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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

国連委、辺野古移設に懸念 「沖縄先住民族の権利侵害か」

2025-06-07 | ウチナー・沖縄

 

共同通信 2025/06/06

国連人種差別撤廃委員会の書簡に関して記者会見する沖縄県の市民団体のメンバーら=6日午前、沖縄県庁

© 共同通信

 沖縄県の市民団体は6日、国連人種差別撤廃委員会が日本政府に宛てた書簡で、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り懸念を示したと発表した。書簡は、市民団体の申し立て内容を根拠として「(移設が)琉球・沖縄の先住民族の権利を侵害することを懸念している」と記載。8月1日までに移設の影響を情報提供するよう、日本政府に求めている。

・・・・・

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/国連委-辺野


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 昭和初期に旧京都帝国大学(現京都大)の研究者が今帰仁村の古墳「百(むむ)按司(じゃな)墓」から研究目的で持ち出した遺骨である。

2025-05-31 | ウチナー・沖縄

[社説]琉球人遺骨「返還」 静かに眠る権利道半ば

沖縄タイムス 2025/05/31 04:00

 祖先の遺骨が古里に帰ってきた。

 沖縄に戻るのは1929年以来、96年ぶりだ。

 遺骨を巡っては、2018年、百按司墓に祭られていたとされる第一尚氏の子孫らが返還を求めて京大に対して訴訟を起こした。京都地裁、大阪高裁とも「原告に返還請求権はない」として請求を棄却した。

 ただし、大阪高裁は「持ち出された先住民の遺骨はふるさとに帰すべきだ」と付言し、話し合いによる解決の道を探るよう促していた。

 近年、持ち出された遺骨や文化財を元の土地に返還するのは世界の潮流となっている。

 今回の返還が実現したのは、こうした運動や元原告の訴えが背景にある。遺骨が本来あるべき場所に戻ったのは喜ばしい。

 京都大が今帰仁村教委に遺骨の管理を移す形での「返還」となった。両者が交わした「移管協議書」では、遺骨は埋葬処理せず、学術資料として持続的に保存することを条件にしている。

 元原告が訴訟で求めていた、墓に安置することとは対応が異なり、再埋葬しないことへの批判や研究に使用されるのではないかと懸念する声が上がっている。

 遺骨は段ボール製のコンテナ15箱に収められ、「ふるさとで静かに眠る権利がある」と指摘した付言からは遠い。

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https://news.goo.ne.jp/article/okinawa/region/okinawa-20250531040100.html


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京都大学が返還拒否していた「琉球遺骨」問題が急転 子孫に相談せず地元教委に移管 条件もいろいろつけて

2025-05-31 | ウチナー・沖縄

東京新聞 2025年5月31日 06時00分

 1929年に旧京都帝国大(京都大)の研究者が、琉球王族らをまつる「百按司墓」(むむじゃなばか、沖縄県今帰仁村=なきじんそん)から遺骨を持ち去り、子孫らが返還を求めていた問題が、思わぬ展開を見せた。京都大が今月21日、遺骨を同村教育委員会に「移管」していたことが分かったのだ。関係者は96年ぶりの「帰還」に安堵(あんど)する一方、対話なき京都大の手法に憤りの声が上がっている。(福岡範行、木原育子)

◆話し合いにも応じなかった京都大

 「ふるさとに帰還したことは非常にうれしく思う。ただ、ヒトの心を取り戻していないのは歴然です」。琉球王朝を創設した第一尚氏の子孫で、遺骨返還訴訟の原告だった亀谷正子さん(80)が「こちら特報部」の取材にそう答えた。

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/408444?rct=national


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京都大学の沖縄への遺骨移管は「どこまでも研究者本位」 盗掘した樺太アイヌ遺骨は今も保管

2025-05-30 | ウチナー・沖縄

 

京都新聞 2025年5月29日 6:10 岡本晃明

 京都大が昭和初期に沖縄県今帰仁村の墓地から持ち出した遺骨少なくとも26体を同村教育委員会に移管したことで、遺骨は90年以上の歳月を経て古里に戻った。世界では大学や博物館が、研究目的で人類学者らが収集した遺骨を少数民族らに返還する流れが定着しているが、日本では大学の情報開示が進まず、いまだ地域返還が進んでいない。
 京大の遺骨収集過程を文献調査した同志社大の板垣竜太教授(文化人類学)は

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https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1484697


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沖縄の墓地から持ち去った「遺骨26体」を移管 京都大学が現地の教育委員会に

2025-05-30 | ウチナー・沖縄

 

京都新聞 2025/05/29 06:00

昭和初期に京都帝国大医学部の金関丈夫助教授が遺骨を持ち出した百按司墓(沖縄県今帰仁村運天)(京都新聞)

 昭和初期に京都帝国大(現・京都大)の研究者が沖縄県の墓地から持ち去った遺骨の返還を県民らが求めている問題で、京都大が28日までに、同県今帰仁(なきじん)村の「百按司(むむじゃな)墓」から持ち去った遺骨少なくとも26体を同村に運び、今帰仁村教育委員会に移管したことが分かった。アイヌ民族の遺骨を除き日本の大学が収集した遺骨を現地に戻した先例は乏しく、全国の大学や博物館に影響を与えそうだ。

・・・・・

https://news.goo.ne.jp/article/kyoto_np/region/kyoto_np-20250528202810


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琉球遺骨、返還ではなく「移管」 識者「京大は世界の潮流に反する」

2025-05-30 | ウチナー・沖縄

 

毎日新聞 2025/05/29 22:06 【太田裕之】

s_mainichi-20250529k0000m040424000c.jpg

京都大=京都市左京区で、野口由紀撮影

(毎日新聞)

 旧京都帝国大(現京都大)の人類学者が沖縄県今帰仁(なきじん)村にある中世の墓所「百按司墓(むむじゃなばか)」から昭和初期に持ち出し、子孫らが返還訴訟を起こしていた「琉球遺骨」が90年以上を経てようやく同村に戻った。京大が同村教委と協議して「移管」した形だが、原告側は不十分な対応だと批判し、「元の墓への返還を求め続けていく」としている。

 今帰仁村歴史文化センターの玉城靖館長によると、21日に受け取った遺骨は少なくとも26体。百按司墓から持ち出されて京大総合博物館(京都市)に保管されていた遺骨の全てとみている。京大と村教委が2024年12月に交わした協議書では「京大で保管している人骨の資料が現在に至るまで保存状態が良好で文化的な資産となっている。この人骨資料を、埋葬処理されることなく人類の貴重な学術資料として持続的に保管されることを条件に今帰仁村教委に移管する」とされていたという。

・・・・・

https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20250529k0000m040424000c.html


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【独自】沖縄の墓地から持ち去った「遺骨26体」を移管 京都大学が現地の教育委員会に

2025-05-29 | ウチナー・沖縄

京都新聞 5/29(木) 6:01配信

昭和初期に京都帝国大医学部の金関丈夫助教授が遺骨を持ち出した百按司墓(沖縄県今帰仁村運天)

 昭和初期に京都帝国大(現・京都大)の研究者が沖縄県の墓地から持ち去った遺骨の返還を県民らが求めている問題で、京都大が28日までに、同県今帰仁(なきじん)村の「百按司(むむじゃな)墓」から持ち去った遺骨少なくとも26体を同村に運び、今帰仁村教育委員会に移管したことが分かった。アイヌ民族の遺骨を除き日本の大学が収集した遺骨を現地に戻した先例は乏しく、全国の大学や博物館に影響を与えそうだ。

 京大に同遺骨の返還を求め子孫の沖縄県民らが2018年に提訴した琉球遺骨返還訴訟は京都地裁、大阪高裁とも請求を棄却したが、京都地裁判決は「琉球民族として遺骨を墓に安置したいという心情には酌むべきものがある」とし、大阪高裁も付言で「遺骨本来の地への返還は世界の潮流」と明記。原告と京大、教育委員会が話し合いで解決するよう促していた。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/85cd2d6e3daa7d7b833d695d1a7172cb0f809d2a


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「沖縄の人々は先住民族でなく日本人」琉球王家末裔の尚衛氏「『中国のもの』主張に反論」

2025-05-27 | ウチナー・沖縄

産経新聞 2025/5/26 12:53

2022年5月、那覇市で開かれた沖縄復帰50年「前日祭」であいさつする尚衛氏(川瀬弘至撮影)

琉球王家の末裔(まつえい)で第二尚氏第23代当主、尚衛(しょう・まもる)氏は24日、那覇市内で開かれた「戦後80年・沖縄県祖国復帰53周年記念祭典」で、「沖縄の人々のDNAを紐解くと、先住民族ではない。日本人だ」と述べた上で「国連の誤った勧告や『沖縄は中国のもの』との主張は歴史を無視したもので、毅然(きぜん)と反論すべきだ」と語った。国連を巡っては2008年10月、自由権規約委員会が日本政府に対し、「沖縄の人々を先住民族として認めよ」と勧告した経緯がある。

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https://www.sankei.com/article/20250526-R2NTELTIA5D3DG2CPK7NWA7LXM/


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国連での発信活動、7月に沖国大で報告会 琉球民族独立研究学会 沖縄

2025-05-09 | ウチナー・沖縄

琉球新報 2025年05月08日 13:16

更新日時 2025年05月08日 13:16

国連先住民族問題常設ファーラムなどの様子を報告する友知政樹共同代表(左)と親川志奈子共同代表=7日、那覇市の県庁記者クラブ

この記事の続きを読むためには琉球新報デジタルを購読してください。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-4214688.html


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なぜ人々はこの丘で祈り続けるのか。戦後80年を迎える沖縄を、花売りのおばぁと見つめたドキュメンタリー 映画『摩文仁 mabuni』

2025-04-25 | ウチナー・沖縄

Otocoto  APR 24, 2025

新田義貴監督作品『摩文仁 mabuni』の公開が決定し、あわせて、本作の予告映像とポスター・ビジュアルが公開された。

映画『摩文仁 mabuni』予告編

https://www.youtube.com/watch?v=OE06_t-KWsw

本作の舞台となるのは、膨大な数の慰霊碑が林立する摩文仁の丘。戦争で遺された者は死者をどう受け止めその霊を慰めるのか。沖縄住民、日本軍戦友、自衛隊、アメリカ軍関係者、韓国人遺族など、この丘ではそれぞれの思いがすれ違う。だがこの映画の主人公とも言える花売りのおばぁは、ただ、死者の魂を慰めようと祈り続けるのだった。

・・・・・

https://otocoto.jp/news/mabuni0424/


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<戦争の正体を追う>沖縄と本土③ 基地の街コザ 記憶刻む家族

2025-04-21 | ウチナー・沖縄

 

伴野昭人 会員限定記事

北海道新聞 2025年4月20日 10:22

 沖縄本島中部に極東最大の米空軍嘉手納(かでな)基地がある。そのゲート前に位置する旧コザ市(現沖縄市)の十字路は、かつて夜になれば米兵や売春婦であふれかえった。

沖縄の日本復帰直前にコザ市で映画を撮影した今郁義さん

 当時コザで暮らし、職場もあった北谷(ちゃたん)町に住む映像ディレクターの今郁義(こん・いくよし)さん(78)と「黒人街」を歩いた。バーや米兵向けの性風俗の建物が今も残っていた。

 「嘉手納からベトナム爆撃に飛び立ち、米兵の心も荒れていた。歓楽街は白人と黒人は別々で酔って暴力事件を起こすのは日常茶飯事だった」

 今さんは夕張で生まれ、歌志内、三笠、留萌と炭鉱地帯で育った。東京の美大卒業後、映画を撮影するために仲間らと黒人街に住み込んだ。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1150595/


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墓の景色が語るもの=伊藤和史

2025-04-11 | ウチナー・沖縄

毎日新聞 2025/4/10 東京夕刊 有料記事 1480文字

断崖に口を開けた風葬墓。周囲にギンネムも生い茂る=沖縄県・宮古島で

 衝撃的な墓の景色を思い出す。一つは、三重県名張市で女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」の現地集落の墓地。死刑囚となった男の家の墓石は、他の家々の墓石群から一つだけぽつんと離されていた。濃密な人間関係が壊れた時の傷の深さをまざまざと見た思いがした(現在は市外に移転)。

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https://mainichi.jp/articles/20250410/dde/014/040/016000c


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「先住民族としての尊厳を」 アイヌ民族・琉球民族、強まる連携

2025-04-09 | ウチナー・沖縄

武藤里美 会員限定記事

北海道新聞 2025年4月8日 7:00(4月8日 9:55更新)

「琉球民族は言葉や文化、土地を失っており、アイヌ民族と同じ問題を背負っている」と語る渡名喜隆子さん

 約150年前に日本に併合された琉球王国にルーツを持つ人々が、北海道の先住民族であるアイヌ民族との連携を強めている。琉球民族とアイヌ民族は共に和人への同化を強いられた歴史があり、研究者に墓地から持ち出された先人の遺骨返還が滞っているなど共通の課題も多い。「少数者同士だからこそ、一緒に声を上げたい」。沖縄のマイノリティーたちが願うのは、先住民族としての尊厳の回復だ。

 「アイヌ民族から『私たちも司法の場で(先住民族と)認められたところから始まった』と勇気付けられた。同化という同じ負の歴史を持つアイヌ民族と手をつなぎ、先住民族、人間としての尊厳を取り戻したい」。沖縄県浦添市出身で札幌市在住の琉球民族、渡名喜(とぅなち)隆子さん(74)はそう語る。

 大阪高裁は2023年、旧京都帝国大(京都大)の研究者が昭和初期に沖縄県の墓から持ち出した遺骨の返還を子孫が求めた裁判の控訴審判決で原告の訴えを退ける一方、琉球民族を初めて「沖縄地方の先住民族」と表現した。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1145207/


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沖縄・八重山諸島の方言を記録保存 言語学者、九州大准教授の中川奈津子さん(42)=福岡市西区

2025-02-17 | ウチナー・沖縄

 

西日本新聞me 2025/02/16

沖縄・八重山諸島の方言を記録保存 言語学者、九州大准教授の中川奈津子さん(42)=福岡市西区

© 西日本新聞me

国連教育科学文化機関(ユネスコ)によると、世界で約2500もの言語・方言が消滅の危機にある。その一つ、沖縄・八重山諸島の方言を研究し、記録保存に取り組む言語学者だ。「関西方言がなくなれば、関西出身の私も『自分らしさ』がなくなってしまう」。自分事に置き換えて文化の危機と向き合う。

滋賀県出身。京都大大学院で言語学を専攻、日本語の助詞「は」と「が」の使い分けを研究した。どちらも使わない言い方もできるが、それが不自然な場合がある。「自分が話す言葉なのに(明確なルールを)説明できない」。言語の奥深さに引き込まれた。

授業で沖縄の池間方言にも触れた。宮古島の隣に浮かぶ池間島の言葉。「知らない言語を記述したい」。方言に興味を持ち、研究者が少ない八重山諸島をフィールドに選んだ。

初めての調査は2010年。石垣島の宮良地区を研究する予定だったが、現地へ行くと祭りの直前で住民に会えなかった。途方に暮れながら近くの白保地区を訪れ、縁あって古老への聞き取りが実現した。

手は「ティ」、鼻は「パナ」、目は「ミ」…。体の部位など基礎語彙(ごい)を話してもらい、メモや音声で記録していく。

さらに文法。あいさつなどの定型句より他動詞を含んだ表現が好ましい。東京方言の「AがBを壊した」は、白保方言で「AぬBゆばり」。ところが、「ゆ」ではなく「ば」を使う場合がある。やはり地元の人々は使い分けのルールを説明できず、対話を重ねながら理解するという。

八重山諸島にルーツを持つ人々がオンライン上で集い、方言で語り合う「やいまむに勉強会」にも参加し、多彩な手法で言語データを集める。こうしたデジタルデータを活用する人文情報学も専門分野だ。

ユネスコが定める消滅危機の度合いは、アイヌ語の「極めて深刻」に次ぎ、八重山方言は「重大な危機」と厳しい。「言語学の枠を超え、八重山の文化継承につながるデータ作りをしたい」と使命感を抱く。

最近は人工知能(AI)に関心を寄せる。「なぜ生成AIは『は』と『が』を区別できるのか」。AIを使って言語の仕組みを解決したいと考えている。

国立国語研究所を経て昨年2月、九州大准教授に就任した。今年4月に開設される人文情報連携学府の運営に携わる。「九州の方言にも興味はあるが、白保方言の研究は15年で終わらない。手を出したら大変なことになる」。新天地の方言研究には慎重だ。

(野村大輔)

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/沖縄-八重山諸島の方言を記録保存-言語学者-九州大准教授の中川奈津子さん-42-福岡市西区/ar-AA1z7Tj7?ocid=BingNewsVerp


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米中はじつは「似た者同士」だった?これから中国が「アジアの地中海」でやろうとしていること

2025-02-01 | ウチナー・沖縄

 

日刊ゲンダイ 2025.01.31

ますます対立が深まるアメリカと中国。しかし、地政学的に見ると両国は「似た者同士」だという。かつてのアメリカと同じ道をたどり、中国も地域覇権国としての地位を確立するのだろうか……。

地政学動画で平均150万回再生を記録する社會部部長が、不変の地政学の法則を解説した『あの国の本当の思惑を見抜く地政学』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けします。

地理的によく似ているアメリカと中国

古典地政学者のニコラス・スパイクマンは第二次世界大戦前半の1942年に、中国に関して今日の情勢と奇妙にも似ている、こんな予言を残しています。

戦後の主な課題は、日本ではなく中国である。かつての「天朝上国」の潜在国力は「桜の国」のそれを大きく上回り、一旦その国力が軍事力に転化されると、中国大陸沖合の島国である敗戦国日本の立場は極めて危うくなる……

近代化に成功して国力を向上させ、軍備を充実させた4億人の人口を擁する中国は、日本だけでなくアジア地中海での欧米列強の立場も危うくする。中国はアジア地中海沿岸の大部分を支配する、広大な大陸国家となる。

中国の地理上の立ち位置は、アメリカ地中海に対するアメリカのそれに似ている。強大となった中国によるアジア地中海への経済進出は政治的影響力を伴うことは疑いなく、この海域が米英日の海軍力に代わって、中国の空軍力によって支配される日の到来も視野に入ってくる。

「アジア地中海」「アメリカ地中海」とは、それぞれ中国とアメリカの南の海域を指す、この時代特有の地政学的概念です。

現代では対立する両国ですが、スパイクマン曰く、アメリカと中国の地政学的立ち位置はよく似ており、アメリカがかつて「アメリカ地中海」の支配を確立したが如く、中国もいずれ「アジア地中海」の支配に乗り出すといいます。

これだけではよくわからないので、もう少し深掘りしましょう。

「地中海」の概念は、一言でいえば、「大陸と大陸の間の海」です。「地中海」は、文字通り「大地の真ん中」を意味するラテン語のmediterraneus(medius「真ん中」+terra「大地」)に由来します。

この語源の通り、ヨーロッパにある本物の地中海(ヨーロッパ地中海)はヨーロッパとアフリカの間に位置し、北から南にかけて、「ヨーロッパ―地中海―アフリカ」という地理的連鎖関係が成立しています。

この「大陸―地中海―大陸」の地理的連鎖関係は、ヨーロッパだけでなくアメリカとアジアにも当てはまります。

アメリカには北米大陸と南米大陸があり、この2つの大陸をメキシコ湾とカリブ海(アメリカ地中海)が隔てます。アジアも同様に、ユーラシア大陸とオーストラリア大陸を南シナ海とその南の海域(アジア地中海)が隔てます。

まとめると、世界には「ヨーロッパ地中海」「アメリカ地中海」「アジア地中海」の3つの地中海が存在し、それぞれ次のような共通の連鎖関係を形成しています。

・ヨーロッパ帯域

ヨーロッパ大陸―ヨーロッパ地中海―アフリカ大陸

・アメリカ帯域

北米大陸―アメリカ地中海―南米大陸

・アジア帯域

アジア大陸―アジア地中海―オーストラリア大陸

また、3つの地中海は「海洋と海洋の間の海」でもあり、ヨーロッパ地中海はインド洋と大西洋、アメリカ地中海は大西洋と太平洋、アジア地中海は太平洋とインド洋を東西に繋いでいます。要するに、各地中海は南北の2つの大陸、東西の2つの海洋の間に挟まる位置にあるといえるのです。

スパイクマンは、「ヨーロッパ―アフリカ」「北米―南米」「アジア―オーストラリア」の3つの帯域のすべてにおいて、まず北の大陸に大国が興隆し、その大国が地中海と南の大陸に勢力を伸ばそうとする法則があるとしました。

この法則は、「北の大陸の方が大国が生まれやすい」という地理的傾向から始まります。世界の陸地の7割が北半球に偏在する前提はもとより、安定していて農業に適している気候帯である温帯も、北半球の西欧、北インド、東アジア、北米東部に集中しています。

このことから、ここ数百年間で大国と呼ばれた国――西欧諸国、インド、中国、日本、アメリカ――はユーラシア大陸か北米大陸で生まれました。

それに対して、南の大陸には相対的に温帯が少ないだけでなく、その大部分が熱帯雨林または砂漠に覆われていることから、歴史的にアフリカ大陸、オーストラリア大陸、南米大陸では、大国が発達しませんでした。

アメリカはどのように地域覇権国になったか

北で発達した大国は次の3段階を踏んで、自らの帯域を支配しようとします。

(1) 北の大陸で領土拡大

(2) 地中海の制海権確保

(3) 南の大陸の中立化

アメリカは、この3段階をきれいに踏んで大国に成り上がった国です。アメリカは今でこそ全世界で影響力を振るう超大国ですが、建国当初は北米大陸の隅に佇む小国に過ぎませんでした。

アメリカは1700年代後半の小国の状態から、1900年代前半に大国に成り上がるまで、先の3段階に当てはめると、(1) 北米で領土拡大、(2) アメリカ地中海の制海権確保、(3) 中南米の中立化の段階を踏んで、自らの帯域で確固たる支配を確立しました。

では、アメリカがどんな歴史を経て勢力を広げてきたのかを、具体的に見ていきます。

(1) 北米で領土拡大

1776年に独立を宣言した時点で、アメリカの領土は東海岸に細長く連なるだけで、そのすぐ周りをスペイン、イギリス、フランス、先住民に囲まれていました。これら陸上の脅威を排除するため、アメリカは70年かけて土地購入・戦争・先住民の討伐を通して西へと領土を拡大していきました。

この北米での領土拡大の結果、アメリカの領土は東西は海、南北はカナダとメキシコという中小国に囲まれる状態を確立し、もはや陸伝いで攻撃される心配はなくなりました。

(2) アメリカ地中海の制海権確保

次に排除しなければならなかった脅威は、メキシコ湾とカリブ海の島々に残るヨーロッパ列強の領土でした。

実際、1812年の米英戦争で、イギリス海軍はバミューダ諸島、バハマ諸島、ジャマイカなどを出撃拠点として、アメリカ沿岸部と首都の攻撃に使用しました。また、スペイン領のキューバとプエルトリコも潜在的な攻撃拠点になる恐れがありました。

そのため、アメリカ地中海に残る列強の領土と海軍力を排除し、将来の海からの攻撃を防ぐことはアメリカの次なる目標となりました。この状況を一気に改善したのが、1898年のスペインとの戦争(米西戦争)でした。

アメリカはこの戦争での勝利によって、キューバ、プエルトリコからスペインを排除し、それぞれに海軍基地を設けました。これにより、アメリカ東海岸からパナマ運河に至る航路が遮断される危険は緩和されました。

イギリスの領土はまだカリブ海に残っていたものの、2つの大戦でドイツに対抗するため、イギリスは海軍力を自ら本国に引き上げました。また同時並行で、アメリカが海軍力を急速に強化したため、イギリスはアメリカ地中海での制海権を失いました。このとき以来、アメリカ地中海はアメリカの独壇場であり続けています。

(3) 中南米の中立化

第2段階と同時並行で、アメリカは中南米からのヨーロッパ列強の排除と反米勢力の抑え込みを実行することによって、南北アメリカ大陸全体を完全に安全な状態にしました。

この過程でアメリカは恐喝・武力行使・経済援助などを駆使してキューバ、ハイチ、ニカラグア、ドミニカ共和国で親米勢力の樹立・支援を行い、ヨーロッパ諸国がこれらの国々と結託してアメリカを攻撃することがないようにしました。

また、アメリカの東西海岸を結ぶ要衝であるパナマ運河を建設・支配する際も、現地の独立勢力を支援することで、持ち主であったコロンビアからパナマを切り離し、運河を1999年まで租借しました。

中南米では冷戦期に東側陣営に入った国がある他、現代でもキューバやベネズエラのような反米国家が存在しますが、どの国もアメリカを脅かし得るほど強くありませんでしたし、キューバがソ連と組んで核ミサイルを配備しようとした際には、断固としてこれを許しませんでした。

ドイツ・日本もアメリカと同じ道を歩みかけた

スパイクマンが地中海概念と前述の3段階を紹介した理由は、第二次世界大戦当時の日本とドイツの行動に、かつてのアメリカとの類似性を見出したからです。ドイツと日本の行動は、それぞれ次の通りでした。

【ドイツ】

(1) ヨーロッパ大陸で領土拡大

オーストリアとチェコスロバキアの併合に始まり、西はフランス、東はソ連まで陸地の支配を広げました。

(2) ヨーロッパ地中海の制海権確保

イギリス本国と英領インドの中間地点である地中海の制海権は、元々イギリスがジブラルタル、マルタ島、スエズ運河を拠点として握っていました。ドイツはイギリスをここから追い出すためにイタリアと同盟を組み、地中海のイギリス船を攻撃しました。

(3) アフリカの中立化

ドイツ・イタリア連合軍は北アフリカに上陸。ここからイギリス軍を排除し、やがてはスエズ運河と中東の石油を手に入れようとしました。

【日本】

(1) アジア大陸で領土拡大

日本はロシアと中国の脅威を遠ざけるため、朝鮮、台湾、満州、中国沿岸部に勢力圏を広げました。

(2) アジア地中海の制海権確保

1941年以降は南シナ海沿岸から欧米列強を追い出すため、仏領インドシナ、英領マラヤ(マレーシア)、蘭領東インド(インドネシア)、米領フィリピンを次々と占領。一時期とはいえ、南シナ海で輸送船が安全に通れる状態を確立しました。

(3) オーストラリアの中立化

オーストラリアはアメリカと同盟を組んでアジア地中海の占領地を脅かしていたため、日本はオーストラリア本土への空襲や、アメリカとの間に位置するソロモン諸島の占領によって、同盟を断ち切ろうとしました。

スパイクマンは触れていませんが、ロシアの南下政策も、ヨーロッパ・アジア大陸で領土拡大→ヨーロッパ地中海・アジア地中海の制海権確保という流れをとっていることがわかります。

このように、アメリカ・ドイツ・日本・ロシアがどれも同じ法則で勢力を拡大した歴史から、スパイクマンは中国も例外ではないとし、「将来、中国が(当時の)日本と同じ3段階を踏んでアジア帯域の支配に乗り出す」と予言しました。

スパイクマンはこれが的中したかを見る前に亡くなりましたが、現代の私たちはこの予言が実現しつつあるところを目の当たりにしている最中です。

中国もアメリカと同じ道をたどるのか?

地中海概念を踏まえてアメリカと中国を地図上であらためて見ると、両国には類似点が多いことに気がつきます。その類似点も、先ほどからの3段階を使って理解できます。

(1) 北の大陸で領土拡大

まず国土ですが、両国とも人口が東に偏っています。アメリカ東部ではミシシッピ川と大平野が、中国東部では黄河と長江がそれぞれの人口集中地を形成しています。

歴史的に、アメリカでは東の平野民が西のロッキー山脈と砂漠まで進出したことで、既存の領土を確立しました。中国も、黄河流域の農耕民がゆっくりと南と西に進出し、今の姿になりました。

中国は冷戦時代にロシアなどの内陸国との国境紛争を抱えており、陸上の脅威に晒されていました。しかし、1990年代には大体の国と国境を確定したおかげで、以前よりは安全な状態にあります。それでも、インドとはまだ領土問題を抱えています。

また、国内のチベット、ウイグル、内モンゴル、香港、そして台湾には、未だに中国共産党の統治に反抗的な人が少なくありません。

国内が安定していて弱い2つの隣国だけに囲まれるアメリカとは違い、中国は国内に反抗的集団が存在し、ロシアやインド、北朝鮮、日本、韓国、台湾のような決して弱くない勢力に近接している、磐石とはいえない安全保障状況にあります。

(2) 地中海の制海権確保

アメリカ地中海にはかつて、イギリスやスペインのような東の潜在敵国が領土を持っていたため、アメリカは100年以上かけてこの海域から外国勢力を排除し、制海権を確立しました。

アメリカと比べると中国はまだ道半ばです。アジア地中海(東シナ海、南シナ海、西太平洋)では、アメリカ(東の潜在敵国)が日本、韓国、フィリピンと正式な同盟を結ぶだけでなく、南シナ海沿岸のタイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、ベトナムと、中国を上回る軍事的協力関係を結んでいるため、中国はアジア地中海の制海権を握れていません。

中国は米軍をこの海域から追い出し、制海権を握るために沿岸国への接近、海軍増強、尖閣諸島、台湾、南沙・西沙・中沙諸島などの奪取を目指しています。

両地中海のもう1つの共通点は、海上交通の要衝(チョークポイント)があることです。アメリカ地中海には「パナマ運河」、アジア地中海には「マラッカ海峡」という2つの大洋を結ぶ要衝があります。アメリカは東部沿岸と西の中国市場を結ぶために自ら運河を建設した経緯から、パナマ運河を排他的に支配できました。

一方で、マラッカ海峡は中国東部沿岸と西のヨーロッパ市場・中東を結ぶ世界で最も通行量の多い航路でありながら、中国はここの支配を確立できておらず、アメリカのような潜在敵国に万が一封鎖された場合の不安を抱えています。

(3) 南の大陸の中立化

南の大陸に関しても、中国はアメリカより劣った立場にあります。アメリカは中南米を中立化する上で、元々好運に恵まれていました。中南米の国々は自発的に宗主国であるヨーロッパ諸国に反抗して独立した経緯から、アメリカが台頭した頃にはすでにヨーロッパの影響はある程度排除されていました。

また、イギリスがそうであったように、19世紀・20世紀は元々ヨーロッパ諸国が自ら本国での戦争のために中南米から戦力を引き上げていた時期でした。アメリカが手を出すまでもなく、中南米の中立化はひとりでに進行していたのです。

しかし、中国はオーストラリアに関して同じ好運には恵まれていません。オーストラリアとニュージーランドはアメリカと正式な同盟関係にあります。中国はそれでも、オーストラリアが中国に経済的に依存する関係を活かして、国内の政治家や経済界に影響力を行使し、親中的態度を形成しようと試みました。

ところが、これがかえって反発を呼んで、むしろアメリカや日本への接近を招いてしまっています。

以上のように、「北の大陸―地中海―南の大陸」という枠組みで米中を比べると、アメリカは順調に成功を収めたのに対し、中国は3つすべての地域で大小さまざまな問題を抱えていることがわかります。

もちろん中国は成立からおよそ80年しか経っておらず、これから100年単位でこれらの問題を解決していく可能性も十分あります。しかし、そうだとしても現時点で中国が抱える問題は、同時代のアメリカと比べて格段に多く、また大きく、容易に解決できる見込みはありません。

単に他国との関係だけをとっても、アメリカは概ねヨーロッパの大国と対立せず勢力を拡大したのに対し、中国はインド、日本、アメリカ、その他の周辺国の多くから何かしらの反発を受けています。

https://gendai.media/articles/-/145146?imp=0


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