撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

鹿島神宮から佐原行きに乗車

2023-11-21 04:21:31 | 茨城
2023年7月6日(木)一泊二日の鹿嶋市出張を終え宿をチェックアウトして


9時41分、鹿島神宮駅に至る。



落ち着いた雰囲気の高架駅だ。



懐かしい鉄道車両写真を見て



ホームに上がり9時44分発の佐原行きに乗車



車内はすいていた。

鹿島大野から鹿島神宮

2023-11-20 04:23:22 | 茨城
2023年7月5日(水)ひと仕事終え


20時39分、鹿島臨海鉄道の鹿島大野駅から鹿島神宮行きに乗車



2両編成の先頭に乗車したが、我ら2人以外乗客はいなかった。



20時56分、鹿島神宮駅着



左は乗ってきた鹿島臨海鉄道、右はJRであるが、横須賀線の車両だった。久里浜からはるばるここまで来たのであろうか。


駅周辺で食事処を探したが、マンションと民家と学習塾とパチンコ屋しかなく

高架駅には珍しい、ロータリーはあるが駅へ出入りできない方へ出て



21時03分、ミニストップで弁当を買って宿で食ってパソコン開いてデスクワークした後、就寝したのであった。

鹿島神宮から鹿島大野

2023-11-19 04:21:03 | 茨城
2023年7月5日(水)茨城県鹿嶋市出張


鹿島神宮駅から



17時57分発の鹿島臨海鉄道は水戸行きに乗車



路線図



車内。程よくすいていた。



18時12分、小雨降る中、鹿島大野駅で下車。乗降客は筆者ら以外は誰もいなかった。



跨線橋の階段からホームを見た。



西口に出て駅舎を見た。立派な駅舎だが無人駅だ。雨宿りであろうか、駅出入口横のベンチに女子高生がひとり静かに座っていたのが印象に残ったのであった。

剣聖 塚原卜伝生誕之地

2023-11-18 04:27:32 | 茨城
2023年7月5日(水)茨城県に一泊二日の出張、鹿島神宮駅にて下車し投宿後


15時23分、剣聖 塚原卜傳先生像を見た。



アップ



ここは塚原卜伝生誕之地なのであった。

鹿島神宮駅

2023-11-17 04:26:27 | 茨城
2023年7月5日(水)茨城県出張、東京から日暮里、成田、佐原と乗り継いで


14時38分、鹿島神宮駅に着いた。茨城県鹿嶋市の代表駅で、市名の漢字は鹿嶋だが、駅は鹿島となっている。



ホームから上りの水戸方を見た。



振り返れば右に佐原から乗ってきたJR、左に鹿島臨海鉄道の車両があった。



改札を出て



南口から駅前を見た。立派な駅前広場だ。周囲は住宅街で、駅前にありがちな飲食店や商店がなく、静かな佇まいだ。



駅舎。小ぢんまりとした高架駅である。

潮来駅

2023-11-16 04:25:43 | 茨城
2023年7月5日(水)茨城県出張


佐原から乗った列車は千葉から茨城に入り



14時28分、潮来駅に至った。ホームからかすかに太鼓橋が見えた。



潮来駅発車後



14時35分、北浦に架かる北浦橋梁を渡り、いよいよ終点である、以下次号

カッパ松

2021-11-11 04:07:00 | 茨城
2021年8月4日(水)13時15分 小川芋銭アトリエ雲魚亭隣接の庭園にて


説明板がある松の木を見た。



なんと、牛久沼で悪さを働いたカッパを捕えて縛り付けた松の木らしい。
しかしながら何かのHPで見たらこのカッパ松、初代が枯れてしまい、その後に植えられた二代目なのである。



しかしカッパを縛った松の木より、この説明板のカッパの絵が個人的にツボにはまって大いに感動したのであった。



また、カッパ松の後方の木々の間からはかすかに牛久沼も眺める事が出来た。


なるほど、このカッパ松を見たことで

牛久駅で見た顔出し書き割りの意味が理解できた。
牛久沼にはカッパ伝説があるゆえカッパ顔出し書き割りがあり



観光アヤメ園にはカッパ像があり



小川芋銭は父祖の地の伝説である河童を生涯好んで描いたのだ。



牛久=カッパという謎が解けて気分は浅見光彦、犠牲者のいない平和な事件を解決した清々しい気持ちで雲魚亭を後にした。



レンタカーを無事返却し14時11分 牛久駅から常磐線に乗って帰路に着いた。
素晴らしき哉、牛久市、次回は観光でゆっくり訪れたいものだ。

雲魚亭と小川芋銭石碑

2021-11-10 00:03:15 | 茨城
2021年8月4日(水)改善一歩と河童の碑から


歩いて1分、13時07分



雲魚亭に至った。東京12チャンネルの人気番組「開運何でも鑑定団」をご覧の方ならご存知の小川芋銭のアトリエである。



芋銭は牛久藩江戸屋敷に牛久藩大目付の子として生まれ、廃藩置県後は父親の命で牛久に戻り、農業の傍ら画業に励んだ。
昭和12年、自宅敷地内にアトリエとして妻と長男の尽力によって建てられたのがこの雲魚亭である。



入ってみようと思ったが、ご覧の通り、武漢コロナの為拝観中止となっていた、というか土日祝日のみ開館ゆえ、訪問当日は水曜日、どっちみち入れなかったわけだ。



残念だが、外観だけ見学



縁側を撮ったが逆光となった。
これ以外にも何枚か撮ったが全て逆光で失敗写真となった。


雲魚亭内部は見られなかったので、当記事1枚目の写真の庭園みたいな所にあった

不動明王の石碑と



「女護不動尊」と書かれた石碑を見た。



このふたつの石碑、小川芋銭の揮毫という事であった。
あとしばらくこの雲魚亭に隣接せる庭園を見学したので以下次号。

改善一歩と河童の碑

2021-11-09 02:58:32 | 茨城
2021年8月4日(水)牛久市観光アヤメ園から


結構狭隘な道をレンタカーでノロノロ走って



13時00分 レンタカーを6台分ある無料駐車場に止めて



駐車場から公衆便所の前を抜けて車止めの左手に



改善一歩の道標を見た。
説明板によると、地元の青年らが道標を建てる計画をしていた事を知った牛久在の著名な画家であった小川芋銭が上等な石柱を寄付したという。寄付に感激した青年らが芋銭の名を刻もうとしたら、芋銭自ら「改善一歩と記しなさい」と言ったのでそのようにしたという、大正11年、1922年の事であったそうな。



車止めを右に行くとベンチがあって涼をとれるようになっていた。


そして右側にあったのは

これである。表面が風化していたが、良く見たら観光アヤメ園と三日月橋にあったカッパ像の体育座り姿ではないか。



傍の石碑には「芋銭子河童碑」と刻んであった。牛久ゆかりの画家、小川芋銭は好んで河童を描いたという。



説明板によると河童の碑は芋銭の死後、芋銭の生前の偉業を讃えんが為、昭和27年に建てられたもの。戦後のものでさほど古くはないが、牛久市の文化財となっている。気になるのはだいぶ風化が進んでいるようで、補修したが良いように感じた。



改善一歩と河童の碑を見学した後、この道を通って小川芋銭旧宅に向かったので以下次号。

牛久沼

2021-11-08 00:39:33 | 茨城
2021年8月4日(水)牛久市観光アヤメ園の近くから牛久沼を望まんと


アヤメ園横の道路に出てみたが、イマイチ眺望がきかぬ。



橋が架かっていたので、行ってみた。



牛久沼方向を見る。



逆方向を見る。



橋は稲荷川という川に架かる



三日月橋だった。



そしてここにもか、という感じでカッパ像があった。アヤメ園の像と同じく体育座りをしていたので、同じ型から造ったぽかった。
このカッパ像、牛久ゆかりの画家、小川芋銭と関連があったと判明、以下次号。