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REDD:森林保全、共同宣言採択 日本含む先進国、途上国に40億ドル

2010-10-27 | 先住民族関連
毎日新聞 2010年10月27日 東京朝刊
 途上国での森林保全と地球温暖化対策を同時に進める新しい仕組み「REDD(レッド)」を協議する閣僚級会合は26日午後、今後2年間の作業計画などを定めた共同議長宣言を採択し、終了した。各国が行う森林保全の取り組みをデータベース化し、効果的な保全の手法を国際協力で探ることや、効率的な資金の調達方法を官民で模索することを盛り込んだ。
 パプアニューギニアと共同議長を務める前原誠司外相は終了後の会見で「この会議の前向きな動きを、(京都議定書以降の温暖化対策を話し合う11月末の国連気候変動枠組み条約第16回締約国会議)COP16の成功につなげたい」と語った。議長宣言には、各国の市民や先住民、民間を含めた広範囲の参加者が「REDD」に共同で加わることも盛り込んだ。
 REDDは、森林を開発した場合に増える排出量と保全した場合の温室効果ガス排出量の違いを分析、その差を排出権として途上国から先進国に売却できるようにする仕組み。先進国は自国の排出削減分とみなせると共に、途上国は新たな財源が確保されるため、京都議定書以降の温暖化対策の国際ルールでも有力な手法とみられている。
 途上国支援で先進国は約40億ドル、うち日本は5億ドルを拠出する方針で、インドネシアやブラジルなどと2国間協力も実施する方針だ。【江口一】
http://mainichi.jp/life/ecology/news/20101027ddm002040052000c.html

COP10:日欧、途上国へ資金援助 きょうから閣僚級会合 妥協点探る動き

2010-10-27 | 先住民族関連
毎日新聞 2010年10月27日 東京朝刊
 名古屋市で開催中の国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP10=名古屋会議)は26日、全体会合が開かれ、各国に微生物などの遺伝資源の利用と利益配分のルール「名古屋議定書」案を提示した。薬草に関する知識など先住民の伝統的知識も利益配分対象とすることで大筋合意したが、他の主要項目は留保が多い。日欧は対立している途上国との妥協策として、要望の強い資金援助を実施する方針だ。議長の松本龍環境相は27日からの閣僚級会合で対立点を協議する考えを示した。
 議定書では、遺伝資源が不正に持ち出されないよう監視する仕組みなどを盛り込む。途上国が特許出願時に原産国を開示するよう求めたのに対し、先進国は企業活動に影響が出ないよう柔軟な仕組みが必要と反発した。また、途上国は「議定書の発効前に持ち出された遺伝資源も対象」と遡及(そきゅう)適用を提起しているが、先進国は「法体系から考えて無理だ」と抵抗している。
 しかし、遡及問題で、一部のアフリカ諸国が、新たな基金が創設されると譲歩の可能性を示唆。これまでも支援してきたが、欧州連合は生物多様性条約事務局に100万ユーロ(約1・1億円)の拠出を表明した。日本も生態系保全のため、今後5年間に50億円の拠出を検討している。
 議定書名では、コロンビアが3月に自国のカリで準備会合が開かれたことを踏まえ「名古屋・カリ議定書」と提案したが、日本など各国が反対した。
 一方、生態系保全の新たな国際目標では、50年までの長期目標を「自然と共生する世界の実現」とすることでほぼ合意したが、20年までの海洋保護区の割合など、具体的な数値目標は決着していない。
 全体会合では、事務レベルの非公式会合を28日まで延長することを確認。松本環境相は「人類と地球の歴史において決定的な重要な時期だ」と合意への協力を要請。会合終了後の会見で、ブラジル政府は「名古屋で詳細を詰める必要はない」と大枠合意に賛成する考えを明らかにした。【足立旬子、福島祥】
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101027ddm002040046000c.html

「決して癒えない傷を持っていながら、なぜこんなにも笑い合い、許し合えるのか」『

2010-10-27 | 先住民族関連
カンタ!ティモール』広田奈津子監督に聞く
(webDICE 2010-10-26 22:13)
東南アジアに位置し、豊かな自然を持つ小さな島国、東ティモール。長きにわたるポルトガルによる植民地支配そしてインドネシアの軍事占領の後、1999年に独立を目指す国民による住民投票が行われたものの、インドネシア治安当局による暴力行為を受ける。そうした困難の末、2002年5月に独立を果たした。
音楽を通して国際交流を行うユニット「環音」が、現地に赴き地元の人たちとの交流を通して、東ティモールの民衆たちの喜びと苦しみを描いた映画『カンタ!ティモール』が11月1日(月)渋谷アップリンク・ファクトリーで上映される。想像を絶する虐待を受けながら、笑顔と人を信じるこころを忘れない東ティモールの人々の姿が胸を打つドキュメンタリーだ。「カンタ」とは東ティモールのことばで「歌」という意味だが、音楽のエネルギーを糧に世界の人々と繋がろうと活動を続けてきた監督の広田奈津子さんが、先行試写会を前に8年間にわたり見続けてきた東ティモールへの思いを語ってくれた。

東ティモールの歌の多くは、録音された媒体などないのに、遠くの村同士でも共有されている

──『カンタ!ティモール』は、広田監督が実際に東ティモールに行かれて体験したことや人々との交流から生まれたエピソードとともに、東ティモールという国が置かれている状況の報告も同時に行われることで、とてもエモーショナルでありながら、説得力のある内容になっていると思います。監督がまず東ティモールを題材にすることを決めたきっかけ、そして映画の構成について最初に構想していたことがあれば教えてください。

2002年の東ティモール独立式典にソウル・フラワー・モノノケ・サミットを招聘した際、その会場の片隅で、ある歌を耳にしたのがきっかけです。声だけが聞こえていて主は見つからず、あきらめて帰国し、その一年後同じ場所で同じ声を聞いたのです。こんどこそは!とつかまえて、歌のメロディを教えてもらい、帰国。その曲を「星降る島」としてソウル・フラワーがカヴァーし、広がり始めました。でも、原詩の意味がわからない。それで、歌っていた青年を探しに行くことにしたのです。その頃は映画を作る気はなく、ただその名も知らぬ彼を探しに。それで彼を見つけ出し、歌詞の意味を尋ねたら、彼は「詩は感じるものだから説明できない」といたずらっぽく笑って質問をかわし、かわりに自慢の村々を案内してくれました。そこで出会っていった音楽や人々の言葉に心が動き、大急ぎで帰国して撮影機材を用意したのです。構成は全くなく、幸運な偶然が重なった旅が映画になりました。

──広田監督は「環音(わおん)」をはじめ、生物多様性の問題における運動などを続けていらっしゃいますが、発展途上の国との関係や環境についての意識は小さい頃からお持ちだったのでしょうか?現在のような多岐にわたる活動のきっかけとなったことはありますか?

小さい頃に母のように親しんでいた森が突然伐採され、とてつもないショックを受けたことがありました。それで高校を出た頃、アメリカ先住民チーフ・シアトルの、大地を母と呼ぶ演説を読み、涙が止まらず、先住民のいるカナダへ。そこで出会った老人が、「泣くことはない、大地を母とする民が太平洋を囲んで生きているから会いに行きなさい」と。それでポリネシアやアジアなど旅することになり、老人の言葉どおりティモール含め様々な場所に出会っていきました。

──過酷な環境にありながら、東ティモールの人々の明るい笑顔が全編を通して最も胸に残ります。どんなに傷を受けても敵国の兵士を助け、諭す。監督は映画を完成させて、なぜこのような国民性が生まれたのだと感じますか?

太陽に照らされた底抜けな明るさの一方で、ほぼ全国民が持っている、深い心の傷。最初、その明暗のコントラストに頭がクラクラしてわけがわからなくなりました。決して癒えない傷を持っていながら、なぜこんなにも笑い合い、許し合えるのか。旅を続けるうち、私が得た答えは、彼らの世界観でした。大地という母から生まれた大きな家族として人も獣も生きている。敵であろうと全てひとつの生命体として存在しているという感覚です。多くの人が「自分は傷ついた。だけど傷つけなかった。だから大丈夫」と言いました。自然でも人でも、相手への行為は自分への行為と同じということです。それが根底にあるからかもしれません。

──また今作の大きな幹になっている東ティモールの音楽とその在り方についても教えてください。踊りと生活が密着している、そして踊ることが大きな圧力への抵抗となること。子供のために歌うこと、それはつまり未来のために歌うことだと思うのですが、そうして歌が伝えられていく、という音楽本来の根源的なパワーや意味を深く考えさせるものがありました。この作品のなかにある東ティモールの音楽は、「星降る島」にあるように、我々が普段接するアメリカやヨーロッパそして日本のポップスに近い、シンプルだけれども共感を強く覚える歌が多いですが、これは東ティモールの伝統なのでしょうか?または東ティモールの音楽のあくまで一部分なのでしょうか?

歌の多くは録音された媒体などないのに、驚くべき遠くの村同士でも共有されています。軍事攻撃を受けた24年間、人々は常に危険にさらされていました。母国語で平和を歌うなど自殺行為で、歌はひっそりと耳から耳へ伝えられました。そうするうちに、シンプルで耳に残るものになっていたのではないかと思います。まるで河を転がる石が丸くなるみたいに。だから私の耳からもずっと離れなかったのでしょう。

──長い期間にわたり、東ティモールを画面に収め続けていくなかで、広田監督の映画を作っていくことへの意識やポリシーに変化はありましたか?気持ちを新たにした部分や、変革を迫られた出来事はありましたか?

ティモールのシャーマン(神社の守り人)が、「お前の土地に帰り、まだそこにいる神々を敬いなさい」と言ってくれたんです。その通りですね、と思いました。でもその後がビックリしました。私の目を少し笑うように見て、「そうすれば人が繋がるから」と言ってくれたんです。私は自分の大事な森を切った大人たちを許さずに、地元から目をそらしていました。そのことを言っていると気付いてドキッとしました。それで帰国し、地元の町内会のおじさんたちと神社の掃除などをするご縁になり、田んぼも借りることが出来ました。外へ旅に出がちでしたが、海の向こうの平和のためにも、地に足をつけなさい、と言われた気がします。

(取材・文:駒井憲嗣)
1979年愛知生まれ。アメリカ大陸先住民との縁から環太平洋を旅し、2002年、東ティモール独立式典内コンサートにソウルフラワー・モノノケ・サミットを招聘、以後国際音楽交流を続ける。2003年、東ティモールで聞いたある歌が忘れられず、映画『カンタ!ティモール』制作を開始。

http://www.webdice.jp/dice/detail/2685/

歴史・迷宮解:古代蝦夷の身体的特徴

2010-10-27 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2010年10月27日 東京朝刊
 ◇アイヌ民族とも大和民族とも共通
 古代の東北地方で大和王権の支配に服さず、エミシ(蝦夷)と呼ばれたのは、どのような身体的特徴を持つ人たちだったのだろうか。アイヌ民族の祖先か、それとも大和民族と同じ系統の辺境の民か。東北地方で出土した古人骨の分析結果から、長年の論争の終着点が見えてきた。
 川久保善智(よしのり)さん(佐賀大助教)、澤田純明(じゅんめい)さん(聖マリアンナ医科大助教)、百々(どど)幸雄さん(東北大名誉教授)のグループは、最近十数年間に出土例が著しく増加した東北地方の古人骨の頭蓋骨(とうがいこつ)を網羅的に調べた論文を昨年12月、日本人類学会機関誌に発表した。
 南東北(宮城、福島、山形)の6~10世紀の後期古墳などから出土した古墳時代・古代人骨51体(「東北古墳」と分類)と、北東北(青森、岩手、秋田)の江戸時代人骨93体(「北東北江戸」)の頭蓋骨を調べ、「東日本縄文」「北海道アイヌ」「関東古墳」「北部九州古墳」「関東江戸」「北部九州江戸」と比較した。
 頭蓋骨の形は、縄文人よりも渡来系とみられる弥生人の方が面長で平坦(へいたん)であるなど、人類集団によって違いがある。そうした特徴をみるために最大長、最大幅、鼻高など18項目を計測した。
 また、頭蓋骨には身体機能に影響しない小さな差異(頭蓋形態小変異)があり、それを持つ人の割合が人類集団によって異なる。そのうち眼窩上孔(がんかじょうこう)(目の上の骨の小さな穴)の有無など6項目を調べた。
 それぞれ得られたデータを統計分析した結果、各集団の近縁性は図のような位置関係になった。頭蓋計測値、頭蓋形態小変異ともに、東北古墳と北東北江戸は、ともに図の中央付近に位置し、図の右にある北海道アイヌや東日本縄文と、左側にある関東や北部九州の間になった。
 頭蓋骨にみられる身体的特徴は古代も江戸時代も、九州から関東、東北を経て、北海道アイヌまたは東日本縄文人に向かって連続的に変化している。蝦夷と呼ばれた古代東北の人類集団にも、北海道アイヌや縄文人に多い特徴を持った人もいれば、西日本に多い特徴の人もいたとみられ、線引きすることは難しいと百々さんらは結論づけた。
 日本人の形成史については、弥生時代に中国大陸、朝鮮半島から北部九州に渡来があり、その人たちの遺伝的形質が日本列島の中央部に広がったとする「二重構造モデル」が有力で、渡来系と在来の縄文系の混血の過程は現在も続いているとされる。百々さんらの研究はこれを支持する結果となった。
 このことは、分子人類学の安達登さん(山梨大教授)が今月1~3日、北海道伊達市で開かれた日本人類学会で報告したミトコンドリアDNAの解析結果からもうかがえる。
 母系で伝えられるミトコンドリアDNAには血液型のように、ハプログループと呼ばれるさまざまな系統があり、アルファベットと数字で名前が付いている。どの系統が多いかは人類集団によって異なる。
 東北地方の縄文人骨20体のミトコンドリアDNAのハプログループは、N9bが60%(12体)、M7aが30%(6体)、D10とD4bがそれぞれ5%(1体)を占めた。これに対して、現代の本土日本人ではN9bは2%前後と低く、D4が30~40%を占める。
 東北地方の江戸時代人骨ではD4が43%を占め、平安時代・中世人骨ではD4が36%を占めた。古墳時代人骨で解析できた2体のうち、1体はD5b2、もう1体はN9bだった。サンプル数があまりにも少なく、確かなことは言えないが、古墳時代から平安時代にかけて、縄文人に多いN9bやM7aから現代人に多いD4を主体とする人口構成に変化したことも想定される。
 N9bとM7aが日本列島とロシア沿海州のアムール川下流域を中心に分布するのに対し、D4は中国、朝鮮半島にも多くみられる。ミトコンドリアDNAも渡来系の遺伝子が時代を追って九州から東北へと広がっていったことを示しているようだ。【佐々木泰造】
http://mainichi.jp/enta/art/news/20101027ddm014040135000c.html

森林保有国への助成拡大で一致 COP10

2010-10-27 | 先住民族関連
(日本経済新聞 2010/10/26 22:12)
 名古屋市内で開催中の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)にあわせ、62カ国の閣僚らが「森林保全と気候変動に関する閣僚級会合」を26日、開いた。途上国の森林減少防止の具体策を話し合う国際的な枠組みを促進する狙いで実施したもので、会合では森林保有国への資金助成の強化や先住民も交えた森林の状況調査などに取り組む方向を確認した。
 会合は日本とパプアニューギニアの両外相が共同議長を務めた。日本側議長の前原誠司外相は会合後に記者会見し「森林保全は気候変動対策の重要な柱であり、話し合いを加速する方向を示せたのは成果だ」と強調した。
 両議長は会合後に「共同議長サマリー」を公表。年末までに2011~12年の作業計画を作り、研究開発の強化や国ごとの保全戦略策定などを進める「準備活動」や、国際機関などを通じた資金助成の仕組みづくりなどの具体化を目指すとした。
 森林は二酸化炭素(CO2)の吸収量が多く、地球温暖化問題を解決する有力な手段とみられている。ただ南米や東南アジアなど豊富な熱帯雨林を持つ国では開発が進み、木材輸出の需要も大きいことから、森林の減少に歯止めがかからない状態が続いている。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E0E4E2E0938DE0E4E3E2E0E2E3E29797E3E2E2E2;at=DGXZZO0195164008122009000000

収穫に感謝の祈り 浦河でアイヌ民族の祭り

2010-10-27 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 10/26 13:56)
 【浦河】北海道アイヌ協会浦河支部(富菜勉支部長)は24日、堺町生活館で秋の感謝祭「パセオンカムイ カムイノミ」を開いた。今年から、地域住民に公開し、アイヌ料理の試食などを通じて、アイヌ文化への理解を深めてもらった。
 感謝祭は新ひだか町から祭司の福嶋正一さんを招き、25人ほどが参加。初めに家を守る神などに祈った後、屋外の祭壇に設置した水や海、地域を守るなど13の神に対して感謝の祈りをささげた。
 先祖供養の「イチャルパ」を行った後、浦河アイヌ保存会(庄子トリ会長)の会員が古式舞踊や輪踊りなどを披露。儀式終了後には、コンブだれの団子やサケの塩汁など昔ながらの作り方を再現したアイヌ料理を振る舞った。(陳岡俊哉)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/257156.html


森の保全と温暖化防止同時に 新たな仕組みに脚光

2010-10-26 | 先住民族関連
【共同通信 2010/10/26 12:16 】

 国境を越えて森林保全と地球温暖化防止を同時に進めることを目指す「REDD(レッド)」と呼ばれる新たな仕組みが、にわかに脚光を浴びている。京都議定書に定めのない2013年以降の温暖化対策の国際枠組みづくりが遅々として進まないことが背景にある。
 発展途上国で森林保全事業をすると「排出枠」が得られる制度を将来つくり、途上国に保全資金を呼び込むとともに、温暖化ビジネスを活性化する狙いがある。
 5月に設立した推進組織には、日米英など先進国と途上国の計69カ国が参加。名古屋市での生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に合わせて26日、推進組織の閣僚級会合を開催。山花郁夫外務政務官が「主要排出国がすべて参加する枠組み構築に向け、森林保全は重要な柱。国際交渉に弾みがつくことを期待したい」と語った。
 荒廃した森は二酸化炭素(CO2)の巨大な排出源。伐採や火事で森が破壊されると、木や土壌が大量のCO2を放出する。こうした排出は世界の温室効果ガス排出量の10~20%に達する。
 REDDは「森林減少と劣化の防止による温室効果ガスの削減」の英文略語。
http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010102601000186.html

【生物多様性】バイオ燃料推進国 森林保護国 環境でも対立

2010-10-26 | 先住民族関連
(MSN産経ニュース 2010.10.26 00:07)

 名古屋市で開かれている生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で、気候変動対策に有効として世界各国で推進されるバイオ燃料に関する決議について、バイオ燃料の輸出大国であるブラジルと、「森林がバイオ燃料を作るために切り倒されている」と主張するアフリカ諸国などが対立している。かつてバイオ燃料の推進が食糧価格上昇の要因になったと批判されたが、生物多様性にも影響を及ぼすことが、問題点として浮かび上がっている。(杉浦美香 杉村奈々子)
 25日、ブラジルはセミナーを会場近くで開催、同国環境相も出席して、バイオ燃料が生物多様性に悪影響を与えることがないことを訴えた。
 バイオ燃料はトウモロコシやサトウキビ、アブラヤシなど植物を発酵させて生産するため二酸化炭素の排出量がゼロと計算される。このため、米国や欧州はバイオ燃料をガソリンなど化石燃料の代替燃料として推進。日本もガソリンにバイオエタノールを混ぜることを検討中だ。
 しかし、アフリカやアジアの途上国では外貨を稼ぐことができるため畑がバイオ燃料用に転作され、森林の恵みで生活する先住民が畑により居住地を脅かされる事態も起きている。25日の会議でも、ノルウェーの先住民、グンブリット・レッターさんは「伝統的に住んできた土地が奪われ生活が乱される。そこに単一作物が植えられて生物多様性にも悪影響を及ぼす」と訴える。
 一方、バイオ燃料の必要性は認めつつも、何らかの規制を求める声もある。スイス政府のフランツ大使は「バイオ燃料の推進は温暖化対策として重要だが、食糧や生物多様性に影響がないようにCOP10でガイドライン作るべきだ」と主張している。
http://sankei.jp.msn.com/science/science/101026/scn1010260008000-n1.htm

カナダとEUにドードー賞 「多様性損失」と市民団体

2010-10-26 | 先住民族関連
【共同通信2010/10/25 16:35 】

 多様性保全に最も後ろ向きなのはカナダと欧州連合(EU)―。名古屋市での生物多様性条約会議が会期後半に入った25日、世界の市民団体でつくる「CBDアライアンス」は、同国・地域が議事進行を妨げ、多様性損失に貢献したとして「ドードー賞」を贈った。
 ドードーは、インド洋のモーリシャス島に生息した飛べない鳥。人間に食べられるなどして1700年代に絶滅したため、生物多様性喪失の象徴とされる。
 カナダとEUは、焦点の一つである遺伝資源の利益配分をめぐる交渉で、産業界の権利を主張し議事進行を阻んでいる、とした。カナダについては、先住民386件の権利に関する国連宣言に議定書で言及しないよう求めたことも批判した。
http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010102501000479.html

ユーカラ 英国に響く 平取のアイヌ民族が披露

2010-10-26 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 10/25 15:51)

 【エディンバラ西山由佳子】英北部スコットランドで開催されている民話などの語り部の祭典「スコットランド国際ストーリーテリングフェスティバル」に、日高管内平取町の鍋沢保さん(74)=平取アイヌ文化保存会会長=と萱野志朗さん(52)=二風谷アイヌ資料館館長=が24日、アイヌ民族として初めて参加。ユーカラ(神謡)を披露して約200人の観衆から喝采(かっさい)を浴びた。
 祭典は地元NPOの主催で、21回目の今年は「東方への道」がテーマ。スコットランド各地で31日までの10日間、世界中の語り部50組余りが地元の伝説などを発表する。
 2人はエディンバラの会場に出演し、まず萱野さんが、儀式で神にささげる酒の作り方を記録したドキュメンタリー映像を見せながらアイヌ文化を紹介。続いて鍋沢さんが樹皮で編んだ衣装とサパンペ(冠)の正装で、少年英雄ポイヤウンペが活躍する二つのユーカラを独特の節回しで表現した。
 萱野さんは「熱心に聞き入ってもらい、アイヌ文化への関心の高さを感じた」、鍋沢さんも「言葉は分からなくても、抑揚で物語の展開を感じてくれたならうれしい」と喜んでいた。2人はさらに3カ所で公演し、11月1日に帰道する。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/257027.html

支局長からの手紙:鳥居龍蔵と台湾 /徳島

2010-10-26 | 先住民族関連
毎日新聞 2010年10月25日 地方版

 「鳥居龍蔵記念博物館」が徳島市内の文化の森総合公園に11月3日、移転開館するのを伝える「文化の森通信」が目に留まりました。徳島市出身の人類学者・考古学者の鳥居龍蔵(1870~1953)が1896(明治29)年ごろ、台湾の調査で東海岸部の先住民(台湾での表現では原住民)、アミ族の人たちと写っています。
 今年の8月、台湾を旅行しました。東部の花蓮からさらに列車で南へ。玉里という町でアミ族の連合豊年祭を見ました。台湾の先住民のうち、アミ族は7、8月ごろが豊年祭の季節で、集落ごとにあちこちで開かれるのに加え、ショー化した連合豊年祭も数カ所であります。
 歌手のコンサートとセットになっていたりして、昔ながらの祭りとは違うのかもしれませんが、私の見た日の祭りでは、先住民の人気歌手、タンクも登場して盛り上がりました。華やかな衣装の人たちが大きな輪になって踊る姿にうきうきします。なにかと自治体の首長が前に出てくるのは、激しい選挙戦で有名な台湾らしいところでしょうか。
 歌の一節が「みなさんいっしょに」と聞こえました。日本統治時代があったことを忘れてはいけません。旅行中、日本語を話す人に何度も助けてもらいました。
 鳥居は、台湾の日本統治初期の1896~1900年に4度の調査に赴き、東部の離島・蘭嶼島も訪れています。その後、東アジア全域を調査に駆け巡った鳥居。その行動力、言葉も通じないのに成し遂げた調査の能力には感動します。とてもかないません。
 鳥居が残した写真は、東京大学総合研究博物館のホームページでも見ることができます。鳥居龍蔵記念博物館では11月7日午後1時半、開館記念として、吉開将人・北海道大准教授による「民族史学者鳥居龍蔵--台湾・南中国への眼差し」と題した講演会もあります。
       ◇
 鳥居記念博物館があった鳴門市の妙見山に登ってみました。山頂に立つ天守閣様式の建物は、博物館の文化の森移転のため3月末に閉鎖され、中に入っての展望は楽しめませんでした。今後どうなるのか、ちょっと寂しい山頂でした。【徳島支局長・松井士郎】
http://mainichi.jp/area/tokushima/letter/news/20101025ddlk36070358000c.html

今週の本棚:池澤夏樹・評 『エル・ネグロと僕…』=フランク・ヴェスターマン著

2010-10-25 | 日記
毎日新聞 2010年10月24日 東京朝刊

 ◇『エル・ネグロと僕--剥製にされたある男の物語』
 (大月書店・2520円)

 ◇肌の色による差別と開発援助
 一九八三年、オランダ生まれの十九歳の若者が気ままな旅の途中、スペインの田舎町の博物館で驚くべきものに出合った。

 人間の剥製(はくせい)!

 とても小柄な黒人で、槍(やり)と盾を持っている。「カラハリ産ブッシュマン」という表示がある。しかしそこで売っている絵はがきには「ベチュアナ人」とあった。

 この博物館の創始者フランシスコ・ダルデルは一九一八年に亡くなっている。つまり剥製はそれ以上に古いものだが、それにしても……

 この出合いを記憶したまま、若者は開発援助の専門家を目指す。しかし、座学を終えていざ貧しい国の現場に立ってみると湧(わ)くのは疑問ばかり。貧富の差、それを助長する社会、役に立たない援助、そして肌の色による差別と偏見。

 ペルーの山奥の村で、反政府組織センデーロ・ルミノソの襲撃に怯(おび)えながら、その村の灌漑(かんがい)システムを調査する。不自由な生活や村人の誤解を乗り越えて得た結論は、ここの灌漑には援助などしない方がいいというもの。この地域の自然と精緻(せいち)に組み合わされた現行システムは外から手を加えれば壊れてしまう。「介入しないのが最善策」

 この体験を機に彼は開発援助の仕事を捨てて新聞記者になった。最初の仕事はバルガス=リョサも候補者だったペルーの大統領選だ(今回のノーベル文学賞受賞者はこの選挙でフジモリに敗れた)。

 そして、時間を見つけてはあの剥製の来歴を調べ始める。名前もなく、出身地はおろか種族さえ曖昧(あいまい)にただ「エル・ネグロ(黒人)」とだけ呼ばれる男。スペインの古い新聞の記事を探して、これが一八八八年のバルセローナ万博で展示されたと知り、そこからたぐってヴェロー兄弟なる二人が一八三〇年か三一年に「アフリカ南端、喜望峰」からこれをフランスに持ち帰ったことを突き止める。

 新聞記者として取材に行ったシエラレオネでは、すっかり壊れてしまった国を見て、アフリカなどの貧しい国々と先進国との関係について考え込む。

 第二次大戦後、世界各地で植民地が独立した。宗主国のくびきを逃れた以上、彼らは豊かな国を作れるはずだったのに、そうはならなかった。どこで失敗したのだろう?

 「認めるのはつらいことなのだが」と前置きして、ヴェスターマンは開発援助の動機の根本には人種差別がある、と言う。白人のやりかたの方が優れているからそれを教えてやるという態度。また受ける側のそれに迎合する姿勢。そこからは形を変えた従属の構図しか生まれない。

 振り返ってみれば、ペルーの村の住民は外来の彼に改善を期待した。何か新しいものをもたらして村の生活を一変してはくれないか。コンクリートで水路を固めたら保守作業が不要になる。しかし、「集団作業の必要がないとなると、村をひとつの共同体にまとめてきた伝統が失われる」というのが彼の結論だった。

 エル・ネグロの探索の方も進む。十九世紀に人間を剥製にするようなことがなぜ許されたのか? 「黒人が白人より劣っていることは、歴史家も比較人種解剖学者も口を揃(そろ)えて確認するところである」というような言説が世間の主流だった。だから、さまざまな人種の遺体が標本として研究機関に持ち込まれた。あるいはそれが見世物(みせもの)になることもあった。

 日本でも一八六五年に函館でイギリスの領事がアイヌの墓を暴いて骨を盗み出すという事件があった。これも目的は人類学の資料だった。

 一九九一年、スペインではアルセリンという黒人の医師がアフリカ人の剥製の展示に反対する運動を始め、さまざまな議論とどたばた騒ぎを経たあげく一九九七年に「エル・ネグロ」は撤去された。後に解体されてアフリカのボツワナに返されたが、そこは彼の本当の故郷ではなかった。すべてを政治が歪(ゆが)める。

 ヴェスターマンは開発援助や旧植民地の事情の報道に携わった半生をユーモラスに振り返りながら、これらすべての問題の底流にある構造化された差別意識について考える。

 先進国の人間は自分たちが豊かな理由を教えてやると言って今も旧植民地をいいように利用しているのではないか。欧米の文明に背を向けて本来の道を歩めば、金銭まみれとは別の幸福があるのではないか。

 最後に南アフリカに行ったヴェスターマンは(ヴェロー兄弟は盗んだ遺体をケープタウンで剥製にした)、アパルトヘイトが終わったこの国で意気軒昂(けんこう)な黒人たちを前にしてまた考え込む。「あなたが白人のくせに、エル・ネグロについて本を書く」ということに不快感を覚える者もいると言われる。

 長くこの国を支配していた白人はオランダ系であり、それゆえにオランダ人である彼はまた考え込む。それでもこれはヨーロッパの問題だ、加害者はヨーロッパ人だったのだからと心の中で反論する。

 体験と追跡調査と思索が一体となった読みごたえのある本である。(下村由一訳)

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20101024ddm015070015000c.html

アイヌ刺繍展:先祖の文化を継承--水俣 /熊本

2010-10-23 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2010年10月23日 地方版

 アイヌ民族に伝わる独特の文様を描いた刺繍(ししゅう)作品展が、水俣市牧ノ内のもやい館ギャラリーで開かれている。25日まで。入場無料。
 先祖がアイヌという札幌市の計良(けいら)智子さん(63)らの作品。計良さんと交流のある水俣市のNPO法人水俣病協働センターが招いた。タペストリーやバッグなど約100点を展示。模様には魔よけの意味が込められているという。明治政府の同化政策でアイヌの刺繍文化はほぼ姿を消したが、計良さんは18年前から復活に取り組んでいる。【西貴晴】
http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20101023ddlk43040584000c.html


【白老】町が札幌駅西口で観光PR

2010-10-23 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2010年 10/23)
 白老町はJR北海道とのタイアップで観光振興を図っている。22、23日にはJR札幌駅西口で観光PRを行った。JRの「日帰りJRでぶらり旅」などで同町がコースになっている「JR商品」が多く、今回は「JRとの連携事業として、道都での観光PRとなった」と言う。
 職員3人が、「しらおい」と書かれた法被を着ての観光PR。「アイヌ文化と名物白老バーガー」「白老町癒やしの森 森を歩いて健康改善」「ウヨロ川サケウオッチング」のほか、同町の観光ガイドなどのチラシを配布した。チラシの袋の中には、同町名物の「若草まんじゅう」も入っており、ビジネスマンや買い物客、観光客らが「あら珍しい」「白老牛はおいしいよね」などと言いながら、チラシを受け取っていた。
http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10102302.html


水彩画家は97歳―室蘭の石田さん、さらなる意欲燃やす

2010-10-23 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年10月23日(土)朝刊】
 室蘭市中島町の老人ホーム「チエロ」で暮らす石田きよさん(97)は80歳から水彩画を始め、現在も「絵を描いている時は時間を忘れます」と衰えない創作意欲を画用紙に向けている。
 かつて高校の英語教師だった石田さん。退職後も母子福祉のボランティア活動に打ち込んでいたため「趣味を楽しむ余裕はなかった」と振り返る。福祉センターで行われていた市民講座に参加したのが“80の手習い”のきっかけとなった。
 写真を見ながら、構図を決め緻密(ちみつ)に表現する石田さん。最新作は、若者がサーフィンで遊ぶ海岸の風景を描いた。「制作には半年ぐらい掛かった。海岸を歩く人の足の筋肉などを描くのが難しかった」と楽しげに説明する。
 最近は、絵の具を出すなど準備をするだけで疲れてしまい、あまり描く時間がとれないのが不満。「絵を描くのが生きがいになっています」と若々しい笑顔を見せ、「今度はアイヌの祈りをテーマにした作品に取り組みたい」と、さらなる意欲を燃やしている。
(佐藤重理)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/10/23/20101023m_03.html