先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

今週の本棚:堀江敏幸・評 『闇の奥』=辻原登・著

2010-05-31 | 先住民族関連
(毎日新聞 2010年5月30日 東京朝刊)
 (文藝春秋・1575円)
 ◇半身を追う宿命的冒険
 昭和二十年六月、ボルネオ島のジャングルの中で、ひとりの男が消息を絶った。三上隆、大正五年、和歌山県田辺生まれの冒険家である。当時、三上が強く惹(ひ)かれていたのは、台湾先住民族のあいだに残る小人伝説で、文献を博捜し、フィールドワークを重ねるにつれ、三上は先住民より前に、ネグリトと呼ばれる古矮小(わいしょう)民族が実在したのではないかと考えるようになる。
 姿を消す前、三上は中学時代の旧友村上三六(さぶろう)に、蝶(ちょう)を追っているうち小人の村にたどり着く夢を見たと手紙を書き送っていた。そして、戦後も生きているという噂(うわさ)が絶えなかったため、村上は、昭和三十年から昭和五十七年にかけて三度の捜索隊を組織し、友人がボルネオの奥深い集落に住み、現地の娘と結婚していたことを突き止める。ただしその妻を残して、ふたたび行方をくらましていたこともわかった。
 本書は、一九九六年、偶然三上隆の存在を知って興味を抱いた語り手が、その後の足取りを追う報告書であり、過去三度行われた捜索の、精緻(せいち)な再話の試みでもある。文献と捜索隊参加者の証言、及び聞き書きからなる物語の再構成が全体の三分の二を占め、残りが語り手自身の冒険譚(たん)となっている。
 注意すべきは、村上三六の名のなかに、三上の文字が含まれていることだ。つまり村上は三上の分身にほかならず、消えた半身を追うのは宿命だったかもしれないのである。とすれば、語り手がこの宿命を負っているのも当然だろう。なぜなら彼は村上三六の息子であり、しかも、語りをなりわいとする小説家だからである。
 三上はボルネオを去ったのち、チベットでラマ僧になっているという説があった。そこで語り手は、二〇〇九年、あらたな捜索隊を組織して、チベットに乗り込もうとする。しかし当時のチベットは政情不安で、とても奥地まで入り込むことができない。そこで考え出されたのが、なんと雲南省の松茸(まつたけ)狩りツアーに便乗し、途中で抜け出すという大胆な計画だった。
 ところで、本作はほぼ五年かけて少しずつ雑誌に発表されたものだが、初出時は「イタリアの秋の水仙」という麗しいタイトルが付されていた。この詩のような言葉の意味は作中で明かされているけれど、単行本化にあたり、著者はあえて『闇の奥』と改題することを選んだ。言うまでもなく、これはコンラッドが一八九九年に刊行した小説のタイトルであり、著者は明らかにその作品世界を意識している。
 コンラッドの『闇の奥』は、ロンドンのテムズ河に浮かぶ帆船で、語り手がマーロウという船乗りの思い出話に耳を傾け、それを転記する聞き書き形式をとっている。話の舞台はアフリカ大陸の奥地。マーロウは貿易会社の社員として現地に赴き、象牙を代表とする品々を現地の人間を使って調達していた、クルツというカリスマ的な男が瀕死(ひんし)の状態にあることを知る。三上の位置は、このクルツに相当するだろう。
 あえて古典とおなじタイトルを選んだのは、コンラッドに対する愛と敬意の表明ばかりではない。著者は距離を保った聞き書きの領域を抜け出し、語り手自身が主人公となる物語を最後に加えることで、先例を超えようとする。実際、須永という、じつはチベット出身の魅力的な女性医師が絡んでくることで、探索は冒険活劇さながらの展開となり、二十一世紀の闇の奥に、物語だけに許された光が射(さ)しはじめるのだ。タイトルの深い意味が納得されるのは、まさにその瞬間なのである。
http://mainichi.jp/enta/book/news/20100530ddm015070003000c.html

極彩色の調度品 函館・旧相馬邸公開へ

2010-05-31 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 05/30 10:46)
 【函館】明治の函館の豪商・相馬哲平の私邸で、昨年3月から空き家となっている函館市指定の伝統的建造物、旧相馬邸が6月1日から一般公開される。江戸中期の松前で活躍した絵師・小玉貞良(ていりょう)が江差の繁栄の様子を描いた「江差屏風(びょうぶ)」やアイヌ絵巻を展示。北海道の歴史・文化を物語る観光施設に生まれ変わる。
 元町地区にある旧相馬邸は1908年(明治41年)の建築。木造一部2階建て、延べ680平方メートルで、鳳凰(ほうおう)の欄間、大理石の暖炉のある洋間など和洋折衷の造り。不動産業のエステート企画(函館)が取得し、函館ゆかりの勝海舟の書や旧相馬家の調度品など約80点を展示する。
 江差屏風は縦1・6メートル、横3・6メートル。ニシン漁でにぎわう1750年ごろの江差の町と人々の生活を描写。アイヌ絵巻は縦30センチ、長さ約8メートルで、貞良の弟子の作品とされ、イヨマンテ(クマ送り)の儀式が描かれている。入館料は一般500円。午前9時~午後5時開館で第1、第3木曜日は休館。旧相馬邸(電)0138・26・1560。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/234205.html

アウディ彩る 先住民の情熱

2010-05-30 | 先住民族関連
(sankeibiz  2010.5.30 05:00)
 アウディジャパンのショールーム「アウディフォーラム東京」(東京都渋谷区)で、アボリジニー現代美術絵画展が開かれ、世界にただ一つというアボリジニーアートを施したアウディTTロードスターが展示されている。同展は11日まで。入場無料。
 オーストラリア先住民のアボリジニーが描く絵画は無数の点や豊かな色彩が特徴だ。絵画展は「モティカ」(アボリジニー語で乗り物)をテーマにした作品を集めた。TTロードスターは絵画展に合わせて6人のアーティストが来日し、約1週間かけて制作。水がある場所を表すという黒い点や、色鮮やかな線がペインティングされている。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/100530/bsa1005300500000-n1.htm

ヒスパニック系の存在感示す米国勢調査

2010-05-28 | 先住民族関連
(読売新聞2010年5月28日 )
 米国は今、国勢調査のまっただ中にある。10年に一度、4月1日現在の国の"姿"を把握するための大規模な調査だ。集計結果は、各州の連邦下院議員数配分見直しに使われるほか、年間4000億ドル(約36兆円)前後の地方交付金の配分や地方行政などに反映される。それだけに、正確さは不可欠で、国勢調査局は、テレビなどで、「簡単な10問の質問に答えることで、コミュニティーの向上に役立ちます」といった広告を流し協力を呼びかけている。
 米国で国勢調査が始まったのは、独立間もない1790年。前々年発効の合衆国憲法の規定によるもので、今回で23回目。この間、質問項目も調査方法も変遷をたどってきたが、3月下旬に自宅に届いた質問表を一読して、スペイン、中南米のスペイン語圏出身者やその子孫を指す「ヒスパニック系(ラティーノ系)」の存在感の大きさを改めて実感させられた。
 質問表は、各世帯の人数、電話番号、名前、性別、生年月日などに続いて、「ヒスパニック系、ラティーノ系、あるいはスペイン系か否か」を問い、その後で白人、黒人、先住民などの「人種」を尋ねて、終わる。住民をヒスパニック系か否かで2分しているのだ。
 国勢調査局がヒスパニック系の把握に本格的に乗り出したのは1980年調査で、それほど昔のことではない。米国領で市民権を有するプエルトリコ系の流入、60年代の移民法改正や59年のキューバ革命などによるメキシコ系やキューバ系移民の急増とともに、公民権運動の結果、人種や民族、言語などに基づく差別を禁じた公民権法や投票権法が60年代に相次いで成立し、社会政策のあらゆる分野で差別是正に向けた人種、民族集団の厳格な把握が必要になったという事情がある。
 ヒスパニック系は、1980年に全人口の約6・5%に過ぎなかったが、2001年には黒人を抜いて最大の人種・民族的少数派となり、08年には15・4%を占めるまでに増加した。こうしたなかで、全米各地でスペイン語が氾濫していることに、白人保守派は「ヒスパニックは米社会に同化しようとしない」などと非難の声を高め、国勢調査の対象に中南米系が圧倒的に多い不法移民も含まれていることに異議を唱える向きもあった。だが一方で、ヒスパニック系は大統領選をはじめ各種選挙結果を左右する政治力を持ちはじめており、共和、民主両党にとって、この人口集団をどう取り込んでいくかは、党勢にかかわる極めて重要な課題となっている。
 今回調査の集計結果の詳細が公表されるのは来年2月以降だが、教育や移民制度、雇用など様々な点でヒスパニック系を巡る議論が再燃することは間違いないだろう。40年後には全人口の30%に達すると予測されるなかで、米社会はどう変容していくのか。ヒスパニック問題から目を離せない。
http://www.yomiuri.co.jp/column/world/20100528-OYT8T00525.htm?from=navlc

上海万博でのアイヌ文化・白老町PR事業計画決定

2010-05-28 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年5月28日(金)朝刊】
 白老観光協会(小西秀延会長)の平成22年度総会が27日、白老観光センターで開かれ、上海万博でのアイヌ文化・白老町PRなどを柱とした事業計画を決めた。
 約40人が出席。小西会長は白老牛肉まつりの中止について「経済、観光にとって影響は大きい」と懸念を示しながらも「そんなことばかりも言っておれない。当協会は皆さんと一生懸命努力を重ね、観光振興のために頑張っていきたい」とあいさつした。

 上海万博でのPRは9月の「北海道の日」に合わせて実施する。アイヌ古式舞踊を中心にアイヌ文化、白老を世界に発信する。このほか(1)昨年ホームページ上に開設した「ねっと商店」の充実(2)癒やしの森ビジネス創出に向けた取り組み(3)アイヌ民族博物館の入場者回復(4)広域観光の推進―など。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/05/28/20100528m_08.html

紋別中学校吹奏楽部、春コンサート29日に~「静かなる川」の初演も

2010-05-28 | アイヌ民族関連
(北海民友新聞 5月27日付け)
 紋別中学校吹奏楽部(高橋沙采部長=3年、部員49人)は29日午後2時から同校体育館で第5回スプリングコンサートを開催する。昨年まで保護者向け発表会としていたが、初めて一般公開することになった。入場無料で広く鑑賞を呼びかけている。
 同部は今年10月23日に市民会館大ホールで開く第40回記念定期演奏会へ向け、オリジナル曲の作曲委嘱やゲスト指揮者の招聘、OB合同ステージの出演者募集などの準備を進めているところ。スプリングコンサートは昨年まで練習室である視聴覚室で開いてきたが、入場者が増え手狭になったため、40回記念のピーアールも兼ねて体育館での公開コンサートに変更したという。
 曲目は、初演となる委嘱作品の「静かなる川~四季」、今年度コンクール課題曲の「迷走するサラバンド」、「GRシンフォニック・セレクション」「ディープ・パープル・メドレー」など10曲ほどを予定。今年1月ごろから練習を重ね、1年生の新入部員18人も一部の曲目に参加する。委嘱作品は紋別をイメージしたもので、タイトルは紋別の地名の由来となったアイヌ語「モペット=静かな川」からとったという。
 初めての校内公開コンサートということで、高橋部長は「わざわざ足を運んでくださるお客さんに失礼の無いように、全力で練習してきました。特に初演作品と『GR』には力を入れていますので、たくさんの人に聴いていただきたいです」と意気込みを話している。
 なお入場にあたっては上履きの持参が必要。開場は午後1時30分。
http://www.minyu.ne.jp/digitalnews/100527_3.htm

道アイヌ協会:加藤理事長辞意 なぜこの時期に…慰留の声「政策にも影響」 /北海道

2010-05-28 | アイヌ民族関連
(毎日新聞 2010年5月27日 地方版)
 北海道アイヌ協会を6年間率いてきた加藤忠理事長(71)の突然の辞意表明が波紋を広げている。加藤理事長は国のアイヌ政策に積極的に提言、関与してきただけに、辞任すればアイヌ政策に影響が出かねない。関係者からは「なぜこの時期に辞めるのか」と、慰留を求める声が高まっている。【千々部一好】
 加藤理事長はアイヌ政策を審議する政府の「アイヌ政策推進会議」(座長・平野博文官房長官)の委員。道アイヌ協会は当事者団体の最大組織で、加藤理事長ら3人がメンバーに入っているが、中心的役割を果たしていたのは加藤理事長だった。
 同会議は、アイヌを先住民族と認定し、新たな立法措置や支援策の策定などを盛り込んだ政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の報告書(09年7月)を具体化するために設置された。今年1月末から約1年間かけて政策づくりを進めている最中だ。
 アイヌ文化の教育・研究・展示などを行う新たな施設「民族共生の象徴となる空間」と、新たな立法措置の基礎資料となる「道外アイヌの生活実態調査」の二つが主要課題。施設の詳しい内容や設置場所はアイヌの意向を尊重することになっており、道アイヌ協会の具体的な提案を待っている状態となっている。ただ、加藤理事長が辞任した場合、すぐに後任が決まるのは難しいとみられ、協会からの提案が遅れる可能性も出ている。
 加藤理事長が辞意表明した25日の理事会に出席していた標津支部長の小川悠治理事(63)は「辞意表明には驚いた。加藤理事長は私利私欲がなく、穏健な人柄で、協会内部がまとまり、国などと交渉が進んだ。アイヌの権利回復に向けた国の政策づくりが本格化するこの時期に辞めるのは惜しいので残ってほしい」と求める。
 同会議委員の常本照樹・北海道大教授は「加藤理事長が有識者懇談会で提案したことをベースに、推進会議で具体的な議論している。辞任となれば、議論の流れが変わってしまうかもしれない」と懸念する。一方、道の田中正巳・生活環境部長も「推進会議で各論を検討する大切なこの時期に、これまでの議論を引っ張ってきた加藤理事長が去ることになれば大きな痛手となる」と、事態の推移を見守っている。
http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20100527ddlk01040259000c.html

アイヌ財団 357万円未回収

2010-05-28 | アイヌ民族関連
(朝日新聞 2010年05月27日)
■協会支部分が11件中9件
 財団法人「アイヌ文化振興・研究推進機構」(アイヌ財団、中村睦男理事長)が26日までに、357万円の未収金があることが分かった。多くが北海道アイヌ協会支部分で、1件あたり最大150万円。アイヌ財団からの督促にも応じておらず、同協会支部の会計のずさんさがまた浮き彫りになった。
 この日のアイヌ財団理事会で報告された。同財団は事業費の一部を団体に助成する際、「前払い」の形で助成金を団体に支払うことがあるという。そうした場合は、事業終了後1カ月以内に、事業完了報告書の提出を受け、助成額を確定。各団体に差額の返還を要請している。
 同財団によると、26日現在での未収金は11件、計357万円。このうち同協会支部分が9件でいずれもアイヌ民族の伝統儀式に絡む事業。内訳は、2004年度分の日高支部の2件224万円、09年度分は、釧路支部が2件18万4千円、網走支部が2件30万6千円、紋別支部が2件9万7千円、美幌支部が1件22万2千円――となっている。同財団は「返還するお金がない、という団体もあるが粘り強く返還を求めていきたい」としている。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001005270002

上海万博で北海道観光PR 雪合戦を疑似体験 実物大模型で搾乳も

2010-05-27 | アイヌ民族関連
(北海道新聞05/26 15:27)
 道は、開催中の上海万博の日本館で9月3~5日に開かれる「北海道の日」のイベント内容を固めた。ゴムボールでの雪合戦の疑似体験や乳牛の模型による搾乳体験、ばんえい競馬の予想などを行う。体験を通じて道内の魅力を中国の人々に強くアピールし、中国人観光客の増加に弾みをつけたい考えだ。
 観光イベントの目玉は疑似雪合戦。胆振管内壮瞥町で毎年開催されている国際大会や雪国の魅力を伝える狙いで、大会で実際に使用するヘルメットを着け、雪玉を模した白いゴムボールを的に当て、「雪上の格闘技」の気分を味わってもらう。
 食分野では、ゴム製の乳房を搾ると水が出る実物大のホルスタイン模型を会場に持ち込み、来場者に搾乳体験を楽しんでもらう。映像やパネルを使って、北海道ブランドの農水産物や加工品などの安全性も売り込む。
 大スクリーンに帯広市のばんえい競馬で実際に行われたレースの動画を上映、来場者が順位を予想するほか、会場内に十勝管内幕別町発祥のパークゴルフのコースを設営し、プレーしてもらう。アイヌ舞踊や函館のイカ踊り、富良野のへそ踊りなども上演する。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/233526.html

加藤理事長が辞意 道アイヌ協会 健康不安理由に

2010-05-27 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 05/26 09:13)
 北海道アイヌ協会の加藤忠理事長(71)が25日、健康不安を理由に辞意を表明した。札幌市内で同日、開かれた理事会で明らかにした。
 加藤理事長は理事会の終了後、取材に対し「アイヌのために道をつくることができた。後は残る人たちに任せたい」と述べた。理事は慰留している。
 加藤理事長は胆振管内白老町出身。2004年に理事長に就任し、2期目。政府のアイヌ政策推進会議の委員を務めている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/233421.html

北海道アイヌ協会:加藤理事長が辞意 「健康上の理由」

2010-05-26 | アイヌ民族関連
(毎日新聞 2010年5月26日 2時30分 更新:5月26日 2時30分)
 北海道アイヌ協会の加藤忠理事長(71)が25日、札幌市中央区で開かれた理事会で辞意を表明した。加藤理事長は「健康上の理由」と説明。理事会は慰留を続けているが、6月10日付での辞任を求めている。同協会ではアイヌ民俗文化財保存・伝承活動事業をめぐって不適切な会計処理が発覚。協会側の対応の責任を問う声も上がっていた。
 加藤理事長は04年5月、理事長に就任。アイヌの伝統的生活空間「イオル」再生事業を白老町と平取町で進めた。また、アイヌを先住民族と認めるよう求めた国会決議(08年6月)を受けて設置された政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の委員として、アイヌ民族の権利擁護の先頭に立ってきた。
 理事会側は、政府のアイヌ政策推進会議の審議が進んでおり、この時期での理事長辞任の影響は大きいとし、引き続き理事長職にとどまるよう説得している。
 加藤理事長は毎日新聞の取材に対し、今回の辞意について一連の会計不祥事の引責辞任との見方を否定。「アイヌの権利回復に一定の道を開いたこの時期に身を引きたい。後は副理事長を中心に運営してほしい」と述べた。【千々部一好】
http://mainichi.jp/select/today/news/20100526k0000m040126000c.html

台湾先住民男性に勲章授与 「涙が出るほどうれしい」

2010-05-26 | 先住民族関連
(MSN産経ニュース 2010.5.26 00:31)
 日本統治下の台湾で警官を務め、戦後は先住民パイワン族の伝統工芸紹介などを通じて日台の相互理解に貢献したとして、今年春の叙勲を受けた台湾南部・屏東県の博物館館長、陳俄安さん(87)に旭日単光章を手渡す伝達式が25日、高雄の日本人学校で行われた。
 パイワン族の陳さんは、自ら作成した伝統的な木彫りや石版彫刻のほか、収集した伝統民具を展示する博物館を開き、日台歴史研究などで訪れる学者らに協力してきた。また日本人学校の児童らに石版彫刻を教えたり、先住民の伝説を語るなどして交流してきた。
 「精神一到何事か成らざらん」「正直は一生の宝」。警察学校で日本人の上司に教えられた精神を今も忘れていないと日本語で語る陳さん。勲章を受け取ると、「涙が出るほどうれしい」と感謝した。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100526/chn1005260033001-n1.htm

EARTH RISE-コロンボは発見者か、それとも侵入者か-

2010-05-26 | 先住民族関連
(スポットライト ジャパン 2010年5月25日 02:00)

クリストフォロ・コロンボ
大航海時代の申し子、日本ではコロンブスの名で良く知られているアメリカ新大陸の発見者であるが、彼の業績は大変にナイーブな問題を含んでいる。文化と干渉と倫理の問題は、まさにまとまりつつあるこの惑星において、ひとつの大きなテーマですらあるのだ。

1451年、イタリアのジェノヴァにて生まれる。父は毛織物業の商人だと思われる。1476年、25歳、航海に出たという記録があるが、その目的は不明。航海の後、弟のバルトロメがいるポルトガルのリスボンに移住し、ここで古代ギリシャの地理学者エラストステネスらの地球球体説に激しい影響を受ける。当時のヨーロッパ世界において、この地球は平面構造であると固く信じられていた。西端、つまりヨーロッパ大陸の端まで辿り着くと、そこは滝になっており奈落の底に流れ落ちていると考えられていたのだ。この常識を覆す情熱に燃えたコロンボは、1484年、33歳、ポルトガルの国王ジョアン2世に協力を訴えるが、これは却下される。1486年、35歳、続いてスペイン(カステーリャ王国)の女王イザベル1世に協力を訴え、挑戦そのものの意義は認められるも、イスラム勢力との戦争中にて申し出を却下される。が、1492年、41歳、戦争の終結によりコロンボ援助が認められ、同年8月3日に3隻の大帆船、乗員約100名で出航。奈落の底に突き進む船旅によりまともな乗員は集まらず、そのほぼ全員が監獄に入れられていた犯罪者である。2ヵ月後、10月6日、4海流が交わり時計回りの大きな渦を作っている不毛の海域、サルガッソ海に突入。風が無く、海藻で埋め尽くされる海――不気味さと恐怖から乗員の反乱や暴動が起きるも、これをどうにか収め、ゆっくりと進む。そしてその5日後、10月11日午前零時、大陸の発見。彼らスペインから西ルートを取って中米へ辿り着いたのであるが、コロンボは目的のアジア大陸だと信じて止まなかった。先住民を一掃して植民地を築いてイザベル女王の意図を達してから、1493年3月15日、42歳、スペインに帰国。彼の名声が天まで届くが如き勢いの高まりを見せる。が、先住民族たちの大反乱が勃発、その統治能力に批判が集まる。名誉挽回の為に同年9月、1498年47歳、1502年51歳と航海に出て新大陸を目指すも、成果は上がらず。最後の航海から帰国した際には、かろうじて彼を支えていたイザベル女王が亡くなっており、コロンボはスペインの人々から忘れ去られる。
コロンボが「新大陸の発見者」であるか「ヨーロッパの侵入者」であるか、それは分からない。筆者の知る限り、歴史は論じる事なく、語るのみである。
http://www.spotlight-news.net/news_aphv0TE0gi.html?right

【白老】09年度は200万人割れ 苦戦の白老観光

2010-05-26 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報社 2010年 5/25)
 白老町を訪れた2009年度の観光客が、193万1980人にとどまったことが町産業経済課の調べで分かった。08年度比8.5%減。不況に加え、新型インフルエンザの流行と宿泊施設の相次ぐ閉鎖が大きかった。08年度に、9年ぶり到達した200万人を、再び割った。
 町内のホテル・旅館、観光施設、飲食店などへの聞き取りを基にまとめた。日帰り184万5503人(08年度比6.3%減)、宿泊客は8万6477人(38.6%減)の内訳。白老、虎杖浜両地区で最大規模の収容能力を持ち、日帰りの入浴施設も備えたホテルが2施設の閉館が響いた。
 アイヌ民族博物館が約19万5000人と低迷した。4割を占める外国人客が、新型インフルエンザの影響で上半期は前年度の半分近くにまで落ち込んだが原因。一方で、修学旅行客は増加した。先住民族認定の国会決議やアイヌ古式舞踊のユネスコ世界無形文化遺産認定などでアイヌ民族の文化的価値が一気に高まって、教育界の目を引いたものの、落ち込み分は埋めきれなかった。
 健闘したのは「食」と「レジャー」。白老地区で、「飲食店・みやげ」に38万3984人の入り込みがあり、6.8%増。牧場直営の白老牛レストランが人気を集め、虎杖浜地区では「スポーツ・レクリエーション」に13万4370人。9.1%増だった。釣り堀客が多かったという。
 町は「虎杖浜地区でホテルが営業再開するなど明るい材料もある」と今後を期待する半面、外的要因に影響されにくい「道内客誘致に力を入れたい」とも話している。
http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10052502.html

IWC正常化 調査捕鯨は中止するな

2010-05-26 | 先住民族関連
(中日新聞 2010年5月24日)
 機能不全が続く国際捕鯨委員会(IWC)の正常化問題で、主要捕鯨国の捕獲頭数を大幅削減するIWC議長案が示された。検討に値するが、科学的データを集める調査捕鯨を中止してはならない。
 一九八〇年代後半から捕鯨支持国と反捕鯨国が鋭く対立し、非難合戦と多数派工作に明け暮れてきたIWC。二〇〇七年の総会を機に政治的休戦を求める声が高まり、ようやく妥協点探しの動きが活発化した。
 マキエラ議長の提案は(1)現在、鯨肉を商取引する商業捕鯨や資源調査に主眼を置いた調査捕鯨、先住民に認められる生存捕鯨などに分かれているカテゴリーを取り払った上で捕獲頭数の上限を大幅に削減する(2)捕鯨操業の監視・取り締まり措置を導入(3)加盟国は海上での安全を脅かす行為を防止するため行動する-などが柱である。
 暫定措置は一一年一月から二〇年十二月末までの十年間。
 日本の捕獲頭数については(1)南極海のミンククジラは前半五年間が年四百頭、後半五年間は同二百頭とする(2)北西太平洋ではミンク、イワシ、ニタリ合わせて年二百二十二頭を十年間認める。
 日本が長年主張してきた北西太平洋での沿岸小型捕鯨は認められるものの、南極海での調査捕鯨は姿を消し捕獲頭数も絞られる。
 赤松広隆農相は〇九年度の調査捕鯨の実績が五百六頭と捕獲枠の半分程度だったことから、「議長案と大きな開きはない。捕獲頭数が減っても構わない」と語り、政治決着に意欲的である。
 だが、加盟国の調査捕鯨の権利を縛ることは重大問題だ。
 調査捕鯨は国際捕鯨取締条約で認められた加盟国の基本権であり、IWC自体が「鯨類資源の保存と捕鯨産業の秩序ある発展」を目的とする国際組織である。
 日本が二十年以上にわたって続けてきた調査捕鯨は鯨類の生態系や繁殖力など多様なデータを集めており、食料資源として持続可能な利用を考える根拠となっている。これが捕鯨支持三十数カ国の主張を支えてきた。
 議長案は「各国の原則と権利は害されない」というが、調査捕鯨が規制されればデータは蓄積できず十年後の捕鯨は困難になろう。
 今年のIWC総会は来月二十一日からモロッコで開かれる。加盟国の間では「今年は正常化への最後のチャンス」との声もあるが、将来に禍根を残すような妥協は許されない。調査捕鯨の重要性をあらためて主張すべきである。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2010052402000037.html