撮りさるく

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コネクト4で5連敗 アオナンRCA撤退

2021-10-31 11:11:39 | タイ王国
2019年11月19日(火)クラビはアオナンのRCAというバービア街で客引きギャルに引っかかり、とあるバービアに入った。

シンハの小瓶を1本注文し、ひとりで飲もうと思っていたら客引きギャルが「コネクトフォーをしよう」と言ってゲーム道具を持ってきた。

これは駐在時にバンコクのナーナーやパタヤ、はてはカンチャナブリのバービアでさんざんやった4目並べではないか。コネクト4という名称だったとは、知らなんだ。

5回やったが5回とも負けて、客引きギャルもびっくりしていた。
その後客引きギャルと話をした。どこだったか忘れたがイサーンの出身という事が判り、奥様がイサーン出身の在泰日本人の友人を持つ筆者とは話が合い大いに盛り上がる。
そのうち1杯奢ってくれというので、コーラか何かを1杯奢った。断ってもいいのだが1杯邦貨300円くらい、バービアのギャルは客から1杯奢ってもらうと店からバックが入り、また1日あたり奢りのノルマもあるので1杯奢るのは紳士のたしなみといえよう。
ちなみにこのバービヤには鳴らすと店内にいる全員に一杯づつ奢らねばならないという鐘はなかった。


結局コネクト4で5連敗してシンハ小瓶2本飲んで1杯奢って

チェックビン、勘定を済ませた。邦貨約1,000円くらいだったと思う。釣りの小銭はやはり紳士のたしなみとして取らずに置いて来た。
ギャルは「今からどこに行くずら」(イサーン出身という事でこの言い回しにした)と聞くので「宿に帰る」と言ったら「また来てくんろ」と笑顔で見送ってくれた。いわゆるアニメ声といわれる声の、愛嬌がある良い娘だったがこういう店は店員の入れ変わりが激しいので2年たった今はもうどこかへ移ったであろう。
またこれも一期一会という旅の醍醐味のひとつであると筆者は信じて疑わぬのである。



RCAの通りはだいぶ賑わってきたようだ。



だいたいバービアというのは客層はほぼ白人で、このときも東洋人は筆者以外いなかった。アフリカ系も見ず。

さてバービアギャルには宿に帰るといったがそうは問屋が卸さないという事で次に行ってみた。
次号に続く。

アオナンRCAのバービアに入る

2021-10-30 11:08:52 | タイ王国
2019年11月19日(火)20時57分にRCAに足を踏み入れて店を物色しながら歩いていたら


客引きのギャルに声を掛けられた。客引きギャルは英語が通じた。美人ではないが、今風に言えばタヌキ顔というのだろうか、愛嬌のある顔立ちだ。歳の頃は20代半ばから30歳ほどに見えたが、確認したわけではないので詳細不明。
「店に入る代わりにブログネタとして、そのほうの写真撮らせてもらおう。」と言ったら「オーイ、恥ずかしい」と肩をはたかれたが交渉成立とみてよかろう。


店先の席に着きシンハの小瓶を1本オーダーしたら

30秒くらいで持ってくるという素早い対応であった。考えたら店内にはビリヤードの白人が4人、カウンターにマッチョスキンヘッド白人ひとりがいただけで閑古鳥が鳴いていたのでこれでシンハの小瓶1本持ってくるのに時間がかかる方がおかしいというものだ。



かかとの高いサンダルを履いているので段差を上がり下がりする際は、転ばない様に金属製の握り棒が備え付けてあったのは従業員思いのバービアだと感心したのであった。
次号に続く

アオナン RCA

2021-10-29 11:58:17 | タイ王国
2019年11月19日(火)昼間にイングランド人夫婦に助けられた角を曲がって通りを東に進んで


20時57分、アオナンにあるという紳士の社交場のうちのひとつ



RCAという、看板も何となくレトロなバービヤ街に入ってみた。



まだ時間が早いので客の入りもまばらであった。
初めてくるところでも駐在の時分はズカズカと知らない店に入って行けたものだが、今や日本からやって来たヨソ者、とうに昔日の勢いなぞなく、店の前に待機する客引きと目を合わせぬ様、横目で店を物色しながら歩を進めた。

以下次号

夜のアオナン

2021-10-28 12:34:53 | タイ王国
2019年11月19日(火)アオナン2日目、昼間のアクシデントから静養して傷はヒリヒリするが体力は回復したゆえ


20時41分、夜の街に出てみた。
ビーチ沿いを歩いたが、筆者が知るところの他のタイビーチリゾートと比ぶれば、パタヤほど騒がしくなく、ホアヒンやチャン島ほど静かではなく、サメット島の様に寂しくなくちょうどいい感じである。



客層も家族連れが多いように思えた。



何となくちょうど良い賑やかさの



アオナンの夜であった。
以下次号

プールサイドで傷養生

2021-10-27 11:40:14 | タイ王国
2019年11月19日(火)電子タバコが違法なタイにて紙巻タバコを2本立て続けに吸って目まいを起こし椰子の木に額と右膝をぶつけたので薬局で消毒液と塗り薬を買って手当したが時間が経つにつれ、傷口がヒリヒリ痛くなってきた。
この日の午後はボートに乗ってライレイビーチへ行こうと思っていたが、ボート乗降の際はレイテ島上陸のマッカーサー元帥の如く足を海水につけねばならず、右膝の傷を悪化させる恐がれあり、ライレイビーチ行きを断念


16時05分、宿のプールサイドのレストランで傷養生していたら、雨が降って来た。
となれば足はおろか、額の傷も雨に濡れる。ライレイビーチを断念して正解だったかもしれぬ。



などと言い聞かせ、ライレイビーチをはずしてアオナンまで何しに来たのかという虚しさをビールで紛らわす事とした。



相変わらず額と右膝の擦り傷はヒリヒリするが、腹は減るのでカオパットクンを食う。ウマかった。この後ビールが良い具合に効いて部屋でひと眠り、夜に起きてアオナンの街に繰り出したので、以下次号

センターポイント偵察して塗り薬を購入

2021-10-26 11:35:17 | タイ王国
2019年11月19日(火)アオナンビーチ沿いの歩道で激しい動悸に襲われぶっ倒れかかったところを親切なイングランド人夫婦に助けられ、何とか自力で歩いて宿に戻る途上、この日の夜のイベントの為

13時02分、クラビはアオナンに2か所ある紳士の社交場のひとつ、センターポイントの偵察をしたのだが

まだ体に力が入らず、撮った写真は全て手ブレ、唯一見られるのが上の1枚だが焦点が土産物屋のおばちゃんに合ってしまい、土産物屋の写真みたいになってしまった。

ホテルへ戻ったらチェックインした晩に小額紙幣がなく、仕方なしにチップ100バーツを渡したポーターのあんちゃんが筆者の顔を見て「サー、どうなさいました」というので椰子の木にぶつけた額を触ってみたら流血の惨事ではなかったがネバネバしていた。鏡を見たら皮膚の薄皮がむけて赤くなっていた。履いていたGパンが何ともなかったので油断していたが、右膝も点検してみたらこちらは薄く血がにじんでいた。擦過傷という奴だろう。

ポーターのあんちゃんが薬を塗った方がいいと言って宿の向かいの薬屋を教えてくれた。宿の左隣にも薬屋はあったのだが、向かいの方が大きくて立派だった。

薬屋は英語が通じた。薬剤師のおばちゃんが筆者の傷を見てアレルギーはないかと確認したのち、上写真の様なセットを薦めてきたので購入、たしか700バーツちょっと、邦貨約2,600円くらいだったと記憶。何と薬代で1泊の宿代に近い金額、擦り傷も痛いが、消毒液 塗り薬 脱脂綿セットの出費も痛かった。

以下次号

親切なイングランド人夫婦に助けらる

2021-10-25 11:37:52 | タイ王国
2019年11月19日(火)アオナンビーチの砂浜から


12時37分 歩道に上がって通りを進んだ。



通りに沿って



写真を撮りながら



歩いた。



先ほどまで薄曇りだったが急に陽が差してきて結構キツイ。
帽子を宿に置いてきてしまったが、プールサイドの優雅な朝食の際、水分は十二分に補給してきたので熱中症の心配はなかろうとタカをくくり歩き続け



ここまで行って折り返した。



そして砂浜近くまで戻った12時48分 この写真を撮った直後、タバコを2本立て続けに吸った。
紳士たる者、吸い殻ポイ捨ては御法度ゆえ、しゃがんで火を消して携帯灰皿に入れるという動作を繰り返したところ、2回目に立った瞬間、激しい動悸に見舞われ体の力が抜けて視界が真っ暗になり、看板の後ろの椰子の木までゾンビの様によろけて行って椰子に額と右膝をぶつけてしまった。

これはひょっとして心筋梗塞か、クラビで人生の旅路を終え、バンコクまで運ばれ、エカマイのワットタートーンで荼毘に付され無言の帰国かと覚悟を決めたところに、白人の30歳くらいの男女が駆けつけてきて助けてくれた。

あんちゃんの方は横浜DENAにいたパットン投手の様な赤毛の髭面で190cmはあろうかという長身、おねいさんはテニスのシャラポワ選手に似ていて筆者より背が高かったので180cm近くはあったろう。

シャラポワから「家族はいるのか、携帯電話で連絡しなさい」といわれたが女房子供に相手にされず、ひとりで来ているとも言えず「今ホテルのプールで泳いでいるからダメだろう」などと会話しているうち、パットンが走って来て1.5リットルのシンハの水を手渡してくれた。走って水を買ってきてくれたのだ。
何処から来たか聞いたら「イングランド」、夫婦でバカンスに来たのだという

水を飲んで3分ほどして何とか立てるようになったので、お礼を言って握手して別れたが、写真を撮り忘れたのと、シンハの水の代金を渡しわすれたのが心残りとなっている。

今にして思えば、かような心優しいパットン シャラポワ夫妻の母国へ我が国は宣戦布告し、1941年から1945年まで戦火を交えたのである。
戦争の愚かさと人の情けを忘れぬよう、シンハ1.5リットル水のカラのPETボトルは今も筆者の留守宅に飾ってある。

*帰国後に健康診断で高血圧が発覚、ついでに医師にこの事案を話したら、一時的に脳の血流が悪くなったのが原因であろう、心臓は原因ではなく脳の血管の問題との事だった。
なるほどこの事案の原因は4年ほど前に健康を考えタバコを電子タバコに切り替えたのだが、タイで電子タバコは違法なため、訪泰中は普通のタバコをスパスパ吸っていたのが原因と思われる。
普通のタバコを朝起きぬけに吸うと目まいを覚えるがやはりタバコは体に良くないのだ。
読者諸賢も十分にお気をつけ頂きたい。

日光浴ギャルとカジキ像

2021-10-24 11:40:36 | タイ王国
2019年11月19日(火)



12時29分、アオナンビーチに再び出てみた。



薄曇りだったが砂浜には白人ギャルが2人日光浴していた。
ブログネタに使います、距離を保って顔は撮りませんと許可を得て撮影、顔出しNGなのでこういうアングルとなったが白い方のギャルは顔を向こうへ向けてしまった。
お礼を言ったら手を振ってくれたが内心では「なんだこの東洋のエロおやじは」と思われたかもしれない。



朝来た際にずらりと並んでいた木製ボートはなかった。営業に出ているのだろう。



砂浜を南に向かって歩いて



アオナンのランドマーク、カジキ像を見る。



歩いて来た方を振り返る。この後歩道に上がって散策を続けるのであるが事案発生、心優しい異国の人に助けられたので以下次号

プールサイドで孤独の朝食

2021-10-23 12:17:50 | タイ王国
2019年11月19日(火)朝のアオナンビーチ散策から戻って一服した後



9時17分、アニャヴィーバンアオナンリゾートという舌をかみそうな名前の宿泊先の何となく安っぽいプールサイドにある



というかプールサイドにしかないレストランにて朝食をすませんとす。
アゴダで素泊まりで予約したのたが、別途現金払いで朝食が食えるのだ。いくら払ったかは2年ほど前の事なので、覚えていない。



お金を払って孤独のグルメ朝食をすませんと席を探す。



着席した所から受付を望む。
写真を撮ったら向かいの席のソ連人男性に睨まれたこのソ連のあんちゃんも筆者同様、ひとり寂しい朝食だった。



食ったのはこういうやつ、いわゆるバイキング形式だがウマかった。
なおかつ皿やコップがプラスチックではなくきちんとした陶器、ガラスだったのでこれだけでもリッチな気分になったものだ。



食後のコーヒーを飲みながら眺める何となくイマイチなプールサイドは孤独の朝食にふさわしいものだった。
以下次号

アオナンビーチ朝

2021-10-22 03:18:58 | タイ王国
2019年11月19日(火)7時59分


宿を出て2分、アオナンビーチに至った。歩道から見たビーチの様子、これぞ観光案内的構図ではないか。



歩道から砂浜に下りて北方を望む。



西の方を望む。



波打ち際まで行って沖合をズーム。奇岩がよく見えた。



南方を望む。切り立った崖の向こうがライレイビーチ、舟でしか行けないというので昼から砂浜に居並ぶ乗り合いボートで行ってみようと考えていたのだが、この後しばらくして事案発生。ライレイビーチを断念せざるを得なくなるとはこのときは夢想だにしていなかったのである。
以下次号