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食、宗教ナショナリズム、布文化… 民博で3教授退職講演印刷用画面を開く

2016-03-31 | アイヌ民族関連
京都新聞 【2016年03月31日 06時00分 】
(大阪府吹田市)で本年度末に退職する3教授の記念講演会が行われ、長年のフィールドワーク研究の成果が報告された。
 約30年にわたり韓国の社会や文化を考察してきた朝倉敏夫教授は、菓子や歌などに登場する「情」について解説。「韓国は情の深さを大切にする。『あなたは情が多い』と言われたら喜んでいい」と語り、「韓国ではごはんを山盛りでついであげる。日本ではおかわりすることを考えながらついであげる。食文化からも情やホスピタリティの違いが学べる」と指摘。韓国の博物館や立命館大などとも連携した学際的な食研究の意義を語った。
 杉本良男教授は、スリランカやインドでナショナリズムと宗教や思想、文化の関わりを探究してきた経験を基に、西欧の既成のキリスト教会に対抗した神智協会などの宗教改革運動の歴史を解説した。「今では聖人化されているガンディーの思想にもさまざまな見方がある。人類学者として、多角的な視点や批判精神を忘れずに研究を続けていきたい」
 佐々木史郎教授は、シベリアなど北方寒冷地域の先住民族の織布技術やアイヌの衣文化について報告した。「ロシアでも布の文化の研究はずっと手つかずだった。北方では毛皮も重要だが、通気性や防湿性にすぐれ、装飾も施せる布の多様性や可塑性には及ばない」と強調。今後は北海道で計画中の国立アイヌ文化博物館(仮称)の開設準備に携わる予定で「民博での成果をアイヌ文化の研究発展に生かしたい」と語った。
http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20160330000185

大学が保管する特定遺骨等の返還に関する手続の詳細について(意見のまとめ)

2016-03-31 | アイヌ民族関連
文部科学省-2016年03月30日
平成28年3月30日
大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続等に関する検討会
大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続等に関する検討会(座長:常本照樹)では、このたび、これまでの意見のまとめを取りまとめましたので、お知らせいたします。
## 大学が保管する特定遺骨等の返還に関する手続の詳細について(意見のまとめ) (PDF:561KB) PDF
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shinkou/043/gaiyou/__icsFiles/afieldfile/2016/03/30/1369092_01_1.pdf
お問合せ先
研究振興局学術機関課
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shinkou/043/gaiyou/1369092.htm

DNA鑑定等の在り方に関する作業部会の設置について

2016-03-31 | アイヌ民族関連
文部科学省-2016年03月30日
平成27年5月14日
大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続等に関する検討会決定
1.設置の趣旨
 平成27年4月21日付文部科学省研究振興局長の決定により設置された「大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続等に関する検討会」においては、平成26年6月に策定された「個人が特定されたアイヌ遺骨等の返還手続に関するガイドライン」に基づき、返還に向けた手続に係る詳細、及びDNA鑑定等による個人・個体の特定の可能性や実効性等に関し、諸外国における先住民族の遺骨返還手続等の状況も踏まえつつ、統一的に検討を行うこととなっている。
 このうち、DNA鑑定等による個人・個体の特定の可能性や実効性等に関する検討においては、実際にDNA鑑定等の科学的手法を熟知している有識者による専門的な知見に基づき集中的に検討を行うため、「大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続等に関する検討会」の下に、アイヌ関係者や法医学者、法律家などから構成される「DNA鑑定等の在り方に関する作業部会」を設置する。
2.検討事項
(1) DNA鑑定等による個人・個体の特定の可能性や実効性等について
(2) 大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続等に関する検討会において、DNA鑑定等の科学的手法に係る専門的な知見に基づいた集中的な検討が必要とされた事項
(3) その他必要な事項
お問合せ先
研究振興局学術機関課
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shinkou/043/043_1/gaiyou/1369112.htm

大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続等に関する検討会について

2016-03-31 | アイヌ民族関連
文部科学省-2016年03月30日
平成27年4月21日
文部科学省研究振興局長決定
1.設置の趣旨
 大学が保管しているアイヌの人々の遺骨について、文部科学省及び内閣官房は「個人が特定されたアイヌ遺骨等の返還手続に関するガイドライン」を平成26年6月に策定したところである。
 今後、関係大学においてガイドラインを考慮した適切な返還の実施が望まれるが、返還に向けた手続に係る詳細、及びDNA鑑定等による個人・個体の特定の可能性や実効性等に関し、諸外国における先住民族の遺骨返還手続等の状況も踏まえつつ、統一的に検討を行うため本検討会を設置する。
2.検討事項
(1)ガイドラインに基づく返還に向けた手続に係る詳細
(2)DNA鑑定等による個人・個体の特定の可能性や実効性等
(3)上記返還手続等に係る関係大学との協力体制の在り方
(4)その他必要な事項
3.構成
 (1)大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続等に関する検討会は、別紙の有識者の協力を得て検討を行うものとし、文部科学省研究振興局長の指名により、座長を置くものとする。
 (2)必要に応じ、別紙の有識者に加えて他の関係者を参画させることができる。
(3)必要に応じ、オブザーバーとして府省や大学等の関係者の出席を求めることができる。
4.設置期間
  平成27年4月21日から平成28年3月31日まで
5.その他
  本検討会の庶務は、高等教育局高等教育企画課の協力を得て、研究振興局学術機関課において処理する。
お問合せ先
研究振興局学術機関課
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shinkou/043/gaiyou/1369089.htm


国旗は“変更せず” ニュージーランドで国民投票

2016-03-31 | 先住民族関連
テレビ朝日(2016/03/31 02:20)
 ニュージーランドの国旗を変更するかどうかを問う国民投票の最終集計結果が発表され、現在の国旗が新しいデザインの国旗を上回り、変更の見送りが決まりました。
 3日から行われた国民投票では、イギリス国旗を使った現在の国旗を継続するか、先住民のマオリ族にゆかりのあるシダの葉があしらわれた新しいデザインに変更するかが問われました。30日に投票の最終集計結果が発表され、現在の国旗が56.6%の票を集め、新しいデザインは43.2%にとどまりました。ニュージーランドのキー首相は国旗の変更を訴えていましたが、結局、国民の機運は高まらず、変更の見送りが決まりました。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000071517.html

NZ国旗、変更せず…国民投票で56%現行支持

2016-03-31 | 先住民族関連
読売新聞3月30日(水)22時8分
 【シンガポール=池田慶太】ニュージーランド政府は30日、国旗のデザイン変更を巡る国民投票の最終結果を発表した。
 英国旗ユニオンジャックを配した現国旗の支持が56・6%に達し、変更見送りが正式に決まった。先住民マオリ族の信仰対象の「シルバー・ファーン」と呼ばれるシダを描いた新デザインの支持は43・2%だった。
http://news.biglobe.ne.jp/international/0330/ym_160330_4041643836.html

先住民の絆結ぶ氷の道(6~10)

2016-03-31 | 先住民族関連
【時事通信社】2016年03月30日
6.氷上の漁
 ボビー・ドライギース(44)、ポール・マッケンジー(58)。
 2人ともグレートスレーブ湖を挟んでイエローナイフの対岸にある先住民の村、デタの出身だ。都市の近くに住んでいるが、今でも湖で魚を捕り、罠で小動物を仕留めている。2人と行動を共にし、先住民の昔ながらの生活を体験した。
 ボビーのピックアップトラックに乗り込む。イエローナイフからデタには、グレートスレーブ湖にできたアイスロードを使うと近道だ。
 凍った湖と陸地の境目は雪が覆って分からないが、入り口に「重量制限3600キロ」と表示された看板がある。アイスロードは全長約5キロ、幅は約50メートル。制限速度は50キロで車線はない。湖面を覆う氷が露出するように雪が取り除かれ、黒々とした水の上にできたガラスの道のようだ。
 「アイスロード部分に冷たい空気を直接当てて氷を厚くするんだ」
 こうすることで、氷は厚さが5フィート(約1.5メートル)になる。ピックアップトラックは普通の道と同じように走っていく。
 グレートスレーブ湖は北米では最も深い湖で、最深部は614メートルに達する。大丈夫だとは思いながらも、もし氷が割れたらとびくびくしているうちに、6キロ先の対岸にあるデタに着いた。
 車を置き、待っていたポールのスノーモービルに乗り換えてボビーの小屋へ。室内の薪ストーブの上には湖で捕ったイワナの仲間、レイクトラウトの皮が干されている。柱には罠猟で捕ったネズミの一種マスクラットの皮が裏を表にしてぶら下がり、狩猟民族の暮らしぶりがうかがえる。
 ポールが運転するスノーモービルが引くそりに乗り込み、グレートスレーブ湖に仕掛けた網を引き上げに行く。強い風が当たり、体感気温はマイナス30度くらいだ。
 厚さ1メートルほどの氷に穴が2カ所、約50メートル離れて開いている。同じ長さの網が水中に仕掛けてある。
 「よし、この綱を引っ張るんだ」
 穴から引き上げられた長い網にはレイクトラウト、淡水タラのカワメンタイなどが掛かっている。どれも50センチほどあり、中には1メートル近いレイクホワイトフィッシュの大物も。
 網から外された魚は氷の上で跳ねていたが、みるみるうちに凍っていく。カワメンタイは体をくねらせたままの姿で固まっている。
 「きょうは少ないね。魚が湖の別の場所に移動してしまったんだろう」
 残念そうに話すポールたちと、今度は近くの森に仕掛けた罠を見に行った。
 獲物は、凍って水がなくなった川底のトンネルを動き回るマスクラット。マスクラットを探すオオカミやキツネを追って居場所を見つけ出し、湖の藻と煮て臭いを消した罠を氷の下に仕掛ける。7つ仕掛けた最初の罠を確かめようと穴に手を入れたポール。「うわ~」と叫び、腕が奥に潜む獲物に引っ張られるしぐさをしておどけてみせる。空振りだったが、ポールもボビーも陽気だ。
 5つ、6つと成果がなく、あきらめかけて最後の仕掛けを点検するポールの表情が急に真剣になった。
 「何かいるぞ!」
 ゆっくりと仕掛けを引き出す。すると罠に手を挟まれたマスクラットが一匹。ポールは手足をばたつかせているマスクラットを素早く雪の上に打ち付けて仕留めた。毛はふさふさで触ってみるとまだ体温が残っている。
 「俺たちはずっとこうして猟を続けてきた。子供にも猟を教えているが、みんな好きだと言っているよ」
 ボビーは満足そうだが、自然に左右される厳冬期の網漁や罠猟は想像を超える重労働だ。小屋に戻り、寒さで感覚がなくなった手で握ったマグで飲むコーヒーは格別のおいしさだった。

7.激走、アイスロード
 「陸の孤島」とは一体どうなっているのか。
 旅が後半にさしかかり、アクセスできる地図に道が載っていない集落を見たいとの思いが強く募る。
 それを確かめるため、厳冬期のおよそ3カ月間だけ通れるアイスロードでイエローナイフから北に一路、先住民の集落ワチを目指した。
 イエローナイフから105キロ離れた最初の村ベチョコまでは、グレートスレーブ湖に沿って舗装された道路が北西に伸びている。視界の左右に広がる森は雪に覆われているが、道路は除雪されている。建築資材などを運ぶ大型トレーラーと擦れ違うが、交通量は少ない。
 ベチョコを過ぎてマリアン湖上のアイスロードに入る。入り口につながる道路には「最大重量18500キロ」と標識が立てられている。
 この日のアイスロードは雪に覆われ、ガラスのように見えない。車をいったん停めてアクセルを強めに踏み込むと、四輪駆動のSUVが後部を左右に振りながら走り出す。
 しばらくするとアイスロードの端に設置された標識が見えてきた。
 「ROAD CLOSED(通行止め)」
 近寄ってよく見ると、黒っぽい湖の水が氷上にしみ出している。万が一、ここに気付かずに走行すれば氷が割れ、車が水没する恐れがあるため、アイスロードの一部を三角コーンで囲って注意を促しているのだ。
 ワチにつながるアイスロードは今年、2月5日に乗用車が通れるようになった。氷が厚さを増す2月に末以降はタンクローリーやトラックの通行ができるようになり、1年分の燃料、大量の生活必需品をはじめ、小型機に積めなかったり、高い運賃がかかったりするものを一気に輸送する。だが、今年は暖冬が影響し、氷のコンディションが良くないという。
 実際、ワチよりさらに北のアイスロードでは直前、タンクローリーが走行中に氷が割れ、一部が水中に沈む事故が発生。集落の人々にとってライフラインとなるアイスロードは全面的に通行止めとなり、住民の生活や移動に大きな影響が出た。
 アイスロードは想像以上にデリケートだ。よく注意して見てみると、一方の岸と対岸は最短距離の一直線で結ばれていない。車は岸の手前で大きくカーブして、陸地につながっている。
 「ポコポコポコ」
 イエローナイフとデタを結ぶアイスロードでは、車が通過するときに氷のしなる音が聞こえた。
 湖面が厚い氷で覆われても、重い車が通れば氷がしなって下の水がわずかに波打つ。その波が車の進行方向に向かって勢いを増し、岸辺の氷が割れてしまう事態が起きるのを防ぐため、アイスロードは岸の近くでカーブを描くのだ。
 全長約30キロに及ぶマリアン湖のアイスロードを抜け、白樺やカラマツの森に入る。夏には一面、湿地帯となるが、雪が地表を覆っている。お尻が時々シートから浮かんでしまうほどのでこぼこ道が続き、まるで悪路を走行するラリーカーに乗ったような気分になる。
 イエローナイフから約210キロ。およそ5時間をかけてワチに到着した。
 人口550人の小さな集落には、ブルーやオレンジといったカラフルな平屋が建ち並ぶ。村を挙げて開かれる先住民伝統の賭け遊び「ハンドゲーム」の大会を翌日に控え、住民は準備に追われていた。
 トリチョ族の人々はどことなく日本人に似ている。子宝に恵まれた世帯が多く、村の中心にある学校では、日が暮れた後も子供たちがスノーモービルで雪の積もった氷点下の校庭を走り回っている。
 「さあ、食べて、食べて」
 学校の体育館に設けられた食堂で、村の女性にカリブーのシチューなど、ワチの味で「おもてなし」を受けた。人々は気さくで次々と話しかけてくる。
 「どっから来たんだ。日本?ハンドゲームを見に来たのか?見ないで参加したらどうかね?」
 アイスロードができて陸の孤島でなくなるこの時期、遠くから多くの先住民が参加するハンドゲームには、どんな魅力があるのだろう。期待に胸が膨らむ。

8.熱狂の大勝負
 ハンドゲーム。
 文字通り手だけを使うゲームだ。ワチ、ベチョコ、ガメティ、ウェクウェティなど、イエローナイフ北方の集落に暮らすトリチョ族と呼ばれる先住民の伝統的な遊びだ。
 厳冬期、大きな大会が開催される村には毎年のようにアイスロードを使って遠くから多くの先住民が集まってくる。2年ぶりにトーナメントが行われるワチの人口は、普段の倍となる1000人ほどに膨らむ。会場の公民館には、ピックアップトラックがぎっしりと並んでいる。
 ハンドゲームは、もともと先住民が集落で絆を深めるために始まった遊びが起源とされる。狩猟などで得た獲物を賭けていた娯楽が、トリチョ族の文化として引き継がれている。
 「やってきた人々はみんなファミリーだ。ハンドゲーム大会はファミリー再会のイベントだ」
 野球スタジアムのように階段式に作られた会場の観客席。アルフォンゾ・ニチザ酋長が、席を埋め尽くした老若男女を見渡しながら説明してくれた。
 ルールは簡単だ。1チーム10人が2組に分かれて対戦。「シューター」と呼ばれるチームの1人が、相手チームの10人がそれぞれ左右どちらの手におはじきを隠して握っているかを当てる。当てられれば脱落し、ミスをすればシューターのチームにペナルティーが科される。双方のチームが交互に当て合いをし、一定のペナルティーに達した方が負け。参加できるのは男性だ。
 トーナメントには27チームが出場。遠くはカナダ北西部ユーコン準州、ノースウエスト準州の南に位置するアルバータ州からやって来たメンバーもいるという。当初は32チームが参加する予定だったが、ワチから北につながるアイスロードが割れ、タンクローリーが沈んだ事故で通行止めに遭ったガメティのチームが来られなくなったのだ。
 ババン、ババン、ババン、ババン!
 ゲームスタートだ。それぞれのチームの後ろに陣取った応援団が、大声でリズムを作りながらカリブーの革を張ったタンバリンのような形のドラムを棒で打ち鳴らす。瞬く間に会場は大音響で満たされる。優勝すれば賞金2万カナダドル(約170万円)、8位でも1500ドル(約13万円)が手に入るとあって、選手の表情は真剣そのもの。応援にも熱が入る。
 それぞれのチームの10人がつま先立ちの正座で一列に向き合う。一方のチームの選手はうずくまって膝元の上着で手を隠しておはじきを握り、そしてリズムに合わせて体を起こしながら腕を組み、シューターとの勝負を待つ。
 パチン!
 シューターが両手をたたき、伸ばした手で左右どちらにおはじきがあるのかをサインで当てる。列の端の選手だけが右、残りは左といったさまざまな指示パターンがあるが、難解すぎて見ていてもさっぱりだ。
 「単純に見えるだろ。でもこのゲームは神経戦なんだ」
 そう話すのはイエローナイフから参加したヘンリー・ゾーイ。シューターは単純に確率50%に賭けているのではないという。
 「若い選手はシューターとの勝負に勝てば、次の当て合いで隠す手を変える傾向がある。年配は頑固だからずっと同じ手のことが多い。シューターには記憶力が要求される」
 気が付けば観客に子供が増え、室内は200人を超えている。ドラムのリズムに合わせて体を激しく動かし、ゲームに熱狂している選手の顔は紅潮し、汗がきらきらと光る。シューターが見事に当ててどよめく選手と観客。外は氷点下というのに、会場は熱気でムンムンしている。
 「子供にハンドゲームを知ってほしいから一緒に来た」
 ゲームを見守る人の中には、先祖から続くゲームを受け継いでもらおうと、子供を連れてきた人も目立つ。ワチやベチョコでは1990年代から学校でハンドゲームを教え始め、伝統を守る取り組みと続けているという。
 会場に半日いただけで、人々の気勢と大音響に圧倒され、疲労に襲われた。トーナメントは3日間にわたって続くが、最後まで試合を見られないのがとても残念だ。
 日が暮れる直前にワチを離れる。男たちが応援する声と激しいドラムの音が外まで漏れる公民館の横を通り過ぎ、イエローナイフを目指した。

9.アイスロードの将来
 アイスロードができる冬のわずかの期間、トリチョ族の人々は車やスノーモービルで移動し、遠くの村に住む親戚や友人たちとの再会を楽しんできた。
 こうした生活が近い将来、劇的に変わるかもしれない。
 ワチとイエローナイフに近いベチョコを結ぶ一般道の建設計画が進んでいるからだ。道路ができれば陸の孤島ではなくなる。ワチやそれより北の集落へのアクセスも大きく改善される。運賃が高い小型機を使う必要性や経済的負担も減る。
 計画されている道路は全長約94キロ。アイスロードを使う現在のルートと異なり、先住民が罠猟などをしている湿地帯を通る。建設費として見積もられている1億5000万カナダドル(約130億円)はノースウエスト準州や連邦政府が負担。 ワチやガメティなどトリチョ族の自治組織は建設計画を受け入れているという。
 ワチでハンドゲームのルールを教えてくれたヘンリーは計画を支持している。
 「アイスロードで起きたタンクローリーの事故を知っているだろ。温暖化でアイスロードが昔のように長い期間使えなくなるかもしれない。そうなったらどうやって燃料を運ぶんだ?」
 だが賛成ばかりではない。
 特に年配の先住民は、村に道ができることで、禁止されているアルコールやドラッグが持ち込まれ、ざまざまな社会問題が起きることを強く心配している。
 トリチョの自治組織は2003年、連邦政府とノースウエスト準州と3万9000平方キロに及ぶ土地と地下資源の所有で合意。資源開発に伴って得られる利益の一部を受けている。
 「道を建設するのは住民の生活向上目的というより資源開発のためよ。わたしたちの土地から資源が搾取されてしまうだけだわ」
 ベチョコで出会った女性は、計画の背後に腐敗が存在し、道路ができて村を開発しても利益を得るのは一部の人たちだけだと憤った。
 ワチのニチザ酋長は、計画を推進する立場だが、根強い反対論も理解していると話す。むしろ一番の不安は、トリチョ族が受け継いできた文化や伝統が消えてしまわないかということだ。
 「若者たちはいずれ『われわれは何者なのか』と自らに問いかける。道路ができて村の人口が増えた時、それを知るためのトリチョ族の言語や伝統を守っていくのは大きな挑戦だ」

10.たくましく生きる人々
 カナダは先住民を西欧社会に同化させる政策を行ってきた。取材した先住民の人々はみんな、英語をしゃべっていた。一方で今回の旅を通じ、ニチザ酋長だけではなく、かんじき作りの名人のローレンスら多くの人たちが、自分たちのアイデンティティーである先住民の文化や伝統が失われかねないことに、強い危機感を抱いていることを痛切に感じた。
 しかし近年、先住民の独自性を尊重する活動が積極的に進められており、先住民は自治組織を持ち、教育や文化、政治、経済といった幅広い分野で独自の取り組みを行うことが認められている。フォートスミスの短期大学では先住民の言語が教えられ、イエローナイフでも先住民の文化を紹介する博物館の展示はとても充実している。
 「文化を守るためには子供の教育が大事だ。トリチョ族の子供は高校生になると、トリチョの自治の仕組みを必須科目として学んでいる」
 若者たちに伝統を守ってほしいと思うニチザ酋長の気持ちが伝わる。
 カナダは2017年7月1日、建国150周年を迎える。だが、ノースウエスト準州の旅を通して出会った先住民の姿には、それよりはるか昔から厳しい自然と向き合いながらたくましく生き、文化と伝統を守ってきたというプライドがにじんでいた。
 読者プレゼント
 「カナダ・アイスロード」特集をお読みくださり、ありがとうございました。ご感想はぜひツイッターで。
 イエローナイフのピンバッジを抽選で1名様にプレゼントします。
 ハガキに住所、氏名、年齢、電話番号を記入し、下記へお送りください。
 締切は4月28日必着。
 〒104-8178
 東京都中央区銀座5-15-8
 時事通信社デジタルメディア事業本部
 時事ドットコム「アイスロード」係
 [取材協力]カナダ観光局/エアカナダ/八木一仁
 【関連記事】世界遺産と先住民 ハイダグワイ
http://www.jiji.com/jc/v4?id=201603canada-northwest0006

先住民の絆結ぶ氷の道(1~5)

2016-03-31 | 先住民族関連
【時事通信社】2016年03月30日
1.イエローナイフ
 凍りついた広大な湖面に伸びるガラスの道。カナダ北西部ノースウエスト準州に点在する先住民の集落を結ぶ「氷の道(アイスロード)」だ。湿地に浮かぶ「陸の孤島」のような集落につながる道は地図にない。だが、1年のうち湖や川が凍る厳冬期の約3カ月間だけ、車が氷上を通れるアイスロードが出現する。遠路はるばる集落の親戚や友人を訪ね、絆を確かめ合う先住民にとってかけがえのない氷の道。3月上旬、ノースウエスト準州で先祖から脈々と受け継いだ文化を守る先住民の暮らしに触れる貴重な機会に恵まれた。(文:近藤真幸、写真:石原彰)
 滞在拠点の州都イエローナイフへは、飛行機で1988年に冬期オリンピックが開催されたカナダ西部アルバータ州のカルガリーを経由し約14時間。人口は約2万人で、観光や行政関連の仕事に就いている人が多い。オーロラが間近に見られる町として知られ、カルガリーからは多くの日本人観光客と乗り合わせた。
 イエローナイフが面するグレートスレーブ湖は面積2万8568平方キロ。琵琶湖のおよそ43倍にもなる巨大な湖の水面は、飛行機の窓から見渡す限り真っ白く凍りついている。そのスケールの大きさは圧巻だ。
 「マイナス17度」
 夕方、ローカル空港然としたイエローナイフ空港に到着し、機外に出る。表示板が示す気温は、イエローナイフが北極圏から南にわずか400キロしか離れていない極寒の地だと自覚するには十分すぎるインパクトがある。湿度が低く「骨まで染みる」といった寒さではないが、それでも外気に直接さらされた顔には氷点下の空気が突き刺さる。ひりひりとした痛みを感じ、小走りで暖かい空港建物の中に急いだ。
 イエローナイフの地名は、かつてこの土地に暮らしていた先住民族デネの人々が、狩猟で用いる銅製のナイフを身に着けていたことにちなんでいる。入植してきたヨーロッパ人が19世紀末に金鉱を発見し、ゴールドラッシュとなった。当時の地元作家はその様子を「黄金で通りが舗装された町」と書き残している。
 金鉱山は2004年に閉山されたが、現在はダイヤモンドが採掘され、鉱山に燃料などの物資を運ぶ大型トレーラーがイエローナイフ郊外のハイウエーを24時間中ひっきりなしに走っている。
 翌日から本格化する取材に備え、夕食に向かう。通りを歩いている人はいない。寒さで雪は解けずに残り、走っている車のほとんどが四輪駆動のピックアップトラックだ。
 ジビエ料理で有名なレストラン「トレーダーズ・グリル」で、バイソン(バッファロー)とヘラジカのステーキに挑戦してみた。バイソンは脂の少ないビーフステーキに似た味と食感だ。ヘルシーな肉として人気があるという。ミディアムレアのヘラジカ肉は、真っ赤な色をしている。柔らかい肉をかみしめると、何とも言えない独特の「獣臭い味」がする。美味しいかと言われれば、「…」。
 「今年はエルニーニョ現象のせいよ」
 ウエートレスの若い女性によると、最近までは夜間の気温が例年並みのマイナス30度程度まで下がっていたという。ところがこの数日は冷え込みが緩んでいるらしく、「マイナス17度しか下がらないのは異常だ」と当惑気味だ。
 氷点下になることも珍しい東京とは余りにも異なる感覚に驚きながら、口の中のヘラジカ肉をビールで一気に胃袋に流し込んだ。

2.伝説の罠猟師
イエローナイフから20人乗りの小型プロペラ機でグレートスレーブ湖を南へ縦断し40分。1967年にイエローナイフがノースウエスト準州の州都になるまで行政の中心地だった小さな町、フォートスミスにその「伝説の罠(わな)猟師」は暮らしている。
 フィリップ・ケネディー。先住民と入植してきたフランス人の血を引くメティス族の老人は26年生まれ。今年末に90歳になる。人々は親しみと尊敬を込めて「パイ」と呼んでいる。8歳の時から毎年、冬の森にこもり、先住民に伝わる犬ぞりを使った罠猟で生涯生計を立ててきた貴重な人物だ。
 空港からフォード・モーターの巨大な四輪駆動ピックアップトラックで雪道を走り、町外れにあるパイの小さな家を訪ねた。犬ぞりで厳冬の森を駆け巡ったたくましい、大柄の人物を想像していたが、出迎えてくれたのはボストンレッドソックスの野球帽をかぶった驚くほど小柄な老人。
 「心臓発作に見舞われてからはつえを突いているが、歩いてリハビリをしないとね」
 そう言いながら、動物の臭いが染みついた裏の小屋に大事にしまってある犬ぞりを最初に見せてくれた。長さ約3メートルの木製そりは、職人の手作り。前部は一枚板を上方に丸く反らせ、雪上で滑りやすくしてある。心臓発作で罠猟を引退した2010年まで70年近く、犬が引くそりの後ろに立ち、15万ヘクタールに及ぶ広大な森で猟を続けてきた。顔のしわには先住民族が昔から続けてきた伝統が深く刻まれているようだ。
 「犬と暮らすことが大好きだったから罠猟師になった。森の中で独りぼっちという気になったことはないし、罠猟師を辞めようと思ったこともないね」
 10頭の犬が引くそりに乗った雄姿を写した写真や絵が飾られた自宅の室内。パイは父親から受け継いでミンクやリンクス(オオヤマネコ)、クズリ、キツネなどを捕まえて毛皮を作っていた生活を教えてくれた。
 「今はスノーモービルがあるから犬ぞりで猟をする人はいない。犬を一人前に育て上げるには少なくとも2年はかかる。それでも犬ぞりがいいんだ」
 犬にはかつて「ジョージ・ブッシュ」「トニー・ブレア」と名付け、どちらにリーダーシップがあるのか楽しんだことがある。意地悪な2頭の名は「カダフィ」「ホメイニ」だ。
 ユーモアあふれるおしゃべり好きのパイからは、猟の相棒である犬たちへの愛情が話のあちこちから伝わった。
 罠猟生活は自然が相手だけに、苦労も多かったようだ。森にこもるのは10月から翌年の3月のおよそ半年。40年代以降は乱獲のため獲物が激減し、5日間でミンクなど5匹しか得られない時もあり惨めな思いをしたと振り返った。
 「罠猟も農業と同じ。来シーズンのことを考えて捕獲しなかったから、キツネや野ウサギはいなくなってしまった」
 さらに、環境保護団体や動物愛護団体の批判が高まったことで毛皮の需要が減少。近年は取引価格が大きく下がったと悔しがる。
 引退してからは相棒の犬が一頭、そしてまた一頭と死んでしまい、最後の一頭が最近、いなくなった。雪が積もった裏庭には空になった犬小屋がそのまま残っている。
 犬ぞりで罠猟ができなくて寂しくないか、と聞いてみた。
 「まったくないね」
 パイの即答は意外だった。
 「自分ができることがどこまでなのか分かっているし、やりたいことはやった。罠猟を後世に伝える活動もあるしね」
 眼鏡の奥の瞳は、先住民の生き方を自然体で貫いた達成感に満たされているように見えた。

3.かんじき作りの名人
 フォートスミスの博物館には、先住民の暮らしぶりを紹介するカヌーや毛皮、当時の写真などが並ぶ。町の若者が通う「オーロラ・カレッジ」の校内ではいろんな場所で先住民の言語を学ぶクラスの案内紙が貼られている。先住民文化の継承に町が積極的に取り組んでいる印象だ。
 カレッジで待ち合わせたのは、学生に木造建築を教えるローレンス・チージー(69)。先住民族に伝わるかんじきが作れる文化の伝承者だ。どことなくアジア人のような顔立ちのローレンスの帽子には、「先住民の誇り」と書かれている。
 白樺の森と雪に囲まれた自宅の作業場。細長い涙形をしたいくつかのかんじきの中には、孫のために作ったという作品があった。大人用の長さ1.5メートルほどのものよりも小ぶり。紫と白の毛糸でできたレースがあしわられ、伝統工芸品のようだ。
 「かんじき作りには長い経験が必要なんだ。わしが作るのは軽くて評判だよ」
 かんじきの枠には、水分を十分に含んだ白樺の枝を使う。かんなを使って角が丁寧に取られた棒状の木材は、雪に接する面に固い表皮側がくるように、水蒸気を当てながらゆっくりと曲げていく。急いで成形すると折れてしまうからだ。
 「伝統的にはひもで固定して成形するが、自分で工具を作ったよ。面倒くさいからね」
 笑いながら見せてくれたのは、かんじきのつま先部分を上方に反らすために『発明』した当て木だ。
 父親から学び、長年かんじきを作り続けてきたローレンスが一番難しいと話すのは、細いひも状にしたカリブーの革を、木枠の内側に網目状に編み上げる工程。革ひもは、大人2人がかりで左右に引っ張った大きな革を、小さなナイフを使って幅5ミリ程度に裂いて作る。そうしてできた革ひもを、雪原を歩いても沈み込まないように目を細かく慎重に編んでいく。木材と革。素材はシンプルだが、作る作業は緻密で手間がかかり、説明を聞いているだけで気が遠くなりそうだ。
 「かかりっきりで作れば4日間ほどで出来上がる。でも白樺の枝といった材料集めから考えると、とても時間がかかるんだ」
 かんじきは体重を分散させるため、雪原で足が深く沈み込まない。サイズが一回り大きなものは猟犬が歩きやすいように雪を踏み固めるために使われる。森の狩りでは獲物に人間の臭いを悟られないよう、動物の毛皮を付けることもあったという。
 1757~58年に現在の米ニューヨーク州で領土をめぐり先住民と英国軍が衝突した戦いでは、かんじきを履いた兵士が雪原の戦闘に参加。冬の作戦でかんじきの威力が認識されるきっかけになったと言われている。
 ローレンスに、かんじきの威力を見せてもらった。向かったのは50センチほど雪が積もった丘。
 歩いた時にかかとが浮くように靴とかんじきをひもで縛り付けたローレンスは、雪原をのっしのっしと歩いて行く。大柄なローレンスが歩いても、深く沈むことはない。
 普通の靴を履いてローレンスの後に続く。だが、足が雪にはまり込んで動けない。おまけに靴の中に雪が入り込み、足はびしょ濡れ。氷点下で足の指が一気に凍った感じだ。
 「今ではアルミフレームのかんじきが手に入る。でも先住民に伝わる文化と伝統を守りたい」
 ローレンスが小さかった頃は、村のあちこちでかんじきが作られていた。しかし、自分で作れる人はいなくなったと寂しがる。先住民文化が廃れていくことに危機感を持ち、3年前からオーロラ・カレッジで一般を対象に作り方を教え始めた。最近は若い世代からも作り方を尋ねられるようになり、伝承に手応えを感じていると目を細めた。
 「文化は、決して失ってはいけない先祖からのギフト(贈り物)。独自の言語と文化を保っている日本がうらやましいよ」
 ローレンスの言葉が重く響いた。

4.極寒のエメラルド
 雪が舞う早朝、フォートスミス空港に向かう。乗り心地が予想外に快適だったピックアップトラックとはここでお別れだ。手荷物チェックもなく、そのままイエローナイフ行きの小型プロペラ機に乗り込む。高度2万フィート(約6100メートル)。機内に朝日が差し込む。
 カナダに来てから3日間、晴れたことがない。45分間のフライトで到着したイエローナイフの空は鉛色をしている。ここにやって来たからには、生まれて初めてオーロラを見てみたい。例年より気温が高いためか、曇りがちな天気が続き、だんだんと不安になってきた。
 だが、心配は無用だった。午後になると、雪交じりの曇天がうそのように晴れ渡った。雲一つなく、サングラスがなければ雪の照り返しが強く、目を開けていられない。冷え込んだ快晴の夜によく見えるというオーロラに期待が高まる。
 午後11時。分厚いフード付きのジャケット、防寒ズボン、目出し帽に身を固め、イエローナイフ市内から車で約30分離れた「オーロラ観測スポット」へ。真っ暗の雪原だ。オーロラ目当てで来た数台の車が車内灯を消し、エンジンをかけたまま止まっている。
 車外に出る。気温マイナス27度。今まで経験したことのない極低温の乾いた空気が、肺の奥まで入り込む。宇宙服のように着膨れし、歩く姿はペンギンのように見えるに違いない。
 寒さで積もった雪は粉のようにさらさらだ。手袋は二重にしているが、カメラを設置するために三脚を準備しているだけで指先がかじかむ。カメラに触れた自分の息がたちまち凍りつく。レンズの表面に息が掛からないように注意しながら、澄み切った漆黒の夜空を見上げる。
 「空にはこんなにたくさんの星があるのか」
 思わず独り言が出た。地平線に少しだけ隠れたオリオン座。星もオレンジっぽいものや青白いものなど色々ある。本物の星が輝く「プラネタリウム」はため息が出るほど美しく、しばし寒さを忘れるほどだ。
 時折、ダイヤモンド鉱山に燃料などを運ぶトレーラーがエンジン音をとどろかせながら走り過ぎる。その向こうにある森から半透明のエメラルド色をした光の筋が現れ、やがてカーテンのようになって空いっぱいに伸びる。
 「オーロラだ!」
 音もなく突然現れては消え、そしてまた別の方角から出現するオーロラは、墨汁に色絵の具を流したようで幻想的。だが、強く光ったり、弱く光ったりする様はどことなくこの世のものではないような不気味さもあり、不思議な感覚に襲われた。
 オーロラは、太陽から放出された電気を帯びた粒子が大気圏に入る際に光る現象だ。上空100~500キロで輝き、粒子の原子や輝く高度によってエメラルドや紫、青といった色に見える。イエローナイフでは、光の強さを10段階で分けて予報を出している。この日は「レベル3.5」。若干エメラルド色が薄かった。
 極低温の夜空を見上げ続けて2時間余り。目出し帽の口元が息で白く凍りついている。全身がこのまま凍結してしまうのではないかと感じ始めた頃、イエローナイフに戻ることにした。
 帰路、突如、車が急ストップした。車外に飛び出た同乗のカメラマンが叫ぶ。
 「これはすごい!見て!」
 ドアを開けて空を見上げると、巨大なオーロラが真上で輝いている。先ほどまで見ていたものより近くで光っている。風になびいたカーテンのひだのような部分は、白、エメラルド、紫色と虹のグラデーションに彩られ、瞬時に色を変える。
 激しく動きながら妖艶な光を放つオーロラは、まるでSF映画に出てくる生き物のようだ。写真を撮ろうと思った瞬間、勢いよく輝いていたオーロラは夜空に溶け込んでしまった。
 ホテルに戻ったのは午前3時前。しかし、初めて目にしたものに興奮し、なかなか寝られなかった。

5.発展支えた功労者
 グレートスレーブ湖をはじめとした大小無数の湖や川に囲まれたイエローナイフは、1960年にハイウエーでつながるまで主要な町と隔絶した陸の孤島だった。そんなイエローナイフの発展を支えたのが草原や凍った湖面、水上といった滑走路のないさまざまな場所に季節を問わず離着陸できる操縦技術を持った「ブッシュパイロット」と小型プロペラ機「ブッシュプレーン」だ。
 「ブッシュパイロットはしばしば極寒と危険な離着陸環境に遭遇しながら、乗客や郵便物、物資を人里離れた地に運び、カナダ北部の経済発展と公共サービスの提供に重要な役割を担った」
 イエローナイフの旧市街にある、町を一望できる小高い丘の上に立つ展望台の碑には、ブッシュパイロットの功績を称える文字が刻まれている。誘導灯がなかった当時、この丘がイエローナイフを目指して飛んだブッシュパイロットの目印だった。
 イエローナイフと北部にある先住民の村、ワチ、ガメティ、ウェクウェッティを結ぶ定期便を運航しているエア・ティンディ社をイエローナイフ空港に訪ねた。
 エア・ティンディは、遠隔地に急病人が出た場合に出動する5機の小型機を含め20機を保有している。駐機場では職員が3人がかりで単発プロペラ機の乗降口から冷蔵庫を横倒しにして機内に押し込んでいる。こんな大きなものが入るのかと思うようなサイズだ。
 「冷蔵庫のメーカーは横倒しの運搬を推奨していないけど、使う前にしばらく真っ直ぐに立てていれば大丈夫さ」
 かつて自らも操縦桿を握っていたマネジャーのボブ・シュヌアが笑う。
 冬は凍った湖や川にアイスロードができ、先住民の村と都市を車で移動する人が増える。だが、氷が解けてアイスロードが消滅すれば、食料品など生活必需品を運ぶブッシュプレーンの存在感は大きくなる。
 「自分がすべきことをしているだけ。でも道のない村を結ぶブッシュプレーンの運航会社として責任の重さを感じる」
 ボブはちょっと照れくさそうな顔をしながら、得意げに話した。
 駐機場で翼を休めている年季の入った一機が目に入った。ブッシュパイロットの信頼が厚い名機「ツインオッター」だ。デ・ハビランド・カナダ社が開発した双発のプロペラ機で1965年に初飛行。滑走路がない場所でも短距離で離着陸できる。目の前の機体には、タイヤとそりが一体化した着陸装置が付いている。
 「近くまで乗っていくかい?」
 ツインオッターをじっくり観察していると、一人の男性に誘われた。
 マイク・マーフィー。ブッシュパイロット歴25年のベテランだ。
 無賃搭乗でいいのか尋ねてみた。
 「乗りなよ。旧市街までのちょっとだけどな」
 後部から乗り込む。ジュラルミンむき出しの機内に燃料の臭いが充満している。シートは簡素な折りたたみ式。19人乗りだ。客室から機長のマイクと若い副操縦士が慣れた手つきで年代を感じさせる計器盤を操作しているのが見える。手動操作が多く、クラシック飛行機といった趣だ。
 2基のエンジンが煙を吐いて始動する。マイクが右手で操縦席の天井にある2つのスロットルレバーを同時に前方へ押し出すと、ツインオッターはゆっくりと動き出した。
 滑走路まで来た。マイクの右手に副操縦士が左手を重ね、レバーをさらに前へ倒す。離陸だ。
 「ブオーン」とプロペラがごう音を立てる。エンジンの振動が大きくなって走り出したと思った次の瞬間、ツインオッターはふわっと浮かび上がった。離陸時に強い加速で体が座席に押し付けられるジェット機とは異なる感覚だ。飛び上がった機体はすぐに右旋回。イエローナイフのこじんまりした街並みがすぐ下に広がる。
 5分ほどの短いフライトの後、ツインオッターはブッシュパイロットの碑に程近い凍ったグレートスレーブ湖に滑るように着陸した。氷上の駐機場となったここで次のフライトに備えるのだ。
 雪原や雪がかぶった氷上の着陸は、機体がどこまで雪に沈むかが分からず、緊張すると話すマイク。
 「飛ぶ場所が決まっている定期便パイロットの技能は幼稚園生。チャーター便をツインオッターで飛ぶ俺はマスター(修士号)取得者だね」
 屈託のない笑顔に、飛ぶことが大好きなブッシュパイロットのプロ根性が浮かんでいた。
http://www.jiji.com/jc/v4?id=201603canada-northwest0001

景勝地・阿里山のホタル、4月から6月が見頃 近隣地域でイベント/台湾

2016-03-31 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2016/03/30 11:40

阿里山国家森林遊楽区提供
(嘉義 30日 中央社)中南部にある景勝地の阿里山は、毎年4月から6月にホタル観賞の見頃を迎える。近隣の各地域では、30日から各種のイベントを実施し、ホタルのシーズンを盛り上げる。
阿里山国家森林遊楽区の西側に位置する「若蘭生態保育区」では30日に観賞期の幕開けを祝う式典と茶会を開催。ガイド付き観賞ツアーなどを行う。
遊楽区周辺の円譚ツーリストセンターや頂笨仔遊憩区、台湾原住民(先住民)のツォウ族が居住する里佳でも、4月上旬から5月末まで観賞イベントを実施する。
(黄国芳/編集:名切千絵)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201603300003.aspx

甘いごちそう

2016-03-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2016年03月30日
 ここ数日、日中の気温も高く暖かな日が続いている。森の植物たちも眠りから覚めて活動を始めた。春に目覚めを迎える植物で一番わかりやすいのは、イタヤカエデだ。アイヌ語でトペンニと呼ばれ、「甘い樹」という意味がある。幾世代も前の先人たちは、この樹の樹液を採取し煮詰めてシロップ状のものや飴状のものを作ったと言われている。まだ植物たちが眠りについている真冬の頃、嵐でイタヤカエデの枝や幹に傷がついていると、春の目覚めとともに糖分を含んだ樹液が傷口から溢れてくる。ポタポタと流れ落ちる樹液は、透明でとても美しい。

「イタヤカエデの枝先から溢れる樹液」
 この甘い樹液は、食べ物のまだ少ない春先に動物たちにとって大切な食べ物となる。特に野鳥やリスたちが集まってくる。今日、やってきていたのはエゾリスだった。枝の上で、流れ落ちてくる樹液をペロペロと舐めとっていた。よほどおいしいのだろう、私がそばにいることもお構いなしで舐め続けている。5分くらいは舐めていただろうか。1頭が終わると、また次の1頭がやってくる。春のイタヤカエデは人気の食事場所となっていた。
http://blog.hokkaido-np.co.jp/shiretoko/2016/03/post-87.html

日帰り入浴150円 定山渓源泉発見150年で

2016-03-31 | アイヌ民族関連
産経ニュース-2016.3.30

 「札幌の奥座敷」と呼ばれる定山渓温泉(札幌市南区)の源泉発見から150年を迎えたことを記念し、地元の定山渓観光協会は、協会加盟の温泉旅館やホテルで利用できる日帰り入浴券を、150円で販売する。.
 協会によると、定山渓温泉は1866年、修験僧美泉定山がアイヌ民族の案内で源泉を見つけたのが始まりとされる。.
 日帰り入浴券は、温泉街にある定山渓観光案内所で、5、7、9、11月の1~15日に枚数限定で販売。150周年にちなみ、券を購入した月の15日に限り、協会加盟の温泉旅館やホテル計17施設のうち1施設で1回のみ利用できる。.
 また年末まで、協会加盟の宿泊施設に張ったポスターのクイズに正解すると、抽選でペア150組300人に無料宿泊券が当たるプレゼントも実施する。.
 定山渓観光協会は「この機会に全国の皆さんに、定山渓の湯を楽しんでほしい」としている。.
http://www.sankei.com/photo/daily/news/160330/dly1603300008-n1.html

アイヌ民族遺骨 元の場所に戻す努力を

2016-03-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/30 08:50
 北大が日高管内浦河町のアイヌ民族の墓から遺骨を研究目的で持ち去ったとして、アイヌ民族の5人が返還などを求めていた訴訟で、和解が成立した。
 生活最小単位であるコタン(集落)を継承するため、原告側が設立した「コタンの会」が返還を受け、墓地に再埋葬し管理を担う。
 身元不明の遺骨もあり、それも含めて返還に道筋がついたことは評価したい。
 紋別市や十勝管内浦幌町で掘り出された遺骨についても訴訟が進行中で、原告側は同様の枠組みで和解を目指すという。
 ただ、北大をはじめ全国12大学には現在、1600体を超える民族の遺骨が保管され、その多くが身元不明とされている。
 各大学は今後、訴訟がなくとも、関係者の希望がある限り意を尽くして返還の道を探るべきだ。
 和解で大きかったのは「コタンの会」が受け皿となったことだ。
 北大は、原告の親族と確認できた1体と身元不明の11体を近々、同会に引き渡す。身元特定が可能な4体は1年間情報公開し、それが過ぎても子孫などが名乗り出なければ、同会に託す。
 問題は、和解に「(遺骨の返還後に)第三者と紛争が生じた場合は『コタンの会』が解決し、北大に一切迷惑をかけない」との条項が盛りこまれたことだ。
 再埋葬後の事後処理を、受け入れ先の責任に帰すことには疑問が残る。
 遺骨返還では今後、今回の「コタンの会」のような受け皿づくりも重要になってくるだろう。
 北大は、遺骨がかつてあった地域と協議し、元の埋葬地に戻す努力をもっと重ねてほしい。
 大学に保管されているアイヌ民族の遺骨は、身元を特定できた場合は遺族に返すが、大半は胆振管内白老町にできる「民族共生の象徴となる空間」(象徴空間)の慰霊施設に集約される見通しだ。
 しかし、遺骨は本来あった埋葬地に戻すのが筋だ。
 当面、施設に集約するにしても、あくまで遺族や地域への返還を基本とするべきである。
 遺骨が保管されている12大学のうち、北大以外では保管状況がほとんど公表されていない現実にも目を向けなければならない。
 今回の和解を契機に、他大学も遺骨の保管状況についての調査と公表に力を入れる必要がある。
 元の場所に返還できる遺骨を少しでも増やすため、政府にも支援を求めたい。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/editorial/2-0052671.html

マンガ大賞2016:大賞作「ゴールデンカムイ」作者・野田サトルさんが語る 「祖父は日露戦争の屯田兵」

2016-03-30 | アイヌ民族関連
MANTANWEB(まんたんウェブ)‎ 2016年03月30日
 マンガに精通する書店員らがその年の一番面白いマンガを選ぶ「マンガ大賞2016」の授賞式が29日、東京都内で開かれ、大賞を受賞した「ゴールデンカムイ」の作者・野田サトルさんが式に出席した。野田さんは、「ゴールデンカムイ」の主人公が日露戦争で戦った元兵士という設定になったことについて、「祖父が日露戦争の203高地で戦った屯田兵だったから」と祖父がモデルになっていたことを明かした。
 大賞受賞について野田さんは、マンガ大賞で2位となり、「このマンガがすごい! 2016」(宝島社)オトコ編で第1位になるなど、高評価を受けた九井諒子さんの「ダンジョン飯」を例に出し、「『ダンジョン飯』に勝ててうれしい」と喜びを表現して会場を沸かせた。また猟師と同行して鹿の脳ミソや生レバーを食べたエピソードを紹介しながら、迫力満点の作品作りについて「文献を調べるよりも本物の猟師に会って一言もらうほうが大きい」と持論を語った。
 会見でのおもなやり取りは以下の通り。
 --「ゴールデンカムイ」の誕生のきっかけは。
 祖父が(日露戦争の)203高地で戦った屯田兵だった。そして(担当編集の)大熊さんが「面白い」と持ってきてくれたのが、北海道を舞台にした熊谷達也さんの小説「銀狼王」で、それが面白くて二つをくっつけた。北海道を描くならアイヌは必然だから、案内役を少女にしようとした。
 --狩猟は体験したのか。
 アイヌの血を引く猟師に付いていき、鹿を撃って脳ミソを食べさせてもらった。ただ猟師から「脳ミソは食(く)わないよ、さすがに」と笑って言われたことがある。また生レバーも食べたがシャキシャキしていて、グミのようだった。文献を調べるよりも本物の猟師に会って一言もらうほうが大きい。
 --マンガ家を志したきっかけは。
 宙ぶらりんで何もすることがなくて。20歳すぎてマンガを描いてみようと思いました。それまではニートに近い生活を送っていた。
 --マンガは計算して描いているか? それともキャラクターが動いたりするのか。
 綱渡りみたいな感じで、結構自由にかいている。もちろん骨組みはあるけれど、話の肉付けは自由にしている。なるべく読者の予想を裏切ろうと思っている。
 --アイヌ文化の考証などで苦労したのは?
 取材ですね。(マンガの執筆は)おっかなびっくりだが、アイヌ文化は特に気を使っているし、腹を決めて描いている。徹底的に取材して、アイヌのことを丁寧に詳細に描くことで、(関係者から)「本気だ」と思ってもらえている。だから温かく見守ってもらえているのだと思う。
 --最初に大賞の受賞を報告した人は?
 父親。ずっと応援してくれたので。
 --「ゴールデンカムイ」のマンガのジャンルは?
 恋愛マンガ(笑い)。狩猟が最初にきているので、狩猟マンガかも。取って、食べて、毛皮や骨を活用している。それをマンガで見せられたらいい。季節が変われば、夏は海ガメ……というように採れるもの、生息区域が違う。いい配分でみせたい。
 --アニメ化の話は来ているか?
 やれる……のでしょうか? もう一つ言えば、アイヌの言葉は、音声にすると難しいですよ。
http://mantan-web.jp/2016/03/30/20160329dog00m200031000c.html

マンガ大賞 「ゴールデンカムイ」に

2016-03-30 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年3月30日 東京朝刊
 書店員や漫画ファンらが昨年1年間に発売された漫画から最も薦めたい作品を選ぶ「マンガ大賞2016」は29日、野田サトルさんの「ゴールデンカムイ」に決まった。
 物語は、明治時代の北海道が舞台。日露戦争から戻った元兵士の杉元が、アイヌから奪われた埋蔵金の手掛かりを見つけ、アイヌの少女とともに金塊を探し求める。
 作品は「週刊ヤングジャンプ」(集英社)に、2014年から連載中。
http://mainichi.jp/articles/20160330/ddm/012/040/107000c

「ゴールデンカムイ」マンガ大賞 北広島出身・野田サトルさん作

2016-03-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/29 18:59、03/30 02:51 更新
 書店員や漫画好きが最も薦めたい作品を選ぶ「マンガ大賞2016」の発表会が29日、東京都内で開かれ、野田サトルさん=北広島市出身=の「ゴールデンカムイ」(集英社)が大賞に選ばれた。
 受賞作は、日露戦争の帰還兵が北海道でアイヌ民族の少女と金塊を探す冒険物語。週刊ヤングジャンプに連載中で、単行本は6巻発売されている。
 野田さんは03年にデビューし、現在は東京都内で暮らしている。受賞作の主人公は曽祖父がモデルで、道内の狩猟やアイヌ文化について丹念に取材したという。黒いスーツ姿で授賞式に現れた野田さんは「ずっと書きたかった作品です。やったよ!」と満面の笑みを浮かべた。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0252734.html