先住民族関連ニュース

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登別市にある知里幸恵の記念館 新館長が就任し抱負

2022-05-31 | アイヌ民族関連
NHK05月30日 18時54分

登別市にある「知里幸恵 銀のしずく記念館」に新たな館長が就任し、「もっと多くの人にアイヌ民族について興味を持ってもらえるように頑張りたい」と抱負を述べました。
「アイヌ神謡集」の著者、知里幸恵の出身地である登別市には、12年前に全国からの募金で「知里幸恵 銀のしずく記念館」が建てられ、幸恵の生涯を伝える貴重な資料が多く展示されています。
28日、新たな館長に、登別市出身の木原仁美さんが就任し、記念館で記者会見を開きました。
木原さんは、初代館長を務めた知里幸恵のめいにあたる横山むつみさんの長女で、現在は東京にあるアイヌ文化交流センターの所長代理を務めています。
会見で木原さんは、「記念館は知里幸恵さんを広く知ってもらうための場所ですが、幸恵さんだけでなく、もっと広くアイヌ民族に興味を持つ人が増えてほしい。周りの人に教えてもらいながら、頑張っていきたい」と抱負を述べました。
木原さんは、今後も東京での仕事を続け、必要に応じて記念館に来ることにしています。
木原さんは、「今年は知里幸恵の没後100年で、来年が生誕120年となり、さらに幸恵さんが注目されると思うので、気を引き締めてやっていきたい」と話していました
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220530/7000047003.html

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クロユリそっと恋見届け 稚内・宗谷岬で見頃

2022-05-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/30 05:00
 【稚内】宗谷岬公園近くの牧草地に群生するクロユリが見頃を迎えた。黒紫の釣り鐘型の花がおじぎをするように咲き、訪れた人の目を楽しませている。

宗谷岬公園近くの牧草地に咲くクロユリ
 群生地は2015年、稚内市民観光ボランティアガイドが見つけた。私有地のため、クロユリが見頃の時期のみ開放し、稚内観光協会は入り口などに看板を設け、「そっと観賞して」と注意を呼びかける。
 ボランティアガイドの大場弘一副会長(78)は「風車など稚内を象徴する景観と、クロユリを楽しめるのはここだけ」と笑顔を見せる。
 花言葉は「恋」。アイヌ民族には「好きな人の傍らにそっと花を置くと結ばれる」という言い伝えがあり、良縁がつながる観光スポットとしても知られる。見頃は6月上旬まで。(高橋広椰)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/686983

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英語話者や先住民は猛反発 なぜカナダのケベック州は非難が殺到しても「フランス語保護」を貫くのか

2022-05-31 | 先住民族関連
ガーディアン2022.5.30

英語の「STOP」だけ消されたモントリオールの標識
Photo: Carl & Ann Purcell/Getty Images
カナダのケベック州政府が、フランス語を全面的に保護する法案を可決した。反対派は市民の日常生活が激変してしまうだろうと警告している。
5月24日、ケベック州議会で可決した法案96は、新たな移民や難民が同州に到着してから半年後には州当局ともっぱらフランス語でやりとりすることを義務づけるもので、従わなければ、さまざまなサービスを受けられなくなる。さらに、司法制度で英語を使うことも制限し、州内の英語学校への入学も制限する。
与党のケベック未来連合が左派のケベック連帯の支持を受け、賛成78、反対29で法案が可決した。ケベック自由党は、この法案が行き過ぎだとして反対票を投じた。分離派のケベック党は、この法案が不充分だとしている。
フランソワ・ルゴー州首相は法案の可決を祝い、これはケベックの公用語の保護を強化する努力だと表現した。一方で、この法律が言語的な少数派の権利を損なうとの恐れについては一蹴した。
「ケベックの英語話者コミュニティ以上に自分たちの言語で好待遇を受けている言語的少数派を私は知りません。法案の可決を誇りに思い、北米にあるフランス語圏の民族であることも誇りです。自分たちの共通語を守ることはわれわれの義務です」
「ケベックとカナダの歴史で最大の人権失墜」
ケベックのフランス語を守ろうというさまざまな努力は、過去にもニュースの種になってきた。2019年、同州はフランスから来たある女性の居留を、本人がフランス語を話せることを証明できないとして認めなかった。
同年、州政府は「ボンジュール・ハイ」というおなじみの挨拶を禁止することを提案したが、住民の怒りと冷笑を買い、すぐさま撤回した。
2021年11月には、カナダ最大の航空会社のトップが、モントリオール(ケベック州最大の都市)に14年も住んでいたのにフランス語を学んだことがなかったと認めてつるし上げられた。
法案の反対者は議会投票の前に州中に広まった「デマ」の「火に油」を注いでいるのだとルゴーは言う。
「英語で医療サービスを受ける機会の確保に尽力します。英語が使える病院、学校、大学をわれわれは維持し、みなさんに利用し続けていただくというのは歴史的な約束です」
公共サービスの多くが縮小されるのではとの恐れから、ここ数週間で大勢の人が法案に反対する抗議活動を展開してきた。
ケベック州の英語話者の権利を推進する「ケベック・コミュニティグループ・ネットワーク」代表のマルリーン・ジェニングスは声明のなかで、「法案96は、ケベックとカナダの歴史で最大の人権失墜だ」と主張している。
「この法案は、英語話者のケベック州民30万~50万人から英語でサービスを受ける権利を剥奪するものだ」ともジェニングスは述べている。
先住民からも批判の声
この法案に反対する闘争を率いる弁護士ジュリアス・グレイはカナダのニュース番組の取材に応えて、その可決を「私がこれまで見たなかで最も根拠のない権力の行使」と呼ぶ。
グレイはほかの弁護士たちと共に法的な異議申し立てを相次いで仕掛けるつもりであり、国連に持ち込むまで闘う覚悟だと述べている。
この法案は先住民の諸団体からも、自分たちの言語の権利を損なうものだと批判を受けている。
モントリオール近郊のカナワクにあるモホーク族の自治政府ホデノショニ・ロングハウスは5月、この法律を無視すると発表し、先祖代々の土地に住む部族の人々にはこの法案が「絶対に適用されない」との声明を出していた。
カナダ先住民族会議は5月24日、法案96を「大幅な後退」と呼び、和解の努力を阻害すると述べた。
ケベック州政府は、「適用除外条項」として知られる立法の仕組みを発動させて、この法律が違憲訴訟から免責されるようにし、連邦政府が介入する機会を大幅に減らしている。
カナダのジャスティン・トルドー首相はケベック州選出だが、この法案をあからさまに批判することには慎重で、法案の中身について「懸念」があると報道陣に語っただけだった。
https://courrier.jp/news/archives/289531/

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五輪披露のアイヌ舞踊活用 道協会が事業計画 再構成し文化発信

2022-05-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/30 00:44
 北海道アイヌ協会は29日、定例総会を札幌市内で開き、昨年の東京五輪マラソン・競歩の札幌開催に合わせて披露した舞踊を再構成し、今後の文化発信に活用することを盛り込んだ本年度の事業計画を決めた。
 東京五輪の札幌会場で披露した舞踊は、道内各地に伝わる15の古式舞踊で構成。公演時間が約40分あるため、新たに時間を短縮したものを作り、各地域の保存会などと連携して道内外のイベントで発信していく方針だ。
 大川勝理事長はあいさつで、昨年3月に日本テレビが情報番組でアイヌ民族への差別表現を放送したことに触れ、「再発防止の取り組み状況についてテレビ局に継続して報告を求めている」と説明。その上で「正しい歴史の理解が相互理解につながる。学校教育の推進も国や道に引き続き働きかけていく」と強調した。
 役員改選も行われ、大川理事長を再任した。任期は2年。(田鍋里奈)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/687040

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吉良平治郎の生涯、アニメに 殉職100年、釧路町制作 「アイヌ民族の精神貫いた」

2022-05-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/29 10:35 更新

釧路のアイヌコタンで家族と過ごす幼少期の平治郎を描いたアニメの1シーン
 【釧路町】大正時代に暴風雪の中、郵便物をマントに包んで守り、釧路管内釧路町で遭難死したアイヌ民族の郵便逓送(ていそう)人、吉良平治郎(きら・へいじろう)の生涯を描いたアニメが完成した。差別や貧困にあえぎながらも、仕事への強い責任感を持ち、最後まで生きることを諦めなかった平治郎。殉職から今年で100年を迎え、制作した町は「今こそアイヌ民族の歴史に加え、いじめ問題や命の大切さを伝えたい」と訴える。
■仕事も命も守ろうとした郵便逓送人
 横殴りの吹雪に見舞われながら、郵便物が詰まった16キロの袋を背負い、歯を食いしばって一歩ずつ進む男性。アニメ「アイヌ逓送人 吉良平治郎」は、1922年(大正11年)1月の夜、釧路町宿徳内(しゅくとくない)の山中のシーンから始まる。
 窮地に陥った平治郎は、着ていたマントで覆った郵便物を雪原に残した後に遭難。翌日、郵便物から約100メートル先で凍死体で見つかった。誠実さを見込まれて郵便逓送人となってからわずか3日目。35歳だった。今は太平洋を望む現場近くの高台に殉職記念碑が立つ。
 町はこれまでも平治郎の生涯を小学生向けの郷土読本で紹介してきたが、「平治郎の生き方をより幅広い年齢層に伝えられる」として、アニメ制作を企画。釧路町アイヌ協会とアイヌ文化の知的財産保護に取り組む一般社団法人阿寒アイヌコンサルン(釧路市阿寒町)の監修の下、東京のアニメ制作会社が2年かけ、幼児期の平治郎も含む36分の長編と青年期以降を描いた15分の短編を完成させた。
 原案となったのは、市民有志やアイヌ民族でつくる「吉良平治郎研究会」が調べた史実を基に、2006年に釧路市で初演された市民参加劇。明治政府によってアイヌ民族の伝統的なサケ漁などを禁じられ、生活が次第に苦しくなっていく様子や、和人にいじめられながらも前向きに生きる姿がアニメにも反映されている。
 祖父が平治郎のまたいとこにあたる阿寒アイヌコンサルン理事長の広野洋さん(57)は「差別された過去や、困難に立ち向かう民族の精神が記録されている」と評価する。
 平治郎の行動は昭和初期、高等小学校の修身の教科書で、命と引き換えに郵便物を守った「美談」として取り上げられた。しかし、その後、当時の釧路署の検視官報告などの関連資料を基にした同研究会の調査で、平治郎が最後まで生き抜こうとした事実が分かった。
 郵便物をマントで覆った平治郎は、明かりがともる近くの集落を目指す―。アニメのクライマックスだ。市民劇の脚本を執筆し、アニメの制作にも協力した劇団「釧路演劇集団」の尾田浩さん(66)=釧路市=は「平治郎は仕事の責任を全うしながら、命を最も大切にするアイヌ民族の精神を貫こうとした」と、このシーンに込められた意味を解説する。その上で、「世界で戦争が続き、多くの命が失われている今だからこそ、平治郎をより多くの人に知ってほしい」と訴えている。
 アニメの長編は分割され、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開されている。
 「アイヌ逓送人 吉良平治郎」が見られるユーチューブはこちらから。(佐竹直子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/686676

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中心部にぎわい再生のヒント探る 釧路で学生らのグループがカフェ巡り

2022-05-30 | アイヌ民族関連
中心部にぎわい再生のヒント探る 釧路で学生らのグループがカフェ巡り
北海道新聞05/29 05:00

「なつかし館・蔵 イランカラプテ」で、中野吉次さんから展示の説明を受ける大学生たち
 釧路市内の学生らでつくるまちづくりグループ「くしラボ」は28日、市中心部のにぎわい再生のヒントを探ろうと、北大通のカフェを巡るイベントを開いた。
 くしラボは昨年4月、JR釧路駅周辺整備について考える官民グループ「RINK釧路まちづくりラボ」に参加する大学生が設立。現在は学生12人、社会人3人で活動している。
 イベントにはくしラボの8人と市内の大学生8人が参加。4人の班に分かれ、班ごとに北大通周辺のカフェを訪問した。
 北大通9の「なつかし館・蔵 イランカラプテ」を訪れた班は、市内の左官業中野吉次さんが趣味で集めたアイヌ民族の木彫り作品や釧路の昔の写真などを展示しているカフェ2階の「博物館」を見学後、おやきとお茶を楽しんだ。
 その後、再集合した各班はそれぞれの店で撮影した写真を披露したり、北大通の現状や魅力について意見交換をしたりした。
 参加した釧路公立大3年の遠藤駿介さん(20)は「北大通は人が少なく寂しげなイメージがあったけど、すてきなお店がたくさんあることを知れて良かった」と話した。(伊藤凱
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/686769

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「アイヌ」「ウクライナ」分断された世界に「融合」を取り戻すひととき 朗読と音楽「イランカラプテ* Vol.4」開催と配信のご案内

2022-05-30 | アイヌ民族関連
JIJI.COM2022年5月30日(月)
[有限会社オフィスパレット]
「アイヌ」「ウクライナ」「ロシア」の昔話を「朗読×チェンバロ×オーボエ」で堪能           
ウクライナにおける戦火のニュースに心を痛めない日はない現在。
多様性(ダイバーシティ&インクルージョン)の確保が重要だと皆理解しているはずなのに、現実は国や民族が分断され、想像すらしなかった恐怖が現実となっています。
こうした社会情勢の中でも、我々はなんとか日々を生きていかねばなりません。
そんな皆さんに、ひとときの幸せ、安らぎを提供できたら・・・
そのような思いで、皆さんに「朗読×チェンバロ×オーボエ」という新しい形のliveをお届けします。
*(アイヌ語で「こんにちは」の意味)
https://www.youtube.com/watch?v=NWrYfSGC_4k
(動画はイランカラプテ第3回公演の一部です)
アイヌの昔話に潜む様々な魅力
「ゴールデンカムイ」のヒットや、国立の博物館「ウポポイ」のオープンなどで注目されているアイヌ民族。
文字を持たず、親から子へと口伝えでのみ受け継がれてきた彼らの「昔話」を入口に、アイヌの文化に触れてみると、そこには驚くほど「エコ」で「サスティナブル」な暮らしが見えてきます。
そして、切なく懐かしい気持ちになってしまう「何か」が、そこにはあります。
昔話に触れると押し寄せる静かな感動の源は、民族を超えて共通する、人が人として持っている純粋無垢な気持ち、いわば「心の原風景」なのかもしれません。
ウクライナの民話から思いを馳せる
そんな「心の原風景」を感じられるのは、アイヌの昔話だけではありません。
ウクライナの昔話にも目を向けてみましょう。
素朴な人々の悲喜交々は、日本の昔話と同じように共感と教訓が程よく含まれ、やはり懐かしく温かい気持ちが溢れてきます。
そして、実は同じことが、ロシアの昔話にも当てはまるのです。
今、分断されているように見える世界、そこに「融合」を取り戻すための試み。
「イランカラプテ」とは、アイヌ語で「こんにちは」を意味しますが、実は「あなたの心に触れさせていただきます」というニュアンスが含まれています。時と場所を超えて共感できる物語の世界へ、皆さんをお連れします。疲れたあなたの心に、そっと寄り添わせてください。
異色のコラボ
バロックからの歴史を持つチェンバロとオーボエと、人の声がコラボする時、聞く人は音の翼に乗って物語の世界へと飛び立つことができるでしょう。
その他情報
「イランカラプテ」朗読liveは、2019年5月に第1回、9月に第2回、2020年に第3回と、回を重ねてきましたが、新型コロナウイルスのまん延により中断。この度、満を持して復活いたします。
朗読は、長くテレビ朝日系列のアナウンサーを勤め、放送人にとってのアカデミー賞にあたる「ギャラクシー賞」にも輝いた五十嵐いおり。山根基世氏(元N H Kアナウンス室長・『映像の世紀』などのナレーションを担当)に朗読を師事。癒しのvoiceで物語の世界を表現します。
音楽は、即興のセンスに定評があり全国的に活躍するチェンバリスト明楽みゆき。
オーボエ はギネスに載るほどの難関楽器を軽やかに操る岡本千里です。
配信番組を制作するのはフジテレビ系列の番組制作会社です。ハイクオリティな作品を1ヶ月間提供します。
何度でも自由にお楽しみください。
朗読作品(予定)
・アイヌの昔話
知里幸恵没後100年「アイヌ神謡集」より昔話「トヌペカ ランラン」
北海道平取町に伝わる昔話。アイヌと和人との交流を物語る珍しい作品。
・ウクライナの民話:「オオカミの歌」他
・ロシアの童話:「卵ほど大きい麦」トルストイ作
開催要領(対面・配信)
タイトル 「朗読liveイランカラプテvol.4」
出演    朗読:五十嵐いおり チェンバロ:明楽みゆき オーボエ:岡本千里
視聴料金  2,500円 http://ptix.at/QwYN9s
配信期間  2022年7月1日(金)~31日(日)
対面ライブについての情報
日時   6月18日(土) 18時45分開場 19時開演
会場   豊平館 札幌市中央区中島公園1  (札幌市の歴史的建造物)
チケット 前売り4,000円 http://ptix.at/7snjda
主催   イランカラプテ 実行委員会
後援   札幌市 アイヌ民族文化財団

https://www.jiji.com/jc/article?k=000000001.000101958&g=prt

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ゴールデンカムイに見る「アイヌ」の食の知恵 味つけには少量の塩。みそは使われなかった

2022-05-30 | アイヌ民族関連
東洋経済2021/01/15 14:00
中川 裕 : 千葉大学文学部教授

アイヌ文化にはさまざまな食の知恵があります(画像:『ゴールデンカムイ』2巻8話より。© 野田サトル)
2018年に手塚治虫文化賞でマンガ大賞を受賞し、アニメ化も果たした野田サトル氏による累計発行部数1500万部超の大ヒット冒険活劇漫画「ゴールデンカムイ」。同作をきっかけにして、初めてアイヌ文化に興味を抱いたという人も少なくないのではないでしょうか。ゴールデンカムイのアイヌ語監修で千葉大学文学部教授の中川裕氏が上梓した『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』を一部抜粋・再構成し、お届けします。
「ゴールデンカムイ」にはオソマという言葉がよく出てきて、大変有名になってしまいました。作中では「うんこ」という意味で使われていますが、正確に言うと「大便をする」という動詞です。ただし、「うんこ」の意味で使われることもありますので、その用法でも間違っているわけではありません。
同作のヒロインのアシㇼパ(※「リ」はアイヌ語固有の小文字で表記)が初めて見たみそをオソマだと思って、食べるのを拒否するという話は漫画の中でも大変人気のあるシーンのひとつですが、これは野田先生が実在の人の体験談をもとにして考えたエピソードで、私も1900年前後の生まれの人たちから、みそなんてものは嫁に行くまで知らなかったという話を聞いています。1890年代生まれで、両親ともアイヌの家庭で育ったアシㇼパがみそを見たことがなくても不思議はありません。
アイヌの食生活の中心だった「鍋物」
いきなりオソマの話から始めてしまって恐縮ですが、これはアイヌ文化を探るにあたって重要な話で、つまりアイヌ料理に本来みそ味の料理はなかったということです。もちろん現代のアイヌの人たちは、生まれたときからみそ味に親しんでいますので、みそ料理が「お袋の味」だという人も多いでしょう。
ただ、ここではアシㇼパの時代の食生活を考えてみようということです。かつてのアイヌの食生活において、その中心だったのはオハウ「鍋物」でした。
鍋に肉や魚や山菜などを入れて煮込んだ料理です。このとき、味つけに使うのは、みそでももちろんしょうゆでもなく、塩でしたが、それもごく少量で、関東や東北地方の鍋から見たら、かなりの薄味でした。むしろ素材そのものについている味が調味料の役割を果たしていました。
その1つの味の源になっていたのが燻製です。現代の私たちは、鍋物というと生の素材を使うのが普通ですが、もちろんそれは流通と冷蔵技術の発達した現代ならではのことで、昔は生のものを食べるのは、とれたそのときのことに限られました。それ以外の時期は、保存食にしてあるものを食べることになります。
アイヌの伝統的な保存方法は塩蔵ではなくて乾燥させること、そして乾燥させたものを囲炉裏の上に下げておいて燻製にすることです。ウグイやアメマスといった比較的小さな魚は、「焼き干し」といって、串に刺していったん焼いたものを、そのまま食べるのではなく、囲炉裏の上の火棚という棚に乗せておいて燻製にします。そして食べるときにはそれをぽきぽき折って鍋の中に入れ、それでだしを取ります。
肉の場合も同様で、シカやクマの肉は細長く切って、1回さっとゆでてから、竿にかけて干します。これを「ゆで干し」というのですが、こうすると細胞が壊れて、生で干すよりもずっと早く乾燥し、腐らせる危険性が減ります。そして乾燥した肉を囲炉裏の上に干して燻製にしておき、食べるときには水に戻してから切って鍋に入れるのです。
シカやクマばかりでなく、キツネやタヌキやウサギやリスなども食べていたそうです。あるおばあさんの話では、タヌキはそのままではとても臭くて食べられないが、燻製にする(北海道弁で「いぶしをかける」)と、とてもおいしく食べられたとのことでした。
燻製には細菌の増殖を防いで保存力を高めるという効果とともに、獣肉の臭みを消すという香辛料の効果もあったのです。
いろんな山菜が香辛料として使われていた
香辛料としてはいろいろな山菜も使われました。その筆頭はプクサとかキトとアイヌ語で呼ばれているギョウジャニンニク(北海道ではキトビロともいう)でしょう。
かつては北海道の山菜の王者でしたが、今では栽培もされていて、北海道のスーパーに行くと普通に売っています。ジンギスカンと一緒に焼いたり、しょうゆ漬けにして食べたりしますが、ニンニクとニラを掛け算したような、強烈な匂いが特徴です。昔はこれを刻んで干してとっておいて、鍋の中に味つけとして入れました。
『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社新書)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
また、シケㇾペと呼ばれる、キハダ(これが和名)という木の実も、香辛料として使われました。カボチャや豆などを形がなくなるまで煮たラタㇱケㇷ゚に混ぜたり、油で練ってシトという団子にまぶしたりして食べましたが、実はキハダは黄檗という漢方薬の原料になる木で、その名のとおり幹の外皮を剝ぐと真っ黄色で、なめてみるとえらく苦いものです。その成分が実にも入っていますので、苦甘い、本当に胃腸薬のような味です。
これを香辛料として使うのはアイヌだけかもしれません。しかし、慣れてしまうと、ラタㇱケㇷ゚にこれが入っていないとなんとなくもの足りなかったりします。
こうした味つけの工夫が、やがてみそ・しょうゆの浸透でそれに置き換えられていき、みそを見ても「オソマだろ、これ!」と叫ぶ人もいなくなったのです。
https://toyokeizai.net/articles/-/401563

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アマゾンの奥地で失われた古代都市を発見。上空からのレーザースキャナー技術で明らかに

2022-05-30 | 先住民族関連
カラパイア2022年5月29日 20:00

 南米中央部、ボリビアに広がるアマゾンの熱帯雨林で、巨大なピラミットを中心に道路や運河のネットワークで結ばれた「古代都市」が発見されたそうだ。
 これは、上空から行った、「LIDAR(光検出と測距)」の調査で明らかになったもので、これは、スペインの侵略以前、この地域には高い文明を持つ人々が存在し、複雑な社会が形成されていたことを示す新たな証拠となる。
 アマゾンの熱帯雨林地域に広大なネットワーク社会 ドイツや英国などの研究者による国際的グループは今回、ヘリコプターに搭載したレーザースキャナー(LIDAR)で、500~1400年頃に栄えた「古代カサラベ文化」の中心地(現在のボリビア北部のベニ県リャノス・デ・モホス)にある6つの地域を調査した。
 密林の下で新たに発見された都市の広大なネットワークは、南米の熱帯低地では初めて発見された低密度型の都市である。階段状の台やU字型の墳墓など、北北西向きの精巧な儀式用建造物を特徴としている。
 コロラド州立大学の考古学者クリストファー・フィッシャー氏は、第三者の立場から、アマゾン地域の初期社会について再考をうながす発見と解説している。
 東側には高さ20メートルもあったピラミッドが存在するなど、都市構造は非常に大規模なもので、他の古代社会の規模に匹敵するという。
高度に発達した文明と農耕技術を持っていた これまで、リャノス・デ・モホス平原の痩せた熱帯の土壌では、中央アメリカのマヤと同じく、大きな人口や洗練された都市文明を支えられないだろうと考えられてきた。
 だがカサラベの人々は熟練の農耕民族であったようだ。季節によって氾濫するアマゾンのサバンナを作物がよく育つ生産的な土地に変え、狩猟や漁業と併せて農業を営んでいたのだ。
 カサラベ族がどのように儀式用建造物を建て、集落を形成したのかはほとんど知られていない。
 今回の研究では、「コトカ(Cotoca)」と「ランディバル(Landivar)」と呼ばれる2つの大型集落は、地域ネットワークの中枢だったと紹介されている。
 それより小さなものも含め、集落は合計24ヶ所発見されており、それぞれが四方八方に数キロほど伸びる土手道(これは現在でも視認できる)でつながっている。
 「これら2つの大型集落は以前から知られていたが、その巨大さと建築の精巧さは、LIDARによる調査で初めて明らかになった」と、今回の研究論文は述べている。
コトカ集落のLIDARスキャン画像。儀式用の建造物や放射状に伸びる土手道を確認できる / image credit:Prümers et al., Nature, 2022高度な建築技術 カサラベ族は建築技術にも長けていたようだ。彼らはコトカを建設するために57万立法メートルもの土を使った。これは、ボリビア高地で発見された最大の建造物「アカパナ・ピラミッド」に使われた土の10倍もの量だ。
 また中央集落を守るために堀や城壁を築き、さらに巨大な水利システムで食料を生産した。大きな人口を支えることができたのも、この技術のおかげだと推測されている。
 相互に連結された集落の配置や規模から推測すると、カサラベ族の社会や都市の風景は、より一般的なアンデス文化のそれに似ていたようだ。
 フィッシャー氏によると、今回のデータから、カサラベ族が自らの手で風景を変え、中心部に記念碑的建造物を建設するなどしつつ、複雑な集落階層で暮らしていただろうことが窺えるという。
カサラベ文化圏の地域 / image credit:Prümers et al., Nature, 2022アマゾン地域社会の常識をくつがえす 都市化された集落の階層的な配置は、考古学においては社会的な複雑さに関連づけられる。今回の発見は、そのような社会はなかったとされる初期アマゾンの常識をくつがえし、実際には複雑な社会が存在しただろうことを示している。
 その一方で、空からわかることは限られている。もし集落跡の現地調査をすることができれば、古代の遺物が発見され、そこから彼らの食事やライフスタイル、文化や習慣についてより多くのことが明らかになるかもしれない。
 だが急激な生態系の変化が、侵食されやすい土で築かれた遺構を脅かしている。カサラベ文化の痕跡を記録できる時間は、そう多くは残されていないとフィッシャー氏は話す。
 地域の先住民族と強力なパートナーシップを結び、データ主権・アクセス・プライバシーの問題に取り組むことが、古代アマゾン社会の全体像を知る上で重要であるとのことだ。
 この研究は『Nature』(2022年5月25日付)に掲載された。
References:Forgotten Ruins of 'Monumental' Amazonian Settlements Discovered in Bolivian Jungle / Lost Cities of the Amazon Discovered From the Air | Science| Smithsonian Magazine / written by hiroching / edited by / parumo
https://www.excite.co.jp/news/article/Karapaia_52313067/

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【深読み「鎌倉殿の13人」】源義経は生き延びて、ジンギスカンになったのか

2022-05-30 | アイヌ民族関連
ヤフーニュース5/29(日) 5:04
渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第20回では、源義経が討たれたものの、その最期は省略された。実は義経は平泉で死なず、ジンギスカンになったというが、その点を詳しく掘り下げてみよう。
■源義経の最期
 文治5年(1189)閏4月30日、源義経は藤原泰衡の軍勢の攻撃を受け、奥州平泉の衣川館(岩手県平泉町)で自害した。義経の死は『吾妻鏡』にも記載されており、確定した史実と考えられている。
 とはいえ、かねて「義経は死んでいないのではないか」と疑問が持たれたのも事実である。義経の死が疑われた原因の一つとしては、同年閏4月30日に死んだ義経の首が鎌倉に到着したのは、約1ヵ月半後の同年6月13日だったからだ。
 義経の首は美酒に漬けていたとはいえ、本人か別人か判別がついたのかという問題がある。要するに、別人の首を義経のものとして鎌倉に送り、義経自身は平泉から逃亡したというのである。
 17世紀半ばから編纂が開始された水戸藩の『大日本史』には、義経が死んだというのは事実ではなく、逃亡したのではないかと書かれている。それは新井白石も同じで、義経の首は偽物ではないかと指摘する。
 「義経が生きていた」という説の根幹には、「判官びいき」がある。「判官びいき」とは判官=義経への同情、愛惜の感情である。転じて、弱者や不遇なものに同情し、肩を持つことの意として用いられた。
 つまり、「義経が生きていた」という説は、悲劇的な英雄だった義経に対する同情であり、「義経なら衣川館を脱出し、きっとどこかで生きているはず」という期待へとつながったのだ
■義経の北行伝説とジンギスカン説
 古くからあったのは、「源義経北行伝説」である。義経は平泉から命からがら逃げ出し、蝦夷地(北海道)でアイヌの棟梁になったという説がある。
 それどころか、義経は蝦夷地からさらに金(女真族が支配した中国北部の国家)へと渡り、皇帝の章宗に歓迎されたという。義経の死後は、その子孫が大いに繁栄したといわれている。そして、義経の子孫は強大な勢力となり、清を建国したというのである。
 この話にはニュースソースがあり、元ネタは沢田源内(17世紀に活躍した近江の人)が翻訳したという中国の史書『金史別本』である。源内は偽書、偽系図を多数作成したことで知られ、『金史別本』も偽書である。したがって、この話はまったくの虚偽である。
 大正13年(1924)、牧師の小谷部全一郎が満州やモンゴルを調査した結果、義経がジンギスカンであることを突き止め、『成吉思汗ハ源義經也』(富山房)という本を出版した。この本は「判官びいき」の影響もあり、大衆の心に突き刺さり、大ベストセラーになった。
 しかし、この本はアカデミズムに属する歴史学者から徹底的に批判され、学術的に成立しないことが明らかになった。現在、義経=ジンギスカン説を支持する研究者は皆無である。 
■まとめ
 義経が衣川館で自害したということは、確定した事実である。義経の死後、史料上で義経の動きを確認することはできないのが証左でもある。義経=ジンギスカン説は小説などのネタとしてはおもしろいが、学術的には成立しないことを改めて確認しておきたい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20220529-00297954

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知里幸恵記念館の新館長に木原仁美さん 「アイヌ文化に興味持つ人増やしたい」

2022-05-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/28 18:48 更新

「知里幸恵 銀のしずく記念館」館長に就任した木原仁美さん
 【登別】明治から大正期のアイヌ文化伝承者の知里幸恵が生まれた登別市の「知里幸恵 銀のしずく記念館」の3代目館長に28日、アイヌ文化交流センター(東京)所長代理の木原仁美さん(47)が就任した。木原さんは記者会見で「幸恵さんの活動を通してアイヌ文化に興味を持つ人を増やしたい」と抱負を述べた。
 木原さんは登別市生まれの東京育ちで、「アイヌ神謡集」を著した幸恵のめいで初代館長だった故横山むつみさんの長女。アイヌ文化交流センター所長代理と兼任して千葉県の自宅からリモートワークで業務に当たる。
 今年は幸恵の没後100年にあたる。木原さんは「多くの実物資料が見られるのが記念館の魅力。重責を果たせるよう、前向きな気持ちで頑張りたい」と話した。(渡辺愛梨、高木乃梨子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/686713

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<平取 二風谷アイヌクラフトの挑戦>下 コシノさんと未来探る

2022-05-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/28 09:44

日高管内平取町を初めて訪れたコシノジュンコさん。二風谷小児童にデザインの指導をして交流した=2020年10月
 「全て『手』で作っていて機械化されていない作業が、人間そのものを感じさせる」。二風谷アイヌクラフトプロジェクトの総合デザインディレクター、コシノジュンコさんは2020年10月、初めて訪れた日高管内平取町二風谷で、工芸家が木彫やアットゥシ(樹皮の布)織りをする姿を間近で見て感動した。
■熱く語る魅力
 さらに「アイヌ文様は、ものすごく計算された幾何学模様でとても不思議。どこまでも模様が続いていくのがすごい」と熱く語る。
 コシノさんが初めてアイヌ工芸品と出合ったのは40年ほど前。骨董(こっとう)品店で民族衣装を買った。「芸術的で、現代的衣装や洋服とは次元が違い、素朴で民族的。長い歴史と手作りの深い味が残っている。ミシンで縫った跡もなく、人の気持ちが込められた衣装でした」
 その後も何度かアイヌ民族衣装を着る機会があり、「これをそのままにしておくのはもったいない」とアイヌ工芸と現代デザインの融合を考えるようになった。コシノさんは、工芸家とデザイナーらが手を組むプロジェクトについて「異業種と交流する新しい挑戦はとても有効」と強調する。
 息子でコシノさんの会社「JUNKO KOSHINO」の常務、鈴木順之さん(41)は、プロジェクトで工芸家やデザイナーらと連絡を取り合い、デザインや価格設定を話し合った。「購入者の中にはアイヌ民族に興味はあるが詳しくない人もいる。生活に溶け込める物を作り、手の届く値段で売ることが必要だと考えました」と振り返る。
■商品PR強化
 昨年度、エゾシカ革をアットゥシで装飾したベルトを東京芸術大の大学院生と共同開発したアイヌ工芸家の柴田幸宏さん(33)はその後、アットゥシのネクタイやマスク、ギターストラップを試作。「日常で使える物は多くの人の手に取ってもらえる。今後もいろんな商品を作って、木の皮の素材の魅力を伝えたい」と張り切る。工芸家は確実に意識を変え、新たな可能性を模索し始めている。
 3年目となるプロジェクトは本年度も、工芸家と商品開発に挑むデザイナーらを公募する。遠藤桂一町長は2年間で見えた課題を「商品をもっと広く知ってもらう努力が必要」と語り、宣伝を強化する考えだ。
 コシノさんは「アイヌ工芸は伝統であると同時に日本のルーツでもある。世界を相手にいろいろな人の目に触れさせるべきです」と指摘する。「伝統で終わらせるのではなく、新しい違った角度で見せ続けることが重要」と力を込めた。
 こうした新たな挑戦が、100年以上の歴史を誇る二風谷アイヌ工芸の未来を切り開こうとしている。
◆「アットゥシ」のシは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/686604

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遺骨土砂問題 国連で訴え 具志堅さん、7月スイスへ 「解決へ声上げる」

2022-05-29 | ウチナー・沖縄
琉球新報社5/28(土) 6:44配信

ガマの中から掘り出した沖縄戦戦没者の遺留品とみられるくしなどを示す遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表=4月、糸満市伊敷
 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表らは今年7月にスイスで開かれる、先住民族の権利保護の状況などを調べる国連の「先住民族の権利に関する専門家機構」(EMRIP)の会議に参加を予定している。辺野古新基地建設に伴う沖縄本島南部での土砂採取計画の問題点を訴える考えで「基地の集中は日本政府による弱い者いじめでもある。他の国や地域の先住民族の人々と問題を共有し、解決に向けて声を上げていきたい」と意気込む。
 EMRIPは2007年、国連での先住民族権利宣言の採択に伴い設置された。国連人権理事会の下部組織で、同理事会が指名した専門家7人で構成する。会議に参加する市民外交センター共同代表の上村英明共同代表によると、年1回の会議には、専門家のほか国際機関や政府の担当者、先住民族団体、国際NGOなどが参加し、国連の宣言履行の状況などについて報告される。問題があれば人権理事会に勧告も出せるという。
 具志堅さんは、過去に同会議に参加経験がある松島泰勝龍谷大学教授に参加の相談をし、市民外交センターの支援で参加が決まった。
 会議は7月4~8日で、具志堅さんは3日の準備会合に参加するほか、発言の日時は調整中だという。期間中に市民外交センターとアジア先住民族連合共催のサイドイベントにも参加を予定する。具志堅さんは、これまで全国の地方議会にも国の土砂採取計画の中止を求める意見書の可決を働き掛けてきた。「機会があれば世界でも発信したいと考えていた」と話し、今後、一層発信力を高めていくという。(中村万里子)
https://news.yahoo.co.jp/articles/6d497c0e2b9af832218505d6baa6a6a728ae89aa

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ゴールデンカムイ」はなぜこんなに人気なのか、開催中の展覧会を見ながら考えてみた

2022-05-29 | アイヌ民族関連
@DIME2022.05.28 エンタメ #マンガ

©野田サトル/集英社
2014年に『週刊ヤングジャンプ』にて連載が始まった、『ゴールデンカムイ』(著・野田サトル/集英社刊)。金塊争奪戦をテーマにしたこの作品は、連載当初から様々な反響を呼び、「第22回手塚治虫文化賞マンガ大賞」など数々の賞を受賞。テレビアニメも今年10月から第四期の放送が控え、実写映画化も決定しました。そして2022年4月28日に連載が完結。コミックスは31巻で完結とアナウンスされています。
そして同じく4月28日より、作品史上初の大規模な展覧会が東京で開催中。京都と福岡への巡回も既に決定しています。
「不死身の杉元」の異名を持つ元兵士の主人公・杉元佐一は、アイヌが隠した金塊の噂を聞きます。その後ヒグマと遭遇。ひょんなことからアイヌの少女・アシ(リ)パと出会います。戦争で失った幼なじみの妻の目を治したい思いで金塊を探し始める杉元。謎を解く鍵となる暗号は、網走監獄に収監されていた24人の囚人に刺青として彫られていました。箱館戦争で死ぬことなく、網走監獄に収監されていた土方歳三一派、そして、鶴見中尉を中心とする第七師団。金塊を狙う人々の対立が始まりますーー。
期間限定で最終回まで全話無料公開という大胆な施策を打ち出し、SNSを中心に非常に盛り上がった『ゴールデンカムイ』。「和風闇鍋ウエスタン」とも称されるこの作品は、なぜこんなにも人々を惹きつけるのでしょうか。原作ファンのライターがプレス内覧会に行ってきました。
※アシ(リ)パのリ、マタンプ(シ)のシは小文字が正式表記。
いきなり現れる、普段は国立科学博物館にいる「ヒグマ」
入場すると、まず第1ゾーン「金塊争奪戦の開幕」が始まります。主人公・杉元佐一とアイヌの少女・アシ(リ)パの紹介からスタート。杉元のかぶっている軍帽やアシ(リ)パの持つマキリ(アイヌの小刀)、といった作中に登場したもののもモデルとなった資料に加え、ヒグマのはく製が鎮座しています。二人が出会うきっかけにもなり、ある意味、作品のひとつの要の存在です。
国立科学博物館の所蔵品であるこのヒグマは、はく製だとわかっていても迫力がすごく、一瞬ビクッとしました。作中で杉元たちは何度もヒグマと遭遇し、時に倒してもいるのですが…この獰猛な動物が目の前にいて立ち向かうことを想像するだけで凄すぎます。その大きをぜひ、会場で感じてみて欲しいです。
作者の所蔵する資料がこんなにもあったとは
『ゴールデンカムイ』は、明治時代の文化、アイヌの人々の生活の様子、狩猟の様子などを綿密に描いた作品です。丹念な取材と徹底した資料収集に裏打ちされていることは、コミックスの巻末にずらりと並ぶ参考資料や言語監修担当者からもわかります。今回の展覧会では作者が所蔵する資料の一部を公開しています。
杉元同様に金塊を探す土方歳三一派、第七師団の人々、それぞれが着ている軍服、アイヌの人々の民族衣装や装飾品、道具などは、作中に登場したもののモデルとなった資料やそれに近い資料を参考に描かれています。
飯盒や軍帽などの持ち物や、銃剣などの武器まで、それぞれのキャラクター紹介に合わせて資料を展示。写植済のイラストと見比べることができます。
作中でどれだけ細かく精緻に描かれているのかが、より一層伝わってきます。
作中に登場するアイヌ刺繍のマタンプ(シ)(額に巻く鉢巻)、アイヌ紋様のマキリなども、資料を見ることができます。とても細やかで丁寧に縫われている刺繍に、不器用な私はびっくり。独自の紋様がとても美しいのです。
金塊の暗号と個性あふれる24人の囚人たち
第2ゾーン「24人の刺青囚人」は、作品の重要なカギである、金塊のありかを示す暗号が彫られた囚人たちの圧倒的な個性にフィーチャー。網走監獄をイメージした入り口をくぐると、強烈なキャラクターたちの、変(変態)で、残虐で、人間臭い、どこか不思議な魅力が展示されています。
モデルになった人物の情報などもあり、作品にどう活かされたかを見るのもまた面白いですよ。
命と文化と生きること
第3ゾーンでは、杉元たちが食べてきた数々のおいしいグルメ(動物の脳みそを含む)、北の大自然の中の暮らしや、日露戦争後の歴史背景、作中に登場した少数民族などの資料展示が「命を繋ぐものたち」という題で展示されています。
アイヌ、そして樺太への旅で登場する「ニヴフ」や「ウイルタ」、少数民族の文化の違いや独自性について、『ゴールデンカムイ』を通じて、初めて触れた読者も多かったのではないでしょうか。
インターネットがなかった時代、漫画は知らない世界への大きな入り口でした。そこから自分で調べることで知恵や知識が身につく、という流れがあったと思います。なぜアイヌが今少数民族となっているのか、立ち止まり考えてみることも大切ではないでしょうか。
この作品はコミカルなギャグやストーリーテリングの巧みさ、そしてぶっ飛んだキャラクターたちが特徴で魅力ともなっています。しかし、そうした「知らない人が多いもの」「忘れ去られる危険性のあるもの」を丁寧に描写している点も、国内外で高い評価を受け、支持されている大きな理由でしょう。
また、我々は命をいただくことで生きながらえている、ということも、改めて感じるこの第3ゾーン。「いただきます」の習慣は忘れてはいけないなと思いました。
美麗カラーイラストも展示!キャラクターと作者、そして読者が歩んだ道のり
後半は、杉元たちが歩んできた道のりが大きなパネルで展示されている第4ゾーン「それぞれの役目」。主人公杉元たち、第七師団、そして、土方歳三を中心とした一派の対立は時に敵味方入り乱れます。それぞれが利益、そして自分の役目や生き方を模索する作品でもあり、その複雑さも、面白さのひとつです。
第5ゾーン「黄金色名画廊」では、コミックス表紙やカラー扉などで描かれた、50点以上の美しいカラーイラストが集結。その迫力は圧巻です。ファンは「これはあの時のだ」とピンと来るのではないでしょうか。
第6ゾーン「そして未来へ」では、物語終盤の疾風怒濤の展開が展示されています。最後の展示には、まさに『ゴールデンカムイ』だ!となりますよ。
グッズも大充実!まだまだ『ゴールデンカムイ』から目が離せない!
展覧会の公式図録をはじめ、グッズも90点以上が展開。「尾形の棒鱈ポーチ」「第七師団のお風呂セット」など、作品の個性を活かした独創性あふれるグッズは、発表されるたびに話題になりました。また、火曜日と木曜日の16時以降に来場した方にはお面をプレゼントする「鶴見中尉ナイト」(火曜日)、「脱獄王 白石由竹ナイト」(木曜日)も開催。(※「鶴見中尉ナイト」は鶴見中尉または鯉登少尉のお面をランダムで配布)
全国巡回、アニメに映画化にと控えている『ゴールデンカムイ』。この展覧会で、リアルに基づいた丁寧な描写や緻密なストーリー、美しいイラストなど、ヒットの秘密がたくさん詰まっていることを改めて感じました。作品が完結しても、まだまだ目が離せません!
ゴールデンカムイ展
開催中~2022年6月26日(日)
東京ドームシティ Gallery AaMo(ギャラリー アーモ)
https://goldenkamuy-ex.com
※本展覧会はコミックス既刊以降の物語も展示します。アニメ化されていないストーリーも含まれますので、あらかじめご了承のうえ、ご来場ください。
取材・文/宇野なおみ
https://dime.jp/genre/1385849/

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アラスカの海岸で発見されたペトログリフ(岩面彫刻)の謎|8000年前の古代人からのメッセージとは?

2022-05-29 | 先住民族関連
サライ5/28(土) 20:03配信

不思議な文様が彫られたペトログリフ(アラスカ州ランゲル)
文・写真/大野絵里佳(アメリカ・アラスカ在住ライター)
アラスカと言えば手つかずの大自然という印象が先行するが、私がより心惹かれるのがそこに暮らしてきた先住民の歴史だ。アラスカ先住民といっても、大きく分けて10以上の民族グループがあり、各々独自の文化と歴史を持っている。なかでも今回は、南東アラスカを中心に住むトリンギット族(Tlingit)に関わるという「ペトログリフ(岩面彫刻)」の謎に迫ってみたい。
謎多きペトログリフ
ペトログリフ(Petroglyph)という名前は、ギリシャ語で石(petro)と彫刻(glyph)を意味する言葉から生まれた。ペトログリフが岩や石に彫刻が施されたものを指す一方、ペトログラフ(Petrograph)と呼ばれるものは岩面に塗料などで描かれたものを指す。両者は先史時代の記録を残すという歴史的価値を持ちつつ、「ロックアート」と呼ばれ芸術的評価も高い。
ペトログリフは世界中で発見されており、最も古いとされているのは現在のウクライナにある「カメンナヤ・モグリャ(Kamyana Mohyla)」で旧石器(約10,000~12,000年前)のもの。多くのペトログリフの用途や目的は、未だ謎に包まれているが、地域差に関わらず人型、人面、渦巻き型など共通の意匠が見られるのは興味深く、世界中の研究者が注目を寄せている。
約40点ものペトログリフが発見された「ペトログリフ・ビーチ」
この先史時代の謎多き遺物は、アラスカ各地でも発見されている。特に多くのペトログリフが発見された場所として有名なのが、南東アラスカに位置するランゲル(Wrangell)にある「ペトログリフ・ビーチ(Petroglyph Beach)」だ。ダウンタウンから歩いて約1kmにあるこの海岸には、動物や人面、幾何学模様などが刻まれた約40点の岩が点在しており、州立の歴史公園に指定されている。
遊歩道を進み海岸へ出ると、どこにどのようなペトログリフがある、というような案内板はなく大小のさまざまな岩石があるのみだ。この中から注意深く観察しペトログリフを探す。点数を「約40点」と先に述べたが、発見されて以来2/3が消えており、現在残存する正確な数は不明。砂や波によって削られ風化しているものも多く、光の反射や水に濡れた時に初めて気付くものもある。ちょっとしたトレジャーハント気分を味わえるのも、この場所の魅力かもしれない。
一度見たら忘れがたい独特の文様
見つけたペトログリフの多くは、渦巻きや重複する丸がほとんどだ。持ち上げることができそうなくらいの岩に彫られたものから、人より大きな巨石に彫られたものなど大きさは様々。直線的な文様はほぼなく、多くがダイナミックかつ柔らかな曲線で彫られている。シンプルなのに一度見たら忘れられないデザインで、なかでも印象的なのが人の顔のように見える文様だ。真ん丸の目、大きく開けた口は実にコミカル。古代人のユーモアというのがあるとすれば、それは現代の私たちとそう変わらないのかもしれない、とつい思ってしまう。また、アイマスクやゴーグルのような文様もある。北極圏に住む人々は氷上の狩猟時に、反射する日光から目を保護するために日本の遮光器土偶のような独特な形のサングラスを使用したというが、その形をも連想させる。
ベーリンジアからやってきた狩猟民の記憶
一体、どのような人々がなぜこのようなバラエティ豊かな文様をわざわざ硬い岩石に彫ったのだろうか。そのヒントは氷河期に起こったと言われる人類の大移動に隠されているようだ。
かつて、アメリカとシベリアの間にあるベーリング海峡は2度地続きとなった歴史がある。うち28,000年前から13,000年前に起こったであろう2度目のベーリング陸橋(ベーリンジア)の時に、シベリアに住んでいた狩猟民がマンモスや大型のシカなどを追ってアメリカ大陸に到着した。最初の“アメリカ人”である。アメリカ全土、そして南米へと進出してゆくグループがいるなか、現在のアラスカに定住するグループもいた。彼らは現在のアラスカ先住民の祖先と考えられている。
ランゲルを含む南東アラスカを中心に暮らすトリンギット族も、このベーリンジアから渡ってきた人々を祖先に持つという。興味深いことに、彼らの口伝に「祖先は“氷の穴”を通ってきた」というものや、「祖先は海からボートでやってきた」というものがある。
ペトログリフは子孫へのマイルストーン?
温帯雨林を保有する南東アラスカは、大きく丈夫な木材とサケ等の海洋資源が豊富だ。トリンギット族はカヌーやトーテムポールを彫り、サケ等を獲って独特の文化を築いてきた。文字を持たなかった彼らだが、口伝やトーテムポールの意匠などを通じ様々なことを子孫に伝えている。
ペトログリフ・ビーチにあるペトログリフは8,000年前にトリンギット族の祖先が彫ったもの、というのが有力視されており、いくつかの意匠はトーテムポールと共通するものもあるという。また、アラスカで発見されるペトログリフが作られた目的にサケの豊漁、記念日、神話、領土の主張、儀式などが考えられており、なんらかの“伝えるべき記録”だったのは間違いなさそうだ。
まだまだ多くの謎が残るペトログリフだが、ベーリンジアを越えやってきたトリンギットの祖先が、資源に富んだこの地を子孫へと受け継ぐために知らせようとした痕跡なのかもしれない。
ペトログリフ・ビーチ(Petroglyph Beach):アメリカ合衆国アラスカ州ランゲル グレイブストリート(Grave Street, Wrangell, Alaska, USA)
ペトログリフ・ビーチのウェブサイト(アメリカ自然資源局より)(英語)
文・写真/大野絵里佳(アメリカ・アラスカ在住ライター)2019年よりアメリカ・アラスカ州在住。猫と犬と一緒に、のんきでワイルドな日々を過ごしています。海外書き人クラブ会
https://news.yahoo.co.jp/articles/478757e97e11d3978b1e32ade9f8a2d1fff0f94c

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