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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

【白老】しらおいイオル事務所「チキサニ」でアイヌ文様のランプ作り

2011-12-29 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2011年 12/27)
 白老町若草町のしらおいイオル事務所「チキサニ」で27日、小学生親子を対象としたアイヌ文化のミニ体験「ランプ作り」が行われた。
 町内から約20人が参加。長さ8~15センチの木の棒で骨組みを作り、底面には電球の付いた土台を設置。側面には、緩やかな曲線のアイヌ文様「モレウ」の切り絵を重ね合わせた和紙を張り付けた。
 スイッチを入れると、暖色の明かりとともに美しいアイヌ文様が浮かび上がり、子供たちから「きれい」と歓声が上がった。
http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11122801.html

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高橋道知事が本紙などインタビュー、今年の漢字「結」

2011-12-29 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2011年12月28日(水)朝刊】

 高橋はるみ知事は27日、道庁で室蘭民報など道内地方紙4紙の共同インタビューに応じた。知事は今年を象徴する漢字として「結」を挙げた。
 知事は理由について「東日本大震災に直面したが、強い絆と縁で結ばれた東北の被災地支援に道内関係機関の結びつきを生かし致団結して取り組んだ。またオール北海道による長年の取り組みが結実し、北海道新幹線の札幌延伸着工決定という歴史的な出来事も迎えた」と説明した。
 その上で、今年一年を「人と人との結びつきや、地域の発展へと結びつく出来事を通し、明日へと大きく動いた年」とまとめた。
 知事はこのほか、24年度開発予算でアイヌ文化復興の拠点となる国立博物館施設を白老町に整備するための調査費が盛り込まれたことについて、「これまで北海道が一丸となって訴えてきたこと(アイヌ民族の復権)が一歩近づいた。我々の思いを政府に伝え、実現を加速化させていきたい」と期待感を示した。
(北川誠)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/12/28/20111228m_01.html


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パナマの黄金文化、新たな遺跡を発見

2011-12-27 | 先住民族関連
National Geographic News  December 26, 2011

James Owen
 中米パナマで新たに発見された墳墓から、1000年前の金や宝石が出土した。先住民がフグによって絶命した形跡も残っているという。黄金の装飾品を身にまとった人々が築いた謎の「コクレ(Cocle)文化」を解明する手掛かりとして期待されている。
「成果は非常に大きい。すぐそばのシティオ・コンテ(Sitio Conte)遺跡が調査された1930年代以降では、コクレ文化に関する最も有意義なプロジェクトだろう」と述べるのはアメリカ、カンザス大学の人類学者ジョン・フープス氏。シティオ・コンテはパナマ中部に位置し、黄金の副葬品が大量に出土している。
 コクレ文化に関する明確な証拠が報告されたのはシティオ・コンテからだけだった。紀元約250年からスペイン人に征服される16世紀頃まで栄えていた文化とされている。
 今回、シティオ・コンテから約3キロ離れた「エル・カーニョ(El Cano)」遺跡でも、西暦700~1000年頃とみられる人工物が発掘された。
◆石、骨、そして金
 今年の前半に実施されたエル・カーニョの発掘作業では、当時は木の屋根で覆われていた多層構造の墓穴から、黄金の装飾品で飾られた首長の遺体を確認。その周囲には25体以上が丁寧に配置されていた。スミソニアン熱帯研究所の考古学者ジュリア・メイヨー(Julia Mayo)氏によると、現時点では同遺跡で発見された6つの埋葬跡の中で最大規模だという。
 小さな金のプレートやブレスレット、イヤリング、半貴石のネックレスなど、首長の息子用とみられる黄金の衣装も発見された。
 墓穴の底には15体の遺体を敷き詰めて、首長の遺体を横たえるための台を形成していた。メイヨー氏は、これらの遺体は元々は戦争の捕虜または奴隷であり、生贄として捧げられたか、自ら命を絶ったと考えている。シティオ・コンテでも同様の配置が確認されており、関連性があるという。
◆死因はフグの毒?
 発掘チームは生贄の死因についても調査。法医学分析の途中だが、ぞっとするような手掛かりが見つかっている。「遺体のすぐそばから、非常に強い毒を持つフグ(学名:Guentheridia formosa)の骨が大量に発見された」とメイヨー氏は話す。
 また、首長を取り囲む遺体がセラミック製のプレートの破片で覆われていた点も奇妙だ。何を意味するのかは明らかではないが、意図的に思えると同氏は述べる。裏面のみが装飾されており、表を下にして遺体に置かれていた。
◆いまだ謎の多い文化
 エル・カーニョでは、斧、袋に入れられたエイの背骨、クジラやジャガーの歯で作ったベルトなども見つかった。プロジェクトを指揮するメイヨー氏はこれらの重要な遺物が、黄金文化の首長や先住民達の謎の解明につながることを望んでいる。
 現時点では、歴史上の記録がほとんど残っていないという。「スペイン人が完全に征服するまでの期間があまりにも短かったのが問題の1つだ。使用言語もいまだにわからない」とフープス氏は述べる。
 シティオ・コンテおよびエル・カーニョの先住民は、「パナマ中部で他民族と交流せず、独自の文化を創り上げて繁栄していた可能性が最も高い」と同氏は考えている。しかしエル・カーニョでは、コロンビア産とみられるエメラルドなど貿易品も出土しており、他民族とのつながりもあったようだ。
 コクレ文化の名残はほとんど残っていない。マヤ文明の石を積んだピラミッドとは対照的である。
 メイヨー氏によると幸運にも金は耐久性が高く、エル・カーニョに残る20の未発掘の墓穴でさらに見つかる可能性があるという。
 大きな進展があったとはいえ、フープス氏は気をゆるめていない。「まだ一部が明らかになったにすぎない。遺跡の盗掘防止策も極めて重要だ」。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20111226003&expand&source=gnews

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アイヌの文化 伝え続ける ドキュメンタリー映画出演 浦川治造さんを訪ねて

2011-12-27 | アイヌ民族関連
東京新聞 2011年12月26日

 関東地方の里山に、アイヌ民族のエカシ(長老)がいる。森羅万象のカムイ(神)に感謝し、先人の知恵を受け継いで生きてきた浦川治造さん(73)だ。自身のドキュメンタリー映画「カムイと生きる」の完成を機に、千葉県君津市のアイヌ文化伝承施設「カムイミンタラ」に暮らす浦川さんを訪ねた。 (発知恵理子)
 都心から車で一時間半。畑や森が広がる静かな集落にカムイミンタラはある。アイヌ語で神々の遊ぶ庭を意味する集いの場で、六年前、浦川さんが重機を操り、廃材を使って一から造り上げた。北米先住民との交流会、季節の祭り、相撲大会などのイベントも開く。
 母屋の前で、浦川さんがたたずんでいた。大柄で指は太く、彫りの深い顔には白く長いひげをたくわえている。辺りを見回し「こっちにもシカやイノシシはいるけど、(食べても)うまくないんだよ」とぽつり。口数は少ないが、時折、冗談を言っては豪快に笑う。
 北海道浦河町に生まれ、六人きょうだいの五番目。家は貧しく、幼いころから畑作やコンブ採りなど親の仕事を手伝った。「冬しか学校に行かなかったから、字は書けないんだ」と言う。一方で「鉄砲を担いで学校に行き、帰りに小鳥を撃って食べた」「鹿を素手で捕まえた」など昔の話をとつとつと話した。
 狩猟民族のアイヌは、獲物を捕る時や木を切る時など、必ず神に感謝する儀式、カムイノミをする。カムイは動植物や自然現象などあらゆるものに宿ると考え、常に自然と対話し、共存してきた。
 中学卒業後、地元で山仕事や土建業をして生計を立ててきた。結婚して二人の娘を授かり「食うのに必死。木を切っちゃいかんとか言ってられなかった」と振り返る。四十二歳の時に父春松さんが亡くなり、跡を継ぐ儀式をすると、アイヌであることへの思いが一層強くなった。
 「親は俺たちをアイヌとして育てていないし、何も教えなかった」と浦川さん。明治時代にアイヌ語や収入源の狩猟が禁止され、日本人として生き、農耕を強要された歴史がある。だが「親の見よう見まねで覚えていくものだから」と、アイヌの生き方は心身に染み付いていた。
 妻の病気や事業の不振が重なり、四十五歳で上京。持ち前の力強さで解体業を起こし、後に家族を呼び寄せた。実直な人柄やアイヌ文化を大切にする姿に支援者が集まり、首都圏に住むアイヌの中心的存在となった。
 自然に囲まれた場所で、常にカムイとともにいる浦川さん。「木を切ったら植える。植えっぱなしにしないで切る。何でも採りすぎないで、普通にやればいいんだ。きちっと守っていたら、不自由はしないよ」。アイヌの知恵を伝え続ける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2011122602000048.html

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CCS事業は102億円 2012年度政府予算案 年明け、苫小牧正式決定

2011-12-26 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2011年 12/24)

 政府が24日午前に閣議決定した2012年度予算案に、二酸化炭素(CO2)の回収・地下貯留技術「CCS」の実証試験事業費102億円が盛り込まれた。経済産業省は年明け以降、苫小牧沖で国内初となる大規模実証試験の実施を正式に決定する。
 CCS事業は11年度当初予算から倍増した。12年度予算は、CO2の分離・回収や地下に封じ込めるプラントの設計・調達費などに充てる。
 地球温暖化対策に有効とされるCCSの実証試験は当初、苫小牧沖と福島・勿来(なこそ)磐城沖、北九州市の3地点が候補地で、各地で地質調査が行われていた。
 しかし、勿来磐城沖が原発事故の影響で調査を中止、北九州市もデータが不足しているため、経産省は苫小牧沖を想定した実証試験の計画案を作成。学識経験者でつくる専門検討会が15日、計画に問題はない―とする総合評価をまとめ、苫小牧沖での実施が事実上、確定していた。
 経産省は年明けにも実証試験の委託事業者を公募し、12年度から本格的に着手する。
◇白老の民族共生の象徴となる空間整備事業にも予算計上
 白老町に計画されている「民族共生の象徴となる空間」事業には、概算要求通りの予算が配分された。文部科学省は600万円の予算で同町のポロト地区での国立博物館基本構想策定に着手する。
 予算配分されたのは、国立博物館基本構想策定のほか、国土交通省の文化施設周辺の公園的な土地利用調査費800万円、同省の国民理解促進調査1400万円。
 ポロト地区に計画されている国立博物館は、「民族共生の象徴となる空間」事業の核的文化施設となる。博物館機能の整備・運営に関する基本構想策定に着手することになった。アイヌ文化や博物館の有識者、地元関係者で構成する調査検討委員会を設置する。
 国立博物館周辺を公園化する調査にも着手する。800万円の予算でポロト地区の土地利用調査。アイヌ文化や同空間整備事業の国民理解を促進する調査も始まる。
http://www.tomamin.co.jp/2011t/t11122402.html

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「牡丹社事件」説明板 撤去を “武器持った”宮古島民

2011-12-24 | 先住民族関連
琉球新報 2011年12月23日

 1871年、台湾南部で、宮古島住民ら54人が先住民に殺害された「牡丹社事件」に関し、台湾現地の公園内に設置された事件の経緯を記した説明板の内容の一部に、不確かな部分があるとして、宮古島住民の遺族が同部分の削除か説明板の撤去を求めている。指摘されているのは、船が遭難したため台湾に上陸した宮古島住民66人の記述で「武器を持った66人の成人男子がにやってきた」と書かれている部分。遺族は「伝聞や書物にも『武器を持った』と書かれたものは見たことない。確認されていないことが事実として表記されると歴史が正しく伝えられない」と困惑している。
 指摘した遺族は宮古島の有力者だった野原茶武(ちゃむ)さん(享年31)の子孫、耕栄さん(63)=浦添市。事件をテーマにして11月26日に行われた国際学術会議(主催・台湾研究基金会)に遺族代表として出席するため、台湾を訪れた際、同公園で確認した。説明板の内容は台湾の研究者が中心になってまとめたもので、今年になって建てられたという。
 説明板には、「武器を持った66人」がにやってきたことは「への圧力と脅威だった」とも記述。説明板の下方には、武器のような物を持った宮古島住民の絵も描かれている。
 野原さんは「被害者なのに、正当防衛で殺害されたとも受け取られかねない重大な事項で、遺族としては見逃せない。十分な実証があれば別だが、不確かな記述を事実として書かれるのはおかしい。早急に削除か撤去をしてほしい」と話している。
 同学術会議にも出席した、研究者の一人、又吉盛清沖縄大学客員教授は「宮古島住民が武器を持っていたことを立証できる文献はないが、武器に転化できる道具を携帯していたかどうかも含めまだ十分な研究、調査は行われていない」と指摘。その上で「どのような経緯や根拠で書かれたか、執筆者や、地元の長老への聞き取り調査を行い、沖縄側、台湾側の資料をつき合わせて確認する必要がある」と説明。近く台湾へ行き調査した上で対応を検討する意向を示している。
 (宮城久緒)
<用語>牡丹社事件
 琉球王府時代の1871年、宮古船が首里王府に年貢を納めた帰り、台風で台湾南部の八瑶湾に漂着。乗員69人のうち3人は水死。残り66人は先住民族、パイワン族の集落、牡丹社に助けを求めたが54人が殺害された。逃げて生き残った12人が助けられ、中国の福建省を経由し那覇に帰った。この事件がきっかけとなり明治政府は74年に「台湾出兵」を行った。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-185516-storytopic-1.html

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白老に国立博物館 アイヌ民族 共生の象徴に

2011-12-23 | アイヌ民族関連
<北海道新聞12月23日朝刊掲載>

 政府は22日、胆振管内白老町に予定しているアイヌ民族の「民族共生の象徴となる空間」(共生空間)に国立博物館を設置する方針を固め、来年度予算案に調査費約600万円を計上することを内定した。これにより道内初の国立博物館が誕生することになる。
 共生空間は、政府のアイヌ政策推進会議の作業部会が6月、候補地として白老町のポロト湖畔を選定していた。同部会は空間内に慰霊碑や公園のほか、アイヌ民族の歴史や文化を紹介する博物館などの展示施設の設置を検討してきており、博物館のあり方については、同部会の報告書が「国が主体的に整備する」と定めていた。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/339534.html

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アイヌ民族教育の軌跡を出版へ 釧路

2011-12-23 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 12/23 10:00)

 【釧路】明治から大正期にかけて釧路市内の春採アイヌ学校(のち春採尋常小)の教師を務め、アイヌ民族の教育に尽くした永久保秀二郎(1849~1924)の日記が来年、アイヌ文化振興・研究推進機構の助成で出版される。読解に取り組んできた「永久保日誌を読む会」(高井博司代表)は「教育史や郷土史研究に欠かせない資料」と意義を語る。(小坂洋右)
 宮城県出身でクリスチャンだった永久保は、1891年(明治24年)から1920年(大正9年)までの29年間、アイヌ民族が暮らす春採に暮らしながら釧路聖公会が運営する同学校で教えた。日記は亡くなるまで33年間に及び、出版は上下巻計約千ページになる。
 次第に民族の境遇に同情していく心境や地域で行われた熊の霊送り(イヨマンテ)の様子、頻繁に学校視察があったことがうかがえるほか、市内や国内の事件・災害、釧路の花鳥歳時記なども丹念に書き込まれている。
 市の指定文化財として市立釧路図書館に保管されている原本を、地元高校の元国語教員らが2001年に「読む会」を結成して読み解いてきた。一昨年、けん引役の初代代表永田秀郎さんを亡くしたが、遺志を継いで原稿をほぼ完成させた。
 高井代表は「当初は活字化したものをDVDに記録することを目指したが、出版助成が得られたので印刷物として出せることになった。郷土史の裏づけにも活用できる貴重な資料」と話す。2月末出版予定で、上下各100部印刷。アイヌ民族の団体や図書館、研究施設などに配布する。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki3/339515.html

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丸木舟建造へカツラ伐採 平取

2011-12-23 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 12/22 10:00)

 【平取】道アイヌ協会平取支部(木村英彦支部長)は19日、アイヌ民族伝統の丸木舟「チプ」1隻を新しく造るため、町内岩知志の国有林でカツラの木1本を伐採した。
 カツラは樹齢約300年で、直径1・2メートル、高さ20メートル。日高北部森林管理署から払い下げを受けた。伝統技術の伝承のため、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構の助成を受けて実施。平取での新造船は2年ぶりとなる。
 支部の会員ら9人が参加。伐採前には、木村支部長が「けが無く作業を終えられるようお守りください」とアイヌ語で山の神に祈りをささげ、二風谷の工芸家尾崎剛さんがチェーンソーで15分ほどかけて切り倒した。
 今後、二風谷の作業場で、尾崎さんが講師となって支部の若手を中心に来年2月中旬までにチプを完成させ、8月の舟下ろしの儀式チプサンケで、進水させる予定。(成田智加)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/339326.html

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【白老】2011年度上半期観光客入り込み102万人

2011-12-22 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2011年 12/21)

 白老町は20日、今年度上半期(4~9月)の観光入り込み客数を発表した。総数は102万4202人で、前年同期より0.3%、3552人の微増だった。3月の東日本大震災で影響を受けたものの、前年度の口蹄(こうてい)疫問題で相次ぎ中止となったイベントの復活などが押し上げ要因となった。
 内訳は、日帰り客が98万4718人(前年同期比0.3%増)、宿泊客が3万9484人(同0.7%増)。地区別では虎杖浜温泉が49万2236人(同4.5%減)、白老が53万1966人(同5.3%増)。
 増加要因は、2年ぶりとなった白老牛肉まつり(6月4、5日)、元気まちしらおい港まつり(7月23、24日)の開催。牛肉まつりは過去22回の開催史上最多となる4万9500人が来場。白老牛ブランドの人気を象徴する結果となった。花火大会や自衛隊ミサイル艇の公開などを催した港まつりも2万6500人と、5年ぶりに2万人の大台を回復した。
 また、虎杖浜温泉地区の宿泊客が前年同期より約10%増。町は昨秋に開業した「心のリゾート 海の別邸ふる川」が、大手旅行雑誌「じゃらん」の「泊まって良かった宿(総合)ランキング」旅館部門で全道3位(10月末現在)と高い人気を誇っていることを要因に挙げている。
 逆に減少要因となったのが、東日本大震災。震災直後は原発事故の影響で、海外客の多く訪れるアイヌ民族博物館や国道沿いの物産施設が「開店休業」状態に。アイヌ民族博物館の上半期入場者は過去最低ペースの8万7933人(同32.6%減)、虎杖浜温泉地区の飲食店・みやげ客は20万5577人(同17.5%減)と苦戦した。
 上半期の入り込み総数は前年同期こそわずかに上回ったものの、前年は過去5年間で最も少ないペース。2大イベントの復活を差し引いたところで見ると、厳しい状況に変わりはないといえそうだ。
 胆振管内の各自治体の上半期入り込み数は、登別市が最多の141万人(同19.4%減)、洞爺湖町129万人(同23.1%減)、苫小牧市109万人(同2%増)、伊達市107万人(同7.8%減)、白老町の順で続いている。
http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11122102.html

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アイヌの長老が吉里吉里で追悼儀式

2011-12-22 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2011年12月21日

大槌町吉里吉里で廃墟(はいきょ)の中にぽつんと立つカフェ「APE(あぺ)(アイヌ語で火)」で20日夜、東日本大震災の犠牲者を悼むため、アイヌの神に祈る儀式「カムイノミ」があった。
 北海道・旭川市の川村アイヌ民族記念館の川村兼一館長(60)と、儀式を教わった旭川龍谷高校郷土部の生徒らが、零下の寒さの中たき火を囲み、海に向かい祈りを捧げた。アイヌ語で砂浜を意味する「キリキリ」が語源との説もある吉里吉里に先祖の縁を感じた川村さんが、支援者の招きに応じた。
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001112210002

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「永久保日誌」完成/釧路

2011-12-22 | アイヌ民族関連
釧路新聞  2011年12月21日

 春採アイヌ学校で教師を務め、生涯を通じてアイヌ教育に献身した永久保秀二郎氏(1849│1924)の33年間にわたる日誌を現代語に書き改めた翻刻が市民有志によって完成した。2001年から元高校教諭らが「永久保日誌を読む会」を結成。初代代表を務めた故永田秀郎氏(1934―2009年)の遺志を受け継ぎ、10年に及ぶ労作を仕上げた。高井博司代表は「アイヌ教育の歴史や郷土史としての価値は高い」と手応えを感じ、来年2月29日には上下巻として刊行する予定だ。 
http://www.news-kushiro.jp/news/20111221/201112212.html

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北方民族とトナカイ紹介 網走

2011-12-21 | 先住民族関連
(北海道新聞 12/20 10:00)

 【網走】道立北方民族博物館で17日、トナカイとフィンランドなど北方地域に暮らす先住民族との関わりを紹介する講座「トナカイの話」が開かれ、市民ら14人が参加した。
 講師の中田篤・主任学芸員は、北緯60度以北に分布するトナカイは、野生種は2万年以上前から重要な狩りの獲物で、家畜種は約3千年前から毛皮や食肉、乳製品、荷物運搬用などとして飼われていることなどを紹介。ひづめの幅が広いため、深い雪や湿地、山間部でもうまく歩くことができ、そりのけん引役として重宝されていることなども説明した。
 続いて、トナカイに関わる常設展示の見学を行い、参加者は毛皮のコートや角で作ったスプーン、木製のそりなどを鑑賞した。(大沢祥子)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/338925.html

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ドキュメント アメリカ先住民―あらたな歴史をきざむ民 [著]鎌田遵

2011-12-20 | 先住民族関連
ブック朝日コム [掲載]2011年12月11日  

[評者]後藤正治(ノンフィクション作家) [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

居留地に育つ新しい希望の芽
 アメリカ中西部を旅していた日のこと。砂漠地帯を走るフリーウエーの側(そば)に、突如「カジノ」の看板とギンギラ模様の建物が現れた。なんでこんなところに……と思ったものだ。本書を読んで謎が解けた。フリーウエーの原籍をたどれば、この道は先住民たちが往来した交易路であり、カジノは、居留地へと囲い込まれた民に与えられた“地域振興策”であったのだと。
 先住民の歴史はアフリカから連れて来られた黒人たちに比べてもなお苛酷(かこく)である。黒人たちは奴隷として売られたが、“絶滅”にさらされることはなかったから。新大陸開拓史のヒーローは先住民にとっては虐殺者であり、奴隷解放の父・リンカーンも先住民には冷徹な大統領だった。
 著者はカリフォルニア大学バークリー校などで先住民を専攻した若き研究者。全米にちらばる居留地を訪ね、時にベビーシッターをつとめ、脅され、進学相談に乗りと、生身の彼らと交流しつつ本書をまとめた。目線は柔らかくて複眼的であるが、積年のフィールドワークがもたらしたものでもあるのだろう。
 カジノの隆盛によって豊かになった居留地もあるが、アブク銭は人々の自立心を奪う。貧困、差別、アルコール依存、麻薬……居留地が抱える社会問題は依然深刻である。一方で、新しい希望の芽も育っている。
 バークリー校の講師、キンバリー・トールベアーは、かつて連邦軍に刃向かって殺されたダコタ族の勇士リトル・クロウから数えて6世代目の子孫。居留地の環境問題に取り組んできた。7代目になる娘カルメンは伝統的な部族文化を伝える踊り子でもある。
 居留地から若い研究者、弁護士、実業家たちが育っている。先祖ではなく、わたし自身を見てほしい——キンバリーの言葉である。過酷なる、もうひとつのアメリカ史が塗り替えられていく息吹が伝わってくる。
    ◇
 大月書店・2940円/かまた・じゅん 72年生まれ。亜細亜大学専任講師。アメリカ先住民研究、都市計画学が専門。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011121200018.html?ref=top

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【白老】サケ皮でコースター作り

2011-12-20 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2011年 12/19)

 サケの皮でコースターを作る体験が18日、白老町若草町のしらおいイオル事務所チキサニで開かれた。
 サケ皮を靴や衣装の製作に活用するアイヌ民族の伝統に理解を深めようと企画した。サケの皮は今秋に町内で捕獲・解体し乾燥させたものを使用。町内外から約20人が参加、町内在住の下河ヤエさんが講師を務めた。
 作業では14センチ四方の布に赤や緑などの糸でオホカラ(鎖縫い)、キラウ(とげ)といった独特のアイヌ刺しゅうを施し、模様の隙間にサケ皮を縫い付けた。完成したコースターからは磯の香りがほんのりと漂い、参加者たちが出来栄えを楽しんでいた。
http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11121902.html

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