中央公論 11月27日(火)20時38分配信
この時点から、森本防衛相は、沖縄に対する差別的政策を人格的に体現している人物と沖縄人によって受け止められるようになった。平たい言葉で言い換えると、沖縄の森本氏に対する目つきがきわめて悪くなったのだ。森本氏の発言が沖縄では直ちに政治問題になることを首相官邸を含む東京の政治エリート(国会議員、官僚)は認識していない。森本氏は、今回の集団強姦致傷事件について繰り返し「事故」であるという認識を示している。この森本発言に対して沖縄の世論は激昂している。十月二十二日付『琉球新報』は、社説で、森本氏を厳しく弾劾した。現下の沖縄と中央政
府の温度差を知るための格好のテキストなので全文を引用しておく。
〈防衛相「事故」発言 人権感覚を欠く妄言
米海軍兵による集団女性暴行致傷事件を森本敏防衛相が繰り返し「事故」と表現している。これが国民を守るべき立場の閣僚の人権感覚か。妄言のそしりを免れない。
通りすがりの女性を路上で暴行した行為は容疑通りなら、凶悪犯罪だ。蛮行を「事故」と矮小化し表現することで被害女性をさらに傷つけ、苦しめてしまうとの想像力は働かないのか。女性全体を侮辱する発言でもあり断じて許せない。
いま国がやるべきことは、米軍に対して毅然とした態度で被害女性に対する謝罪や賠償、ケアを求めることであり、実効性ある再発防止策を打ち出させることだ。事件の重大性を薄めて国民の印象を操作することは、加害者側をかばうような行為であり言語道断だ。
森本防衛相は、記者団から事件の受け止め方を聞かれ、「非常に深刻で重大な『事故』だ」と発言した。二度、三度繰り返しており、吉良州司外務副大臣も同様に使っている。米軍基地内外で相次ぐ性犯罪を米政府は深刻に受け止めている。これに比べ日本側の対応は浅はかとしか言いようがない。
防衛相は、仲井真弘多知事の抗議に対し「たまたま外から出張してきた米兵が起こす」と発言した。
しかし、在沖米軍の大半を占める海兵隊は6カ月ごとに入れ替わる。移動は常態化しており、「たまたま外から出張してきた」との説明は言い訳にすぎない。そのような理屈が成り立つなら「ローテーションで移動してきたばかりで沖縄の事情を知らない兵士がたまたま事故を起こした」といくらでも正当化できよう。防衛相は詭弁を弄するのではなく、無責任な発言を直ちに撤回すべきだ。
復帰後、県警が認知しているだけでも127件の女性暴行事件が起きた。認知に至らず事件化していない事案も含めると女性の尊厳がどれだけ踏みにじられたことか。
政府に警告する。米兵犯罪が後を絶たないため仲井真知事をはじめ多くの県民が、「諸悪の根源」は米軍の特権を認め占領者意識を助長している日米地位協定にあるとの認識を一段と深めている。
県民からすれば凶悪犯罪を「事故」と認識する不見識な大臣、副大臣を抱えたことこそ「事故」だ。米兵犯罪や基地問題と真剣に向き合えない政務三役は、政権中枢にいる資格はない。日米関係を再構築する上でも害悪だ。〉
■■日本の政治エリートが持つ沖縄への差別意識
森本氏は、「吉良外務副大臣をはじめ、政府高官の認識は同じはずなのに、なぜ私だけが執拗に攻撃されなくてはならないのか」という受け止め方をしていることと思う。繰り返すが、森本氏は沖縄人にとって中央政府のシンボルとなっている。森本氏の発言の背後にある日本の政治エリートが沖縄に対して持つ差別意識を沖縄の政治エリート、マスメディアは敏感につかみ取っているのである。
差別が構造化されている場合、差別をする側は自らが差別者であるということを自覚しないのが通例だ。ソ連共産党中央委員会に勤務する民族問題を担当する幹部も、自らがリトアニア人、ラトビア人、エストニア人を差別しているなどという意識はまったく持っていなかった。民族紛争において、中央政府の政治エリートと異議申し立てをする民族の認識の非対称性は、よくあることだ。
沖縄で現在進捗している事態は、第三者的に見ると民族紛争の初期段階だ。ロシア語に「ナロードノスチ(народность)」という言葉がある。日本語では「亜民族」と訳される。亜熱帯は熱帯ではないが、熱帯と似た特徴を持つ。亜民族も言語、文化など民族と似た特徴を持つが、民族に特徴的な、「われわれによって、われわれが居住する領域を統治する」という政治的欲望を持たない。ただし、状況によって、亜民族意識は民族意識に転換する。その転換の鍵になるのが亜民族の間で「われわれは虐げられている」という意識が共有されることである。
中央のマスメディアではほとんど取り上げられていないが、七月三十一日、日本政府(担当は外務省)が国連人種差別撤廃委員会(CERD)の情報提供要請に応じ、〈日本政府は、この情報の提供により、普天間飛行場の辺野古移設計画は同飛行場の危険性の除去、沖縄の負担軽減及び我国の安全保障上の要請によるもの、また、高江地区ヘリパッド建設計画は土地の大規模な返還による沖縄の負担軽減及び我が国の安全保障上の要請によるものであり、両計画とも差別的な意図に基づくものでは全くないことを強調する。〉(外務省HP)と回答した。差別が構造化されている場合、差別者はその現実を認識していないのが通例だ。日本政府の主観的意図と差別の有無は別の位相の問題だ。
この回答には、〈一般的に言えば、沖縄県に居住する人あるいは沖縄県の出身者がこれら(引用者註*人種差別撤廃条約の対象となる)諸特徴を有している、との見解が我が国国内において広く存在するとは認識しておらず、よってこれらの人々は本条約にいう人種差別の対象とはならないものと考えている。〉と記されている。「沖縄人が他の日本人と異なる独自性を持つ」という認識が拡大すれば、深刻な事態に発展するという危機意識を、外務官僚は明らかに持っている。
大田昌秀元沖縄県知事(琉球大学名誉教授)が、〈沖縄から独立論も本格的に論議されるようになるだろう。独立すれば国連に加盟できる。沖縄より人口の少ない国はある。/国連の人種差別撤廃委員会が沖縄の基地集中を差別と認め、日本政府に勧告した。国連や米国に直接働き掛け、主体は沖縄にあるということを発信しなければならない。〉(十月十八日付『琉球新報』)と述べているが、沖縄の日本からの分離独立の危険性が現実に存在すると筆者は見ている。
■■沖縄は米国政府との直接交渉に乗り出した
集団強姦致傷事件に対する外務省の動きも鈍かった。事件発覚当日、吉良州司外務副大臣がルース駐日大使に強い遺憾の意を表明し、再発防止を要請した。〈同省幹部は「本来なら起訴された後に米政府には要請するが、今回は悪質な事件なので要請した」と述べ、異例な要請であることを強調した。〉(十月十七日付『琉球新報』)が、これは小手先の対応に過ぎない。外務官僚がほんとうに今回の集団強姦致傷事件を悪質と考えているならば、フランスに訪問中の玄葉光一郎外相が米国のクリントン国務長官に電話をかけて抗議したはずだ。
クリントン国務長官は、米兵の女性に対する人権侵害に対して厳しく対応する。初動の対応を注意深く観察すれば、外務省が集団強姦致傷事件を不良兵士による例外的事態として、米国の出先機関の責任者であるルース大使までの問題にとどめ、外相レベルで扱う深刻な外交問題にしないように腐心している姿が見えてくる。中央政府の対応に沖縄は不信感を強め、独自の行動を始めた。
〈仲井真知事は首相官邸での斉藤(引用者註*勁内閣官房副長官)氏への抗議後、記者団に対し「地位協定では米兵は公務中に日本の法律は守らなくていいとなっており、若い兵士がいろんな行動をしてしまう」と地位協定改定の必要性を強調。/運用改善で対応するとの従来の政府の姿勢に対し「(運用改善は)米軍がいやだと言えば何も運用されず、ご自由にということと同じ。その程度の話で米軍基地が維持されるわけはない」と強い言葉で反論した。/仲井真知事は17日、今週末に予定している訪米で、日米地位協定の見直しを米政府関係者に直訴する考えを明らかにした。〉(十月十八日『沖縄タイムス』電子版)
ここで重要なのは、仲井真知事が、当事者意識を欠く日本政府に対して見切りをつけて、米国政府と直接交渉に乗り出したことだ。「中央政府の政治エリートがわれわれ沖縄人を同胞とみなさないならば、われわれもあなたたちを同胞と考えない。もはや日本の安全保障のために、沖縄が犠牲になるつもりはない」という沖縄の世論に忠実に従った行動を仲井真知事はとっている。ワシントンでホワイトハウス、国務省、国防総省の幹部に沖縄の置かれた状況について直訴することによって、仲井真知事は突破口を開こうとした。
十月二十七日付『沖縄タイムス』電子版は、〈沖縄の基地問題の解決の在り方を探る県主催のシンポジウム出席や2米兵による暴行事件への抗議のため訪米していた仲井真弘多知事が26日夜、帰任した。那覇空港で記者団の取材に応じた仲井真知事は、訪米の成果について「暴行事件への県民の怒りやオスプレイ配備など事が起こった時期だったので、インパクトを持って訴えることができた」と述べた。/また、シンポジウムなどを通じて「米国がアジアを重視しようと安全保障政策を転換する時期だったので、活発な質疑があった。これから先の米国の政策の変化の予感が感じられる中で沖縄の基地、普天間飛行場の問題についても、広範な背景に基づいた意見交換ができた」と述べた。/仲井真知事は、米国で普天間の移設先について九州や四国、中国地方などを例示して「民間空港を含め、すでに滑走路がある場所へ移す方が早い」と提言したことを明らかにし「米国でも辺野古という声はあったが、リアル(現実的)ではないことを申し上げた。沖縄の基地問題の改善を図るために、もっともっと頻繁に接触した
方がいい」と述べた。/さらに「人的ネットワークがつくられつつある」とし「来年とか再来年とか、年に1度くらいは訪米して意見交換したい」という意向を示した。〉と報じた。
■■独自言語の回復に動き出す
仲井真訪米から、沖縄が外交権を部分的に回復しようとする姿が浮き彫りになる。ここで重要なのは、歴史の記憶だ。英国の社会人類学者アントニー・スミス(一九三三年生まれ)は、〈共通の歴史をもつという意識は、世代をこえた団結の絆を作りだす。それぞれの世代は、自分たちだけの一連の経験をもち、それはこの共通の歴史に加えられていく。共通の歴史をもつという意識はまた、自分たちが経験してきた時間の連鎖のなかで、人々を規定し、それはのちの世代に、自分たちの経験の歴史的な見かたを教える。換言すれば、歴史的な連続性は、のちの経験に「形」を与え、経験を解釈するための道すじと鋳型とを与える。〉(アントニー・D・スミス[巣山靖司/高城和義他訳]『ネイションとエスニシティ 歴史社会学的考察』名古屋大学出版会、一九九九年、三二頁)と指摘する。
沖縄にはそう遠くない過去に琉球王国という国家があった。琉球王国は、一八五四年に琉米修好条約、一八五五年に琉仏修好条約、一八五九年に琉蘭修好条約を締結した。当時の帝国主義列強である米国、フランス、オランダの三国から、琉球王国は国際法の主体として認知されていたのである。この記憶が沖縄人の集合的無意識を刺激している。このような沖縄人の意識の変化が仲井真知事に、日本の中央政府とは異なる対米外交を推進させる動因になっているのだ。琉球語を公的な言語として回復することによって、沖縄の「共通の歴史をもつという意識」を強化し、「世代をこえた団結の絆を作りだす」動きが出ている。翁長雄志那覇市長が、那覇市職員採用試験に琉球語(ウチナーグチ)のあいさつを取り入れた。十月二十二日付『琉球新報』が、〈那覇市(翁長雄志市長)が本年度の職員採用試験の面接で、受験者にウチナーグチのあいさつを取り入れることが21日までに分かった。市職員が市役所窓口などでウチナーグチであいさつする「ハイサイ・ハイタイ運動」の一環だ。採用試験への導入を機に、若者のウチナーグチ活用の意識付けにつなげたい考えだ。/市によると職員採用試験の面接に“お国言葉”を導入するのは全国的にも異例で、県内では初めて。市文化協会などとの意見交換でウチナーグチを採用試験に導入するよう求める声があった。それを踏まえ翁長市長が検討を指示していた。/市は1次試験通過者に送付する通知書に、面接でウチナーグチでの自己紹介を求める文書を同封する。「ハイサイグスーヨーチューウガナビラ」(皆さんこんにちは)「ニフェーデービル」(ありがとうございます)など例文を掲載し、ウチナーグチに不慣れな人でも対応できるようにする。/一方で採用試験の公平性を確保するため、アクセントの位置など語り口のうまさは採点対象にしない。市幹部は「採用後にウチナーグチを使う心構えをしてもらえればいい」と語った。/面接試験へのウチナーグチ導入について石原昌英琉球大教授(言語政策)は「受験者がウチナーグチを学ぶきっかけになる。県都那覇での実施は他の自治体や民間企業に広がる可能性もある。採用後の研修実施などウチナーグチ実践力を高める取り組みも行ってほしい」と期待を込めた。〉と報じた。独自言語を回復しようとする動きはナショナリズムの核になる。
沖縄で進行している事態が近未来に日本の国家統合を揺るがすことになる危険を東京の政治エリートはまったく認識していない。これは、一九八八年秋時点でモスクワの政治エリートがバルト三国がソ連から分離独立する可能性をまったく想定していなかったのと類比的だ。
中央政府が、MV22オスプレイの沖縄からの撤去、日米地位協定の抜本的改定、米海兵隊普天間飛行場の辺野古移設の撤回など、沖縄の要求を全面的に受け入れても、沖縄人の中央政府に対する信頼を回復することはもはやできないであろう。沖縄の部分的な外交権回復を認め、沖縄の広範な自治を認める連邦制に近い国家体制への転換を行わないと、日本の国家統合を維持することができなくなる危険があると筆者は見ている。
(了)最終更新:11月27日(火)20時38分
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121127-00000302-chuokou-pol
この時点から、森本防衛相は、沖縄に対する差別的政策を人格的に体現している人物と沖縄人によって受け止められるようになった。平たい言葉で言い換えると、沖縄の森本氏に対する目つきがきわめて悪くなったのだ。森本氏の発言が沖縄では直ちに政治問題になることを首相官邸を含む東京の政治エリート(国会議員、官僚)は認識していない。森本氏は、今回の集団強姦致傷事件について繰り返し「事故」であるという認識を示している。この森本発言に対して沖縄の世論は激昂している。十月二十二日付『琉球新報』は、社説で、森本氏を厳しく弾劾した。現下の沖縄と中央政
府の温度差を知るための格好のテキストなので全文を引用しておく。
〈防衛相「事故」発言 人権感覚を欠く妄言
米海軍兵による集団女性暴行致傷事件を森本敏防衛相が繰り返し「事故」と表現している。これが国民を守るべき立場の閣僚の人権感覚か。妄言のそしりを免れない。
通りすがりの女性を路上で暴行した行為は容疑通りなら、凶悪犯罪だ。蛮行を「事故」と矮小化し表現することで被害女性をさらに傷つけ、苦しめてしまうとの想像力は働かないのか。女性全体を侮辱する発言でもあり断じて許せない。
いま国がやるべきことは、米軍に対して毅然とした態度で被害女性に対する謝罪や賠償、ケアを求めることであり、実効性ある再発防止策を打ち出させることだ。事件の重大性を薄めて国民の印象を操作することは、加害者側をかばうような行為であり言語道断だ。
森本防衛相は、記者団から事件の受け止め方を聞かれ、「非常に深刻で重大な『事故』だ」と発言した。二度、三度繰り返しており、吉良州司外務副大臣も同様に使っている。米軍基地内外で相次ぐ性犯罪を米政府は深刻に受け止めている。これに比べ日本側の対応は浅はかとしか言いようがない。
防衛相は、仲井真弘多知事の抗議に対し「たまたま外から出張してきた米兵が起こす」と発言した。
しかし、在沖米軍の大半を占める海兵隊は6カ月ごとに入れ替わる。移動は常態化しており、「たまたま外から出張してきた」との説明は言い訳にすぎない。そのような理屈が成り立つなら「ローテーションで移動してきたばかりで沖縄の事情を知らない兵士がたまたま事故を起こした」といくらでも正当化できよう。防衛相は詭弁を弄するのではなく、無責任な発言を直ちに撤回すべきだ。
復帰後、県警が認知しているだけでも127件の女性暴行事件が起きた。認知に至らず事件化していない事案も含めると女性の尊厳がどれだけ踏みにじられたことか。
政府に警告する。米兵犯罪が後を絶たないため仲井真知事をはじめ多くの県民が、「諸悪の根源」は米軍の特権を認め占領者意識を助長している日米地位協定にあるとの認識を一段と深めている。
県民からすれば凶悪犯罪を「事故」と認識する不見識な大臣、副大臣を抱えたことこそ「事故」だ。米兵犯罪や基地問題と真剣に向き合えない政務三役は、政権中枢にいる資格はない。日米関係を再構築する上でも害悪だ。〉
■■日本の政治エリートが持つ沖縄への差別意識
森本氏は、「吉良外務副大臣をはじめ、政府高官の認識は同じはずなのに、なぜ私だけが執拗に攻撃されなくてはならないのか」という受け止め方をしていることと思う。繰り返すが、森本氏は沖縄人にとって中央政府のシンボルとなっている。森本氏の発言の背後にある日本の政治エリートが沖縄に対して持つ差別意識を沖縄の政治エリート、マスメディアは敏感につかみ取っているのである。
差別が構造化されている場合、差別をする側は自らが差別者であるということを自覚しないのが通例だ。ソ連共産党中央委員会に勤務する民族問題を担当する幹部も、自らがリトアニア人、ラトビア人、エストニア人を差別しているなどという意識はまったく持っていなかった。民族紛争において、中央政府の政治エリートと異議申し立てをする民族の認識の非対称性は、よくあることだ。
沖縄で現在進捗している事態は、第三者的に見ると民族紛争の初期段階だ。ロシア語に「ナロードノスチ(народность)」という言葉がある。日本語では「亜民族」と訳される。亜熱帯は熱帯ではないが、熱帯と似た特徴を持つ。亜民族も言語、文化など民族と似た特徴を持つが、民族に特徴的な、「われわれによって、われわれが居住する領域を統治する」という政治的欲望を持たない。ただし、状況によって、亜民族意識は民族意識に転換する。その転換の鍵になるのが亜民族の間で「われわれは虐げられている」という意識が共有されることである。
中央のマスメディアではほとんど取り上げられていないが、七月三十一日、日本政府(担当は外務省)が国連人種差別撤廃委員会(CERD)の情報提供要請に応じ、〈日本政府は、この情報の提供により、普天間飛行場の辺野古移設計画は同飛行場の危険性の除去、沖縄の負担軽減及び我国の安全保障上の要請によるもの、また、高江地区ヘリパッド建設計画は土地の大規模な返還による沖縄の負担軽減及び我が国の安全保障上の要請によるものであり、両計画とも差別的な意図に基づくものでは全くないことを強調する。〉(外務省HP)と回答した。差別が構造化されている場合、差別者はその現実を認識していないのが通例だ。日本政府の主観的意図と差別の有無は別の位相の問題だ。
この回答には、〈一般的に言えば、沖縄県に居住する人あるいは沖縄県の出身者がこれら(引用者註*人種差別撤廃条約の対象となる)諸特徴を有している、との見解が我が国国内において広く存在するとは認識しておらず、よってこれらの人々は本条約にいう人種差別の対象とはならないものと考えている。〉と記されている。「沖縄人が他の日本人と異なる独自性を持つ」という認識が拡大すれば、深刻な事態に発展するという危機意識を、外務官僚は明らかに持っている。
大田昌秀元沖縄県知事(琉球大学名誉教授)が、〈沖縄から独立論も本格的に論議されるようになるだろう。独立すれば国連に加盟できる。沖縄より人口の少ない国はある。/国連の人種差別撤廃委員会が沖縄の基地集中を差別と認め、日本政府に勧告した。国連や米国に直接働き掛け、主体は沖縄にあるということを発信しなければならない。〉(十月十八日付『琉球新報』)と述べているが、沖縄の日本からの分離独立の危険性が現実に存在すると筆者は見ている。
■■沖縄は米国政府との直接交渉に乗り出した
集団強姦致傷事件に対する外務省の動きも鈍かった。事件発覚当日、吉良州司外務副大臣がルース駐日大使に強い遺憾の意を表明し、再発防止を要請した。〈同省幹部は「本来なら起訴された後に米政府には要請するが、今回は悪質な事件なので要請した」と述べ、異例な要請であることを強調した。〉(十月十七日付『琉球新報』)が、これは小手先の対応に過ぎない。外務官僚がほんとうに今回の集団強姦致傷事件を悪質と考えているならば、フランスに訪問中の玄葉光一郎外相が米国のクリントン国務長官に電話をかけて抗議したはずだ。
クリントン国務長官は、米兵の女性に対する人権侵害に対して厳しく対応する。初動の対応を注意深く観察すれば、外務省が集団強姦致傷事件を不良兵士による例外的事態として、米国の出先機関の責任者であるルース大使までの問題にとどめ、外相レベルで扱う深刻な外交問題にしないように腐心している姿が見えてくる。中央政府の対応に沖縄は不信感を強め、独自の行動を始めた。
〈仲井真知事は首相官邸での斉藤(引用者註*勁内閣官房副長官)氏への抗議後、記者団に対し「地位協定では米兵は公務中に日本の法律は守らなくていいとなっており、若い兵士がいろんな行動をしてしまう」と地位協定改定の必要性を強調。/運用改善で対応するとの従来の政府の姿勢に対し「(運用改善は)米軍がいやだと言えば何も運用されず、ご自由にということと同じ。その程度の話で米軍基地が維持されるわけはない」と強い言葉で反論した。/仲井真知事は17日、今週末に予定している訪米で、日米地位協定の見直しを米政府関係者に直訴する考えを明らかにした。〉(十月十八日『沖縄タイムス』電子版)
ここで重要なのは、仲井真知事が、当事者意識を欠く日本政府に対して見切りをつけて、米国政府と直接交渉に乗り出したことだ。「中央政府の政治エリートがわれわれ沖縄人を同胞とみなさないならば、われわれもあなたたちを同胞と考えない。もはや日本の安全保障のために、沖縄が犠牲になるつもりはない」という沖縄の世論に忠実に従った行動を仲井真知事はとっている。ワシントンでホワイトハウス、国務省、国防総省の幹部に沖縄の置かれた状況について直訴することによって、仲井真知事は突破口を開こうとした。
十月二十七日付『沖縄タイムス』電子版は、〈沖縄の基地問題の解決の在り方を探る県主催のシンポジウム出席や2米兵による暴行事件への抗議のため訪米していた仲井真弘多知事が26日夜、帰任した。那覇空港で記者団の取材に応じた仲井真知事は、訪米の成果について「暴行事件への県民の怒りやオスプレイ配備など事が起こった時期だったので、インパクトを持って訴えることができた」と述べた。/また、シンポジウムなどを通じて「米国がアジアを重視しようと安全保障政策を転換する時期だったので、活発な質疑があった。これから先の米国の政策の変化の予感が感じられる中で沖縄の基地、普天間飛行場の問題についても、広範な背景に基づいた意見交換ができた」と述べた。/仲井真知事は、米国で普天間の移設先について九州や四国、中国地方などを例示して「民間空港を含め、すでに滑走路がある場所へ移す方が早い」と提言したことを明らかにし「米国でも辺野古という声はあったが、リアル(現実的)ではないことを申し上げた。沖縄の基地問題の改善を図るために、もっともっと頻繁に接触した
方がいい」と述べた。/さらに「人的ネットワークがつくられつつある」とし「来年とか再来年とか、年に1度くらいは訪米して意見交換したい」という意向を示した。〉と報じた。
■■独自言語の回復に動き出す
仲井真訪米から、沖縄が外交権を部分的に回復しようとする姿が浮き彫りになる。ここで重要なのは、歴史の記憶だ。英国の社会人類学者アントニー・スミス(一九三三年生まれ)は、〈共通の歴史をもつという意識は、世代をこえた団結の絆を作りだす。それぞれの世代は、自分たちだけの一連の経験をもち、それはこの共通の歴史に加えられていく。共通の歴史をもつという意識はまた、自分たちが経験してきた時間の連鎖のなかで、人々を規定し、それはのちの世代に、自分たちの経験の歴史的な見かたを教える。換言すれば、歴史的な連続性は、のちの経験に「形」を与え、経験を解釈するための道すじと鋳型とを与える。〉(アントニー・D・スミス[巣山靖司/高城和義他訳]『ネイションとエスニシティ 歴史社会学的考察』名古屋大学出版会、一九九九年、三二頁)と指摘する。
沖縄にはそう遠くない過去に琉球王国という国家があった。琉球王国は、一八五四年に琉米修好条約、一八五五年に琉仏修好条約、一八五九年に琉蘭修好条約を締結した。当時の帝国主義列強である米国、フランス、オランダの三国から、琉球王国は国際法の主体として認知されていたのである。この記憶が沖縄人の集合的無意識を刺激している。このような沖縄人の意識の変化が仲井真知事に、日本の中央政府とは異なる対米外交を推進させる動因になっているのだ。琉球語を公的な言語として回復することによって、沖縄の「共通の歴史をもつという意識」を強化し、「世代をこえた団結の絆を作りだす」動きが出ている。翁長雄志那覇市長が、那覇市職員採用試験に琉球語(ウチナーグチ)のあいさつを取り入れた。十月二十二日付『琉球新報』が、〈那覇市(翁長雄志市長)が本年度の職員採用試験の面接で、受験者にウチナーグチのあいさつを取り入れることが21日までに分かった。市職員が市役所窓口などでウチナーグチであいさつする「ハイサイ・ハイタイ運動」の一環だ。採用試験への導入を機に、若者のウチナーグチ活用の意識付けにつなげたい考えだ。/市によると職員採用試験の面接に“お国言葉”を導入するのは全国的にも異例で、県内では初めて。市文化協会などとの意見交換でウチナーグチを採用試験に導入するよう求める声があった。それを踏まえ翁長市長が検討を指示していた。/市は1次試験通過者に送付する通知書に、面接でウチナーグチでの自己紹介を求める文書を同封する。「ハイサイグスーヨーチューウガナビラ」(皆さんこんにちは)「ニフェーデービル」(ありがとうございます)など例文を掲載し、ウチナーグチに不慣れな人でも対応できるようにする。/一方で採用試験の公平性を確保するため、アクセントの位置など語り口のうまさは採点対象にしない。市幹部は「採用後にウチナーグチを使う心構えをしてもらえればいい」と語った。/面接試験へのウチナーグチ導入について石原昌英琉球大教授(言語政策)は「受験者がウチナーグチを学ぶきっかけになる。県都那覇での実施は他の自治体や民間企業に広がる可能性もある。採用後の研修実施などウチナーグチ実践力を高める取り組みも行ってほしい」と期待を込めた。〉と報じた。独自言語を回復しようとする動きはナショナリズムの核になる。
沖縄で進行している事態が近未来に日本の国家統合を揺るがすことになる危険を東京の政治エリートはまったく認識していない。これは、一九八八年秋時点でモスクワの政治エリートがバルト三国がソ連から分離独立する可能性をまったく想定していなかったのと類比的だ。
中央政府が、MV22オスプレイの沖縄からの撤去、日米地位協定の抜本的改定、米海兵隊普天間飛行場の辺野古移設の撤回など、沖縄の要求を全面的に受け入れても、沖縄人の中央政府に対する信頼を回復することはもはやできないであろう。沖縄の部分的な外交権回復を認め、沖縄の広範な自治を認める連邦制に近い国家体制への転換を行わないと、日本の国家統合を維持することができなくなる危険があると筆者は見ている。
(了)最終更新:11月27日(火)20時38分
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121127-00000302-chuokou-pol