先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

白老・マチの魅力ぎっしり…9編収録、PR動画製作

2014-09-27 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年9月26日(金)朝刊】
 白老町は9編からなる町のPR動画を製作、ホームページに搭載したほか、企業誘致の商談など各種機会をとらえて活用していくことにしている。
 放映時間6分4秒の「宝物」はじめ2分台の「町長インタビュー」「はしもと珈琲館」「アイヌ民族博物館」「ウエムラ牧場」「心のリゾート海の別邸ふる川」「ポロト湖のワカサギ釣り」「山菜料理グランマ」「ホースガーデンしらおい」の9編。
 「宝物」は町長や職員が白老の宝物を思案、町長が「この町には宝物がたくさん眠っている。みんな町に飛び出そう」と提案する。映像は白老インターチェンジ、日本製紙白老事業所、石山工業団地、白老港、アイヌ古式舞踊、ポロトコタン、虎杖浜温泉、倶多楽湖、食材王国を代表する白老牛、虎杖浜たらこ、卵、毛ガニを映し出し、役場に戻った職員が町長に「宝物が見つかりました」と報告する。
 ホームページに搭載したほか、DVDに収録して既に先月都内で開かれたビジネスセミナーで活用した。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/09/26/20140926m_08.html

神威岳を「ひぐまの森」に 札幌市など協定 ミズナラを4年かけ植樹

2014-09-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (09/26 14:17)
 札幌市南区の神威岳(983メートル)に、ヒグマの好物のドングリを増やそうという「ひぐまの森」づくりをめぐり、アイヌ民族の団体「アイヌアカデミーひぐま」、札幌市、石狩森林管理署の3者が25日、市内中央区の同管理署で協定を結んだ。協働して、今後4年間にドングリの実をつけるミズナラの苗木計千本を植える。ヒグマの餌の確保を目指す森づくりの協定は初めて。
 森づくりは、ヒグマが住宅地に下りてくるようになったのは「山中で餌のドングリが減っているためではないか」とみて、アイヌアカデミーひぐまが2012年から植樹に取り組んだことが始まり。
 澤井アク代表によると、アイヌ民族はヒグマを「カムイ」(神)と呼んで大切に扱ってきた。神威岳はアイヌ語で「カムイ・ヌプリ」=神の住む山を意味し、この植樹活動にふさわしい場所だとして、札幌市と石狩森林管理署に協力を求めていた。
 協定は25日から18年3月末まで、約3年半の期間。石狩森林管理署が国有林内に0・83ヘクタールの土地、札幌市は苗木をそれぞれ提供し、アイヌアカデミーひぐまがボランティアを募って、毎年250本ずつ植えていく。
 対象地は04年の台風で倒木被害が大きかった場所という。
 管理署の野口浩司署長は「森を豊かにしていくという点でも、意義深い取り組みだ。今協定の期間が終わっても、3者で相談して更新することになるだろう」と話している。
 今年の植樹は10月5日の予定。アイヌアカデミーひぐまはボランティアを募集している。
 参加無料。当日午前10時に、国道230号沿いの定山渓地区・百松沢駐車場に集合。昼食のほか、長靴、軍手、シャベル、クマよけの鈴などを持参する。アイヌ語地名の解説もある。午後3時ごろ終了の予定。雨天の場合は翌週に延期。希望者は、名前と人数を澤井代表の携帯電話(090・8908・7572)にメールで申し込む。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/565041.html

北海道をはじめとする日本の芸能文化を

2014-09-26 | アイヌ民族関連
エンタテインメントとして楽しんでいただく“和風ショー”
 @Press (プレスリリース)-  2014.09.25 11:00
「和風藝能舞台」がいよいよ10月7日から公演開始!
「和風藝能舞台(主催:キタイドム株式会社、共催:一般社団法人 東京国際文化交流協会(TICA))」のデビュー公演が、2014年10月7日(火)よりサンピアザ劇場(札幌市厚別区)にて始まります。
「和風藝能舞台」とは、北海道を含め日本全土の芸能文化(能・狂言、文楽、雅楽、神楽、日本舞踊、琉球舞踊、アイヌ音楽、民俗芸能、大道芸等)をエンタテインメントとして楽しんでいただけるよう構成された、今までになかった“和風ショー”です。札幌市内のホール等を会場に継続的に開催し、国内外からのお客様へ「和のおもてなし」をコンセプトに旅の思い出作りに貢献いたします。
「和風藝能舞台」 http://wahugeino.jp
◆増加する訪日外国人の要望から生まれた“和風藝能舞台”
近年、札幌にも海外からの旅行者(インバウンド)が急増しています。札幌市の調査によれば、市内に宿泊する外国人はアジア諸国からの旅行者が全体で約7割以上(内訳:上から台湾、香港、中国、韓国の順)を占めています。それらの国・地域から来られた旅行者や案内ガイドに聞いたところ、北海道の自然や食事、人の優しさにはとても満足しているのですが、「夜の時間にも、もっと観光をしたい」「日本の芸能・文化に触れたい」という要望があることがわかりました。
確かに中華文化圏のアジア各国では、旅先にて夜8時を過ぎてから街に繰り出し、地元の伝統芸能ショーを家族で鑑賞するなど、夜の時間も観光を楽しむスタイルが一般的です。しかし、旅行者のそのような期待に応えるようなサービスは、今のところ北海道全土にはあまり見当たりません。
◆時間が惜しい旅行者のために、複数の演目をまとめてコンパクトに披露
そこで民族、宗教、年齢や予備知識を問わず誰もが楽しんでいただける、日本の芸能文化をコンパクトに紹介する「和風藝能舞台」をスタートすることにしました。札幌市内のホール等を会場に、札幌市や道内他で活躍する演奏者やパフォーマーらで組織する「日本和風藝能団」が、さまざまな演目を披露、旅の思い出作りのお手伝いをいたします。
【実施概要】 名称     :「和風藝能舞台」
公演日時   :2014年10月~同年12月の予定
        10月7日(火)、14日(火)、21日(火)、28日(火)
        いずれも20時開演
        ~サンピアザ劇場(札幌市厚別区厚別中央2条5丁目7-5)
        JR新札幌駅から徒歩3分、地下鉄新さっぽろ駅から徒歩2分
        11月(地方公演等の予定)
        12月2日(火)、9日(火)、16日(火)いずれも20時開演
        ~サンピアザ劇場(同上)
出演     :「日本和風藝能団」
プログラム構成:北海道を含め日本全土の伝統芸能、パフォーマンスなどを、
        複数、コンパクトにエンタテインメントとして構成し
        披露します。
        邦楽演奏、日本舞踊、能・狂言、文楽、雅楽、神楽、
        琉球舞踊、アイヌ伝統芸能、民謡、大道芸、
        日本各地のお祭り、その他
        ※上演時間は約70分で途中休憩なし、
        定期的にプログラムは変更予定
チケット他 詳細 以下
http://www.atpress.ne.jp/view/51437

当真さん、発言機会逃すも「参加は意義」 国連先住民族会議

2014-09-26 | ウチナー・沖縄
琉球新報 2014年9月25日
 先住民族の権利保護、拡大について話し合う初の「先住民族世界会議」2日目が23日、国連本部で開かれた。「住民族の土地、領土と資源」をテーマとする第3分科会で発言予定だった国連NGO(非政府団体)「琉球弧の先住民族会」の当真嗣清さんは議事進行が遅れたため発言の機会を逸した。会議は同日、閉幕した。
 土地などをめぐる琉球人の権利について主張する予定だった当真さんは「発言できなかったことは残念だが、国連や先住民族の仲間が受け入れてくれたことは意義が大きい」と話した。
 当真さんは、琉球の土地が奪われた経緯について「琉球王国は独立国家で、1854年には米国との間に修好条約を結んでいた。79年、日本政府は琉球を強制的に併合し、私たちの土地を植民地化した。日本政府は同化政策を強制し、琉球の言語や土着の風習、宗教、生活様式を禁止、規制した」などと説明した上で、琉球人を先住民として認識することを日本政府に求め、米軍基地の撤去を日米両政府に要求する予定だった。
 先住民族世界会議の分科会には、日本から「北海道アイヌ協会」の阿部一司副理事長も参加した。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-232062-storytopic-3.html


糸数さん発言要旨 国連先住民族会議

2014-09-26 | ウチナー・沖縄
琉球新報 2014年9月25日
 県選出参院議員の糸数慶子さんは22日に開かれた「先住民族の権利の履行」をテーマにした分科会で登壇し、名護市辺野古の新基地建設について発言した。要旨は次の通り。
   ◇   ◇
 先住民族の権利を履行するという、日本政府の概括的な立場は歓迎したい。しかし日本政府が琉球民族を先住民族と認めていないことは大変遺憾に思う。
 国連先住民族権利宣言18条の意思決定に参加する権利を強調したい。この権利は、同宣言3条における自己決定権の行使の一形態だ。琉球民族は長年、沖縄の米軍基地に反対してきた。日本の面積の0・6%を占めるにすぎない琉球・沖縄に、在日米軍専用施設の74%が集中している現状は明らかな差別だからだ。
 しかし日本政府はこの意見を全く考慮せず、むしろ辺野古と高江に新たな軍事施設を建設しようとしている。琉球民族の多くが反対する基地建設の強行は、意思決定に参加する先住民族の権利に明白に違反するとともに国連宣言30条の軍事活動の禁止にも違反する。
 従って日本政府に、琉球・沖縄の先住民族の意見を尊重するよう要求する。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-232063-storytopic-3.html

蝦夷錦の道「北のシルクロード」——間宮林蔵が見たもの

2014-09-26 | アイヌ民族関連
nippon.com- [2014.09.25]
相原 秀起 【Profile】 社会 文化
豪華絢爛な絹織物をもたらした北の交易路
江戸時代、大陸を流れる大河アムール川(中国名・黒龍江)を経て、中国・南京から北海道に至る全長約5千キロにおよぶ壮大な交易路があった。「蝦夷錦(えぞにしき)」と呼ばれた中国の豪華な絹織物などを日本にもたらした「北のシルクロード」。日本人や中国人、幾多の先住民族が支えた、はるかなる北の交易路の残映を求めて、ロシア極東各地を歩いた。
この交易は日本で「山丹(さんたん)交易」と呼ばれた。山丹とは現在のウリチやニブヒなど流域の諸民族を指す。代表的な交易品が、黄色や紺色の絹地に金糸や銀糸で竜などの紋様を刺しゅうした「蝦夷錦」。江戸時代に蝦夷地(北海道)から渡って来た豪華な錦は、人々の北方へのロマンをかき立て、ブランド品として広く流通、僧侶のけさやふくさなどに使われた。現在でも京都・祇園祭のシンボルである山鉾の飾りとして250年前の蝦夷錦が使われている。逆にサハリンや北海道からは、中国の貴族が求めたクロテンやキツネなどの毛皮が運ばれた。
(地図)間宮林蔵が大陸に残した足跡
ユーラシア大陸とサハリンを隔てる間宮海峡へ向かった。江戸時代の1808年から翌年にかけて、探検家間宮林蔵(1780―1844年)は現地を踏査し、海峡の存在を発見。ドイツ人医師シーボルトが「間宮の瀬戸(海峡)」として紹介したことで世界に知られた。日本から現地へ行くには、ロシア極東の中心地ハバロフスク経由で同川河口の町ニコラエフスクナアムーレへ。そこからは未舗装道路をまる1日走る。最短でも3日掛かり。現在、ロシアでは帝政ロシア海軍の軍人の名にちなみ「ネベリスコイ海峡」と呼ばれている。
(写真)間宮海峡に面したラザレフの岩山からは、幅約7キロの海峡越しにサハリンが見えた
海峡を臨む大陸側の村ラザレフにそびえる「いす」と呼ばれる標高約130メートルの岩山に登った。頂上からは朝日に輝く海峡と、わずか7.4キロ先のサハリンが見渡せた。海峡は1月から3月は結氷し、スノーモービルで行き来できる。205年前の1809年8月、林蔵はサハリンからアムール川へ向かう交易隊に加わり、濃霧と激しい潮流と闘いながらようやく渡った。
(写真)間宮海峡に面したタバ湾。1809年8月、間宮林蔵はここに上陸した
海峡から南へ約80キロ、大陸側の沿岸にタバ湾と呼ばれる小さな湾がある。ここがアムール川との最短地点に当たる。林蔵が旅した2世紀前は「ムシボー」と呼ばれ、先住民の主要な交易ルートになっていた。林蔵も同湾に上陸し、大陸探検の第一歩をしるした。
(写真)間宮林蔵の肖像画(写真左)。タバ湾に残されていた古い道。林蔵の記録通りだった(写真右)
驚いたことに、同湾には明らかに古い道が丘の上の小川まで延びていた。道の長さは約120メートル、幅は5~8メートルほど。土の道は固く踏みしめられていた。林蔵は浜から丘の上まで舟を引き揚げ、タバ峠を越えて、キジ湖を横断してアムール川へ出たと記録している。道の位置、その様子は林蔵の記述通りだった。先住民と力を合わせて舟を引き揚げる林蔵の姿が目に浮かんだ。
林蔵が記した幻の交易地“デレン”
当時、アムール川の中流域には夏に中国・清朝の出先機関が設けられ、交易の場となっていた。その名は「デレン」。中国によってロシア人は排除されて、周辺にはいなかった。
清朝の役人は、諸民族からクロテンなどの毛皮を貢がせる代わりに、一定の地位と絹織物や木綿、針などを褒美として与えた。特に絹織物は日本で珍重され、交易品として流通し、江戸や京都にもたらされた。
(写真)間宮林蔵が記録したデレンの写生画(左図)。柵の周囲には諸民族の仮小屋が建つ。デレンから対岸を見た写生画(右図)。現在の山並みとよく似ていた=間宮林蔵「東韃地方紀行」(国立公文書館内閣文庫蔵)
林蔵の記録によると、デレンは一辺25メートルほどの四角の敷地を二重の柵で囲い、中に清朝役人が毛皮を徴収する小屋があった。それを取り巻くように常時500人もの諸民族が集い、仮小屋に泊まりながら毛皮や食料などの物品を交換し、大いににぎわっていた。
デレンはその後歴史上から消えて、「幻の交易地」とされていた。ところが、国立民族学博物館(大阪府吹田市)の佐々木史郎教授の調査によって有力な候補地が浮上した。中流域の工業都市コムソモリスクナアムーレから約120キロ東のノボイリノフカ。アムール川右岸の漁村だ。中州には「デレン島」と呼ばれる島があり、地形も林蔵の地図とぴたり一致。周辺からは中国製の磁器の破片も見つかっていた。
語り継がれていた北のシルクロードの歴史
ノボイリノフカを訪ねた。住民は約40世帯110人。村人は漁業で生計を立てている。雨雲の下、川幅約2キロの広々としたアムール川が目前をゆったりと流れる。川岸には厚く泥が堆積していた。岸辺に立って、林蔵の写生図と見比べると、対岸の山並みの輪郭は非常によく似ていた。
(写真)林蔵が訪ねた交易地「デレン」の有力候補地ノボイリノフカ
その様子を興味深そうに見つめている男性がいた。近隣の村に住むナナイのワレリー・ラドさん(63)。ラドさんは交易地について知っていた。35年前に死んだ父親から聞いたという。大伯父がラドさんの父に語り継いでいた。
「昔、この近くに大きな交易地があった。名前は聞いてないが、夏に遠くからも多くの人が集まり、クロテンやキツネ、アナグマなどの毛皮と、米や茶、塩、たばこ、ソバなどと交換していた」
ラドさんは「その交易地が『デレン』という名前ならば、それはウリチ語で『机』という意味だ」と教えてくれた。
(写真)ノボイリノフから見たアムール川対岸の山並み
北海道最北端の宗谷岬から北に約800キロ。悠々と流れるアムール川のほとり。やはり、この地に林蔵が訪れたデレンがあったのか。風が渡る川面の向こうから人々の喧噪(けんそう)が聞こえるような気がした。
(写真)アイヌの血を引く人々。鮮やかな蝦夷錦
北方交易を物語る蝦夷錦などの品々は、流域各地に数多くあった。
ウリチやナナイら先住民が多く暮らす下流域のブラバ村の博物館には、青色の絹地に竜を刺しゅうした古い蝦夷錦の布が展示され、祭事に使われたとされる日本渡来の漆器も展示されていた。村内の民家から見つかったというアイヌ民族の酒造り用の器もあった。
(写真)ハバロフスク地方博物館に収蔵されている蝦夷錦。服の中央には金色の竜が躍る
同村にはアイヌ民族を始祖とするクイサリ一族が暮らしていた。「クイ」とはアイヌ民族の意味だ。19世紀後半、3代前のセキンが北海道からこの地へ移り住んだという。一族は1着の蝦夷錦の服を大切に保存していた。クロテン狩りの名人だった2代前のスイルツーが毛皮と交換して、5人の子どもに1着ずつ与えたものという。青色の地に金色の竜が舞う。一族は身内の葬儀の際、錦を切ってひつぎに入れた。「天国でもお金に困らないようにと」との願いを込めて。
1着だけ残った蝦夷錦は、1世紀前の織物とは思えぬほど良い保存状態だった。同村芸術学校長でもある一族のユーリー・クイサリさん(53)は「この服は一族の宝。りりしく狩猟がたくみで、村人からも尊敬されていた先祖と、アイヌの血を引いていることを私たちは誇りに思っている」と胸を張った。
(写真)ブラバ村のクイサリ一族が大切に保存する蝦夷錦
コムソモリスクナアムーレ市郷土博物館には、蝦夷錦をまとった不思議な人形が展示されていた。ナナイの村で収集されたもので、死者を埋葬する際には替わりに1体の人形を家に置き、1年後に焼く風習があったという。黒い小さな目の人形は、何らかの理由で焼かれず、その後も火事などが起きても不思議と焼失を免れた。さらに場所を移す度に災いをもたらすと伝えられていた。
日中の“文化回廊”アムール川
ハバロフスク地方郷土博物館やニコラエフスクナアムーレ市博物館にも、蝦夷錦の官服や祭事用の服が残されていた。蝦夷錦に詳しい函館工業高等専門学校の中村和之教授(北東アジア史)によると、北海道内にも函館や松前などに約30点があり、青森県にも佐井村などに約40点の蝦夷錦が残っている。
当時、アムール川は中国と日本をつなぐ、まさに「文化の回廊」だった。同川流域に残る蝦夷錦や貴重な文化財は、当時の活発な交易活動と人々の交流の様子を今に伝えていた。
写真はすべて著者による撮影
タイトル写真=5カ月間におよぶ氷の季節をようやく終え、5月下旬に再び流れ始めたアムール川。河口から上流約70キロにあるマゴの丘からは幅10キロの大河が見渡せた。斜面にはエゾムラサキツツジがピンク色の花を咲かせる。
http://www.nippon.com/ja/column/g00211/

NZ・キー首相、国旗のデザイン変更するための国民投票訴え

2014-09-26 | 先住民族関連
国際総合(フジテレビ系(FNN)) 09/25 19:54
世界中が固唾(かたず)をのんで見守った、イギリスからの独立を問うスコットランドの国民投票から、25日で1週間。ある国で、「ユニオンジャック」が入った国旗のデザインを変更しようという動きが浮上してきている。
暗闇の中、繰り広げられる、先住民族「マオリ」の勇壮な歌と踊り。
南半球のニュージーランド。
自然のもの全てを神聖なものとあがめる彼らが、その昔、道具として使っていたある植物が、意外な注目を集めている。
大接戦の末に独立が否決された、スコットランドの住民投票。
この結果に、国連総会のため、ニューヨークを訪れているイギリスのキャメロン首相は「女王は喜んでいた。あんなに幸せそうな声は聞いたことがない」と述べた。
キャメロン首相は、テレビカメラが回っているのに気づかず、公にしないことが暗黙の了解とされるエリザベス女王の言動をポロリ。
キャメロン首相は「安心とは、イギリスの首相として女王に電話して、『大丈夫です、OKです』ということなんですよ」と述べた。
ともあれ、ぎりぎりのところで独立が否決され、デザインの変更を免れたユニオンジャック。
ところが、イギリスからおよそ2万km離れたニュージーランドでは、ある動きがある。
ニュージーランドのキー首相は23日、「2015年に国民投票をして、ニュージーランド国民に『イエス』か『ノー』かを決めてもらいたいと考えてる」と述べた。
キー首相が訴えているのは、国旗のデザインを変更するための国民投票。
ニュージーランドは、カナダやインドと同様、かつてはイギリスの植民地で、50カ国以上にものぼるイギリス連邦の一国として、今もイギリスと強いつながりがある。
20世紀初めに採用された国旗は、ユニオンジャックと南十字星を取り入れているが、隣国オーストラリアの国旗と似ていると、以前からデザインの変更を求める声が、一部で上がっていた。
こうした中、新たな国旗のデザインとして、注目されているのが、「世界最強」とうたわれるラグビーのニュージーランド代表の「オールブラックス」。
彼らのユニホームの胸の部分に描かれた、「シルバー・ファーン」という植物。
ニュージーランドを象徴する銀色のシダ、シルバー・ファーン。
先住民族「マオリ」のラハルヒさんは「シルバー・ファーンは、世界中のどこにもなく、あるのはニュージーランドだけです。(シルバー・ファーンは)外が暗くなると使います」と話した。
ニュージーランドの先住民族「マオリ」。
シルバー・ファーンは、月明かりに反射するため、古くから道しるべとして使われている。
ニュージーランドの街の至るところで目にする、シルバー・ファーンを取り入れたデザイン。
キー首相は、地元記者団に対し、「個人的にはシルバー・ファーンがふさわしい」と語っており、今後、デザインを募集したうえで、国民投票をしたい考え。
オークランド市内では「(国旗変更に賛成?)賛成、今のニュージーランドを表す旗が必要だ」との声が聞かれた。
マオリの女性は「わたしは、シルバー・ファーンをデザインした旗の方がいい」と話した。
一方、退役軍人などからは、根強い反対もある。
退役軍人のドロシー・ガーディナーさんは「(現在の)この旗は、100年使っています。変えるのはおかしいと思います。古いままじゃ駄目ですか?」と話した。
ニュージーランドの国王は、イギリスのエリザベス女王。
スコットランドの一件が終わり、胸をなで下ろす女王にとって、新たな悩みの種となるとみられる。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00277366.html

国連気候サミット、「伐採ゼロ宣言」文書準備に森林大国ブラジルは招かれず

2014-09-26 | 先住民族関連
MEGABRASIL 9月25日(木)
(9月)23日にニューヨークの国連本部で開催された気候サミットで、2030年をめどに森林伐採をゼロにする「伐採ゼロ宣言」への調印が求められたが、伯国(ブラジル)は調印しなかった。24日付伯字紙が報じている。
「伐採ゼロ宣言」は森林の伐採を2020年までに半減し、30年にはゼロにしようとするもので、その文書は欧米諸国を中心に準備された。
この場合、伐採そのものを完全に止めるというものではなく、伐採を行なった場合はその分、植林を行なうなどして相殺することも意味している。
現在、世界で1年間に排出されている温室効果ガスは495億トンに上るが、そのうちの20%が森林伐採によって引き起こされている。
今回の調印に関しては、国連の潘基文事務総長も「森林伐採による温室効果ガスの排出量は米国が1年で排出するそれの量と等しい」と強く呼びかけており、すでに国連加盟193カ国中32カ国と39の多国籍企業のほか、非政府系団体や先住民グループなどが調印に応じている。
また、欧州の国や金融機関は、国の発展のために工業化を進める意味で森林伐採に難色を示す発展途上国に対し、「森林を保存もしくは再生できた場合は最低でも10億米ドルの支援を行なう」ことも約束している。
このサミットでは、南半球最大の森林量を有する伯国の立場が注目された。
この日、ジウマ大統領は演説で、「伯国は2004年以来、森林伐採量を79%削減することに成功した」と語った。だが、「しかしながら、伯国は伐採ゼロの約束はできない」と答え、調印には応じなかった。
この件に関し、イザベラ・テイシェイラ環境相は、伯国は今回の「伐採ゼロ宣言」の準備には招かれておらず、連邦政府には8月末に同宣言の文面のコピーが送られて来て、何の修正もせずに承認するよう求められたと説明している。
文書を準備したグループは伯国も準備作業に加わることができるよう努力したが、叶わなかったという。
今回、ジウマ大統領が調印に応じなかったのは、伯国の森林法との兼ね合いがあるからだ。
森林法では、農業や林業のために必要不可欠な伐採が認められている。伯国の森林伐採の主要要因の一つは、大豆栽培などのための農牧地拡大だ。
今回の「伐採ゼロ宣言」では合法な伐採と不法な伐採の区別がなく、すべての伐採をゼロにすると理解すれば、国内法が認めている伐採も認められなくなってしまう。
また、環境団体、環境投資エージェンシーのアレッシャンドレ・ヴォン・ビスマルクさんのように「国に秘密で高額を払って伐採を促す連中が世界にいる限り、問題
の解決にはならない」と国際的な不法伐採を問題視する声もある。
一方、ジウマ大統領の対抗馬である大統領候補で元環境相のマリーナ・シウヴァ氏は「国土の60%が森林の国が調印に応じないなんて」と今回の調印保留を嘆いた。
(記事提供/ニッケイ新聞、写真/Elza Fiuza/Agência Brasil)
写真は2月21日にブラジリアでアマゾンの森林破壊件数を公表するイザベラ・テイシェイラ環境大臣
http://megabrasil.jp/20140925_14246/

先住民の住む離島 コンビニ店員に求める条件とは/台湾・蘭嶼

2014-09-26 | 先住民族関連
中央社フォーカス台湾 2014/09/25 14:35
【観光】
(台東 25日 中央社)台東県の離島、蘭嶼で初めてとなるコンビニが今月19日にオープンしてから1週間が経過した。すでに多くの利用客でにぎわう店内では、離島ならではの事情で、レジを担当する店員4人に、島民全員の顔を覚えることが必要とされている。
蘭嶼のセブンイレブンには、おでんやコーヒー、味付け煮卵、フランクフルトなど台湾本島の店舗と変わらない商品が並ぶ。取り扱いが見送られた商品もあるが、新聞など台東から空輸されるものもある。だが、そのために増大したのが輸送コストだ。
そこで導入されたのが、島民以外の利用客から10%の割増料金を徴収するシステム。店員は会計時に利用客の顔を瞬時に見分けなければならない。だが、店員らは「そんなの簡単だよ」と涼しい顔で答える。人口約4000人の蘭嶼では、住民のほとんどが台湾原住民(先住民)のタオ族(ヤミ族)で、「一目で分かる」という。
台風16号が接近した先週は、商品の輸送手段が途絶えた。一時は冷凍食品が品切れになったが、きょうにも補充されるという。
(盧太城/編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/atra/201409250004.aspx

レオナルド・ディカプリオがインスタグラム開設 最初の写真は?

2014-09-26 | 先住民族関連
crank-in 2014年09月25日 13:49
 先日、国連の平和大使に就任した人気俳優レオナルド・ディカプリオ。これまでツイッターや公式サイトなどでコメントや情報を発信してきたが、このたびインスタグラムを始めたことが分かった。
 レオがインスタグラムのアカウントをオープンしたのは現地時間9月23日。この日レオは、国連本部で開催される気候サミットで演説しているが、最初に掲載した写真は潘基文(パン・ギムン)国連事務総長との2ショットだった。
 顎と口にヒゲを生やし、髪の毛をオールバックにしてスーツを着ているレオは、「僕は今日、2014年国連気候サミットで演説する機会に恵まれる。このサミットでは世界の指導者たちが、気候変動に関する問題に取り組むための大胆な対応策を発表するだろう。潘基文国連事務総長に感謝する」とコメントしている。
 現在までに掲載されている写真の数は6枚。どれも気候サミットに関するものだが、中には米クリントン政権時代の副大統領アル・ゴア氏との2ショットもあった。レオは会議の様子を遠目に撮った写真のキャプションで、インスタグラムに参加するきっかけになったのが国連大使になったことだと示唆している。
 レオはまた、気候サミットに先立ち9月21日(現地時間)、ニューヨークで行われた「People’s Climate March」にも参加。映画『シャッターアイランド』で共演した俳優マーク・ラファロや、アメリカ先住民のイロコイ族の運動家オレン・リヨンズらと共に、気候問題への意識を高めるためにマンハッタンを行進した。
 「俳優&環境保護主義者」という自己紹介があるレオのインスタグラム。9月26日正午現在、すでに28万人以上のフォロワーがいる。
http://www.crank-in.net/celeb_gossip/news/32954

菅江真澄と上ノ国(4)

2014-09-26 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年09月24日
北海道への旅 まなざしの系譜【北海道への旅 まなざしの系譜】
■コタンに響く女たちの声
 江戸時代の後期に上ノ国(蝦夷地の日本海側)などを旅した文人の菅江真澄は、そのようすを紀行「えみしのさへき」などに残した。印象深いのは、アイヌのコタンやその文化への言及だ。
 例えば小茂内(こもない)(現在の乙部町鳥山)の夕暮れのくだり。一帯は深い霧が立ちこめていたが、ナマコ漁に出た男たちが迷わず帰って来られるように、浜では太鼓などが打ち鳴らされていた。真澄は、こんなときアイヌのコタンでは、夫の舟をメノコ(女)がひとりで呼ぶ、と書いている。すると近隣からもメノコが出てきて、やがて2里3里もの浦々の声が響き合ってたいそうもの悲しくしみじみとした世界が現れるという。女たちの悲痛な呼び声は、きっと独特の節回しに乗っていたのだろう。天の厳しい差配と向き合う生身の人間が作り出す、なんと清冽(せいれつ)な世界だろうか。
 さらに興味深いのは、小砂子(ちいさご)の浦の挿話だ。小砂子は、上ノ国町の南端の集落。真澄はここに小人伝説があると書く。小砂子の語源はアイヌ語のチセムコ(立岩の水源)だというから、この意味から小人にはつながらない。和人が読み換えた地名が、そこから別の文脈でアイヌの小人伝説を招き寄せたのだろうか。フキの下にいるという、あのコロポックルの話だ。
 真澄によれば、かつてこの浦に1メートルに満たない小さな男たちが沖からたくさんやってきた。土地の人々は驚いて彼らが帰るのを追ったが、波のあいだに見失ってしまう。以来朽ち木のかけらが打ち寄せられることがあるが、それは小人の国の網の浮子(うき)だという。真澄は、いやそれは紅毛(こうもう)人が持ってきたコルクだろうと、自説をのべている。
 真澄が腰を据えた松前から海沿いを北上すると、天気がよければ水平線に小島と大島が見えている。ふたつの島はちょうど小砂子の先から見えなくなっていく。小人たちの国とこれらの島は関係があったのだろうか。
 人は言葉によって世界と交わり、世界を分節してきた。自分を取り巻くものに祝福を贈り、あるいは呪いをしずめる。当時の松前には沖ノ口番所があり、旅人は厳しく改められた。労働者と商人以外は上陸を許されなかったのだ。文人である真澄が上陸できたのは有力者の後見があったからだが、僕たちはその人物のおかげで、蝦夷地と日本語が交わったさまを、いまリアルに受けとめることができる。
(文・谷口雅春 写真・露口啓二)
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20140924011260001.html

深まる秋。いま、もっと日本を知りたい。

2014-09-25 | アイヌ民族関連
日刊アメーバニュース-2014年09月24日 22時45分提供:MYLOHAS
まだ外国人が自由に国内を旅行することができなかった明治時代、日本の奥地をひとりで旅したイギリス人女性がいます。ヨークシャー出身のイザベラ・バード。当時は世界的に見てもめずらしかった女性の旅行家で、1878年6月から3か月にわたって東北を歩き、そのときの様子を「日本奥地紀行」という本にまとめています。
イザベラがこの地を訪ねた1878年は、日本最後の内戦となった西南戦争が終結した翌年。農民の生活は幕末よりも一層困窮を極めていた時期でした。そんな時代に彼女が東北で見たのは、美しい自然に囲まれた山峡の村々と、村人たちの外国人に対する異常なまでの好奇心。行く先々で群衆に囲まれ、宿屋に入れば中庭まで伸びる人垣。人々の好奇な目に辟易しながらも、彼女は訪れた村々の風景から村人たちが身に付けている着物、育てている作物まで、日々の営みをこと細かに観察し、記しています。
イギリス人女性が見た、1878年の東北の農村 それには時に、非常に貧しい村の様子も記述されています。ですがそのいっぽうで、東北の山奥にまるで理想郷のような村が存在していたことも記されています。農民にとってとても厳しい時代だったこのころ、他の歴史本でそのような記述を見いだすことはできず、とても貴重な記録だといえるでしょう。とくに蝦夷地に入り、アイヌの人々と過ごすくだりは秀逸。アイヌの民族文化を丁寧に観察した手記で、その精神性までもがよく描かれています。
明治初期の日本の農村の様子を浮き彫りにするこの旅行記は、外国の人々にとってはもちろん、現代の日本人にとっても非常に興味深いもの。また、著者のイザベラ・バードにも注目です。彼女は病弱な幼少期を過ごし、大人になってからもけっして健康な身体の持ち主とはいえませんでした。それでも、まるで自分の限界を知ろうとするかのように世界中を旅します。とくに40歳を過ぎてからの時間は大半を旅に捧げたといってもいいでしょう。人としての強さを感じさせる人物です。
1880年の初版から、版を重ね続けている「日本奥地紀行」。昨年もまた、新訳が発行されました。ぱらぱらとページをめくっていると、日本の山村を旅してみたくなります。この秋、美しい日本の風景を探しに、小さな旅へ出かけてみるのもいいかもしれません。
[日本奥地紀行]
Momiji, Rice paddies via Shutterstock
http://news.ameba.jp/20140924-677/

アイヌ民族の伝統儀式披露 「こたんまつり」盛況 旭川(動画)

2014-09-25 | アイヌ民族関連
北海道新聞(09/24 10:45)
 【旭川】アイヌ民族の文化を伝え、地場産果物を使ったスイーツなども楽しんでもらう第57回「こたんまつり」が23日、旭川市神居町神居古潭の石狩川に面した旧神居古潭駅周辺で開かれ、多くの人が訪れた。
 市や旭川商工会議所、旭川チカップニアイヌ民族文化保存会などによる実行委の主催。
 保存会の会員と旭川龍谷高郷土史研究会メンバーら合わせて約30人が、ヤナギの棒でできた「イナウ」を使い、人々の安全や幸せを祈る儀式「カムイノミ・イナウ式」を行った後、「鶴の舞」「弓の舞」などが披露された。
 特設ブースでは神居古潭産のプルーンやリンゴ、カボチャなどを使い、市内の菓子店とパン店が作ったオリジナルスイーツやパンが限定販売され人気を集めた。地場産野菜などが入った「こたん鍋」などにも行列ができた。(弓場敬夫)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/564527.html

アイヌ民族の伝統儀式披露 こたんまつり盛況(動画)

2014-09-25 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (2014/09/24)
 アイヌ民族の文化を伝え、地場産果物を使ったスイーツなども楽しんでもらう第57回「こたんまつり」が23日、旭川市神居町神居古潭の石狩川に面した旧神居古潭駅周辺で開かれ、多くの人が訪れた。(9月24日朝刊 地方版に掲載)
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=event&v=843502055002

祈り、遊んで秋の味覚に舌鼓 笑顔のしらおいチェプ祭

2014-09-25 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2014年 9/24)
 サケを代表とする自然の恵みに感謝する第26回しらおいチェプ祭が20、21日に白老のポロト湖畔広場で開かれ、多くの町民が秋の味覚やアイヌ民族の伝統料理、各種イベントを楽しんだ。
 今年は町制60周年記念事業としても行われ、開催日を2日間に拡充。初日に伝統家屋「チセ」で神々に祈りをささげる儀式「カムイノミ」を行ったあと、特設ステージでは、前浜で水揚げされたサケや協賛提供された日本酒が当たる宝引き、カラオケ大会などでにぎわった。
 登別市から参加した細川美樹さん(39)は子どもと一緒に宝引きに参加。親子でサケとおサケの両方を引き当てる幸運ぶりを発揮し、「今夜はダブルの〝サケ〟で楽しみたいですね」と笑顔を見せた。
 会場内では飲食店による出店のほか、「チマチェプ」(サケの串焼き)や「チェプオハウ」(サケの塩汁)、イナキビご飯などが販売され、来場者からも大好評。小中学生を対象とした弓矢体験では、初めての挑戦に四苦八苦しながらも多くの子どもが上手に矢を飛ばして喜んでいた。
http://www.tomamin.co.jp/20140917166