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人権啓発教材:北九州市の「新版 いのち」 法相表彰で最優秀 /福岡

2015-10-29 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2015年10月28日 12時20分
北九州市教委が3年間かけて編集、今年度から小中学校で使い始めた人権教育教材集「新版 いのち」が人権啓発資料法相表彰の最優秀賞を受賞し26日、福岡法務局の波多野新一・人権擁護部長から伝達された。
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http://mainichi.jp/auth/guide.php?url=http%3A%2F%2Fmainichi.jp%2Fedu%2Fnews%2F20151028ddlk40100404000c.html

全国の〝古代体験〟集結  兵庫・播磨 県立考古博物館で11月7日にフェス

2015-10-29 | アイヌ民族関連
産経ニュース-2015.10.28 09:29更新
 全国各地の博物館や資料館などで行われている古代体験イベントを集めた「全国古代体験フェスティバル2015」が11月7日、県立考古博物館(兵庫県播磨町大中)で開かれる。
 フェスティバルには、旭川市博物館(北海道)や上野原縄文の森(鹿児島)、三内丸山遺跡縄文時遊館(青森)などが参加。アイヌ民族のお守りや、ミニ土偶などを作る体験ブースが設けられる。
 また台湾・新北市の十(じゅう)三(さん)行(こう)博物館も参加。台湾の原住民族が使用していたブレスレットをビーズを使って再現する体験イベントも実施する。
 午前10時から。雨天決行。問い合わせは県立考古博物館((電)079・437・5589)。
http://www.sankei.com/west/news/151028/wst1510280045-n1.html

旭川木彫工芸協会が「テニス×木彫熊」制作 兵庫のテニス大会とコラボ

2015-10-28 | アイヌ民族関連
旭川経済新聞 2015年10月26日

上山さん作の座り熊
 旭川木彫工芸品協会が兵庫県で開催されるプロテニス大会「2015兵庫ノアチャレンジャー」とコラボレーションし、木彫り熊を制作した。
 旭川の木彫りはアイヌ民族の生活用具を商品として取り扱ったのが始まりといわれ、北海道の土産を代表するサケをくわえた姿の木彫り熊「熊彫」は戦後の観光ブーム時代に大流行し制作されていた。同協会はそんな木彫りの熊など、木の彫刻や工芸品を制作する職人で2006年に結成された団体。最盛期には100人を超える職人がいたが、現在は数十人の少数で同会は9人のメンバーで活動している。2014年にはリニューアルした「なんばグランド花月」(大阪府)のエントランスを飾る「旭川木彫看板」の制作を行うなど、新しいことにチャレンジしている。
 今回の企画は、テニスの伊達公子選手を指導した、兵庫県テニス協会で同大会の会長でもあり、「日本各地の工芸品とコラボレーションした作品でチャリティーを開催したい」と夢を持っていた小浦猛志さんが、旭川へテニス指導に訪れたことがきっかけ。同協会が空港で展示会を行っていた作品を目にしたことから、同会がオファーを受け木彫り熊の制作に至ったという。
 制作された木彫り熊は全部で10体。同会の菅野秀雄会長(北都工芸社)、中川貞次副会長(木彫ナカガワ)、上山勇次さん、上西捷敏さん(木彫の上西)、金岡茂幸さん(カネオカ木彫)の5人が制作を担当。ボールの形や、テニスラケットの形、どのようにラケットを構えるかなど研究しながら取り組んだといい、サケの代わりにラケットをくわえる熊や、二足で立ちラケットを構える熊、テニスボールに玉乗りする熊、年月がたっても木目が変わらない木を使って無塗装の木目を生かした熊、絵の具でペイントされた熊など個性的な熊彫が並ぶ。
 集まった菅野会長と上山さん、上西さんは「熊を彫るよりラケットの形を作るのに苦労した」と話す。木をラケット型にくりぬいてフレームを造り、細い木をはめ込みガットを表現した手の込んだラケットも。テニス協会から新しいラケットではなく古い形のラケットでデザインしてほしいと、古い型のラケットを預かり参考にした。熊とのバランスを考えるとラケットが大きすぎて作り直したこともあったという。
 今回の経験を生かして、「今後ラグビーやスキーなどのさまざまなスポーツをする熊や、旭山動物園の動物たち、その他の動物などを彫るのも面白いのでは」と3人は意欲を燃やす。「何人かで制作したからこれだけユーモアに富んだ作品ができた。これを機にいろんなことに挑戦していきたい」と上西さんは話す。
 10体の木彫り熊は近々兵庫県テニス協会に送られ、11月7日~15日に開催される同テニス大会でチャリティーに出品される予定。
http://asahikawa.keizai.biz/headline/246/

原発の被害と恩恵、世界の専門家はこう考える

2015-10-28 | 先住民族関連
ベラルーシで開催された原子力被害の勉強会から
JBpress-2015.10.28(水) 森田 知宏

ウクライナ・チェルノブイリ原発の原子炉建屋を覆うために建設が進められている新シェルター。(2015年5月1日撮影)〔AFPBB News〕
 9月21日から25日にベラルーシで開催された原子力災害の勉強会に参加した。この勉強会の主催者は、フランスのCEPN、ベラルーシのRIR、ヨーロッパのNERISという団体である。
 CEPNはEDF(フランス電力会社)、IRSN(フランス放射線防護・原子力安全研究所)、CEA(フランス原子力庁)、AREVA(フランスにある世界最大の原子力産業企業)が出資して1976年にできたNPOである。
 つまり、フランスの原子力業界が出資するNPOである。対して、RIRはベラルーシの政府機関である災害対策省の下部組織であり、チェルノブイリ原発事故の対策を目的としている。
 NERISは、欧州の放射能災害や復興の計画・対策の向上のために2010年に設立された、55の原子力関係団体が加入するプラットフォームである。
先住民族の文化が破壊される恐れ
 このグループはこれまでにも、原子力発電所の事故があった地域、原子力災害の影響が残る地域での勉強会を行っている。例えば、昨年にはノルウェーのトロムセという場所で開催された。
 ノルウェーにはチェルノブイリ原発事故後に飛散した放射性物質が降り注いだ地域がある。現在でも、野生のトナカイやキノコ、ベリー類を中心に放射性汚染が残存している。
 このトナカイの肉を年間15~20キロも摂取するのがサーミ人だ。サーミ人はラップランドと呼ばれるスカンジナビア半島北部に住む遊牧民である。
 13世紀頃、ゲルマン民族の国々がノルウェー、スウェーデンなどの国家を形成すると、その支配下に置かれ、その後の先住民族軽視の風潮の中でサーミ文化は衰退傾向にある。
 近年になり、観光資源、文化保護の観点からサーミ文化が見直されている。そのため、トナカイによる内部被曝が問題となっても、彼らの食生活を大幅に変えることは困難だ。
 トナカイはサーミ人にとって衣食住の中心であり、トナカイを失うことは、文化を破壊し、アイデンティティを奪うことにつながる。
 ノルウェーの原子力当局は、ゆるやかな食事制限を行いながら、健康診断などを行っている。幸い、当局の努力の成果かは不明だが、サーミ人にがん発生率が高いというデータは現時点で出ていない。
 今回の勉強会のテーマは、「Late Phase Nuclear Accident Preparedness and Management」、つまり、長期的な原子力災害への準備と管理、であった。
 私は、福島県相馬市で勤務する医師である。チェルノブイリから30年経過したいま、現地でどのような問題が起きているか、そしてそれをどのように福島へ生かすことができるか、を考えるために勉強会へ参加した。
原発依存国と被害国の集まる会
 様々な国からの参加者がいたが、所属国は大きく2つに分けられる。
 まずは、原子力エネルギーに依存する国である。フランス(77% 1位)は有名だが、チェコ(35% 8位)、スロバキア(55% 2位)は分離以前から原子力政策を進めていたし、スペイン(21% 11位)、英国(20% 12位)なども原子力発電に依存する割合が高い。
 上記カッコ内の数値は2012年国際エネルギー機関(IEA)資料より得た、全発電量のうち原子力発電の占める割合とその世界順位である。
 日本は福島第一原子力発電所事故後の原発稼働停止によって、割合は1%、順位は18位となっている。上記に挙がるいずれの国もエネルギー資源に乏しく、エネルギー自給率を高めるのに原子力発電を求めた点で共通している。
 もう一方は、原子力災害の影響を受けた国である。例えば、ノルウェーは北海油田を抱える原油輸出国であり、自国内に原子力発電所を持っていない。しかし、先述の通りチェルノブイリ原発事故の影響を受けた。
 もう1つ、アイルランドも同様に原子力発電所はないが、アイリッシュ海対岸にある英国のウィンズケール原子炉(マイナスイメージが強いため、現在はセラフィールドに改名)が1957年に火災事故を起こし、その後もたびたび放射性廃液の流出事故を起こしている。そのため、魚介類の放射線測定や漁民の健康調査を1982年から現在まで継続している。
 つまり、この勉強会は「原発に依存する国」と、「原発から被害を受けた国」の関係者が集まる会だと言える。
 そもそも主催側も、原子力業界とつながりの深いCEPN、チェルノブイリ事故対策を行ってきたRIRであり、それを反映していると言えるかもしれない。
 勉強会の開催地であるベラルーシは、被災国でありながら原子力発電所を建設中である。当然国民の反対は大きいが、それを押し切ってまで建設するのは、ロシアとのエネルギー問題が関係している。
 ベラルーシは親露国だが、石油、天然ガスを巡ってたびたび争いを起こしている。2007年には、関税を巡る争いにより、ロシアがベラルーシを通る石油パイプラインの供給を止めてしまった。
ロシア依存を下げるために原発推進
 その結果、パイプラインを使うEU諸国へのエネルギー輸送まで滞り、国際問題に発展した。同様の問題はたびたび起きているが、資源供給側であるロシアの立場が強い。したがって、ロシア依存のエネルギーから脱却するために、原子力発電所建設に踏み切ったのだ。
 ロシアとのエネルギー問題は欧州共通の問題である。特にウクライナ危機以来、防衛上の観点からも脱ロシアの流れは加速しており、原子力発電推進の機運が高まっている。
 例えばバルト三国の1つリトアニアでは、福島第一原発事故後に頓挫していた原発建設計画が2014年7月になってから再開されている。
 今回の勉強会の代表者はICRPの委員も務めるジャック・ロシャール氏だ。もともとは経済学を専攻し、3年間教師として勤務した後、フランス原子力防護評価研究所に入り、現在はCEPNの所長を務めている。
 福島第一原発事故後には福島を何度も訪れ、住民と交流をするなど、福島の原発事故への関心も高い。プログラムの中でも、日本に関する内容は2コマ用意されていた。
 次回以降、勉強会の中で福島について考えたことを記したい。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45094

根室:園児の願い…育て森! 育てシマフクロウ

2015-10-28 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2015年10月27日 18時53分(最終更新 10月27日 19時11分)

小さな手にドングリの種を取って植えようとする幼稚園児=北海道根室市温根沼で2015年10月27日、本間浩昭撮影
 北海道根室市の根室カトリック幼稚園の園児37人が27日、同市温根沼の日本野鳥の会所有地で、国の天然記念物・シマフクロウの営巣に必要な森を育てようと、ドングリの種を植えた。
 「100年かかる」と言われる森づくり。特に寒冷地の根室は樹木の生育が極めて遅いことから、日本野鳥の会が「子どもたちにも参加してもらい、森づくりの心を育てたい」として企画した。
 アイヌ民族に「守り神」とあがめられるシマフクロウ。同園では園児を「エンゼル」と呼ぶ。“天使”のような心でまかれた種によって、やがては守り神を抱く大木が育つ日が来る。【本間浩昭】
http://mainichi.jp/select/news/20151028k0000m040013000c.html


千歳川のカワシンジュガイ保護を 悪質業者の乱獲で減少 札幌の研究者講演

2015-10-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/27 16:00

カワシンジュガイの生態などについて解説する粟倉輝彦さん
 【千歳】国指定の絶滅危惧種で、千歳川に生息する二枚貝カワシンジュガイの研究者粟倉輝彦さん(80)=元道立水産ふ化場長、札幌市在住=の講演会が千歳市内で開かれた。市民ら約70人が参加し、保護の重要性について理解を深めた。
 千歳アイヌ協会主催で、24日に開かれた。アイヌ民族が伝統的に貝殻を穀物の収穫用具などとして用いてきたカワシンジュガイを保護しようと企画した。
 粟倉さんは、この貝の特徴の一つとして、水中の有機物をえらでろ過して栄養分を得る点を挙げ「欧州などでは川の水質を浄化する生物として知られている」と説明。ヤマメなどに寄生しないと生き残れない特徴も解説し、絶滅を防ぐには「宿主(しゅくしゅ)となる魚を増やすことが重要」と述べた。
 また、個体減の背景には、天然記念物の魚であるミヤコタナゴの愛好家に売るために悪質な業者が乱獲している実態があると指摘。「この貝はミヤコタナゴが卵を産みつけるのに適しているとされ、インターネットで売買されている。このような行為を防ぐ手だてが必要だ」と強調した。
 同協会は保護条例制定を目指し、今後も引き続き専門家を招いた勉強会を予定している。
 中村吉雄会長は「自然を大切にしてきたアイヌ民族だからこそ取り組むべき課題だ。理解を広げる努力を重ねていく」としている。(酒井聡平)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0195121.html

白老の小学生がアイヌの伝統漁法マレク漁などに挑戦

2015-10-28 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2015年10月27日(火)朝刊】
 白老町内の小学生にアイヌの伝統漁法などを伝えるイオル体験交流事業(一般社団法人白老モシリ主催)が26日、町内石山のウヨロ川河川敷で行われ、白老小と緑丘小の4年生53人が、かぎ針が付いた長さ約2メートルの棒でサケを捕獲するマレク漁などに挑戦した。
 「強く速く」と指導を受けた子どもたちは、いけすの中に泳いでいるサケに狙いをつけて木の棒を打ち込むが、なかなかサケはかぎ針に引っ掛からない。サケを見事いけすから引き上げたのはほとんどが男の子。緑丘小の野本航亮君は「重かった」、小林勇心君は「すごくはねてびっくりした」と息を弾ませながら話した。
 流し網漁を見学、捕獲されたサケを網から外す体験もした。「まだ生きている」「捕ったぞ」と歓声が上がった。「何で雌だと分かるんですか」と質問する児童もいた。サケをさばく体験にも挑戦した。
 昼食はアイヌの伝統料理として知られるオハウ(サケ汁)やあわご飯などを味わった。かつてアイヌ民族の漁場だった「カッケンハッタリ(カワガラスの淵)」でこの日の体験活動が行われた。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/10/27/20151027m_08.html

馬総統“台湾の抗日闘争は1895年から始まった” 改めて歴史問題を強調する狙いとは?

2015-10-28 | 先住民族関連
ニュースフィア-2015年10月27日

 台湾・台北市で25日、日本による台湾統治終了70年を記念する「台湾光復70周年記念大会」が行われた。台湾の馬英九総統は演説で、日本による統治には、悪い面ばかりでなく、インフラ建設といった良い面があったことも記憶にとどめるべきだとの旨を語った。ロイターはこれを主題的に報じた。しかしこれはあくまで発言の一部分でしかない。馬総統は、台湾における抗日闘争の歴史を強調する動きを強めており、今回の演説もそれに沿ったものだった。馬総統の狙いはどこにあるのだろうか。
◆台湾の歴史
 日本は、日清戦争の勝利により、台湾の割譲を受け、1895年から1945年まで統治を行った。1945年、太平洋戦争の敗北により、台湾は、当時中国大陸を支配していた中国国民党の中華民国に返還されることとなった。その後、中国で、国民党と中国共産党の内戦が勃発。敗れた国民党政府は1949年に台湾に逃れ、以後そこを中華民国とした。
 中国共産党の中華人民共和国(中国)は、台湾を自国領土の不可分の一部とみなし、独立を認めていない。日本政府も、1972年に中国と国交を樹立するにあたって、中華民国とは断交し、以降、正式な国家としては承認していない。
 国民党は台湾に逃れてきたが、台湾が無人だったわけではない。先住民族や、戦前に本土から移住していた人たちとその子孫の「本省人」が多数暮らしていた。対して、戦後、国民党政府とともに移住した人たちは「外省人」と呼ばれる。本省人は、人口比ではわずかな外省人による支配に反発した。国民党政府は、1950年より1987年まで戒厳令を敷き続け、一党独裁を行った。その後、1988年、国民党の李登輝が本省人として初めて総統に就任し、自由化、民主化を促進した。
 国民党は2000年の総統選挙で野党・民主進歩党(民進党)の候補に敗れ、政権の座から転落した。しかし2008年の選挙で、現職の馬英九総統が選出され、再び政権党となった。馬総統は1950年に台湾に移住した外省人である。
◆中国本土よりも早くから抗日闘争を開始していた?
 馬総統は記念大会の演説で、台湾人民は、台湾が日本に割譲された1895年に抗日闘争を開始した、と述べた。大陸では1937年、盧溝橋事件により「抗日戦争」(日中戦争)が始まったと捉え、それより42年早かったと述べた。産経ニュース(25日)は、この発言の意図について、台湾での日本統治への抵抗運動と、日中戦争を同列に位置づけるものだと指摘している。また別の記事(24日)でも、馬総統は最近、それらを同じ文脈に位置づける歴史観を表明している、と語っている。
 馬総統がそうした見方を強調する理由はどこにあるのか。一つには、中国に対して、中華民国の台湾支配の正当性をアピールする狙いがあるように思われる。共産党政権は、抗日戦争での勝利を自分たちの功績だと語って、共産党支配の正当性の根拠としている。しかし、日本との戦闘で主導的な役割を果たしたのは、当時の国民党政権下の国民党軍だった。
 馬総統は「抗日戦争の勝利の結果、台湾は中華民国の版図に戻った」と述べた(産経ニュース)。日中戦争では国民党政府が主体として戦い、勝利したことにより、台湾が中華民国に戻ってきた、との意図だと思われる。また台湾の国営通信社、中央通訊社が運営する日本語ニュースサイト「フォーカス台湾」によると、台湾の対中国政策を担当する行政院(内閣)大陸委員会は、台湾の光復(日本統治の終結)が中華民国の主導で行われたのは紛れもない事実だとし、中国に対して歴史的事実を正視するよう求めたそうだ。
 台湾自らが日本からの解放を求めて戦っていたという事実と、国民党が台湾を実際に日本から取り戻したという功績とを組み合わせて、現在、国民党が台湾を支配していることの正当性は自明、という主張を馬総統は行おうとしているのではないだろうか。
◆中国にとって台湾はあくまで自国の一部
 しかし、台湾側のそんな主張を、もとより中国政府は認めるつもりはないだろう。中国国営新華社通信によると、中国でも、台湾の「光復70周年」を記念する行事が行われた。中国政府は台湾の「光復」を、わがことのように、ではなく、わがこととして祝っている。
 共産党序列4位の兪正声中央政治局常務委員はその式典で、台湾の本土への復帰は、抗日戦争の勝利後に達成されたが、その戦争は、台湾の同胞を含め、全ての中国人民の努力によって勝ち取られたものだ、と述べたという。またロイターによると、台湾の「光復」は、「中国への度重なる外国の侵略」という国の不名誉をすすいだ、と同委員は語ったという。
 同委員は「中国の主権と領土の不可分性を維持すること、台湾は中国の一部であるという姿勢を変わらず維持することは、中国全人民の神聖な使命だ」と語っている。
 新華社は、台湾での記念行事の様子を伝えているが、歴史博物館で行われた討論会については、台湾人が中国本土に渡って抗日戦争を戦った経験談と家族の思い出話を選んで掲載している。
◆中国への傾斜を強め過ぎた国民党への支持が低下している
 馬総統の演説では、来年1月に実施される総裁選に向けて、国内に国民党の功績をアピールするという、差し迫った必要もあったようだ。
 馬総統は、対中問題では「統一せず、独立せず、武力行使せず」の原則の下、現状維持を基本方針としている。その一方で、中国との自由貿易協定(FTA)を含め、経済一体化を推し進めてきた。米ワシントン・タイムズ紙(WT)は、馬政権は投資、観光、貿易を促進するため、中国と23の協定を結んだ、と伝える。しかしその性急さが、国内でさまざまな不満を招いている。中国経済の減速が明らかになったことも不満の一因だ。
 昨年3月には、中国と2010年に締結したFTAの「両岸経済協力枠組み協定」(ECFA)の具体化となる「サービス貿易協定」の審議をめぐって、学生らを中心とする大規模な反対運動「ひまわり学生運動」が起こった。その後の11月の統一地方選挙では国民党が大敗した。それについてWTは、国民党は本土中国といくつかの協約を結んだことの代償を払わされた、と語っている。
 来年1月の総裁選では、野党・民進党の候補が有力視されている。馬総統は、3選を禁ずる憲法の規定のために立候補できない。国民党は今月、7月に決めた公認候補を撤回し、新たに選び直すという措置に出た。WTによると、その候補は、民進党候補よりも世論調査での支持率が20%低かったという。
(田所秀徳)
http://newsphere.jp/world-report/20151027-1/

白老町議選 トップ松田氏、14人の新選良決まる

2015-10-28 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2015年 10/26)
 任期満了に伴う白老町議会議員選挙(定数14)は25日、投開票が行われ、現職13人、新人1人という顔触れで新しい議員が決まった。
 開票の結果、松田謙吾氏(73)=無所属=が880票を獲得し、9期目をトップで当選。次いで広地紀彰氏(42)=無所属=が17票差の863票、吉田和子氏(66)=公明党=が861票と続いた。引退した斎藤征信氏(78)の後継で出馬した新人の森哲也氏(33)=共産党=は、得票数8位の636票で初当選を果たした。27日に当選証書の付与式が行われる。
 今回の町議選は定数1減の14議席を15人が争った。ほとんどの候補は20日の告示を皮切りに選挙カーなどで町内全域を遊説。財政健全化をはじめ、2020年に開設する国立アイヌ文化博物館(仮称)を柱とする「民族共生の象徴空間」と連携した地域産業の活性化、医療福祉環境の充実など幅広い分野で政策を訴え、選挙運動を繰り広げた。
 少数での戦いとなった今回の選挙戦だが、新人2人のうち1人が選挙運動を見送り、「現職優勢」との見方が強まったことで夕方までに選挙カーでの遊説を終える陣営も多く、有権者からは「緊張感のない選挙戦」との声もあった。
 町総合体育館では同日午後9時10分から町選管が開票作業を開始。予定よりも30分早く午後10時30分に最終結果が発表されると、各陣営関係者が一斉に携帯電話で吉報を入れ、足早に選挙事務所へと向かった。
白老町議当選者(定数14)
当 880 松田 謙吾 73 無職    無・現(9)
当 863 広地 紀彰 42 会社役員  無・現(2)
当 861 吉田 和子 66 無職    公・現(7)
当 810 氏家 裕治 55 無職    公・現(5)
当 693 前田 博之 69 無職    無・現(3)
当 656 山本 浩平 55 会社役員  無・現(5)
当 650 山田 和子 56 会社員   無・現(2)
当 636 森  哲也 33 団体職員  共・新(1)
当 634 及川  保 65 団体役員  民・現(8)
当 515 大渕 紀夫 68 無職    共・現(11)
当 415 小西 秀延 50 会社役員  無・現(4)
当 360 本間 広朗 58 陶芸家   無・現(3)
当 313 西田 祐子 60 NPO役員 無・現(5)
当 282 吉谷 一孝 47 会社役員  無・現(2)
  115 戸屋 美俊 67 無職    無・新
左から名前、年齢、職業、政党(公=公明、共=共産、民=民主、無=無所属、現=現職、新=新人)、()内の数字は当選回数、敬称略。
http://www.tomamin.co.jp/20151031506

先住民「サイシャット族」伝統の祭り 「重要民俗」指定で証書授与/台湾

2015-10-28 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2015/10/26 14:23

苗栗県政府提供
(苗栗 26日 中央社)台湾原住民(先住民)、サイシャット族の伝統的な祭り「パスタアイ」が2013年に台湾の「重要民俗文化財」に指定されたのを受け、洪孟啓文化部長(文化相)は24日、苗栗県南庄郷向天湖を訪れ、関係者に証書を授与した。
南庄郷と新竹県五峰郷を中心に居住するサイシャット族が行うパスタアイは2年に1度の小祭と10年に1度の大祭がある。300年以上前に殺してしまったとされる身長1メートル未満の小人族に対して罪を償い、霊を慰めるために開催され、完全な形で残る独特な原住民の祭りとして文化的意義や価値が認められた。
この日は2地域の代表が証書を受け取った。17ある重要民俗文化財のうち、苗栗県と新竹県の2つの自治体にまたがる文化財の認定は今回が初めて。洪部長は伝統文化の継承に「難しく貴重なこと」と語り、関係者の努力をたたえた。
(管瑞平/編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201510260004.aspx

信仰までも破壊する原発

2015-10-28 | 先住民族関連
ハフィントンポスト- 2015年10月26日 11時28分 JST
「うわあ、これは立派なお寺ですね」。思わず私は声を上げた。
福島県南相馬市小高地区にある、同慶(どうけい)寺。鎌倉時代(1185~1333)から続いた領主、相馬家の菩提寺(ぼだいじ)、曹洞宗の古刹(こさつ)だ。同行するのは、インド、ミャンマー、スリランカ、韓国、タイ、バングラデシュ、米国から来た仏教者の面々、2015年4月にNPOのJNEB(The Japan Network of Engaged Buddhists)が主催したスタディーツアー、" 「持続可能な「少欲知足」社会へ:福島から学び、エコ寺院地域社会を開発」での一コマだ。
田中徳雲住職より、説明を聞いた。同慶寺は福島第一原発から17キロ、2011年3月11日の大震災後に原発の放射能で汚染され、周辺が立ち入り禁止になったこと、家族と福井県へ避難したこと。今は日中だけ入れるようになったこと。田中さんは、福島県いわき市から毎日通い、檀家(だんか)の人々の協力を得ながら片付けや掃除をしている。ちり一つない本堂、落ち葉一つない庭から、その努力が伝わる。放射能に抗(あらが)い、信仰が続いている。
ベトナムに伝えなければ
ツアーに先立ち、ベトナム研究者の私は主催者から「ベトナムの僧侶に参加してほしいので、紹介を」と依頼されていた。しかし、いかに「持続可能な社会」を前面に押し出そうとも、「福島」が出た途端に、原発建設を進めようとするベトナム政府からは「反原発か」と警戒されるのは目に見えている。とてもベトナムからは呼べない。
海外在住のベトナム人僧侶に声をかけてみたが、うまく調整できず、結局、「吉井さん、あなたがベトナム代表で参加を」ということになった。私はベトナム人でもなければ、仏教者でもない、すごいプレッシャーだ。そして何とか福島の現実を伝えなければ、ベトナムの人々に。
先月、ベトナムの原発建設予定地であるニントゥアン省を訪れた。「とうとう、あのポーリヤッド、場所さえもわからなくなってしまいましたよ」と教えてくれたのは、先住民族チャム人の詩人、インラサラさんだ。ロシアが建設するニントゥアン第一原発の予定地内に、チャム人の信仰する「波の神」ポーリヤッドがある。
その昔、津波から村人を救ったというチャム人の英雄がまつられていて、毎年、祭礼が行われる。「神様」といっても、チャム人には祠(ほこら)を塀で囲むという習慣はなく、建物もなくて、地面にリンガが立てられているだけだという。昨年までは許可を得て敷地に入れてもらい、ちゃんとリンガの前で祭礼ができた。今年5月に行ってみたら、もうリンガの跡形もなく、仕方ないので100メートルくらい離れた道路で祭礼を行ったという。「しょうがないね、ロシア人やベトナムの多数派のキン人には、ただの岩にしか見えないだろうし」と言いつつ、インラサラ氏は悔しそう。これは、単なる祠の破壊ではなく、信仰の破壊ではないか。
福島のように立ち入り禁止になったら
省都、ファンラン・タップチャムには、チャム人の建てたヒンドゥー教の古刹、ポクロンガライ寺院がある。省都はロシアの第一原発、そして日本の建てる第二原発の両方に南北を挟まれ、それぞれ20キロ圏内だ。
ポクロンガライ寺院(石橋由季子氏撮影)
丘の天辺にそびえる寺院から周囲の平野を俯瞰(ふかん)すると、チャンパ王国の最後の中心地として栄えていた18世紀にタイムスリップしそうだ。「あの丘のふもとの海岸あたりが、ロシアの第一原発、あの山の向こう側が日本の第二原発」。沖縄の学生たちに指さして説明をしながら、同時に、双葉町や大熊町の広大な土地が無人の荒野となった光景が重なった。
詩人のインラサラ氏は「チャム人はここで2000年の歴史がある。原発が爆発したからといって、民族の信仰の対象である寺院や先祖代々の墓地を捨てて、どこにも逃げる先はない」と断言する。ポクロンガライ寺院が、同慶寺のように立ち入り禁止区域になったらどうするんだろうか。でもチャムの人々に「どうするんですか」という質問はついにできなかった。あまりに、酷(むご)すぎると思う。
AJWフォーラム英語版論文
(2015年10月19日「AJWフォーラム」より転載)
http://www.huffingtonpost.jp/michiko-yoshii/nuclear-powerplant_b_8386188.html


原宿で紛争 トルコ人vsクルド系 7人重軽傷

2015-10-28 | 先住民族関連
日刊スポーツ-[2015年10月26日9時16分 紙面から]

騒然とするトルコ大使館周辺(Seyit Battal Kurtさん提供=共同)
 中東の民族紛争が、都心で発生した。25日午前、トルコ総選挙の在外投票が行われた東京都渋谷区のトルコ大使館付近で、集まった人たちが殴り合うなど乱闘騒ぎが断続的に起きた。警視庁原宿署によると、トルコ人とクルド系トルコ人の対立とみられ、7人が重軽傷を負い、制止しようとした同署の警察官2人も頭に軽いけがをした。騒動は午後には収束したが、民族問題の根深さが浮き彫りになった。
 トルコ総選挙は11月1日の予定で、この日は午前9時から日本各地に住む有権者の在外投票が行われた。原宿署や目撃者によると、トルコ大使館の周辺には最大で600人以上が集まり、午前6時50分ごろから同11時ごろにかけて数回乱闘が発生。路上の車を蹴ったり、ブロックを投げ合ったりする騒ぎになった。午後には騒動は収まったが、投票は午後9時まで行われたため、警視庁が夜間まで警戒を続けた。
 トルコ人とクルド系の人の双方が、極右系政党や非合法武装組織の旗を掲げるなどし、これが騒動の発端になったとの情報もある。トルコ大使館の男性職員は「私には(乱闘の)理由も原因も分からない」とだけ話した。トルコ政府は分離独立の動きを警戒し、与党が総選挙で勢力拡大を狙うが、前回選挙で躍進したクルド人系政党との対立が深まっている。
 大使館近くのマンションで管理人をする男性(62)は「午前7時ごろ近くを通ったら、大勢の人が並び、警察も出て物々しい雰囲気だった。興奮して大声を出している人もおり、不安に思っていた」と話した。
 現場は、JR原宿駅の北東約500メートルにあるオフィスビルやマンションが立ち並ぶ一角。子ども向けの玩具販売店では安全のため、店頭に出していた商品を片付け、入り口を施錠するなどした。
 午後に投票を済ませたトルコ人女性(27)によると、トルコ人約50人が乗り大阪や名古屋からやってきた大型バスが、クルド人約200人に襲われ、窓ガラスが割られたという。この女性は「クルド人は、トルコ人の集まりがある度にトラブルを起こしている。民族問題があることをアピールして、自分たちの難民という立場を守ろうとしている」という見方を示した。
 ◆クルド(KURD)人 トルコ、イラク、イラン、シリアの山岳地帯にまたがって住む中東の先住民族。この地帯をクルディスタン(KURDISTAN)と呼ぶ。人口は約3000万人で、独立した祖国を持たない民族としては世界最多。19世紀から自治や独立を求める闘争を続ける。トルコ国内でも少数派で、クルド語の使用や教育を制限されるなど、抑圧的な扱いを受けてきた。90年代以降、クルド人難民が来日。埼玉県南部で300~400人のコミュニティーを形成している。
http://www.nikkansports.com/general/news/1557642.html

神風特別攻撃隊出撃の地、パンパンガ州で慰霊祭。

2015-10-26 | 先住民族関連
約200人が戦争犠牲者の冥福と世界平和を祈願
日刊まにら新聞-2015.10.26
 太平洋戦争終盤、日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦。71年目となった24、25日両日、海戦に参加した神風特攻隊と戦艦武蔵に関連した行事がフィリピンと日本でそれぞれ行われた。
 太平洋戦争末期に神風特別攻撃隊が出撃してちょうど71年目に当たる25日、ルソン地方パンパンガ州クラーク特別経済区にある平和公園で戦没者慰霊祭が行われ、比日両国の関係者や地元住民ら約200人が戦争犠牲者の冥福と世界の平和を祈った。今年で18回目。
 日差しが照り付ける中、真言宗の護摩法要も行われ、参加者らはそれぞれの願いを書き込んだ護摩木を炎の中に投げ込んだ。
 集まったのは、地元マバラカット市のモラレス市長や空軍関係者のほか、先住民族アエタの子供たち約40人。また地元の大学で観光学を専攻する学生約20人が初めて参加した。日本側からは、戦没者の遺族や在留邦人、医療法人徳洲会の関係者らが参加した。
 モラレス市長は、ジョン・レノンが平和を願って作った曲「イマジン」の歌詞を引用し、「世界中で起こっている戦争などのトラブルに対する唯一の解決法は平和になることだ。世界はきっと一つになれる」と平和の大切さを語った。
 護摩法要を務めた最福寺(鹿児島市平川町)の僧侶、池口豪泉さん(51)は「第二次世界大戦が終了して70年後の今も、世界で紛争は絶えません。これからも、マバラカット市から世界に向けて平和を呼び掛けましょう」と参加者に向けて協力を呼び掛けた。
 一方、「戦争の歴史」を次世代へ継承する動きも着々と進んでいる。
 今回、若者に戦没者のことを知ってもらうため、初めて地元大学の学生らが慰霊祭に招待された。大学1年のシェリー・デビッドさん(16)=マバラカット市=は、「日本人観光客と接する機会も多い。日本と比の関係を学び、日本に対する理解を深めたいと思った」と語った。
 ルソン島で祖父が戦死したという山田貴嗣さん=愛知県名古屋市=は、戦争の恐ろしさを比日両国の若者に伝えるため、一般社団法人を設立している最中という。「戦争の記憶が薄れてきているように感じる。2度と戦争を起こさないためにも、次の世代に戦争の恐怖を伝えたい」と話し、今後の活動に意欲を見せた。
 神風特攻隊は1944年10月25日午前7時25分、クラーク特別経済区内にあった旧日本軍の飛行場からレイテ島方面に出撃した。特攻機は米護衛空母に体当たり攻撃を行い、撃沈した。(押田健太)
http://www.manila-shimbun.com/category/society/news220219.html

ワシントン・レッドスキンズの名称問題

2015-10-26 | 先住民族関連
西日本新聞-2015年10月25日更新
 チームは1933年から「レッドスキンズ」を使用。英英辞典で「レッドスキン」(赤い肌)は「米先住民にとって非常に侮辱的な言葉」などと記されており、先住民側は再三、使用中止を求め論争が繰り返されてきた。2013年、ニューヨーク州の先住民オネイダ族が上げた声にオバマ大統領も呼応。有力メディアも表記を控えるなど、かつてない反対運動に発展している。
http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/article/8376

知事公約「北海道150年」何やる? 財政難、アイヌ民族軽視批判も

2015-10-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/25 07:05、10/25 08:07 更新
 道は、2018年に予定している北海道150年記念事業の検討に着手した。高橋はるみ知事の4期目の目玉公約だが、北海道百年記念塔(札幌市厚別区)などに巨費を投じた100年記念当時とは財政事情が一変し、とても大型事業に手を出せる状況ではない。「開拓」以来の節目を祝うことに、アイヌ民族軽視との批判がある。どのような事業計画を描くか、難しい作業になりそうだ。
 18年は、開拓使が設置され、蝦夷地(えぞち)から北海道に改称された1869年(明治2年)から150年目に当たる。高橋知事は今春の知事選の公約に「北海道150年のマイルストーン(重要な節目)づくり」を盛り込み、7月に検討チームを設けた。ただ道幹部は「100年は大きな節目だが、今回は150年。財源が乏しくハコモノなんて無理だ」と打ち明ける。
 1968年の100年記念は、確かに一大事業だった。メーンは天皇、皇后両陛下を招いて開いた祝典だ。佐藤栄作首相が「道民の旺盛な開拓者精神によって、未開の地は希望の地として成長するに至った」と祝辞を述べた。
 記念事業では約2千ヘクタールの天然林を野幌森林公園(札幌市厚別区など)として整備。大卒初任給が平均約3万円だった時代に約15億円を投じ、記念塔と北海道開拓記念館も建設した。北海道博物館の山田伸一学芸員(近現代史)は「高度経済成長時代で道財政に余裕があった。政府の明治100年記念事業とも呼応し、大規模になった」とみる。
 今回はソフト型になり、歴史、芸術、文化関連の行事や情報発信が想定されるが、「知恵を絞らないと埋没しかねない」(ベテラン道議)との声も上がる。
 一方、事業そのものにも異論がある。過去の記念事業では北海道の「開基」を表す「開道」との表現が用いられた。だがアイヌ民族や研究者に「開拓使設置を起点とみる史観で、アイヌ民族の歴史を無視している」との批判が根強い。
 68年5月の北海道新聞に「百年(記念)塔の土台の下の土に、われわれアイヌ人の流した悲しい血がしみわたっていることも忘れないで」との投書が掲載された。投稿した釧路管内弟子屈町の詩人、戸塚美波子(みわこ)さん(67)は「150年記念事業も反対。アイヌ民族にひどいことをした歴史の理解が広がっていない」と話す。
 道は今回、開道を使わず、「北海道命名150年」とする。祝賀ムードを抑え、「アイヌ民族も含め、先人から受け継いだ財産を次世代につなげる機会にしたい」(政策局)としている。(報道センター 佐藤陽介)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0194391.html