先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

外国人観光客増やすカギは?/国際的には少なすぎる「年間1000万人」

2013-09-26 | 先住民族関連
マイナビニュース  [2013/09/24]
 日本政府観光局(JNTO)によると、8月に日本を訪れた外国人客数は90万7000人となり、8月としては過去最高水準を記録しました。これにより、1月から8月の累計は686万4000人となりました。政府は観光立国を目指し、年間の訪日外国人数を1000万人にするという目標を掲げているのですが、この目標を達成できる可能性がより現実味を帯びてきたといえます。
 東京オリンピックの開催も決まり、外国人観光客の増加に大きな期待が寄せられているわけですが、実は年間1000万人という数字は、国際的に見ると非常に少ない水準なのです。本来であれば、もっと多くの外国人観光客を呼び込むことが可能です。
目標達成してもフランスの8分の1
 仮に年間1000万人を達成したとしても、英国の3分の1、米国の7分の1、中国の6分の1、フランスの8分の1程度です。長い歴史と伝統を持ち、1000万人以上の大都市を要する先進国は、ほとんどが観光大国となっているのですが、その唯一の例外が日本なのです。
 英国やフランスなど欧州の国は、陸路で複数の国を移動できるという利点がありますし、世界経済の中心地である米国にはそもそも人の行き来が多いなど、日本にとって不利な面もあります。しかし、地理的な条件が近い中国にも大量の外国人が訪問している状況を考えると、やはり日本を訪れる外国人は少ないと考えてよいでしょう。
 世界経済フォーラムでは世界各国の旅行・観光競争力ランキングを発表しています。日本は交通機関や通信インフラなどハード面の順位は7位とまずまずなのですが、国民における観光との親和性といったソフト面は140カ国中77位とかなり低い結果になっています。
 日本社会は一部の地域を除くと、外国人観光客に対してあまりオープンではありません。外国人というとすぐに英語が思い浮かぶのですが、これは言葉の問題というよりも、生活習慣や文化が違う人がやってくることを当初からあまり想定していないということが大きく影響していると考えられます。
「マオリの入れ墨入浴拒否」の教訓
 最近では、北海道を訪れていたニュージーランドの先住民族マオリの女性が、アゴにある小さな入れ墨を理由に温泉の入浴を断られるという出来事がありました。この女性は、北海道で開催されていたアイヌ語の復興を目指すイベントに講師として招かれていた人物で、相互文化交流の一環として、日本文化の象徴である温泉を体験しようと入浴施設を訪れていたところでした。
 こうしたトラブルが発生するのは、言葉の問題ではなく、異なる文化圏との接し方が不慣れという面が大きいのです。このようなソフト面の改善を地道に行っていけば、外国人観光客の数は何倍にも増やせるはずですし、逆に言えばいくらハード面を充実させてもこうしたソフト面が追いつかなければ、観光客を増やすのは難しいでしょう。もし日本が本当に観光立国を目指すのであれば、日本人の日常的な行動から取り組んでいくことが重要なのです。
(The Capital Tribune Japan)
本記事は「THE PAGE」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。
http://news.mynavi.jp/news/2013/09/24/208/

サラワクエナジー、「世界最悪の企業」候補に 汚職や先住民無視=スイスNGO

2013-09-26 | 先住民族関連
アジア エックス-2013年09月25日 13:17 マレーシア
〈クアラルンプール〉
スイスの非政府組織(NGO)、ブルーノ・マンサー基金(BMF)は、サラワク州政府系のサラワク・エナジー(SEB)を、「2014年パブリック・アイ・アワード」で世界最悪の企業にノミネートしたことを明らかにした。2014年1月の世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)の開催と並行して、世界で最も卑劣で恥ずべき事業を行っている企業を選ぶ不名誉な賞。専門家による審議と一般市民からのオンライン投票で決定される。
BMFは、SEBの事業は汚職まみれで、先住民族や環境を無視したものであると指摘。サラワク州の環境保護団体、SAVEリバーズ・ネットワークや非営利組織(NPO)のボルネオ資源研究所(Brimas)、人権団体「マレーシア人民の声」(Suaram)、豪タスマニアのヒューオン渓谷環境センターもSEBの「パブリック・アイ・アワード」への選出を支持している。
人民正義党(PKR)サラワク支部のシー・チーハウ議員は、SEBがムルム水力発電ダムの建設を、環境影響評価(EIA)が終わる前に始めたことや、先住民族のペナン族と協議を行わずに着工したことを指摘。ダム建設地に住んでいたおよそ1,350人のペナン族が移転を強制されたことや適切な賠償が行われていないことなどを理由に、SEBの事業は無責任な方法で行われていると批判した。ペナン族の移転先は別の先住民族が先祖代々受け継ぐ土地で、民族間の軋轢の原因となっているという。
SEBはムルムをはじめ、サラワク州の奥地12カ所で水力発電ダムを建設する計画を推進している。
http://www.asiax.biz/news/2013/09/25-131744.php

サラワクエナジー、「世界最悪の企業」候補に…汚職や先住民無視=スイスNGO

2013-09-26 | 先住民族関連
レスポンス 2013年9月25日(水) 08時00分
スイスの非政府組織(NGO)、ブルーノ・マンサー基金(BMF)は、サラワク州政府系のサラワク・エナジー(SEB)を、「2014年パブリック・アイ・アワード」で世界最悪の企業にノミネートしたことを明らかにした。
2014年1月の世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)の開催と並行して、世界で最も卑劣で恥ずべき事業を行っている企業を選ぶ不名誉な賞。専門家による審議と一般市民からのオンライン投票で決定される。
BMFは、SEBの事業は汚職まみれで、先住民族や環境を無視したものであると指摘。サラワク州の環境保護団体、SAVEリバーズ・ネットワークや非営利組織(NPO)のボルネオ資源研究所(Brimas)、人権団体「マレーシア人民の声」(Suaram)、豪タスマニアのヒューオン渓谷環境センターもSEBの「パブリック・アイ・アワード」への選出を支持している。
《千田真理子》
http://response.jp/article/2013/09/25/207063.html

新ひだかでシャクシャイン法要祭(動画ニュース)

2013-09-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (2013/09/25)
 アイヌ民族の英雄シャクシャインをしのぶ「第67回シャクシャイン法要祭」が23日、町内の真歌公園で開かれ、全道各地のアイヌ民族関係者ら約千人が、祈りをささげた。(9月24日朝刊 苫小牧日高版に掲載)
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=News&v=608191683002

再発見・松浦武四郎(後編) 奇跡的に

2013-09-26 | アイヌ民族関連
NHK 9月25日 10時7分
幕末から明治にかけて、激動の時代を生きた松浦武四郎。
6回にわたり詳細に蝦夷地を調査して、アイヌの人たちと交流を深めました。
しかし、明治維新を挟み、それまでとは全く異なった人生を送ることになります。
そこには何があったのか。
新たに確認され、10月に初めて公開されることになった資料などを基に探ります。
「武四郎涅槃図」
この一風、変わった絵は「武四郎涅槃図」と呼ばれています。
中央に寝そべっているのは、松浦武四郎その人。
「画鬼」とも呼ばれる絵師・河鍋暁斎に描かせたものです。
身に着けているのは、大きな首飾り。
武四郎の背後に設けられた台の上には、30点余りの置物があります。
このうち20点は、今回行われた静嘉堂文庫の所蔵品の調査で、現存することが確認されました。
武四郎は、自分が集めた、いわば「お気に入りの品々」を絵の中に描かせていたのです。
蝦夷地の専門家として知られ、幕末の志士たちとも交流した武四郎にしては、やけに優雅なその姿。
一体、武四郎に何があったのでしょう。
“北海道内の地名の名付け親”
明治維新を経て、蝦夷地の専門家として大久保利通をはじめとする政府の要人に認められた武四郎は、「開拓判官」という官僚に取り立てられます。
蝦夷地の新しい名前を考えるよう命じられた武四郎は、6つの案を提示します。
その1つが、「北加伊道(ほくかいどう)」。
「北にあるアイヌの人々が暮らす大地」という意味です。
基本的には、この案が採用され、新しい名前は「北海道」に決まります。
また、武四郎は、「石狩」や「釧路」など、アイヌの人たちに伝わっていた地名を基に11か国・86郡の呼び名を決めました。
私たちが慣れ親しんでいる北海道内の地名には、武四郎が抱いていたアイヌの人たちを尊重する気持ちが込められていたのかもしれません。
政府との決別
しかし、武四郎の残した記録によれば、江戸時代から続いてきた「和人」によるアイヌの人たちへの迫害は、やむことがなかったといいます。
アイヌにとって不利な交易を押しつけ、強制労働に従事させる。
反乱があれば、指導者をだまして毒殺さえする。
疱瘡(天然痘)などの病気を持ち込む。
武四郎は、何とかアイヌ民族の待遇改善に取り組もうとしましたが、和人の一部はそれを疎んじ、武四郎の上司に賄賂を贈って妨害しました。
アイヌの人たちのために、自分は何もできない。
そう考えたからでしょうか、武四郎は、僅か半年で開拓判官を辞任。
二度と北海道を訪れることはありませんでした。
それでも武四郎が残した数多くの記録は、今、改めて注目されています。
武四郎が書き残した資料には、アイヌの人たちの文化や生活の様子が極めて詳細に描かれています。
それを、ほかの同時代資料とも照らし合わせることで、当時のアイヌ民族の具体的な姿を浮かび上がらせることができるのではないか。
そうした研究が進められているのです。
北海道開拓記念館の三浦泰之学芸員は、「武四郎は虐げられた人たちの様子だけでなく、人望のあるリーダーや、ときにはしたたかに、たくましく生き抜いたアイヌの人たちの姿も記録として残している。武四郎の記録も含めて、さらに多角的な研究を行うことにより、当時の北海道(蝦夷地)の“本当の姿”を、より豊かに描き出せる可能性がある」と話しています。
武四郎の古物と静嘉堂文庫
政府を離れ、「馬角斎(ばかくさい)」という雅号を使うようになった武四郎は、古物の収集に熱中します。
気に入った物があれば、何度も相手の家に押しかけ、時間を忘れて眺め続ける。
そして、借りたら返さず、自分のものにしてしまう。
「他人のものは自分のもの。自分のものは自分のもの」といった一面を、武四郎は持っていたのかもしれません。
武四郎自身の著作や手紙それに書画などは、武四郎の遺族から彼の生誕地にある三重県松阪市の松浦武四郎記念館に寄贈され、現在では、およそ1500点が国の重要文化財に指定されています。
それ以外にも、武四郎は膨大なコレクションを持っていたはずですが、そうしたなかで“再発見”されたのが、今回の静嘉堂文庫の資料でした。
静嘉堂文庫には、三菱グループの基礎を築いたとされる岩崎彌之助とその長男の小彌太が収集した絵画や書籍、陶磁器などが保管され、7点の国宝を含むことでも知られています。
しかし、なぜ、武四郎のコレクションが静嘉堂文庫にあるのでしょうか。
武四郎と岩崎家との直接のつながりを示す資料は見つかっておらず、詳細な調査を行った内川准教授も首をひねります。
ただ、幕末から明治にかけての個人コレクションがまとまって確認された例はほとんどないということで、内川准教授は、「民間で行われた当時の古物などのコレクションは、ほとんどが散逸してしまっている。『日本のコレクション形成の歴史』を考えるうえでも、極めて貴重な資料だ。松浦武四郎記念館の資料が国の重要文化財に指定されていることを考え併せても、今回の“再発見”は極めて貴重ではないか」と話しています。
「一畳敷」
最後にもう1つ、武四郎のエピソードを。
東京の神田五軒町(今の外神田)に住まいを構えた武四郎は、8年余りをかけて「一畳敷」という書斎を作ります。
その広さは、僅か1畳。
部材は全国を旅して集めた由緒のある木片を利用し、その総数は100点近くに上ります。
武四郎は、「自分が死んだら、その木材でなきがらを焼いてほしい」という遺言を残しましたが、取り壊されずに東京・三鷹市に移築され、実業家らのもとに引き継がれました。
その後、一畳敷が建つ場所は、戦闘機「隼」などを生産したことで知られる中島飛行機の敷地となり、太平洋戦争を迎えます。
中島飛行機の多くの工場が空襲の標的になって炎上するなかで、一畳敷は焼けずに残りました。
現在では国際基督教大学の構内に静かにたたずんでいます。
松浦武四郎にまつわる数多くの資料が現代に伝わっていた。
私たちは、それを基に当時に思いをはせることができる。
1つの「奇跡」ではないか。
そう思うのは、考えすぎでしょうか。
展示会「幕末の北方探検家 松浦武四郎」
初公開の松浦武四郎コレクションなどを紹介。
▽場所:静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区岡本2-23-1)
▽10月5日~12月8日(10月14日と11月4日を除く月曜日は休館。10月15日、11月5日は休館)
「一畳敷」について
国際基督教大学(東京都三鷹市大沢3-10-2)の敷地内に保存。
ふだんは一般公開されていません。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130925/k10014778861000.html

再発見・松浦武四郎(前編) 初公開も

2013-09-26 | アイヌ民族関連
NHK 9月24日 14時29分
幕末から明治にかけて、激動の時代を生きた松浦武四郎。
その人について、どのように紹介すればよいのでしょうか。
▽“北海道”の名付け親。
▽アイヌの人たちとの深い交流。
▽吉田松陰など、幕末の志士たちとの情報交換。
▽「モノ」を集めることに執着し、そのためなら仲のよい人たちとのトラブルもいとわないアクの強さ…。
1人の人間の中に、さまざまな“顔”が見え隠れしています。
東京・世田谷区にある静嘉堂文庫に、武四郎が収集したおよそ900点のコレクションが残されていることが新たに分かりました。
その一部が、10月、初めて公開されます。
静嘉堂文庫での“再発見”
4年前、國學院大学の内川隆志准教授は、静嘉堂文庫から連絡を受けました。
書庫に保存されていたのは、杉で出来た立派な箱や、そのほかの古物。
箱を開けていくうちに湧き上がってきたのは、「これは大変だ」という思いです。
中には、まが玉や仏像、土器、そしてエジプトから伝わったとみられる像など、多種多様な「モノ」が納められていました。
布で丁寧にくるまれ、防虫剤も施された良好な保存状態からは、モノに対する深い愛着が伝わってきます。
その総数、およそ900点。
元の持ち主は、「松浦武四郎」という人物でした。
詳細な調査が行われることになりました。
松浦武四郎という人物
これは武四郎が65歳のとき(明治15年)の写真です。
身長は1メートル50センチほどと小柄。
大きな首飾りは、今回の調査で、実物が静嘉堂文庫に保管されていることが明らかになりました。
自分で集めた240個余りの玉や水晶などをつないで作ったもののようです。
カメラに向かう武四郎の表情。
少し得意げにも見えます。
1818年、武四郎は三重県松阪市の下級武士の4番目の子どもとして生まれます。
子どものころから「名所図会」という各地の名所を紹介する本を愛読し、伊勢神宮を訪れる旅の人たちが家の前を行き交っていました。
見知らぬ土地への憧れを募らせたからか、16歳のときには家出。
ある人に宛てた手紙には、「江戸、京都、大阪、長崎、唐(中国)または天竺(てんじく=インド)に行くかもしれません」と記しました。
一度は、連れ戻されるものの、また放浪の旅に出ます。
対馬では、鎖国の時代にもかかわらず、朝鮮半島に渡ることを企てます(もちろん、認められません)。
そして、26歳のとき、長崎県の平戸滞在中に聞かされたのが、「大国のロシアが南下し、日本付近へと勢力を伸ばそうとしている」という話でした。
アジアへと進出する欧米諸国から「日本を守らなければならない」という使命感が湧き上がってきたのでしょう。
武四郎は、「蝦夷地」に渡る決意をしました。
蝦夷地での武四郎~アイヌとの交流
武四郎が蝦夷地へと旅立ったのは1845年、28歳のときです。
誰に頼まれたわけでもなく、自分の使命感に突き動かされた道のり。
武四郎は、アイヌの人たちに案内を頼みます。
彼らと寝食を共にし、ときにはアワビの刺身をつまみに酒を飲んだこともあったようです。
豊かな文化を伝え、自然への感謝を忘れないアイヌの人たちの姿に、武四郎は強くひかれていきました。
武四郎の蝦夷地調査は、6回にわたって行われます。
後半の3回は、蝦夷地の重要性を認識するようになった幕府からの依頼も受けていました。
調査の成果をまとめ、1859年(安政6年)に出版したのが「東西蝦夷山川地理取調図」です。
北海道ばかりでなく、択捉島、国後島などの様子も詳しく調べました。
土地の輪郭こそ、すでに行われていた伊能忠敬や間宮林蔵の実測を活用しましたが、内陸の山、川、そして湖の様子は武四郎の調査なくしては明らかにされなかったものです。
さらに特筆すべきは、細かく書き込まれた「カタカナ」。
一つ一つがアイヌの人たちから聞き取った地名で、その数は合わせて1万近くに上ります。
「東西蝦夷山川地理取調図」の中に、武四郎は調査に協力した279人のアイヌの人たちの名前を書き記しました。
彼らへの感謝の気持ちが、そこには込められています。
「情報発信源」としての武四郎
調査を進めるうちに「蝦夷地の専門家」として知られるようになった武四郎は、幕末の志士たちとも交流を深めます。
親友と呼べるほどだったのが、儒学者・頼山陽の息子で尊皇運動でも知られる頼三樹三郎。
また、吉田松陰も武四郎のもとにやって来ました。
松陰は、夜になると武四郎が住んでいた長屋を訪れたといいます。
2人は夜通し海防問題を語り合い、「布団を引っ張り合うようにして寝た」というエピソードも残されています。
ただ、武四郎が朝、目覚めてみると、すでに松陰の姿はなかったといいます。
三重県松阪市にある松浦武四郎記念館の山本命学芸員は、「今、松浦武四郎のことを詳しく知っている人は多くないかもしれません。しかし、幕末の知識人ネットワークの中で重要な役割を果たし、優れた情報収集と情報発信の能力を持っていたことは、見逃すことができません」と話しています。
激しく動く幕末の日々。
頼三樹三郎や吉田松陰は、安政の大獄で処刑されました。
時代は、明治維新に向かっていきます。
その後の武四郎については、改めてお伝えします。
展示会「幕末の北方探検家松浦武四郎」
初公開の松浦武四郎コレクションなどを紹介。
▽場所:静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区岡本2-23-1)
▽10月5日~12月8日(10月14日と11月4日を除く月曜日は休館。10月15日、11月5日は休館)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130924/k10014757121000.html

白老・ポロト湖畔でチェプ祭、アイヌ文化楽しく理解

2013-09-26 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2013年9月23日(月)朝刊】
 第25回しらおいチェプ祭(同実行委員会主催)が22日、白老町若草町のポロト湖畔で開かれ、来場者が伝統料理やイベントを通してアイヌ民族文化と歴史への理解を深めた。
 自然の恵みに感謝する伝統のイベントとして、1989年(平成元年)から毎年開かれている。プログラムはチセ(家屋)でのカムイノミ(神への感謝の祈り)でスタート。午前中は苫小牧アイヌ文化保存会、鵡川アイヌ文化伝承保存会による古式舞踊披露やアイヌ語○×クイズ大会などが繰り広げられた。
 会場内ではサケの格安販売が好評だったほか、サケを使った伝統料理のチェプオハウ(三平汁)やチマチェプ(串焼き)、いなきびご飯などが振る舞われ、町内外から訪れた来場者を喜ばせた。
 また、アイヌ民族の伝統漁法であるマレク漁の体験やサケのくじ引きなどのイベントも人気を集めた。家族や友人など9人で訪れた札幌市の橋本晃子さん(35)はマレク漁に挑戦し「初めての体験で意外と難しかったが、サケも釣れて良かったです」と笑顔を見せていた。(伊藤洋志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2013/09/23/20130923m_08.html

アイヌ文化を紹介「こたんまつり」(動画)

2013-09-26 | アイヌ民族関連
NHKニュース 9月23日 15時3分
アイヌ民族に古くから伝わる儀式や踊りを紹介する「こたんまつり」が、北海道旭川市で開かれました。
「こたんまつり」は、アイヌ語で「神の住む里」を意味する、旭川市郊外の神居古潭(かむいこたん)で、毎年、秋分の日に開かれています。
23日はアイヌ民族文化保存会のメンバーなどおよそ20人が、丸木船で川を渡る際の安全や平穏な暮らしを願う「カムイノミ」という伝統の儀式を行い、「イナウ」と呼ばれる木の枝を石狩川に流しました。
また、今回初めて、この地域のアイヌ民族に伝わる魔神伝説が紙芝居で披露され、迫力のある演出に子どもたちや観光客など150人近くが見入っていました。
旭川市の女性は「本州から引っ越してきたので、アイヌ文化を知りたくて来ました。再会を喜ぶ踊りを見て、温かい気持ちが伝わりました」と話していました。
アイヌ民族文化保存会の川村兼一会長は、「きょうは天気もよく、大勢の人が来てくれてよかったです。これからもずっと続けていきます」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130923/k10014738511000.html

インド系ミス・アメリカが示す「アメリカの理想」の進化

2013-09-23 | 先住民族関連
AFPBB News 2013年09月22日 13:48 発信地:ワシントンD.C./米国
【9月22日 AFP】2014年のミス・アメリカ(Miss America)コンテストでインド系米国人として史上初の優勝を果たしたニーナ・ダブルリ(Nina Davuluri)さん(24)は、直前の15日のインタビューで「親しみやすい女の子」というミス・アメリカ像を語っていた。
「ミス・アメリカというのはずっと、親しみやすい女の子のことだと思ってきた。親しみやすい女の子像は、米国の多様性が広がるとともに進化している」
 同じインタビューでダブルリさんは、中国系米国人のセレブ司会者ジュリー・チェン(Julie Chen)さんが目を整形していたことについて聞かれると、批判的な言葉を巧みに避けながら「人に外見を変えてほしいとは思わない。ありのままの自分に自信を持ってほしいと思う」と語った。
 米ニューヨーク(New York)州シラキュース(Syracuse)生まれのダブルリさんの両親は、インド南部アンドラプラデシュ(Andhra Pradesh)州の出身だ。ミス・アメリカ・コンテストでダブルリさんは、そのルーツを全面に打ち出し、「チョリ」と呼ばれる丈の短いブラウスを身に着け、ルビー色の衣装でボリウッド(Bollywood)風のダンスを披露した。
 ミス・アメリカは女性を物のように扱う時代錯誤なコンテストだという批判がある一方で、主催者側はこのコンテストを「アメリカそのもの」だとみているというのは、米国の人種の推移とミスコンテストに関する著書をまもなく出版するカリフォルニア州立大学フレズノ校(California State University at Fresno)の歴史学者ブレーン・ロバーツ(Blain Roberts)氏だ。「インド系米国人として初の優勝者が生まれたことは、女性の美についての私たちの概念、また米国人らしさの概念をいっそう広げるものだ」
 92年の歴史を持つミス・アメリカでは最初、非白人は除外されていた。ロバーツ氏によれば、米国では1950年代に人種差別に対して注意が向けられつつあったものの、ミス・アメリカではこの頃から「南部美人(Southern Belles)」と呼ばれる、かつての南部連合国(the Confederacy)出身の出場者らが優勢を保った。アフリカ系がようやくミス・アメリカに選ばれたのは83年のバネッサ・ウィリアムズ(Vanessa Williams)さんが初めてだったものの、ウィリアムズさんは後にヌード写真をめぐるスキャンダルでタイトルを返上した。
 台湾系でニューヨーク州選出のグレース・メン(Grace Meng)下院議員は、今回のダブルリさんの優勝を、第2次世界大戦直後の1945年にユダヤ系として初めて栄冠に輝いたベス・マイヤーソン(Bess Myerson)さんになぞらえて称えている。
■変わる米国社会、変わる民族や美への意識
 論争の的になっている問題の一つは、米国のマイノリティーたちが意識的か無意識的かを問わず、白人の美しさの概念に迎合しているのではないかという点だ。セレブ司会者のジュリー・チェンさんは、駆け出しの頃に上司から圧力をかけられ、目の整形手術を受けたと告白した。アフリカ系米国人については、縮れた頭髪を直毛に矯正した人がこれまでに大勢いる。
 しかし2008年にバラク・オバマ(Barack Obama)氏が黒人初の大統領に就任し、先住民出身の州知事が2人誕生するなど、米国の状況はある意味で急速に変化した。40年までにはヒスパニック系以外の白人が少数派に転じる見込みだ。
 市場調査会社ミンテル(Mintel)の最近の調査によると、アフリカ系米国人女性の4分の3近くが頭髪を自然のままにしており、縮毛矯正剤の売れ行きは08年以降26%も落ち込んでいる。
 米独立系世論調査機関ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)が10年に実施した調査によると、異人種間結婚を認めるとの意見は65歳以上で36%にとどまった一方、30歳以下ではほぼ全員が容認する姿勢を示した。「世代を追うごとに、多様化した多文化社会での生活になじんでいる」と、マサチューセッツ大学アマースト校(University of Massachusetts Amherst)の社会学者C・N・リー(C.N. Le)氏は言う。
 南アジア系米国人のためのオンライン・マガジン「エアログラム(The Aerogram)」の創設者ラクシュミ・ガンジー(Lakshmi Gandhi)氏は、ダブルリさんが自分のルーツを打ち出したことに対する反響が圧倒的に好意的だったと指摘。「ミス・アメリカの決勝大会で、英語を一言も話さずボリウッドダンスを披露したのは素晴らしい」
 ガンジー氏はまた、ダブルリさんの優勝をめぐる人種差別的コメントをマスメディアが取り上げることを批判した。「そうしたコメントをツイッター(Twitter)に投稿する人間に、5人や10人のフォロワーがつくことは、誰もが分かっている。そうした意見をなぜ世界に知らしめようとしているのか分からない」
 これまでミス・ワールド(Miss World)では5人のインド人女性が優勝しているものの、米国で南アジア系の人々に対するイメージは「セクシー」より「オタク」が優勢だ。
 ダブルリさんはSFが好きな点や、脳行動の学位取得、医学大学院への進学希望など、オタク的傾向があることを率直に認めている。「面白いのは、ダブルリさんが科学を専攻し、オタクであることについて語っている点だ。そうした経歴とミスコンテストでの優勝は互いに矛盾しないことが示されている」(c)AFP/Shaun TANDON
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2968968/11367988

民族伝統の「入れ墨」で入浴拒否 「合理性を欠く差別」として許されない?

2013-09-23 | 先住民族関連
弁護士ドットコム 9月22日(日)17時15分配信
ニュージーランドの先住民族マオリの女性が「顔の入れ墨」を理由に、北海道恵庭市の温泉施設で入浴を断られていたことが明らかになった。2020年の東京オリンピック開催に向け、菅義偉官房長官が「外国の文化に対して敬意を払い、理解をおし進めることが大事だ」と述べるなど、波紋を広げている。
報道によると、女性はマオリの言語指導者で、唇とあごの入れ墨は「モコ」と呼ばれる伝統的なもの。アイヌ民族の行事のために来日していた9月8日、関係者とともに温泉施設を訪れたが、入浴を拒否された。女性側は「反社会的な入れ墨とは異なる伝統文化であり、差別ではないか」と抗議したが、施設側は「入れ墨に威圧感や恐怖感を覚える人がいる」「背景までは判断できない。入れ墨が見えれば一律で断っている」と説明したという。
公衆浴場ではしばしば、「入れ墨お断り」という注意書きを見かけるが、そのようなルールによる入浴拒否は、どこまで許されるのだろうか。北海道で開業する中村憲昭弁護士に聞いた。
●入浴拒否は「差別」にあたる可能性がある
「このような入浴拒否は、合理性を欠く差別として許されない可能性があります」
中村弁護士はこう語る。その根拠はどこにあるのだろうか。
「『法の下の平等』を定めた憲法14条です。条文には『すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない』と書かれています。
憲法は本来、国と国民の関係を規律した法ですから、温泉施設の管理者と利用者の間、すなわち私人間に直接憲法が適用されるわけではありません。しかし、そこで結ばれた契約が『公序良俗』に反するか否かの判断の際には、憲法の趣旨が間接的に及びます」
入浴拒否が「差別」となるかどうかは、どう判断すればいいのだろう。
「差別的取り扱いが許されるかどうかは、目的や手段が社会通念上、合理的かどうかで判断されます。
本件の場合、人によっては『暴力団排除の目的は合理的である』『不利益覚悟で入れ墨を入れたのだから、温泉に入れなくても我慢しろ』と考える人もいるでしょう。
しかし、あえて言いますが、入れ墨を入れている人が、すなわち暴力団といえるのでしょうか。昔の任侠映画ならともかく、最近の経済ヤクザはタトゥーなど入れません。外見では暴力団員と分からない者も多いです」
●タトゥー(入れ墨)の有無による入浴拒否は「合理的」ではない
「逆に、今やタトゥーはファッションとして、若者に広く受け入れられています。サッカーやバスケットの選手などは、タトゥーだらけです。安室奈美恵など、芸能人にもタトゥーを入れている人は多くいますし、弁護士にだっています。
そういったものや、今回の事例のように文化的な意味をもつ入れ墨は、反社会性とは無縁で、暴力団員でないことも明らかです」
時代は変わった——ということだろうか。
「社会通念は、時代によって変化します。かつて『長髪』は反社会性の象徴でした。米映画『イージーライダー』(1969年)で、主人公のキャプテン・アメリカは長髪を理由に住民に撃ち殺されます。でも、いま長髪にそこまでの意味を見いだす人はいないでしょう。
それと同じで、もはや『入れ墨=暴力団』という考え方こそ偏見です。暴力団排除という目的を達成するために、全ての『入れ墨』を拒否するというのは、もはや手段として合理的とは認められないでしょう。
現実に、外国人観光客の多いニセコの温泉では、事実上、入れ墨拒否というルールを撤廃した施設が多数あります。また、『入れ墨お断り』としながらも、一見して暴力団関係者といえない場合は黙認している施設も多いようですね」
日本でも古代~江戸時代にかけては、一部の入れ墨が『刑罰』として使われていた時代もあったようだが、いまのタトゥー(入れ墨)はそれとは完全に離れた存在だ。「入れ墨」の存在だけをもって、その人の反社会性を判断するのは、もはや不可能だということなのだろう。
【取材協力弁護士】
中村 憲昭(なかむら・のりあき)弁護士
保険会社の代理人として交通事故案件を手掛ける。裁判員裁判をはじめ刑事事件も多数。そのほか、離婚・相続、労働事件、医療関連訴訟なども積極的に扱う。
事務所名:中村憲昭法律事務所
事務所URL:http://www.nakanorilawoffice.com/
弁護士ドットコム トピックス編集部
http://www.bengo4.com/topics/784/

登別で生誕110年知里幸恵を語る、フォーラム開幕

2013-09-23 | アイヌ民族関連
室蘭民報【2013年9月22日(日)朝刊】
 NPO法人知里森舎(横山むつみ理事長)主催の知里幸恵フォーラム'13in登別が21日、登別市中央町のホテル平安で始まった。今年、幸恵(1903~22年)の生誕110年と「アイヌ神謡集」出版90年に当たり、来場者約100人は幸恵が残した功績と生涯に思いをはせた。                         
 同フォーラムは今年で14回目。節目に合わせ例年より1日多い2日間とした。幸恵の命日の今月18日には東京都で「シロカニペ祭」が催され、俳優の舞香さんらが幸恵をしのぶなど道外でも「節目」を祝う行事が開かれた。
 フォーラムの冒頭、横山理事長があいさつで「アイヌ文化交流ができることをうれしく思う。皆さんとフォーラムを楽しみたい」と呼び掛けた。
 アイヌ文化の向上と知里幸恵銀のしずく記念館(登別市登別本町)の発展に寄与した小野邦夫さん=札幌市在住=に横山理事長から感謝状が贈られた。
 第1部では作家の森まゆみさんが、日記や同じ時代を生きた女性、時代背景を基に「幸恵像」を語った。24歳の時に肺結核で命を落とした樋口一葉と、19歳で心臓発作のためこの世を去った幸恵の生涯を重ね、「『私にしかできないこと』を明確に分かっていた」ことが神謡集の上梓につながったと伝えた。
 第2部でアイヌの伝統文化を紹介している作家グループ「アイヌ・アート・プロジェクト」(結城幸司代表)が口演を実施。弦楽器・トンコリなどを使い、古い言い伝えやアイヌの言葉を音楽を交えて披露した。
 感謝状を受けた小野さんは「地味に力強く活動しこれからも皆さんに認めてもらえる映像をつくっていきたい」と決意を新たにしていた。
 きょう22日は、「幸恵のふるさと紀行」と題し、登別や白老のアイヌ語地名を巡るツアーを実施する。(粟田純樹)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2013/09/22/20130922m_05.html

アイヌ文化を世界へ発信:象徴空間の建設

2013-09-23 | アイヌ民族関連
BLOGOS-2013年09月22日 08:11
先週、官房長官が座長を務めるアイヌ政策推進会議を開催するために、北海道を訪問しました。
アイヌ政策会議は2007年の「先住民族の権利に関する国連宣言」2008年の衆参両院における「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を受け、アイヌの方々の意見を政策に反映するために設置されました。
これまでは東京で開催されていましたが、アイヌの方が多く住んでいる場所でやるべきだと考え、今回初めて北海道で開催することにしました。
アイヌ民族は主に北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化を持つ先住民族です。2006年の調査では約2万4千人の方が北海道で暮らしています。
我が国が近代化する過程で、法的には等しく国民でありながら、差別され貧窮を余儀なくされたアイヌの人々が多数に上るという歴史的事実があります。
政府はこれを厳粛に受け止め、アイヌ文化の振興と普及啓発、アイヌの人々の生活向上に取り組んできました。
その柱の一つとして体験・交流を通じてアイヌの歴史・文化を学び伝える場として「民族共生の象徴となる空間」(象徴空間)の建設を予定しています。
アイヌ政策推進会議では、象徴空間の完成を東京オリンピック開催年である2020年とする工程表が決定されました。私はこの計画をさらに前倒しして、東京オリンピックまでに完成させることを表明しました。
東京オリンピックで海外から多くの方が日本に来られる機を捉え、「日本オリンピック」として全国にその効果を広めるという考え方のもと、象徴空間は、日本が先住民族と共生していること、アイヌ文化の素晴らしさを世界の方に知ってもらう拠点となります。
白老町では、「オハウ」と呼ばれる鮭と野菜の塩汁といった伝統料理をいただき、独特の音色の伝統音楽・舞踊など、アイヌ文化に触れ、多くの方に知ってもらうべき価値ある素晴らしいものだと感じました。
また、アイヌの方々や研究者と車座になって意見交換をする中で、象徴空間への期待の大きさとともに、文化の伝承者育成などの課題を改めて認識しました。
私は日本の中にもある独自の文化を大事に育てていくことが、多様な価値観との共生を可能にし、また活力ある社会を作り上げる上でも重要と考えています。アイヌ政策担当大臣として、こうした取り組みを着実に推進してまいります。
http://blogos.com/article/70402/

NEWSの窓:国際 アメリカ先住民 今も試練は続いている

2013-09-22 | 先住民族関連
毎日小学生新聞 2013年09月21日
 ◇毎日新聞論説委員(まいにちしんぶんろんせついいん)・中島哲夫(なかじまてつお)
 アメリカの黒人差別(こくじんさべつ)と戦(たたか)って暗殺(あんさつ)されたキング牧師(ぼくし)について前回紹介(ぜんかいしょうかい)したら、この国(くに)の別(べつ)の悲劇(ひげき)のことも説明(せつめい)すべきだと思(おも)えてきました。
 それは最初(さいしょ)にアメリカ大陸(たいりく)に住(す)みつき、この地(ち)の主人公(しゅじんこう)だったのに、ずっと後(あと)でヨーロッパから来(き)た移民(いみん)たちから住(す)む場所(ばしょ)の大半(たいはん)を奪(うば)われたり殺(ころ)されたりしたアメリカ先住民(せんじゅうみん)(ネイティブ・アメリカン)の悲(かな)しい歴史(れきし)です。
 分(わ)かりやすくするために範囲(はんい)を現在(げんざい)のアメリカ合衆国(がっしゅうこく)に限(かぎ)って説明(せつめい)しましょう。この先住民(せんじゅうみん)は日本人(にっぽんじん)とも体(からだ)の特徴(とくちょう)が似(に)ている黄色人種(おうしょくじんしゅ)です。「アメリカインディアン」とも呼(よ)ばれますが、あまり適切(てきせつ)な表現(ひょうげん)ではありません。
 私(わたし)がアメリカで買(か)った本(ほん)によると、この先住民(せんじゅうみん)は今(いま)から1万(まん)5000年(ねん)〜2万年(まんねん)も昔(むかし)、シベリアからベーリング海峡(かいきょう)を経(へ)てアメリカ大陸(たいりく)に渡(わた)りました。
 そして長(なが)い間(あいだ)、多(おお)くの部族(ぶぞく)が狩(か)りや海産物集(かいさんぶつあつ)め、トウモロコシやカボチャの栽培(さいばい)など素朴(そぼく)な暮(く)らしをしていたのですが、15世紀(せいき)の有名(ゆうめい)なコロンブスの探検(たんけん)などを経(へ)て状況(じょうきょう)が激変(げきへん)します。ヨーロッパからの移民(いみん)がアメリカに押(お)し寄(よ)せ、先住民(せんじゅうみん)に深刻(しんこく)な被害(ひがい)を与(あた)えるようになったのです。
 例(たと)えば農業(のうぎょう)でもうけるために先住民(せんじゅうみん)の土地(とち)を奪(うば)ったり、わざとではないにしてもアメリカになかった病原菌(びょうげんきん)を持(も)ち込(こ)むことになって、免疫(めんえき)のない先住民(せんじゅうみん)を次々(つぎつぎ)に死(し)なせてしまうというようなことですね。
 後(のち)には、白人(はくじん)たちは先住民(せんじゅうみん)に移住(いじゅう)を強制(きょうせい)し、戦争(せんそう)もしかけました。女性(じょせい)や子(こ)どもまで虐殺(ぎゃくさつ)する残酷(ざんこく)さでした。
 これらは昔(むかし)の話(はなし)です。今(いま)のアメリカ人(じん)に罪(つみ)はありません。ただ、何年(なんねん)か前(まえ)に先住民(せんじゅうみん)が住(す)むよう指定(してい)された地域(ちいき)を車(くるま)で走(はし)ってみたら、砂漠(さばく)のような荒(あ)れ地(ち)でした。その地域(ちいき)を離(はな)れても差別(さべつ)や貧困(ひんこん)など試練(しれん)が待(ま)っています。アメリカ社会(しゃかい)は弱者(じゃくしゃ)に冷(つめ)たい傾向(けいこう)があって、そこはどうも好(す)きになれません。
==============
 関西(かんさい)と九州(きゅうしゅう)で事件(じけん)などの取材(しゅざい)を10年(ねん)、次(つぎ)に国際(こくさい)ニュースを18年担当(ねんたんとう)。韓国(かんこく)とアメリカで12年暮(ねんく)らした。北朝鮮(きたちょうせん)でも7回取材(かいしゅざい)した。ただし、国際派(こくさいは)というより農村出身(のうそんしゅっしん)の自然愛好派(しぜんあいこうは)。
http://mainichi.jp/feature/maisho/news/20130921kei00s00s004000c.html

優遇策はブミを怠惰にさせるだけ=ザイド元首相府相

2013-09-21 | 先住民族関連
マレーシアナビ-2013年09月20日 11:39 JST配信
【クアラルンプール】 野党・国民幸福党(KITA)のザイド・イブラヒム党首は、先にナジブ・ラザク首相が発表したブミプトラ(マレー人および先住民族の総称)の追加経済優遇政策について、「ブミを怠惰にさせるだけ」と批判した。
ザイド氏は、政府が生活改善を進めるために政策をひとつの民族に絞って行なうべきでなく、民族に関わらずニーズにあわせて行なうべきと指摘。「(ブミ優遇策は)浅薄な政策。私はブミだけを特別扱いする必要性を認めない」と述べ、国民が皆平等に扱われるべきとした。
ザイド氏はまた、優遇策なしにブミが競争していけないとの論法を否定。むしろブミ優遇策がブミを怠惰にさせており、ブミが優遇策の依存症になっていると指摘した。
ナジブ首相の追加ブミ優遇政策については、政治アナリストらは近く行われる与党第一党・統一マレー国民組織(UMNO)総裁選挙を見据えてブミの基盤がためをする思惑があると指摘しているが、非ブミはもちろん、ブミの間からも「平等をうたった憲法に抵触する」(法律専門家のアズミ・シャロン博士)との批判の声もあがっている。
ザイド氏は、アブドラ前首相時代に法務担当の首相府相に就任したが、半年足らずで国内治安維持法(ISA)の適用による相次ぐ逮捕に抗議して閣僚職を辞任。その後、野党への急接近を理由に除名された。2009年6月に野党・人民正義党(PKR)に入党したものの2010年11月に離党し、第3の勢力結集に向けてマレーシア人民正義戦線(AKIM、現在のKITA)に合流した。
(マレーシアン・インサイダー、9月19日)
http://www.malaysia-navi.jp/news/?mode=d&i=2395

アイヌ民族博物館の経営状況悪化 白老町が見解

2013-09-21 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2013年 9/20)
 白老町のアイヌ民族博物館で入館者数減少などが響き、経営状況が悪化していることが18日分かった。同日開かれた町議会決算審査特別委員会で町が示したもので、「このままでいくと最短で4、5年で破綻する」との見通しを明らかにし、近く経営改革について聞き取りする方針を示した。町は年額約1600万円を補助金として支出しているが、見直しなどを含めて対応を協議することにしている。
 前田博之氏(きぼう)の質問に答えた。
 同館の経営は4、5年前から厳しい状態が続いているとみられ、町によると2011年から独自の経営改革に着手。職員の新規採用の見送りや給与削減、閑散期の出勤調整などを進めているが、12年度の収支は事業活動収入2億3480万円に対し同支出2億4288万円。約800万円の不足分は退職給与引当金で充当している。
 町は今後の見通しについて「引当金で補てんしても最短4、5年で破綻する」などと説明。今後の改革見通しについても新たに聞き取りすることを検討している。
 前田氏は、2020年に象徴空間が完成することを踏まえ、「博物館がどうなるかは町としても重要」などと指摘。
 町は、財政健全化に向けて補助金計画の見直しを進めていることを挙げ、「10月1日に明らかにする健全化策の全体計画の中で(同館に対する補助金の取り扱いも)示せると思う」などと語っている。
 同館は入館料収入が主な財源。近年は東日本大震災などの影響で外国人を中心に入場者の低迷が続き、経営を圧迫している。今年春に誘客戦略室を設置して入場者確保策を講じており、今年度については前年実績を1、2割ほど上回っている。
http://www.tomamin.co.jp/2013095033