2019年11月18日(月)時点で日本人のビザなし入国が可能であったミャンマーだが、タイ領ラノーンから小型木造ボートでクラブリ川の河口部を渡って行く事が出来るコータウンの入国手順をお伝えする。意外と簡単であった。
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ラノーンは
魚のニオイがぷんぷんするサパンプラを木造ボートで出発し30~40分でミャンマーはコータウンに到着する。
ボートは小さいので揺れはするが上下の不快な揺れではなく、風にあおられる左右方向の揺れというか、シーソーの中心部にいるような感覚でなかなか面白い。あくまで個人的意見だがバンコクのチャオプラヤー川を横切る渡し船より乗り心地は良かった。天候が悪ければ判らぬが。
運賃は片道100バーツ、満員にならないと出発しないとラノーンのコピー屋は言っていた。筆者は時間の都合で往復600バーツで貸切った。
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ラノーンから乗って来た木造ボートはこの桟橋につけられるであろう。
まずボートをおりたら写真中央に写っている平屋の赤い屋根の建物に向かわねばならない。これがコータウンのイミグレーションである。
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桟橋からイミグレへは鉄橋を渡って行くこととなる。
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鉄橋を渡り終えて桟橋方向を望むとこんな感じである。ラノーンの
サパンプラと違って魚のニオイはしなかった。
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鉄橋を渡ったら右手にあるイミグレで入国手続きをする。
筆者が行ったときは係官が2人いてひとりはミャンマー人、もうひとりはインド系だった。ミャンマー人の方に入国書類を記入しパスポートを添えて提出し、日帰りである事を伝えると入国と出国のスタンプを同時に押して5分もかからず手続き終了、「チェーズーティンバーデー」と言ったら
不愛想だが同じように返してくれた。
帰りはイミグレに寄る必要なし。写真とビザ代10米ドル、ビザは不要であった。
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イミグレで手続きを終えたら、写真左のガラス窓がやたらと大きな赤屋根の建物に入る。
この建物の中には荷物のX線検査装置があるのだが筆者は手ぶらだったので2人いた係官に愛想笑いだけして通過。
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荷物検査の建物を出たところ。とっつぁんが入ろうとドアを開けているところが出入口である。
出入口にはバイタクやソンテオの
客引きが沢山いてカオス状態だったが、なぜか誰も筆者には声を掛けてこなかった。
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着いて10分もせぬうち無事入国を果たし、桟橋方向を眺めた。
出国時はこの逆を辿ればよく、日帰りならイミグレに寄る必要なし、ただし入国時に出国のスタンプが押されているか要確認。
ミャンマーの出国スタンプが漏れていたら、ラノーンでタイ入国を拒否されもう一度往復80分 木造ボートに乗るハメになる。
参考までに、筆者のミャンマー入出国スタンプを吊るす。
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IMMIGRATION MYANMAR 18 NOV 2019とある四角いのが入国、丸いのが出国。
以下、コータウン桟橋、イミグレの地図である。
以前はボートはここから100メートルほど北に行ったところで発着、入出国の手続きはここまで歩いて来てやっていたらしい。
現在は武漢コロナに軍事政権の弾圧が重なりミャンマー入国は在住者でない限り不可能であるが、状況が好転した折、当記事が訪緬の志ある諸賢のご参考になれば、筆者の喜びとするところである。
以下次号