(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年4月号)
エマニュエル・ラウル特派員(Emmanuel Raoul) ジャーナリスト 訳:日本語版編集部
急拡大した町は、この変化にどう対応しているのか。「あまりうまくできていない」とメリッサ・ブレイクは微笑みながら認めた。2004年に市長に選出された彼女は、世界最大級の行政区域ウッドバッファローの市政を担う。ところどころに採掘施設や工場があるほかは森に覆われた6万3000平方キロあまりの市域は、ほぼアイルランドの国土に匹敵する。フォートマクマレーはそこで唯一の市街地だ。「インフラ設備に関して、我々はこれほど急な成長に対応する準備ができていなかった」。年8%の人口増加によって、不動産価格は国内最高に押し上げられた。4寝室の家が62万ドル(5800万円強)もする。病気にはかからないほうがいい。住民1万人あたり医者は1.7人しかおらず、救急医は12時間で156人もの患者を診ることもあるからだ(10)。
「私はこの町が嫌いだ。7回ここから離れたが、そのたびに戻ってきた。これだけ稼げる場所はほかにないからだ」と、とあるバーで若い男性が言った。この労働者は時給32ドル(約3000円)を稼いでいるが、これは彼の出身地ブリティッシュコロンビア州の最低賃金の4倍である。しかし、フォートマクマレーの住民の98%は、ここで定年後も過ごそうとは考えていない(11)。だから、石油産業が環境や先住民族に与える影響をあまり気に懸けない。
あるチペワイアン族の家庭を訪れると、数世代にまたがる家族がテレビを見ながらピザと中華料理をほおばっている。全員が石油産業で働いた経験を持っているか、現在もそこで働いている。「学校に行き始めた時から、お膳立てができている」と若い女性が語る。「塗り絵やおもちゃ・・・。あれは洗脳だった」。「貧乏になりたくなかったら、彼らのところで働く以外の選択肢はない」と言うのは41歳のハーマンだ。サンコール社、シンクルード社、シェル社で重機の操作係として働いていた。「以前は、我々は生活のために猟をしていた。しかし今では、私は『ソービーズ・ボーイ』になってしまった(12)」。彼は一頃からだを壊していたが、仕事に復帰する準備をしている。「嫌だけど、戻らなくてはならない。キャンピングトレーラー用の土地に毎月1400ドル(約13万円)払わなくてはならないから」。フォートマッケイの部族に対しては全員が冷ややかだ。マックスはこう言って嘆く。「個人の成功という考え方が、わが民族を駄目にしてしまった。産業が我々を分裂させた」
そのことは、アサバスカ部族会議を訪れた時にも見て取れた。この機関は地域の5つの先住民族およそ5000人を束ね、様々な助言やサービスを提供しているが、政治的権力はなく、各部族が自治権を持つ。議長のロイ・ヴァーミリオンは、さしあたりオイルサンドについてはコメントを控えた。「部族によって、異なる立場を取っている。環境についての懸念は共有しても、何ができるかは所によりけりだ。総じて難しい立場に置かれている。多くの先住民族と同様に、どの部族も『母なる自然』を守ろうとしているが、と同時に世界的な石油の需要があり、我々の地域はそれに応えることができる。我々はそのバランスを探っている」
2003年、開発が地域に及ぼす影響に対処するために、5民族はオイルサンド産業および市・州・連邦の代表とパートナーシップを結んだ。これは失敗に終わった。ヴァーミリオンは次のように説明する。「当事者全員が達した合意はと言うと、協力をやめて、2010年3月にパートナーシップを解消することだった。今後は各民族が、それぞれのインダストリー・リレーション・コーポレーション(IRC)を通して、もっと直接的に関与することになる」
IRCは、部族とオイルサンド産業の関係調整に携わる。フォートマクマレーの南方130キロに住む平原チペワイアン族の場合は、トニー・ボシュマンが責任者だ。「開発とは、我々には止めることのできない巨大な獣だ。我々の仕事は、先住民族が50年後も伝統を守りながらそこに留まれるように、この怪物と共生する手助けをすることだ」。ボシュマンとともに働くアングロサクソン系カナダ人、シャノン・クロウリーは次のように言う。「彼らは300年分の産業革命をあまりにも短期間でくぐり抜けなくてはならなかった。族長のヴァーン・ジャンヴィエが白人に初めて会ったのは35年前のことなのだ」
乏しい環境対策
先住民コミュニティは、石油プロジェクトに包囲されている。ここのオイルサンドは露天掘りするには深すぎる位置にあるため、油層内回収技術を採用している。その最も一般的な方法はスチーム補助重力排油法(SAGD)と呼ばれるものだ。平行して掘った2本の坑井のうち、1本に高圧水蒸気を注入すると瀝青が液化するので、もう1本の坑井からこれを地表に汲み上げる。「持続可能な開発だ」と石油産業の代表者は真顔で言う。SAGD法は、露天掘りほどすさまじい破壊をもたらさないし、蒸気用には塩分混じりの水を使うことが増えているという理由からだ。
連邦から補助金5500万ドル(51億円強)を得てアルバータ州で開発されたこの技術は、まだ実験段階に留まっている。2006年5月には、トタル社が進めるジョスリン計画の現場で、水蒸気のために地表で爆発が起こり、岩や木や瀝青が吹き飛び、20メートル大の穴が開いた。「SAGD法がもたらす影響については科学的な知識がまだまだ不足している」とボシュマンは嘆く。「地中で地層がどのようにつながり合っているかが分からない」。局地的な小地震と地盤沈下を引き起こすSAGD法は、カナダ最大の帯水層を汚染する可能性がある(13)。
油層内回収技術の影響調査は、アルバータ州では一度も行われていない。州の規制機関は、鉱山事業の累積的影響評価を行わないまま、計画の95%を承認する。こうしてすでに調査のないまま、オイルサンド地帯14万平方キロのうち、半分の鉱区付与が済んでいる。「投資のリスクは非常に高い。先住民族の権利があるからだ。彼らはそれを認めさせるために闘うだろう」とボシュマンは警告する。
ここから200キロ南方に住むビーバー湖クリー族は、1万6000件もの権利侵害があったとして州と連邦を訴えている。1982年に憲法に規定された先住民族の権利は、19世紀末に英国と交わした諸条約に由来する。先住民族は英国に広大な土地を譲渡するかわりに、そこでずっと伝統的な暮らしを続ける保証を得た。調印当時に州として存在していなかったアルバータ州は、条約の有効性を認めず、インディアンの意見を聞く義務はないと考えている。意見聴取の相手になっているのはオイルサンド産業だが、あくまで彼らのやり方でである。この部族の行政役、ジェラルド・ホイットフォードはファイルでいっぱいの2つの棚を指差す。「施設拡張に関するたった1件の計画に関するものだ。彼らはあれを送りつけてきて、2日後に電話で『何か質問はありますか』と訊いてきた。これが彼らの言う意見聴取だ」
資料に裏づけられた信頼できる調査で定評のある環境団体、ペンビナ研究所の考えでは、先住民族と彼らの申し立てこそが自然保護の「最後の防衛線」である。この種の調査を州と連邦の側で請け負っているのは、産業界から資金提供された団体であり、大丈夫だという報告書を出すばかりで信用がおけない。水質管理を行うことになっている機関の地域水質モニタリング・プログラムは、独立専門家たちからは科学的な信頼性に欠けると酷評されている。この機関には、重油流出に匹敵するほどの毎年の被害が目に入っていない。開発の累積的影響に対処するはずの累積環境管理協会(CEMA)からは、エコロジストと先住民たちが脱退した。決定には全会一致が必要で、産業界がそれを妨害していたからだ。CEMAの無能ぶりを示す例がある。ある作業部会がウッドバッファロー市域の土地を最大40%保全する計画を策定するのに8年もかかったのだ。勧告が出された時には、大半の土地はすでに企業の手に渡っていた。
技術への盲信と産業界への全面的信頼が、アルバータ州の主流をなす。「ここでは、企業は自らを律している」とアルバータ州環境局のプレストン・マキーカーンは説明する。「問題件数を報告しすぎるほどだ」。しかし、2008年4月にシンクルード社の沈殿池で1600羽の鳥が死んだ時、通報したのは匿名の人物だった。2006年に二酸化硫黄の雲がフォートマッケイを襲った時は、住民の大多数が白人の地区まで異臭が風に運ばれてようやく、発生源の施設が閉鎖された。この時、空気質観測所は何も感知しなかった。沈殿池からの有害物質流出については、これを数値化できる者がいない。一部で言われる1日あたり1100万リットルという数字は、「ほとんど何でもない」レベルだとマキーカーンは言う。
アルバータのジャーナリスト、アンドリュー・ニキフォークによると、州の「第一の法律は石油政策」だ。原油価格が高騰するにつれ、民主主義が薄れゆく。39年来アルバータ州政を担うのは、天然ガス・石油ロビーと結託した保守派である。水資源とそれに依存する人々を守れと、連邦政府に複数の非政府組織(NGO)が迫っている。アサバスカ川からの取水量は年間4億4500万立方メートルにのぼり、300万人規模の都市の消費量に相当する(14)。オイルサンド産業はこの水の代金を払っているのだろうか。アルバータ州環境庁の代表者も石油産業の代表者も、意表を突かれた様子で「いいえ」と答えた。
連邦政府では、ハーパー首相の背後にインディアンの最悪の敵、トム・フラナガンが控えている(15)。超保守のこの論客は、「ネイティブ」という呼称に異議を唱えている。ヨーロッパ人より数千年早く到着した移民でしかないというのだ。彼は土地に関する彼らの権利要求には根拠がないと結論し、先住民族の権利の廃止を主張する。先住民族の権利に関する国際連合宣言に署名しなかったカナダにおいて、もし彼の主張が実行に移されるなら、先住民族の起こしている裁判が根底から覆されることになるだろう。これらの裁判をフラナガンは非難すらしているのだ。石油産業を脅かし、環境テロリストの側について暴走する「おそれ」があると言って(16)。
(1) Yiqun Chen, << Cancer incidence in Fort Chipewyan, Alberta, 1995-2006 >>, Alberta Cancer Board, Edmonton, February 2009.
(2) オイルサンドとは、頁岩や砂と結びついて固まった粘度の高い瀝青であり、そこから原油が採れる。オイルサンドの開発は、最近まではコストがかさみ、複雑な工程を要するものだったが、原油価格の高騰と技術の進歩により採算が取れるようになった。日産140万バレル、つまりカナダの産油量の半分を占めており、2025年には80%に達するとみられる。
(3) フォートチペワイアンの住民は、600人のミキスー・クリー族、200人のアサバスカン・チペワイアン族(ディネ語)、200人の混血系、100人程度の非先住民系からなる。
(4) Hanneke Brooymans, << Cancer rates higher in communities near oil sands : Study >>, Canwest News Service, Edmonton, 6 February 2009.
(5) Kevin Timoney and Peter Lee, << Does the Alberta tar sands industry pollute ? The scientific evidence >>, The Open Conservation Biology Journal(無料・電子版の科学誌), 2009.
(6) 多環芳香族化合物には、発癌性のあるものが多い。
(7) Erin N. Kelly, Jeffrey W. Short, David W. Schindler, Peter V. Hodson, Mingsheng Ma, Alvin K. Kwan and Barbra L. Fortin, << Oil sands development contributes polycyclic aromatic compounds to the Athabasca river and its tributaries >>, Proceedings of the National Academy of Sciences, Washington, DC, 7 December 2009.
(8) 以下の金額はすべてカナダドルである。
(9) ミキスー・クリー族は、事前に意見を求められなかったことを理由に、彼らの土地を通過する道路計画に対して異議を申し立てた。2000年、カナダ最高裁判所は彼らの主張を認めた。
(10) Michel Sauve, << Canadian dispatches from medical fronts : Fort McMurray >>, Canadian Medical Association Journal, Ottawa, 3 July 2007.
(11) Andrew Nikiforuk, Tar Sands : Dirty Oil and the Future of a Continent, Greystone Books, Vancouver, 2008, p.42.
(12) ソービーズは、カナダ第2の食品スーパーチェーンである。
(13) Carolyn Campbell, << In situ tar sands extraction risks contaminating massive aquifers >>, Wild Land Advocates, Vol.16, No. 5, Calgary, October 2008.
(14) Danielle Droitsch, << Watered down : Overcoming federal inaction on the impact of oil sands development to water resources >>, Water Matters, Calgary, October 2009.
(15) トム・フラナガンは、2006年総選挙の勝利までハーパー首相の政治顧問を務めていた。首相の思想的な指南役とみられている。
(16) Tom Flanagan, << Resource industries and security. Issues in Northern Alberta >>, Canadian Defence and Foreign Affairs Institute, Calgary, June 2009.
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