先住民族関連ニュース

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甲子園準V台湾学校描いた映画撮影公開

2013-01-31 | 先住民族関連
MSN産経ニュース ‎-2013.1.30 11:40
 【嘉義(台湾南部)=吉村剛史】日本統治時代の1931(昭和6)年、台湾から夏の甲子園大会に初めて出場し、準優勝に輝いた嘉義農林学校(現嘉義大学)野球部の栄光を描く台湾映画「KANO」(嘉農)の撮影風景が29日、嘉義市の特設屋外撮影場で内外メディアに公開された。
 映画は日本人と台湾人、「高砂族」とよばれた先住民の友情などがテーマ。オーディションなどで選ばれた野球少年らが演じる。
 この日は、台湾地区大会で優勝し「第17回全国中等学校優勝野球大会」の出場権を得た嘉農ナインが台北から汽車で嘉義に凱旋(がいせん)したシーンを撮影。スタッフ、エキストラを含め400人以上が、5千万台湾元(約1億5千万円)を投じた昭和初期の嘉義駅前セットで往時の熱狂を再現した。
 主演は永瀬正敏さん(46)。創部間もない嘉農野球部を独自の特訓で甲子園の決勝にまで導いた近藤兵太郎監督役で、馬志翔監督らと会見に臨み「異なる文化を乗り越えた物語を、台湾や日本、アジアの皆さんに知ってもらいたい」と語った。
 映画は来年2月の旧正月に台湾で、来年夏に日本での公開を予定している。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130130/trd13013011510006-n1.htm

アイヌ工芸品、現代の風 2月から作品展 北海道

2013-01-31 | アイヌ民族関連
2013年1月31日0時41分
 【林美子】アイヌ民族の伝統的な工芸品や現代の作品を一堂に集めた「AINU ART(アイヌアート)―風のかたりべ」が、2月2日から札幌市の道立近代美術館で始まる。民族学的な観点から博物館での展示が多いアイヌ工芸品を、過去から現代まで見通す形で美術館で本格展示するのは全国初という。現代に生きるアイヌ文化の魅力と出会える場となりそうだ。
 展示されるのは、19~20世紀の伝統的な工芸品約180点と、現代の作家9人の約100点。伝統品で力を入れたのは、儀式に使う長さ30センチほどの木製祭具「イクパスイ」だ。100点以上が陳列され、家や舟、動物が刻まれていたり、動く仕掛けがあったりと独創性豊か。土産で有名な木彫りのクマがどのように生まれ、変遷したかもたどることができる。
 現代の作家は木彫りが藤戸竹喜さん、床ヌブリさん、貝澤徹さん、貝澤幸司さん、瀧口政満さん、藤戸康平さん、布の作品が故チカップ美恵子さん、川村則子さん、貝澤珠美さん。
http://www.asahi.com/culture/articles/HOK201301300005.html

13年度予算案:閣議決定

2013-01-30 | アイヌ民族関連
 道開発予算、政策転換で農業大幅増 凍結4ダム復活 事業の必要性に疑問も /北海道
毎日新聞 2013年01月30日 地方版
 29日に閣議決定された13年度政府予算案で、北海道開発予算の総額は前年度当初予算比11%増の4770億1300万円となった。12年度補正予算案と合わせると実質規模は約6900億円に上り、06年度の水準まで一気に回復した。農業予算は大幅アップし、凍結されていた国直轄の4ダムは全て本体工事に向けた事業費が計上されるなど、民主党政権からの転換を印象づけた。しかし、必要な公共事業の見極めがどういうプロセスでされたのかは不透明なままだ。【円谷美晶、横田信行】
 ◇要求額上回る
 開発予算のうち、農林水産基盤整備費は約1057億円で、前年度比31%増。使途を定めない一括交付金が廃止されたこともあり、要求額を約79億円上回った。
 特に、民主党政権発足後の10年度予算で前年度比47%減の大幅削減となった農業農村整備費は、戸別所得補償制度を優先的にすすめたあおりを受け、その後も横ばい状態が続いていたが、自民への政権交代後、農業予算を重視する方針に変わり、前年度比25%増の666億5700万円が計上された。根室市のかんがい排水や美唄市の農地再編など、新規の10事業(調査も含む)も全て認められた。
 国土交通省北海道局農林水産課は「整備の遅れによる生産への影響が懸念されており、現政権が必要性を認めてくれた。遅れを取り戻したい」と説明する。
 ◇駆け込み決定
 民主党政権下で「検証対象」となり、本体工事が凍結されていた▽サンルダム(下川町)▽平取ダム(平取町)▽新桂沢・三笠ぽんべつ両ダム(三笠市)の3事業は、本体工事に必要な基礎掘削や道路工事費など、3事業それぞれに30億円以上、計約95億円が計上された。凍結から3年を経て、完成に向けて再びかじを切った。
 「住民の声を受けた悲願」と訴え、凍結解除を求める署名活動も展開してきた下川町の安斎保町長は「凍結となっていた本体工事が開発予算に盛り込まれたことは大変喜ばしい限り。流域の住民の安全と安心を確保するため、できるだけ早い工事の着工を望んでいる」とコメントした。
 だが、「北海道脱ダムをめざす会」事務局で道自然保護協会の佐々木克之副会長は「総選挙前から検証作業の急ぎぶりは異常だった」と指摘する。サンルは昨年11月に国交省が事業継続を決定。平取と新桂沢・三笠は予算案の閣議決定直前の今月25日に相次いで事業継続が決まり、駆け込みの印象はぬぐえない。佐々木副会長は「環境への影響や治水効果、地域振興などで多くの問題点を指摘したが、一切答えていない。行政が説明責任を放棄した状況で事業を再開していいのか」と批判した。
 開発予算の増額について、国交省北海道局予算課は「必要な予算を積み上げた結果で、バラマキではない」と強調する。だが、新政権発足による政策転換からわずか1カ月半。12日の概算要求の組み替えで、急きょ13億円を上積みするなど、事業の必要性に疑問が残る形となった。
 ◇送電網整備を初計上 風力発電導入促進に向け
 政府の13年度予算案では、風力発電の導入促進に向けて、送電網整備に向けた実証事業に250億円が初めて計上された。今後、送電網の脆弱(ぜいじゃく)な道北など、道内の適地を風力発電の「重点整備地区」に指定。「特定目的会社」を設立し、電力会社以外による送電網整備を試みる。
 風力発電推進市町村全国協議会会長を務める森利男・苫前町長は「風力発電の普及拡大への大きな力になる。道北をモデルケースとして全国に普及させたい」と歓迎した。
 市民出資による風力発電事業などを行う、北海道グリーンファンドの鈴木亨理事長も「日本で再生可能エネルギーの比率を高めるために欠かせない事業だ。中長期的視点で事業を注視していきたい」と評価した。【大場あい】
 ◇アイヌ政策関連、9億5400万円計上
 各省庁にまたがるアイヌ民族政策関連費の総額は9億5400万円となった。アイヌ文化の復興・発展を目指す「民族共生の象徴空間」(白老町)に関わる予算は、国立博物館の整備・運営のための調査費2400万円を含む計3400万円が計上された。アイヌ民話の絵本の刊行や、アイヌ語の保存・継承のための調査研究などの新規事業なども盛り込まれた。
 また、15年度開業予定の北海道新幹線・新青森−新函館間の沿線自治体の負担などを含む事業費は1000億円。昨年6月に着工認可を受けた新函館−札幌間には用地取得の補助事業や詳細設計のための60億円が配分された。【円谷美晶】
◇北海道開発予算
 旧北海道開発庁を母体とする国土交通省北海道局は、北海道の開発に必要な公共事業を選定し、「北海道開発事業費」として一括要求できる権限を持つ。国交省所管の道路・港湾整備、農林水産省所管の農業用施設整備のほか、厚生労働省や環境省所管事業まで及ぶ。ピーク時は年間1兆円を超えた。
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 ◆13年度北海道開発予算案総括表◆
 (単位は百万円)
   項目                決定額 12年度当初  対前年度倍率
 【北海道開発事業費】       467647 420337    1.11
 (内訳)
(1)治山治水            82168  83053    0.99
   治水              75451  75776    1.00
   治山               6214   6772    0.92
   海岸                503    505    1.00
(2)道路整備           160209 151847    1.06
(3)港湾空港鉄道等         18752  19323    0.97
   港湾              14440  14440    1.00
   空港               4312   4883    0.88
(4)住宅都市環境整備        17493  18842    0.93
   都市環境整備          17493  18842    0.93
   道路環境整備          16908  18200    0.93
   都市水環境整備           585    642    0.91
(5)公園水道廃棄物処理等       4969   5313    0.94
   水道               2879   3251    0.89
   廃棄物処理            1121   1178    0.95
   国営公園等             969    884    1.10
(6)農林水産基盤整備       105717  80738    1.31
   農業農村整備          66657  53213    1.25
   森林整備             5083   6322    0.80
   水産基盤整備          21092  20838    1.01
   農山漁村地域整備        12885    365   35.30
(7)社会資本総合整備        72783  52992    1.37
(8)推進費等             5556   8229    0.68
 【北海道災害復旧事業等工事諸費】     15     18    0.83
 【北海道開発計画調査等経費】      132    161    0.82
 【北方領土隣接地域振興等経費】     100    100    1.00
 【アイヌ伝統等普及啓発等経費】     124    125    0.99
 【その他一般行政費等】        8995   9759    0.92
   合計             477013 430501    1.11
http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20130130ddlk01010200000c.html

サハラ砂漠をテロリズムの温床としないために --- 竹沢 尚一郎

2013-01-30 | 先住民族関連
アゴラ 1月30日(水)11時34分配信
サハラ砂漠は国際テロの温床になっているように見える。
昨年4月にマリ北部を武力で支配したAQIM(イスラーム・マグレブのアルカイダ)らは、本年1月10日に首都バマコに向けて進軍を開始し、中部の拠点を制圧した。トラオレ暫定大統領の支援要請によってフランス軍がマリに介入したのが1月11日。AQIMらの南下を阻止することに成功している。
一方、マリと国境を接するアルジェリアで、武装勢力が天然ガスの生産基地を襲撃し、大勢の人質を取ったのが1月16日。テロとの対決姿勢をとるアルジェリア政府は、十分な交渉を行うことなく強行突破を選択し、日本人10名を含む外国人39名が亡くなっている。
これらの事件は、隣国のアルジェリアとマリで生じたこと、人質誘拐事件の首謀者がフランス軍のマリへの介入停止を求めたことから、深い結びつきがあると考えられている。
はたしてそうか。歴史的・地政学的背景を踏まえながら、答えを探していこう。
砂漠の民トゥアレグ人の独立請求
一連の事件の発端は、マリ北部でのトゥアレグ人の武装蜂起にあった。トゥアレグ人とは北アフリカの先住民族であるベルベル人の一派であり、アラブ人の北アフリカへの侵入以降、サハラ砂漠の中部で遊牧と交易に従事してきた。彼らはマリ、アルジェリア、リビア、ニジェールにまたがって存在しており、総人口は150万人前後と推定されている。
トゥアレグ社会は厳格な階層社会であり、解放前は奴隷が人口の50%を占めていた。彼らが奴隷にしたのは砂漠の南側の黒人系の農耕民であった。そのため農耕民の側から見れば、トゥアレグ人とは農産物の略奪と人的収奪をくり返す「敵」でしかない。トゥアレグ人と農耕民との間に根深い対立が存在するのはそうした歴史的経緯に起因している。
1960年にマリが独立したとき、トゥアレグ人は黒人系が主力となる国家への帰属を拒否し、遊牧生活をつづけた。ところが1970年代、80年代に西アフリカは大旱魃に見舞われ、彼らの家畜は80%以上が失われた。その結果、多くのトゥアレグ人は生活基盤を失い、北のアルジェリアやリビア、南のニジェール川沿いの大都市に避難民として移住した。
家畜を失った彼らにとって新たな生活基盤を見つけることが急務であった。彼らの一部はリビアのカダフィー政権下で傭兵となり、近代兵器の扱いに熟知した。他のトゥアレグ人の一部は、非正規移民が砂漠を越えるのを手助けしたり、コカインやタバコの密輸に手を貸すなど、非合法な手段で生計を維持するようになっていった。
今ではヨーロッパに密輸される麻薬の約20%がサハラ越えで運ばれているとされ、それに従事するのがトゥアレグ人の一部にすぎないとしても、主要な収入源であるのは疑いない。また、リビアで傭兵となっていた彼らの一部は、2011年のカダフィー政権の崩壊時に重火器と共にマリに戻っており、それによって比較的安定していたこの地域の流動化がもたらされたのだった。
マリ軍の瓦解と混乱
マリの独立は1960年。自主独立路線を選んだマリは、西アフリカの共通通貨圏から脱退するなど、フランスや他の国々から距離をおいてきた。フランスは西アフリカの旧植民地各国に軍隊を駐留させているが、マリだけはフランス軍を受け入れておらず、そのことが今回の内戦においてフランスの介入が遅れた最大の理由であった。
独裁政権がつづいていたマリであったが、1991年のクーデターで権力を掌握した軍人は民政移管を打ち出し、多党制と憲法制定、公正な大統領選を実現した。新大統領は憲法の規定に従って2002年に退任しており、マリはアフリカの中でも模範的な民主国家であった。
一方、トゥアレグ人は1990年以降軍事行動をくり返し、マリ政府から妥協を引き出してきた。彼らの本拠地である北部州の新設、それへの投資と経済開発、軍と警察へのトゥアレグ人の統合である。2012年1月、リビアからの帰還兵によって増強した彼らは独立を求めて武装蜂起し、マリ軍との交戦をつづけた。しばらくは膠着状態がつづいたが、汚職によって軍備の補強を怠っていたマリ軍は劣勢となり、同年3月に一部将校によるクーデターが生じた。その空白状態を利してトゥアレグ軍は北部3州を制圧し、4月に独立を宣言したのだった。
トゥアレグ人の戦闘をリードしたのは、初期には「アザワド解放国民運動(MNLA)であった。しかし彼らは同年6月に、マリ全土の支配とシャリーア(イスラーム法)による統治を掲げるイスラーム主義3派によって放逐された。AQIM、「西アフリカ統一ジハード運動(MUJAO)」、「アンサル・ディーン」の3派である。2013年1月にマリの首都バマコに向けて進軍を開始したのは、これら3派の部隊であった。
マリの混乱の解決に向けて
これら3派は、トゥアレグ人主体のアンサル・ディーンをのぞき、外国人誘拐と麻薬密輸を主とするテロリスト集団であり、ほとんどがアルジェリア人などの外国人である。それゆえ、彼らの攻勢を恐れたマリの暫定大統領の要請によってフランス軍が介入したのは、正当なだけでなく、必要でもあった。一部には、フランス軍の介入がイスラーム勢力の増長を招くのではないかと危惧する声があるが、トゥアレグ人以外のすべてのマリ国民がフランスの介入を支持していること、エジプトとカタールをのぞくすべての国際社会が支持していることを見ても、その介入には正当性があると判断される。
アルジェリアにおける人質事件との関係でいえば、この事件が数ケ月前から準備されていたことは明らかにされているのだから、彼らによるフランス軍の撤退要求は、外国人の誘拐という卑劣なテロ行為をカムフラージュするための口実でしかない。それを結びつけて考えることは、危機をあおろうとする彼らのプロパガンダに踊らされるだけである。
一方、トゥアレグ人の武装蜂起に関しては、より根深い問題が存在する。彼らは1957年以来独立を要求しており、先住民の保護をうたった国連決議に照らしても、彼らの要求には一定の正当性がある。彼らの要求に応えるには、一定の自治権を付与することが唯一の解決方法であろう。反面、上に述べた理由により、彼らの生活基盤が崩壊していることは明らかなのだから、彼らの州が麻薬や武器の密輸の温床となり、イスラーム過激派を招き寄せる「ならず者国家」になる危険は払拭されていない。
それを抑える方法は2つだろう。1つは、トゥアレグ人の居住地域に経済援助を実施して、彼らが不法行為に依存しなくても生計を維持できるよう援助することである。もう1つは、マリ政府への武器と資金の援助によって彼らの非合法活動を制限することである。もちろんそれには、マリが政治と軍備を立て直して民主国家を再建することが前提になる。
マリ軍が腐敗によって脆弱化していたのは、他の西アフリカ諸国と距離をおき、交流を実現していないことに一因があった。今回の内戦とそれへのフランス軍の介入は、マリ国軍の刷新につながるはずである。フランス軍は近い時期に「西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)」軍に引き継ぐことになっており、後者は7000人の軍勢を派遣するという。
選挙によって選ばれた公正な政府間の協議と軍事行動によって国内外の問題へ対処していこうというその方向性は、今後のアフリカの安定と経済発展に大きく寄与するはずである。我が国を含めた国際社会がそれを支援していくことは不可欠であろう。
竹沢 尚一郎
国立民族学博物館・教授
http://agora-web.jp/archives/1515922.html

舞踊や歌…アイヌ文化を紹介

2013-01-30 | アイヌ民族関連
中国新聞'13/1/29
 古式舞踊などアイヌ民族に伝わるさまざまな文化を紹介する「アイヌミュージアムフェアin広島」が、2月3日午後1時から広島市中区の広島県民文化センターで開かれる。
 伝統楽器ムックリの演奏体験のほか、北海道白老(しらおい)町にあるアイヌ民族博物館学芸員の講話、神への祈りや即興歌、熊の霊送りの踊りなどの公演を行う。同3時半までのホールプログラムと並行して民族衣装などの展示もある。入場無料。
 フェアは横浜、大阪、仙台に次いで4カ所目。前日の2日午後1時20分からは中区のシャレオ中央広場でクイズやエカシ(アイヌ語でおじいさん)のお話、ムックリ演奏などプレイベントもある。
 アイヌ民族博物館伝承課長の山丸郁夫さん(57)は「一人でも多くの人に、特に子どもたちや学校の先生にアイヌ文化を身近に感じてほしい」と話している。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201301290042.html

札幌でフォーラム 舞踊やムックリ演奏 アイヌ民族の世界観 堪能

2013-01-29 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 01/28 16:00)
 アイヌ民族の歴史や文化を学ぶアイヌフォーラム2013が27日、札幌市中央区の京王プラザホテル札幌で開かれた。市民ら約320人が来場し、伝統の歌や踊りを鑑賞したり、文化啓発活動の報告を聞いたりして、アイヌ民族に対する理解を深めた。
 道主催で今回が3回目。札幌大学でアイヌ文化を研究している「ウレシパクラブ」の学生メンバーと、アイヌ民族博物館(胆振管内白老町)の職員がそれぞれ、神に祈りをささげる「カムイノミ」や古式舞踊、民族楽器ムックリ(口琴)の演奏などを披露。札幌市こどもの劇場やまびこ座による、アイヌ民族の民話を基にした人形劇の上演もあり、来場者は、自然と共生するアイヌ民族の世界観に触れた。
 活動報告では、アイヌ民族対象の奨学制度を設けている札幌大の本田優子副学長が、アイヌ民族の大学進学率が道内平均を大きく下回っている実態を説明。イオン北海道は、従業員や来店客向けに実施したアイヌ文化体験イベントの様子を紹介した。(水野富仁)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/437195.html

室蘭・高砂小生徒がアイヌ文化学ぶ、感謝の祈り体験

2013-01-29 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2013年1月26日(土)夕刊】
 室蘭市高砂小学校(傳法満校長)の4年生40人が25日、同校でアイヌ文化に触れた。精神文化などを学び、民族楽器・ムックリの演奏や感謝の祈りを捧げる儀式・カムイノミの踊りなどを体験した。
 この日は、北海道アイヌ協会登別支部の上武やす子副支部長ら4人と、アイヌ文化活動アドバイザーの富樫利一さんが来校した。
 前半は富樫さんが精神文化などを紹介。アイヌは生きる物全てを大切にし、自分たちが生きるためにもらい受けた動物や魚などの命に丁寧に感謝する人々であることなどを伝えた。この後は、神話の紙芝居も披露した。
 後半は子どもたちが民族衣装を着用。同支部メンバーからムックリの演奏方法を教わり、輪になって踊るなどして楽しんだ。「面白い」「楽しい」とアイヌの生活文化に興味を持った様子だった。(成田真梨子)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2013/01/26/20130126e_01.html

鳥居龍蔵が見たアイヌ紹介 県立博物館で特別陳列

2013-01-29 | アイヌ民族関連
徳島新聞- 2013/1/26 14:30
 徳島市出身の考古・人類学者の鳥居龍蔵(1870~1953年)が千島アイヌ8 件民族を調査した成果を紹介する特別陳列「鳥居龍蔵とアイヌ」が26日、徳島市の県立博物館で始まった。入場無料。3月3日まで。
 約100年前に鳥居が千島列島や樺太で収集した史料など約240点を展示。海鳥の皮で作った衣服や弓矢、アイヌ8 件民族の住居や踊りを鳥居が撮影した写真などが並び、アイヌ8 件の風俗を伝える。
 26日は展示を監修した国立民族学博物館の齋藤玲子助教がアイヌ研究の歴史や論争、鳥居の成果を解説した。
 2月17日には国立民族学博物館の佐々木史郎教授が「鳥居龍蔵が出会った北方世界 先住民族の虚像と実像」と題して講演する。同3、11、23、24日には学芸員による展示解説と、アイヌ文化を体験するワークショップがある。
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2013/01/2013_135917824002.html

【白老】アイヌ民族博物館の看板犬「そら」今月パパに

2013-01-25 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2013年 1/24)
 白老町のアイヌ民族博物館(野本勝信代表理事)の看板犬として活躍する「そら」(雄2歳)に今月、初めての赤ちゃんが産まれることが分かった。お相手はむかわ町の狼春(ろうしゅん、6歳)で、複数頭妊娠している可能性が高い。同館で北海道犬が出産したケースは20年以上ないといい、関係者らは新しい命の誕生を心待ちにしている。
 北海道犬はアイヌ民族の間で古くから狩猟に用いられており、同館は文化紹介の一環として6頭を飼育・展示。そらは、携帯電話会社のCMで人気の「カイ」が父親。
 11月下旬に2度の交配に成功。狼春の妊娠は年明け早々に確認された。北海道犬は交配から約60日で出産するとされており、早ければ今月26日にも産声が聞けそうだ。
http://www.tomamin.co.jp/2013s/s13012401.html

現代のアジア人とアメリカ先住民の祖先は古代の中国人、DNA分析で判明

2013-01-24 | 先住民族関連
AFPBB News 2013年01月23日 16:12 発信地:ワシントンD.C./米国
現代のアジア人とアメリカ先住民が4万年前の中国にいた人々の子孫であることを、化石のDNA分析で突き止めたとする研究が、21日発表された。
 研究を発表したのはドイツのマックス・プランク進化人類学研究所(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology)の研究チーム。研究チームは、中国・北京(Beijing)郊外の田園洞(Tianyuan Cave)で2003年に発掘された足の骨から核DNAとミトコンドリアDNAを取り出し、この足の持ち主の遺伝子データを再構築した。
 その結果、この足の持ち主は、現生人類の歴史にとって非常に興味深い時期に生きていたことが分かったという。
「この個体は、重要な進化的移行期に生きていた。初期の現生人類が、ネアンデルタール人やデニソワ(Denisova)人といったその後絶滅した種に取って代わっている最中だった」と、論文主執筆者のSvante Paabo氏は説明する。
 骨の遺伝子分析の結果、現代のアジア人やアメリカ先住民と類似性があった。また、DNAにおけるネアンデルタール人とデニソワ人の要素が占める割合は、その地域の現生人類と比べてほとんど同じだった。その一方で、現代の欧州人の祖先にあたる人々からは、すでに遺伝子的に分岐していたという。
 研究チームは、この初期の現生人類が現代の人類と遺伝的につながっているのかどうかについてはまだ詳細は判明していないことに注意を喚起し、「さらなる分析が必要だ」と述べている。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2922839/10156289?ctm_campaign=txt_topics

異次元空間…大自然が織り成す“壮大な芸術” 米ユタ州・グランドサークル

2013-01-23 | 先住民族関連
産経新聞 1月22日(火)9時0分配信
【こだわり旅物語】
 念願だった米ユタ州のグランドサークルを巡る機会に恵まれた。アーチズ、モニュメントバレー、ブライスキャニオン、ザイオン、キャピトルリーフ、キャニオンランズ…。ユタ州には国立公園や国立モニュメントが数多くある。大自然が織りなす造形美と神秘的な景色に圧倒された。(杉山みどり)
〔フォト〕ナバホループ・トレイル 切り立った岩の間の細い道を歩く
 ◆偶然の産物
 ソルトレークシティーからバスで南東へ約380キロ行くと、大小2千カ所を超える奇岩があるアーチズ国立公園に到着。ここでバスを降り、州のシンボルでもある高さ13・6メートルのデリケート・アーチまで、急勾配のルートを1時間ほど歩いて向かう。運動不足の身にはかなりこたえたが、何とかアーチまでたどりついた。眼前に広がる景色を見た瞬間、疲れは吹っ飛んだ。
 「雨や霜が岩に入り込んで体積を増し、岩を崩してアーチを形成したといわれています」とガイドのシシリー・ハウエルさんが説明する。軟らかくてもろい岩石は現在も変化し続け、「いつ崩壊してもおかしくない」という。偶然の産物とは信じがたい岩の芸術作品に言葉も出なかった。
 アーチズから南へ約270キロ。現在も先住民・ナバホ族の居留地であるモニュメントバレーでは、ジープツアーに参加した。赤茶けた荒野に浮かぶ、高さ300メートル以上のビュート(残丘)が幻想的だ。この地で、「駅馬車」「荒野の決闘」「2001年宇宙の旅」など40本以上の映画が撮影されている。名匠が何度もカメラをセットした地点「ジョン・フォード・ポイント」もあり、映画好きにはたまらない。
 ◆天然の“彫刻”
 次は、北西へ約440キロのブライスキャニオン国立公園へ。サンセット・ポイントの展望台に上がると、足元に異次元のような世界が。オレンジ、ピンク、白…とカラフルな岸壁が、陽光の加減でさまざまな表情を見せる。雨や風によって“彫刻”された岩は無数に立ち並ぶ尖塔のようだ。
 急斜面のナバホループ・トレイルを歩く。摩天楼のようにそびえ立つ、切り立った岩の間の細い道は迷路のようで、映画の世界に迷い込んだかと錯覚を起こす。岩の間から狭い空に向かって伸びる細い樹木を見つけ、思わず「がんばれ」と声をかけた。
 ◆オアシス的存在
 ブライスキャニオンから西へ約140キロのザイオン国立公園は、壮大な岩の絶壁と峡谷に加え、緑の木々が多い。案内役のパティ・デニーさんは「荒涼とした砂漠地帯が多いグランドサークルの中で、ここはオアシス的な存在ですね」。バージン川の景色を楽しみながらのハイキングの途中、リスがひょっこり現れ、観光客を和ませていた。
 公園の広さは約600平方キロ。川辺のハイキングの初級者コースから、鎖を持ちながら断崖絶壁の尾根を登る上級者コースまで、難易度に合わせたアクティビティーが豊富にそろっている。「天候による中止は覚悟しなければならない」というが、長期滞在する人も多いそうだ。
 100キロ単位の移動距離からもわかるように、日本では想像もできない壮大な景観の連続。大いなる自然の力に畏敬の念を抱かずにはいられない。
 ■グランドサークル  ユタ州とアリゾナ州の州境にある巨大な人造湖「レークパウエル」を中心とした半径230キロのエリアを指す。ここに、8つの国立公園のほか多くの自然・文化公園がある。
 ■アクセス  ソルトレークシティーへは、デルタ航空で関西国際空港から米西海岸の玄関口、シアトルを経由し約13時間半で着くことができる。詳しくはデルタ航空予約センター=ナビダイヤル(電)0570・077733=またはホームページ(www.delta.com)まで。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130121/wlf13012115150015-n1.htm

沖縄(琉球)が独立する日-国際的に正当性を訴える龍谷大・松島泰勝教授にきく(上)

2013-01-23 | ウチナー・沖縄
JBpress 2013.01.22(火)
 日本国内にある米軍基地の74%が集中する沖縄。生活環境の悪化、“特権”を持つ米軍関係者の犯罪など、基地が存在することによる弊害を長年にわたって甘受してきた沖縄で、いま“独立論”が広がりつつある。
 学際的な研究と同時に国際的に独立をアピールしていく動きが出ている。この担い手として自治・独立への学問的研究と運動を進める、龍谷大学経済学部教授、松島泰勝氏に、沖縄(琉球)独立の理念と実現性について聞いた。
 穏やかな語り口ながら、日本と沖縄の間には差別と植民地化の構造があると批判する松島氏は、世界の独立例を踏まえて、その実現性とメリットを語る。かつての琉球国の存在やまとまりを意識して「沖縄」とは言わず「琉球」という名称を使う。
「琉球独立総合研究学会」立ち上げに向けて
――これまで沖縄の中で「沖縄は独立すべきだ」という論はありましたが“居酒屋談議”の域を出ないとも言われてきました。それが最近現実的な議論になってきました。
松島 私は『琉球独立への道-植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』(法律文化社2012年2月刊)という本を出しました。
 ここではこれまで思想的、文学的に論じられてきた独立論を、脱植民地化の国際的な動きを研究することで、国連や国際法と関連して、具体的なプロセスを含めて論じました。こうした動きがいま出てきています。
 1996年には、ジュネーブの国連欧州本部に行って、国連人権委員会の中の先住民族作業部会で先住民族として琉球での植民地主義の問題について発言し、世界の先住民族と交流しました。琉球と世界との関係も強くなり、独立論が地に足が着いた具体論として語られるようになりました。
 また、仲間と「琉球独立総合研究学会」というのを4月に立ち上げる予定です。政治学、経済学、国際法、言語学など学際的な視点から独立の可能性、プロセスを研究し発表していく考えです。
――なぜ、国連を通して国際的に訴えようと思ったのですか。
松島 国際法に基づいて世界の先住民族とネットワークをつくろうと思ったきっかけは、大田昌秀・元沖縄県知事が行った代理署名訴訟(米軍用地の強制使用に必要な代理署名を拒否できるかどうかで国と当時の大田知事との間で争われた)で、96年8月に最高裁で大田知事が敗訴したからです。
 これでは国内では基地問題は解決はできない、常に国内問題に矮小化され、今後も裁判所、国会、行政府に握り潰されてしまうと考え、国際問題として認知してもらうことにしたのです。国連の人種差別撤廃委員会は、琉球人は先住民族であり、基地の押しつけは人種差別であることを認めて日本政府にも勧告しました。国際人権規約委員会でも差別の問題として見ています。
 こうして、国際的なネットワークを使って日本、アメリカ政府に責任を問う。これがいままでの独立議論と違うところです。

琉球併合から独立論は続いてきた
――これまでも多くの独立論がありました。過去に遡ってその変遷や違いについて教えていただけますか。
松島 独立論には、実践の面と思想の面があります。実践面で言うと、琉球併合によって琉球王国がなくなった後に、王国の元の家臣が清国に亡命して、琉球王国の復活運動を行うわけです。これは実践的独立論です。それが日清戦争で日本が清国に勝って、運動は衰退していきます。
 戦後、日本の統治が終わったときには、独立を掲げた政党が出てきます。大きな流れとしては日本への復帰運動が起きる中で、復帰が近づくと沖縄人の沖縄を考える会とか琉球議会とか、復帰後に経済的に不況などの不利益を被りそうな人が独立を求めたことが一時期ありました。
 その後いろんな政党ができたり、「うるまネシア」といった自立、独立を問う文化誌が発行され議論されてきました。
 1996年からは国連を通じた脱植民地化の動きが始まります。はっきり独立とは言いませんが、脱植民地化を明確に訴えています。また、個々人の独立論や運動はいろいろあります。高良勉さんという詩人は、エッセイの中で80年に独立論を訴えていました。
 CTS(石油備蓄基地)反対運動のリーダーだった安里清信さんはパラオに行って、琉球は独立すべきだと考えたという話もあります。太平洋の島々を参考にそして連携して独立を論じるという考えも出てきました。同じ島であって人口がずっと少なくて独立しているところがあるからです。
 また、奄美では新元博文さんらが奄美独立革命論を書いています。彼もパラオに行って影響を受けています。

グアムとの共通課題として脱植民地化を 
――独立を研究する新たな学会はどういう経緯で立ち上がることになったのですか。
松島 2012年5月にグアムのチャモロ民族3人を琉球に招き沖縄国際大学で、琉球・グアムの脱植民地化シンポジウムを開きました。グアムはアメリカの属領ですが、植民地と言えます。
 そのため脱植民地化の動きがあり、2014年を目標に、国のあり方について国民投票の準備をしています。そこには3つの選択肢があります。完全独立、パラオなどのような自由連合、それと、アメリカの州になることです。
 独立派を中心に委員会がつくられ、連合を組んで独立のプロセスを検討しているほか、それぞれの派にも構想があります。人口20万弱のグアムがこうした試みをできるのだから140万人の琉球でも独立を前提とした議論ができるだろうということになりました。
松島 最初に、友知政樹さんという沖縄国際大学の准教授が学会を提案し、これに賛同した、主に復帰後に生まれた人が中心となって準備が進みました。この中には、学者もいれば学生もいるし編集者や農家、新聞記者、ビジネスマン、主婦、NPOなどメンバーはいろいろです。学者だけが議論をするのではなく、学問的なスタイルを取って一般の人も参加して議論することになっています。
 琉球人の中には、独立を前提とした意見だけでなく、独立に関心があり、議論をしていく中で考えようという意見や、独立には反対だが現状はおかしいという認識に立ち議論に参加したいなど、いろいろな意見があります。これらすべてに門戸を開いて、議論し切磋琢磨して、「独立阻止」を主張する人とも平和的に議論していきたい。
神聖な場所での米軍の実弾演習
――グアムについて言えば、沖縄の海兵隊をグアムに移転させることにもなっていますが、グアムもまた基地反対、独立の動きがあるのですね。
松島 私も2年間グアムの日本総領事館で働いていたので分かりますが、琉球以上に植民地だなと感じました。島の3分の1が米軍基地。グアムでは軍用地主に地代も払われていない。また、アメリカ大統領を選べないし、グアムからの議員は発言権はあっても投票権はない。連邦政府、連邦議会がグアムに対する決定権を持っています。
 また、現地の観光業は日本資本が牛耳っている。グアムはもともとチャモロ人のものですが、マゼランが来て16世紀以降はスペインに支配され、1898年以降はアメリカ、戦時中は日本、そしてまた戦後はアメリカに統治されます。1950年になってようやく市民権が与えられました。にもかかわらず米議会や政府がグアムの事情を決めてしまいます。アメリカ本土のようには扱わないということを身をもって感じました。
 グアムで勤務したのち私はパラオで1年間働きました。パラオは独立して大きな権限を持っています。見た目はグアムの方が発展しているように見られますがグアムは内実は植民地です。であれば琉球からの海兵隊のグアム移転はおかしい。
 最近では特にパガットという村で建設されようとした米軍の実弾演習場が問題になりました。チャモロの遺跡もある古代の村であり精神的にも神聖なところで、実弾を海に向けて発射するという計画です。
 住民は激しく反対し裁判に訴え、この案は棚上げになりましたが、軍に対する強い反発が生まれています。また、空軍と陸海軍がある上に海兵隊がやってくることで、レイプなどの琉球で起きたような事件が女性の間で心配されています。

「これが復帰40年後の現実か!」
――ここ数年の沖縄の米軍基地をめぐる政府や日本の対応への不信と不満が、いままでのように、政府の言いなりにならないという気持ちを高めたのでしょうか。
松島 2012年11月に宮古島で開かれた九州市長会で、ある市長が沖縄県へのオスプレイ配備撤去の決議を出すことに反対しました。自分のところに来るかもしれないことに反対してのことです。こうしたことで、琉球人はますます自分たちが差別されていることを感じています。
 オスプレイの配備については、県議会、市町村議会の反対決議があっても押しつけられた。また、レイプ事件などが発生しても日米地位協定を変えようとはしない。これが復帰40年の現実なんですね。われわれが求めていた復帰とはこんなものだったのかと、かつて復帰を推進してきた人もいま言っています。
 本土復帰に尽力し、復帰後に最初の知事を務めた屋良朝苗さんという有名な政治家がいますが、彼の秘書的存在だった石川元平さんも最近地元紙の論壇で、独立をすべきだと言っています。元教員で復帰論者だったんですが、いまは独立を主張しています。
 当時は、日本国憲法は平和を掲げているし、基地もなくなり事件事故も少なくなるだろうと思っていたんですが、実際はそうならなかった。

価値観を共有していない、琉球人と日本人
――地位協定といえば、驚いたのが一昨年に見直しされることになった1956年の合意です。その内容は、アメリカの軍人・軍属が公の行事で飲酒した後に自動車を運転した場合も公務扱いになるというものでした。
 こうした非常識なことが長年行われていたことは沖縄以外の日本に伝わっていないですね。
松島 日本国民の大部分にとって、基地、日米地位協定は自分の問題として考えられていません。琉球に住んでいると分かるのが、琉球人と日本人との感覚が大きく違うことです。
 ともに同じネイション(民族)なのかと思うほどです。価値観を共有するのがネイションだと思いますが、これを共有していません。
 イタリアにある米軍基地と琉球とはずいぶん違います。イタリアでは米軍機が墜落したときイタリア政府が調査、回収を行います。また、戦闘機などの飛行の角度、回数が制限されていて、住宅地を回避しているし、イタリアでリポーゾというお昼寝時間は飛行機はエンジンを切ることになっています。でも、琉球の基地にはこうした配慮はありません。
 戦争で負けたことに対する負い目が日本側にあるとともに、米軍基地があるからこそ日本は守られている、基地を置くために米軍やその家族に対しては優遇的な措置を取るという考えが政治家、官僚、一般国民にもあるのでしょう。反対に琉球からの要求は無視されています。
――原発立地・建設における中央と地方との構図も似ていますが、基地の場合は日本政府のほかにアメリカからの支配という、複雑な構図がありますね。
松島 これは本当に琉球にとってやりにくい。日本政府に対して基地の問題を質すとアメリカが関係するからどうしようもないと言い、アメリカに聞くと国内の問題だと言われることがある。両方とも責任逃れ、あたかも自分には責任がないように、軍人の考えをそのまま伝えるようなことをする。抑圧された琉球人にとっては抵抗の相手が2つあって簡単にはいかないという気がします。
――恩恵を受けるため、中央の要求を受け入れざるを得ないような状況もありましたか。
松島 中央、都市部ではいらないものを周辺に押しつけ、その見返りに交付金などを与える。しかし、補助金、交付金以上に基地があることの経済的な損失は大きいし、また犯罪などお金で換算できない犠牲、コストといったマイナス面もたくさんあります。
 中央では、地政学上重要だから基地のあることは諦めてくれと言います。これついては反証できる調査も行われています。例えば琉球の米軍が中東に出るときは佐世保に寄ってから出ていきます。琉球はサンゴ礁に囲まれていていい港がないからです。だから海兵隊はハワイとグアムとダーウィンに移設できるわけです。また、米軍はローテーションで動いているから、常に日本を守っているわけではありません。

返還後の土地は基地より大きな経済価値を生む
――基地がなくなったら経済的に困るでしょうという意見があります。しかしこれまでの基地返還後の土地の利用価値、経済効果を見ると、基地より大きいのが明らかだというデータが出ていますね。
松島 そうです。年間の県民総所得のたった5%しか基地経済は生み出していません。跡地利用を見ると、おもろまち(那覇市)や北谷町美浜をはじめほとんどすべての基地跡地は何十倍、場合によっては100倍以上も経済効果を生んでいます。
 基地の跡地は、商業・文化施設になったりしています。例えば読谷村では紅芋畑で栽培した芋を材料にして紅芋タルトというお菓子を作ったり、やちむん(焼き物)の里ができ、琉球陶器やガラス細工など工芸品も作って文化の里になっています。いま米軍基地の中のスーパーで働いたり、警備員、通訳などの技能を持った人が働ける機会は基地の外にもあります。
 ですから基地反対、基地返還はかつては革新勢力の人が主張していたのが、いまでは保守派や産業界からや、稲嶺前知事、仲井真知事など政界も保革問わずオール琉球としても、なるべく早く返してくれと言う声が上がっています。「基地があるから潤っている」という話はもう通用しません。
――雇用については、基地の有無はどう関係するでしょうか。那覇の専門学校では軍関係への就職をPRしているところも見られます。現状は基地内での雇用を積極的にとらえているようですが。
松島 いま、9000人ぐらいが軍関係で雇用されています。これは琉球の全就業者数60万人の一部であり、全基地が撤去されてもこの雇用は吸収できます。
 専門学校も以前よりも宣伝はしなくなりました。準公務員としての扱いはありましたが、労働条件を見ても裁判になったり、ハラスメントも生まれています。以前に比べて軍で働くことが魅力的ではなくなっています。
 若い人の中にはレイプ事件などによって、軍事基地があることは自分たちの生命や家族、恋人などの生命が危険にさらされているという意識が生まれています。沖縄市などでは青年団がいま自警団を組んで町を回るという動きも出てきています。基地は生活を不安にするという思いが若者の中から生まれています。
日本から離れる覚悟のある人が増えている  
――こうなると、琉球に対する処遇を手厚くする、つまり“もっとアメをあげないとまずい”という見方が出てきますが、これに対してはどう思われますか。
松島 さまざまな補助金や優遇措置といった“アメ玉”が、これまでと同じであれば失敗が繰り返されるだけです。1995年に少女がレイプされて、そのあとずっとものすごいお金が特に米軍基地のある市町村に投じられました。名護市にも600億円くらい投じられましたが、効果は薄かった。
 政府はこれまで国土の0.6%で140万人しかいない小さなところに対して、なんでもやりたい放題してきた。しかし、独立論が具体的になって現実味を帯びてくると、琉球の価値、意味を日本全体が考えるでしょう。日本から離れる覚悟がある人が増えているという実態を見ると、対等な相手として見るようになるかもしれませんし、琉球人としては日本政府に対して政治的な地位を変えるための交渉ができる可能性があります。
松島 1999年にスコットランドはイギリスから分権化して独自な政府と議会をつくったんですが、沖縄県議会、県庁なども、外交の一部を担うような分権化の議論を日本政府と交渉できると思います。
 日本政府、そして日本人は、米軍基地を取るのか琉球を取るのかということを選択しないといけないのではないでしょうか。
 米軍は日本のほかのところで引き受けるから、琉球は日本のままに、というのなら分かりますが、このままだと「沖縄差別」が永続化すると、保革問わず琉球では言っています。

根底に異質なものとして沖縄は見られている?    
――基地の存在や地位協定の実態は、「差別」を反映しているということですが、この根底には沖縄という地方に対する意識の上での差別があると感じますか。
松島 1879年に琉球処分で沖縄県が誕生したときに、日本への同化政策で差別が行われてきて、戦争中には琉球の言葉を使っただけでスパイ容疑で処刑されたこともありました。
 講和条約後は日本から切り離されて米軍の統治下になり、それからずっと基地を押しつけられてきました。これらは差別です。
――意識の上での差別はどうでしょう。石垣島出身のアコースティックバンド、BEGIN(ビギン)の3人にインタビューをしたとき聞いた話ですが、1980年代終わりに彼らが東京に出てきていて、あるときアルバイトをしようとして多数の人に交じって現場に集合したとき、「君たちはこっち」と言われ外国人たちの集団に入るように言われたそうです。
松島 私は石垣で生まれて、高校、浪人までは那覇で勉強して、日本人として何の疑いもなく来ました。しかし東京へ来てみると、色は黒いし言葉がちょっと変だとかで、周りのヤマトンチュ(日本人)から「どこの国から来たのか」と言われ、同じ日本人とは思われませんでした。
 当時、沖縄県人材育成財団の寮に住んでいたのですが、そこに住む同じ大学生の中にはそうしたことがショックで、寮から出られなかった人がいました。1980年代半ばのことです。琉球の人を異質な者と見ている普通の日本人は多いなと感じました。
 あるいは、もしかしたらあえて異質な者と名指しすることで、相手を支配下に置こうとしているのではないかと思えました。これはショックでしたが、いい機会でもあり改めて琉球の文化や歴史を学んで、足元を深く掘り下げて議論していく気になりました。琉球にずっと住んでいたらこういうことはなかったかもしれません。外に出ていくことで、自分は何者かを知ることになりました。
――御著書の中に「人類館事件」のことが出ていますね。かつての差別に関する複雑な事例です。
松島 琉球への差別であるのと同時に、あの事件に関して琉球が屈折しているのは、自分たちは帝国の臣民であり、自分たちより下の人を差別するということがあった。差別の螺旋階段を琉球人自身が作ろうとしてしまっていたわけですが、これではいけない。
★注:人類館事件:
1903(明治36)年、大阪で開かれた内国勧業博覧会の「学術人類館」なるところで、アイヌ、琉球女性、朝鮮人、台湾先住民らが、生身で「展示」された。人類学的なものという名目だったが実際は見世物的で沖縄からは抗議の声が上がった。しかし、その内容は沖縄人は日本国民なのにアイヌら他民族と同様に展示されたというもので、のちに沖縄内でもこの主張に批判が出た。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36968

アイヌ民族の動物観学ぶ 帯広百年記念館で

2013-01-22 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 01/21 16:00)
【帯広】アイヌ民族の動物観について学ぶ講座が19日、帯広百年記念館で開かれ、市民ら約50人が参加した。
 昨年に続き2回目。同館の内田祐一副館長が講師となり、動物を「生物」と「神(カムイ)」の二つの価値観で見ていたアイヌ民族の動物観を紹介した。
 内田さんによると、アイヌ民族は、エゾオオカミをシカの肉を分けてくれる神と考えて狩猟対象にはせず、飼育して猟に使った。
 また、「霊送り儀式」では、飼っていた子グマに行う「イオマンテ」のほか、山中の猟で捕獲した成獣に行う「オプニレ」もあり、内田さんは実際に現地調査した儀式場所の写真なども交えて解説した。来場者はメモを取るなど、興味深そうに聞き入った。(岡高史)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki3/435427.html

新千歳空港にアイヌ語歓迎あいさつ-「雪まつり」期間中心にアイヌ文化紹介

2013-01-22 | アイヌ民族関連
みんなの空港新聞 2013年01月21日
 新千歳空港(北海道千歳市)旅客ターミナルビルに1月19日より、アイヌ語の歓迎挨拶あいさつのフラッグが掲出されている。
 アイヌの伝統等普及啓発に取り組む国土交通省北海道局が、アイヌ文化振興・研究推進機構(北海道札幌市)を設置主体として、同ビル国際線連絡通路にアイヌ語のあいさつを印刷した大型フラッグを掲示するもの。あいさつは「こんにちは」を意味する「イランカラプテ」と、「ありがとう」を意味する「イヤイライケレ」で、アイヌ語のカタカナ・ローマ字・英語・韓国語・中国語表記の組み合わせで全6種類を用意し、多様な空港利用者に向けてアイヌ文化をアピールする。フラッグはいずれもアイヌの伝統的住居「チセ」をモチーフとしたデザインを取り入れている。
 同企画は、2013年度から関係機関らが共同で実施する「イランカラプテ」キャンペーンに先駆けて試行的に実施するもの。キャンペーンでは、アイヌ語のあいさつ「イランカラプテ」の普及を通じて、幅広く内外にアイヌ文化などへの理解を促進する予定。
 掲出期間は「さっぽろ雪まつり」開催期間(2月5日~11日)を含む、2月28日まで。
http://airportnews.jp/headline/1135/

新千歳空港にアイヌ語フラッグ

2013-01-22 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2013年 1/21
 アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌市)は、新千歳空港国際線ターミナルビルと国内線ビルをつなぐ2階連絡施設に、アイヌ語のあいさつを書いたフラッグ(旗)を飾った。
 国土交通省北海道局総務課アイヌ施策室と北海道空港の協力を得て「さっぽろ雪まつり」にも合わせる形で設置した。
 「こんにちは」と「ありがとう」のアイヌ語を、カタカナとローマ字で表記。対応するあいさつを英語、韓国、中国語(簡体字)の各国の言葉でも表記した。縦77.5センチ、横45センチ。各国言語ごとの3種類30枚を作製した。
http://www.tomamin.co.jp/2013c/c13012102.html