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フードバンク 相次ぐ支援要請 コロナで困窮世帯増 ニーズ高まる 課題は食品、人員の確保/行政の関わりも必要

2020-05-31 | アイヌ民族関連

北海道新聞 05/31 11:13
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、まだ食べられるのに余った食品を困窮世帯に届ける道内のフードバンク団体がフル回転している。生活苦に陥った人たちからの支援要請が相次いでいるためだ。運営団体の多くは寄付金が財源で、ニーズが高まるほど資金繰りを圧迫する。インターネット上で資金を募るクラウドファンディングを始めた団体もあるが、食品や人員確保が課題となっている。
 「助かります」。NPO法人ハンズハーベスト北海道(札幌市中央区)が運営するフードバンクの事務所で、23日に開かれた就学援助受給家庭対象の食品配布会。米5キロやレトルトカレーなどが詰まった紙袋を受け取った40代女性が頭を下げた。
 小学5年の息子と就学援助を受けて暮らす女性は、正社員採用が内定していた転職先の会社が感染拡大の打撃を受け、3カ月間の契約社員で雇用された。会社から「期限になったら社員にする」と言われたが、口約束のため雇い止めの不安の中で働いているという。
■助けを求め殺到
 食品配布会は2日間開かれ、昨年の2倍の約100世帯が訪れた。日ごろは母子家庭20世帯に毎月、食品を提供しているが、感染が広がった3月以降、解雇や給与未払いになった人たちから支援を懇願され、十数人に食品を渡した。
 国の緊急事態宣言は25日に解除されたが、小山邦子代表(82)は「10万円の特別定額給付金が支給されて改善されるかもしれないが影響は続くだろう。食品の在庫は限りがあるが、困っている人を見捨てられない」と相談電話に対応する。
 食品の確保は、各団体共通の課題だ。NPO法人フードバンクイコロさっぽろ(東区)は毎月、母子家庭10世帯に1週間分の食品を送ってきたが、感染拡大で助けを求める母親が殺到。5月は100世帯余りに食品を送り、米が足りなくなった。
 フードバンク札幌(北区)でも、5月は前年同月の2倍に当たる100世帯余りに食品を渡した。仕事を失った在留外国人もいた。企業から食品の提供が相次ぎ、4~5月は17トンを受け取ったが、運営するNPO法人札幌市福祉生活支援センターは福祉施設の運営が本業のため、収益のないバンク活動に専任者は置けず、職員3人が本業の傍ら食品の受け渡しを担っている。
■資金集めに奔走
 資金集めに奔走する団体もある。NPO法人ワーカーズコープ室蘭事務所が運営するフードバンクいぶりは、困窮家庭の子供200人に食品を送ろうと、18日にクラウドファンディングを始めた。配送費が不足しているためで、6月26日までに百万円を集めるのが目標。
 いぶりは3~4月、前年同期の2・6倍の154世帯に食品を提供した。多くは母子家庭だ。自宅待機が続いた洞爺湖温泉の宿泊施設で働くパート女性や、開業が延期された胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」でパート勤務が内定していた女性からも助けを求められた。休業補償などの支援制度を活用しても、生活に十分な額ではないという。運営責任者の木内卓(たかし)さん(63)は「助けが届いていない家庭がまだある」と協力を呼びかける。
 フードバンクの需要は全国的に高まっており、中央共同募金会(東京)は18日、活動助成金を創設。自治体の補助金の対象となる場合もあるが、道内のバンク関係者は「提出書類が複雑で手が回らない」と漏らす。全国フードバンク推進協議会(東京)の米山広明事務局長(36)は「行政も主体的にバンクの運営に関わり、地域ぐるみで活動が安定する仕組みを作ることが必要」と訴える。(佐竹直子)
<ことば>フードバンク 安全に食べられるのに包装の破損や過剰な在庫などを理由に流通されない食品を企業や生産者から譲り受け、困窮世帯や福祉団体に無償で提供する活動。1960年代に米国で、食品が無駄に廃棄される「食品ロス」の削減と貧困対策をつなげるため始まった。日本では2000年以降、広がった。国が昨年10月に施行した食品ロス削減推進法は、自治体にフードバンク活動への支援や連携を求めている。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/426014

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アイヌの誇り、短歌に重ねて 室蘭・港の文学館でバチェラー八重子展

2020-05-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/31 05:00
 室蘭出身で北海道を代表する社会派写真家、故掛川源一郎さんが、アイヌ民族の女性歌人、故バチェラー八重子さんを写した作品などの企画展が室蘭市港の文学館(海岸町)で開かれている。アイヌ民族の誇りを歌い上げた八重子さんの短歌も展示され、掛川さんが心ひかれた八重子さんの生き方を伝えている。
■写真家 故・掛川さん、晩年追い撮影
 企画展は「コタンのマリア・バチラー八重子」。今年、白老町に民族共生象徴空間(ウポポイ)が開設されるのを記念し、室蘭文学館の会などが開催した。新型コロナウイルスの影響で休館していたが、28日から再開した。
 掛川さん(1913~2007年)は戦後、伊達高の教員として勤務するかたわら、貧しい漁村や開拓農家の暮らし、アイヌ民族などを取材。八重子さん(1884~1962年)は現在の伊達市有珠地区で生まれ、英国人宣教師ジョン・バチェラー博士夫妻の養女となった。短歌をこよなく愛し、子どもたちを集めて日曜学校を開くなど教育向上に取り組んでいたという。
 掛川さんは八重子さんの人柄にひかれ、晩年の姿を追い続けた。企画展は掛川さんの写真12点を八重子さんの短歌とともに展示。「ウタリの子どもたち」「わが同族」など四つのテーマに分けて紹介している。笑顔でカメラを見つめる八重子さんの生き生きとした表情が印象的だ。
 1964年発刊の掛川さんの写真集「若きウタリに」の資料も展示。同館の小林正明館長(73)は「明治から昭和にかけて、差別の中で力強く生きたアイヌ民族の女性がいることを知ってほしい」と話している。
 年末まで。無料。月曜定休。午前10時~午後5時。(渡辺愛梨、久保耕平)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/425905


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京に広く息づくアイヌ文化 北原モコットゥナシ氏

2020-05-30 | アイヌ民族関連
京都新聞2020年5月29日 12:00

きたはら・もこっとぅなし 1976年生まれ。アイヌ宗教文化、アイヌ語、口承文芸を当事者の立場から研究。アイヌ民族博物館などを経て現職。漫画「ゴールデンカムイ」監修。著書に「アイヌの祭具イナウの研究」など。
 アイヌ民族を描いた漫画がヒットし、これまでアイヌに関心のなかった人にも認知されるようになった。人気の理由は、ひとつには作中に描かれるアイヌ語や工芸、食などから漂う「異世界」の雰囲気か。
 アイヌとの接点は、そうした異世界的な装いではなく、何気ない風情で京都の生活の中にもある。例えば昆布やにしんそば。近世の北海道では昆布やニシンが豊富に採れ、日本海航路を経て京都の食文化に加わった。ニシンを煮立てて圧搾し油をとった搾りかすは、良質の肥料となり畿内の綿花栽培を促進した。流通した木綿はアイヌのもとへ至り、アイヌの服飾文化をより豊かにした。
 アイヌの衣服といえば、樹皮の繊維を織ったアットゥシがある。これら自然布による衣服は各地にあり、京都の藤布(ふじふ)や岡山の葛布(くずふ)もこれにあたる。衽(おくみ)がない捩(もじ)り袖の仕立てはアイヌ・和人双方に共通するが、アイヌは袖や裾などに装飾をする。
 漁場労働や海運に従事した和人も愛用し、国元へ持ち帰られると、異国情緒漂う物として珍しがられた。衣服に絡めれば、祇園祭の山鉾の装飾に用いられた中国製の絹衣も、アイヌを介してもたらされた。
 古い話ばかりではない。1934年に京都競馬倶楽部(くらぶ)で騎手となり、調教師として80年代まで名馬を育てた小川佐助は、北海道浦河町出身。北海道アイヌ協会(後にウタリ協会に改称し再度アイヌ協会に改称)の常務理事でもあった。忘れられないのは、2003年に亡くなったチュプチセコル氏。山科区で駄菓子屋を営みつつメディアによるアイヌ表象の差別性を研究・発信していた。
 戦前からの映画や漫画、ゲーム等はしばしばアイヌを描いてきた。歴史を通じてアイヌと和人は地続きの世界に暮らしてきたし、明治以降は同じ国の国民として歩んできた。
 ではメディアは、同じ日本に暮らす市民として、共同で文化を育んだか。作り手はもっぱら和人、彼らはアイヌを一貫して他者と位置づけ、時局の求めに応じ「愛すべき、しかし悲しき自然児」として消費してきた。作中のアイヌも、現実でそれを享受するアイヌも日本社会からはまともに遇されず、ある者は和人の期待に応え、ある者は反発して「自然児たるアイヌ」は消滅したと叫んできた。アイヌにそうした反応を強いながら、まるで無自覚なメディアの姿勢を、同氏は鋭く指摘したのだ。
 今年、国策で北海道に民族共生象徴空間施設(愛称ウポポイ)が開業する。共生実現が使命のこの施設では、和人は単なる異文化体験ではなく、ふれあいを通じ、自らを省みることが求められる。(北海道大アイヌ・先住民研究センター准教授)
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/261099

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白老の自然・アイヌの魅力を発信

2020-05-30 | アイヌ民族関連
NHK 05月29日 18時55分

胆振の白老町では、民族共生象徴空間=ウポポイがオープンする予定です。これに合わせて白老の豊かな自然やアイヌ文化を発信しようと取り組む人たちをご紹介します。室蘭放送局の石川晴香リポーターが取材しました。
【町のあちこちにアイヌ文様】
JR白老駅を降りると、自動販売機やポストなどが目につきます。
ウポポイが開業する日に運行開始のバスもアイヌ文様が描かれ、町の至る所でアイヌ文様が出迎えてくれます。
【ウポポイ開業を待ち望む人たち】
白老町で障害者の就労を支援している施設では、アイヌ料理を提供する店をウポポイに出店する予定です。
白老産の鮭と野菜が入ったアイヌ伝統のオハウなど、メニューの準備を進めています。取材した日は、配膳のしかたなどを繰り返し練習し、店のオープンに備えていました。
店長の田湯美那子さんは「ウポポイという場所もいろんな人との共生をうたっている場所なので、世界中でアピールできるような場所として私たちも参加できるといいなと考えています」と話していました。
【白老の豊かな自然を体験】
ウポポイの裏に位置する「ポロトの森キャンプ場」では、白老の自然を体験できるさまざまなプログラムを用意しています。
「森歩き」や「まき割り・たき火調理体験」、「木工クラフト」などを体験できます。
ガイドを務める手塚日南人さんは、東京出身の24歳。2年前に町の地域おこし活動に参加するため白老に移住しました。
手塚さんは「ふだんあまり触れない地面や木などに触れることを切り口に、その地形の成り立ちや昔から伝わってきたアイヌの伝承などが無理なくお客さんに伝わっていったらいいなと思います」と話していました。
【音楽でも地域の魅力を発信】
手塚さんは音楽を通しても白老の魅力を広く伝えようと活動しています。アイヌ語によるオリジナル曲も作りました。
作詞を担当し、みずからもアイヌにルーツを持つ田村直美さんは「アイヌ語はひと言ひと言にすごく深い意味がある。アイヌ語をもっと知ってもらうには歌がいいなと考えていました」と話していました。
作った歌はこれまでに6曲。新型コロナウイルスの影響でライブができない今は、ネット配信で歌を届けています。
手塚さんは「一番伝えたいのは、一人ひとりが自分らしく生きるということ。白老は多文化共生をうたってきたので、自分らしさを尊重していく文化がこれから芽生えていくと思っています。映像や音楽といったダイレクトに思いを伝えていく媒体にもっと力をいれて、白老や白老に関わってくれている人たちの魅力の発信につなげていきたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20200529/7000021587.html

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「夕飯はいつもオハウでした」宇梶剛士が明かす“アイヌ民族出身の母から教わったこと”

2020-05-30 | アイヌ民族関連
文春オンライン 5/29(金) 17:00配信

 アイヌ文化への関心が高まるなか、北海道・白老町に「ウポポイ 民族共生象徴空間(国立アイヌ民族博物館)」がオープンする。今年直木賞を受賞した『 熱源 』で、19世紀末から20世紀にかけての厳しい時代を生き抜いたアイヌの人々を描いた川越宗一さんと俳優の宇梶剛士さんがアイヌ文化の魅力について語り合った。
 宇梶さんは、生まれ育ちは東京ながら、アイヌ民族出身の母・静江さんを通して幼い頃からアイヌ文化に触れてきた。
 それはいい思い出ばかりではないという。
晩ごはんは「アイヌの伝統食」だった
宇梶 家にアイヌの着物が掛けてあったり、アイヌ文様の漆器があったりと、身のまわりにアイヌ文化がありましたけれど、僕自身はアイヌとしては育っていませんから、同級生たちと違うところは変だなと思っていました。
川越 同級生たちと違う?
宇梶 たとえば、晩ごはんですね。友だちの家ではお母さんがハンバーグとかカレーライスとか子どもが好きな料理を作ってくれるでしょう。ところが、うちの食事はいつもオハウ(アイヌの伝統食、三平汁の起源とも言われる)でした。鮭や野菜などを煮込んだ温かい汁ものです。だから僕は、50歳近くになるまで鍋が嫌いだったんですね。鍋の味は好きなんですけど、あの頃を思い出すから食欲が出ない。「どうして僕だけカレーやハンバーグを食べられないんだ」という気持ちが蘇るというか……。
川越 食べ物の恨みは怖いですね(笑)。
宇梶 僕は意識しなくても、生活習慣のなかにアイヌ文化はありました。「こんにちは」はアイヌの言葉で「イランカラプテ」といいますけど、「あなたの魂にそっと触れさせてください」という意味です。いつも話している「こんにちは」がアイヌでは「魂に触れる」なんだと、無意識にアイヌの精神みたいなものに親しんでいたように思います。
 母は、僕が火をまたいだり、川にゴミを捨てたりするとものすごく怒りました。これもアイヌの教えです。よく叩かれながら「そんなこと学校で習ってないよ」と反発する気持ちはもっていました。
「ここで撃たれるか、北海道で働くか」
 そんな宇梶さんも年齢を重ねるにつれて、自分のルーツについて関心が強まったという。昨年、アイヌの地を舞台にした「永遠ノ矢=トワノアイ」で脚本と演出を手がけたのもその1つ。ウポポイではPRアンバサダー(宣伝大使)を務め、プロモーション映像に自前の民族衣装を着て登場している。
『熱源』と同様、明治期のアイヌが登場する漫画『ゴールデンカムイ』は、ふたりとも愛読者。その話題で盛り上がるなか、宇梶さんは「グレて」いた、若い頃の仰天エピソードも披露した。
宇梶 あの漫画を読んで思い出したことがあるんです。僕が高校時代にグレていたとき、浦川治造という母の弟に北海道へ連れて行かれました。テレビではお話しできないことですが、この叔父さんは狩猟もしていて、そのときに「アイヌは人に迷惑をかけない。ここで撃たれるか、北海道で働くか、選ばせてやる」と言われたんです。その言い方が『ゴールデンカムイ』のアイヌの少女とそっくりだなと思ってね。昔の西部劇でよく見た「インディアン、嘘つかない」も一緒だなと。
 宇梶さんを叱りつけた叔父の浦川氏は東京アイヌ協会名誉会長を務め、アイヌの長老として知られる著名な存在だ。
 それぞれの立場でアイヌ文化の魅力を語り合った宇梶さんと川越さん。その対談「 知れば知るほどアイヌは凄い 」は、「文藝春秋」6月号及び「文藝春秋digital」に掲載されている。演劇と小説の違いはあっても、アイヌ文化を伝えていくには、人々をよろこばせる「楽しさ、面白さ」が大切という思いは共通していた。
※「文藝春秋」編集部は、ツイッターで記事の配信・情報発信を行っています。 @gekkan_bunshun のフォローをお願いします。
※音声メディア・Voicyで「 文藝春秋channel 」も放送中! 作家や編集者が「書けなかった話」などを語っています。こちらもフォローをお願いします。
「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年6月号
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a006d70d37c1dddd9ec0bbef38e5754e96a1062

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世界で注目されるアイヌの木彫り作家、新たな"カムイ"に挑む『情熱大陸』

2020-05-30 | アイヌ民族関連
トレンドニュース 2020/5/29 17:16
いま先住民アイヌが注目を集めている。いわゆる「アイヌ新法」の成立だけでなく、直木賞受賞作『熱源』や漫画『ゴールデンカムイ』により、多くの人がその文化の多様さや親しみやすさ、そして自然との共存を模索するその精神性に魅せられている。

北海道、日高地方平取町に位置する二風谷でコツコツと木を彫り続ける貝澤徹はそんなアイヌの歴史を継ぐ一人だ。家業として子熊の世話と典型的な土産物の制作に励んでいた貝澤の人生は、曽祖父ウトレントクの作品や、アメリカンポリス姿とハーレイ・ダヴィッドソンで貝澤の前に現れた木彫家・藤戸竹喜ら、独創的な先人との出会いを機に変化し始める。
以降、それまで正面から取り組むことのなかった自らのアイデンティティと向き合い始めた貝澤は、伝統工芸技術を駆使しつつ民族や故郷に対する愛着と葛藤を現代的な感性で表現する、伝統と革新のハイブリッドな表現者へと進化してきた。技術的洗練と精神性の融合から生まれたその作品群は、今や大英博物館だけでなく、カナダ、スコットランド、アメリカなど世界各地で人々を魅了している。
しかしながら、マイケル・ジャクソンやクイーン、イーグルスを愛し、冗談好きな貝澤は、
「僕、アイヌ語わからないんです」と人懐っこい笑顔と独特の笑い声を上げながら、あっけらかんと言う。アイヌが食した「いなきび」の調理方法も、詳しくはよく分からない。貝澤にとって、「アイヌ」は、家族の歴史と生活の一部でありながら、その複雑な歴史の中で完全な形では伝えられてこなかった「自分の中に潜む他者」でもある。だからこそ貝澤は、この現代においてアイヌとは何なのかと問い続け、その迷いと葛藤が人の心を揺さぶるのだろう。
今回、北海道白老町にて2020年春にオープンが予定されていた「ウポポイ(民族共生象徴空間)」に合わせ依頼された大作、火の神「アペフチカムイ」の像は、貝澤にとって初の人物造形への挑戦である。「いつになったら"アイヌ木彫家"じゃなく、(ただの)"木彫家"って呼ばれるんだろう」と呟(つぶや)く、一人のアイヌ(=人間)、貝澤徹の迷いと格闘の日々を追う。
■貝澤徹(かいざわ・とおる)
1958年、北海道平取町二風谷にて三人兄弟の長男として生まれる。
高校を卒業後に家業の木彫りを始め、アイヌの伝統的技法を取り入れながら、木彫りによってアイヌ民族としての現代的意識や葛藤を表現。
代表作『アイデンティティ』シリーズや『ウコウク/輪唱』では伝統工芸にとどまらない表現にも挑戦し、
2018年フクロウの卵からの孵化(ふか)を型取り、次世代への思いを託した『ケウトゥムカンナスイ/精神再び』が大英博物館に常設展示されるなど、今、国内外から大きな注目を浴びている。
テレビ放送後『情熱大陸』がGYAO!にて無料配信>>
(文/トレンドニュース編集部)
https://trendnews.yahoo.co.jp/archives/770194/

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情熱大陸 木彫家/貝澤徹 世界で注目されるアイヌの木彫り 新たな「カムイ」に挑む

2020-05-30 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2020年5月29日 16時54分(最終更新 5月29日 16時54分)
「情熱大陸」に登場する貝澤徹=MBS提供
 いま日本列島北部周辺の先住民族アイヌが注目を集めている。いわゆる「アイヌ新法」の成立だけでなく、直木賞受賞作「熱源」や漫画「ゴールデンカムイ」により、多くの人がその文化の多様さや親しみやすさ、そして自然との共存を模索するその精神性に魅せられている。そんなアイヌの歴史を継ぐ一人で、北海道・日高地方の平取町に位置する二風谷でコツコツと木を彫り続ける貝澤徹がドキュメンタリー番組「情熱大陸」(MBS製作著作/TBS系全国ネット、5月31日午後11時~)に登場する。
 家業として子熊の世話と典型的な土産物の制作に励んでいた貝澤の人生は、曽祖父ウトレントクの作品や、アメリカンポリス姿とハーレイ・ダヴィッドソンで貝澤の前に現れた木彫家・藤戸竹喜ら、独創的な先人との出会いを機に変化し始める。以降、それまで正面から取り組むことのなかった自らのアイデンティティーと向き合い始めた貝澤は、伝統工芸技術を駆使しつつ民族や故郷に対する愛着と葛藤を現代的な感性で表現する、伝統と革新のハイブリッドな表現者へと進化してきた。技術的洗練と精神性の融合から生まれたその作品群は、今や大英博物館だけでなく、カナダ、スコットランド、アメリカなど世界各地で人々を魅了している。
 しかしながら、マイケル・ジャクソンやクイーン、イーグルスを愛し、冗談好きな貝澤は、「僕、アイヌ語わからないんです」と人懐っこい笑顔と独特の笑い声を上げながら、あっけらかんと言う。アイヌが食した「いなきび」の調理方法も、詳しくはよく分からない。貝澤にとって、「アイヌ」は、家族の歴史と生活の一部でありながら、その複雑な歴史の中で完全な形では伝えられてこなかった「自分の中に潜む他者」でもある。だからこそ貝澤は、この現代においてアイヌとは何なのかと問い続け、その迷いと葛藤が人の心を揺さぶるのだろう。
 今回、北海道白老町にて2020年春にオープンが予定されていた「ウポポイ(民族共生象徴空間)」に合わせ依頼された大作、火の神「アペフチカムイ」の像は、貝澤にとって初の人物造形への挑戦である。「いつになったら“アイヌ木彫家”じゃなく、(ただの)“木彫家”って呼ばれるんだろう」と呟く、一人のアイヌ(=人間)、貝澤徹の迷いと格闘の日々を追う。
<プロフィル>貝澤徹(かいざわ・とおる) 1958年、北海道平取町二風谷で3人兄弟の長男として生まれる。高校を卒業後に家業の木彫りを始め、アイヌの伝統的技法を取り入れながら、木彫りによってアイヌ民族としての現代的意識や葛藤を表現。代表作「アイデンティティ」シリーズや「ウコウク/輪唱」では伝統工芸にとどまらない表現にも挑戦。2018年、フクロウの卵からの孵化を型取り、次世代への想いを託した「ケウトゥムカンナスイ/精神再び」が大英博物館に常設展示されるなど、今、国内外から大きな注目を浴びている。
https://mainichi.jp/articles/20200529/org/00m/200/008000c

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コロナ後 卓上四季

2020-05-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/30 05:00
貧しい娘が村長の妻の訃報を知るも持参する供物もない。すると萩が言う。妻が死んだのは行者ニンニクを根こそぎ採って行者ニンニクの神を殺したから。家の行者ニンニクを持って村長の家の南斜面へ行き、魂を返すと言ってまき散らしなさい。娘がその通りにすると妻は生き返った…▼アイヌ民族のウエペケレ(昔話)には教訓が入る。この話だと「山菜を採る時に根こそぎ採ってはいけません」▼アイヌ文化の伝承に尽力した萱野茂さんが自伝に記す。少年時代、祖母と山菜採りで野山を歩き、こんな昔話を何度も聞かされた。山を歩く時の心得から、魚を捕る時どうすれば神様に叱られないかまで自然観を育んだ▼謙虚さを忘れず、自然を神とあがめ乱獲を慎み「神=自然とアイヌ」の間には相互信頼が確立していたという。ウエペケレは、話を聞くことでお互いが清らかになるという意味だそう▼今回のコロナ禍の原因は人間が生態系を破壊し、森にすむ動物たちと近接した結果だとされる。つまり人間がウイルスを引っ張り出してしまったのだ▼胆振管内白老町の「民族共生象徴空間(ウポポイ)」はきのうの全面開業予定が再延期され、6月以降の部分開業を目指す。アイヌ民族がどうやって連綿と自然との関係性を築いてきたのか学びたい。コロナ後の新しい価値観を再構築するヒントは、私たちの最も身近なところにあるのだから。2020・5・30
◆ウエペケレのレは小さい字。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/425727

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阿寒湖温泉街「人戻って」 遊覧船、マリモセンター1日始動 関係者、観光客受け入れ準備

2020-05-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/30 05:00
土産物店が並ぶ阿寒湖温泉街。観光客はまばらだが、大半の店は営業を再開した=28日
【阿寒湖温泉】新型コロナウイルス感染の終息が見えない中、釧路市の観光地、阿寒湖温泉街が観光客の受け入れ準備を進めている。運航を見合わせていた遊覧船が約1カ月遅れの6月1日に始まる。同日にはマリモ展示観察センターが開館するほか、阿寒湖アイヌシアターイコロも再開。温泉街の人通りはまだまばらだが、関係者は「少しずつでもいい。人が戻ってくれれば」と願っている。
 湖岸と「マリモ展示観察センター」がある湖北部のチュウルイ島を結ぶ遊覧船は6月1日から通常より6便少ない1日4便で運航する。間隔を空けて席に座ってもらったり、定員を半数以下にしたりするなど感染防止策を徹底する。船を運航する阿寒観光汽船の担当者は「お客さんがどれくらい来るかはやってみないとわからず不安もある。通常運航ができる日が早く来てほしい」と祈る。
 阿寒湖アイヌシアターイコロの再開は約2カ月ぶりとなる。コンピューターグラフィックスとアイヌ古式舞踊などを融合した演目「ロストカムイ」の新バージョンなど平日は1日2公演を予定している。
 宿泊施設の営業状況はさまざまだ。通常通りの営業を続ける施設もあれば、7月に再開を目指す施設もある。ある宿泊施設の担当者は「例年の同時期に比べると今は宿泊客は1割ほどだが、緊急事態宣言が解除されてから徐々に増えている」という。
 NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構の山下晋一専務理事は「感染防止に最大限注意を払いながら、観光客を受け入れる準備を進めている。夏頃には『3密』を避けたイベントも企画している」と話す。(今井裕紀)
※「阿寒湖アイヌシアターイコロ」の「ロ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/425694

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アイヌ新法1年 民族参画の仕組み急務

2020-05-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/29 05:00
 アイヌ民族の誇りを尊重し、共生社会の実現を目指すアイヌ施策推進法施行から1年が過ぎた。
 法律に初めてアイヌ民族を「先住民族」と明記し、差別の禁止を盛り込んだ意義は大きい。
 ただ、今なお差別は解消されず、権利回復の議論も置き去りにされたままだ。
 国が創設したアイヌ政策推進交付金の関連事業を巡っても、アイヌ民族の意向が十分反映されていないとの批判が少なくない。
 「アイヌの人々の自発的意思の尊重」という基本理念の実現には程遠い。アイヌ民族が施策に主体的に参画できる仕組みの形成を急ぎ、不断の改善を図るべきだ。
 先住民族は単に「先に住んでいた人々」ではなく、独自の文化や言語を否定され、土地や資源を奪われるなど抑圧された人々を指す概念だ。明治政府は同化政策を進め、これらの権利を奪ってきた。
 差別禁止の明記は私たちが差別を根絶するという強い決意の表れだ。だが今なおヘイトスピーチ(憎悪表現)は後を絶たない。
 政府はアイヌ民族と共に差別の具体例や対策を考え、周知徹底するべきだ。加害の未然防止や被害の救済策も欠かせない。
 創設された交付金は、福祉、文化施策から地域振興を含めた総合施策に転換する狙いがある。
 2020年度は24市町に計15億6千万円が交付され、最大7億円まで追加決定もある。
 ただ、認定基準は曖昧だ。それゆえ、アイヌ文化の継承者を育てる事業が対象から外れ、観光色の濃い事業が認められるなど当事者から不満も出ている。
 各自治体はアイヌ民族が多数加わる審議会の設置や、アイヌ民族との協議の有無を交付金の審査基準にするなど対策が不可欠だ。
 法律の付帯決議は、07年に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」の趣旨を踏まえ、施策のさらなる検討に努めるよう求めた。
 国連宣言はサケなど自然資源の利用権や教育権、自治権などを含み、日本も賛成票を投じた。なのに、議論は進まず、国連人種差別撤廃委員会から権利を十分保障するよう勧告を受けている。
 胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」も間もなく開業する。
 これを機に、政府や道は権利回復の議論を始めるべきだ。私たち一人一人も理解を深め、より多様で誰もが生きやすい北海道を築かなければならない。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/425298

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ウポポイHP刷新 展示物や体験情報充実

2020-05-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/28 05:00
 【白老】アイヌ民族文化財団は、白老町に開業するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」のホームページ(HP)の内容を大幅に更新した。主要施設の国立アイヌ民族博物館の展示物や、ウポポイで体験できる刺しゅう、伝統楽器の演奏体験などのプログラムの情報を充実させた。
 施設の整備が進んだことから、施設内部や展示物の写真を増やした。アイヌ民族に伝わる神話を紹介するプロジェクションマッピング「カムイシンフォニア」のイメージ画像のほか、民族楽器の制作や木彫り、刺しゅうなどの体験プログラムの内容も写真入りで解説している。
 博物館のページでは展示される板綴舟(いたつづりぶね)(イタオマチプ)やアイヌ民具、民族衣装などの写真を新たに載せた。「調査・研究」ページには博物館のニュースレター「アヌアヌ」の創刊準備号を掲載し、今後は収蔵資料や図書のデータベースも公開予定だ。
 財団は「ウポポイには多くの人が楽しめる多彩なプログラムがあるので、開業までにHPを見ながらイメージを膨らませてほしい」としている。(斎藤佑樹)
★イタオマチプのプは小文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/424899

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<北の事始め 発祥の地あれこれ>木彫り熊 代表的な工芸品 二つの“ルーツ”

2020-05-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/28 05:00
 観光地などで木彫り熊を見掛けたことはありませんか? 北海道の代表的な工芸品である木彫り熊には二つのルーツがあるとされます。渡島管内八雲町と旭川市です。北海道観光が盛んになるのに伴って木彫り熊は定番の土産品となりました。
■八雲 人の動作まねて独自進化
 まず八雲町の木彫り熊の歴史から見てみましょう。
 八雲には1878年(明治11年)から、明治維新で職を失った尾張徳川家の旧家臣たちが移住しました。「約40年後の1921年(大正10年)に尾張徳川家19代当主の徳川義親が欧州を旅行し、翌年、スイスで見掛けた木彫り熊などの土産品を持ち帰りました。八雲の農民の冬の副業や趣味のある豊かな生活に役立つと考えたのです」。こう話すのは八雲町郷土資料館・木彫り熊資料館の大谷茂之学芸員(34)です。
 24年にスイスの木彫り熊を手本に第1号が八雲で作られました。10センチほどの手のひらサイズで、前足を乗り出したポーズや開いた口の中を赤く塗る意匠などがスイス製と似ています。
 28年(昭和3年)には八雲農民美術研究会が発足し、作品の制作と販売が盛んになります。スキー熊、水泳熊など人の動作をまねた姿が作られ、八雲独特の彫り方も考案されました。「日本画の手法を取り入れ、毛の流れや凹凸で筋肉の動きを表す彫り方や、毛を彫らずに木材をカットした面だけで熊を表現する彫り方です」と大谷さん。
 32年発行の写真誌「アサヒグラフ」に「北海道観光客の一番喜ぶ土産品は八雲の木彫熊」とあるほど有名になり、取引先は函館、札幌、室蘭、登別、旭川、釧路など道内のほか、東京や京都など本州の店や朝鮮の百貨店でも売られました。31年から44年までに少なくとも計6万7796個を販売しています。
 しかし戦争が激しくなる中、制作者は軍隊に取られるなどして減少。彫り続けたのは1人だけとなり、制作は「不要不急」であるとして「非国民」といわれたといいます。「戦後は少数の人で制作が続けられました。公民館での木彫り熊講座は71年から約30年開かれた後、休講していましたが、7年前から再開しています」と大谷さんは語ります。
■旭川 アイヌ民族が作り有名に
 次に旭川市の木彫り熊の歴史を見てみましょう。
 始まりに関する史料は少なく、26年(大正15年)にアイヌ民族の松井梅太郎が制作した木彫り熊により、その存在が広く知られるようになりました。北大大学院文学研究院の谷本晃久教授(50)は「アイヌ民族には熊など具象物を彫刻する伝統はなく、八雲の熊彫りに触発されたとみられます。それ以前に、アイヌ民族の儀礼用の冠にしつらえる熊の意匠と類似点が認められる作品がありますが、そうした伝統を自ら脱して独自の造形を考え出したのです」と説明します。
 34年(昭和9年)に「大雪山」と「阿寒」が国立公園に指定されるなど戦前の観光ブームが訪れると、制作と販売も拡大し、旭川の木彫り熊はアイヌ民族の木彫り熊として有名になりました。
 戦時中も複数の人が彫り続け、戦後になると観光地に出向いて実演販売するなど、旭川の流れをくむ木彫り熊が各地に広がりました。谷本さんは「熊彫りやアイヌ工芸品制作の中から、砂澤ビッキ氏や藤戸竹喜氏といった造形作家が輩出されたことは特筆すべき出来事」とみています。
 木彫り熊は、外来の文化と在来の文化が融合することで現在の形に発展しました。各地で木彫り熊の展示を手掛けた北大アイヌ・先住民研究センターの山崎幸治准教授(45)は、木彫り熊の歴史をたどりながら「異なる文化が出合う領域では、予想し得ない変化が起きる」と話しています。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/424871

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ブラジル、先住民族の感染者 1000人超える(動画)

2020-05-29 | アイヌ民族関連
TBS 5月28日 14時16分

 南米ブラジルの政府は、先住民の新型コロナウイルスの感染者が1000人を超えたと発表しました。
 ブラジルの保健省は27日、国内に住む先住民、416部族76万人の新型コロナウイルスの感染状況を発表しました。それによりますと、感染者は1005人、死者は44人でした。また、先住民の感染原因のおよそ85%が都市への外出や先住民のコミュニティに入る医療関係者への接近といった、外部との接触によるものです。
 ブラジル政府は、先住民の感染症対策として日本円で10億円を拠出し、今月、北西部アマゾナス州の病院に専門病棟を設立したほか、感染症について指導するため、地域の巡回もおこなっているとしています。JNNの取材に対し、保健省の担当者は「感染を避けることが不可能な状況だ。その中で、先住民への被害を最小限に食い止める対策をしている」と述べました。
 ブラジルでは新型コロナの感染拡大が続いていて、先住民の感染症については、民間の調査で死者はすでに100人以上、感染者は1300人という結果もあり、被害がさらに広がることが懸念されています。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3990252.html

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アイヌの小川さんがオンラインライブ 江差や松前とも親交

2020-05-29 | アイヌ民族関連
函館新聞 2020年5月29日 掲載
 【江差、松前】ToyToy屋の屋号で活動するアイヌミュージシャン、デザイナーの小川基さん(48)のオンラインライブ「今、聴きたい、アイヌの唄」(十勝さらべつ熱中小学校主催)が23日、十勝管内更別村の同校と札幌市の小川さんの自宅をオンラインで結び開催された。小川さんは、親交のある江差や松前を含む世界へ向けて、アイヌ伝統楽器を奏でた。
 同校は、大人のための社会塾として2017年4月に開校。世界的な新型コロナウイルス感染拡大を受け4月からの開講を見合わせていたが「コロナ禍でも人とのつながりを大切に。笑顔と喜びを届けたい」との思いでネットライブ開催を企画した。
 同校5期生の小川さんは、国内外14の系列校を含む各地の在校生などに向けて、動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」を介し、アイヌ伝統楽器トンコリとムックリを生演奏配信。ライブは約1時間で、ハワイや西オーストラリアなどからも含め507人が視聴した。
 ライブで小川さんは、昨年12月、松前を訪問した際に入手した孟宗竹でムックリを製作していることを報告。オンラインで視聴している在校生へ向けて、同感染症が終息した際には、400年近くの歴史と文化を学ぶ社会勉強として「松前町へ行きましょう」と呼びかけた。
 昨年2月、小川さんを招いてアイヌ文様の切り絵ワークショップを開催した江差町中歌町の万年屋書店、万年章子さん(59)は、書店事務所からライブを鑑賞。「トンコリの優しい音色が素晴らしかった。もっとたくさんの人に聞いてほしい」と話していた。
 同校事務局の亀井秀樹事務局長は「多くの人に支えられ開催できたことがうれしい」と話しており、ライブ配信した伝統楽器の音色は、ユーチューブチャンネル「ToyToy屋」に保存し配信している。(入江智一)
https://digital.hakoshin.jp/life/culture/62580

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『アバター2』テーマが判明、主人公ジェイクとナヴィ族ネイティリの「家族」の物語に

2020-05-29 | 先住民族関連
theriver 2020.5.29 7:15 Topic | Tv/Movie

2021年公開予定の巨匠ジェームズ・キャメロン監督による『アバター2(仮題)』は、前作の主人公ジェイク・サリーとナヴィ族のネイティリが築き上げる“家族”の物語となるという。本シリーズでプロデューサーを務めるジョン・ランドーが、米RNZにて続編に関する詳細を与えている。
第1作『アバター』(2009)は、3D映画人気の火付け役となり、世界的大ヒットを記録。現在、続編シリーズは第2作~第5作まで計4作品の公開が予定されている。続編の物語に関する正式な情報は出されていないが、『アバター2』では前作から数年後の世界を舞台に、地球人ジェイクと先住民族ナヴィのネイティリ、そして2人が授かった子どもたちを中心に描かれることが伝えられていた。続編4作品でプロデューサーに就任しているランドーによると、「サリー一家と家族が一緒にいるための物語」が描かれることになるのだという。
「ジェイクとネイティリは、この映画で家族を築きます。彼らは故郷を追い出されてしまい、(惑星)パンドラの違う地域を旅しなきゃいけないんです。その中で、彼らは水上や水辺、水中での時間も過ごすことになります。
観客はなぜこれまで以上にエンターテインメントを求めるのでしょうか。それは自分たちの世界や、生活でのプレッシャーから逃避するためなんだと思います。『アバター』では、『ロード・オブ・ザ・リング』でピーター・ジャクソン(監督)がやったように、素晴らしい登場人物たちがいる世界に逃避することができると思うんです。そういったことを楽しみにしています。」
『アバター』続編シリーズの撮影はニュージーランドにて行われていたが、新型コロナウイルスの影響により中断となっていた。しかし、2020年5月21日(現地時間)にランドーが翌週からの撮影再開を発表し、現在は同国政府のガイドラインに則りながら行われている模様だ。
キャストには、ジェイク役サム・ワーシントンやネイティリ役ゾーイ・サルダナ、マイルズ大佐役スティーブン・ラングらが続投。さらに、前作で死んでしまったグレース役のシガニー・ウィーバーも全く違う役どころで出演する。新キャストには、『タイタニック』(1997)でジェームズ監督とタッグを組んだケイト・ウィンスレット、『ワイルド・スピード』シリーズのヴィン・ディーゼル、ドラマ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」(1999-2007)で知られるイーディ・ファルコ、「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」(2015-)のクリフ・カーティス、ドラマ「TABOO」(2017-)のウーナ・チャップリンらが起用されている。
映画『アバター』続編シリーズは、第2作が2021年12月17日に、第3作が2023年12月22日に、第4作が2025年12月19日に、第5作が2027年12月17日に米国公開予定。
https://theriver.jp/avatar2-plot-detail/

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