先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

生誕120周年記念コンサート 来月8日、知里幸恵 銀のしずく記念館  登別

2023-05-31 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2023.05.30
「アイヌ神謡集」の著者知里幸恵(1903~22年)の業績を伝える登別市の「知里幸恵 銀のしずく記念館」(登別本町2)は6月8日午後3時から、生誕120周年記念コンサートを開催する。出演予定だったフィンランドの伝統弦楽器カンテレの奏者あらひろこさんが今月5日に急逝し、あらさんの追悼も行う。

チラシを手に来場を呼び掛ける松本理事長
 出演は、アイヌ民族にルーツを持つ札幌市在住のシンガー豊川容子さん(45)。伝承された歌や口承文芸、ポップス調のオリジナル曲を披露する。演目は、アイヌ神謡集にまつわる「銀の滴降る降るまわりに」「ウパシランラン」「60のゆりかご」など。
 豊川さんは道内を中心にソロやグループ「nincup(ニンチュプ)」のボーカルとして活動。あらさんとは昨秋にも同館でコンサートを行い、今年1月ごろから今回の準備を進めていた。
 同館を運営する知里森舎の松本徹理事長は「アイヌ文化の魅力をこれまで以上に発信し、多くの人に知ってもらえる機会にしたい」と話している。
 参加無料。定員60人。問い合わせ、申し込みは6月5日までに同館 電話0143(83)5666。
https://hokkaido-nl.jp/article/29495

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北多摩戦後クロニクル 第22回 1962年 保谷の民族学博物館が閉館 日本で初めて民家を野外展示

2023-05-31 | アイヌ民族関連
ひばりタイムス2023年5月30日
投稿者: 片岡義博 カテゴリー: 連載・特集・企画
 1962(昭和37)年、保谷町(現西東京市)にあった「民族学博物館」が閉館した。生活の中に息づく民具の紹介と研究を夢見た学者たちが私財を投じて1939(昭和14)年に開館。野外で民家などを展示する日本初の博物館だった。時を経て地元でもほとんど忘れ去られつつあったが、近年、その業績と軌跡を記録し、後世に伝える市民活動が展開している。
民俗学者たちの夢
 博物館設立の中心人物は「日本資本主義の父」と呼ばれた実業家、渋沢栄一の孫で、のちに日銀総裁や大蔵大臣を務めた実業家の渋沢敬三(1896〜1963年)だった。渋沢は世界の諸民族の文化・社会を研究する「民族学」に対して庶民の生活文化・歴史を探求する「民俗学」に傾倒し、若き民俗学者を支援することを自らの使命とした。北欧旅行中、広大な敷地に民家や民具、当時の生活を保存・再現しているスウェーデンのスカンセン野外博物館に感銘を受け、同様の博物館を日本にも建設するという夢を抱く。
 西欧化と近代化の波により従来の生活様式が失われつつあった1920年代、渋沢は東京・三田の自邸の物置屋根裏に「アチックミューゼアム」(屋根裏博物館の意)を立ち上げ、仲間と共に郷土玩具や民具、漁具、農具の収集と共同調査をしていた。そのメンバーで渋沢と夢を共有したのが、武蔵野鉄道(のちの西武鉄道)重役で保谷の大地主だった高橋文太郎(1903〜1948年)と、早稲田大学建築学科教授で「考古学」に対して「考現学」を提唱した保谷在住の今和次郎(1888〜1973年)だった。
 国民の文化的アイデンティティーを形作ろうとする民族学博物館は極めて政治的な存在でもある。渋沢は皇紀二千六百年(1940年)記念事業の一環として国立の「日本民族博物館」設立を政府に提起するが、日中戦争のさなか見送られる。そこで高橋が旧保谷村下保谷の所有地を、渋沢は土地とミューゼアムの収蔵品2万点余りを、渋沢の肝いりで設立した日本民族学会に寄贈。さらに民家研究者の今和次郎が博物館の全体構想図を描き、民家移築に尽力した。

民族学博物館。左は奄美の高倉、右奥はアイヌの民家(1960年、西東京市図書館所蔵)
■ 失われた痕跡
 1939年、西武池袋線保谷駅の南東約500メートルの現西東京市東町1丁目に「日本民族学会付属民族学博物館」は開館した。8千坪の敷地に付属研究所と木造平屋建ての展示・収蔵棟(360坪)を設け、日本をはじめ当時統治下にあった朝鮮、台湾、中国、千島、樺太、南洋諸島、東南アジア諸国の民具などを収めた。野外には高橋が所有する武蔵野の古民家、今が設計した絵馬堂を展示し、のちにアイヌの住居群を新築、鹿児島県・奄美大島の高倉を移築した。
 ところが開館翌年、高橋が突然研究所員を辞め、寄付した土地の一部を引き揚げてしまう。理由は日本民族学会後身の財団法人民族学協会の翼賛体制のため、国立博物館構想の頓挫のため、研究所内の派閥抗争のため、家庭の事情のため――など諸説あるが、確かなことはわかっていない。
 敷地がほぼ半減した博物館は戦中、小学校の疎開先になるなどしたが、一般市民にも公開された。しかし戦後、公職追放と財閥解体によって渋沢による資金的援助は難しくなる。もともと展示・収蔵棟や研究所棟は鉄道会社の仮事務所などを譲り受けた木造バラックで、老朽化と資金不足によって博物館は1962年に閉館を余儀なくされた。そして翌年、渋沢も他界した。
 民具などの資料は国に寄贈され、文部省史料館(現国文学研究資料館)を経て大阪府吹田市に創設された国立民族学博物館に引き継がれた。野外展示物は処分されたが、唯一、奄美の高倉だけは小金井公園にある現在の江戸東京たてもの園に移築された。
 1999年、民族学協会後身の民族学振興会は解散し、敷地の一画に残っていた事務所も取り壊されて、民族学博物館の痕跡は保谷から失われた。2022年12月、博物館があった旧清水建設社宅跡地の一部に「保谷スダジイ広場」が設けられ、博物館開館当時からあったスダジイの大樹前に「民族学博物館発祥の地」と題された銘板が移設された。
■ 高橋文太郎の功績を継承
 45歳の若さで病没した高橋文太郎は活動期間が戦前戦中の15年と短かったため、学界ばかりか地元でもほとんど忘れられた存在だった。高橋の『武蔵保谷村郷土資料』は当時の武蔵野の農村生活を詳細に伝え、『秋田マタギ資料』は山人の暮らしを考察した先進的研究だった。
 屈指の資産家だった高橋家は保谷駅前商店街の整備、文化施設の誘致など地域の発展に大きく貢献した。しかし武蔵野鉄道の負債や相続税で資産の大半を失い、贅を尽くした邸宅は西武鉄道の手に渡り、宴会場を伴う北京料理「保谷武蔵野」に変わった。それも2002年に廃業、建物も取り壊された。
 失われてゆく貴重な地域史に危機感を覚えた市民有志が2007年、「高橋文太郎の軌跡を学ぶ会」を立ち上げ、資料集めと関係者の聞き取りに奔走した。博物館開館70周年に当たる2009年には跡地に前述の銘板を設置するとともに講演会、写真展、民具展示会を開き、高橋の業績と博物館の軌跡をまとめた2冊の研究書を刊行。同会を引き継いだ「下保谷の自然と文化を記録する会」は地域の自然や文化、歴史を調べた冊子を相次ぎ発行している。
 民族学協会の本部があった保谷はかつて多くの研究者が訪れ、「民族学の聖地」と呼ばれた。民俗学者の宮本常一(1907〜1981年)は大戦末期、民族学博物館の収蔵品を空襲から守るため泊りがけで民具整理に尽くした。宮本が教授に就任した武蔵野美術大学(小平市)の民俗資料室には宮本の指導で全国から集めた民具約9万点が収蔵されている。
 小金井市の江戸東京たてもの園は野外博物館として江戸から明治、大正時代の建物を移築・保存し、小平ふるさと村では江戸時代からの地元の古民家などを見学できる。渋沢ら民俗学者の夢はこの地にかたちを変えて受け継がれている。
(片岡義博)
【主な参考資料】
・西東京市・高橋文太郎の軌跡を学ぶ会『高橋文太郎の真実と民族学博物館』
・西東京市・高橋文太郎の軌跡を学ぶ会『渋沢敬三・高橋文太郎と民族学博物館』
・『保谷市史 通史編3 近現代』
・西東京市教育委員会「民族学博物館」
・丸山泰明著『渋沢敬三と今和次郎』(青弓社)
https://www.skylarktimes.com/?p=41913

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界に癒やし ナバホ族舞う 米国の先住民族、ウポポイで交流

2023-05-31 | 先住民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年5月30日 22:29

金属が擦れ合って音が鳴るドレスを着て踊るナバホ族の2人
 【白老】米国の先住民族ナバホ族の文化継承者2人が30日、「民族共生象徴空間(ウポポイ)」で、大地への祈りと癒やしを込めた「ジングルドレス・ダンス」を披露した。
 エリン・タパヒさん(27)と、妹のディオン・タパヒさん(25)さん。エリンさんなどによると、ダンスは同じ米国の先住民族オジブエ族発祥で、20世紀初頭にスペイン風邪が流行した際に、踊りの力で病を治癒しようとしたことが起源とされる。ナバホ族はオジブエ族と友好関係を持ち、文化を共有するという。
 ・・・・・
(斎藤雅史)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/853980/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペンテコステと「7000の言語」の世界

2023-05-31 | 先住民族関連
アゴラ2023.05.30 11:55
ユダヤ系米国人の認知科学(Cognitive science)の専門家レラ・ボロディツキー氏によると、世界には約7000の言語がある。その中には口述だけで、時間の経過とともに消滅していく言語がある。各言語はその民族の歴史、文化、生活環境などと密接に繋がっているから、一つの対象、概念、感情を表現するのに数千の異なった言語が存在し、それぞれ独自の意味、概念を内包している。
ボロディツキー氏は、「言語の違いが認知能力に影響を与える。人々が根本的に違った言語で話すなら、考え方も違ってくる」と主張する。一時期、言語と思考は人類の普遍的な共有物だといわれてきたが、実際は、言語は、空間、時間、因果関係、他者との関係といった人間の経験の基本的な側面さえも形成していくことが明らかになってきた。「7000の言語」があるということは、「7000の異なった世界」があるということを意味するというのだ。
例えば、オーストラリア北部のヨーク岬半島の西端にあるアボリジニの小さな集落ポーンプラウでは、英語やドイツ語とは異なり、そこで話されるクーク・ターヨール言語には、左や右などの相対的な空間表現(左右)はなく、「コップは皿の南東にある」とか「マリアの南に立っている少年は私の兄弟です」と言う。ポーンプラウでは自分自身を明確に表現するには、常に羅針盤を念頭に置く必要がある。
また、言語が異なれば、時間の表現方法も大きく異なる。英語を母国語とする人は未来のことを考える時、無意識に体を前に傾け、過去のことを考える時に無意識に体を後ろに傾ける。アンデスで話される先住民族の言語であるアイマラ語は、過去について話す時は「前方」を意識し、未来について話す時は「後方」を意味する。なぜならば、過去は目撃し、体験したことだから「前方」に知覚できるが、未来は未体験だから知覚できないので「後方」という考えになるわけだ。
「ハンスが花瓶を割った」といった状況を考えてみる。日本語やスペイン語では、その原因について言及することを躊躇し、「花瓶が割れた」という。スペイン語と日本語を話す人は、英語を話す人よりも事故について積極的に説明する傾向は少なく、誰が事故を引き起こしたかを覚えている可能性は低いという。また、バイリンガルの人は、現在使用している言語に応じて「世界観」が変わると証言している。好き嫌いでさえも、質問される言語によって異なるという。
なぜ、そんなことを書くかというと、28日は「教会が始まった日」と呼ばれる聖霊降臨祭(ペンテコステ)だったこともあって、ペンテコステを記述した新約聖書の箇所を再読して改めて驚いたからだ。以下、少々理屈っぽい話だが、読んでもらえば幸いだ。
聖霊降臨祭とはイエスの十字架、3日後の復活、40日間の歩み、昇天、その10日後に五旬節を迎える。興味深いのは聖霊が降臨すると、集まっていた弟子たちは学んだことがない国の異言を語り出し、周囲の人々を驚かせたというのだ。学んだことがないロシア語が突然、スラスラと飛び出したならば、本人はびっくりするが、周りの人も驚くだろう。そのような奇跡が2000年前、起きたのだ。新約聖書「使徒行伝」第2章に記述されている。
ちょうど、「7000の言語」の話を聞いた直後だったので、当方はペンテコステの話を別の視点で考えることができると思った。イエスの福音を伝達するためには言語は大切だ。“ユダヤ教のセクト”と呼ばれた初期キリスト教会が中東地域、そしてローマに広がっていき、世界宗教に発展するまで多くの言語の壁をクリアしなければならなかった。宣教師の最初の仕事は任地での言語をマスターすることだ。言語、すなわち、ロゴスが全ての初めだった。
ところで、旧約聖書の「創世記」第11章には「バベルの塔」の話が記述されている。神の戒めを破った人間たちが神のようになるため、天まで届く高い塔を建設しだした。当時は「全地は同じ発音、同じ言葉であった」という。そこで神は建設している人間たちの言葉を混乱させて、意思疎通できないようにさせた。その結果、言語が多数生まれた。現在7000余りの言語が存在するわけだ。
「ヨハネによる福音書」によれば、神が創造した世界は全てロゴスからできるというから、現存する言語が統合されれば、神が創造したロゴスが蘇生するのではないか。具体的には、7000の言語を統合した暁には「バベルの塔」前の世界に戻り、神の世界を今以上に理解できることになる。神が創造した直後、世界を覆っていたロゴスの世界に戻ることになる。
「私たちは知っている」というが、それは7000の言語の中の一つの言語体系、限られたロゴスから理解しているだけに過ぎない。だから、言語が混乱していなかった前のロゴスの全体像からはほど遠い。ということは、多種多様に広がった言語体系が統合されれば、混乱していたロゴスが本来の姿を現すことになる。その時、私たちはその対象を「知っている」と言えるだろう。
ペンテコステの奇跡はイエスの福音の全体を把握するためには、言語の統合が不可欠であるということを間接的に教えているように思われる。ただ、7000の言語を全てマスターしている人間はいないから、神を知っている人は誰もいない。いずれにしても、神が創造したロゴスの原型をそのまま理解するためには言語の統合が避けられないということになる。
聖霊が降臨するとは、全ての言語体系の源流の本来のロゴスが現れることを意味したのではないか。だから、イエスの弟子たちはイエスの教えを理解し、迫害を恐れない強い使徒として生まれ変わっていったのだ。逆に、聖霊が降りない限り、神が分からない。無数の言語に別れたロゴスでは神の一部しか理解できないので、神の定義一つを取っても対立し、神戦争が起きる原因となる。現在の世界はそれだろう。
ここで、少し飛躍する。心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した「集合的無意識」という概念がある。歴史、民族を越え、カインの殺人、洪水神話の話など、同じ体験談や共通の記憶が世界至る所に残されている。ひょっとしたら、本源のロゴスが「集合的無意識」となって歴史、民族を越えて人間の中に記憶されているといえるのではないか。換言すれば、「集合的無意識」が言語体系によって異なってしまったロゴスを結びつける接着剤のような役割を果たしているというわけだ。
オーストリアはローマ・カトリック教国だ。29日の月曜日も「ペンテコステの月曜日」で祝日だった。「言語の統一」と言えば、気が遠くなるようなテーマだが、“21世紀のペンテコステ”を迎えて、言語の壁を越えて完全な相互理解が実現し、今まで隠されてきた神の世界が鮮明に分かる時が到来することを願う。
https://agora-web.jp/archives/230529101430.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラジル》マドゥーロ大統領が来伯=南米首脳会談出席のため=ルーラ「歴史的瞬間だ」

2023-05-31 | 先住民族関連
ブラジル日報5/30(火) 7:19配信

29日のルーラ大統領とマドゥーロ大統領(Marcelo Camargo/Agencia Brasil)
 ベネズエラのマドゥーロ大統領が28日、ブラジリアを訪れ、ルーラ大統領は「歴史的瞬間だ」と歓迎した。30日に行われる南米首脳会議に参加するためだが、29日には「関係修復」を目的としたルーラ大統領との2カ国会談も行われた。ブラジルではテメルおよびボルソナロ政権の間、マドゥーロ政権を認めず、多くのブラジル・メディアも〝独裁者〟扱いしてきた。29日付フォーリャ紙などが報じている。
 マドゥーロ大統領は28日夜、シリア・フローレス夫人と共にブラジリアの空港に降り立った。同大統領夫妻は29日にプラナウト宮(大統領府)を訪れ、ルーラ大統領とジャンジャ夫人の出迎えを受け、2カ国会談や閣僚も含めた会談に臨んだ後、外務省での昼食会にも出席した。
 これは、ここ数年間の両国関係を変えるものだった。そのことは、29日の会合その他のスケジュールが当日の朝、発表されたことに象徴されている。他国の首脳らの訪問日程や数日前からアナウンスされるのが常だ。だが、異例の当日発表には反対派を懸念したことがうかがえる。
 マドゥーロ氏は2013年、ルーラ氏と懇意だったチャベス前大統領の死後、副大統領から昇格。マドゥーロ政権は発足後に失政が続き、2016年の国民議会選挙では与党側が議席の37%にとどまる惨敗を喫した。だが、マドゥーロ氏は制憲議会を与党中心に設立したことで国民議会を骨抜きし、独裁体制を固めた。
 この制憲議会をテメル政権が認めなかったためにブラジルとの関係が悪化。2018年の大統領選でマドゥーロ氏は再選した際も、ブラジルは認めず、2019年1月、国民議会議長のフアン・グアイド氏がマドゥーロ氏と並行する形で暫定大統領就任を宣言すると、ボルソナロ(当時)大統領は同氏を大統領として承認。ブラジル国内のベネズエラ領事館にはグアイド政府による大使が勤めていた。テメル~ボルソナロ政権期には、政敵弾圧や高インフレなどによって同国の生活がより不安定になり、ブラジルに亡命してくる人も相次いだ。
 だが、22年10月の大統領選でルーラ氏が当選。グアイド氏も同年12月に議長を追われたため、グアイド政権も消滅。マドゥーロ政権との国交が戻っていた。
 3月には第1、2期ルーラ政権の外相で外交特別顧問のセルソ・アモリン氏が首都カラカスにマドゥーロ大統領を訪ね、ベネズエラがブラジルに対して負っている10億ドルに及ぶ負債などについて話し合った。アモリン氏はこの際、野党側とも話し合いを行っている。
 29日に行われた首脳会談では、ブラジルとマドゥーロ政権の国交回復やベネズエラで2024年に行われる大統領選挙のこと、カラカスに拠点を置く20を超えるブラジルの機関の今後の役割、ヤノマミ族を含む、両国国境の先住民の問題などが話されている。
 30日にはブラジリアで南米諸国の首脳会議が開かれ、マドゥーロ大統領も出席する。同会議にはペルーを除く11カ国が参加する予定だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/57c860bd7b1ea574b1802b463141cdf20afc15f6

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子ども4人、なお生存の可能性 コロンビア飛行機墜落から1か月

2023-05-31 | 先住民族関連
AFPBB News5/30(火) 14:43配信

コロンビア・カケタ県ソラノのアマゾンの密林で、飛行機が墜落し行方不明になっている子ども4人を探す兵士と先住民。コロンビア軍提供(2023年5月23日入手)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】南米コロンビア軍は29日、アマゾン(Amazon)の密林地帯で1日に墜落した飛行機に搭乗し、行方不明になっている先住民の子ども4人について、まだ生存している可能性があるとの認識を示した。捜索活動は今も続けられている。
【写真7枚】兵士と話をする行方不明になっている子どもの父親
 行方不明になっているのは生後11か月の乳児、4歳、9歳、13歳のきょうだい。同乗していた母親とパイロット、先住民の指導者は死亡が確認されている。
 グスタボ・ペトロ(Gustavo Petro)大統領は17日、4人が発見されたと発表したが、翌日に撤回した。
 約320平方キロにおよぶ密林地帯を、兵士約200人と、一帯の地理に詳しい先住民が捜索している。
 ジャングルにはジャガーやピューマ、ヘビといった野生動物に加え、麻薬密売の武装集団も潜んでいるため、空軍はヘリと衛星画像を利用し捜索に当たっている。
 衛星画像から子どもたちが飛行機の残骸から移動した経路が明らかになっている。捜索隊は、子どもたちの所持品や一時しのぎの避難場所、食べかけの果物などを発見。先週は、靴1足とおむつを見つけている。
 空軍はスペイン語と、子どもたちの使用言語である先住民ウイトト(Huitoto)の言葉で「その場から動かないで」との忠告や、サバイバル方法を記したビラ1万枚を空からまいた。食料の包みやペットボトル入りの水も投下している。
 捜索に加わっているファウスト・アベジャネダ(Fausto Avellaneda)大佐が28日にテレビ局に語ったところによると、軍は最長3キロ先まで照らす強力なサーチライトを設置。捜索隊は、子どもたちの祖母が呼び掛ける録音音声も流している。
 捜索を指揮するペドロ・サンチェス(Pedro Sanchez)将軍は、子どもたちが100メートル以内にいると思われる場所までたどり着いたが、うっそうと茂る樹木や湿地、暴風雨に阻まれ、発見には至らなかったと話した。
 ウイトトの人々はジャングルと共生していることで知られ、子どもの頃から狩猟採集技術を学んでいる。【翻訳編集】 AFPBB News
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ae4ebff2e932711d841e725993ce4e33f7c4145

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済産業省とカナダ・ブリティッシュコロンビア州政府はエネルギー分野及び研究開発分野での協力を確認しました

2023-05-31 | 先住民族関連
経済産業省2023年5月30日

5月30日(火曜日)、太田経済産業副大臣は訪日中のイービー カナダ・ブリティッシュコロンビア(BC)州首相の表敬を受け、エネルギー分野及び研究開発分野での協力を確認しました。
太田経済産業副大臣とイービーBC州首相は、経済産業省とBC州政府の具体的な協力について、意見交換を実施し、その結果以下の内容を確認しました。なお、BC州政府からも同じ内容のニュースリリースが発出される予定です。
BC州は豊富なエネルギー・鉱物資源を有し、その地理的特性は、日本やアジア全体との強固な貿易関係を支えるものです。経済産業省とBC州政府(以下、「両者」)は、エネルギー安全保障の強化とカーボンニュートラル実現を目指すため、個別の地域事情に応じた多様で現実的なエネルギートランジションを進め、エネルギー分野での協力を深化させることが重要との認識を共有しました。そのために、両者は、再エネ、省エネ、水素/アンモニア、CCUS/カーボンリサイクル等の多様な技術とエネルギー源を活用した、それぞれのエネルギートランジション計画について意見交換を行いました。
両者は、特にエネルギー・鉱物資源分野の開発プロジェクト等において、BC州における許認可プロセスに係る要素についての意見交換や先住民コミュニティとの意義ある関わりの促進に向けて、協力を継続していくことを確認しました。またBC州政府は、日本からの投資を歓迎し、事業が円滑に進むよう引き続き尽力することを確認しました。
両者は、「LNGカナダ」プロジェクトを始めとするLNGへの投資やガス開発に関する協力が、双方の気候変動対策目標及びカーボンニュートラリティ達成に向けた計画に沿ったものであることの重要性を共有しました。またBC州政府は、州内のLNG開発プロジェクトは、州の新しいエネルギー枠組みに合致したものでなければならないと言及しました。
両者は、独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)とBC州政府との間の相互協力に関する合意書(MOU)の延長を歓迎し、同MOUの下での両者のBC州における天然ガス、水素、アンモニア、CCUS、原料炭及び鉱物資源の潜在的ビジネス機会並びに関連技術開発を見出すための相互協力を更に進めていくことを確認しました。
両者は、エネルギー・サプライチェーンにおける脱炭素化の必要性に鑑み、水素燃料電池の研究開発を始めとするクリーンテクノロジーの分野における企業連携を後押ししていくことを確認しました。
BC州は、カナダ連邦政府からデジタル技術分野でのイノベーション・スーパークラスターに認定されており、日系企業も多く進出しています。両者は、AI・量子などの先端技術の研究開発分野での協力深化を通じて産業技術の進展に寄与するため、引き続き緊密に情報交換を行い、日本とBC州の企業・研究機関の連携を活発化させていくことを確認しました。
産学共同研究を公的資金で支援するマイタクス(Mitacs:BC州に本部を置くNGO)と一般社団法人産学協働イノベーション人材育成協議会は、より高度な研究開発人材交流の枠組みを日本とカナダとの間で組成すべく、連携可能性を模索しています。経済産業省とBC州政府は、研究開発人材の交流を通じた国際産学連携の重要性を確認し、国境を越えた人材開発の機会を生み出す取り組みを推進していくため、両機関による情報交換を後押しすることを確認しました。
担当
通商政策局 米州課長 佐伯
担当者:内野、長尾、髙岡
電話:03-3501-1511(内線 2991~2995)
メール:bzl-s-tsusei-beishu-koho★meti.go.jp
※ [★]を[@]に置き換えてください。
https://www.meti.go.jp/press/2023/05/20230530007/20230530007.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2030年までの世界目標…人と地球のための「ネイチャーポジティブ」とは?

2023-05-31 | 先住民族関連
公益財団法人 日本自然保護協会2023.5.31
1992年の地球サミットで採択された生物多様性条約を批准した国による会議「生物多様性条約締約国会議」が、2年以上の延期を経て、昨年12月に開催されました。そこで2030年までに達成すべき世界目標「昆明―モントリオール生物多様性世界枠組み」が定められました。みていきましょう。
人と自然の共生を目指す新たな世界目標
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2年以上延期された生物多様性条約締約国会議(CBD-COP15)が、ようやく昨年12月にカナダ・モントリオールで開催されました。延期されていた間に、2010年愛知県名古屋市で開かれたCOP10で決まった生物多様性のための世界目標・愛知目標の達成状況が「進展はあったものの全目標は未達」との評価書が出され、このままでは100万種もの生物が絶滅すると警告する科学レポートが数千人の科学者の関与する形でまとまりました。
COP15には、前回COP14の3倍以上の参加者があり、日本からもNGO、企業・金融機関、自治体、ユースが参加し、活動アピールや、情報収集など積極的に行いました。NGOはもちろん、自治体や企業、金融機関も、意欲的な生物多様性保全の目標を求める働きかけを強める中、最後は環境大臣級の協議が行われ「昆明―モントリオール生物多様性世界枠組み」(以下、GBF)がまとまりました。
GBFの2050年の将来像(ビジョン)は「人と自然の共生」を目指すことです。2050年のゴールを、①保全、②持続可能な利用、③利益配分、④実施のための資金や手法の4つの視点で具体化しています。人と自然の共生社会に至るための2030年までの私たちの使命(ミッション)は「2030年までに、人と地球のために、自然の損失を止め反転させ、自然を回復の道筋にのせる」という「ネイチャーポジティブ」の実現と定められました。それを実現するための世界目標(ターゲット)が、23あります。
愛知目標達成の取り組みの中で得た教訓に基づいて、数値含めて意欲度の高い目標設定、目標達成のための新たな基金の創設、世界目標に基づく各国の生物多様性国家戦略の見直し時期などのスケジュール、目標達成を測る指標、途上国の実施能力向上のプランなど、GBFを世界全体で達成するための決めごとも数多くつくられました。
「あらゆる社会を通じた実現(Whole Society Approach)」という考え方や、「自然に根差した課題解決(Nature-based Solutions)」という自然を守りつつ同時に防災減災、地域振興、気候変動緩和など他のSDGs達成に寄与するという考え方も注目されています。
注目1:生物多様性損失最大要因への対策
IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム)の世界評価報告書によると、生物多様性の損失の最大要因は、陸・海の改変・利用です。これに対して5つの連動する世界目標が設定されました。
図1は日本の陸域を想定した概念図です。左は、保護地域(日本は20%と報告)以外は、自然生態系の質・面積両面で劣化し、農林水産業が営まれる管理エリアや都市において生物多様性の損失が続いている現状を示します。この状況を改善させるべく23の目標の内5つが土地利用に関する目標となっています。
国立公園などの自然保護地域や、自然共生サイト(OECM)については、少なくとも陸域・海域それぞれ30%にする(30by30)目標も合意されました。農薬や過剰肥料、生物多様性を考えない農地整備など生物多様性損失要因であった管理エリアの持続性を高めること、都市における生物多様性配慮をした緑地や水のある空間(Green/blue Space)の増加も進められます。

注目2:企業と金融による開示の推進
COP10のときと比べて具体的でかつ意欲的な目標設定が、企業や金融の世界に設定されました。世界目標15では、大企業や金融機関が事業やバリューチェーン(原材料調達先など)、ポートフォリオ(投融資先)上の生物多様性への影響や依存度、リスクや、ビジネス機会の開示をするための各種措置を取ることや、消費者に生物多様性関連の情報提供を行うことを目指しています。この情報開示については、世界共通の枠組み(生物多様性関連情報開示タスクフォース:TNFD)が作られつつあり、大企業中心に、ネイチャーポジティブに向けた行動や情報開示が急速に進んでいます。
注目3:先住民地域共同体、女性やユースの参画
GBFの交渉プロセスでは、政府だけでなく、先住民地域共同体、女性、ユースの参画が目立ちました。上記の省略版の目標では表現しきれていませんが、目標決定だけでなく、各国での計画や政策決定、その実施に至るまで、多様な世代、多様な立場を超えて、それぞれの権利を尊重し合いながら、協力していくことの重要性が、世界目標22や23に限らず、そこかしこに言葉が散りばめられています。国(行政)に実施を頼るのではなく、あらゆる声を反映させた目標達成が重視されています。
ネイチャーポジティブを日本でも進めていくために
GBFの合意までに足掛け4年の歳月を費やしました。過去10年の反省、教訓に基づく「これからのアイデア」を盛り込んだGBFを、日本自然保護協会は、国際自然保護連合日本委員会(IUCN-J)事務局としても追い続け、日本の関係者に発信を続けてきました。その経験から2つの指針で、これからの社会に訴えていく必要があると考えています。
1. 「変革」としてのネイチャーポジティブ
キャッチコピーのように急に現れた「ネイチャーポジティブ」という言葉ですが、もともとは、人と自然のために社会をどう変革するかという言葉を探る中で生まれたものでした。これまで、経済的な欲求から環境影響は「少なくすればよい」という行動があらゆる場面で積み重なって今の自然の損失につながっています。これからは、マイナスをゼロに近づけるだけではなく「プラス」を生み出す時代です。
法律を例にとっても、自然保護に関する法律ですら、プラスを生み出す意思を持って運用されているものはわずかではないでしょうか。
 英国では、環境影響評価を通じて、事業者に、事業後プラスとなるような措置を取るよう定める環境影響評価法の改正が行われ、その運用が検討されています。日本の法律、社会や経済の仕組み含めてプラスを追求するという思いに立って自然保護運動を展開することを意識する必要があります。
2.お金、技術、人 どう拡大する?
COP15では、「自然資源を浪費している先進国は、自然資源を提供している途上国をもっと支援するべきだ」という言い回しが何度もされました。
 GBFの交渉の中でも、意欲的な目標設定とその達成には、意欲的な資金・技術・能力が、保全が必要な自然豊かな地に提供され、その水準を高めていく必要があるという議論がありました(生物多様性条約では、「資源動員」というキーワードで表現)。
 日本国内においても、政府や民間の資金や技術をどう高め、地域の現場で展開していくかという工夫を含めて、GBFの国内実現ということを考えることが大事です。篤志家や財団と地域の保全現場との間に立つNGOが事業をデザインすることで、より大きな資金の流れをつくるパイプラインとなる取り組みが、日本でも参考になりそうです。
 今後は、日本各地で、自然を回復の道筋に乗せるための行動に意欲的な人々が先陣を切ってネイチャーポジティブ宣言のようなものを進めていくことになるでしょう。一方で、ネットゼロ(CO2排出ゼロ宣言)のように、中には宣言だけで行動につながっていない事例があることからも分かる通り、言葉だけの「ネイチャーポジティブ宣言」には注意する必要があります。
 私たちの自然保護活動含めて、思い切ってゼロではなくプラスへと舵を切り、自然が持つ再生の力を後押しする社会にしていくこと、本当の意味で人と自然のためのネイチャーポジティブとはどうあるべきかを、 日本自然保護協会に関わる皆さんと共に、実例づくりと政策への展開を進めていきたいと考えています。
 ****************************************
今回ご紹介したテーマをはじめ日本自然保護協会の活動のすべてが、多くの方からのご寄付に支えられています。
個人からの保護プロジェクトへのご寄付や、SDGsやESG投資に積極的な企業からの協賛寄付のほか、相続に向けた「遺贈寄付」「相続財産寄付」でご支援をいただく方もいらっしゃいます。
 大切な資産をどのように未来へつなげていくかは、それぞれ想いやご事情が異なり、必要な手続きもさまざまです。日本自然保護協会では、法務・税務・終活などの専門家と連携し、丁寧かつ慎重にご相談を重ね、ご寄付を最適な形で実現するためのサポートを行っています。
なお、日本自然保護協会への遺贈・相続財産寄付は、期限内の申告で非課税となります。また、所得税・法人税の税制優遇の対象です。土地建物や有価証券のままでのご寄付や、包括遺贈、相続人不存在への予備的遺言もご相談を承ります。
日本自然保護協会への遺贈・遺産からのご寄付のご相談・資料請求はこちらへ
https://www.nacsj.or.jp/support/bequest/message/ 
https://gentosha-go.com/articles/-/51693

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オソマ(ゴールデンカムイ)のネタバレ解説・考察まとめ

2023-05-31 | アイヌ民族関連
RENOTE2023.05.30
オソマとは、野田サトル原作の漫画・アニメ『ゴールデンカムイ』の登場人物。太い眉毛とどんぐりまなこが特徴のアイヌの少女で、主人公の杉元佐一の相棒である同じくアイヌの少女・アシリパの従妹にあたる。和人に興味を持ち、傷を癒すためにアシリパたちに連れてこられた第七師団の兵士・谷垣源次郎に懐く。作中ではアイヌの文化の紹介だけでなく、第七師団の造反組・尾形百之助の狙撃から谷垣の命を救うなどの活躍を見せた。
オソマの概要
オソマとは、野田サトル原作漫画・アニメ『ゴールデンカムイ』の登場人物。太い眉毛とどんぐりまなこが特徴のアイヌの少女。父親のマカナックルによく似た風貌をしている。病魔除けの幼名として「糞」という意味の名前を付けられている。主人公の杉元佐一(すぎもとさいち)の相棒であるアイヌの少女・アシリパの従妹にあたり、度々アシリパの家で過ごす姿が描かれている。和人に興味を持ち、アイヌとは違う耳たぶの彼らの耳を指さしては、「シンナキサラ!」と叫ぶ。また、アイヌの遊戯具を使って遊びに夢中になる姿が度々登場する。
毒矢の傷を癒すためにアシリパたちに連れてこられた第七師団の兵士・谷垣源次郎(たにがきげんじろう)に懐き、子供ながらに好意を寄せるようになる。第七師団の造反組である尾形百之助(おがたひゃくのすけ)らがコタン(村)を訪れた際、偶然とはいえ尾形の狙撃から谷垣の命を救うなどの活躍を見せた。
オソマののプロフィール・人物像

CV: 朝井彩加
主人公・杉元佐一(すぎもとさいち)の相棒であり、キーパーソンとなるアイヌの少女・アシリパの従妹。父であるマカナックルによく似ており、太い眉毛とどんぐりまなこが特徴的な少女である。アイヌ独特の風習に沿い、病魔除けの幼名として「糞」という意味の名前をつけられている。和人に興味津々で、杉元や彼らの仲間になった白石由竹(しらいしよしたけ)などに「自分たちと違う耳たぶを持つ」という意味のアイヌ語「シンナキサラ!」を連呼する。日がな一日遊戯に明け暮れる姿が描かれているが、負傷した第七師団の谷垣源次郎(たにがきげんじろう)がアシリパ達に連れられてくると、フチと共に谷垣の世話をするようになる。谷垣に心を開き、常に付き添い、幼い身ながら窮地には助力した。また、谷垣がコタンを出て行く際は未完成ながらも自作のテクンペ(手甲)を渡し、涙ぐんで見送った。
オソマの装備・能力
遊戯具
セイピラッカ(貝下駄)
オソマお気に入りの遊戯具。ほっき貝の殻としなの木の樹皮を編んだ縄で作ったもので、連日遊ぶほどハマっていた。傷の癒えた谷垣にも遊ぶように勧めるが、セイピラッカで遊ぶには谷垣は重すぎたために貝が砕け、足の裏をざっくりと切る大けがを負った。
ムックリ(口琴)
手で紐を引っ張って演奏する。ビイヨヨーンという音がする。オソマは唇が腫れるほどムックリを夢中になって演奏していた。
キサラリ
耳長お化けという意味の棒。恐ろしい声と共に窓の外から突然突き出し、子供を驚かすおもちゃ。アシリパのキサラリが一番怖く、オソマは思わず漏らしてしまう。
アイヌの衣服
アットゥシ
オヒョウという木の繊維で織られた衣服。川の近くに暮らすアイヌの生活に適応しており、水にぬれても乾くのが早い。和人からは厚司と呼ばれている。
オソマの来歴・活躍
和人との出会い
谷垣たち第七師団の襲撃後、小熊を連れてコタンに戻ることになった杉元とアシリパ。和人を歓迎しないだろうと考えていた杉元の意に反し、彼はアイヌたちに受け入れられた。そこへ「シンナキサラ」と杉元を指差して登場してのが、アシリパの従妹・オソマだった。「シンナキサラ」とは、「私たちと違う変な耳」という意味で、アイヌの丸くて厚い耳たぶとは違う和人に興味津々である。杉元に名を聞かれると、『あたし「オソマ」』と自己紹介し、杉元たちが連れ帰った子熊をアシリパのフチ(祖母)が世話する様子を見ていた。
杉元がコタンに滞在する間は、窓の外から棒をちらちら出しながら、この世のものとは思えない声を出して子供を驚かせるキサラリ(耳長お化け)によって、お漏らしするほど怖がったり、ウコ・カリプ・チュイ(投げ輪突き)といって、つる輪を高く投げ上げ数人で競って棒で受ける遊びに興じていた。
谷垣との交流
悪魔の熊撃ちと恐れられた、刺青の囚人・二瓶鉄造(にへいてつぞう)と杉元たちが決着をつけた後、アマッポと呼ばれるアイヌの毒矢を受けて重傷を負った谷垣が、アシリパたちに連れられてコタンにやって来た。コタンに辿り着くと早速、杉元一行に加わっていた刺青の囚人・白石らに向かって「シンナキサラ!!」と叫び、興味を抱く。さらにオソマは怪我を負っている谷垣のため、フチと協力して食事を摂らせようと世話をする。
やがて、松葉杖を付いて歩けるまでに回復した谷垣は、コタンの子供たちと共に焚きつけになるシタッ(白樺の樹皮)を集めていた。コタンに戻ると、フチの家の中の様子を伺うオソマの姿があり、中に和人がいることを伝える。しかし、そこにいたのは杉元たちではなく、第七師団の造反組である尾形百之介(おがたひゃくのすけ)と二階堂浩平(にかいどうこうへい)だった。谷垣と尾形たちとの間に緊迫した雰囲気が漂う中、オソマは一人、和人がたくさんいることに興奮する。その後、尾形たちが去ると、フチたちに迷惑をかけたくない谷垣はコタンを出る決意をする。世話になった恩返しをしたかったが、もう出て行かなくてはという気持ちを伝えようとするが、和人の言葉が分からないフチには通じない。和人の言葉が分かるオソマに通訳を頼むが、谷垣に心を開いていたオソマは彼がコタンを去ろうとしていることを知り、悲しくて首を横に振ることしかできなかった。再びフチに話しかけた谷垣は思わず涙をこぼし、オソマは「シンナキサラ!」と叫んで彼の耳を引っ張りあげた。その瞬間、谷垣の額を弾丸がかすめた。コタンを去ったと見せかけ、尾形たちは遠距離からの狙撃で谷垣を殺そうとしたのだ。オソマの行動がなければ、尾形の銃弾が脳天に命中していたはず。オソマの行動は、谷垣の命を救った。実は尾形はフチの家を出ていく際に、谷垣の銃のボルトを抜き取っており、その為に銃を使うことができなくなった。狙撃の達人と銃なしでどう戦うのかと考えあぐねていたところ、そこへオソマが泣きながら「リュウが安心するから寝るとこに隠しとけって」と二瓶の銃を持ってやって来た。幼いながらも谷垣を助けるために行動したオソマ。彼女の機転により、銃を手にした谷垣は、尾形らを出し抜ぬいて彼らを退けると、無事コタンに戻った。オソマはフチと共に笑顔で谷垣を出迎えたのだった。
谷垣との別れ
冬が終わり、春がやって来た。オソマは傷の癒えた谷垣と共に、山菜や野草を採る。サクラマスを捕ってきた白石らがコタンに戻ると、皆で春に食べる汁物で一番おいしいイチャニウのオハウ(サクラマスの汁物)を食べた。
しかし穏やかな時間は長くは続かず、占いを得意とするアイヌの女性・インカラマッがコタンに現れ、フチにアシリパの仲間の中に裏切り者がいること、彼女の命が危ないことを告げる。その話を側で聞いていたオソマは、ショックからおねしょをするようになってしまった。落ち込むフチのために、今まで世話になった恩を返す時だと、コタンを出る決意をした谷垣。旅立ちの日、オソマは泣き続け、谷垣の方を見ようとしない。父に促され、ボロボロのテクンぺ(手甲)を渡した。アイヌの女は好きな男にテクンぺを作って渡すのだそう。フチに手伝ってもらって、片方だけ何とか作れたテクンペはボロボロだったが、谷垣からは「ありがとうオソマ 必ず戻るからもう片方作っておいてくれ」と言われ、コクリとうなずいた。
網走監獄襲撃や、樺太でのアシリパ奪還を経て北海道に戻ってきた谷垣。アシリパからの伝言をフチに伝えるためにコタンを訪れた。その際、オソマは二度見して瞳をうるませたが、アイヌの少年に名前を呼ばれると、谷垣ではなく、笑顔で少年の元へ走って行った。
オソマの関連人物・キャラクター
アシリパ
のっぺら坊ことウィルクの一人娘。アイヌの少女で北海道の自然に詳しく、弓の名手である。トリカブトの毒を用いた毒矢でヒグマをも倒してしまう。普段は明るくて無邪気であるが、一方で聡明で鋭く、洞察力が高い。
オソマの従姉にあたり、一緒に食事を摂ったり、オソマを含めたコタンの子供たちと遊ぶ姿が見られた。
フチ
アシリパやオソマの祖母。みんなからアイヌ語で「おばあちゃん」という意味の「フチ」と呼ばれている。
和人の言葉は分からないものの、アシリパやオソマなどを介して杉元たちとコミュニケーションをとる。コタンを訪れる客人をもてなす優しい人物。オソマはよくフチの家に出入りしており、フチが山菜取りをしたり、子熊の世話をするのを手伝ったり、怪我をした谷垣を二人で介助していた。
マカナックル
アシㇼパの母方の叔父でオソマの父。アシㇼパからはアチャポ(叔父さん)と呼ばれている。和人を相手に商売をしているため、日本語の読み書きができる。先祖のアイヌらが集めた砂金の存在を知っているが、川からの恵みを尊んで川を汚さないようにしてきたアイヌの生き方から外れていたことから、砂金を「呪われたもの」と評していた。杉元や谷垣にアイヌの文化を教えるだけでなく、数々の助言をした。
杉元佐一(すぎもとさいち)
『ゴールデンカムイ』の主人公。「不死身の杉元」の異名を持ち、驚異的な生命力と戦闘力を持つ。物語当初は故郷の幼馴染の女性の目の病気を治す為に金塊を狙うが、物語が進むにつれてアシリパの力になりたいという想いから金塊を狙うようになる。
オソマとの出会いは、アシリパに連れられて彼女の住むコタンを訪れた時である。その際、オソマから「シンナキサラ!」と声をかけられた。その後も杉元とキサラリを使った遊びをしたり、一緒に食事を摂る姿が見られた。
白石由竹(しらいしよしたけ)
アイヌの隠し金塊の在処を示している刺青を持つ囚人の1人。「脱獄王」の異名を持ち、柔軟な体と関節を自在に外すことができる特異体質により、どんな場所でも抜け出すことができる。博打と女が好きで頼りないが、杉元とアシリパに可能性を感じ、彼らと共に行動をする。
オソマとはアシリパのコタンを訪れた際に出会う。この時彼女から「シンナキサラ!」と声をかけられた。
谷垣源次郎(たにがきげんじろう)
第七師団第27聯隊に所属する一等卒。戦争前は地元の秋田でマタギとして生計を立てていたため、山での追跡や戦いが得意。鶴見の忠実な部下であったが、杉元を追ううちに様々な人物と出会い、マタギの谷垣としての心を取り戻していく。シカ猟の為に仕掛けたアイヌの毒矢を受けて瀕死の重傷を負うが、アシリパの処置とフチたちの看病のお陰で回復した。
オソマもフチと共に谷垣の世話をし、次第に彼に好意を抱くようになる。谷垣もオソマの遊び相手をする描写が度々登場する。また、尾形たちから襲撃を受けた際、オソマの言動により命拾いをしたばかりか、狙撃の名人を退けることに成功した。彼がコタンを出発する際には涙ながらに別れを告げ、自分で作ったテクンぺを渡していた。
尾形百之助(おがたひゃくのすけ)
第七師団第27聯隊に所属する上等兵で、作中きっての狙撃の名手。父親は第七師団長の花沢中将であるが、妾の子であり、正式に認知されていない。幼い頃に両親からの愛情を得られなかったことが心に闇を作り出した。尾形は祖母に育てられた過去を持つため、おばあちゃん子と自称している。
杉元と初めて戦った際に重傷を負ったが、療養していた病院から二階堂を連れて姿を消した。その後、谷垣が滞在するコタンに現れ、二階堂と共にフチの家に上がり込む。その際、オソマも家にあがり、尾形や二階堂の耳を指さしては、和人が大勢いることに興奮していた。
一旦はコタンを去るが、谷垣に造反組であることを悟られないように口封じしようと、遠方から狙撃。オソマが偶然にも耳を引っ張ったことで、谷垣は命拾いをした。
二階堂浩平(にかいどうこうへい)
第七師団第27聯隊に所属する一等卒。見た目がそっくりの双子の兄弟、二階堂洋平(にかいどうようへい)を杉元に殺されたことから、彼に異常なまでの執着を抱くようになる。尾形と共に造反組としてフチの家に上がり込み、谷垣に脅しをかける。
フチの家に和人が来ていることが気になったオソマも谷垣と共に家にあがり、二階堂たちの耳を指さして「シンナキサラ!シンナキサラ!あー忙しい!!」と和人が沢山いることに興奮していた。
オソマの名言・名セリフ/名シーン・名場面
「シンナキサラ」
オソマが和人を見るたびに口にする言葉が「シンナキサラ」である。意味は「私たちと違う変な耳」であり、丸くて厚いアイヌの耳たぶとは違う杉元たちの耳を指さしては口にしている。アイヌの文化や言葉を伝えるだけでなく、和人に対する興味を抑えきれない子供らしさを感じさせるセリフである。
「リュウが安心するから寝るとこに隠しとけって」
コタンを訪れた尾形たちと戦う決意をした谷垣。しかし肝心の銃はボルトを抜かれて使うことができない。狙撃の名手と銃なしでどう戦うのかと考える谷垣に、オソマは「リュウが安心するから寝るとこに隠しとけって」と言って、悪魔の熊撃ちと恐れられた男・二瓶の銃を持ってきたのだ。自分とフチも危機的な状況におり、恐怖を抱いているはずだか、谷垣を助けたいと機転の効いた行動をとったオソマ。彼女が機転を利かせたお陰で、自分とフチが窮地を脱しただけでなく、谷垣が虚をついて尾形らを退けることへとつながった。
オソマの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
アイヌ文化を読者に紹介するキャラクター
作中にアイヌ文化がよく登場する『ゴールデンカムイ』。オソマは子供の遊びを中心に、アイヌ文化を紹介するキャラクターとしても活躍している。セイピラッカ(貝下駄)やムックリ(口琴)に熱中し、キサラリ(耳長おばけ)を死ぬほど怖がるなど、アイヌの子供たちの生活を知ることができるシーンが多い。
名前の由来
オソマとは、本来「糞」を意味するアイヌ語。このような名前がつけられた理由は、病魔から子供を守るためにあえて汚い言葉を子供の名前としてつけるアイヌの文化にある。この名前はずっと使うものではなく、6歳ごろになってその子供の性格が出てきたり、その子を表すような象徴的な出来事が起こると、改めて名前をつけるのだそう。ちなみにオソマのその後の名前は明らかになっていない。
金塊争奪戦から3年後の姿
金塊争奪戦終結から3年後。アシリパのコタンで暮らす杉元に、白石からの手紙が届いたと告げるオソマ。幼い頃の面影を残しつつ、ぐ大人っぽくなった彼女の姿を見ることができる。
https://renote.net/articles/325105

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

\キエエエッ/春アニメ「ゴールデンカムイ」ショートアニメ「今日の運勢編」を1週間限定公開ッ!

2023-05-31 | アイヌ民族関連
アキバ総研2023年05月30日 18:50

TVアニメ「ゴールデンカムイ」よりショートアニメ「ゴールデン道画劇場」の新作が公開された。
「ゴールデンカムイ」は第22回手塚治虫文化賞「マンガ大賞」にも輝き、「週刊ヤングジャンプ」にて2022年4月に完結した、野田サトルさんの大ヒット漫画。埋蔵金を巡る戦いと、狩猟やグルメなどのアイヌ文化を描く。4度にわたるTVアニメ化のほか、実写映画化も発表された。
ただいま第4期が放送中のTVアニメ「ゴールデンカムイ」では、本作をおかわりしたい!という方のために、本誌連載時の扉絵やコミックスのおまけを中心としたショートアニメ「ゴールデン動画劇場」を、毎週放送翌日(たぶん)にお届けッ!
本日、YouTubeにて#42「今日の運勢編」が公開された。
https://www.youtube.com/watch?v=sg3f7QqJOyY
公開期間:5月30日(火)18:00~6月6日(火)17:59
<キャスト>
鯉登少尉:小西克幸/インカ(ラ)マッ:能登麻美子
ナレーション:立木文彦
<スタッフ>
原作:野田サトル(集英社ヤングジャンプ コミックス刊)
監督:森井ケンシロウ/音響制作:マジックカプセル/音楽:末廣健一郎/アニメーション制作:スタジオモリケン/製作:ゴールデンカムイ製作委員会

https://akiba-souken.com/article/62134/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浦幌のアイヌ民族団体会長「私たちの文化消え去ってしまう」 東京で会見、海外記者に先住権訴え

2023-05-30 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年5月29日 17:39

浦幌でのシンポに参加した海外の先住民族らと一緒に登壇し、会見に臨んだ差間さん(左から2人目)
 十勝管内浦幌町のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」(旧浦幌アイヌ協会)の差間正樹会長(72)が29日、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見し、「今のままでは私たちの文化は博物館に押し込められ、やがて消え去ってしまう」と訴えた。
 同団体は2020年、国と道に対し、地元の川でサケ漁を行う先住権の確認を求める全国初の行政訴訟を札幌地裁に起こした。国側は退けるよう求めている。
 ・・・・・
(角田悠馬)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/853080/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先住権の「現在地」 世界中で闘いいまなお 浦幌の国際シンポ詳報

2023-05-30 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年5月29日 21:47(5月30日 00:16更新)

26日のカムイノミの後で、ラポロアイヌネイションのメンバーと登壇者らが輪になって踊った「ポロリムセ」(加藤哲朗撮影)
 【浦幌】町内で26~28日に開かれたラポロアイヌネイション(旧浦幌アイヌ協会)主催の国際シンポジウム「先住権としての川でサケを獲(と)る権利」では、世界の先住民族がいまなお複雑な問題と向き合い、闘い続ける現状が浮き彫りになった。執拗(しつよう)な取り締まり、漁業資源枯渇などが、いずれも先住権の前に立ちふさがる。五つの国と地域から集まった登壇者8人の中から、こうした問題と、先住権の「現在地」がよく分かる4人の報告を詳報する。
■台湾
 憲法に原住民(政府が公式に認めたのは16民族)の権利を盛り込むことに成功している台湾からは、3人の原住民が登壇した。
 セデック族で法学者のアウェイ・モナさんは、かつて核廃棄物処分場を巡る闘いがあった時期に、憲法に原住民の権利が盛り込まれたことを紹介した上で、2016年8月、蔡英文総統が謝罪(日本を含む過去400年の台湾政権が、土地の略奪などで権利を侵害したことへの謝罪)したことを指摘。原住民の権利回復が段階的に進んでいることを次のように説明した。
 「台湾では個人が平等という権利の追求から、原住民の自決と自治政府を求める方向に向かった。この結果、焦点が個人の権利から集団の権利に移り、法的考え方を新しくする必要性が生じた。そこで伝統的な慣習法を活用する方向に変遷した」
 これに対し、台湾の原住民アミ族のアモス・リンさんは原住民の権利への理解が進まない現実を報告した。
 昨年、自身に「銛(もり)を没収する」という内容の行政処分通知が届いたという。アモスさんは条例が「無許可の所持を禁じる一方、生活用具として用いた場合は刑罰を適用しない」と規定していることを示し、「銛はアミ族の生活や文化催事に用いる道具。原住民は刑罰が適用されないのに嫌がらせを受ける」と述べた。
・・・・・・・・・・・
(椎名宏智)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/853329/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族にルーツ 平取で工芸職人志す 協力隊員の岡本さん 祖父の彫刻刀で木彫りの道へ

2023-05-30 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年5月29日 18:29(5月29日 18:36更新)
 【平取】アイヌ工芸職人を志す札幌市の岡本朋也さん(25)が、4月からアイヌ文化を伝承する町の地域おこし協力隊員として木彫りの技術を磨いている。アイヌ民族にルーツがある岡本さんは、かつて浦河町で民芸店を営んでいた父方の祖父、故幸七(こうしち)さんの彫刻刀を譲り受け、将来は店名も受け継ぎ自分の店を開こうと日々励んでいる。
 岡本さんは浦河町出身。父方がアイヌ民族の家系で、進学した札幌大ではアイヌ文化の担い手を育てる「札幌大学ウレシパクラブ」に入り、伝統舞踊の楽しさにのめり込んだ。アイヌ文様の木彫りにも興味を抱き、クラブの仲間と実際に木に彫って楽しんだ。「山菜を採りすぎないアイヌの優しさなど、アイヌ文化の奥深さを知ることができた」と大学生活を振り返る。
 大学は4年間在籍し中退。企業への就職も考えたが「せっかくアイヌに生まれたのにアイヌ文化から離れていいのか」と悩み抜いた末、「アイヌ民族にルーツがある自分にしかできないことをやろう」と決断。物づくりが好きだったため木彫り職人を目指し、アイヌ民族文化財団(札幌)の伝承者育成事業に応募した。
 同事業の5期生として、22歳から3年間は平取町内で木彫りや機織りなどを学んだ。・・・・
(杉崎萌)
※「ウレシパクラブ」と「フシコ民芸」のシは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/853122/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界から8つの先住民族が北海道に 「サケ漁を取り戻したい」アイヌ民族の思い訴える

2023-05-30 | アイヌ民族関連
STV5/29(月) 19:30配信
先住民族の権利をテーマとした国際シンポジウムが、北海道・浦幌町で開催されました。
世界各国の先住民族と充実した意見交換を行った地元のアイヌ民族団体。
より強く感じた思いとは。
そして世界からの「見られ方」とは。
十勝の浦幌町を舞台に繰り広げられた、世界の民族の伝統的な踊り。
集まったのは、台湾やオーストラリアなどから8つの先住民族。
(ラポロアイヌネイション 差間正樹会長)「みなさんが来られるのを本当に首を長くして待っていました。みなさまのお知恵をどうか私たちにお授けください」
今回これだけの人々が集まったのは「先住民族の権利」について理解を深めるためです。
彼らがまっさきに向かったのは浦幌十勝川です。
(サーミ(フィンランド)アスラック・ホルンバルクさん)「アイヌは特別な許可を得れば少しはサケを川で獲ることが許されていると聞きましたが、ここですか?」
(ラポロアイヌネイション 差間正樹会長)「そうですここです。昔から伝わっている漁労文化です。その保存の目的のためです」
かつてアイヌ民族にとって川で獲れるサケは重要な資源となっていましたが、明治に入ると川での漁が禁止にー
現在はアイヌ文化の継承や保存を目的とした場合にかぎり、北海道知事の許可を受けて年間100匹まで川でのサケ漁が可能となっています。
そんななか「ラポロアイヌネイション」は、地元の川でサケを捕獲することは先住権の一部であるとして国などを相手取り提訴。
裁判はいまも続いています。
(ラポロアイヌネイション 差間啓全さん)「もともとあった権利だから戻してほしい。やっぱりアイヌってここの先住民族でもっと胸を張って生きていけると自分が思える時がきたらいいなって」
今回参加した世界各国の先住民族は、みなそれぞれの国の法律で「先住権」が保障されています。
夜の懇親会でお酒を酌み交わしながら、それぞれの国の事情について情報交換が活発にー
民族伝統の歌を披露する台湾のタオ族出身・マラオスさん。
(タオ族(台湾)マラオスさん)「みんなで漁に出て平等に分ける作業をしています」
マラオスさんらタオ族は、トビウオを神の魚と呼び、民族伝統の船に乗って漁を行います。
一時は禁じられていましたが、現在台湾政府はこの伝統的な漁を認めています。
(タオ族(台湾)マラオスさん)「伝統的な漁ができるというのは民族にとって一番大切なこと。伝統を守り続けることでわたしたちの海を守ることができる。日本は経済力がトップで素晴らしい国。多様性をもっと大事にすれば豊かな国になると信じている」
カナダのハイダ出身ラス・ジョーンズさんです。
彼らも漁業に関する「先住権」が広く認められています。
アイヌ民族からこんな質問がー
(ラポロアイヌネイション 差間啓全さん)「わたしたちのアイヌの権利が認められるにはどのくらいの月日がかかると思いますか?」
(ハイダ(カナダ)ラス・ジョーンズさん)「約150年前にはカナダ政府も先住権を禁止しようとしたかもしれないが、様々な条約を結ぶ協議の中で、伝統的な漁は許されるということが盛り込まれていった。日本政府がアイヌ民族に先住権を認めないのはとても不正義だと思う」
(ラポロアイヌネイション 差間啓全さん)「ありがとうございます。海外の人はすでに先住民族として(先住権が保障されて)利益にして生活しているのを聞いて燃えてくるものもある」
彼ら海外の先住民族による講演会には、町内外から多くの人が集まり、この問題の関心の高さが伺えました。
(タオ族(台湾)マラオスさん)「世界中の先住民族と一緒にアイヌの人もがんばりましょう。ありがとうございました!」
(ラポロアイヌネイション 差間正樹会長)「世界の先住民族は、こうやって自分たちの文化をそれぞれの政府にぶつけていっているのを考えて、わたしたちもそうあるべきだと思っています」
先住民族と認められながらも、長らく制限されているアイヌ民族の伝統的な権利。
その空白を取り戻すための大きな一歩となるか。
世界から注目されていると言えそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f504915bcc6c67a89e2fbdcec6f4e375d532c8ef

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ文化絶やさぬ一助に…高1・都島記者

2023-05-30 | アイヌ民族関連
読売新聞2023/05/30 05:20
 コロナ 禍(か)と高校受験のため、しばらく旅行に行けなかったが、春休みに 久(ひさ)しぶりに家族で北海道を旅した。 訪(たず)ねたのは、「ウポポイ(民族共生 象徴(しょうちょう)空間)」だ
ウポポイでは 映像(えいぞう)や伝統芸能(でんとうげいのう)、体験型プログラムなど様々な形で、アイヌの文化に触(ふ)れることができた。すべての物に魂(たましい)が宿り、山や川、動植物などをカムイ(神)とし、敬意(けいい)を払(はら)って生活しているという。北海道の大自然によって、アイヌの文化が育まれてきたことを実感できた。また、アイヌ民族の伝統的な笛であるムックリが売店に売っていたので、買って試してみた。ひもを引っ張(ぱ)ると独特(どくとく)の音が出るのだが、コツが必要で 難(むずか)しかった自分から興味(きょうみ)を持ち、実際(じっさい)に文化に触れて発信していくことが、アイヌ文化を絶(た)やさないための一助になればと思った。(高1・ 都島歩=つしまあゆむ記者)
https://www.yomiuri.co.jp/teen/junior/jtsushin/20230518-OYT8T50027/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする