撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

芸能人とおかま

2009-03-31 23:39:15 | タイ王国
3月22日(日) 近くのデパートへ用もないけどぶらりと出かける。
何かの催しをやっていた。スリムアップがどうたらこうたらと言っていた。見物人がやたら壇上の人物を携帯電話のカメラで撮りまくっていたのでワタクシも仲間に入れていただく。


右の方が好みなのだが、実は左側のオバチャンがスターなのだそうです。

人のよさそうな素人夫婦が スター相手に簡単なゲームをやって、商品と賞金16,000バーツ(約43,200円)をゲット。おいも欲しかばい。ちなみにこの夫婦、ご亭主より奥さんの方が背が高く、藤子不二夫のマンガの主人公の両親のようであった。(参考:ドラエモン、忍者ハットリクン 等)

デパートの前にあった、ファッションショー開催案内の立て看板。日替わりで スターが登場。
実はこの5人のスターの中で 男性が2人います。ひとりは見た目そのままですが、さてもうひとりは誰でしょうか。タイ人なら皆知っている、外国人でもタイに造詣が深い人なら大概はご存知だそうです。

答えは次回更新時に。(最近ネタがないのでいつ更新するかわかりませんが。)

チェットサオノイ滝

2009-03-24 00:21:54 | タイ王国
ワットプラバートナンプーの参拝を終え、そのまま帰るのかと思ったら、サラブリという所にある滝によって帰るという。
ロッブリーからサラブリへ向う途上、道端に食える木の実があるというので緊急停車。

添乗員まで木の実とりに夢中になる。

滝についた後、ご一行様と一緒におやつを取る。午後3時。ひとり混ざった外国人を気にして声をかけてくれる。人の情けが身に沁みる。

おやつ終了後

タイ人ご一行様は滝で水遊び。

皆から離れてひとり散策。人気のない静かな所へ。

ジャングルの中の滝。小さいですが

こういうのが全部で7つあり、上流の4つまでは水浴客でごった返している。下流に行くにつれ(駐車場から遠くなる)人がいなくなる。日本人なら皆から離れても空いたところへ行きそうなものだが、タイ人はそのような面倒な事はしない模様です。

ひとりマイナスイオンを堪能していたら、携帯に着信あり。添乗員のあんちゃんからであった。皆から離れないようにとの事で

皆さんのいる上流部へ移動。

白人も結構いました。左の白人は刺青だらけ。轟の滝(長崎県)で見た、長崎のヤクザを思い出した。

結構な人出であった。

「もう帰ります~」と添乗員が呼びに来たので駐車場へと移動。

途上に桜に似た花があった。マメ科の木らしく、名前を聞いたが失念した。

滝の入り口。国立公園の一部をなす チェットサオノイ滝 という滝であった事が判明。

有料の更衣室もあり。

帰路の夕陽

ツアー客中、唯一いた子供。運転手と添乗員以外、女ばかりのツアーの車中、唯一男同士 心を通わす事ができた。頼もしい男の子であった。
坊主、またどこかで会おうぞ。

このツアー、朝7時にバンコクを出発、ロッブリ、サラブリを回って午後8時半バンコク着。270バーツ(約730円)という安さであった。

ワットプラバートナンプーのエイズホスピス

2009-03-19 02:24:49 | タイ王国
実はこのワットプラバートナンプーには お寺という他にもうひとつの顔があります。
今回、内容が内容だけに、ストレートな画像、文章表現は避けたつもりですが、ご覧になられる方によっては ショッキングな内容を連想させるに至る写真、文面が見受けられることをご了承の上、ご覧下さい。



家族や病院に見放された、HIV感染者やエイズ患者の方々ためのホスピスを運営している事でも有名なのだそうです。日本のNHKも取材に来たとか。

山門を入ってすぐ

こういったオブジェが目に飛び込んできます。

運営は寄付金で賄われ、白いシャツを着たボランティアの方々が参拝客の誘導をしたり、患者の方々のケアを行ないます。この日は白人のボランティアの方を御見受けしました。日本からも、医療関係者の方や、学生さんがお見えになるようです。

お寺の境内の一角に

ホスピスはありました。エイズ患者の方が入り口近くに腰を下ろしていました。この棟は、重症の方を収容しているらしいのですが、中を少しだけのぞいて見ると、入り口近くは患者さんの食堂として使われていました。

エイズ未発症または軽症の方々が暮らしている建物。

最近できたと思われる建屋。窓越しに中をのぞきましたが全て空室でした。ストレッチベッドやロッカーがありましたので面会に来た家族と過ごされる為の部屋ではないでしょうか。

これも最近できたと思われるもの。なくなられた方々の体の一部をホルマリン漬けにして展示してあります。床がピカピカでした。

ライフミュージアム。故人またはご遺族の意思によりなくなられた方々のご遺体が展示されている。

ご遺体の横には、故人の生前の写真と、生い立ちを記したパネルが添えられている。この方は性風俗産業に従事し、29歳でなくなられたそうです。エイズ撲滅キャンペーンに役立ちたいと、生前より展示の希望があったとの説明がありました。

外国の方のご遺体もありました。アフリカ系の男性。

ご遺体は子供さんのものもあり。ご遺体の状態はいわゆるミイラ状で、ガラスケースに入ったもの、防腐液につけられたもの(液が白濁しており、ご遺体は見えない)が一部ありますが、ほとんどはそのまま添え木にもたれかけたようにして展示してあり、触れようと思えば触れられます。展示状態は故人のご遺志によるものと思われます。

引き取り手のないご遺灰も袋に入れられて、展示されていました。

ライフミュージアムと短い渡り廊下でつながった施設。中に入ると、椅子に性転換者の元男性が座っており、「コップンカー」と挨拶をしてくれました。身振り手振りの説明から、火葬場である事が判明。タイでは火葬場というものがなく、お寺の敷地内に火葬炉が設置されており、普通は1基ですが、ここは5基ありました。元男性にお礼を言って、「写真撮っていいですか」と聞いたら「ダ~イ(いいよ)」との返事、外から撮影させていただきました。

この元男性、所在なげに座っていたのですが、この後入ってきた団体客に何か説明をしていたので、ボランティアガイドをされていたのでしょう。かなりだるそうにしていたので、この元男性も患者さんなのかもしれません。

引き取り手のないご遺灰で作られたオブジェ。

お寺の前はのどかな田園風景が広がります。

ご遺体やご遺灰の取り扱いかたを見ても想像がつくと思いますが、このホスピスの運営方法をめぐって批判があるのが現実です。しかし、このホスピスにはたくさんのHIV感染者、エイズ患者の方々が暮らしています。
ここには医師はいませんが、ボランティアの方々が、このホスピスを支えているのも事実です。

かなり重いものを見てしまった、という気が今も続いています。

ワットプラバートナンプー

2009-03-18 02:36:06 | タイ王国
3月15日(日)、タンブンワンデイトリップツアーへと出かける。朝5時にアパートを出て、バンコク都内某所から同7時にロットトゥアで目的地へ向け出発。
車内でタンブン用お金飾りを作成。寄付で集めたものを代表でお寺に届けるツアーとの事。

目的地のワットプラバートナンプーはバンコクから北へ約170km、ロッブリー県にあり。

米や医薬品の現物と

お金飾りを準備します。

お坊さんが来るまで時間があるとの事で境内散策。階段を登り

眼下の景色をめでる。お坊さんが来たので降りて来いとガイドから携帯に連絡が入る。

このお寺の創始者アロンクット師。

タンブン飾りがでかすぎて、師が隠れてしまいました。

タンブンが済むとお返しがもらえます。

再び境内を散策していると、何やら燃やしていました。石膏みたいなもの溶かして、お守りを作っているのだそうです。

善男善女が熱心に祈ります。

再度 創始者のアロンクット師登場。

読経が済むと、参列者に聖水を振りかけます。

それからお金と花びらをまき始めます。ワタクシめも6バーツゲットしました。その後お供えの果物を寺男が配って歩きます。どうぞと言われ、みかんを頂きました。

仕上げにお礼の作成に取り掛かります。


ワタクシも頂いてまいりました タンブンのお礼。直筆サイン入り。粗末にできないので、安アパートの部屋の 一番高い所に置いてあります。


佐賀大学体育会合気道部幹部交代

2009-03-14 23:38:06 | 佐賀
3月7日(土)、タイ時間午後7時頃、酔っ払った たけちゃんから携帯に電話があった。何で酔っぱらっていたのかよく判らなかったが

彼がかつて所属していた佐賀大学 体育会 合気道部という組織の「幹部交代」なる催しが当日開かれ、彼はそれに出席し、打ち上げコンパの席上 飲みすぎていつもの如くへべれけになっていたという事実が 翌日写真をメールして来た事によって判明した。

「幹部交代」というのは佐賀大学合気道部にあっては 4年生が卒業を控え、現役部活動を引退するにあたって、主将(キャプテン)、副将(副キャプテン)、統制(イジメ役)その他の役職を3年生に委譲する その儀式をいうのであります。
集合写真は酔っぱらう前なので無難に撮れている。皆いい顔をしています。これで日本の明日も安泰だ~。

飲み会の写真。

我々の時代と違って随分人数が多いな。これも現役部員の皆さんの努力の賜物であります。

佐賀美人四人集。後ろの「どどど」という張り紙が気になるなあ。

佐賀美人三人集。後ろの「どどど」は一体 何なんだ。

たけちゃんにとって酒を飲み へべれけになって、親子ほど年の離れた若者に偉そうに人生について語り、騒ぎ、歌いまくり、最後は担がれて帰る という行為は彼の楽しみのひとつなのであり、また生活の重要な一部でもある。彼がこの後、どういう行為を行なったのかは、想像に難くない。この彼の行為は日本国内のみならず、海外でも実証されている。

タイ国カンチャナブリのバービアにて。横についた20歳のお姉さんに熱く人生について語った後、それを人に訳させ、飲むだけ飲んで最後は目もうつろになり、カウンターにいるオバチャンに「ミャンマー国境までどれくらいかかるのか」と訳のわからない事を言い出し、オバチャンは日本語がわかるわけはないのでトンチンカンなやり取りであったが、なぜか不思議と20分も会話していた現場写真。20歳のおねえさん、なぜかやたらウケてました。ちなみに我々以外の客は皆 白人であった。

こういう男ですが、佐賀大学合気道部の皆さん、次も誘ってやってくださいな。
たけちゃん ネタつなぎよろしく。次回は新歓だ~。

激辛パパイヤポッポ

2009-03-13 01:14:43 | タイ王国
「次はイサーン料理を食った話だ~」と言いっぱなしで、更新が遅滞しました事、全世界におられます さして期待もせずこのワタクシめのブログをご覧戴いている皆様に 深くお詫び申し上げます。

2月22日(日)、個人的な友人のIさんから「カミサン(タイ人)のお姉さんがイサーンの田舎から出てきて手料理をご馳走してくれると言うのだが、心細いので来てくれないか」とTELあり。バンコク都内某所のIさんのアパートへお邪魔しました。

家賃2,000バーツ(約5,400円)のアパートの2階です。

ちなみにトイレ兼水浴び場(シャワーなし)は共同です。

部屋は月5,000バーツ(約13,500円)のワタクシのアパートより狭く、エアコンもない。テレビと炊飯器と扇風機が電化製品の全て。冷蔵庫もありません。「部屋の中の写真は恥ずかしいからNG」というので遠慮しました。

まずはIさんの奥さんが得意だというある料理を作る過程を デジカメに収めさせて頂きました。

青いパパイヤを

千切りにしまして

化学調味料と

唐辛子とニンニクと小さな蟹を準備

梅肉エキスのようなものと

魚を腐らせた汁を投入し

高速ですりつぶし

唐辛子を添えるとソムタムの出来上がりです。「パパイヤポッポ」とも言うらしい(方言)。ひとくち食ってみると、口中火に焼かれたような、辛い というより痛い。舌がやけどしたようで、30分くらい何も食えず。ちなみにソムタムに入っている蟹は あたる確立が非常に高いので、食べない方が懸命。タイ人も人によっては蟹は食べません。

辛そうなので、遠慮しました。

屋台で買ってきたガイヤーン。たまにあたる事あり。

Iさんの奥さんのお姉さんが腕によりをかけて、大量に作ったレバーがたっぷり入った うどんのような冷麦のような麺料理。これはうまかった。

タニシの煮付け。これも意外とうまく、どこでこんなタニシを手に入れたかとIさんに聞いてもらったら「田舎の田んぼで取ってきた」との事。


シメジの煮付け。これも食えました。

豪華イサーン料理の数々。白いのはもち米を蒸したもの。

昆虫が料理に入ってました。「うまいから食え」といわれ食いました。うまくもまずくもなかった。

何かのサナギ?「食え」といわれ食いましたが、いかにも「幼虫系」の食感で、これは沢山は食えない。

麺料理とタニシがうまかったので、バクバク食って2時間ほどして帰りました。食いっぷりが気に入られたのか、「また来てね~」と言われてしまった。