撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

東京都文京区 東京大学(工、法、文、安田講堂、図書館)

2011-04-29 12:49:57 | 東京
さて寛永寺から根津という在所を経由して歩いて東大を目指します


東大の裏通りにあたる


看板の字もおどろおどろしい「暗闇坂」を登ります。ゆるい坂です。同名の坂は麻布十番にもあったな。


坂の途中の民家の塀に「東京大学医学部戦没同窓生之碑」を発見。そばを歩いていたおばちゃん達が「民家の塀にこんなもの勝手に作っていいのかしらん」と気にしていたが、碑文をよく読むと民家の方の了承は頂いている模様。
何でも学内に碑を作ろうとしたが教授会の承認が降りず、民家の塀にご好意ではめ込ませてもらったとか。
学内に碑を設置できないとは、東大側にどういう理由があるのであろうか。


近くには竹久夢二美術館もあり。岡山県内のどっかでも見たなあ。


いよいよ東京大学構内へ突入。戦没同窓生之碑から一緒だったおばちゃんも達も入っていきます。この門は弥生門というらしい。


入っていきなり古い建物。工学部13号館。


13号館の隣、工学部4号館。


4号館正面


4号館の隣は新しい建物となっている。


建物名が判らないまま撮影しました。


銅像もあります。


スターバックスもあります。


工学部前の芝生広場。


一旦外へ出て正門を望む。


正門を入った所。


キャンパスツアーの一団。現役の学生さんが案内していた。


夏は涼しそうであります。


そして正門をまっすぐ進むと突き当たる、東大といえば安田講堂、1925年竣工。巨大建築を想像していたので、実物を見て思わず出た言葉は「ありゃ、ちっちゃ~」


意外と小さかったとはいえ、風格十分。圧倒されます。


中への入り口には大学のロゴがありました。


斜め前から見た安田講堂。講堂正面の小さな広場は盛り土されたようになっているので、正面から見える安田講堂はその高さの恐らく4分の3くらいという事が判った。


斜め後ろから見た安田講堂。


安田講堂前の法文2号館、法学部と文学部が入った建物を見ながら


図書館へ至る。


入り口が開いた瞬間に内部を撮影。階段に赤絨毯が敷かれていた。入ろうと思ったが、雰囲気にびびって退散。


図書館を横から見る。建物自体は古いので高さはさほどないが、奥行きがすごいっす。


お次は三四郎池、理学部、医学部、付属病院、赤門方面へ向かう。
以下次号

寛永寺その他

2011-04-28 23:31:52 | 東京
東京芸大を後にしまして再び歩き出す。


黒田記念館


東京芸大の音楽学部敷地に食い込むように建っていますが、芸大の建物ではない。


そしてすぐに見えてくるのが国立国会図書館の国際子ども図書館


立派な建物です。


1906年竣工、1929年増築だそうです。


子ども図書館の前には噴水があり


ちょっと目立たないが小泉八雲(ラフカディオ ハーン)の顔が彫られていました。


そして寛永寺に到着


根本中堂。残っている大きな建物はこれだけ。


しかし境内には桜が残っておりました。


とりあえずアップ


徳川の家紋発見


鐘楼


虫塚。1821年、伊勢長島藩主の増山雪斎の遺言で建てられたもの。雪斎は多くの花鳥画を残した。写生に使った虫類の魂を慰める為に建てたらしいです。東京都指定旧跡


上野戦争碑記

寛永寺を出て南へ向かう


護国院。「谷中七福神」のひとつだそうで


能の舞台らしきものもありました。


有名落語家の名前も。何代目の金馬師匠なのかは判りませんでした。

さらに歩いて


森鴎外旧居跡を発見


その跡地は立派なホテルになっています。入り口受付にいた従業員の人に断って撮影しましたが、感じのいい方でした。


根津と呼ばれる在所で静態保存のチンチン電車発見。
ここから更に歩いて東京大学へと向かいます。
以下次号

東京都台東区 東京芸術大学

2011-04-27 22:50:19 | 東京
旧東京音楽学校奏楽堂から歩いて30秒くらいの所に


1889年に設置された旧東京美術学校の正門がありまして、ここは現在


東京芸術大学の


美術学部となっております。


門を入りますとすぐ左手に陳列館があり


その隣には図書館


高村光雲の胸像もありました。卒業生というわけではなく、東京美術学校で教授をしていたそうです。


展示会の案内。構内はギャラリーやカフェなどがあって学生さん以外に一般客の出入りも多かった。

そして美術学部と道路を挟んで向かい側には


音楽学部があります。前身の東京音楽学校は1890年に設置されております。


こちらの正門は旧東京音楽学校のものを使用しているのか、近代的な美術学部正門と比べ年季が入っています。


正門を入って左手に赤レンガの建物が


二つありました。


胸像も美術学部に負けぬほどあります。


守衛室も歴史を感じさせる。美術学部と違いひっそりとしていた。

キャンパスの敷地面積は少し離れた所にある体育館もあわせ、69,365㎡(大学HPより)。敷地内には付属の音楽高校もあるので狭いキャンパスといえましょう。しかしキャンパスが広けりゃいいってもんじゃありやせんぜ。

わたくしの知る限りでは卒業生に大賀典雄(声楽家、元ソニー社長)、坂本龍一(YMO ポッキーを)葉加瀬太郎(バイオリン、情熱大陸)という各氏が名を連ねる。旧東京音楽学校、美術学校まで含めると、教科書に載っているような芸術家を数多く送り出しております。

今後も日本の芸術界に偉大な足跡を残していく事は疑いのない所でありましょう。

東京都台東区 上野公園

2011-04-26 23:12:10 | 東京
アメ横を過ぎると


上野公園への入り口が見えて参ります。この階段を登って程なく


西郷隆盛翁の銅像があります。


その近くには幕末の上野戦争でなくなった彰義隊の墓があります。


そしてまた近くには重要文化財 清水観音堂もあります。上野戦争でほとんど焼失した寛永寺の伽藍にあって、現存する古い建物。1631年建立、京都の清水寺を模したものだそうです。


ちゃんと「清水の舞台」もあります。


観音堂の横は坂になっていて、清水坂 という名前がついています。


坂下から観音堂を望む。


観音堂下の散策路


桜が若干残っておりました。


「正岡子規記念球場」を過ぎますと


上野動物園が見えて参ります。あまりの人出に入園は断念。


動物園を過ぎて歩くと道向こうに何やら大名屋敷のような門が見えてきます。


東京国立博物館の塀の一部でありました。


ここにも僅かですが桜が咲いていました。


上野公園の北の端にある 旧東京音楽学校奏楽堂。1890年築。国指定重要文化財。東京音楽学校というのは今の東京芸術大学音楽学部にあたる。
この建物は東京芸術大学の敷地から移築されたものだそうです。入場料は300円だか400円だか必要。中ではパイプオルガンやバイオリンなんかのコンサートを定期的にやっているようです。

この後、ここから歩いて1分ほどの所にある東京芸術大学を訪ねました。
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東京都台東区 アメヤ横丁

2011-04-24 21:58:38 | 東京
4月24日(日)、久しぶりの快晴。先週の日曜日は神奈川県は横浜市へ行ったので、今回は東京都内でネタ探し。上野へ出かけました。


「御徒町」と書いて おかちまち と読むJRの駅を降りるとすぐに音に聞く


アメヤ横丁、アメ横であります。ここを抜けて上野公園へと参ります。


この通りは海産物や、衣料、靴、雑貨、時計宝飾等を商う店が軒を連ねています。


どんぶり専門店。結構混んでいた。


ガード下に軍事雑貨で有名な


中田商店を発見。


またもどんぶり屋。


上野公園側の出口へ出た。これから上野公園へと向かいます。
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横浜スタジアム近辺

2011-04-23 23:37:06 | 神奈川
中華街の門を出まして


NHK横浜放送会館を右手に見ながら

「日本大通り」という壮大な名前のついた通りに入ります


横浜地方裁判所。1929年築。現役


三井物産横浜支店。1911年築。現役


横浜情報文化センター。旧横浜商工奨励館。1929年築。現役


旧大蔵省関東財務局横浜財務事務所。1927年築。現在は使用されていない模様。

個人的に血沸き肉踊る建造物の数々を堪能し


横浜の発展に寄与した明治期のお雇い外国人、リチャード ヘンリー ブラントン技師の胸像。英国人、土木技師にして建築家。日本各地で灯台の建設もしたそうです。


ブラントンさんの像をすぎると


横浜スタジアムが見えてきます。


日本全国に少なくともファンが2万人くらいはいるであろう、プロ野球団 横浜ベイスターズ(親会社は東京の放送局である東京放送)の本拠地であります。


スタジアムの周囲は公園になっていました。


ポスター。


案内図


スタジアム前の交差点。左に見えるのは横浜市役所


市役所前から横浜スタジアムを望む。


ベイスターズ通り。スタジアムから少し離れた所にあった。


帰りはスタジアムに程近いJR関内駅から京浜東北線に乗車。


小さな駅だった。

横浜中華街

2011-04-22 22:32:11 | 神奈川
元町を後にして中華街を訪ねました。


中華街入り口


入ってすぐにあった「韓流百貨店」

以下、中華街の中を歩きましたのでご覧ください。


















中華街の端に出た。元来た方向を望む。


もう一方の門

わたくしが行った事のある中華街は、兵庫県神戸市、長崎県長崎市、タイ王国バンコク都と、ここ神奈川県横浜市の中華街であります。横浜中華街は、バンコクのそれに次ぐ規模であるという印象を受けました。バンコクの中華街は巨大すぎて別格と考えた方がよいでしょう。

この後、横浜スタジアムへと向かいます。以下次号

洋館と外人墓地

2011-04-21 22:16:25 | 神奈川
港の見える丘公園の敷地内にある


横浜市指定の有形文化財であるイギリス館を訪ねました。入場無料


1937年にイギリス総領事公邸として建てられたものです。


内部。内部撮影は一言断ればOK。管理人は感じの良い中年の女性の方でした。


続いて山手111番館。ここも横浜市の文化財となっていて、入場無料です。


内部。写真撮影可。1926年に米国人の私邸として建築


タイ駐在時に社員旅行で行ったマカオの「土生葡人之家」に感じが似ている。

洋館を二軒訪ねた後は程近い外人墓地へ


港の見える丘公園と外人墓地の中間点にある岩崎博物館。1885年 劇場として建築されたそうです。中に入らなかったので何の博物館かは判りません。

そして

外人墓地入り口へ到着。門の前に立つ男性2名は係の人。呼び込みをやっていた。保存維持協力金としてお一人様200円を寄付し、入場。


内部


お墓は比較的最近のものもあり。外国の方のみならず、日本人のクリスチャンの方のお墓もあったと思います。


展望所からは横浜ランドマークタワーも見えます。

外人墓地を後にして元町方面へ向かう。


途上のレトロな建物。


気象台でした。


東急電鉄の「元町・中華街」駅前を通り


元町の商店街を経由して中華街を目指す。
以下次号

山下公園と港の見える丘公園

2011-04-20 22:37:46 | 神奈川
山下公園から港の見える丘公園まで歩きました


公園内のインド水筒。インド居留民の団体から寄贈されたものだそうです。


花壇の展示をやっていました。


赤い靴の像


氷川丸


ガールスカウト像


巨大像

などを見て回り


港の見える丘公園へと向かいます。


丘への入り口。階段を登っていきます。


階段を登ったあたりの風景。1930年頃、フランス領事公邸がこの辺りにあったそうで、案内板ではこの辺を「フランス山」と称してました。


さらに進みまして


終に港の見える丘公園展望台へ到着。


皆さん


景色を眺めていますが


展望台から見えるのは倉庫やマンションが主で、随分遠くに橋や海が僅かに見える程度。展望台からの景色を期待して行くと、がっかりするかも。公園内の散策は結構楽しめます。


なんとまだ桜が咲いてました。


アップ


公園正門

さてお次は公園内にある洋館、その後外人墓地を訪ねました。
次回に続く

神奈川県横浜市 県庁付近

2011-04-18 22:57:33 | 神奈川
馬車道駅のすぐそばに古風な建物を発見


こういうのを見ると嬉しくなります。


似たような建物が結構目に付く。


これは


旧生糸検査所という事ですが


「横浜第二合同庁舎」として現役で使用されています。もちろん内装は改造されていると思われます。


アングルを変えて撮る。


スキマから横浜ランドマークタワー


これも何かわかりませんが古そうなので撮影しておきました。帰ってきて調べたら、東京芸術大学の大学院の建物でありました。1929年築のコンクリート建築


日本郵船横浜支店。中は博物館になってました。入場料確か400円だったと思います。本日は先を急ぐのでパス。


少し歩くとこの様な高層建築もあり


神奈川県警察の本部でした。


常にこうあってほしいものです。


見回りご苦労さんです。


これまた古そうな建物


税関でした。


中は資料館になっていて無料で入れます。


横浜開港記念会館。1917年竣工


街路樹がかぶってしまうこの立派な建物は


神奈川県庁でした。1928年竣工、文化庁登録有形文化財


少し歩いてまたまた興味深い建物発見


その昔学校で習った日米和親条約が締結されたというこの地に建てられたのは


英国総領事館、1931年竣工。1972年に総領事館は廃止され、1981年からは横浜開港資料館 として使われています。


さてここから山下公園へと向かいます。
以下次号