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台湾で絶対にゲットしたい!ごほうびみやげ3選

2017-12-31 | 先住民族関連
ニュースウォーカー2017/12/30 07:00
旅の思い出とともに持って帰りたいのはおみやげ。台湾には、女性の友人にあげたら喜ばれること間違いなしの“ごほうびみやげ”がたくさんある。今回は台湾に行ったら絶対に買って帰りたいおみやげを3つピックアップ!
リッチな潤いのハンドクリーム「Naturals by Watsons 精萃玫瑰潤手霜(60ml)」(約149元)
天然のローズオイルを使用した屈臣氏ブランドのハンドクリーム。素早く肌に浸透し、柔らかくしなやかな手肌になると評判。リラックスできるローズの優しい香りもいい。
伝統技で作られたメイクブラシ「斜角底妝刷」(1550元)
毛筆店「林三益筆墨専家」から生まれたブラシ専門ブランド「LSY林三益」謹製。職人が作るメイクブラシには、毛筆作りの技が結集。化粧ノリが変わる極上のメイク体験をどうぞ。
先住民族の宝物で作られた腕輪「琉璃珠ブレスレット」(360元)
「琉璃珠」は台湾南部に暮らす先住民族・排湾族の宝物。さまざまな色のガラス玉で作られたブレスレットは、眺めているだけで元気になれそう。在庫がなくなり次第終売予定。
今回紹介した3アイテムは、実用的で日常の様々なシーンに使える優れものばかり。これから台湾に行く人は、おみやげリストに加えてみてはいかが?友人にはもちろん、自分へのおみやげにも。【ウォーカープラス編集部】
中居千優
https://news.walkerplus.com/article/128011/

高校野球の日台親善大会、「台湾版甲子園」優勝の平鎮高が2連覇

2017-12-31 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾2017/12/30 19:45
(台中 30日 中央社)第3回マツダ日台高校野球大会は29日、中部・台中で決勝が行われ、桃園市立平鎮高級中等学校(高校)が千葉県の選抜チームを12-1で下し、出場8チームの頂点に立った。同校が優勝に輝いたのは昨年に続き2度目。
今年は「台湾版甲子園」とも言われる「黒豹旗」をはじめ、6つの国内大会を制した平鎮高。今大会でも25日の予選第1戦で大阪府の選抜チーム(大阪桐蔭の選手が主力)に完封勝ちするなど、期待通りの強さを発揮した。
千葉選抜と対戦した29日の決勝では、打線が今大会最多の16安打を放ったほか、先発の古林睿煬が5回1失点と好投し、最優秀選手に選ばれた。台湾原住民(先住民)タイヤル族出身の古林は28日までの予選でも抑えとして活躍し、2セーブを挙げている。
同日に行われた3位決定戦では、大阪選抜が国立中興大学付属台中高級農業職業学校(興大付農)を6-0で破り、3位で大会を終えた。
(謝静ブン/編集:羅友辰)
http://japan.cna.com.tw/news/aart/201712300006.aspx

アイヌ民族の民工芸品販売 札幌市が常設店検討 市内各地でニーズ探る

2017-12-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞12/29 05:00
 札幌市は、アイヌ民族の民芸品や工芸品を販売する常設店の設置に向けた検討に入った。販売会を2019年度まで市内各地で試験的に開き、外国人や道外からの日本人観光客らにアンケートを行ってニーズを探る。アイヌ民族の伝統料理を味わえる飲食店の併設も視野に入れ、早ければ20年度の開店を目指す。年間1300万人以上の観光客が訪れる札幌で、アイヌ文化を発信する拠点の一つとしたい考えだ。
 札幌市などは今月16~22日、常設店設置に向けた初の販売会を中央区の札幌駅前通地下歩行空間で開いた。アイヌ民族の作家5人が刺しゅう雑貨や木製アクセサリーなど80種類を出品。アイヌ文様を表面にあしらったスマートフォンケースや名刺入れ、守り神のシマフクロウが描かれたバンダナなど、現代風にアレンジした商品も人気を集めた。
 1日平均売り上げは約9万7千円で、目標の7万円を上回った。18年度は会場を変えながら、販売期間を延長して複数回開く計画だ。
 アンケートでは、買いたい物の種類や価格帯、希望する店の設置エリアなどを尋ねる。今回の販売会では約200人からアンケートを取った。今後は外国人や道外からの日本人観光客にも聞く方針だ。
 市には「アイヌの民工芸品を扱う店が札幌に少なく、どこで買えるか分からない」との声が多く寄せられているという。
 常設店をめぐっては、足を運ぶきっかけを増やすためアイヌ民族の伝統料理を提供する飲食店の併設も検討する。市内の飲食店と協力して試食会を開くなどして準備を進める。1月22日には豊平区の喫茶店で最初の試食会を開き、サケのオハウ(汁物)やローストシカ肉などを提供する。
 市は地下鉄南北線さっぽろ駅コンコースに、19年3月の完成を目指して「アイヌ文化発信空間」(仮称)を整備する。市アイヌ施策課は「多くの人が訪れる札幌は歴史や文化を伝える格好の場所。店の設置も前向きに検討したい」と話す。(小林史明)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/154225

マリモの力

2017-12-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞12/28 17:00
 トーラサンペ(湖の妖精・妖怪)やトーカリップ(沼が作ったもの)。釧路市の阿寒湖に生息するマリモにはアイヌ語の呼び名がいろいろある。どれも和人が明治期の120年前に発見してマリモと命名し注目を集めた後に、生まれた新語だという。
 新語説は郷土史家が1957年に提起していた。
 根拠は《1》幕末期に阿寒湖を調べた松浦武四郎の「久摺(くすり)日誌」にはマリモの名前も存在も書かれていない《2》戦時中の本でトーラサンペの名を紹介したアイヌ民族の識者は「観光に関わる人々が、ばらばらな解釈に基づく説明をして客を当惑させないよう名称を統一した」と証言した―などだった。
 釧路市教委の「マリモ博士」若菜勇さんが今年、それを裏付ける研究をまとめた。武四郎の調査記録本編(久摺日誌は要約版)から大正期までの阿寒湖の各種文献にアイヌ語名はなく、登場し始めたのは昭和からだった。
 「アイヌ民族は食用や生活に役立つものに呼称をつけた」と若菜さんは言う。どちらでもないマリモは遅れて名前をもらった。
 若菜さんが注目するのは、和人による開発でアイヌ文化が打撃を受けた道内でも「マリモがいた阿寒湖は自然保護意識が早く芽生え、伝統的な自然観が磨き上げられた」点だ。
 マリモを通じて大自然に感謝する精神が現在の「まりも祭り」に受け継がれ、新たな保護・活用策の基礎ともなる。市教委マリモ研究室を来春退職する若菜さんは「まだまだです」と湖の宝がくれた宿題に取り組む。(平山栄嗣)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/154166

全国初、アイヌ文様の自動販売機 平取に登場

2017-12-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞12/28 05:00
 【平取】アイヌ民族の伝統文化が残る日高管内平取町に27日、赤や白、紺色のアイヌ文様が施された自動販売機が3台、全国で初めて設置された。訪れた観光客らが早速、スマートフォンなどで撮影した。
 二風谷民芸組合の工芸家関根真紀さん(50)が今夏、飲料メーカー、北海道コカ・コーラボトリング(札幌)に勤める知人に打診したのがきっかけ。地域貢献を考えていた社幹部の耳に届き、具体化した。
 デザインは、関根さんが自ら、地元の沙流川流域に伝わる木綿衣などを基に考えた。目を引くのは中央部のかわいらしいハート形の模様。一生懸命にお祈りすれば、恋の願い事がかなうかも。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/154088


北海道150年、JALも発信 専用サイト開設

2017-12-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞12/28 05:00
 日本航空(JAL)は、道などが行う「北海道150年事業」に協力し、来年1月から同事業を記念した搭乗キャンペーンを展開する。道内の観光や食などを特集した北海道150年をPRする専用サイトも開設した。
 キャンペーンは、来年1月15日~4月26日の期間中に道内各空港発着のJALか北海道エアシステム(HAC)の路線を2回利用したJALマイレージバンク日本地区会員が対象。抽選で北海道の名付け親で幕末の探検家松浦武四郎の出身地三重県松阪市の特産品「松阪牛」や道産野菜、アイヌ民族の伝統工芸品などをプレゼントする。
 専用サイトでは松浦武四郎の功績などを紹介。道東地方のグルメスポットのほか、知床の流氷ウオーキングなどを盛り込んだ知床観光のモデルプランを写真付きで紹介している。同社は「北海道の歴史や魅力のほか、150年に向けたさまざまな取り組みも発信していきたい」としている。アドレスはhttp://www.jal.co.jp/hokkaido150/
 問い合わせはキャンペーン事務局(電)011・232・8424(平日午前9時~正午、午後1時~同6時)へ。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/154039

日本時代建設のたばこ工場が台湾文化発信拠点に 南部・屏東の特色伝える

2017-12-30 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2017/12/29 17:29
(屏東 29日 中央社)日本統治時代に建設された南部・屏東県のたばこ工場「屏東エン葉廠」(屏東市)が、博物館・文化発信拠点として生まれ変わろうとしている。30日には、全24棟ある鉄筋コンクリート造りの建物のうち、すでに修復を終えた「中山堂」が初公開され、博物館の慣例にとらわれない自由な展示やイベントを通じ、多民族の文化が融合する地元の魅力をアピールする。(エン=くさかんむりに於)
同工場は、1936(昭和11)年に建てられた「台湾総督府屏東支局葉煙草再乾燥場」を前身とする。戦後には香蕉(バナナ)、珍珠(パール)、楽園(パラダイス)などの銘柄の紙巻きたばこや刻みたばこが生産された。しかし、世界貿易機関(WTO)加盟に伴う専売制の廃止や喫煙人口の減少により、2002年に閉鎖。内部には大量の機械・器具が残され、地元のたばこ産業の歴史を物語る資料となっている。
屏東県は2010年、かつて事務所だった中山堂を含む4棟を県の歴史建築に指定。また今年、広大な敷地に残るその他20棟の建物についても歴史建築群として保留し、一括して再整備する方針を固め、中央政府に4億7000万台湾元(約17億8400万円)の予算を申請している。今後は、たばこ工場の輪郭を残しつつ、ビン南系、客家系、戦後に移民してきた中国大陸出身者などの漢民族や原住民(先住民)らがともに暮らす地元の特色を生かし、民族の違いにとらわれないクリエイティブな博物館・文化発信拠点として整備する予定だという。(ビン=門がまえに虫)
中山堂の初公開に当たっては、「南風博物」と銘打った一連のイベントが企画されている。「家」をテーマに、地元に住む各民族の家屋を紹介する展示やウイークエンドマーケット、ガイドツアー、映画上映会などで屏東の多様な文化を感じ取ることができる。開催は来年1月28日まで。
(郭シセン/編集:塚越西穂)
http://japan.cna.com.tw/news/atra/201712290005.aspx

元日の台湾 各地の初日の出スポットで楽しむお正月イベント

2017-12-30 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾12/29(金) 12:50配信

三仙台の日の出
(台北 29日 中央社)新しい年のスタートを初日の出で迎えたい人が多いのは台湾も同じ。元旦に開催される各地の初日の出イベントの一部を紹介する。
▽《東部・三仙台》熱気だけでなく、エコ意識も高まる年始め
三仙台(台東県)は台湾本島で最も早い初日の出を拝める場所の一つ。ここで行われる元日イベントの歴史は長く、今回で19回目。午前3時30分から8時30分までの間、地元出身の原住民(先住民)歌手などのパフォーマンスや抽選会、出店などをたっぷり楽しみ、最後に浜辺のごみ拾いで気持ちを引き締める。
▽《北部・福隆》バンドや太鼓で盛り上がり、クライマックスは鐘の音で
北部の日の出スポットとして名高い福隆海水浴場(新北市)では、午前4時から若手バンドのパフォーマンスや地元中学生の太鼓演奏など、熱気あふれるプログラムで会場を盛り上げる。日の出が近づくと僧侶による1分間の黙とうが始まり、一気に静かな雰囲気に。厳かな鐘の音に包まれながら初日の出を迎える。イベントは午前7時30分まで。
▽《南部・阿里山》音楽に包まれて楽しむ山の上の初日の出
山岳リゾート・阿里山(嘉義県)も、台湾有数の日の出の名所。海抜約2400メートル地点にある対高岳の展望台では、午前5時30分から午前7時25分まで、オーケストラの演奏や歌手の美声に包まれながら初日の出を迎える音楽会が開かれる。今年は付近の遊歩道のカエデが年末年始に見ごろを迎えるため、紅葉狩りも一緒に楽しめるという。 (編集:塚越西穂)
http://japan.cna.com.tw/news/atra/201712290002.aspx


没後50年「チェ・ゲバラ」と革命戦に散った日系人ゲリラの壮絶人生

2017-12-30 | 先住民族関連
news.livedoor.com 2017年12月29日 8時0分 デイリー新潮
(C)2017 “ERNESTO” FILM PARTNERS
没後50年「チェ・ゲバラ」と革命戦に散った日系人の壮絶人生――伊高浩昭(上)
 今年が没後50年だったチェ・ゲバラ。彼の部下に日系2世のゲリラがいた。ボリビア出身の医師補「フレディ前村」――。映画「エルネスト もう一人のゲバラ」でオダギリジョーが演じた主人公である。25歳の若さで散った、この知られざる「侍」の生涯を紹介する。
 ***
 キューバ革命立役者の一人、アルゼンチン人エルネスト・チェ・ゲバラ(1928~67)。晩年、彼の部下に日系2世のゲリラがいたという事実をご存じだろうか。
 ゲバラがボリビアでのゲリラ戦のさなかに捕らえられ、処刑されてから今年10月で半世紀。この時期に合わせて公開された日本キューバ合作映画「エルネスト」(阪本順治監督、キノフィルムズ)では、オダギリジョーが主人公の日系ボリビア人医師補、フレディ前村(1941~67)を演じている。ゲバラの下で戦い死んだこのフレディこそ、かの日系ゲリラである。この映画で初めてフレディの存在が日本で脚光を浴びることになった。
 フレディはゲバラの死に39日先立つ1967年8月31日、ボリビア軍に処刑されている。25歳と10カ月の短い生涯だった。ゲバラ部隊におけるフレディの存在は処刑直後の報道で明るみに出ていたが、経歴が不明で謎めいた存在だった。
 当時、共同通信メキシコ通信局の駆け出し記者だった私(伊高)は、ゲバラとフレディの死の報に接し驚いたものだ。かの日系ゲリラが鹿児島県頴娃(えい)町出身の移住者・前村純吉(1893~1959)の息子と判明したのは、しばらく後のことだ(日系の血を誇りとする前村一族の希望もあって、本稿でも苗字は漢字で「前村」と書くことにした)。
「南米革命」の起爆剤
 時代は飛び、2007年のこと。私は当時の駐日ボリビア大使ハイメ・アシミネから、ある相談を受けていた。フレディ前村の実姉マリー前村と、マリーの息子エクトル・ソラーレス前村が06年、ボリビアの政治首都ラパスで出版した『革命の侍』を、日本語版として刊行できないかと持ち掛けられたのである。フレディが留学しゲバラに出会ったキューバでの聴き取り調査やわずかに残された資料を踏まえて、フレディの半生を丹念にたどり、証言に基づいて心情描写に創作を加えた物語形式の伝記だった。
 面白く読んだ私は、早速、東京の出版社に持ち掛けた。その結果、日本語版(松枝愛訳、長崎出版)は09年、フレディの42回目の祥月命日に出版された。そして、めぐりめぐってこの本を阪本監督が読み、映画制作を着想したのである。同書は絶版となったが17年9月、映画封切りに先立ち、『チェ・ゲバラと共に戦ったある日系二世の生涯――革命に生きた侍』(キノブックス)として甦ることになった。
 なぜフレディはゲリラとなって戦ったのか。ここでボリビアとはどんな国かを簡単に紹介しよう。フレディのバックボーンが見えてくるはずである。
 ボリビアは南米中央部にあり、地勢は大きく分けて中南部がアンデス山脈と高原地帯、北東部がアマゾニア(アマゾン川流域地帯)の熱帯雨林と大平原に二分される。面積は日本の3倍近い。人口1000万人の6割方はアイマラ人、ケチュア人など先住民族。石油、天然ガス、リチウム、錫、鉛、亜鉛、アンチモン、タングステンと資源が豊かだ。ウユニ塩湖や、ペルーと分かち合うティティカカ湖がある。
 1825年に独立したが、植民地時代さながらスペイン系など少数白人層と、その利益を守る軍部が国政を長らく支配していた。そして1899年以降、日本人移住者が隣国ペルーなどから流入、小規模ながらボリビアに日系社会が生まれた。第2次世界大戦後は米軍基地建設で土地を奪われた沖縄県民らが移住してきて、日系社会は膨らんだ。
 朝鮮戦争で東西冷戦が激化しつつあった1952年、鉱山労働者を主体とするボリビア革命が起きた。だが米国の反共政策と相俟って変革政策は深化を阻まれた。ゲバラは革命の翌年、ボリビアを旅行するが、後年、自身の祖国アルゼンチンの解放を最終目的とする「南米革命」の起爆剤としてボリビアでゲリラ戦を展開することを画策する。
 ゲバラは、ボリビア革命が中途で挫折したにせよ、人民蜂起の可能性はあり、反革命戦略を展開する米軍の存在がボリビアでは希薄と見て、戦場に選んだのであった。
ゲバラとの運命的な出会い
 フレディ前村は、アマゾニアのベニ州州都トゥリニダーで1941年10月18日に生まれている。父親の前村純吉は20歳だった13年に、ペルーへ移住したが、20年代にアンデス山脈を徒歩で越え、天然ゴム景気に沸いていたボリビアのアマゾニアに入った。
 行商で資金を蓄えトゥリニダーに雑貨店などを開いて成功した純吉は、スペイン系ボリビア人女性ローサ・ウルタードと結婚。長女マリー、二男フレディら3男2女が生まれた。地元では目立って裕福な家庭だった。
「フレディは、貧しい人々が医者にかかれない冷酷な現実を幼年時代に悟り、医者ごっこで必ず医師を演じ、恵まれない人々に無料で医術を施すと言っていました。父親から律儀、一徹、勤勉、責任感など日本人の特性を一番受け継いだのがフレディで、社会の不公正を憎む正義派になり、中等学校時代に共産党青年部員として活動していました」
 こう語るのは、フレディの姉で『革命の侍』の著者マリー前村。共著者で息子のエクトルと共に2009年来日した際、じっくり話を聴く機会があった。
「フレディは成績優秀で、ラパスの大学医学部を志していました。ところが共産党青年部に入っていたことが災いし入学の道を絶たれてしまい、打開の道を探っていたんです。そんなとき光明が差した。革命から3年余り経っていたキューバが医学留学生を募集し、フレディは志願し合格して1962年4月、ハバナに行くことになりました」
 当時、キューバの首相だったフィデル・カストロ(1926~2016)が国立ハバナ大学付属校として創設した「ヒロン浜勝利医学校」の第1期生として、フレディは入学することになる。その年(62年)10月には、米ソ両大国が核戦争の瀬戸際まで進んだキューバ危機が勃発。フレディは留学生仲間と共に志願民兵として対空砲部隊に配属された。この場面も映画「エルネスト」に生々しく描かれている。
 危機は収束したが、東西冷戦の最前線に身を置く決死の体験を積んだフレディは、「無私と愛他主義で革命に積極的に参加する〈新しい人間〉」の考えに次第に傾倒してゆく。「新しい人間」――これぞ、ゲバラが希求した革命家の理想像だった。医学留学生の中で成績トップのフレディは授業で教授の助手を務めていたが、63年の正月休暇を、憧れのゲバラと過ごした後、革命家の道を志すことになる。
 この頃、30代半ばに達していたゲバラは、体力的にゲリラ戦に耐えられるのは数年しかないと踏んでいた。そうなると、ボリビア遠征計画は急ぐしかない。そんな時、同志として理想とする「新しい人間」の典型のような医学生、フレディ前村が眼前に現れたのである。かつて自らも青年医師だったゲバラは、自分の分身を見たような思いに駆られていたことだろう。ゲバラがフレディを特に日系人と意識していた様子はなく、フレディも自分はゲバラと同じラテンアメリカ人だと自覚していた。だからこそ、2人は革命の同志になり得たのだ。
 また、ゲリラ部隊に医師は欠かせない。志操堅固なフレディこそ、祖国ボリビアで革命戦争を戦うべき適任者だった。ゲバラは躊躇せずフレディを遠征部隊に組み入れ、自分の名「エルネスト」と「エル・メディコ(医師)」の2つをゲリラ名としてフレディに贈った。「医師」の呼び名は、医師免許をもらうことなく医師補としてボリビアに赴かねばならないフレディへのオマージュでもあった。(敬称略)
(下)へつづく
 ***
伊高浩昭(いだか・ひろあき)
1943年生まれ。ジャーナリスト。元共同通信記者。著書に『チェ・ゲバラ―旅、キューバ革命、ボリビア』(中公新書)など、『キューバと米国』(LATINA)が来春刊。
「週刊新潮」2017年12月28日号 掲載
http://news.livedoor.com/article/detail/14093994/

「幸福」という名の歌姫/シングルマザーの物語。

2017-12-30 | 先住民族関連
madameFIGARO,jp December 27, 2017

アフリカの音や森や闇と繋がる歌姫、その突き上げる生命力。
『わたしは、幸福』
赤道直下キンシャサのバーで歌う歌手&シングルマザーの物語。大地と人と音楽に灼熱と聖性が溶ける。ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員大賞)受賞。
 幸子という名の女はどうも幸薄い感じがする。名前はいちばん短い呪縛だ。おそらく全ての人間の始まりは文字をもたない、日本も昔はそうだ。アイヌのような文字をもたない民族はたいがい、統治され侵食され、人知れず滅んでしまう。
 一度死んで生き返った女の子はフェリシテ(幸福)という名をつけられた、また死なないようにと。大人になり歌姫となったフェリシテは歌う。「白人は賢い、記述して記録するのは白人の得意技」と酒場という裸電球のジャングルに、やさぐれた歌姫は降臨する。カサイ・オールスターズが奏でるトランスに入りそうな音楽、アフリカの音の洪水、突き上げる生命力をしたがえて。
 ついていない歌姫、フェリシテは今日も機嫌が悪い。壊れた冷蔵庫、生活費の心配、息子の危機的状況にすら、元夫は金を出してくれない。悪徳経営者から未払い金をしたたかに取り立て、捨て身でお金をかき集める。ちあきなおみの「喝采」ではないが、フェリシテはそれでも歌う、まるでなにがあっても歌うことしかできない呪いをかけられているみたいに。さまざま理不尽な、不条理なもの事はまるで神話のように、叙情詩みたいに容赦なく流れていく。人生はまるで意味不明な奇妙な物語であり、個人の人生の盛衰や喜怒哀楽とは関係なく、街は動いていく、世界はまわる。良いことと悪いことは、暗闇の中に溶け込む黒い肌のように見分けにくい。
 辻占いのように聞こえる男の言葉、「神様に必要なのは魂だけ、肉体はいらない」。 人間らしい生活とは、幸せとは ? 私たちは森や闇と未だ繋がっているのだろうか。
文/ミヤケマイ 美術家
美術館や画廊に限らず書籍の挿画、小説、骨董、現代アート、工芸など縦横無尽に制作。最新刊に4冊目の画集『蝙蝠』。
『わたしは、幸福』
監督・脚本/アラン・ゴミス
出演/ヴェロ・ツァンダ・ベヤ、パピ・ムパカ
2017年、フランス・セネガル・ベルギー・ ドイツ・レバノン映画 129分
配給/ムヴィオラ
ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国にて順次公開中 www.moviola.jp/felicite
https://madamefigaro.jp/culture/feature/171227-cinema.html


「モアイ像」のイースター島で起きた独立運動

2017-12-30 | 先住民族関連
東洋経済12/28(木) 11:00配信
日本から遠く離れたイースター島は、実は日本とも縁が深い(写真:siei/PIXTA)
先住民が怒っている2つのこと 寺井 暁子 : 作家
 モアイ像で知られるチリのイースター島。一番近い有人の島との距離が2000kmもあるという絶海の孤島には、その神秘に魅せられて多くの観光客が訪れる。しかしその島で独立運動が起こっていることはあまり知られていない。
 筆者が最初に独立運動の存在を知ったのは、2016年3月にモアイ像を見るべく島の国立公園内をドライブしていたときのことだ。島のあちらこちらで赤い小舟のようなシンボルがプリントされた布切れがはためくのを目にした。
 地元の人に聞いてみると、その小舟のシンボルはこの島に住む先住民ラパヌイの人たちの伝統的な木彫りの胸飾りをモチーフにしたもの(舟ではなく月を形取ったものだそうだ)で、ラパヌイの一部の人々が自治権とチリからの独立を求めて立ち上げた非公式団体「ラパヌイ議会」の旗にも用いられているという。
■今やチリ人のほうが多く住んでいる
 国立公園内を横断する道路が島の真ん中あたりに差し掛かったところにキャンプを見つけた。小屋が立ち「ラパヌイに自治を、チリからの独立を!」と書かれた横断幕が強い海風を受けてはためいていた。小屋の中を覗くと、その午後の当番だという初老の女性が出てきた。彼女によれば独立運動の背景には、チリ人に土地、仕事、経済、そして文化までも乗っ取られていると感じている島の原住民ラパヌイ人たちの懸念や怒りがあるという。
 イースター島には、温かい気候や島暮らし、治安の良さなどに惹かれて多くのチリ人が移住してきた。1990年代初期には2500人程度だった島の人口は2002年には4000人に膨れ上がり、2020年には6000人に達すると言われている。今やイースター島にはラパヌイ人よりも多くのチリ人が暮らしており、本土からの移住者によってラパヌイの文化や伝統が飲み込まれてしまい、島が元々の島民たちの望まない方向に変化していくことを懸念している人は多い。
 たとえば、土地を持つことを許されているのは、ラパヌイの人々(もしくはラパヌイ人と結婚している配偶者)にかぎられているが、2010年にはチリとアメリカの資本が入った高級ホテルの建設計画が持ち上がり、反対するラパヌイ人の人々によって構成されたデモ隊が軍警察と衝突する事態が起きている。
 また島の43%を占める国立公園はチリのCONAF(国営森林団体)によって管理されているが、森林管理を主としているこの機関は、島内にフルタイムの考古学者をひとりも雇っておらず、歴史文化財の研究・保護の観点から問題視されている。
 同時に観光客が払う国立公園への60ドルの入園料はチリ政府の収入となるため、ラパヌイの人々の生活の向上に還元されていないと感じるラパヌイ人も多い。2015年3月には「ラパヌイ議会」が国立公園の入り口を封鎖し、CONAFに代わって観光客から国立公園の入園料を徴収していた時期もあった。
■人権や自治権を求める長い闘い
 ラパヌイには、自分たちの人権や自治権を求めて戦ってきた長い歴史がある。1722年にオランダ船によって「発見」されたイースター島は、1888年にチリの統治下に置かれた。1953年までスコットランドの企業が羊を放牧するための土地として貸し出されており、羊たちが草を食べている間、島人たちの生活は島の一角(現在、島唯一の集落であるハンガロア)に制限されていた。
 ラパヌイ人たちがチリの市民権と自分たちの市長を選ぶ権利を勝ち取ったのは1964年のことである。1888年の条約では、チリ政府はイースター島に主権を認め、島の保護と発展、土地の権利を約束しているが、その約束が果たされていないまま、100年以上の時が経っていることになる。
 こうした状況にあるイースター島にとって、他地域の独立運動は刺激になる。数カ月前に、スペインのカタルーニャで独立騒動が起きた際に、チリの地元紙にはイースター島の住民たちがカタルーニャのケースを好意的に受け止めているとする記事が出た。
 ラパヌイ人の独立感情が高まるのはわかるが、その実現性は低いとみられている。南米大陸から約3200㎞離れたこの孤島には、観光とわずかな漁業以外の産業はなく、自給自足も難しい。ガスや食料、生活品のほとんどすべてを本土からの輸送に頼っている状態だ。物資やガスの供給が途絶えたら、この島は牧草地に戻ってしまうと懸念する声もある。
 より現実的な選択肢としてラパヌイ人が求めているのは自治権だ。彼らは観光収入の使い道を自分たちで決める権利、そして島への移住者と観光客の流入を管理する権利を求めている。
 2014年には市長とそのチームが国連の常任理事会に対してイースター島の「非植民地化」を提案、2017年にはイースター島の自治権を訴えるラパヌイの女性が初めてチリの国政議会選挙に出馬するなど、デモ以外の動きも起きている。
 また、11月には、ようやくチリ政府とラパヌイの間で国立公園を今後50年間は共同運営することが合意された。今後50年ではなく、永久にラパヌイに移譲すべきという意見も報道されているが、いずれにせよ、ラパヌイの人々が自分たちの文化遺産への権利をようやく手にすることができた大きな一歩ではある。
 「観光の島」となったイースター島で、もう1つラパヌイの人が、怒りを感じていることがある。それは、観光客のモアイに対する扱いだ。
■モアイを「立たせた」日本の会社
 高さ1~10m、重さは最大で80tを超す巨大な石像、モアイ。島には実に1000に近いモアイ像がある。世界的に有名な遺跡だが、誰がどのようにして、そして何のために作られたのかいまだ謎に包まれている。作られた目的も諸説あるが、墓碑だとも島内に点在した部落の守り神だとも言われ、正確なことはわからない。
 モアイは島の海に面したアフと呼ばれる祭壇に、多くの場合、海に背を向けて建てられているが、これだけの重量があるモアイを島内の石切場からどのようにして運ばれたのかも研究者が追い求める謎のひとつだ。モアイの建設は10世紀頃から始まり17世紀まで続いたと考えられているが、19世紀半ばには部族間の争いからすべてのモアイ像が倒されていた。
 現在、見ることができる立ったモアイ像は考古学者や地元住民によって復元されたものだそうだ。その中でも朝日の昇るモアイとして観光客にも人気の高い島東部のアフ・トンガリキにあるモアイ像は、1960年のチリ沖大地震により倒壊したが、香川県高松市にある建機会社、タダノの協力により1996年に修復されている。その後も東日本大震災で被災した宮城県南三陸町にモアイ像がイースター島から贈られるなど、日本とイースター島との関係は深い。
 「don't step on the moai」(モアイを踏まないで)。
観光の目玉であるモアイ像の前には決まってこう書かれている。
 イースター島を訪れる観光客の多くは、このモアイ像を見に来る。しかしモアイたちとのトリックアート的な写真を撮ることに夢中な観光客の行き過ぎた遊びが、地元の人たちの神経を逆なでしているのも事実だ。
 夕日スポットとして知られるモアイの像がハンガロアの集落内にある。穏やかな海を背に立つモアイ像の基盤、アフに立とうとする観光客たちを見つけては、地元の子どもたちが「ノー!」と走って怒りにくる場面に何度か出くわした。
■観光客数は2年後3倍に膨らむとの予想も
 チリ政府による2012年の統計ではイースター島を訪れる観光客は年間4万人で、圧倒的に多いのはチリ人だが、日本人の観光客も年間1442人と、外国勢の中ではアメリカ、フランス、ペルー、ブラジル、ドイツに次いで6番目に多かった。
 2009年の8月にはラパヌイの人々が観光客の滞在日数の制限を求めて島唯一の空港を2日間にわたってブロックした。反対しているのは世界遺産にも登録されている島の繊細なエコシステムを破壊しかねないマスツーリズムだ。島を訪れる観光客は増え続けており最近では年間10万人と言われている。そしてチリ政府はこの数字が2020年には3倍に膨れ上がりかねないと予想している。
 先述のテントの女性がこう話していた。「観光客に来るなと言っているわけじゃない。島の経済の8割は観光業で成り立っているし、われわれはその収入を必要としている。でも、モアイはわれわれの先祖の墓なの。あなたたちは自分の国で何も知らない観光客が先祖の墓を踏んづけていたら、あるいは大仏を馬鹿にした写真を撮っていたら、どういう気分になるね?」
 島の経済の8割は観光業で成り立っているからこそ。独立が現実かどうかはさておき、島人たちが侮辱されていると感じる行為は慎みたいものだ。
http://toyokeizai.net/articles/-/202887

孫娘の卒業式のためアボリジニのおじいちゃんが3000km先から出席

2017-12-30 | 先住民族関連
らばQ 2017年12月28日 13時5分
親にとって子どもの卒業式は感慨深いものですが、それが孫となると喜びもひとしおとなるようです。
自慢の孫娘の卒業式に出席しようと、飛行機で2000マイル(3218km)先から駆け付けた、オーストラリア先住民であるアボリジニ(アボリジナル)のおじいさんが話題を呼んでいました。
2ショット写真をご覧ください。
A proud aboriginal man that traveled 2,000 miles to watch his granddaughter graduate

A proud aboriginal man that traveled 2,000 miles to watch his granddaughter graduatefrompics
何とパンチ力のある写真でしょうか。
卒業する娘の晴れ姿と、はるばる遠くからやってきたアボリジニのおじいちゃんです。孫の成長に歓喜の笑顔を見せています。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●うちの祖父母の(孫の卒業式に出席しない)言い訳がなくなったな。
↑うちの祖父母は叔父のためにメールオーダーブライド(花嫁をアジアから斡旋してもらう)が日本から届くので家にいなくちゃいけないという理由で、私の卒業式には来なかった。叔父は地下に住んでいたから。
↑ちょっと待て、花嫁を日本からメールオーダーで注文できるのか?
↑そう、結婚するまで一度も会わずに、数か月で婚約して結婚したよ。今、花嫁は叔父と一緒に地下に住んでいる。
↑ちょっと、彼女は枕じゃないのは確かかい?
↑おもしろいと思って言うわけじゃないが、いくら世の中が変わってると言っても、未来の嫁が現れて、それが家具ならさすがに驚く。
↑地下に住んでる叔父でさえ妻がいるんだから、掲示板にいるオレらも言い訳が立たないな。
↑あまりにみんなの注目を引いたので追記をすると、その日本からの花嫁は意外にも言語のバリア、住居、人間関係などを乗り越えて本当に結婚して幸せそうで、2人して祖父母の地下に住んでいる。そして身体障害があり、認知症の祖父の面倒も見ているよ、もう3年以上になる。一応ハッピーエンド。
●オーストラリア人として、これはとてもすばらしくて重要なことだと思う。
●うちのおじいちゃんは卒業式のために激しくパーティしていたな。
●2000マイルというより2000年前と読んでしまう。
↑自分もそう思う。驚くほど古代なんだが。
↑オーストラリアでは珍しくないよ。そして誇りに思うよ。
●いったいどれくらい時間がかかったの?
↑飛行機に乗って飛んだからすぐさ。
孫を思う祖父母の気持ちは世界共通のようです。
http://labaq.com/archives/51892137.html

先住民の絆結ぶ氷の道 たくましく生きる人々

2017-12-28 | 先住民族関連
時事ドットコム12月28日(木)

イエローナイフで食べたバイソン(バッファロー)のステーキ【時事通信社】
 カナダは先住民を西欧社会に同化させる政策を行ってきた。取材した先住民の人々はみんな、英語をしゃべっていた。一方で今回の旅を通じ、ニチザ酋長だけではなく、かんじき作りの名人のローレンスら多くの人たちが、自分たちのアイデンティティーである先住民の文化や伝統が失われかねないことに、強い危機感を抱いていることを痛切に感じた。
 しかし近年、先住民の独自性を尊重する活動が積極的に進められており、先住民は自治組織を持ち、教育や文化、政治、経済といった幅広い分野で独自の取り組みを行うことが認められている。フォートスミスの短期大学では先住民の言語が教えられ、イエローナイフでも先住民の文化を紹介する博物館の展示はとても充実している。
 「文化を守るためには子供の教育が大事だ。トリチョ族の子供は高校生になると、トリチョの自治の仕組みを必須科目として学んでいる」
 若者たちに伝統を守ってほしいと思うニチザ酋長の気持ちが伝わる。
 カナダは2017年7月1日、建国150周年を迎える。だが、ノースウエスト準州の旅を通して出会った先住民の姿には、それよりはるか昔から厳しい自然と向き合いながらたくましく生き、文化と伝統を守ってきたというプライドがにじんでいた。
読者プレゼント
 「カナダ・アイスロード」特集をお読みくださり、ありがとうございました。ご感想はぜひツイッターで。
 イエローナイフのピンバッジを抽選で1名様にプレゼントします。
 ハガキに住所、氏名、年齢、電話番号を記入し、下記へお送りください。
 締切は4月28日必着。
 〒104-8178
 東京都中央区銀座5-15-8
 時事通信社デジタルメディア事業本部
 時事ドットコム「アイスロード」係
 [取材協力]カナダ観光局/エアカナダ/八木一仁
 【関連記事】世界遺産と先住民 ハイダグワイ
https://www.jiji.com/jc/v4?id=201603canada-northwest0010

先住民の絆結ぶ氷の道 アイスロードの将来

2017-12-28 | 先住民族関連
時事ドットコム12月28日(木)

アイスロードで起きたタンクローリー水没事故を伝えるニュース記事【時事通信社】
 アイスロードができる冬のわずかの期間、トリチョ族の人々は車やスノーモービルで移動し、遠くの村に住む親戚や友人たちとの再会を楽しんできた。
 こうした生活が近い将来、劇的に変わるかもしれない。
 ワチとイエローナイフに近いベチョコを結ぶ一般道の建設計画が進んでいるからだ。道路ができれば陸の孤島ではなくなる。ワチやそれより北の集落へのアクセスも大きく改善される。運賃が高い小型機を使う必要性や経済的負担も減る。
 計画されている道路は全長約94キロ。アイスロードを使う現在のルートと異なり、先住民が罠猟などをしている湿地帯を通る。建設費として見積もられている1億5000万カナダドル(約130億円)はノースウエスト準州や連邦政府が負担。 ワチやガメティなどトリチョ族の自治組織は建設計画を受け入れているという。
 ワチでハンドゲームのルールを教えてくれたヘンリーは計画を支持している。
 「アイスロードで起きたタンクローリーの事故を知っているだろ。温暖化でアイスロードが昔のように長い期間使えなくなるかもしれない。そうなったらどうやって燃料を運ぶんだ?」
 だが賛成ばかりではない。
 特に年配の先住民は、村に道ができることで、禁止されているアルコールやドラッグが持ち込まれ、ざまざまな社会問題が起きることを強く心配している。
 トリチョの自治組織は2003年、連邦政府とノースウエスト準州と3万9000平方キロに及ぶ土地と地下資源の所有で合意。資源開発に伴って得られる利益の一部を受けている。
 「道を建設するのは住民の生活向上目的というより資源開発のためよ。わたしたちの土地から資源が搾取されてしまうだけだわ」
 ベチョコで出会った女性は、計画の背後に腐敗が存在し、道路ができて村を開発しても利益を得るのは一部の人たちだけだと憤った。
 ワチのニチザ酋長は、計画を推進する立場だが、根強い反対論も理解していると話す。むしろ一番の不安は、トリチョ族が受け継いできた文化や伝統が消えてしまわないかということだ。
 「若者たちはいずれ『われわれは何者なのか』と自らに問いかける。道路ができて村の人口が増えた時、それを知るためのトリチョ族の言語や伝統を守っていくのは大きな挑戦だ」
https://www.jiji.com/jc/v4?id=201603canada-northwest0009

先住民の絆結ぶ氷の道 熱狂の大勝負

2017-12-28 | 先住民族関連
時事ドットコム12月28日(木)

各地区の先住民代表が集まって開催されたハンドゲーム大会の様子。簡単にいうと、相手がどちらの手におはじきを持っているかを当てるゲームで、とにかく盛り上がる【時事通信社】
 ハンドゲーム。
 文字通り手だけを使うゲームだ。ワチ、ベチョコ、ガメティ、ウェクウェティなど、イエローナイフ北方の集落に暮らすトリチョ族と呼ばれる先住民の伝統的な遊びだ。
 厳冬期、大きな大会が開催される村には毎年のようにアイスロードを使って遠くから多くの先住民が集まってくる。2年ぶりにトーナメントが行われるワチの人口は、普段の倍となる1000人ほどに膨らむ。会場の公民館には、ピックアップトラックがぎっしりと並んでいる。
 ハンドゲームは、もともと先住民が集落で絆を深めるために始まった遊びが起源とされる。狩猟などで得た獲物を賭けていた娯楽が、トリチョ族の文化として引き継がれている。
 「やってきた人々はみんなファミリーだ。ハンドゲーム大会はファミリー再会のイベントだ」
 野球スタジアムのように階段式に作られた会場の観客席。アルフォンゾ・ニチザ酋長が、席を埋め尽くした老若男女を見渡しながら説明してくれた。
 ルールは簡単だ。1チーム10人が2組に分かれて対戦。「シューター」と呼ばれるチームの1人が、相手チームの10人がそれぞれ左右どちらの手におはじきを隠して握っているかを当てる。当てられれば脱落し、ミスをすればシューターのチームにペナルティーが科される。双方のチームが交互に当て合いをし、一定のペナルティーに達した方が負け。参加できるのは男性だ。
 トーナメントには27チームが出場。遠くはカナダ北西部ユーコン準州、ノースウエスト準州の南に位置するアルバータ州からやって来たメンバーもいるという。当初は32チームが参加する予定だったが、ワチから北につながるアイスロードが割れ、タンクローリーが沈んだ事故で通行止めに遭ったガメティのチームが来られなくなったのだ。
 ババン、ババン、ババン、ババン!
 ゲームスタートだ。それぞれのチームの後ろに陣取った応援団が、大声でリズムを作りながらカリブーの革を張ったタンバリンのような形のドラムを棒で打ち鳴らす。瞬く間に会場は大音響で満たされる。優勝すれば賞金2万カナダドル(約170万円)、8位でも1500ドル(約13万円)が手に入るとあって、選手の表情は真剣そのもの。応援にも熱が入る。
 それぞれのチームの10人がつま先立ちの正座で一列に向き合う。一方のチームの選手はうずくまって膝元の上着で手を隠しておはじきを握り、そしてリズムに合わせて体を起こしながら腕を組み、シューターとの勝負を待つ。
 パチン!
 シューターが両手をたたき、伸ばした手で左右どちらにおはじきがあるのかをサインで当てる。列の端の選手だけが右、残りは左といったさまざまな指示パターンがあるが、難解すぎて見ていてもさっぱりだ。
 「単純に見えるだろ。でもこのゲームは神経戦なんだ」
 そう話すのはイエローナイフから参加したヘンリー・ゾーイ。シューターは単純に確率50%に賭けているのではないという。
 「若い選手はシューターとの勝負に勝てば、次の当て合いで隠す手を変える傾向がある。年配は頑固だからずっと同じ手のことが多い。シューターには記憶力が要求される」
 気が付けば観客に子供が増え、室内は200人を超えている。ドラムのリズムに合わせて体を激しく動かし、ゲームに熱狂している選手の顔は紅潮し、汗がきらきらと光る。シューターが見事に当ててどよめく選手と観客。外は氷点下というのに、会場は熱気でムンムンしている。
 「子供にハンドゲームを知ってほしいから一緒に来た」
 ゲームを見守る人の中には、先祖から続くゲームを受け継いでもらおうと、子供を連れてきた人も目立つ。ワチやベチョコでは1990年代から学校でハンドゲームを教え始め、伝統を守る取り組みと続けているという。
 会場に半日いただけで、人々の気勢と大音響に圧倒され、疲労に襲われた。トーナメントは3日間にわたって続くが、最後まで試合を見られないのがとても残念だ。
 日が暮れる直前にワチを離れる。男たちが応援する声と激しいドラムの音が外まで漏れる公民館の横を通り過ぎ、イエローナイフを目指した。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=201603canada-northwest0008