撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

パクナムチェックポイントにまた寄る

2021-08-30 00:02:31 | タイ王国
2019年11月18日(月)


右舷にコンティー島が見えてきた。もうサパンプラーは目の前である。



そして左舷にパクナムチェックポイントも見えてきた。



往路同様立ち寄るようだ。
以下次号

サラニ島を再び通過す

2021-08-28 00:10:50 | タイ王国
2019年11月18日(月)ミャンマーはコータウンを出国しクラブリ―川を渡ってタイはラノーンへ戻る。


往路に見たサラニ島が再び右舷に見えてきた。



金色の観音像が見えた。



接近して舟着場に2人いる迷彩服の軍人に舟全体を見せた後



取舵いっぱいでサパンプラへ向かう。オヤジの操船は巧みであった。



この船頭、かなりの悪人ヅラで最初は恐ろしかったが、こうして見ると頼もしい。



振り返ってサラニ島と、ミャンマーはコータウンを眺めた。
一刻も早いミャンマーの民主化と武漢コロナの終息を願って以下次号

ミャンマー コータウン入国手続きは意外と簡単 地図付き

2021-08-24 04:53:18 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)時点で日本人のビザなし入国が可能であったミャンマーだが、タイ領ラノーンから小型木造ボートでクラブリ川の河口部を渡って行く事が出来るコータウンの入国手順をお伝えする。意外と簡単であった。


ラノーンは魚のニオイがぷんぷんするサパンプラを木造ボートで出発し30~40分でミャンマーはコータウンに到着する。
ボートは小さいので揺れはするが上下の不快な揺れではなく、風にあおられる左右方向の揺れというか、シーソーの中心部にいるような感覚でなかなか面白い。あくまで個人的意見だがバンコクのチャオプラヤー川を横切る渡し船より乗り心地は良かった。天候が悪ければ判らぬが。
運賃は片道100バーツ、満員にならないと出発しないとラノーンのコピー屋は言っていた。筆者は時間の都合で往復600バーツで貸切った。



ラノーンから乗って来た木造ボートはこの桟橋につけられるであろう。
まずボートをおりたら写真中央に写っている平屋の赤い屋根の建物に向かわねばならない。これがコータウンのイミグレーションである。



桟橋からイミグレへは鉄橋を渡って行くこととなる。



鉄橋を渡り終えて桟橋方向を望むとこんな感じである。ラノーンのサパンプラと違って魚のニオイはしなかった。



鉄橋を渡ったら右手にあるイミグレで入国手続きをする。
筆者が行ったときは係官が2人いてひとりはミャンマー人、もうひとりはインド系だった。ミャンマー人の方に入国書類を記入しパスポートを添えて提出し、日帰りである事を伝えると入国と出国のスタンプを同時に押して5分もかからず手続き終了、「チェーズーティンバーデー」と言ったら不愛想だが同じように返してくれた。
帰りはイミグレに寄る必要なし。写真とビザ代10米ドル、ビザは不要であった。



イミグレで手続きを終えたら、写真左のガラス窓がやたらと大きな赤屋根の建物に入る。
この建物の中には荷物のX線検査装置があるのだが筆者は手ぶらだったので2人いた係官に愛想笑いだけして通過。



荷物検査の建物を出たところ。とっつぁんが入ろうとドアを開けているところが出入口である。
出入口にはバイタクやソンテオの客引きが沢山いてカオス状態だったが、なぜか誰も筆者には声を掛けてこなかった。



着いて10分もせぬうち無事入国を果たし、桟橋方向を眺めた。
出国時はこの逆を辿ればよく、日帰りならイミグレに寄る必要なし、ただし入国時に出国のスタンプが押されているか要確認。
ミャンマーの出国スタンプが漏れていたら、ラノーンでタイ入国を拒否されもう一度往復80分 木造ボートに乗るハメになる。


参考までに、筆者のミャンマー入出国スタンプを吊るす。

IMMIGRATION MYANMAR 18 NOV 2019とある四角いのが入国、丸いのが出国。

以下、コータウン桟橋、イミグレの地図である。

以前はボートはここから100メートルほど北に行ったところで発着、入出国の手続きはここまで歩いて来てやっていたらしい。

現在は武漢コロナに軍事政権の弾圧が重なりミャンマー入国は在住者でない限り不可能であるが、状況が好転した折、当記事が訪緬の志ある諸賢のご参考になれば、筆者の喜びとするところである。

以下次号

たかられたコータウンを後にした

2021-08-19 01:48:22 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)


ミャンマー時間9時33分、タイ時間10時3分、 舟は桟橋を離れ



最後にタカリ小学生ぼうずに10バーツ払った思い出深いコータウンの街をいよいよ後にする。



沖合に帆船が見えた。



左舷にコータウン本土とブロウニング島の海峡部を眺め



舟は前方にくっきりと見えるタイ領ラノーンを目指す。



右舷に漁船を見た。大型の船だったので、モーケン族のものではないであろう。



左舷にブロウニング島を見切って



舟はクラブリ川河口をラノーンに向け快調に進むのであった。
宿のチェックアウトの関係で僅か41分の滞在となったコータウン、軍事政権が倒れ、武漢コロナも落ち着いた後はゆっくり一泊で訪れたいものだ。

以下次号

コータウン桟橋で10バーツ巻き上げられた

2021-08-16 04:02:58 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)ミャンマーはコータウンにて出国手続きを終え


桟橋に至った。警察の警備艇が停泊していたが、金持ちが持っているクルーザーの様な船だった。


さて、桟橋に来たはいいが

どれが乗って来た舟か判らない。船頭のオヤジを探すがどこにも見当たらない。
オヤジには往復の舟賃 600バーツという大金をまだ払っていないのでトンズラしたとも思えず、目を凝らすが似たような舟ばかりで見分けがつかない。

そこへひとりの少年が現れ

舟まで案内してくれたのであった。オヤジは来るときはかぶっていなかった帽子をかぶっており、それで見つける事が出来なかったのだ。
少年へこの日の為に覚えてきたミャンマー語で「チェーズーティンバーデー(ありがとう)」と礼を言ったところ、何と明瞭な英語で「10バーツ払え」と言ってきた。とんでもない悪ぼうずである。
無視していたら、ふくれっ面でオヤジの所へ行って何やら文句を言っている様だったが、オヤジは無視して携帯電話でどこかに電話していた。



オヤジにも無視され、ぼうずは恨めしげな表情でこちらを見る。
舟の位置を教えてくれたのは事実であるし、しょうがないので手招きしてお駄賃10バーツ、邦貨訳37円をあげたら途端に笑顔になり、筆者とハイタッチを交わして去って行った。



コータウン上陸以来、僅か30分程ではあるが、ここまでボッタクリに会わず、ひたすら歩くだけで金も使わず通してきたが、最後でタカられてしまった。
しかし邦貨にして僅か約37円、あのぼうずも年恰好からすれば小学3~4年生くらいだが平日に桟橋で勝手に頼まれもしない案内をして外国人から10バーツを巻き上げている事からして、学校ヘは行っていないであろう。ひょっとしたら母ひとり子ひとりの生活で、母親は病気かもしれない、ネタにもなったしタンブンしたと思えば良し、と自分に言い聞かせたのであった。



コータウンの空は青かった。
以下次号

コータウン桟橋へ向かう

2021-08-15 01:38:09 | ミャンマー連邦共和国
8月15日 本日は終戦の日である。世界中に平和が訪れん事を願って止まない。

2019年11月18日(月)ミャンマーはコータウンにて


ショッピングセンターの前に整然と並んだスクーターを眺め



路地に入って



船頭との約束の時間が近づいて来たので桟橋を目指した。

以下次号

ショッピングセンター素通り

2021-08-14 01:58:05 | ミャンマー連邦共和国
昨日来 西日本を中心に大雨の被害が出ている。報道では犠牲になられた方もおられるとの事、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。これ以上被害が拡大せぬ様祈るばかりである。

2019年11月18日(月)ミャンマーはコータウンにて


観音廟の門の前から時計塔方面へ歩いた。



何と書いてあるか読めぬが、多分スーパーとか、ショッピングセンターとかいう意味なのだろう。



中は涼しそうだったが、薄暗くてネタになる写真も撮れないだろうと判断し、入るのはやめておいた。

以下次号

コータウン托鉢僧

2021-08-13 01:34:00 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)ミャンマーはコータウンにて



托鉢の僧を見た。僧衣の色からして時計塔の坂から降りてきた托鉢行列の中のおひとりであろうか、暑いのに裸足であった。


そして

同じ商店に別の托鉢僧がやって来た。僧衣の色から托鉢行列とは別の組織に属する僧の様で、しっかりツッカケを履いていた。

以下次号

コータウンの豊田クラウン

2021-08-11 00:22:08 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)ミャンマーはコータウンにて


豊田のクラウンを見た。



サイドカーもあったが左ハンドルではなく、右ハンドルだった。タイから持ってきたのであろうか。
そしてサイドカーの向こうに托鉢の僧がおられたので行ってみた。

以下次号

コータウン観音廟門

2021-08-09 00:01:12 | ミャンマー連邦共和国
本日8月9日、76年前に我が故郷、長崎に原爆が投下されて多くの方々が犠牲となった日である。
先の広島が人類初の戦争での核使用で大きな被害を受けたのであるが、今なお原爆の後遺症に苦しむ方々がいるというに、スガのスピーチはヒドかった。、広島の方々が気の毒でならない。
そして今日、この長崎を最後の被ばく地とせねばならないのだが、スガは長崎にも来るのだろうか、来なくていいけど。

さて2019年11月18日(月)ミャンマーはコータウンを歩いた。


寺院の門らしき所に至った。観音廟と書いてあり、目指す廟はここから坂を登って行かねばならず時間の都合で断念した。



門の右隣のよろず屋らしき建物、閉まっていた。その前はクランクになっていてその先は坂だった。



門の左隣の建物。ミャンマー国旗がたなびき建物の中から子供たちが何かを唱和する声が聞こえてきた。学校かと思ったが建物が小さく運動場もないので、寺子屋みたいなものであろう。

以下次号