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アイヌ、新法めぐり「国の反省と謝罪」など12項目を要望

2018-12-07 | アイヌ民族関連
週刊金曜日 2018年12月6日11:56AM斉藤円華

国会議員にアイヌ新法への要求を伝えるアイヌ(手前)。(撮影/斉藤円華)
来年にも国会に提出予定のアイヌ新法案をめぐり、アイヌ側の要望を取りまとめた要求書が14日、国に手渡された。
アイヌらでつくる「先住民族アイヌの声実現!実行委員会」が作成。昨春以降、内閣官房アイヌ総合政策室と行なった7回にわたるチャランケ(交渉)を踏まえたもので、要求は12項目に上る。
この中で、(1)従来の国のアイヌ政策でアイヌの権利や文化が深刻な打撃を受けたことへの国の反省と謝罪、(2)「アイヌ民族議会」などを通じた自決権の確立、(3)新設の「交付金制度」は、アイヌが幅広い目的で主体的に使えるようにする、(4)アイヌ文化復興に向け漁労、狩猟、採集を認める。登録制による伝統的サケ漁の解禁、生存捕鯨の権利確立、自然条件に恵まれた土地の返還などを求めている。
アイヌ遺骨問題をめぐっては、(10)国および当事者である大学や研究機関の謝罪、問題解決に向けた枠組み作り、今後の研究利用をやめることなどを盛り込んだ。
要求書提出後に国会内で行なわれた国会議員との勉強会で、会の共同代表を務めるアイヌの多原良子氏は「アイヌモシリが北海道と改名されて今年で150年だが、アイヌ民族にとっては苦渋の150年間だった。新法はアイヌがこの地で人間らしく生きるための法律であってほしい」と訴えた。
しかし国は、新法に謝罪や先住権を明記することに消極的だ。勉強会で、北海道4区の本多平直衆院議員(立憲民主党)は「要求と政府との間には大きな差がある。(新法成立には)自公の議員の力も必要だ」と述べた。
「(国会議員の反応には)ガックリきたが、アイヌ遺骨問題で日本は正義をきちっと見せてほしい。『先住民族の権利に関する国連宣言』12条でも遺骨返還の規定がある」(木村二三夫・平取アイヌ遺骨を考える会共同代表)
(斉藤円華・編集部、2018年11月23日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/12/06/antena-381/

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札幌、白老、室蘭で11日に500日前イベント 2020年4月開設の民族共生象徴空間

2018-12-07 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  2018/12/6配信
 道は5日、2020年4月に白老町にオープンする民族共生象徴空間(象徴空間)の「開設500日前カウントダウンセレモニー」を11日に札幌市内で開催すると発表した。同日は地元白老町や室蘭市で関連イベントを開くほか、前日の10日からは「アイヌ工芸品リレー展示」なども札幌でスタート。セレモニーでは象徴空間の愛称も発表され、開業機運を盛り上げる。
 高橋はるみ知事が同日、道庁で開いた記者会見で概要を発表した。
 セレモニーは11日午後6時から、札幌グランドホテルで開催。▽ウタルニ(仲間がいつもいるところ)▽ウヌカリ(人が出会うところ)▽ウポポイ(大勢で歌うところ)―の3案の中から、11月11日まで一般投票を受け付けた愛称を発表。ロゴマークも決まる。象徴空間の開設PRアンバサダーを務める俳優の宇梶剛士さんとAKB48チーム8北海道代表の坂口渚沙さんのトークセッションも繰り広げる。
 セレモニー終了後の午後7時45分からは、道庁赤れんが庁舎前庭でプロジェクションマッピングもスタート。アイヌ文化や象徴空間をPRする音と映像が、20日まで毎夜、野外で映し出される。
 500日前イベントは同日、白老町中央公民館(白老町主催)と、むろらん広域センター(胆振総合振興局主催)でも開催され、象徴空間の愛称発表やカウントダウンボードの除幕式などが予定されている。
 前日の10日からは、札幌市中央区の大通ビッセ地階でイベント「meet AINE(アイヌ)」(道主催)を16日まで7日間にわたり開催し、15、16日にはアイヌ料理試食会も実施。アイヌ民族文化財団が所有するアイヌ工芸品のリレー展示(民族共生象徴空間交流促進官民応援ネットワーク主催)も10日午後0時半から、大通ビッセ1階ロビーで出発式が行われる。
 高橋知事は「道民に象徴空間を理解いただき、開業機運をさらに盛り上げていきたい」と話している。
https://www.tomamin.co.jp/news/main/15233/

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漫画「ゴールデンカムイ」大英博物館に 漫画展シンボル採用

2018-12-07 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/06 13:33 更新

 【ロンドン河相宏史】英国ロンドンの大英博物館は、来年5~8月に開く日本の漫画展のシンボルに、人気漫画「ゴールデンカムイ」に登場するアイヌ民族の少女「アシリパ」を採用した。5日から告知用の垂れ幕などに使っており、海外でも作品の知名度が高まるきっかけになりそうだ。
 北広島市出身の野田サトルさん原作のゴールデンカムイは、明治時代後期の道内が主な舞台。アシリパは主人公の元兵士とともに金塊を探す重要なキャラクターだ。選定理由について、同博物館の担当者は「物語や登場人物にインパクトがある」と話す。
 漫画展は来年5月23日~8月26日に開かれ、単行本や原画など163点を公開。同博物館によると日本国外では最大規模という。ゴールデンカムイのほか「ドラゴンボール」「スラムダンク」などを展示する。同博物館には世界中から年600万人が訪れている。
※「アシリパ」の「リ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/255196

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コラム:昔の農村・今の世の中

2018-12-07 | アイヌ民族関連
JAcom 2018.12.06
【酒井惇一(東北大学名誉教授)】
【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第31回 言葉の地域差別
 前回述べた角田君(山形大学教授)の疑問、これはもっともである。いわゆる方言は汚いもの、間違っているものとして作文などではもちろん普通の会話のさいも学校内で使うことを厳しく禁止されていたからである。そういうことからすると、前回述べた二葉君の詩などは訂正を迫られただろう。それどころか却下されただろう、作文や詩は教科書に書いてある模範例のようなきれいなものであるべきで、生活の不満やいやなこと汚いことなど書くものではないとされていたからである。
 ところが前回紹介した二葉君の詩は高く評価され、本にまで掲載された。それは戦前から戦後にかけて展開された生活綴り方運動、北方教育運動(注1)の影響がこの学校の先生方にあったからではなかろうか。
 生活綴り方とは「自分自身の生活や、そのなかで見たり、聞いたり、感じたり、考えたりしたことを、事実に即して具体的に自分自身のことばで文章に表現する」(注2)綴り方を言うのだが、この『自分自身のことば』のなかには当然地域の言葉いわゆる方言も入っている。しかし、他の地域の人に伝えるためにはいわゆる『標準語』でなければ伝えられないことがある、したがって綴り方は標準語で書くのが普通となる。しかし、地方にいる子どもたちは通常いわゆる『方言』で考えており、自分の気持ちや情景を方言でしか表現できないこと、地域独特のいい言葉もある。そのときには自分自身のことば=方言を使うことはこの運動では認められあるいは推奨されていた。ただしそうすると他地域の人がどうしてもわからない言葉もある、そのときには( )もしくは注釈でわかるようにした。ただ、この子どもの詩を掲載した『開拓の子ら』の冊子は県内向けを主にする出版物だったので読者はみんなわかるものとしてとくに注釈などつけなかった、翻訳しなかったのではなかろうか。
 ところで今「標準語」・「方言」という言葉を使ったが、私はそれを『共通語』・『地域語』といつも書かせてもらっている。また各地の言葉は秋田弁とか薩摩弁とか「弁」という言葉をつけているが、これは秋田語とか薩摩語(あるいは鹿児島語)というように地域名の後に『語』をつけさせてもらっている。
 その理由は次のとおりである。
 いうまでもなくわが国には各地に長い歴史を通じて培われてきた多種多様の独特の言葉がある。そのなかには他地域の人々に理解してもらえない独自の言葉もあり、逆に自分にはわからない他地域の言葉がある。そのそれぞれの言葉で話しても相互に理解しあえない場合があるので、全国に共通する言葉、共通語が必要となる。それで形成されたのが今私たちが共通の言葉として使っている日本語なのだが、それは一般に「標準語」と称され、正しい言葉、きれいな言葉とされてきた。そして各地で伝統的に使われている独自の言葉は「方言」と呼ばれ、それは標準語がなまった「標準以下の言葉」、間違った言葉、汚い言葉とされてきた。ここには地域格差どころか差別があった。地方(そのほとんどは農山漁村だが)の言葉は汚いものとして東京=大都市地域の人々は嗤い、学校では子どもが「方言」を使うと先生に怒られたのである。
 戦後10年くらい過ぎたころである、私の生家のある山形の小学生だった末弟が突然自分のことを「ボク」と言うようになった。どうしたのかと思って聞くと、学校で「オレ」と言うとそれは山形弁だと怒られ、「ボク」を使えと言い直させられるというのである。私は頭にきた、何で「オレ」が悪くて「ボク」がきれいなのか、山形では昔からみんなが日常的に使ってきた言葉なのだ、なぜそれを禁止するのかと。日本の共通語は「ボク」なので、山形以外の人にはボクを使った方がいいというだけならまだわかるが、地域の日常語をなぜ禁止するのかと。ついでにいえばなぜ「ボク=僕=しもべ」で男女共通の「ワタクシ=私」ではないのか、それをだれがいつ決めたのか、法的強制力はあるのか。
 こうした標準語の「強制」=方言の「矯正」は明治の初めからあったようで、たまたま私が体験しなかったというだけらしい。その矯正のために使われた一つの道具が「方言札(ふだ)」だったと言う。学校でいわゆる方言=地域の言葉を使うと罰として首から方言札と書かれた木の看板をかけさせられ、次に方言を使う子どもが現れるまで見せしめのためにこれを首にかけていなければならなかったというのである。この話を聞いたのはかなり後のことだったが、山形県南の農村生まれの井上ひさしの著作(この書名が思い出せない)にもたしかその方言札の話が出ており、山形にもあったのかと驚いたものだった。とくに沖縄と東北で方言札が使われたとのことであるが、「矯正」という言葉は非行少年に対してよく使われていることからすると沖縄や東北の子どもたちは非行少年扱いだったようである(注3)。
 いうまでもなく各地の独特の言葉も日本人のつくりだしたものである。とすれば地域の言葉も日本語である。一方、言葉は文化の基礎である。とすれば地域の言葉は地域の文化であると同時に日本の文化でもある。
 その地域の言葉を卑下し、禁止することは、地域のそして日本の文化、伝統の否定であり、その豊かな発展を阻害するものである。そして地域語を抹殺してしまい、「標準」なる一つの型にはめることは豊かな日本語を貧しいものにする。
 そして地方を差別をすることにもなる。実際にそうしてきた。
 こうした問題を引き起こす一因が「標準語」、「方言」、「弁」と言う言葉にあるのではなかろうか。だから私はその言葉を使いたくない。それで「共通語」、「地域語」、「(地域名)語」という言葉を勝手に使わせてもらっているのだが、そのことをいちいち説明しなくとも言葉の意味は通用するし、わかってもらえるので、安心して使っている。
 もう一つ、この岩手の子どもの詩と夜の灯りに関わって角田君から質問があったのだが、それはまた次回述べさせていただく。
(注)
1.この運動は戦前、戦中、厳しく弾圧された。
2.「生活綴り方運動(せいかつつづりかたうんどう)とは-コトバンク、生活綴方運動
  「日本大百科全書(ニッボニカ)の解説」より引用
3.アイヌ民族の子どもたちはアイヌ語を奪われてさえきたのだが。
本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。
酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】
https://www.jacom.or.jp/column/2018/12/181206-36840.php

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