先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

山田祐治さんの作品展示 白老・チキサニで来月31日まで

2018-09-18 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2018/9/17配信

山田さんの作品が並ぶ作品展
 白老町在住の彫刻家、山田祐治さんの木彫り作品の展示が、町内のイオル事務所チキサニで行われている。シナやエンジュの木を使って手彫りしたニポポやエカシ、アイヌ文様のチェプなどの作品を展示中だ。
 山田さんは高校を卒業した1973年から彫刻家として活動しており、これまでにアイヌ伝統工芸展などに作品を出展し、さまざまな賞も受賞。アイヌ民族文化財団のアイヌ文化工芸アドバイザーとして活躍するなど、彫刻家として町内外で名をはせている。
 今回の作品展には、6点を出展。クマや鳥のほか、二対になったニポポ、エカシ像、クマのマスク、アイヌ文様を施したチェプ(サケ)といった作品を展示中だ。山田さんは「この機会に作品を見てもらえたら」と話している。
 併せて、アイヌ民族文化財団が所蔵する着物とゴザの複製資料も展示している。
 展示は10月31日まで。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/14681/

「北加伊道」の文字ある書物も…“北海道の名付け親” 探検家・松浦武四郎企画展 三重

2018-09-18 | アイヌ民族関連
東海テレビ  2018年9月17日 月曜 午前10:42

「北海道の名付け親」と呼ばれている三重県松阪市出身の探検家・松浦武四郎の企画展が津市で開かれています。
 松浦武四郎は、江戸時代後期に現在の松阪市で生まれ、北海道でアイヌの人たちの生活などを記録しました。
 会場には、函館山を描いた冊子やアイヌの舞踊を描いた掛け軸など、およそ430点が展示されていて、中には武四郎が明治政府に提案した「北加伊道」の文字が読み取れる書物もあります。
 この企画展は11月11日までで、期間中、地震で大きな被害を受けた北海道への義援金も受け付けるということです。
https://www.fnn.jp/posts/2050THK

武四郎の足跡たどる MieMuで企画展 三重・津市(動画)

2018-09-18 | アイヌ民族関連
三重テレビ 9/17(月) 11:51配信
 北海道の名付け親として知られ、生誕200年を迎えた松阪市出身の探検家松浦武四郎の足跡をたどる企画展が、津市にある三重県総合博物館MieMuで始まりました。
 松浦武四郎が「北海道」と命名して150年になることにちなんで開かれたもので、15日は鈴木知事をはじめ、北海道出身で武四郎生誕200年広報大使の川村ゆきえさんや、北海道博物館の石森館長らが出席して開会式が行われました。
 あいさつで石森館長は9月5日に発生した大地震に触れ、「義援金やメッセージなど多くの方から支援を頂いている」と感謝を述べた上で次のように話しました。
 会場には、武四郎がアイヌの人たちの風景や暮らしを記した「蝦夷漫画」をはじめ、自分の亡くなる時の姿を涅槃図になぞらえ、友人の画家に描かせた絵画など約450点が展示され、武四郎の蝦夷地調査の足跡や交友関係を知ることができます。
 館内には、北海道の復興に役立てられる義援金の募金箱が設置され、川村ゆきえさんらが来館者に協力を呼びかけていました。この企画展は、11月11日まで開かれています。
https://news.yahoo.co.jp/

森英恵、陳建民、七代目正蔵、金田一京助…孫から見た有名人の素顔〈週刊朝日〉

2018-09-18 | アイヌ民族関連
アエラ 9/17(月) 11:30配信
おじいちゃん、おばあちゃんと過ごした時間は人それぞれ。でも、どこかで自分の生き方に影響を与えているはず。著名人を祖父母に持つ4人の方々に思い出を伺いました。
*  *  *
■森泉/祖母 森英恵
 祖母はいわゆる「おばあちゃん」という感じでなく、森家をまとめてくれる存在。尊敬を込めて家族はみんな「ママモリ」と呼んでいます。小さい頃、祖母が暮らす1階の部屋に遊びに行くと、いつも忙しく働いていました。一方で日曜日には、家族のために料理をふるまってくれるんです。いい素材を選んで、味付けは塩やオリーブオイルなど最低限。それがすごくおいしい。仕事も家庭もちゃんとしている、本当にカッコいい女性です。
 私がこの仕事を始めたときには、いろいろアドバイスをしてくれました。雑誌のモデルをしたとき私がよく笑っていたら、「歯医者の広告じゃないんだから、こんなに口あけちゃだめよ」とか。手厳しいことも言われますが、すごく的確。応援してくれているんだと思います。
 私は6月にママモリにとって4番目のひ孫になる女の子を出産しました。すごくかわいがってくれます。まだまだ長生きして、森家を見守り続けてほしいです。
■陳建太郎/祖父 陳建民
 とにかく優しいおじいちゃんでした。人をもてなすのが好きで、家に誰かが遊びに来るたびに料理をふるまっていましたね。僕も祖父の料理が大好きで、いちばんの好物は回鍋肉。「残った油にご飯をつけて食べるとおいしい」と教えてくれましたが、祖父は糖尿病を患っていたので、祖母に見つかると怒られてました(笑)。
 祖父には四川省にも香港にも奥さんがいますが、僕たちの祖母である洋子さんは、それを承知で結婚したそうです。今でもみんな仲良しで、先日も仕事で香港に行き、香港にいる祖父の子どもや孫と食事をしました。彼らが東京に来たときは、もちろんもてなします。祖父は苦労しながら日本で自身の中華料理を広めましたが、祖父が開いた「四川飯店」は僕の代でシンガポールにも店ができ、世界中で楽しんでもらっています。祖父が生きていたら、僕が作った麻婆豆腐を食べてもらいたかったですね。
■九代 林家正蔵/祖父 七代目 林家正蔵
 祖父は父が所帯を持つ前に亡くなりましたから、実は直接的な思い出はないんです。でも僕が25歳ぐらいのころに祖父の高座の映像が見つかり、初めて動く姿を見ました。感想は「親父は苦労しただろうな」。「相撲風景」という落語をやる3分半ほどのものでしたが、すごさが伝わってきた。今の時代に高座にあがっても、爆笑をとると思いますよ。そういう師匠を持った父のプレッシャーは相当なものだったと思います。私は16歳で父に弟子入りし、その2年後に父が亡くなりました。親子の会話をする余裕はありませんでしたから、父から祖父の話を聞いたことはないんです。“こぶ平”の名前を大きくすることしか考えていなかったので、正蔵襲名のお話には驚きました。襲名後も落語に対する思いは変わりません。でも、祖母が生きていたら喜んでくれたと思いますね。祖母はよく、「アンタのおじいちゃんはスゴい落語家だった」と言っていましたから。
■金田一秀穂/祖父 金田一京助
 祖父・京助は、いわゆるグリット(やり抜く力)を持っていたのだろうと思います。端から見れば、非常な努力家。しかし、家族からすると困り者。そして、とても幸運に恵まれた人でした。自分のやりたいことをやって、押し通せた。そういう生き方のできる人で、周りもそれを何とか理解していたようです。
 私がよく知っているのは晩年の祖父です。ごく普通の“ぼけ老人”で、とても甘いカルピスを飲まされたり、中学生の私にたばこをすすめたり、私が誰なのかわかっていませんでした。
 認知症になる前の祖父には、あまりかまってもらった記憶がありません。孫のことよりも他にやりたいことがいっぱいあったのだろうと思います。
 亡くなって40年以上たつ今も、アイヌとか石川啄木とか盛岡とか、いまだに祖父がらみの仕事を頼まれることがあって、ありがたいことだと思っています。
(取材・構成=野村美絵、鈴木裕也[本誌])
※週刊朝日  2018年9月21日号
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180914-00000009-sasahi-life

ハンドメイド感が素敵♪ ふだん使いにさりげなく取り入れたいメキシコ雑貨大集合

2018-09-18 | 先住民族関連
レタスクラブ2018年09月17日 06時30分

何でも入れてどこへでも行きたい優秀バッグです。右から縦33×横40×マチ14㎝ ¥9,800、 縦32×横34×マチ12㎝ ¥7,400
手縫いの刺繍やカラフルな色合いでお部屋のワンポイントになること間違いなしのメキシコ雑貨。色鮮やかでポップだから、お部屋に置くだけで気分も明るくなりますよ。編集部のおすすめ品をご紹介していきます。
■ チチネオの「メルカドバッグ」
プラスチック製のひもを手編みしたバッグはぬれてもOK、軽さがうれしい。さまざまな色柄が揃います。
■ チチネオの「クッションカバー」
メキシコ山間部の先住民族、オトミ族によるハンドメイド。空想上の植物や動物をモチーフにした、カラフルな刺しゅうが個性的です。
■ マライカの「タイル」
素焼きのテラコッタに絵つけしたタイルは、手仕事のぬくもりを感じます。インテリア素材としてはもちろん、コースターや鍋敷きなどにも使えます。
撮影/安井真喜子 スタイリング/中村弘子 編集協力/入谷奈穂(レタスクラブニュース)
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https://news.nifty.com/article/item/gourmet/12221-161426/

今週のおすすめ紙面 アイヌ遺骨返還の物語/住民主体で「防災マップ」/「性別」巡る議論の「壁」

2018-09-17 | アイヌ民族関連
毎日新聞2018年9月17日 東京朝刊
 ◆ストーリー
アイヌ遺骨返還の物語 23日・日曜日 1面、ストーリー面
 北海道大学に研究目的で収集されたアイヌの遺骨約1000体が保管されています。今夏、この中の1体が遺族に返還されることが決まりました。返還されるのは樺太アイヌの首長バフンケ(日本名・木村愛吉)の遺骨です。日露両国のはざまで生きてきたバフンケの遺骨はなぜ収集されたのか。近代史の間で翻弄(ほんろう)された一族の歴史と遺骨をめぐる物語をひもときます。
https://mainichi.jp/articles/20180917/ddm/004/040/063000c

北海道)山津波、もう二度と 苫小牧でカムイノミ

2018-09-17 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2018年9月17日03時00分斎藤茂洋、深沢博
 
北海道苫小牧市で16日、アイヌ民族によるカムイノミ(神々への祈り)が行われた。胆振東部地震の犠牲者に祈りを捧げるとともに、地震がおさまり、再び山津波が起きないように祈った。
 主催した苫小牧アイヌ協会によると、アイヌ民族はこの世に存在するあらゆるものに「魂」が宿っていると考え、動植物、火や水や土、天候など人間の力の及ばないものなどを「カムイ」として敬ってきた。
 アイヌ語で地震は「シリシモイエ」、山津波は「オキムンペ」。カムイノミは豊穣(ほうじょう)の秋を祈る儀式で、今年も地震発生前から実施することが決まっていた。
 祭司を務めた同協会の澤田一憲会長(63)はこれまで、今回の地震で36人が亡くなった厚真町のカムイノミでも祭司を務めてきた。「被災地の一日も早い復興を天に祈った」と語った。(斎藤茂洋、深沢博)
https://www.asahi.com/articles/ASL9J3CGYL9JULOB001.html

「銀の滴」10の謎解説 登別で知里幸恵フォーラム

2018-09-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/16 05:00
【登別】「知里幸恵フォーラム」(NPO法人知里森舎主催)が15日、市中央町5のホテル平安で開かれ、人気漫画「ゴールデンカムイ」でアイヌ語を監修した千葉大の中川裕教授が150人を前に「銀の滴の謎」のテーマで講演した。
 アイヌ神謡集の「銀の滴降る降るまわりに」は、難解な部分が多いことで知られる。講演では代表的な10の謎について解説した。
 中川教授は主人公のシマフクロウについて「昼間に飛んでおり、子どもがこの鳥に覆いかぶさる場面もあり、大きさ的に違和感がある」と指摘。別の神謡集などと比較して読み解くと、鳥は架空の鳥の斑紋鳥で、「幌別に伝わった際にシマフクロウに変わった可能性がある」などと解説した。
 東京から講演を聞きに来た会社員、関屋瑞樹さん(22)は「銀の滴はイメージが浮かばない場面も多かったが、講演を聴き納得できた」と話した。講演後、旭川チカップニアイヌ民族文化保存会による演舞も披露された。(池田静哉)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/228830

『ゴールデンカムイ』リメイク漫画『シルバーカムイ』公開 敬老の日記念でキャラ老人化

2018-09-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/17 00:00

 『ゴールデンカムイ』の絵とせりふ、キャラクターを老人化したフルリメイク漫画『シルバーカムイ』が、敬老の日のきょう17日に特設サイトで公開された。
【画像】老人化したアシリパさんのグルメシーン
 これは『ゴールデンカムイ』のコミックス15巻が19日に発売されることと、発売日が敬老の日に近いことを記念して企画されたもの。『シルバーカムイ』は、『ゴールデンカムイ』の中で特に人気がある第20話「食い違い」、第51話「殺人ホテルだよ全員集合!!」、第52話「無い物ねだり」、第53話「不敗の牛山」、第54話「ことづて」、第115話「蝗害」、第116話「青い目」をシルバー仕様の絵とせりふで全96ページ収録している。
 制作は、このために結集した特別チームで、編集部の監修のもと、杉元やアシリパといった人気キャラクターたちの老人の姿ほか、せりふやストーリーも原作とは異なる、特別版ならではの展開を楽しめる。また、特設サイトでは『ゴールデンカムイ』もあわせて公開されており、比較しながら読むことができる。
 『ゴールデンカムイ』は、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)で連載中。明治時代の北海道を舞台に、アイヌが遺したという大金を手に入れるため、元兵士の杉元佐一がアイヌの少女と行動をともにし、一攫千金を夢みるサバイバル漫画。10月8日よりTOKYO MXなどでテレビアニメ第2期が放送される。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/228975

「北海道に思いを」武四郎展、津市で15日開幕

2018-09-17 | アイヌ民族関連
読売新聞 2018年09月14日

 「北海道」の名付け親として知られる松阪市出身の探検家・松浦武四郎を紹介する企画展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎―見る、集める、伝える―」が15日、津市の県総合博物館(みえむ)で開幕する。生涯を旅にささげた好奇心と情熱、アイヌの実情を伝える使命感など、生誕200年を迎えた武四郎の多様な顔を明らかにする。北海道は6日の地震で大きな被害を受けた。展示の担当者は「武四郎が第一人者として自負した北海道にも思いをはせてほしい」と願いを込める。
 今回の企画展では、本人の著作や収集品など計約430点(うち国重要文化財約180点)を展示する。
 探検家の業績として有名な「東西蝦夷えぞ山川さんせん地理取調図とりしらべず」は計26枚の大地図で、並べると縦2・4メートル、横3・6メートルになる。北海道全域の緻密ちみつな地形と共に、約9800のアイヌ語の地名が記されている。
 武四郎の踏査はアイヌ民族の協力がなければ不可能だったとされ、寝食を共にする中で親近感が強まった。著作には、巧みな狩猟術や首長のカリスマ性といった生き生きとしたアイヌが登場する。
 一方、商人や松前藩から搾取されるアイヌの窮状を告発した書物もある。太田光俊学芸員(40)は「現地主義に徹し、情報を伝えることに力を注いだ武四郎はルポライターのようだ」と話す。
 「収集家」としての武四郎を物語るのは、晩年、絵師に描かせた「武四郎涅槃図ねはんず」(国重文)。仏教絵画の涅槃図は最期を迎えた釈迦を取り巻くように菩薩ぼさつや動物が配置されるが、武四郎の場合は、幸せそうに横たわる本人の周りに収集した郷土玩具などが並ぶ。
 武四郎は北海道にとどまらず、九州、四国、東北などほぼ全国を歩いた。展示では、黒船来航に右往左往する幕末維新期の激動の中、情報収集に奔走した「志士」の顔も浮き彫りにする。
 武四郎が手紙を残し、突然旅に出たのは16歳の時。実家前の参宮街道を伊勢参りの旅人が行き交い、東海道が通る三重は東西交流の結節点だった。太田学芸員は「全国の人や情報をつないだ『旅の巨人』は、三重という土地だからこそ生まれた」と語る。企画展は11月11日まで。休館日あり。観覧料は一般800円、学生480円、高校生以下無料。問い合わせは同館(059・228・2283)。
 まつうら・たけしろう(1818~88年) 江戸末期から明治期の探検家、役人。6度にわたり蝦夷地えぞち(北海道)を踏査した。明治政府に提案した蝦夷地に代わる六つの名称案の一つが「北加伊道ほっかいどう」で、「この土地に生まれた者」を意味するアイヌ語「カイ」を込めた。1869年、「北海道」と命名された。晩年は三重、奈良県境の大台ヶ原に登り、東京神田の書斎「一畳敷」で旅人生を振り返った。(菊池宏一郎)
研究者、10月松阪に…フォーラムで小中学生も発表
 「松浦武四郎フォーラム 武四郎の道は未来へとつづく」が10月13日、松阪市川井町のクラギ文化ホールで開かれる。実行委員会主催。
 作家で明治学院大教授の高橋源一郎さんが「未来から来た人」と題して基調講演。小中学生は武四郎を学習した成果を発表する。武四郎の書斎「一畳敷」を研究したコロンビア大学名誉教授のヘンリー・スミスさん、北海道大学アイヌ・先住民研究センター客員教授佐々木利和さん、松浦武四郎記念館の主任学芸員山本命さんが「知れば知るほど武四郎が識しりたくなる」をテーマにトークセッションする。
 午後1時半開会。定員1200人で入場無料。フォーラム事務局のホームページ(https://business.form-mailer.jp/fms/dd55969c76075)から申し込む(10月5日締め切り)か、松阪市役所などで配布している入場整理券が必要(どちらも先着順)。問い合わせは市文化課(0598・53・4393)。
https://www.yomiuri.co.jp/local/mie/news/20180914-OYTNT50037.html

秋サケの豊漁祈る ウヨロ・白老川河口で「ペッカムイノミ」

2018-09-16 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2018/9/15配信

神々に豊漁を祈願した職員たち
 アイヌ民族文化財団は13日、白老町内のウヨロ・白老川河口で秋サケの豊漁を祈る伝統儀式「ペッカムイノミ」を執り行った。河口には水源の神など5神が祭られた祭壇が設けられ、新鮮な秋サケを備えるとともに、自然の恵みへの感謝と本格化した秋サケ漁の豊漁などを祈った。
 サケはアイヌ語で「シペ」「カムイ チェプ」と呼ばれ、アイヌの人々は本格的な冬を迎える前に食料を確保する必要があり、保存に適したサケは貴重な食料とされてきた。このため、アイヌの人々はサケが遡上(そじょう)する時期に豊漁と安全を祈願するペッカムイノミを行ってきた。ただ、自由にサケを取ることができなくなり、伝統儀式は廃止されたが、旧アイヌ民族博物館では、毎年9月に儀式を行っており、同財団に合併された今年も儀式を継承している。
 この日は、毎年実施している河口にトマリオルンカムイ(船着き場の神)、チワシコロカムイ(波立ちの神)、ペテトクンカムイ(水源の神)、ペットウンカムイ(河口の神)、ケマコシネカムイ(キツネの神)のヌサ5神を祭る祭壇が設けられ、伝統作法にのっとってサケの豊漁と神々への感謝、そして相次ぐ自然災害を受けてこれ以上、試練を与えないよう神々に祈りをささげた。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/14673/

北海道から武四郎の直筆地図 MieMuで生誕200年企画展

2018-09-16 | アイヌ民族関連
中日新聞 2018年9月16日

武四郎の直筆の北海道地図などが並ぶ展示=津市の県総合博物館で
 北海道の名付け親として知られる松阪市出身の探検家・松浦武四郎の生誕二百年を記念する企画展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」が十五日、津市の県総合博物館MieMuで始まった。北海道からも武四郎が描いた地図や探検の記録など、国重要文化財を含む資料が貸し出され、同館は「県内でこれほど資料が多く集まった武四郎の展示は初めて」とアピールする。十一月十一日まで。
 武四郎は六度にわたって北海道を探検した。今年は北海道命名から百五十年にもあたる。展示は節目の年を記念して北海道博物館とMieMuを巡回し、三重展では国重文百八十三点を含む四百三十四が並ぶ。
 武四郎が三度目の北海道探検後に描いた直筆の北海道の地図「蝦夷新図」は縦四メートル、横二・六メートル。入り組んだ海岸線や地名を細かく書き込み、巧みな描画で山脈の凹凸も伝わる。松浦武四郎記念館の山本命学芸員は「まだ調査途中なので、北海道の形が少しいびつなのも面白い」と話す。樺太を描いた長さ約四メートルの直筆図も展示しており「ロシアとの外交関係を気にした幕府が出版を許さなかったため、武四郎の樺太地図は特に珍しい」という。

武四郎涅槃図=津市の県総合博物館で
 武四郎は探検の途中、アイヌ民族の人々と交流し、その生活を詳細に記録した。展示では、アイヌの人々の食事風景、狩猟、祭事などを描いた蝦夷漫画も並び、生き生きとした表情や動きを感じられる。
 晩年の武四郎はさまざまな工芸品やおもちゃ、仏像などの収集家でもあった。展示されている「武四郎涅槃(ねはん)図」は、武四郎と交流があった絵師・河鍋暁斎に描かせた。昼寝する武四郎の周りに、お気に入りのコレクションが所狭しと描かれた奇想天外な作品。暁斎の圧倒的なな画力と、武四郎のユーモアが詰まっている。(森耕一)
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20180916/CK2018091602000019.html

カースト制度最下層出身 日本で研修生活送る女性

2018-09-16 | 先住民族関連
神戸新聞NEXT2018/9/15 11:50

「日本で学べば、私の言葉に耳を傾けてくれる人も増えるはず」と話すサビナさん=神戸市中央区山本通4、PHD協会事務所
 祖国に残る身分差別の根絶と女性の地位向上に尽くしたい-。そんな思いを胸に、日本で研修生活を送るネパール人女性がいる。サビナ・ビスンケ・ラムテルさん(20)。出自によって人を隔てるカースト制度の最下層出身だ。(小川 晶)
 「サルキは触るな」
 サビナさんが初めて差別を実感したのは、小学校に入った直後、同級生から投げ掛けられた言葉だった。祖母に尋ねると「私たちサルキは、他の人に触っちゃいけない身分なの」と言われた。
 ネパールで「サルキ」とは、かつて皮革製品を担っていた人たちを指す。鍛冶の「カミ」、縫製の「ダマイ」などとともに、最下層のカーストとされている。
 約20人のクラスメートの大半は、司祭の「バフン」、軍人や王族の「チェトリ」といった第1階層の子どもたち。サビナさんは「バフンやチェトリの家に入ってはいけない」と教えられた。レストランでも、彼らが普通に店に入る一方で、サルキは店側が認めない限り、外で食事をとる。
 2015年のネパール大地震では、サビナさんの暮らす集落も大きな被害を受けた。上位カーストの家は真っ先に建て替えられ、サルキは後回しにされた。
 ネパールの差別問題に取り組む伊丹市の市民グループ「サマンタ」共同代表の山本愛さん(45)によると、カースト制度は、隣接するインドから、民族の流入とともに持ち込まれた。サビナさんら丘陵地帯のヒンドゥー教徒▽北インド系のヒンドゥー教徒▽先住民族-の3グループが、別々のピラミッド型の身分階層を持ち、複雑に絡み合って社会を形作っている。
 1990年憲法で、法の下の平等が保障されたが、井戸の使い分けや公共の場への立ち入り、賃金格差など、差別は端々に残る。結婚が特に顕著で、異なるカースト同士で結ばれても、周囲の風当たりなどにより9割が離婚するとのデータがある。
 性差別も根強く、「女性が勉強する必要はない」との考え方が農村部を中心に広がる。男性はどこに行くのも自由だが、女性は外出すらままならない家庭もあるという。
 90年代以降、民主化の流れが進みつつあるが、サビナさんが実情を訴える。「身分差別の撤廃を主張するのは低いカーストの男性で、女性差別の問題に取り組むのは身分の高い女性。私たちのような最下層女性の声は届きにくい」
 今春、草の根の国際交流を続けるPHD協会(神戸市)の研修生に選ばれて来日した。1年間の予定で、日本語を学びながら、農業や保健衛生をテーマに実地研修を続けている。
 日本での生活で、祖国ほどの差別を実感したことはないが、「女性が働いている家は女性に敬意を払い、主婦の家はそうでもない」との印象を抱いたそう。日本の被差別部落の問題についても学ぶつもりだ。
 帰国したら、研修の成果を生かし、同じような境遇の女性に読み書きを教えたり、畜産で収入を得る方法を考えたりしたいというサビナさん。思い描く将来の夢は? はにかみながら継いだ言葉は、簡潔で、素朴だった。
 「普通に、生きたい」
https://kobe-np.co.jp/news/sougou/201809/0011641960.shtml

あたらしくしろ

2018-09-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/15 17:00
 「あたらしくしろ。もっと世の中を、おもしろくしろ」。釧路市を、当代一流の文化人たちが駄じゃれで応援する。
 作家の林真理子さんら各界の第一線で活躍する105人が11月2~4日に釧路に集まる「エンジン01(ゼロワン)in釧路」の大会テーマだ。その心は「カムイの国の自然、伝説、文化、知恵を新しい形で伝えよう」。
 メインの3日は林さんや評論家の勝間和代さん、文筆家の乙武洋匡さんらメンバーのほぼ全員が、釧路公立大の各教室を使い4時限の時間割で110講座を開く。
 中身は日本文化や人工知能、スポーツなどに加え、お金の稼ぎ方やエロスの話題も。釧路と演歌など地元にちなむ講座もある。
 仲の良い講師陣が年1回、地方都市を選んで集うボランティアなので、受講料は1講座500円と喫茶店代程度で済む。
 最先端の文化と地域の魅力を語る試みは、2001年に始まり釧路が17都市目。これまで一過性ではない遺産も残した。
 3年前に開かれた宮崎県の工業都市・延岡市では、名物意識もなかった郷土の味が多くの文化人に評価されたことが自信となり「食のまちづくりが始まった」(市企画課)という。道内初開催の今回は何を生むだろう。
 地元側の講師となる阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事の秋辺日出男さんは「大物たちから何をどれだけ吸収できるか。まちづくりにかける市民力も問われそう」と刺激の強さに期待する。受講チケットは9月15日からセブン―イレブンで販売中。(平山栄嗣)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/228676

世界文化遺産・天草で食べるべきは、寿司とシモン芋のうどん!?

2018-09-16 | 先住民族関連
食べログ9/15(土) 6:30配信
〈おいしい歴史を訪ねて〉
歴史があるところには、城跡や建造物や信仰への思いなど人が集まり生活した痕跡が数多くある。訪れた土地の、史跡・酒蔵・陶芸・食を通して、その土地の歴史を感じる。そんな歴史の偶然(必然?)から生まれた美味が交差する場所を、気鋭のフォトグラファー小平尚典が切り取り、届ける。モットーは、「歴史あるところに、おいしいものあり」。
世界文化遺産・天草で、「白身魚の寿司」と「シモン芋のうどん」を味わう
天草は蒼い海に囲まれ、大小120余の島々からなる熊本県の諸島。福岡空港から飛行機でひとっ飛びで30分強。それに毎日3便も運行している。東京からでもうまくアクセスするといつの間にか誰にも邪魔されない“孤島”に到着である。
九州本土とは、天草五橋と呼ばれる5つの橋で結ばれている。日本最大級の肉食恐竜の化石が発見された恐竜の島に、南蛮文化やキリシタンの歴史を伝える建物もある。海に囲まれた自然と日本独特の南九州文化に育まれたのんびりした島だ。 気候も安定しており一年通していつでも海の幸や山の幸の旬の食を楽しめる、食いしん坊にとってパラダイスのような島。
ここ天草は、禁教下に仏教、神道、キリスト教と共存しながら信仰を続けた集落として評価され「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つとして世界文化遺産に認定された。この類まれな歴史観をいつまでも天草に暮らす人々が大切にしてきたことが決め手になったことは間違いない。
ちょっと天草四郎(あまくさ しろう)についてふれてみよう。本名を益田四郎時貞といい、元和7年(1621)江部村に生まれた(大矢野島、長崎で出生したとの諸説あり)。父益田甚兵衛はキリシタン(切支丹)大名小西行長の元家臣で、小西家没落後、江部村で農業を営んでいた。家族ともに敬虔なキリシタン信徒だったそうだ。
当時の天草は、飢きんや重税とキリシタン弾圧に苦しみ、民衆の不満は頂点に達していた。寛永14年(1637)、長崎留学から帰った四郎が様々な奇跡を起こし、神の子の再来と噂される。四郎の熱心な説教は人々の心をとらえ、評判は天草・島原一帯に広まり、遂には一揆の総大将に押し立てられ、島原の乱での一揆軍の最高指導者となった。
聞けば、ほとんどの宗教が食に対する違和感をもつといわれている。例えば、仏教のように慈悲の精神から肉食を禁じるものもあり、キリスト教のような一神教は人々に強い拠り所を与えたと思う。キリシタンの歴史が天草の食文化にどのような影響を与えたのか。興味深いテーマだ。
さて、天草といえば寿司の名店がひしめく。
今回は見栄を張って、こちらの名店へお邪魔した。
新鮮な白身魚と天然天草塩の、絶品コンビネーション「奴寿司」
ここは天草でも有名なお店。僕らは頑張ってランチをいただいた。夜は予約が2カ月待ちらしい。まあ、旅に来たら少しの贅沢は良いだろう。知らない土地でのおいしいもの探しに食べログは欠かせない。検索が便利なのはもちろん情報をしっかりリサーチすると思わぬ収穫がある。
天草の寿司は白身魚が中心。
これが新鮮で天然天草塩との相性バッチリ、実にうまいのなんの。
濃厚な魚のダシが染みいる。お椀ももれなく最高の味わいだった。
名物シモン芋で作ったうどん
少し散歩すると今や名物になったシモン芋を見つけた。
シモン芋は、1972年に原産国ブラジルから日本に持ち込まれた、白サツマイモの一種で、なんと2000年前から中南米先住民インディオの民間薬として重宝がられ、葉酸・ビタミンA・E・Kが豊富でパントテン酸など身体に必要な栄養素が含まれており、成人病予防や健康維持に効果的だそうだ。主産地の倉岳では町をあげて土から自然農法を試み、自然栽培に取り組んでいる。
ぶらりと入ったお店で食べたシモン芋のうどんも実にうまかった。シモン芋の焼酎などもあるらしく、次回はたしなんでみたい。
多くの戦国武将や民衆の信仰を集めながら、徳川幕府の禁教令によって潜伏を余儀なくされたキリスト教。天草は日本が新しい時代を最初に感じた地域でもあり、生きていくことが大変な時代を乗り越えた場所ではある。そこには、天草ならではの、食はもちろんあらゆる分野の生活基盤が存在していたはず。その奥深さは一度のみでは到底つかめず、何度か足を運びたいと(そしておいしいものをもっと食べたいと)強く思った。
写真・文:小平尚典
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180915-00010002-tabelog-life&p=1