撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

チャンギ空港のグルカ兵

2008-09-03 00:38:47 | シンガポール共和国
8月29日(金)シンガポール出張二日目は午前中に仕事を終え、
中華料理屋にて昼食、

これはうまかった。

空港にてチェックインの後、コーヒーをすすりながらしばし時間をつぶし

出国手続きを済ませた後空港内へ。

無料インターネットなどで時間をつぶした後、搭乗口へ向かう途上に

自動小銃を持ったグルカ兵の姿が。腰に下げたククリ刀が精強さのシンボル。第二次大戦中のマレー半島やここシンガポールで、またビルマの戦線で日本軍に恐れられた彼らが、現在のシンガポール軍にもいたとは驚きでした。

しかし今のシンガポールは平和です。


シンガポールの運河沿いの夜

2008-09-02 01:52:15 | シンガポール共和国
8月28日(木)シンガポールへ二日間出張しました。スワンナプム空港から約2時間15分でチャンギ空港へ到着。初日は夕方5時には仕事を終え、街へ出る事ができました。
シンガポールの古いアパートにはベランダがなく、このようにして窓から洗濯物を干すそうです。

ホテルに到着後、地図を頼りに、とある運河沿いを探検。地名は忘れました。


運河には橋がかかっていて沢山の人が写真撮影をしていました。

対岸の眺め。

少し中に入ると噴水があって

噴水の周りには、沢山のバーやレストランがひしめき合い、酔客でごったがえしています。

ここでも写真撮影をする人が目立ちます。

再び運河沿いに出ます。クレーンのようなものがあり、気になって行って見ますと

いわゆる逆バンジーというやつで

自分でやるのは怖いけど、見るのはOKという人々がひしめき合っておりました。

ハーゲンダッツの屋台。

怪しげなディスコ。シンガポールですから、非合法な営業はやっていないと思います。入り口では黒服が出入りの客をチェックしていました。


ディスコがある通りには太もももあらわな女子高生くらいの年代の娘さんがウロウロしていました。

二度目のシンガポール出張で、初めてこの街のナイトスポットのひとつを見ることができましたが、我がバンコクと比較してみるとあくまで主観ですが

シンガポール:高そうな店だらけ。客層もビジネスマン風、夫婦連れやカップル、女性同士やグループ等ハイソで西洋人とシンガポール人が適度に入り混じっている。
バンコク:安い店が多い(物価が安いからですが)。客層は不良白人が圧倒的。外国人が行く所、タイ人が行く所が完全に分かれている。

以上の様な違いがあったように思います。

そして違わない点:酔っ払いはどこでも一緒。


バトルボックス 英軍地下指揮室展覧館

2007-12-25 02:25:00 | シンガポール共和国
なだらかな坂をちょっとだけ登ると切通しに鉄扉があるではないか。防空壕か地下陣地のようだ。
オヤジが鉄扉を開け一行は中へ。オヤジに「写真撮影はOKか」と聞くと「ノープロブレム」というので撮影続行。ただしフラッシュはマナー違反ゆえ封印。
いきなり蝋人形。イギリス兵かオーストラリア兵と思われる。
更にもう一体。ウエルカム状態。イギリスの俳優、エドワード フォックスに似ている。
外はすごく蒸し暑いが、中はましである。
オヤジがかなり強烈なシンガポールなまりの英語で解説を始める。ほとんど聞き取れない。なにやらここは第二次大戦時のイギリス軍地下通信基地を再現したものらしい。オヤジによると「日本軍は強力でアジアから太平洋をあっという間に占領してしまった。シンガポールはイギリス軍とオーストラリア軍が守っていたが、日本軍にあっけなく敗れた。」「日本軍が占領したシンガポールは、言葉の意味は判らないが昭南島と改称された。日本の統治は残酷だった。」「真珠湾の被害からからアメリカが立ち直ってくると日本軍は負けが込み始めた」「広島と長崎に原爆が落ちて戦争は終わった」「シンガポールでは英豪軍のみならず、華僑やマレー人反日グループなどをはじめとするシンガポール市民も多数虐殺された」という意味のことをしゃべっていた。聞き取れなかったが、このオヤジも戦争にまつわる不幸を体験したようだ。さらにあろうことか、客に向かって国籍を質問しだした。アメリカ人とオーストラリア人ばかりで、イギリス人はいなかった。「日本の長崎出身です。」と言おうと思っていたら、なぜか自分ひとりだけ聞かれなかった。気がつけば隅っこで小さくなっている自分がいた。
イギリス軍司令官室でのオヤジの熱弁
このオヤジはやたら手の振りがオーバーアクション。
オヤジの熱のこもった説明を聞くアメリカギャル。皆さんこのオヤジの説明を理解しているようだったが。自分には半分も判らない。
人形がしゃべりだした。
通信兵の蝋人形。薄暗いのも手伝ってやたらリアル。
さっきからこの縞々シャツのオーストラリア人カップルのあんちゃんはこっちをちらちら見ている。しかも敵愾心があらわである。シンガポールでおじいさんあたりが戦死されたのだろうか。
飛行機の時間が迫っている。ヘッドフォンで当時の無線交信を聞いている皆さんの邪魔にならぬよう、オヤジにそっと「飛行機の時間なので途中だが帰る」というと出口までついてきてくれて、握手を求めてきた。エドワードフォックス兵となぜかだぶる。「日本人はめったに来ない。日本語の案内が無くてすまない。来てくれてありがとう。達者でな。」目頭が熱くなってきたので、握手した後、出口から飛ぶようにして外へ出た。わずか40分ほどの時間でしかなかったが、オヤジさん、ありがとうございました。

フォートカニング バトルボックスツアー

2007-12-17 00:12:20 | シンガポール共和国
ザ・バトルボックス 何だこりゃ。
入ってみると、いきなりユニオンジャックと旭日旗
ツリーもあり。
戦時中の捕虜収容所での出来事なんかが紹介されている。この事務所で入場券を購入し、何かを見に行くツアーがあるらしい。しょぼくれたオヤジがひとりいたので「おとな1枚」というと、「わしゃ切符は売れん。お前日本人か。英語もあまりしゃべれない。切符売りの係がもうちょっとしたら来る。ツアーの仕組みも聞けるはずだから待て」という。どうやら掃除係に声をかけてしまったようだ。そのうち60すぎのおばちゃんがきて「ひとり5シンガポールドル、ツアー案内は英語のみだがいいか」という。時間を尋ねると「約30~40分」との事。
早速購入。他に9人の客がいるが、みな白人でおじさんがひとりいる以外はみな若い。「今からツアーを始めます。」の掛け声とともに、小屋が締め切られ、カーテンで部屋を暗くされた後、真珠湾攻撃だの日本の空母から戦闘機が発艦するシーンだの、日本空軍によるオーストラリア空襲だの、戦時中のフィルムを20分くらいの間 見せられた。白人客らは食い入るように見入っている。日本人は自分ひとり。いやな予感。
フィルム上映が終わるとなんとさっきのオヤジが出てきて皆を外へ連れ出す。オヤジが案内人だったのだ。オヤジを先頭に 一行が坂を登っていく  続く

フォートカニング

2007-12-16 02:35:30 | シンガポール共和国
多美歌駅前。やたらでかいビルがある。
でかいビルの裏は小高い丘になっており、公園になっている。フォートカニングというらしい。
看板に沿って進む
さらに進む
坂を登っていくと何やら管理事務所のようなものが  続く

シンガポールの地下鉄に乗った

2007-12-15 11:46:16 | シンガポール共和国
11月8日(土)帰タイ日、多美歌と書いてドービーコートと読ませる地下鉄駅を発見。飛行機の時間まで間があるのでどんな所か探検。
ホテルからオーチャード通りまで出て
10mおきに立っている
銀行の勧誘を振り切り
駅で切符を購入。シンガポールの地下鉄切符はカード式で駅までの料金プラス保証金1シンガポールドルが必要。目的地の駅改札でカード切符を通すと定期券のように戻ってくる。これを券売機で清算するとカードは回収され、お金が戻ってくる仕組み。ややこしい。
改札
駅名表示
駅名表示。見たことも無い文字
電車到着
多美歌駅エスカレーター いよいよ地上へ 続く

初シンガポール ラッフルズホテルとオーチャード

2007-12-14 05:06:27 | シンガポール共和国
出張で行ってまいりました。
ラッフルズホテル。打ち合わせ後の顧客との会食に使用。下に小さく写っているインド人ドアマンがなかなかお茶目で客である若い女性の肩を抱きながら「美女と野獣です、ミスター、写真取れ撮れ」などと言っていたが待ち合わせぎりぎりだったので笑ってごまかしながら急いで入る。
中庭
夜になるとこうなる。
夜のオーチャード
夜のオーチャード
クリスマスツリー。深夜午前2時。もう少し中心部は人通りが多く活気があったが、この当りはバンコクと比べて人通りが少なく、少し寂しい感じがする。町並みはきれいでハイソである。