、これらの先住民はほとんど役に立たなかった。彼らは、「本当の人間」を畏怖しており、戦闘が始まる前に逃げ出すこともよくあった。
 入植者の主な拠点は、アナディリ要塞だった。これは、1652年に建設されており、セミョン・デジニョフも参加している。そして70年以上にわたり、この要塞は、コサックが比較的身の安全を感じていられる唯一の場所だった。この間ずっとチュクチは、「招かれざる客」を盛んに攻撃し続けた。ついに、帝都サンクトペテルブルクは、こういう状況にしびれを切らした。
 大規模な軍事作戦を主導したのは、コサックのアタマン、アファナーシー・シェスタコフだ。彼は、チュクチ半島、カムチャッカ半島、およびオホーツク沿岸の占領を求められた。ドミトリー・パヴルツキー陸軍大尉が、補佐のために、シェスタコフのもとに派遣された。二人の指揮官は、力を合わせてチュクチを打ち負かさなければならなかったが、いずれも我の強い指揮官で、反りが合わなかった。それで1729年に二人は、それぞれに異なるルートで出発した。
 しかし、シェスタコフの遠征は、1年後に頓挫した。彼は、自分の部隊もろとも待ち伏せされて戦死した。パヴルツキーは、その数か月後にようやくシェスタコフの死について知った。その時までに、大尉は、コリャークと一緒に、いくつかのチュクチの部隊を壊滅させ、彼らの集落を見つけることができた。
 サンクトペテルブルクからの命令により、パヴルツキーは、先住民に対して思い切り残酷に行動した。コサックとコリャークは、誰も容赦せず、彼らの後には廃墟のみが残った。チュクチは、パヴルツキーから強烈な印象を受け、彼のあだ名ヤクーニンは、主たる敵の象徴となった。
 ちなみに、この戦いは、民俗学者ウラジーミル・ボゴラズが記録したチュクチ民話に反映している。民話の中で、ヤクーニンは最も仮借なき敵だ。金属の鎧と武器を持った白髪の老人として描かれているが、彼は、登場するすべての物語で、必ず死ぬ。この悪役の起源には、二つの説があり、一つはコサックの集合的なイメージであり、もう一つはパヴルツキーを直接描いたものだという。
 しかし、パヴルツキーはその血なまぐさい仕事を完遂できなかった。彼は少佐に昇進し、ヤクーツクに転属になった。しばらくの間、入植者とチュクチ人の間の衝突は止んだが、この平和は長くは続かなかった。1740年代初めになると、チュクチ人は再び近隣の部族を襲撃し、入植者の狩猟隊を襲い出した。パヴルツキーへの恐怖は徐々に消えていった。こうしてパヴルツキーは帰ってきた。
 だが、チュクチ人は抜かりなく準備を整えており、見事な戦いぶりを見せた。彼らは、アナディリ要塞の近くで鹿を盗み、パヴルツキー率いる部隊が出動するのを待ち構え、罠に誘い込んだ。敵の策略を知悉していたはずのロシアの指揮官は、拙速な行動のために死んだ。
 チュクチ征服の試みは1763年まで続いたが、ほとんど意味がなかった。国庫は莫大な損失を被った。アナディリ要塞の維持に130万ルーブルが費やされたのに、ヤサクからの収入は3万ルーブルにも達しなかった。だから、遠征打ち切りの決定は理にかなっていた。アナディリ要塞は撤去され、その住民は他の土地に移された。
ついに力では併合できず
 一見、これでチュクチ半島征服の物語は終わったようだが、そうではない。ロシア帝国の旗が消えるやいなや、フランスとイギリスはこの領域に関心を示し始めた。ロシアとしては、半島における英仏のプレゼンスは許容できなかった。そこで、エカテリーナ2世は、入植者に半島へ戻るように命じた。
 今度はロシア人はチュクチ人に対して、「力」ではなく「善」の立場から行動した。計画はうまくいった。毎年恒例の定期市では、コサックとチュクチ人は、商品を交換し、すぐに共通の利益を見出すことができた。
 もっとも、この先住民はヤサクを払わなかったし、帝国への彼らの臣従は形式的なものだった。チュクチ半島のロシアへの最終的併合は、ずっと後、ソビエト時代のことだ。
「ロシア・ビヨンド」がLineで登場!是非ご購読ください!
https://jp.rbth.com/history/83905-roshia-teikoku-tai-chukchijin-nagaki-ni-wataru-shiretsu-tatakai

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『ゴールデンカムイ』とうとう役者は揃ったーー強欲の男・牛山辰馬は物語にどう影響を与える?

2020-06-30 | アイヌ民族関連
リアルサウンド 2020.06.29 文=たかなし亜妖

 『ゴールデンカムイ』245話(『週刊ヤングジャンプ』2020年29号)は札幌にて牛山が大暴れ。パワーで満ち溢れたあの巨体を振り回せば、都市一つ簡単に壊れてしまいそうな勢いである。
強欲で気前のいい男・牛山辰馬
 牛山がいるということは、当然土方歳三の姿もあり……。全ての一味が再会を果たす大舞台、札幌での物語が本格的にスタートした。血を見ることは避けられない状況で、それぞれはどんな行動を取るのだろうか?
 個性的な囚人の中で一般常識を持ち、落ち着いた性格をしている牛山辰馬(うしやまたつうま)。土方一派の中でも腕が立つ人物であり、柔道家という一面を持つ。「不敗の牛山」と呼ばれるほどの実力で、腕っぷしは作中イチ強いと言っても過言ではない。
 ただ彼も常識的とは言えど、そこはやはり脱獄囚。穏やかな性格とは裏腹に、性欲が凄まじく強く、罪人となった理由も女絡みだ。時には判断力を欠いてしまうほどの暴走っぷりで、定期的に女性と交わらないとダメだという……。なぜか網走監獄の囚人たちは性癖をこじらせた者(動物に欲情する姉畑支遁、弟の死により変態殺人鬼となった辺見和雄など)がやたらと多いので、真っ直ぐに女性を求める姿は、ある意味健全なのかもしれない。
性欲以外の目立った奇行は見られないため、言わなければ囚人とは分からない。初めて杉元と出会ったのは家永カノが女将に成りすましていた殺人ホテル。彼らを洋食レストランの「水風亭」へ連れていき、ライスカレーとビールをふるまうなど、気前のいい男っぷりを見せていた。味噌以外のオソマに難色を示していたアシリパも、これには大興奮。「ヒンナすぎるオソマ……」と、感動を覚えていたほどだ。
アイヌのメインである食生活はオハウ(鍋物)が中心で、現代人の食事と比べるとかなりの薄味。和人の杉元が持ち込んだ味噌や醤油で味を付ける文化はないそうで、わずかな塩と素材の味を生かすのが基本だそう。そんな彼女にとってライスカレーは衝撃の味であり、ご馳走してくれた牛山に敬意を示すのも頷ける。もちろん彼を「先生!」と呼んでいるのは、カレーではなく、別の件なのだが……。
杉元にとって牛山はいくらアシリパが慕っていても、土方一派である以上分かり合えることは決してない相手でしかない。敵意をむき出しにする杉元だが、果たして向こうは何を考えているのだろうか? 度々登場するキャラクターだが、まだまだ謎に包まれていることも多い。
役者が全て札幌に揃おうとしている。新たな舞台で刺青人皮をいち早くゲットするのは、どの一味なのだろうか? そしてアシリパが暗号を口にする日が来るのか非常に気になるところ。物語は佳境へ向かっているものの、まだまだ読者を休ませてはくれない。誰かが金塊を手にする日が訪れるまで、目を離さずにいよう。
■たかなし亜妖
平成生まれのサブカル系ライター。ゲームシナリオライターとしての顔も持つ。得意技は飲み歩きと自炊。趣味はホラー映画鑑賞。
■書籍情報
『ゴールデンカムイ(6)』
野田サトル 著
価格:本体540円+税
出版社:集英社
https://realsound.jp/book/2020/06/post-576726.html

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佐野史郎がコロナ禍に没頭した神話の世界 「神話や歴史はまさに幻想怪奇文学」

2020-06-30 | アイヌ民族関連
デイリー新潮 6/29(月) 6:03配信
 外出自粛でまとまった時間のできた機会に改めてと、ポーやラヴクラフトなど好きな探偵小説、幻想文学に浸っておりました。かつては知る人ぞ知るという存在の幻想怪奇作家、ラヴクラフトが生み出した「クトゥルー神話」も、近年はゲームやアニメ、ライトノベルなどで若い世代にも知られるようになり嬉しい限り。
 神話は歴史上の事実をフィクションとして再構築し、時に真実を語り、時に史実を隠蔽するために利用されることもあるといいます。
 ならば、この国の歴史や如何に? 財務省の公文書改竄問題もまだ記憶に新しいところ。歴史の改竄にも注意しなければ。たとえ時の権力の都合の良いように書き換えられ後世に伝わろうとも、隠蔽しようとした企みは、いつかは暴かれ、白日の下に晒されましょう。
 まさに探偵小説! 
 探偵小説や幻想文学と政治の問題を同じ俎上で語るのはいかがかとお叱りを受けそうでもありますが、この国の歴史を遡れば神話に辿り着くのですから、お許しを! 神話といえば、現存する日本最古の書物『古事記』(岩波文庫ほか)。日本の歴史を辿る、まごうことなき幻想怪奇文学の古典!?
 神々を祖とする天皇家の物語がこの国の歴史を導いてきたことは、改めて言うまでもありません。近現代に限っても、幕末、蛤御門の変を経て、返す刀で佐幕派を追いやり王政復古を成し、戊辰戦争で勝利を収め明治新政府の樹立に貢献した長州閥。令和の現在に至るまで脈々とその力を保ち続けていますが、原動力となったのは朝廷の存在でした。
 その祖先は天照大神。アマテラス、スサノヲの姉弟の物語は、出雲の地出身の私には幼い頃から馴染み深いものです。天上を追いやられたスサノヲの子孫とされるオオクニヌシは、アマテラスより遣わされたタケミカヅチに国譲りを強要され、息子のタケミナカタが勝負に負けたため国を明け渡しますが、代わりに出雲大社を建立させます。
 一方、伊勢神宮は、高千穂峰に降臨したニニギが、祖母のアマテラスから授かった宝鏡を内宮に祀ったともいいますが、もともとは土着神の住まう地。出雲も伊勢も西暦700年前後に建立されたという説もあるようなので、それまでの土着神がどうなったのかが気になるところです。
 歴史は繰り返す。幕末から維新にかけ蝦夷地でアイヌ民族が追われたようなことが、古の時代にも同様にあったのでしょうか。そんなことを思いながら、大山誠一『神話と天皇』(平凡社)を再読。
 いまや「大化の改新」という言葉は教科書での扱いが変わり、その端緒が中臣鎌足と中大兄皇子による、権力簒奪のための血なまぐさい暗殺劇として認識されるようになってきたようです。
「やっぱりカギは乙巳の変。藤原不比等か~悪いやっちゃな~、疫病も流行るはずだ~」などと、ポーの短編「赤死病の仮面」(『ポオ小説全集3』創元推理文庫)と重ねます。
 歴史を繙く書物には怪しげなものもありますが、これはオススメ! 都合の悪い事実を隠蔽し、正史として後年に残そうとする企みは、政治や統治と不即不離の関係にあるようですが、企みの字面を離れて幻想怪奇の世界に身を置けば、土着神の声も聞こえてきそうです。
俳優 佐野史郎
「週刊新潮」2020年6月25日号 掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/d72a046faa62a1fb8679200a9020544f6207ec07

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アングル:コロナに水銀汚染、アマゾンで違法「ゴールドラッシュ」

2020-06-29 | 先住民族関連
ロイター 2020年6月28日 / 13:32 / 13時間前更新
 6月26日、ブラジルの先住民族ヤノマミ族が暮らすアマゾン熱帯雨林の中心部で過去5年間、違法な金の採掘が急増している。写真は違法な採掘の状況を調査するブラジル環境当局者の後をついていくヤノマミ民族。2016年4月、ロライマ州で撮影(2020年 ロイター/Bruno Kelly)
[26日 ロイター] - ブラジルの先住民族ヤノマミ族が暮らすアマゾン熱帯雨林の中心部で過去5年間、違法な金の採掘が急増している。衛星画像による独自データをロイターが分析した結果、明らかになった。
民族は南米の先住民族の中では最も人口が多いが、外界からかなり隔絶された環境に住んでいる。ベネズエラとの国境近く、ポルトガルほどの大きさの保護特別区域に2万6700人以上が暮らす。
彼ら、彼女らが数世紀前から暮らしてきた原生林の地下には、金を含む貴重な鉱物資源が眠っている。
ここ数十年というもの、金を求める非合法の探鉱者らがこの地に引き寄せられ、森林を破壊し、河川を汚染し、死に至る病を持ち込んだ。
ヤノマミ族と地元当局者の推計によると、ここでは現在、2万人を超える非合法探鉱者が活動している。2018年、アマゾンを経済開発し、鉱物資源を採掘すると公約する極右ボルソナロ大統領が就任して以来、その数は増えた。
大統領府にコメントを要請したが、返信は得られなかった。
ヤノマミ族の特別区域を写した衛星画像をロイターが分析したところ、過去5年間で非合法の採掘活動は20倍に増えている。主な活動地域はウラリコエラ川とムカジャイ川沿いで、合計すると約8平方キロメートル、サッカー競技場1000個分を超える。
ロイターは衛星画像を分析する非営利団体アースライズ・メディアと協力して作業を行った。
採掘の規模は小さいが、環境に壊滅的な影響を及ぼしている。樹木と居住環境は破壊され、砂岩から金を分離するのに使う水銀が川に流れ、水を汚染し、魚を介して地域の食物連鎖に入り込む。
18年に公表された調査結果によると、ヤノマミ族の村落の中には、住民の92%が水銀中毒に苦しんでいるところもある。この中毒は臓器を傷付け、子どもの発育障害を引き起こすことがある。
採掘者は感染症も持ち込む。
1970年代、ブラジルの当時の軍事政権がアマゾン川北部の熱帯雨林を抜ける幹線道路を建設した際には、ヤノマミ族の村落が2つ、はしかとインフルエンザにより壊滅した。
https://jp.reuters.com/article/amazon-gold-mine-idJPKBN23X0V8

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米国のBlack Lives Matterを受けて考える日本の問題

2020-06-29 | アイヌ民族関連
ハーバー・ビジネス 6/28(日) 8:32配信
 私が最初に人種的偏見を体験したのは、親の仕事の都合で米国カリフォルニア州にある白人がマジョリティの田舎町に引っ越してから数年が経った頃でした。壁にボールをぶつけて遊んでいたときに、白人の友達と口喧嘩になったことがきっかけでした。
身をもって経験した偏見
 「お前は余所者(よそもの)だ」
 当時、「余所者(よそもの)」という英単語(Foreigner)を理解できず、なんども聞き返したのを覚えています。やっと理解できたときは、落ち込みました。(Foreignerは、「外国人」という意味のほかに、「よそもの」のような排他的な意味合いで使われることがあります)
 ただ、その後米国で体験した人種的偏見に比べたら、小学生のときの経験は軽いほうでした。「チンク」(中国人に対する侮辱語)や「グック」(アジア人に対する侮辱語)、「ジッパーヘッド」(起源は多々あるようですが、ひとつの説は、米軍兵士がベトナム戦争中に現地の人々を射殺した際、頭がジッパーを開けるように破裂したから、というものです)などの侮辱言葉は日常的で、「フラットフェイス(平らな顔)」、目を釣り上げるなど外見を揶揄されることもありました。身体的な暴力(ヘイトクライム)の被害を受けたこともあります。
 カメルーン人哲学者のアキーユ・ンベンベ氏の著書『ネクロポリティクス:死の政治学』から言葉を借りると、これら「人種主義による傷害」は「身体とその実質だけではなく、(省略)尊厳や自尊心など無形なものも攻撃するため、苦しく、忘れにくい」のです。彼が書いたように、「これらの痕跡はほとんど目に見えず、傷跡は癒えにくい」と感じます。
「日本に差別はない」のウソ
 私は新型コロナウイルス感染症の流行を受けて増えているアジア人に対する暴力や、ジョージ・フロイド氏の殺害を受けて米国で広がるブラック・ライブズ・マターのデモを見たことで、個人的な経験が鮮明に蘇ったうえ、米国だけではなく日本における差別や偏見について考えるきっかけになりました。
 例えば、歴史的に在日コリアンの人々は日本で差別を受けてきました。1923年には、関東大震災直後の混乱のなか、コリアンの人々が暴動や放火しているとデマが広まり、大勢の人々が殺害されました。
 今の日本では、民族や人種を理由にした暴力は希ですが、一部団体による在日コリアンのコミュニティを標的にしたヘイトスピーチなどは起きています。また、一部の人々は、「在日」と言う単語を「反日」と同義的に使用しています。(参照:朝日新聞DIGITAL)
法的抑止力が皆無な日本
 日本では外見が異なる人に対する偏見もあります。アフリカ系アメリカ人との「ハーフ」の宮本エリアナさんは、ミス・ユニバース日本代表に選出された際、ネットで「日本人らしくない」という言葉が寄せられました。このような排他的な反応は、インド人の父親を持つ吉川プリアンカさんがその翌年に同じタイトルを獲得した際にもありました。
 日本政府の政策の下でも被害が発生しています。日本政府が拡大している「技能実習制度」では多くの外国人が技能習得の名目を示されて日本に来たものの、違法な低賃金や醜い偏見の被害にあっています。
 また、日本は「単一民族国家」という神話を権力を持つ人びとが発信していることが、日本での排他的な感情を助長していると考えられます。なぜなら、そうした神話は在日コリアンや先住民のアイヌの人々の歴史や経験を縮小化してしまい、マイノリティの声に耳を傾けなくなってしまうからです。(参照:the japan times)
 日本にいるマイノリティの人びとは弱い立場に立たされています。なぜなら、日本には人種、民族、宗教、性的指向や性自認(ジェンダーアイデンティティ)による差別を禁止する法律がないため、何が差別かという一般認識も低く有効な救済制度もほとんどなく、被害者は泣き寝入りを余儀なくされる場合が多いのです。また、日本政府は国連からの度重なる勧告にもかかわらず、いまだに国内人権機関を設立していません。
間接的にでも考えるきっかけに
 以上を踏まえると、米国に限らず日本にも解消する必要がある差別や偏見が多々あることがわかります。だからこそ、日本にいる人々はブラック・ライブズ・マターの運動をアメリカ特有のものと見ず、日本にも人種や民族を理由に差別や偏見の被害にあいやすい人々がいることを考える良い機会として捉えるべきです。
 アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者であったキング牧師は、「バーミンガム刑務所からの手紙」でこう書いています。
 「いかなる不正も、あらゆる公正に対する脅威となる。我々は、避けることのできない相互関係のネットワークのなかに生きており、運命というひとつの織物に織り込まれている。誰かに直接的に影響することは、皆に間接的に影響する」と。
<取材・文/笠井哲平>
【笠井哲平】
かさいてっぺい●’91年生まれ。早稲田大学国際教養学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校への留学を経て、’13年Googleに入社。’14年ロイター通信東京支局にて記者に転身し、「子どもの貧困」や「性暴力問題」をはじめとする社会問題を幅広く取材。’18年より国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのプログラムオフィサーとして、日本の人権問題の調査や政府への政策提言をおこなっている
https://news.yahoo.co.jp/articles/bee6517474177e09c82a664d410f998eeaf488df

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