北海道新聞 12/22 17:00
木彫り熊の前で笑顔を見せる藤戸竹喜さん。「全ての作品を熊が彫らせてくれた」と語っていた=2016年12月、釧路市の自宅
大きな木の塊から動物や等身大の人物像を彫り出し、命を吹き込む姿は神業だ。デッサンなんてない。「じっと木を見ていると姿が出てくる。あとは上手に余計な木を取り除いて、中の物を出してあげるだけ」。簡単に言ってのけるが、それは何千回、何万回という気の遠くなる時間、彫り続け、身に付けたものだ。
旭川で育った。小学校は2年で「中退」し、12、13歳から「熊彫り」を生業としていた父の下、本格的に彫り始めた。全道の観光地で実演販売し、25歳で阿寒湖畔(釧路市)に腰を落ち着けた。
34歳で挑戦した等身大の観音像で才能を開花。作品の数々は米国スミソニアン国立自然史博物館や道立近代美術館の企画展にも出展され、JR札幌駅ではエカシ(長老)像が今も人々を出迎えている。
一見、こわもてだが、愛嬌(あいきょう)たっぷりで多趣味な人だった。バイクとクラシックカーを愛し、自宅に立ち寄ると、いつも自慢のコーヒーを入れながら、昔のやんちゃ話や次作の構想を聞かせてくれた。
「熊を究めれば、熊以外の物にも挑める」。父の教えを忠実に守り、これまで「民芸品」だったアイヌ作品を「芸術」に昇華させた。文化庁の地域文化功労者に選ばれ、昨年から今年にかけて、札幌と大阪府で個展も開いたが、「もっとうまくなりたい」と入院直前まで仕事に励んだ。「最後の熊彫り」を自称し、棺の中には、自ら用意した熊のお面が添えられた。
14日に行われた北海道功労賞の贈呈式で茂子夫人はあいさつした。「藤戸竹喜は、アイヌ民族として生まれたからこその人生を全うしました」。この日は四十九日だった。(旭川報道部 山崎真理子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/261184
木彫り熊の前で笑顔を見せる藤戸竹喜さん。「全ての作品を熊が彫らせてくれた」と語っていた=2016年12月、釧路市の自宅
大きな木の塊から動物や等身大の人物像を彫り出し、命を吹き込む姿は神業だ。デッサンなんてない。「じっと木を見ていると姿が出てくる。あとは上手に余計な木を取り除いて、中の物を出してあげるだけ」。簡単に言ってのけるが、それは何千回、何万回という気の遠くなる時間、彫り続け、身に付けたものだ。
旭川で育った。小学校は2年で「中退」し、12、13歳から「熊彫り」を生業としていた父の下、本格的に彫り始めた。全道の観光地で実演販売し、25歳で阿寒湖畔(釧路市)に腰を落ち着けた。
34歳で挑戦した等身大の観音像で才能を開花。作品の数々は米国スミソニアン国立自然史博物館や道立近代美術館の企画展にも出展され、JR札幌駅ではエカシ(長老)像が今も人々を出迎えている。
一見、こわもてだが、愛嬌(あいきょう)たっぷりで多趣味な人だった。バイクとクラシックカーを愛し、自宅に立ち寄ると、いつも自慢のコーヒーを入れながら、昔のやんちゃ話や次作の構想を聞かせてくれた。
「熊を究めれば、熊以外の物にも挑める」。父の教えを忠実に守り、これまで「民芸品」だったアイヌ作品を「芸術」に昇華させた。文化庁の地域文化功労者に選ばれ、昨年から今年にかけて、札幌と大阪府で個展も開いたが、「もっとうまくなりたい」と入院直前まで仕事に励んだ。「最後の熊彫り」を自称し、棺の中には、自ら用意した熊のお面が添えられた。
14日に行われた北海道功労賞の贈呈式で茂子夫人はあいさつした。「藤戸竹喜は、アイヌ民族として生まれたからこその人生を全うしました」。この日は四十九日だった。(旭川報道部 山崎真理子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/261184