撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

神奈川県横浜市 横浜駅前ばさるく

2011-02-27 01:15:28 | 神奈川
2月26日(土)、所要があり神奈川県は横浜市へやって参りました。


一番安くで来れる東急東横線に乗車しまして東急電鉄横浜駅ホームへ記念すべき第一歩を印したのですが


2番線までしかなく結構混む。


しかしホームの上階の改札までの通路は広々としております。さすが大都会横浜


しかし改札口は小さい。


でもやっぱり駅構内は巨大でした。東急の他にJR東日本と相模鉄道という私鉄、横浜市営地下鉄が乗り入れる大きなターミナル駅です。土曜日の昼という事もあり、人でごった返してすごく賑やか。


赤い靴の像

横浜市の人口は368万1千279人を誇り、日本全国市区町村の中で最大の都市であります。またその面積も434.98平方キロと決して狭くはなく、堂々たる規模を誇る都市です。(市役所HP参考)
この日は西口に用事があったのですが、東口をまず見学


この様な像がある


地下街入り口の前を通り


東口へ出ます。駅ビルは大きくて立派ですが、駅前広場は小さく、人通りも少ない。
道路を挟んでそごうデパートがありましたがすぐ前を高速道路が走っており、それがそごうにかぶってしまう。少し見学して西口へ向かう。
東口から西口へ移動するのに駅の構内を抜けましたが、これが半地下になっていて、上り降りが結構めんどくさい。


ここから上って来て


西口正面へ出ます。駅前はごちゃごちゃしていて全景を捉えるのが難しい。大阪府大阪市のJR大阪駅前から歩道橋を取っ払って小さくした様な感じの風景である。


地下街入り口を右に折れていくと


オブジェ発見。なぜか横溝正史の小説のいくつかが頭に浮かんできた。そのオブジェの近くで


何やら人だかりがしております。


フォルクローレの演奏をやっておりました。左から二番目の人はスペイン系が若干入っている風に見える。他のお三方はインディオの様です。ペルーかボリビアの方々と推測。


駅前の北口


横浜駅西口駅ビル全景。
駅ビル自体は改装前の福岡県福岡市 JR博多駅を小ぶりにした様な感じでした。
次に横浜へ来る時は、元町までぜひ足を伸ばしてみたいと思います。

東京都目黒区 自由が丘 駅の南側ばさるく

2011-02-24 23:56:41 | 東京
さて駅の南側、つまり南口の方ですが

東急ストアーのある通り。昭文社マップル文庫地図によると「マリクレール通り」となっていました。


東急ストアー四つ角から北、東急大井町線踏み切りを望む。


東急ストアー前から東、自由通り方面を望む。


ガラス張りの建物はユニクロ


美容院


栗の木通り。マリクレール通りから一本南の通りへ抜ける路地です。


ここ目黒区自由が丘にも監視カメラが


マリクレール通りの一本南の通り「目黒区みどりの散歩道」。この通りまでが目黒区自由が丘、通りの右側は行政区分が変わり、世田谷区奥沢となる。


無印良品は、お隣の世田谷区奥沢


そろそろ家路につこうとシャッターを切った後、左にたたずむホームレスの人と目が合ってしまった。何だか睨まれた様な気分。動きは緩慢だが、ホームレスの人にしてはガタイが良すぎる。トラブルを避けるべく、前から走って来た坊やと一緒にとっとと逐電


案内板


もと来た道を戻って、自由が丘を後にした。
日頃の運動不足解消にはもってこいの1日でした。

東京都目黒区 自由が丘 熊野神社

2011-02-23 23:37:14 | 東京
駅の南側に行く前に熊野神社へお参りしましたのでご紹介致します。


熊野神社は自由が丘の一角に鎮座ましまして


境内から通りを見渡す。


鳥居を潜ってまっすぐ行くと、本殿へ至る階段に行き当たる。その手前右側に銅像あり。
顕彰碑に刻みて曰く、「自由が丘誕生の祖」栗山久次郎翁の銅像、昭和62年建立。鉄道駅の誘致に尽力、自由が丘という地名の名付け親だそうです。


入れ替わり立ち代り、結構参拝の人が訪れていた。お年を召した方はもちろん、場所柄か家族連れや、若い人も目立った。


本殿


本殿より鳥居方面を望む。境内のミニ児童公園ではちびっ子たちが元気に遊んでいた。

都会の一角に静けさを保つお社あり。熊野神社でありました。

東京都目黒区 自由が丘 駅の北側ばさるく

2011-02-22 23:23:39 | 東京
自由が丘というのは東京都目黒区にありまして、訪問前にネットで下調べをしました所、「落ち着いた街並」「治安が良い」「おしゃれ」「街並みが非常に洗練されている」「ハイソな人が多い」「きれい」という文言がこれでもかといった具合に出てくる。
思わず「おいのごたっもんの、行ったっちゃ良かとやろか」と長崎弁丸出しで独り言をつぶやきつつ、探訪して参りました。


まずは駅正面からの風景


正面すぐそばの「自由が丘デパート」。ネットで調べた所、戦後に闇市があった場所らしいです。


自由が丘デパートを右に見て路地へ入る。


どこかを左折して行き当たった場所


その反対側の路地


南北の通り


南北の通りは北へ向かって途中から登り坂になっており


坂の途中にはおしゃれな店が散見されますがあまり数もなく


坂を上りつめた頂上で店はなくなり、買い物客の姿も絶え、住宅地に入り込む。


頂上にあった店の集合体


中はこんな感じ。東南アジア勤務時に社員旅行で行った、マカオのベネチアン何とかを思い出した。

再び坂を下って

路地を左へ曲がり、まっすぐ行くと踏み切りにぶち当たります。その途上に神社を見つけましたがこれについてはのちにご紹介致します。


踏み切りを渡って「自由通り」という通りに出ます。自由通りにはパチンコ屋や


不動産屋も普通にあります。


そして一部には昭和の雰囲気も残しています。


行列のある店。中華飲茶の店だと思う。


ニューヨーク市という名前のドーナツ屋さん。


ドーナツ屋全景


さらにまたパチンコ屋


路地から


さらに路地へ入り込み


ネオンがまだついていない飲み屋街をさまよい


踏み切りを渡って駅の南口へ回ります。
次は駅の南側を尋ねます。

東京都 目黒区 東急自由が丘駅

2011-02-21 22:27:57 | 東京
電車に乗っていて「自由が丘」というそのネーミングが気になってしょうがなかったので2月20日(日)、散歩がてら行って参りました。自由が丘駅近辺はワタクシの生活圏ではないのですが、少し長めの散歩がてら行けない事もないので、歩いて行く。


東急線沿いに歩いて行くと、駅が見えてきます。


最初にこのようなガードが目に入る。くぐってみると


駅の改札でした。


南口となっております。


ガードを再びくぐって踏み切りを渡る。1階ホームは東急大井町線、6両編成の電車が走っています。2階ホームは東急東横線、日頃お世話になっている8両編成が停車中。2路線が交差しています。
東横線は2階ホームという表現をしましたが自由が丘駅がある地点は周囲より低い窪地になっている為、このようになる。


駅の正面に当たる部分


多分西側だったと思う。


北口。改札機は3つ。ラッシュ時は大変だろうなあ。

さて、いよいよ駅周辺をさるきます。以下次号

東京都渋谷区 渋谷駅東口方面ばさるく

2011-02-20 23:13:41 | 東京
ハチ公口すぐそばに


スクランブル交差点がある。渋谷はあちこちにスクランブル交差点があるが、ワールドカップサッカー暴動があったのはここではないかと推測。


ここを過ぎて行くと、「渋谷センター街」なる通りに出る。


適当に歩いていたら、「東急デパート本店」へ到着。ここが繁華街の端のようである。デパート前を右に折れ


再び歩いていると、宇田川交番へと出た。テレビの「警察24時」で見たことがある建物。テレビではこの辺は、夜になるとネオンが激しく瞬き、暴走族の喧嘩や酔っ払いのトラブルが絶えないという事になっているが、夜来た事がないのでワタクシには本当の所は判りません。


宇田川交番から西武デパート前を抜けて


大きな通りへ出ると「○I○I」というビルがある。このビルの前が三叉路になっていて


三叉路を左へ入ると「公園通り」という狭い通りになっておりこの通りを歩いていくと


「パルコ」に行き当たる。このパルコで渋谷の繁華街は終わる。


防犯カメラが至る所に設置されていた。この辺りは相当治安が悪いのであろう。


公園通りから「LOFT」へ行く路地。


適当に歩いていたら「109」ビルの前へ出た。渋谷駅がすぐ前に見える。


「109」の前の坂を登って行く途中に発見。何の像か判らないが、なぜか心を打つ。


この坂は「道玄坂」というらしい。どうやら人名が坂の名前になったようで、大阪市の「道頓堀」や福岡市の「渡辺通り」、ついでに我が故郷長崎市の「小曽根町」と同じ地名の由来のようだ。昔の人の名前がついた地名というのは個人的に歴史を感じさせて好きです。


道玄坂標識の前に「しぶや百軒店」があり、この辺りが繁華街の終点のようだ。

渋谷駅へ戻るべく道玄坂を下っていると、突然、ずんずんというものすごい音

新人歌手の宣伝であろう。

渋谷駅まで戻るとまたもや

ずんずんと重低音を響かせながら新手のトラックがやって来た。

重低音が去ると

少女歌劇団みたいなやつの宣伝がやって来た。今度はトラックではなく、あろう事かトレーラー、しかも2台で連なってきた(後方に見えているのも同じ外装を施していた)。大音量だが、重低音じゃなかっただけ、我慢できたっす。

写真はこの3枚だけだが、他にもやたら音楽関係の宣伝トラックが走り回っていた。大量に資金を投じて新人歌手の宣伝をしているが、この中から芸能界で生き残れるのは、ほんのわずかであろう。若い彼ら、彼女らが第二の人生を踏み外す事のない様、願うばかりである。

電車に乗る前、駅ビル内の東急デパートをのぞいて見ると、婦人服売り場で何やら人だかり。

芸能人かと思い、店員の女性に聞いてみると、「ファッション雑誌の読者モデルさんです。」との返事。「何という名前の人ですか。」と尋ねれば答えは、「すみません、私も知らないんです。」ありゃりゃ~。とりあえず周囲に同調して撮影はしておきやした。


東横線渋谷駅の奥ゆかしい南口改札から


家路につく。
渋谷は店も沢山あって、人通りも多く賑やかですが、街自体はさほど広くないので、ぶらぶらするには程よい規模です。ネタにこまったら、渋谷ばさるけ~。


東京都渋谷区 渋谷駅 モヤイ像とハチ公像

2011-02-19 23:41:12 | 東京
2月14日(月)の東急東横渋谷駅探訪は雨にたたられ、ネタ探しを断念せざるを得ませんでしたが、2月19日(土)
寒風を突いて曇り空の中、出かけました。今回は、渋谷駅前のモヤイ像と全国的に有名な忠犬ハチ公の像をご覧いただきます。


渋谷駅南口。その程近くに


モヤイ像はあります。最初はモアイ像かと思いました。これは両面に顔があってこの逆側は


この様になっています。ここは待ち合わせ場所として利用されているのでしょう、結構な人だかりがあり、人がいなくなるまで結構待ちました。


石碑に「モヤイ」という意味のいわれが記されていました。東京都新島村で、皆が協力して何かをしようとする事を「もやい」と言うのだとか。国語辞書で調べてみると、確かに上述の意味の事が書かれていた。辞書にあるくらいだから、新島独特の言葉ではないようです。


モヤイ像前から見る風景。後ろの高層建築は「セルリアンタワー」。低層階はオフィス、上層は東急ホテルが入居しています。


南口からハチ公口へ移動。


駅ビル。


そしてついにありました、忠犬ハチ公像。頭部がなでられて、すり減っているのが判る。
ここも待ち合わせ場所として利用されることが多く、人がはけたこの状態になるまで結構待ちました。

ここから渋谷の繁華街へと向かいます。以下次号

東京都渋谷区 東急電鉄渋谷駅 

2011-02-18 23:39:16 | 東京
昨日は大阪の南海電鉄ネタでしたので、今日は東京へ来てから頻繁にお世話になっている東急電鉄の東横線渋谷駅の記事であります。

東急電鉄とは正式社名を東京急行電鉄株式会社といい、東京都渋谷区に本社を置く、大正11年創業、資本金1,217億2千4百万円 社員3,868人、東証一部上場(同社HP)の、東京都と神奈川県に総延長104.9km(日本民営鉄道協会HP)の路線を持つ鉄道会社です。
南海と比べますと、歴史は浅く、路線距離も短いですが、東京都と神奈川県という日本最大と第二位の人口をもつ都県を結ぶだけあって、会社の規模は東急の方が断然大きい。

撮影日時は2月14日(月)午後4時ごろ


ヘボン式に加え、中国語(たぶん簡体)とハングル文字もある。首都圏では中国語を耳にしない日はないのではないでしょうか。韓国、朝鮮語はあまり耳にしませんが。


ホーム。幅が狭く、かつカーブしているのがお分かりいただけよう。


ホームの端(代官山方)。先端部分に行くにつれ、ますますホームの幅が狭くなっている。ラッシュ時はワタクシのような田舎者は足を踏み外して線路へ転落する恐れがあるので近づかないようにしております。


ホームの端(改札方)。東急東横線渋谷駅のホームは4つ。電車の編成は8両、渋谷から乗りかえなしで神奈川県横浜市の横浜駅を経て横浜高速鉄道へ乗り入れ、「元町 中華街」まで運んでくれます。中華街で晩めし食って、渋谷で一杯やる(逆も可)、というゴージャスな夜もすごせます(お金があれば)


正面改札口


正面改札前の切符売り場付近 


正面改札口へ至る1階入り口。
駅の中だけ見ると、福岡県福岡市にある西鉄福岡駅を小さく、かつ古くしたような雰囲気の駅です。


東口外観 


東口バス停の前から。こうやって見ると、大都会東京渋谷の駅とは思えない小ささ。巨大ターミナルを想像していたので、初めて見た時は驚きました。


駅ビルは東急デパートになっている。


駅前歩道橋からの眺め。


交差点。人の流れが一瞬途切れた隙に撮影。平日の午後4時というのに、かなりの人出でした。
反対のJR側(忠犬ハチ公像がある方)にも回ってみようかと思ったが、雨が降ってきた為、断念。
歩き足らず、次に出てきた時は「もちょっと歩いてさるかんば」

大阪市中央区 南海電鉄なんば駅 登録有形文化財指定答申

2011-02-17 23:07:26 | 大阪
大阪に勤務していた1年間、通勤でお世話になっておりました南海電鉄のなんば駅をご紹介致します。

南海電鉄とは正式名称を南海電気鉄道株式会社といいまして、明治18年創業、資本金637億3,903万4,121円、社員2,686名、東証、大証、名証1部上場の大阪府と和歌山県に総延長154.8kmの路線を持つ鉄道会社です。(同社HPより)
沿線には世界遺産 高野山と関西国際空港、教科書に出てくる仁徳天皇陵がありますが、それ以外は目だった物もなく、ひっそりと大阪 和歌山間をつないでいます。

撮影日時は2月14日(月)午前10時頃です。

まずはホームのご案内

発車を待つ特急「こうや」。乗客を世界遺産 高野山へと運んでくれます。


1番線ホームから9番線方向を望む。私鉄駅の中でホームの数という基準でみると、南海なんば駅は、大阪市北区にある阪急電鉄梅田駅に次いで日本で2番目に大きな駅だそうです。今まで知らなかったが言われてみれば結構壮観な眺めです。
電車は朝夕ラッシュ時など乗客が多い時は8両か10両編成、暇な時間帯は6両編成が主流


3階改札口


2階中央改札口


1階正面入り口


南海なんば駅は大阪市中央区に位置し、明治18年(1885年)12月に開業。その駅ビルは「南海ビル」と呼ばれ、昭和7年(1932年)竣工、久野節という人が設計した戦前の大阪を代表する名建築だそうで、外壁部は平成21年9月に修復が施されております。修復工事の折は竣工当時の設計図が残っておらず、当時の写真を元に外壁部を復元したそうです。現在は高島屋デパートが同居しています。


後ろの高層建築はスイスホテル南海大阪。旧スイス航空の持ち物でしたが、スイス航空破綻後、名前だけ残して現在はカナダのラッフルズ傘下となっており、ラッフルズの系列ホテルは日本で唯一ここだけとの事。


駅前にある平和の女神像。第二次大戦で焼け野原となったこの地に平和を願い戦後に建てられました。

昭和20年3月13日深夜から14日未明にあった大阪空襲で、なんばから心斎橋にかけての一帯は火の海となったそうです。
その時、逃げ場を失った少なからぬ人たちが、午前3時から4時頃にかけて、大阪市営地下鉄に乗って被害がなかった地域へ脱出に成功したという事があったのですが、こんな時間に地下鉄が動いているはずがなく、この日時に地下鉄を運行した記録も大阪市交通局に残っておらず、「わしらが動かしたんや」という職員もいない。何処の誰が駅ごとにシャッターを開け、避難する人を誘導し、乗せ、地下鉄を走らせたのか、当然ひとりでできる事ではなく、真相は未だにわかっていません。
このときの空襲では4,000人を超える方々がなくなられております。合掌

ところでこの連休の帰宅の折入手した南海電鉄情報誌2月号の記事によりますと、2010年12月、なんば駅の登録有形文化財指定が決まったとの事。
 (マスコミ報道では文化庁の審議会で答申がなされた、という言い回しであった。)
次の帰宅の折には、銘板がはめ込まれているであろうか、今から楽しみです。


東京都某所 2センチ積雪 

2011-02-16 00:11:51 | 東京
単身で東京都内某所に住み始めて1か月、今回よりブログのタイトルを変更いたしました。

こちらへ来て、いろんな方から何処に住んでいるかと尋ねられ、最寄の駅名を答える度に「ほんとに東京都内ですか」「そんな駅は聞いた事ない」「何処にあるの」はまだしも、ついには「住んで大丈夫か」と言われる始末。さもわたくしの居宅が隠れ里かどこぞの秘境、果ては人外境にあるかの如き反応をされ続けていた折、2月11日(金)の朝、雪のせいか家の近くの多摩川に神秘的な川霧がもうもうと立ちこめていたのを目にし、このタイトルを思いついた次第です。
ちなみにサブタイトルの「さるいて」というのは長崎弁で「逍遥する」というか「ぶらぶら歩く」というか「ほっつき歩く」といった意味です。

日頃は沢山の方にご来訪頂き、本当にありがとうございます。単身赴任の気楽さで好き勝手な事を書いておりますがその辺は何卒ご容赦賜りたく、今後とも何卒ご贔屓の程お願い申し上げます。

さて昨日2月14日(月)、この日は有給休暇をもらっており、大阪の自宅を朝出て午後4時頃に東京の居宅に着いたのですが、帰着時に降りだした雨が夜になって雪に変わり

同日午後9時頃には我が居宅近辺はこの様になっておりました。巻尺を用いて積雪深を計測した所、約2センチでした。

明けて2月15日(火)

午前6時半頃の様子。雪は積もっていたが、やんでいた。かなりのべと雪。

今シーズンは雪が各地で深刻な被害を及ぼしております。これ以上のドカ雪がないように祈るばかりです。