先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

憂楽帳:先住民の声

2011-11-26 | 日記
毎日新聞 2011年11月25日 12時04分

 「私は深い怒りを、また強い恐れを感じています。なぜなら公害は消費社会によってもたらされたものであり、それこそが汚染源だからです」。カナダの先住民居留地で起きた水銀汚染公害をテーマにした講演会が、東京都内であった。来日した先住民の女性の切実な言葉に、「消費社会」の恩恵を享受する一人として胸がうずいた。
 「カナダ水俣病」は、製紙工場からの廃水中の水銀に侵された魚を食べたのが原因だった。1975年から現地調査を続ける水俣病研究者の原田正純医師らによると、手足の痛みやしびれなど水俣病と合致する症状が認められ、補償金も支払われているが、救済されないケースも多いという。
 女性は穏やかな声で続けた。「大都市に暮らす何百万もの人々が生活のあり方を変えれば、(少数者が公害に苦しむ)この状況を大きく変えられるのではないかと思います……」
 利益は大都市・強者へ。負の部分は地方・弱者へ。カナダの事件と福島第1原発事故の構図が重なる。【平野幸治】
http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20111125k0000e070060000c.html

「登別アイヌ語地名巡り」行われ参加者が歴史や由来学ぶ

2011-11-09 | 日記
【室蘭民報 2011年11月7日(月)朝刊】

 NPO法人知里森舎(横山むつみ理事長)主催の2011年フィールド・ワーク「登別アイヌ語地名巡り」がこのほど、登別市内で行われ、参加者がアイヌにまつわる地域を巡り歴史と地名の由来を学んだ。
 登別、室蘭から約20人が参加。アイヌ民族が大切にした「自然に触れ、自然の息吹を感じる」がテーマ。講師は「いぶり自然ガイドの会」の宗広光明会長が務めた。
 一行は登別本町の「知里幸恵 銀のしずく記念館」をバスで出発し、倶多楽湖展望台へ向かった。硫黄のにおいを感じながら宗広さんが周辺の野草などを紹介した。
 この後、紅葉が鮮やかな登別温泉の日和山や大湯沼川の天然足湯で一休み。札内原野(開拓の碑)、金成マツの墓石がある富浦墓地、登別小学校前の知里真志保の碑などを巡り、参加者がアイヌと登別の密接な関わりを肌で感じていた。(粟田純樹)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/11/07/20111107m_06.html

北米奥地でスペイン遠征隊の宝飾品発見

2011-11-04 | 日記
National Geographic News November 2, 2011

Ker Than
 アメリカ南東部、ジョージア州の奥地にある先住民の村跡地で、考古学者チームが16世紀スペインの宝飾品や工芸品を発見した。
「コンキスタドール」の一人、スペイン人探検家エルナンド・デ・ソトは、遠征途中で奥地に分け入り、草ぶき屋根のピラミッド型寺院で先住民の儀式に参加していたという。デ・ソトの遠征隊は、最南東部のフロリダ州に上陸し中西部のミズーリ州まで到達した。
 デ・ソトはスペイン人探検家フランシスコ・ピサロの南アメリカ遠征に参加し、インカ帝国崩壊に関与していた。1539~41年の自身の北アメリカ遠征では、その栄光を再現しようと望んだ。今回の発見により、当時の遠征地図が塗り替えられる可能性がある。
 探検から5世紀を経て、考古学者デニス・ブラントン氏のチームはジョージア州南部で発掘調査を実施。1500年代半ばのガラス製ビーズ、鉄製器具、真ちゅうや銀製の装飾品が発見された。その場所は「グラス・サイト」と名付けられた。当初は17世紀のスペイン探検隊について調査していたという。
 ジョージア州アトランタにあるファーンバンク科学センター(Fernbank Science Center)に最近まで在籍していたブラントン氏は次のように語る。「500年前のアメリカ南部の先住民にとって、ガラスのビーズや鉄製器具は現代のスマートフォンのような技術で、ひたすら驚いたに違いない。見たこともない素材で赤や青色に輝くなど、先住民の世界にはそぐわない」。
 ブラントン氏は今回の発見を「非常な驚き」と表現する。これまで、デ・ソトの遠征隊はグラス・サイトより約160キロ上流で川を渡ったと考えられていた。南東部のこれほどの奥地まで分け入っていたとは予想外だという。
 同氏によると、出土品は全部合わせてもボール紙の靴箱1つに収まるほどの量。しかし、フロリダ州以外のアメリカ内陸部で発見された16世紀前半のスペイン工芸品としては最大のコレクションとなる。ナショナル ジオグラフィック協会の研究・探検委員会(CRE)はブラントン氏の研究に助成している。
◆先住民と贈り物を交換?
 調査によると、グラス・サイトにはかつて、草ぶきのピラミッド型屋根を持つ大きな建物が立っていた。周囲には溝が掘られ、内部の中央には大きな暖炉があった。重要な儀式場か寺院として使われていたようだ。
 スペインの工芸品が多数見つかったことから、デ・ソトはグラス・サイトで村長などの指導者と贈り物を交換する儀式に参加したと考えられる。スペイン人が代わりに何を手に入れたかは不明だが、通常は食料、情報、自由通行、荷物運搬人、女性などを要求するという。
 ブラントン氏のチームは調査結果を遠征隊の日誌と照合してみた。記述によれば、グラス・サイトは先住民イチシ(Ichisi)族の支配地域にある重要な村だったようだ。遠征隊は1540年3月30日~4月2日に滞在していたと見られる。
◆太陽から降りてきた男
 デ・ソトの探検隊は男性600人と数百頭の豚や馬で構成されていた。多くの先住民にとって豚や馬は見たことのない動物だった。「先住民は最初、馬とその上に乗る人間を1つの生き物だと思っていた。日誌にその様子が書かれている」とブラントン氏は述べる。
 先住民の協力を仰ぎ、衝突を避けるために、デ・ソトは自らを神と称することもあった。「デ・ソトは先住民の太陽崇拝を利用していた。イチシ族の村でも、“自分たちは太陽から降りてきた者だ”と説明した」。
 1540年頃には、北アメリカ南東部の先住民の間で既に“異邦人”の噂は広まっていた。だが、実物のヨーロッパ人に遭遇した者はほとんどいなかった。「デ・ソトとの遭遇は、グラス・サイトの人々にとってまったく新しい驚くべき体験だったに違いない」とブラントン氏は語る。
 グラス・サイトには大量虐殺や破壊行為の痕跡がないことから、探検隊は滞在中に歓迎されたようだ。日誌にはイチシ族の村で料理などの贅沢なもてなしを受けたという記録がある。ブラントン氏はグラス・サイトがその場所だったと考えている。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20111102001&expand#title

アイヌ文化普及 千歳燃ゆ 儀式を披露、語学教室も

2011-10-31 | 日記
(北海道新聞 10/30 15:00)

 【千歳】アイヌ民族の文化や風習を広く伝える活動が、千歳で熱を帯びてきた。道アイヌ協会千歳支部は、多くの市民が集まる祭り会場で伝統儀式を初めて披露。千歳在住のアイヌ文化伝承者として功績を残し、4月に死去した中本ムツ子さんの遺志を継ぎ、途絶えていたアイヌ語教室も再開された。関係者は、地域に根付いた活動を目指している。(渡辺淳一郎)
 道の駅・サーモンパーク千歳で9月に開かれた秋の恒例行事「インディアン水車まつり」。今年は、アイヌ衣装に身を包む千歳支部のメンバーが初めて参加した。サケの豊漁を祈る伝統儀式「カムイチェプノミ」を披露するためだ。
 千歳川にチプ(丸木舟)を浮かべ、マレク(もり)で射止めたチェプ(サケ)を、アペフチカムイ(火の神)に供える。
 「シ パセ カムイ、オンカミ アン ナ」(尊い神様、謹んでお祈りします)。祭司が歌うような抑揚をつけ祈りをささげると、穏やかな静寂が周囲を包んだ。
 千歳支部はこれまでも、サケを迎える儀式「アシリチェプノミ」を千歳川上流で行い公開してきた。祭り会場での儀式披露は、文化普及に理解を示す市などの働きかけで初めて実現。来年以降の継続的な実施も検討されている。
 財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)は「儀式の単独開催は道内各地で行われているが、市などと連携して実施するケースは限られる。千歳は良好な環境が整えられつつある」とみる。
 千歳には、サケが遡上(そじょう)する千歳川沿いなどでアイヌ民族が生活してきた歴史があるが、道内の他地域と同じように、数十年前まで文化の普及活動はほとんど行われていなかった。
 支部の中村勝信事務局長(67)は「いわれなき差別が原因で、古老たちは広めようとしなかった」と説明する。
 そこに風穴を開けたのが、4月に83歳で死去した中本ムツ子さんだった。中本さんは札幌などで暮らした後、50歳のころに千歳に帰郷。地域の古老たちに粘り強く教えを請い、伝承活動に取り組んだ。
 1989年に千歳アイヌ文化伝承保存会を設立。「元気に、楽しく」をモットーにアイヌ語教室などを開催し、自然や平和を大事にするアイヌ民族の心を伝えてきた。
 中断していたアイヌ語教室は、教え子が講師となり9月末に再開。刺しゅう教室は9~10月に3回開かれ、古式舞踊の教室も予定されている。
 課題は、どれだけ市民に周知できるか。アイヌ語教室には10人が出席しているが、新規参加は1人のみ。儀式の進め方や道具の作り方を知る人材も、高齢化などで不足気味だ。
 伝承保存会の副会長で、儀式の祭司を務めている野本久栄さん(60)は「千歳にはアイヌ民族が昔からいて、今も生活していると知ってもらうことが重要。真剣に取り組むメンバーを育てたい」と話している。
 北海学園大の藤村久和名誉教授(アイヌ学)は「アイヌ文化は生活に根ざしたもの。本物を伝えるためには、儀式を一時的に行うだけでなく、昔ながらの慣習も日々実践するように努力してほしい」と提言している。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/328754.html

アシリチェップノミ:豊漁祈り アイヌ民族の伝統儀式--千歳 /北海道

2011-09-06 | 日記
毎日新聞 2011年9月5日 地方版

 伝統漁法で捕獲したサケを供えて豊漁を祈るアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェップノミ」が4日、千歳市内で開かれた。北海道アイヌ協会千歳支部主催で今年で20回目。
 古くからアイヌ民族にとってサケは身を食べるばかりでなく皮から靴を作るなど生活に欠かせない魚だ。
 正装した男たちが千歳川を遡上(そじょう)するサケを丸木舟からマレクと呼ばれるカギの付いた漁具で仕留めた。続いて参列者は儀式用の食器を使い、厳粛な表情で濁り酒を神にささげた。
 同支部長の中村吉雄さん(61)は「多くの市民にアイヌ文化は脈々と生きていることを知ってもらいたい」と話す。【写真・文 小出洋平】
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20110905ddlk01040115000c.html

「白老にようこそ」―横浜から初の修学旅行生が訪問

2011-06-05 | 日記
【室蘭民報 2011年5月31日(火)朝刊】

 白老・アイヌ民族博物館に30日、横浜市内から初めての修学旅行生27人が訪問、古式舞踊を鑑賞したり、アイヌの伝統食を味わった。
 市立蒔田中学校(木村悦雄校長)の3年生一行。白老を含む北海道登別洞爺広域観光圏協議会が誘致、同博物館や白老町にとっては7年越しの“ラブコール”で、昨年12月には「移動博物館」を横浜市南公会堂で開催、好評を博した。
 伝統食の昼食時には飴谷町長が駆けつけ、「ようこそ白老へ。皆さんの後輩、横浜市内の中学生にアイヌ文化を理解してもらうことを期待します」と歓迎。菊池日向君は「ぼくは2年前から白老に来たいと思っていました。事前学習ではアイヌ文化を新聞にまとめました」、君塚晴美さんは「私たちのためにいろいろ用意してくれてありがとうございました」とあいさつ。
 生徒たちから「イヤイライケレ(ありがとう)白老」の文字と生徒たちの手形が押された記念の白布を受け取った飴谷町長は「町長室に張ります」と答えていた。
 同中はこれまで奈良や京都を修学旅行先にしていた。木村校長は「おいしい空気、自然の中での食文化体験。他校も続いてくれれば。だっていいんですもの」と話していた。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/05/31/20110531m_08.html

道アイヌ協会:不適切会計処理 委託事業5件の1776万円全額返還 /北海道 

2011-05-22 | 日記
毎日新聞 2011年5月21日 地方版

 道アイヌ協会は20日の総会で、道や道教委の委託事業5件の不適切経理で、総額1776万円を2月までに全額返還したと報告した。(1)問題があった各支部が委託事業を一般会計と独立させ、透明性を高める(2)専任の会計担当者を置き、出入金を明確にする(3)本部が定期的に支部を監査する--などの再発防止策も決めた。【千々部一好】
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20110521ddlk01040289000c.html

雑記帳:札幌こどもミュージカルがチャリティーコンサート

2011-04-19 | 日記
毎日新聞 2011年4月10日 1時28分

◇アイヌ民話の公演などで知られる「札幌こどもミュージカル育成会」(細川真理子会長)が9日、東日本大震災の被災者支援チャリティーコンサートをJR札幌駅前の地下歩行空間で開いた。
 ◇「被災地のために何かしたい」と声を上げた3~12歳の約50人が、オリジナルの全13曲を披露。「仲良く歌っていたら、希望の扉は開くだろう」との元気な歌声と踊りに、道行く人も足を止めた。
 ◇最後に「子どもは何もできないけど力を合わせれば強い力になる。私たちには歌がある。被災した子どもたちに元気を送りましょう」と支援を訴えると、会場には募金の輪が広がった。【円谷美晶】
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20110410hog00m040003000c.html

刺しゅうなどアイヌ文化を学び継承 「女性の会」活動に幕

2011-02-04 | 日記
(北海道新聞 02/03 14:33)
 道内各地の女性たちがアイヌ民族の伝統的な刺しゅうや着物づくりを学び合ってきた「アイヌ文化を学び継承する女性の会(カリプ)」(上武やす子会長)が、北海道開拓記念館(札幌市厚別区)で開催中の作品展「北の手仕事 これから…」を最後に12年の活動に終止符を打つ。体験講座を海外で開くなど発信にも努めてきたが、会員の高齢化でやむなしとの結論を出した。
 「カリプ」はアイヌ語で「輪」の意味。伝統を学ぶ団体は、地域ごとにあっても、横のつながりが乏しいことから、1998年に、アイヌ民族に限らず関心のある有志で旗揚げした。道内外の博物館や大学を訪ねて収蔵品から技法を学んで復元。各地域の会員が仲間に出展を呼び掛ける形での作品展も札幌で開いてきた。米国、ロシア、ドイツを訪れ、刺しゅうなどの体験講座も開いた。
 3月31日までの最後の作品展には「ピリカノカの会」(登別)「イランカラプテの会」(函館)「モレウの会」(札幌)「ケメイキ」(帯広)など8団体27人が着物を中心に約70点を出展。生地に直接、精緻な刺しゅうを施したり、アイヌ文様を切り抜いた布を縫い付けたりと、技法も色彩もさまざまな作品が並ぶ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/271525.html

「輝く男の子」追う再生の旅 津島佑子「黄金の夢の歌」

2010-12-20 | 日記
(朝日新聞 2010年12月19日10時26分)
 作家の津島佑子さんが新作『黄金の夢の歌』(講談社)を刊行した。近年、アイヌ口承文芸の仏訳に取り組むなど、文字ではなく歌として伝えられてきた世界の豊かさを紹介してきた津島さんは、そうした歌を「夢の歌」と呼ぶ。「夢の歌」は、民族としてだけでなく「誰の体にもある」と言う。新作はキルギスの英雄叙事詩「マナス」の歌に魅せられ、中央アジアを旅した魂の記録でもある。
    ◇
 マナスはキルギスに伝わる叙事詩の主人公の男の子。成長して、外敵から民族を守るリーダーとなる。津島さんは、アイヌの叙事詩「ユカラ」の男の子ポイヤウンペと共通するものを感じた。共に他民族からの侵略にさらされてきた歴史から生まれた英雄。「でも、どうしようもないいたずらっ子。その輝きが魅力的。物語の原型として男の子がいる意味をずっと探りたいと思っていた」と言う。
 作者の分身でもある小説の中の「あなた」に、マナスともポイヤウンペともいえる男の子が何度もささやきかけてくる。さらには、マケドニアから中央アジアにまで遠征したアレクサンドロスの少年時代の声も聞こえてくる。
 「暴れん坊の男の子には、がちがちに固められた人間社会を破って、新しいエネルギーに満ちた世界を現出させてほしいという期待がある。アレクサンドロスは人類の夢を体現した、ひとつの像。繰り返される戦争に嫌気がさし、どうしたら平和になるかを考えてきた歴史の中で、希望が託された。彼はその使命感を持っていたのではないか」
 津島さんは、念願のマナスの歌をキルギスの首都ビシュケクのユネスコ事務所で聴く。殺風景な部屋だったが「楽器も持たず、身ぶりだけで歌うリズムにだんだんしびれてきて感動した。はるか昔、人間は小鳥のさえずりや動物の咆吼(ほうこう)をまねし、意味をくみ取ろうとした。大自然からのメッセージを感じ、人間からも送り返す。そのやりとりが歌の起源なのでは」
そんな「夢の歌」は「だれにもあらかじめセッティングされているのでは」と言う。
 「命そのものがつながっていると実感をもてる場所がどこかにあるはずだが、見いだせずにもどかしい思いをしているとき、そこに導いてくれる。一人ひとりが、絶対につかめないものにつながっている夢の歌を持っていて、懐かしい場所へのガイドブックの役割を果たしてくれる」
 「夢の歌」が「あなた」を最後に導いたのはイシククル湖だった。地上から飛行機を仰ぎ見る「あなた」と、飛行機の乗客となった「あなた」がいる。地上の「あなた」は30年以上前の出産の記憶を思い起こし、機上の「あなた」はマナスを産んだ母親のようにおなかがふくらんでいる。
 実際に湖で泳いだ津島さんは「時間が堆積(たいせき)していて、古代のままのタイムカプセルのようだった」と言う。「女性にとって生命のはじまりを生み出すということは幸せな時間。それは個人にとどまらず、生命体としての希望でもある」
 現実の時間の中で流れた悲しみを知っている地上の「あなた」と、臨月の幸福感に包まれた機上の「あなた」とが交錯し、再生への希望が痛切に伝わってくる。(都築和人)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201012170393.html

今週の本棚:池澤夏樹・評 『エル・ネグロと僕…』=フランク・ヴェスターマン著

2010-10-25 | 日記
毎日新聞 2010年10月24日 東京朝刊

 ◇『エル・ネグロと僕--剥製にされたある男の物語』
 (大月書店・2520円)

 ◇肌の色による差別と開発援助
 一九八三年、オランダ生まれの十九歳の若者が気ままな旅の途中、スペインの田舎町の博物館で驚くべきものに出合った。

 人間の剥製(はくせい)!

 とても小柄な黒人で、槍(やり)と盾を持っている。「カラハリ産ブッシュマン」という表示がある。しかしそこで売っている絵はがきには「ベチュアナ人」とあった。

 この博物館の創始者フランシスコ・ダルデルは一九一八年に亡くなっている。つまり剥製はそれ以上に古いものだが、それにしても……

 この出合いを記憶したまま、若者は開発援助の専門家を目指す。しかし、座学を終えていざ貧しい国の現場に立ってみると湧(わ)くのは疑問ばかり。貧富の差、それを助長する社会、役に立たない援助、そして肌の色による差別と偏見。

 ペルーの山奥の村で、反政府組織センデーロ・ルミノソの襲撃に怯(おび)えながら、その村の灌漑(かんがい)システムを調査する。不自由な生活や村人の誤解を乗り越えて得た結論は、ここの灌漑には援助などしない方がいいというもの。この地域の自然と精緻(せいち)に組み合わされた現行システムは外から手を加えれば壊れてしまう。「介入しないのが最善策」

 この体験を機に彼は開発援助の仕事を捨てて新聞記者になった。最初の仕事はバルガス=リョサも候補者だったペルーの大統領選だ(今回のノーベル文学賞受賞者はこの選挙でフジモリに敗れた)。

 そして、時間を見つけてはあの剥製の来歴を調べ始める。名前もなく、出身地はおろか種族さえ曖昧(あいまい)にただ「エル・ネグロ(黒人)」とだけ呼ばれる男。スペインの古い新聞の記事を探して、これが一八八八年のバルセローナ万博で展示されたと知り、そこからたぐってヴェロー兄弟なる二人が一八三〇年か三一年に「アフリカ南端、喜望峰」からこれをフランスに持ち帰ったことを突き止める。

 新聞記者として取材に行ったシエラレオネでは、すっかり壊れてしまった国を見て、アフリカなどの貧しい国々と先進国との関係について考え込む。

 第二次大戦後、世界各地で植民地が独立した。宗主国のくびきを逃れた以上、彼らは豊かな国を作れるはずだったのに、そうはならなかった。どこで失敗したのだろう?

 「認めるのはつらいことなのだが」と前置きして、ヴェスターマンは開発援助の動機の根本には人種差別がある、と言う。白人のやりかたの方が優れているからそれを教えてやるという態度。また受ける側のそれに迎合する姿勢。そこからは形を変えた従属の構図しか生まれない。

 振り返ってみれば、ペルーの村の住民は外来の彼に改善を期待した。何か新しいものをもたらして村の生活を一変してはくれないか。コンクリートで水路を固めたら保守作業が不要になる。しかし、「集団作業の必要がないとなると、村をひとつの共同体にまとめてきた伝統が失われる」というのが彼の結論だった。

 エル・ネグロの探索の方も進む。十九世紀に人間を剥製にするようなことがなぜ許されたのか? 「黒人が白人より劣っていることは、歴史家も比較人種解剖学者も口を揃(そろ)えて確認するところである」というような言説が世間の主流だった。だから、さまざまな人種の遺体が標本として研究機関に持ち込まれた。あるいはそれが見世物(みせもの)になることもあった。

 日本でも一八六五年に函館でイギリスの領事がアイヌの墓を暴いて骨を盗み出すという事件があった。これも目的は人類学の資料だった。

 一九九一年、スペインではアルセリンという黒人の医師がアフリカ人の剥製の展示に反対する運動を始め、さまざまな議論とどたばた騒ぎを経たあげく一九九七年に「エル・ネグロ」は撤去された。後に解体されてアフリカのボツワナに返されたが、そこは彼の本当の故郷ではなかった。すべてを政治が歪(ゆが)める。

 ヴェスターマンは開発援助や旧植民地の事情の報道に携わった半生をユーモラスに振り返りながら、これらすべての問題の底流にある構造化された差別意識について考える。

 先進国の人間は自分たちが豊かな理由を教えてやると言って今も旧植民地をいいように利用しているのではないか。欧米の文明に背を向けて本来の道を歩めば、金銭まみれとは別の幸福があるのではないか。

 最後に南アフリカに行ったヴェスターマンは(ヴェロー兄弟は盗んだ遺体をケープタウンで剥製にした)、アパルトヘイトが終わったこの国で意気軒昂(けんこう)な黒人たちを前にしてまた考え込む。「あなたが白人のくせに、エル・ネグロについて本を書く」ということに不快感を覚える者もいると言われる。

 長くこの国を支配していた白人はオランダ系であり、それゆえにオランダ人である彼はまた考え込む。それでもこれはヨーロッパの問題だ、加害者はヨーロッパ人だったのだからと心の中で反論する。

 体験と追跡調査と思索が一体となった読みごたえのある本である。(下村由一訳)

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20101024ddm015070015000c.html

アイヌ伝統の暮らし体験

2010-10-18 | 日記
(十勝毎日新聞 2010年10月18日 14時31分 )
 「アイヌ生活文化展」が17日、帯広市生活館(帯広市柏林台東町2)で開かれた。アイヌ文様の刺しゅうを施したコースター製作や楽器「ムックリ」(口琴)の演奏、体験講習などを通じて、アイヌ伝統の暮らしや文化に親しんだ。
 道アイヌ協会帯広支部、市などでつくる実行委員会(笹村二朗委員長)の主催。アイヌの豊かな文化に触れてもらおうと初めて企画した。
 会場ではアイヌの伝統民具やアイヌ文様刺しゅうの着物などが展示され、「カムイノミ」(祈り)の儀式、古式舞踊の披露、伝統料理の試食なども行われた。演奏者によって音色が異なるムックリの講習会では、帯広カムイトウウポポ保存会(酒井奈々子会長)のミナさん、竹山美幸さん、竹山明美さんが変幻自在の音色を披露し、来場者から大きな拍手が送られていた。笹村委員長は「実際にアイヌの文化を見て、触れてもらうことが一番理解につながる。たくさんの人に来てもらい成功だった」と話していた。
http://www.tokachi.co.jp/news/201010/20101018-0006934.php


英でユーカラ披露へ 語り部の祭典 平取の2人、招待され初参加

2010-10-18 | 日記
(北海道新聞 10/17 10:50)
 【平取】イギリスのスコットランドで22日から31日まで開かれる民話や伝説の語り部の祭典「スコットランド国際ストーリーテリングフェスティバル」に日高管内平取町の鍋沢保さん(74)と萱野志朗さん(52)がアイヌ民族として初めて参加し、ユーカラ(神謡)を披露する。2人は「アイヌ民族に語りつがれた文化を世界に広めたい」と意気込んでいる。
 フェスティバルは語り部の育成に力を入れる民間団体「スコットランド・ストーリーテリング・センター」の主催で、今年で21回目。スコットランドの中心都市エディンバラと周辺都市で開かれ、世界各地の語り部がそれぞれの地域に伝わる民話などを発表する。
 スコットランドと平取は、エディンバラ大で医学を学んだ英国人医師マンロー(1863~1942年)が晩年、平取町二風谷地区でアイヌ民族を無償で診療するなど、つながりが深い。二風谷アイヌ資料館館長の萱野さんらが6年前に英国在住のマンローの子孫を二風谷に招いたところ、同行者にスコットランド北部で伝承活動を行っているメンバーがいたのがきっかけになり、今回、招待された。
 鍋沢さんは平取アイヌ文化保存会会長で、昨年のアイヌ語弁論大会(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構主催)で優勝するなど、ユーカラ伝承の第一線で活躍。フェスティバルでは「アイヌ民族との永遠の友情を願って」と題し、萱野さんがアイヌ文化を紹介し、鍋沢さんがアイヌ民族の生活の様子などを伝える二つのユーカラを披露する。
 鍋沢さんは「言葉は通じなくても、祖父母から受け継いだユーカラの響きを英国の人の心に伝えたい」と話している。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/255856.html

7カ国の先住民族集う 愛知で「サミット」開幕

2010-10-18 | 日記
(北海道新聞 10/16 08:44)
 アイヌ民族と海外の先住民族が連携し、民族の権利回復を目指す「先住民族サミットinあいち」が15日、愛知県で開幕した。4日間の日程で、18日からの生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に合わせ、自然と共生してきた先住民族の知恵をアピールする。
 アイヌ民族らでつくる市民団体「世界先住民族ネットワークAINU」(萱野志朗代表)や、愛知県立大などの主催。初日は名古屋市内で開かれ、台湾やインドネシアなど7カ国の先住民族9人のほか、研究者ら約200人が参加した。
 音楽祭ではアイヌ民族や東ティモールなどの多彩な伝統音楽や舞踊に合わせ、手拍子が起こり、民族を超えてきずなを深めた。
 音楽祭に先立ち、各国の先住民族らが講演。台湾のアミ民族の男性(64)は「多様な生物に対する知識を記録してきた先住民族の言語が失われている」と報告した。アイヌ民族の歴史や現状を報告した萱野代表は「海外でも先住民族サミットを開き、交流を続けたい」と訴えた。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/255677.html

登別で第1回銀のしずく館トーク、知里幸恵を語る

2010-10-12 | 日記
【室蘭民報 2010年10月11日(月)朝刊】

 NPO法人知里森舎(横山むつみ理事長)主催の「第1回銀のしずく館トーク」が9日、登別市登別本町の知里幸恵銀のしずく記念館で開かれ、芥川賞作家の加藤幸子さんが幸恵について語った。
 同館は9月に開館し、幸恵に関する資料を展示している。トークは同館のイベントとして企画され、今後も継続していく方針。この日は約20人が訪れ、北大の小野有吾教授が司会を務めた。
 加藤さんは同館について「雰囲気がよく、すてきな記念館ができた。幸恵さんも喜んでくれると思う」と印象を語った。
 アイヌ神謡集を著して19歳の若さで亡くなった幸恵については「アイヌ語を日本人に理解してもらいたい気持ちがあったからこそ、神謡集を著した」「めげたり落ち込んだりしない明るい人だったと思う。手紙を読むと伝わってくる」などと述べた。
 幸恵の弟、知里真志保についても「一度だけ大学の研究室を訪ねたが、誰もいなかったのでお会いすることはできなかった。女子学生には優しかったと後から聞いたので、もう一度行けばよかった」とエピソードを披露し、訪れた市民らが興味深く聴き入っていた。
(有田太一郎)
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