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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

百年記念塔の解体正式決定 道が「構想」を策定

2018-12-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/27 18:12
道が解体する北海道百年記念塔。跡地にはモニュメントを作る
 道は27日、道立野幌森林公園(札幌市厚別区)にある北海道百年記念塔と北海道開拓の村、北海道博物館の今後のあり方を示す構想を策定し、道ホームページで公表した。外壁の剥落など危険性が指摘されていた百年記念塔については「老朽化の進展を完全に防ぐことは困難」と結論付け、解体する方針が正式に決まった。解体時期は未定。
 百年記念塔は北海道命名100年に当たる1968年に着工し、高さ100メートル。「全ての先人に対する感謝と輝く未来創造の決意」が建設の基本的な考え方だったが、当時の100年記念事業は開拓者である和人の歴史観が強くにじみ、先住のアイヌ民族への配慮に乏しいとの批判もあった。
 地元住民などから残すべきだとの声も出たが、今後50年間の維持費が約28億円に上ることなどから、道は「将来世代の負担軽減の観点から解体もやむを得ない」と判断。跡地には「互いの多様性を認め、未来志向に立った北海道を象徴」するモニュメントを作ると明記した。
 明治~昭和初期の道内の建築物52棟を集めた開拓の村は、開拓の歴史を体験的に学べる野外博物館の役割だけでなく、積雪寒冷地の歴史的建築物を修繕する人材の育成拠点としても活用する。
 2015年にリニューアルオープンした北海道博物館は、20年に胆振管内白老町に開設される「民族共生象徴空間(ウポポイ)」との共同研究などの連携も図る。(小林史明)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/262593

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十勝のキリスト教史に足跡 渡辺カネ 聖書など資料 初公開 浦幌町立博物館で27日から

2018-12-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/27 05:00

初公開する資料を前に「多くの人に見てほしい」と語る持田学芸員
【浦幌】町立博物館は27~30日の行事で、晩成社の幹部の一人、渡辺勝と妻カネにまつわる聖書などの未公開資料9点を初公開する。帯広百年記念館所蔵だが、これまで詳しく調査されていなかった。カネは入植直後から定期的にキリスト教の集会を開くなどしており、十勝のキリスト教史に残した足跡を知る資料として注目されそうだ。
 資料は、カネが横浜で入手した英語と日本語の聖書や、明治から昭和初期にかけて道内に滞在した米国人宣教師ピアソンから1912年(大正元年)に届いたクリスマスカードなどで、渡辺家から同記念館に寄贈された。同博物館の持田誠学芸員が道東の宗教史を調査する中で、これらの未公開資料を借り受けて調べていた。
 カネは入植後、開拓者やアイヌ民族の子供たちに読み書きを教えるなど晩成社の開拓で重要な役割を果たしたことは知られている。持田さんの調査では、カネは週に1度、キリスト教の集会を自宅で開いたり、本州からの伝道師を受け入れるなどしていたという。持田さんは「カネの人物像の解明は進んでいない。晩成社の開拓の側面を知る上でカネの宗教観は研究課題になり得る」と話す。
 資料は、27日午後7時からの夜学講座「道東におけるキリスト教会の形成史」で公開。28日午後6時から町図書館と共催で開く町民座談会でも披露し、29、30の両日はロビーで展示・解説を行う。会場はいずれも同博物館。問い合わせは同博物館(電)015・576・2009へ。(米林千晴)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/262477

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第3回北のまんが大賞「つながる空」最高賞 札幌・さとうさん作 剣淵舞台、自然や家族テーマ

2018-12-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/27 11:22 更新

「第3回北のまんが大賞」で知事賞に輝いた「つながる空」のオリジナル原稿
 道は26日、北海道をテーマにした漫画・イラストのコンテスト「第3回北のまんが大賞」の入賞作品を発表した。48作品の応募があったまんが部門では、さとうさん(38)=札幌市在住=の「つながる空」が最高賞の知事賞に輝いた。
 作品は5~10月に公募。少女漫画「キャンディ・キャンディ」作者のいがらしゆみこさんら道内在住の漫画家やイラストレーター、東京の出版社社員らが審査した。
 つながる空は、都会でサラリーマン生活を送る男性が、上司との衝突を機に故郷の上川管内剣淵町へ帰り、自然の雄大さや家族の大切さに気付く―というストーリー。審査員からは安定した絵柄と構成、読後感の良さなどが評価された。
 今回新設された「北海道150年部門」(イラスト部門)は68作品の応募があり、知事賞には、かとう綾子さん(47)=同=の「いらっしゃいませ150年、おかえりなさい150年」に決定。中学生以下が対象の「U―15部門」は漫画とイラスト計23作品が集まり、高木花子さん(14)=同=の4コマ漫画「マウ!」が知事賞に選ばれた。
 各部門の知事賞と次点の札幌市長賞は今後、公式サイトhttps://www.akarenga-h.jp/manga/contest/で公開する。表彰式は来年1月27日に道庁赤れんが庁舎で行われる。(小林史明)
 札幌市長賞の受賞作品は次の通り。
 ▽まんが部門 「つかさの景色!」(なつおか裕)▽北海道150年部門「北海道150周年、アイヌ・グルメ」(ビーバー将軍)▽U―15部門「エゾヤマザクラと島梟」(ココア)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/262397

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北海道)釧路湿原を見守り トラストサルン釧路が30年

2018-12-28 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2018年12月28日03時00分
 北海道の釧路湿原を守るため、市民から資金を集めて、湿原を「自然保護地」として購入する「ナショナルトラスト運動」を続けてきた市民団体・トラストサルン釧路(黒澤信道理事長)が今月、1988年の発足から満30年を迎えた。今年も新たな保護地が加わるなど活動はいまも活発で、これまでに設定した保護地は28カ所に及ぶ。
 発足の契機は87年、湿原が全国28番目の国立公園に指定されたこと。当時、バブル景気とリゾート開発ブームを背景に、湿原周辺で土地の切り売りや水源林の皆伐が進んでいた。湿原保全に取り組む市民は、国立公園の規制では開発が止まらないことに気づき、自分たちの手で湿原を守るために、ナショナルトラスト運動を始めた。
 アイヌ語で湿原を意味する「サルン」を冠した市民団体は88年12月9日に発足した。初代運営委員長には北海道教育大学釧路分校教授だった鈴木順雄さんが就いた。
 「当時は、開発は地域の利益に…
残り:896文字/全文:1281文字
https://www.asahi.com/articles/ASLD361TZLD3IIPE01T.html

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アイヌの矢を手作り 県立博物館、弓で的を射る体験も

2018-12-28 | アイヌ民族関連
秋田魁新報 2018年12月27日 掲載

 アイヌ民族が狩猟に用いた矢を作るワークショップが23日、秋田市金足の県立博物館で開かれた。明治時代のアイヌが活躍する人気漫画「ゴールデンカムイ」の影響もあって若い女性の姿も見られ、市内外から参加した20人がナイフや糸を使って手作りした。
 アイヌ民族文化財団(北海道)との共催で、来月23日まで同館で開かれているアイヌ工芸品展「キムンカムイとアイヌ―春夏秋冬」の関連事業の一つ。財団職員の2人が講師を務めた。
(全文 626 文字 / 残り 422 文字)
https://www.sakigake.jp/news/article/20181227AK0022/


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「ゴールデンカムイ」の人気が追い風に…関心高まる“アイヌ文化”伝承者の思い

2018-12-28 | アイヌ民族関連
ニフティニュース 2018年12月27日 20時20分 TOKYO FM+
中西哲生がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「クロノス」。12月18日(火)放送の「追跡」のコーナーでは、公益財団法人アイヌ民族文化財団の新谷史織さんに、アイヌ文化について伺いました。
日本列島北部中心、とりわけ北海道の先住民族「アイヌ」の新谷(しんたに)さんですが、社会人になるまではアイヌ文化にあまり関心はなかったそうです。しかし、たまたま知人の誘いでアイヌ民族文化財団に就職したことをきっかけに、関心を持つようになったとか。新谷さんは「もし財団で働いていなければ、こうして自分のルーツに触れることはなかったと思う」と言います。そして「自分のルーツに触れ、アイヌ文化を伝承する側の立場になれてうれしい」とも。
アイヌ文化が消滅の危機にさらされるなか、中西は「新谷さんのような若い世代が担い手としての意識を持つことは素晴らしい」と称えます。そして、野田サトルさんによる漫画「ゴールデンカムイ」の人気が追い風となり、ここ数年、世間でもアイヌ文化への関心が高まっているそうです。
漫画「ゴールデンカムイ」に関して、「アイヌ文化を織り交ぜながら、子どもにも面白くてわかりやすいギャグなども盛り込まれているので、漫画からアイヌ文化に入れるのは面白い。難しく考えないで、楽しく学べるのでいいと思う」と新谷さん。漫画をきっかけに、子どもから大人まで幅広い世代がアイヌ文化に関心を寄せる現象を素直に喜んでいました。
アイヌ文化は日本における重要なコンテンツとなり得る可能性を秘めていて、イギリスの大英博物館では2019年に日本漫画の展覧会「Manga マンガ」が開催され、そのシンボルには「ゴールデンカムイ」のキャラクター・アシリパが起用されています。
さらに、新谷さんが産まれた北海道白老郡白老町に2020年4月、アイヌ文化の復興・創造の拠点となる「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業します。
アイヌ文化への関心の高まりについて、中西は「多様性を考えるときにどうしても海外にばかり目がいきがち。でも実は日本のなかにも多様な文化があって、そこに目を向けていくことがダイバーシティと言えるのかもしれない」と述べていました。
【番組概要】
番組名:クロノス
放送日時:毎週月~金曜6:00~8:55
パーソナリティ:中西哲生(月~木)、速水健朗(金)
アシスタント:綿谷エリナ(月~金)
番組Webサイト:http://www.jfn.co.jp/ch/
◆◇83名様に「TOKYO FM」オリジナルグッズをプレゼント! 今すぐ応募を♪◇◆
https://news.nifty.com/article/entame/tokyofm/12199-155571/

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林修が“2018年最も驚いたニュース”を発表!「風呂でのぼせるほど考えました」<初耳学>

2018-12-28 | 先住民族関連
ザテレビジョン 2018年12月27日 15時53分
人気予備校講師・林修が話題のニュースや論文を独自の視点で解説する<白熱教室>コーナーも人気のバラエティ「林先生が驚く 初耳学!」(TBS系)。年内最後の放送となった12月24日放送回では、「2018年 林先生が驚いた8大ニュース」を紹介。AI(人工知能)実用化にまつわるある意外な決断をした企業の話題などが取り上げられた。
■ 林修がAIの弱点を指摘!
「林修が驚いた8大ニュース」第6位に取り上げられたのは、ロイターが報じた「世界的有名企業がAIによる採用システム運用を中止した」というニュース。
この企業では、AIを活用した人材採用システムのプログラム開発に取り組み、過去10年分の履歴書のパターンをコンピューターに学習させていた。だが、技術職のほとんどが男性からの応募だったことから、AIが『技術職は男性が好ましい』と認識。履歴書に「女性」に関する単語があると評価が下がってしまうという事態が生じたのだという。
昨今さまざまな分野でAIの実用化が進み、ここ2、3年は“AI化元年”といった表現が新聞の見出しに踊ることも多い。国内の主要企業に「会社の業務にAIを導入しているか」を聞いたところ、「ある」が20%、「既にあり、さらに拡大予定」が27%、そして「具体的な導入予定あり」が20%と、合わせて7割近くが業務にAIを導入済み、もしくは導入予定と回答したという報告もある(毎日新聞の調査による)。
一見、そんな時代の流れとは逆行するかのようなこのニュース。林は「AIは基本的に自分でゼロから判断することはない。過去のデータをいろいろたくさん読み込ませることによって、それに基づく判断をしていく。(判断のベースになる)過去のデータそのものに偏りがあった場合、それを全部平等に直してAIに学ばせることはなかなか大変ですよね」と解説した。
このニュースから林が導き出した“学び”とは?林は「たとえば電話のオペレータ(コールセンター)や銀行の与信審査など、どんどんAIが社会で活用されていくことは間違いなくて」と、あくまでもAIは大きな役割を果たしていくと指摘。その上で「AIが得意な分野と、使ったときに問題が生じる分野があるということがだんだん判明してきている、というのが現状じゃないでしょうか」と締めくくった。
人間だけでなく、人間が開発したさまざまなツールにも“適材適所”の発想は欠かせない。今後、人間の暮らしをさらに豊かにしていく可能性をおおいに秘めたAIだからこそ、さまざまな経験から“得意な分野”“問題が生じる分野”を見極めていく視点が重要だという林の主張に、スタジオゲスト陣は納得の表情で耳を傾けていた。
■ 林修「風呂でのぼせるぐらい考えましたね」
「2018年 林先生が驚いた8大ニュース」にはこのほか、「安室奈美恵の引退」や「大坂なおみ全米オープン優勝」「西日本豪雨」といった、日本を駆け巡ったビッグニュースがランクイン。髪の色や下着の色まで厳しく指定する「ブラック校則」問題や、東大の先端研究も寄与したという「空前の高級食パンブーム」も取り上げられた。
そして、林が今年最も驚いたニュース第1位は「インドの先住民が米国人男性を殺害」という事件。今なお石器時代の暮らしを続ける地球上最後の民族ともいわれるインドの先住民・センチネル族が、アメリカ人の20代男性を弓矢で殺害したという。
林は、この事件に対する国際社会の反応に注目。「先住民の文化を保護しよう、彼らの免疫も考えて、ここで(遺体の捜索・回収を)断念すべきではないかという意見が優勢になっているというのは、国際社会が成熟してきたことの表れでもあると。本当にいろいろな思いで、もう風呂でのぼせるぐらい考えましたね」と、今年もっとも考えさせられたニュースであったことを明かした。
次回の「林先生が驚く 初耳学!」は2時間スペシャルを1月6日に放送する。林修が高学歴ニートに本気の授業を行うほか、話題のコーナー<パリコレ学>にはコシノジュンコが登場。前代未聞のショー形式での査定を行う。(ザテレビジョン)
この記事の続きを読む
https://news.nifty.com/article/entame/wtv/12206-174364/

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「山丹服」などずらり 北方民族資料館が展示資料一部入れ替え【函館】

2018-12-28 | 先住民族関連
函館新聞2018.12.27

「新たな展示資料を見に来てほしい」と来館を呼び掛ける木戸館長
 函館市北方民族資料館(末広町)は、13日からアイヌ民族をはじめとする北方民族の民族衣装などを中心に並べた第一展示室の資料の一部を入れ替えた。交易によってもたらされた「山丹(さんたん)服」、草や樹皮などのさまざまな素材の衣服、靴などを見ることができる。
 アイヌが「サンタ」(山丹人)と呼んだロシア・沿海州(アムール川下流域)、サハリン(樺太)の北方諸民族と中国・清朝間の朝貢交易品は、さらにアイヌや和人社会にも伝わり、山丹服もその一つ。本来は清朝の役人服で、展示品は明治の豪商、杉浦嘉七が函館支庁仮博物場に寄贈したもの。これまでの展示品より爪が1本多い5本爪の龍が刺しゅうされた絹製品で、より身分の高い人が着ていたものだという。
 アイヌの衣服では、オヒョウなどの樹皮、イラクサといった草の繊維、和人などからもたらされた木綿などの生地で縫われたもので、いずれも展示品を入れ替えた。素材は違っても形はほぼ一緒で、魔除けの意味を持った文様を入れる位置も同じことなど、見比べることで共通性も知ることができる。
 このほか、同化政策を進めた明治政府が禁止するまで男性も使用していた耳飾りなどのアイヌの装飾品、サハリンに住んだウィルタ民族の衣装なども展示。2階の各展示室に変更はないがイクパスイやイナウなど、生活用具や儀礼祭祀の道具なども見ることができ、備え付けのパソコンで音声ガイダンスを聞くこともできる。
 同館では、アイヌの少女が活躍する人気漫画を入り口に関心を持って来館する観光客も増えているほか、2020年4月には胆振管内白老町に国立アイヌ民族博物館や慰霊施設などを核とする民族共生象徴空間「ウポポイ」が開設されることで、木戸忍館長(53)は「2020年に向けて当館でも多くの人の興味を引き上げていきたい。函館市民の皆さんにも来館いただければ」と話している。
 開館時間は午前9時~午後5時(3月まで)。年末年始は31日~1月3日は休館。入館料は一般300円、学生150円。問い合わせは同館(0138・22・4128)へ。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/9398

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霞が関ビルと新光三越ビルを建てた台湾人・郭茂林の秘められた物語

2018-12-28 | 先住民族関連
ニッポン.コム 12/27(木) 15:03配信 酒井 充子
「一人では何もできない」が口癖の建築家がいた。台湾出身の郭茂林。竣工(しゅんこう)から半世紀を過ぎた霞が関ビルディング(東京都千代田区)をはじめ、日本と台湾の超高層建築のさきがけとなった数々のプロジェクトをまとめた名プロデューサーは、何よりもチームワークを大切にした人だった。
建設業界では有名な郭さんだったが、一般にはあまり知られていない。私はドキュメンタリー映画『空を拓く-建築家・郭茂林という男』(2013年公開)で晩年の郭さんと接し、「人の和」を説く場面に何度も遭遇した。郭さんは12年に91歳で亡くなったが、映画は2018年7月に台湾のテレビ局公共電視で放送され、郭さんは作品とともに久しぶりの里帰りをした。ここで、いま一度郭茂林という人物について、彼の映画を撮った監督の立場から振り返っておきたい。
いつの間にかプロジェクトの中心人物に
東京・浜松町の世界貿易センタービル、新宿の京王プラザホテル、池袋のサンシャイン60。郭さんは霞が関ビルのみならず、日本および台湾における初期の超高層プロジェクトの全てに関わった。日本で初めて100メートルを超えるビルとなった霞が関ビルは、地震大国・日本で超高層が実現できるのかという難題を突破するところから始まった。施主、設計者、研究者、メーカー、施工者が課題を設定し、その解決法を探りながら設計の詳細を詰めていった建設委員会は、総勢150人以上に上ったという。
当時の三井不動産社長、江戸英雄氏が雑誌のインタビューでこう話している。「自然に郭さんがこの委員会の実質的な中心人物になっちゃったんです。実に人柄がいいんですよ」。
しかし、性格がいいだけでは仕事にならない。郭さんには東京大学建築学科で培った専門知識の裏付けがあった。各分野の専門家が意見を持ち寄ると、時としてぶつかることもあるが、郭さんは緩衝材の役割を果たしながら、議論を前に進めていった。世界貿易センタービルでは、予算超過問題で行き詰った段階で呼ばれ、各方面との調整役を果たして超過をゼロにした上、38階建ての計画を40階建てにするという神業をやってのけた。
郭さんは「自分は何もしていない。才能のある人たちに実力を発揮してもらうためのお手伝いをしただけ」と言っていた。現在は一般的にプロジェクトマネージャーと呼ばれるが、このような新たな巨大プロジェクトから生まれた、郭さんのようなまとめ役をどのように呼べばよいのか、当時業界を悩ませたそうだ。霞が関ビルでは「メーン・コーディネーター」、世界貿易センタービルでは「コンダクター」となった。郭さんはコンダクターには弱った。「私はそんな高い台になんか上がっていません」と。
郭さんは霞が関ビルの建設中にKMG建築事務所を開設した。この社名に彼の信念が刻まれている。KMGは郭茂林グループの略。郭茂林だけではだめなのだ。仲間と力を合わせるグループでなければ。かつて共に仕事をした人たちに郭さんのことを聞くと、異口同音に「上には歯に衣(きぬ)着せず、下には厳しくも優しい人だった」と語った。仕事を離れても、ゴルフのハンデはシングルで銀座へ行けば女性にモテまくる、とくれば、非の打ちどころがないではないか。こんな人と仕事をしたい!とだれもが思うような理想的人物だったというわけだ。
原点は台湾にあった
郭さんが建築の世界で活躍するに至った原点と言えるのが台北州立台北工業学校(現・国立台北科技大学)である。彼はここで建築の基礎を学んだ。2010年、89歳で母校を訪問した際、「校史館」に足を運んでいる。
ここには、日本統治時代の1912年に「工業講習所」として設立されたときから現在に至るまでの学校の歴史資料がまとめられている。入口を入ってすぐのところに、歴代校長の写真がパネル展示してあった。映画にはパネルに向かっておじぎをするシーンがあるが、実はカメラが捉え切れなかったその直前の郭さんの姿が、私は忘れられない。
写真の中に千々岩助太郎校長の顔を認めた瞬間、背筋を伸ばしてさっと帽子を取ったのだ。そのしぐさは、まるで学生に戻ったかのようだった。千々岩は台湾の先住民族の住居を詳細に調査し、記録したことで知られる。郭さんは卒業した1940年、鉄道省に就職するために東京へ行くのだが、そうするよう勧めたのが千々岩校長だった。8人きょうだいの末っ子である郭さんが基隆から日本へたつとき、母親は「泣いてしまうから」と港には来なかった。「おっぱいが大きくて、料理が上手な人だった」と郭さんが聞かせてくれた。
一度だけ郭さんが「台湾精神」という言葉を口にしたことがある。日本人に負けるもんか、という気持ちだという。日本統治下の台湾では、さまざまな面で差別があり、進学においてもそうだった。台北工業学校は台湾人の学生よりも日本人の方が圧倒的に多く、郭さんは1年浪人して、狭き門をくぐったのだった。台湾精神は聞き慣れない言葉ではあるが、当時の台湾の人たちが心のどこかに抱いていた思いであることは間違いない。
「天の時、地の利、人の和」
郭さんは愛され方を知っていた人でもある。東京で就職した職場の上司から「君はまだ若いのだからもっと勉強しなさい」と、東大時代の友人で安田講堂などの設計で知られた建築学科の岸田日出刀教授を紹介された。しかし、岸田教授はすぐに受け入れてくれない。あるとき、岸田教授の随筆に「毛筆の手紙をもらうとうれしい」とあるのを読んだ郭さんは、すぐに筆で手紙を書き、再度弟子入りを申し込んだ。手紙が功を奏したのか、やがて1943年、聴講を許される。
後に研究室の助手に採用され、岸田教授と建築計画学の吉武泰水教授の下で約20年におよぶ研究に携わった。その後、63年に三井不動産に顧問として招かれる。助手として研究室を支えた経験が、その後の郭さんの役割を決定付けたのだろうか。
郭さんは霞が関ビル誕生の鍵として「天の時、地の利、人の和」の三つを挙げた。時は日本の高度経済成長期。1961年に特定街区制度、63年に容積率制度が設けられ31メートル(百尺)の高さ制限が撤廃された。このタイミングで、建設地となった霞が関3丁目の東京倶楽部と霞会館が相次いで建て替えを計画し、2棟分の土地が空くことに。そこが隣の会計検査院と併せて特定街区に指定され、超高層ビル計画が現実のものとなったのだ。
この地には、かつて工部大学校があった。いまの東大工学部の前身の一つで、1877(明治10)年創設。明治政府が日本人技術者の養成を目的とし、東京駅を設計した辰野金吾や、迎賓館の片山東熊らを輩出した。建築史家の鈴木博之は著書「東京の[地霊(ゲニウス・ロキ)]」で「ここに、百年近く後になって、日本最初の超高層ビルが建てられることになったのは、やはり土地の地霊がここを嘉(よみ)したもうたからだろうか」と述べている。この土地が郭さんを必要としていたのかもしれない。そして、郭さんがまとめた人の和こそがプロジェクトの推進力となった。霞が関ビルは今でこそごく普通のビルだが、建設現場で採用された防火設備や軽量コンクリート、タワークレーンのクライミング工法などの特許は約40件にも及び、その後の超高層建築の基礎となった。
故郷台湾への恩返し
郭さんは戦後、日本国籍を取得したが、故郷の台湾を忘れることはなかった。日本で蓄積した技術と経験を台湾へ持ち帰る。台北駅前の三越デパートが入った新光ビルは、台北を訪れたことがある人なら一度は目にしているだろう。このビルは郭さんが自ら設計した。外壁の色は、台湾の梅と日本の桜をイメージしたという。京劇が上演できるホールを備えた台湾セメントビル(台泥大樓)や、MRTの駅名にもなっている台湾電力ビル(台電大樓)もそうだ。新光ビルは竣工した1993年から台北で一番高いビルの地位にあったが、2004年に当時世界一となった台北101(509メートル)にその座を譲った。
ところが、この101もまた、郭さん抜きでは語れない。元総統の李登輝が台北市長となった78年から約2年にわたり、郭さんは台北の都市計画を任されていた。台北駅や総統府がある市の西側に対し、東の信義地区を副都心として開発するというもので、元は西にあった台北市役所を東へ移転させ、それを中心に経済と文化の拠点となる街づくりを目指した。
ここには計画に参加した新宿副都心での経験が生かされている。郭さんの構想は、計画から四半世紀経って完成し、その場所に101が建ったのだった。
映画の撮影最後の夜、KMG台北事務所で一緒に仕事をした部下たちとその家族、数十人が集まった。皆グラスを持って郭さんのそばに行き、郭さんは乾杯を繰り返した。頬を赤らめて締めのあいさつ。「郭茂林グループ。わたしたちはグループです。一人では何もできない」。後世に語り継がれる数々のビル建設を支えた郭茂林という男は、最後の最後まで仲間を大切にした。人の縁に恵まれた建築家人生であったと思う。
【Profile】
酒井 充子  SAKAI Atsuko
映画監督。山口県周南市生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。メーカー勤務、新聞記者を経て2009年、台湾の日本語世代に取材した初監督作品『台湾人生』公開。ほかに『空を拓く-建築家・郭茂林という男』(13)、『台湾アイデンティティー』(13)、『ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-』(14)、『台湾萬歳』(17)、著書に「台湾人生」(光文社)がある。「いつ日本に帰化したんですか?」とよく聞かれる。故郷と台湾の懸け橋となるべく奮闘中。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181227-00010002-nipponcom-soci

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