撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

ワットプラスリマハウマデビ

2008-04-28 01:38:45 | タイ王国
4月27日(日)地球の○き方にワットマハウマデビという名前で載っているお寺を訪問。
高架鉄道サラデーン駅から散歩がてら歩いて20分弱で到着。

観光局設置の看板

ヒンズー教と仏教が混ざった様な小さな寺院です。

タイ語、タミル語だかシンハラ語だかインドの言語と英語の三つの表記あり。

残念ながら境内は撮影禁止です。インド系の参拝者もちらほら見かけましたが圧倒的にタイ人参拝者が多い。

塔はヒンズー様式。境内の本堂にはサイババみたいな格好をしたインド人が三人おられまして、お供え物を供えると、額にヒンズー式の赤い印をつけてくれます。

向かい側のソイ(路地)には

イスラム寺院もありまして

身の丈2mはありそうなアフリカ系ムスリムがトゥクトゥクで乗り付けておりました。

おまけ。日本では見なくなって久しい、いすゞボンネットダンプ。タイではまだまだ現役です。

短時間のうちにヒンズー世界とイスラム世界を垣間見る事ができる貴重な場所です。

バンコクの聖火リレーは無事終了、撮影は失敗

2008-04-22 03:13:22 | タイ王国
4月19日(土)野次馬根性で出かけました。ヤオワラート(中華街)の中華門

門へ続く路上は交通警察の巡視と消防車両の配置で雰囲気を醸し出す。

通行人も雰囲気を醸し出す。

中華門に到着。この門の下でセレモニーが行われているが、全く見えない。

門の前、車道を挟んだ反対側の歩道。


門の前。リレーのルートではないと言う理由で通行止めにしていないのでクルマがバンバン入ってくる。さすがタイ。

門の下を覗くが青ジャージしか見えない。


反対側のリレールートはさすがに通行止めにしてある。

10分くらい待つと、聖火リレーが通過。赤丸の中の黄色いのが聖火の炎です。旗とかぶってしまってほとんどわからん。

物見高いタイの人々や

熱狂的中国人民が後を追います。

こっちは10.6kmも追っかけられないので卑怯にもバスとトゥクトゥクを乗り継いで終着点へ先回り。聖火到着1時間前の旧国会議事堂広場。

聖火の後を追ってきた行列が先回りして聖火より先に到着。熱狂的中国人民もいますがそれ以外の青シャツは北京五輪スポンサーに雇われたタイ人労働者です。いわばサクラ。

サクラの中に、ヒマをもてあましてくっついてきた白人のおじさん。ちなみに青シャツタイサクラ軍団は式典終了後、数台のダンプカーの荷台に鈴なりになって家路についていました。

グリーンベレーが出て警備に当たっていますが、のんびりムード。

警戒線はバンコク消防庁が担当

フェンス警備の警官隊もだべっております。


中国の人が大勢おられます。

家族で記念撮影。

旗が逆です。

五星紅旗だらけ。

行列に混じってやってきた熱狂的中国加油ギャル軍団。

Beijing2008もあり。

聖火リレーということで万が一に備え消防車も待機。

様々な方法で愛国心を表わす。

北京五輪スポンサーの山車に乗ってタイの芸能人が登場。

続いて露払いの行列が通過。

在タイ中国人留学生と思われます。

しばらく間をおいていきなりのタイ国歌演奏。敬礼するグリーンベレー。見物人もみな一方向を向いて国歌を歌います。この瞬間カメラを構えていた前方の中国人とこの記事を書いている奴は周囲から白眼視されました。


そしてついにトーチが通過。前の青ジャージがかぶったのと、上が切れて撮影失敗。

赤丸がトーチ。火が見えないが・・・。

ちゃんとあったのでしょう。無事記念式典壇上に移された聖火。

終了後、家路に着く人々。

午後3時15分に中華門を出発した聖火は午後6時過ぎに旧国会議事堂前広場へ到着。
リレーのルート上にあるバンコク都内国連事務所前で、チベット支援の学生、労働者団体約100人と中国人留学生を中心とした中国支援派約300人が道路を挟んで罵りあうといった事態が発生しましたが、警官隊が双方の間にうまく割り込んで事なきを得たそうで、逮捕者も出ず、バンコクの聖火リレーは、この記事を書いている奴が見事写真撮影に失敗し、がっくりした以外は、全て問題なしでした。

ここで個人的に考えた平和的にチベット問題をPRする方法(中国国外限定)。沿道のあちこちに雪山獅子旗をかざす。スローガンを叫ぶ事も、掲げる事も不要。トーチに近づかなければ無問題。デモや集会をやるから官憲に排除される。もしこれを実力排除するようでは世間が許しますまい。だめかな。

ソンクランに思った

2008-04-20 17:08:50 | タイ王国
4月13日(日)~4月15日(火)のソンクラン期間中の街中の様子です。

深夜、いきなり白人の攻撃を受け唖然とするタイ人の若い女性。その間をおばちゃんが迷惑そうにすり抜けていくのがいい味出してます。

次の獲物を物色する白人。

通りがかったタクシーへバケツ攻撃を敢行。不発でした。

高架鉄道ホームにて今日の反省をする少年たち。緑色をしたのが大型水鉄砲。短機関銃くらいの大きさがあります。びしょ濡れで寒くないのかね。

水を滴らせながら帰路につく少女たち。

全身びしょ濡れでバスを待つ少女ら。

出撃前の打ち合わせを行う白人二人。

びしょ濡れのまま舟に乗る少女。座席から床に水が滴り落ちてました。あとから座るお客さんには大迷惑ですが。

ワットカランの参道にて。タンクつきの大型水鉄砲を装備した女性。タンクは熊のプーさんとか、ドラえもんバージョンもあります。タンクの水は、デパートやスーパーのトイレで補充します。火炎放射器ならぬ「水噴射器」。

渡し舟に乗るびしょ濡れカップル。疲れ切っています。
男性が持っているのはタイではあんまり好まれないピストル型。
王宮付近での様子。

移動する攻撃部隊。

タクシーの車中から。

ピックアップの荷台に乗って広範囲にわたり攻撃を敢行する機動部隊もおります。

このあたりは水掛け渋滞が発生しておりました。なぜかと言うと、

車道まで降りてきて水をかけるからです。

車道は水浸し、しかも白粉が溶けこんでいるので滑って危険。

自転車で通りかかる人にも容赦なし。

屋台も客も被害を受けます。

単車に四人乗り。タイでは普段でも見かけますが、この時期はほぼ酔っ払い運転の為、非常に危険。

最近タイ国内ではこのソンクランの水掛けにかかわる社会問題が論議の的となっています。
①飲酒運転による交通死亡事故の多発。
②婦女暴行事件の多発。
③対立する若者グループの抗争が多発。今回バンコクでは銃撃戦に発展、1名が死亡。

わが故郷長崎でもお盆の精霊流しでは舟の担ぎ手同士による喧嘩や交通整理の警察官に対する公務執行妨害、暴走族の跳梁などといった事はありましたが、タイほどひどくなかったなあ。こういうエネルギーを必要とするイベントは、そのエネルギーを正しい方向に向ける必要がありますな。










ワットラカン

2008-04-18 03:01:06 | タイ王国
4月15日(火)、ソンクラン休みも明日まで。明日はお得意先にマージャンのメンツとしてお誘いを受けており、ぶらぶらできるのは今日まで。暑いし、かといって街中を歩くと水をぶっ掛けられるので、そういうところは避けてと言う事で、ワット(お寺)参りに出かけました。

高架鉄道サパーンタクシン駅を降りてすぐ、舟着場までぶらりと出かける。ここから舟に乗り、メナム川をさかのぼります。初めての利用ゆえ、「地球の○き方」を参考にしました。

切符売りが15バーツとか何とか叫んでいるが、周囲を見ても切符を買う人は誰もいないので、それに習います。

下りの舟から大量の白人が下船してきました。

上りの舟が来たので皆さんの後にひょこひょこついて乗船。バスと一緒で車掌ならぬ舟掌がお金を集めに来ました。アロハ着用。13バーツ払う。乗客はタイ人半分、外国人(白人、中国系)半分ですが、日本人はこの記事を書いている奴以外、誰もいません。

海軍司令部。日本で言えば、隅田川沿いに海上自衛隊の司令部があるようなものです。このあたりは海軍施設多し。さすがに係留されているのは魚雷艇とか警備艇程度の小さなやつですが。

ターチャーンというところで降ります。15分ほどの舟旅でした。

ターチャーン舟着場。

ここから3バーツ払って川下にワットアルンを望みつつ、渡し舟で対岸へ渡るとそこが

ワットラカンです。海軍司令部が近いので水兵の人形があり。

参道入り口。

参道。

参道脇に連なる店では水槽や盥の中に入った様々な川魚や巻貝、亀などが売られており(買ってお寺の前のメナム川に放生してやる)非常に生臭いです。

お寺の境内に入るとショーをやっていました。

本堂のご本尊。

ご尊顔のアップ。大リーグマリナーズのイチロー選手を思い出しました。

本堂の前では小さな仏様に参拝者が競って水をかけています。


すごい人出です。このお寺は観光寺院ではないので、参拝客も外国人はいないだろうと思っていたら、一眼レフをぶら下げた白人を二人見ました。日本人はめったに来ないんだろうなあ。

人が途切れた隙を狙って撮影。

参拝者の方は皆敬虔な仏教徒です。

人出が多いので、後ろから拝んでもOKのようです。

境内には参拝者用のドリンクサービスもあり。カキ氷のいちごシロップを水で薄めた様な冷たい飲み物でした。

参拝を終え、舟着き場へ戻ると川の中が鮭の産卵状態のようになっていました。

舟着き場周辺では魚のえさや食パン(人が食べてもふかふかで結構うまい)を魚やハトのえさとして売っており、これを目当てに大量の魚が押し寄せているのです。

これらは鮭ではなく、50~60センチくらいある、ナマズでした。

そして舟着き場横の階段には巻貝がごっそり入ったバケツがおいてありました。誰かが参道の店で大量に買って、今から放生しようとしているのかと思いきや。

一度買い手がついて川に放たれた貝を少年がナマズをかき分けかき分け、川の中まで潜って回収、これが再び参道の店に並ぶというシステム。商魂たくましいと申しましょうか、元手がかかってない分、ぼろ儲けじゃん。まあ、殺生しているわけでなし、いいか。

豪華カトゥーイショー

2008-04-16 02:04:57 | タイ王国
4月14日(月)ソンクラン休日を利用し、スクンビットの「マンボ」へカトゥーイ(タイ語のオカマ)ショー観覧へとしゃれ込む。家族来タイのおり、見に行ったオカマショーが強烈な印象だった為、見比べてみようと画策。ガイドブックにも載っている有名な所ですが、1年以上当地へ駐在していて初観覧とは情けなや。

ロビーの様子。中国人の団体様です。

予約なしで行ったので席は後ろの方、600バーツ(約1,800円)でソフトドリンクつき(ビール、コーラ、アイスティー等)

松田聖子さんのそっくりさんだそうですが後方の席の為、よく見えず。背景がなぜか金閣寺。ちなみに歌は全てくちパクです。

中国風の出し物。

ダンス。

舞台装置も大掛かりで美しい。

何かたどたどしい女性歌手の日本語の歌でしたが、誰の歌なのかよくわかりませんでした。

フィナーレ

終了後、出演者が客席の横を通って出口で観客を待ちうけます。

ショーは1時間10分ほどです。

前回の某ラチャダーピセーク通りのソイにあったカトゥーイショー(名前失念)と比較してみますと(あくまで個人の主観的判断です)

出演する戸籍上男子の質
ラチャダー:かわいい系多し。 マンボ:妖艶系多し。
客席
ラチャダー:椅子が壊れてたりする。 マンボ:座り心地良し。
サービス
ラチャダー:入り口で配られる密封パックのミネラルウオーター(しかもぬるい) マンボ:コップに入った冷えた飲み物(客席までオーダーを取りに来る)
客層
ラチャダー:中国人団体客が主流 マンボ:国籍多種多様
写真
ラチャダー:劇場内撮影禁止 マンボ:写真撮影OK
開演時間
ラチャダー:初演午後5時、午後6時半、午後8時 あと何回かあり
マンボ:初演午後8時半、第二回午後10時の二回公演のみ
雰囲気
ラチャダー:癒し和み系  マンボ:豪華エンタテイメント系 

それぞれの特色、良さがあり、見比べてみるのも面白いと思います。

バンコクにはあと1ヶ所、このようなショーをやっている所があるらしいのでそこもチェックしたいと思います。







ソイカウボーイは夜も水掛けモードだった

2008-04-15 01:06:53 | タイ王国
4月14日(日)今日からソンクラン、いわゆるタイ正月の始まりです。別名水掛け祭りとも言われ、昼間の暑い時期にはあちらこちらで水を掛け合うので外出は控えております。

夜になりましてからバスと高架鉄道を乗り継いで1時間、知る人は知っている場末のナイトスポット、ソイカウボーイへと出かけます。日本人御用達の中心部の某ナイトスポットと違い、ひとりでぶらっと来れるのが良い。今日も酔客相手の子象(20バーツ払うとサトウキビのエサをあげられる)が出勤。


ありゃりゃ、夜になっても道が濡れておる。


ソイカウのバーの中で一軒だけ夜になっても水掛けモードを維持する店がございます。デジカメに水は大敵、前を通らないようにします。

ソンクランゆえ、一部のバーの店員はアロハなんぞ着ております。

行きつけと言うほどでもないが、顔を覚えられている店を2軒ハシゴし、ビール2本飲んでお姉さんにコーラをおごりまくって2,300バーツ(約7,000円近く)も払って帰りました。安く上げようと思った甲斐がなかったなあ。



カミキリ

2008-04-13 10:22:31 | タイ王国
4月7日(月)、ラマ9カフェから帰宅したのは日付も変わって深夜2時過ぎ。
アパートの階段踊り場にて発見。



思わずタバコの箱を横に並べる。日本にいるやつもこのぐらいの大きさだったかなあ。

ラマ9カフェは8時だよ全員集合だった

2008-04-12 01:22:43 | タイ王国
4月6日(日)明日の月曜日も祝日で休みの為、夜の暇つぶしにバンコクの笑いの殿堂、ラマ9カフェへと赴く。明日が休みの為か、この日は深夜2時過ぎまで営業。インターネットで「バンコク カフェ」と検索しても出てくるのは「おしゃれなカフェ」がほとんどですが、こっちのカフェもいいもんですぜ。

タクシーを捕まえ、「ファーラムガウカフェー、パイマイ」「OK」という会話のみで無事到着。外観はすすけた倉庫のような建物。看板には芸人の顔がびっしり。

入り口。クルマを降りるとドアマンがすぐさまよってきて中へ案内してくれます。


夜10時半頃入場、漫才のような芸をやっていた。

続いてコント。なんとハリセンが使われております。

スキンヘッドとバカ殿風。二人並ぶとかなり濃い。

客席との掛け合いもあり。

舞台上の芸人もさることながら、見事なのはバックの生バンド。シンセサイザー、ドラム、ギター、ベースの4人が「ヒュー、ポコ」「ズドドドド」「ドドン」「チーン」など、おなじみのズッコケ効果音を絶妙のタイミングで繰り出します。これには恐れ入りました。

続いて歌のステージ。女性が並んで歌います。なぜかひとりでは歌わない。

ひとりの女性にマライがかけられました。

マライとは、お札で作られた首飾りです。日本でも大衆演劇の芸人さんがたまにかけているのを見ますな。
気に入った芸人がいれば、ホールのスタッフを捕まえて、お金を渡すとその金額のマライが芸人にかけらる仕組み。金額は下限設定があるようですが、たぶん200か300バーツ(600~900円)くらいでしょう。
マライがかからない女性は少し気の毒です。羨ましげに横を見ております。

民族衣装のバカ殿登場。

バカ殿二人の掛け合い。左は阿藤海、右は若い頃の志村けんといった雰囲気でした。

次のコントでは再びハリセン登場。

踊りも濃い。

オバQのようだ。

客席の様子。入場料、テーブルチャージは一切なし。手短に言えばステージの併設されたレストランで、飲食代のみの明朗会計です。言葉がわからなくとも充分楽しめます。ずばり言うなら「8時だよ全員集合」、内部での写真撮影はOK。

料理(タイ料理です)もうまいし接客もしっかりしており英語メニューもあり。びっくらこいたのは男子トイレの中に二人もいる店員。常駐しているのでしょうか、椅子なんぞ持ち込んでおり、二回行ったら二回とも見かけました。用をたしている最中におしぼりで首筋を拭いてくれたり、肩や背中をマッサージしてくれたりします。チップ20バーツ(邦貨約64円)づつあげましたが、出るものもひっこみそうでした。

JEATH戦争博物館

2008-04-11 00:46:02 | タイ王国
4月1日(火)アルヒル桟道からバンコクへの帰路 昨年7月以来、二度目の訪問。

入り口です。

入場料はひとり30バーツ、邦貨約96円。英、仏、独、蘭、日、タイ各国語のパンフレットを自由に取って入場。仏、独語以外は当事国の言語です。

看板には日本軍指揮官が捕虜に言ったであろう言葉「よく働く奴には良い待遇を、そうでない奴は罰を受ける事になる」

罰=拷問の事と思われ、軽いもので重量物を持たせたまま手を上げさせて長時間放置し動くと殴る蹴る、木に縛り付けて雨が降ろうが気温が40℃超えようがそのまま放置、更には腹が破裂する寸前まで無理やり水を飲ませ(やかんやホースを使用)日本兵が椅子の上から腹の上に飛びのる と言った手法を用いたとか。
日露戦争や第一次世界大戦当時の日本軍は捕虜を人道的に扱い、世界各国から賞賛されたのですが、なぜこうも変わったのか。

有名な「許そう、しかし忘れないぞ」。戦後、元捕虜が元日本兵に言った言葉だそうです。

博物館の建物。捕虜が住んでいた小屋を再現したものです。中に当時のスケッチや捕虜の遺品が展示されています。内部は撮影禁止。このような掘っ立て小屋で満足な食料や医薬品を与えられないまま、重労働に従事し、虐待を受け、コレラやマラリヤ、熱帯性潰瘍(皮膚が腐れていき、やがて骨や内臓が露出し死に至る皮膚病)で沢山の捕虜がなくなられたそうです。

船着き場もあり。


永瀬隆さんの銅像。この博物館建設の中心人物だそうで、元陸軍憲兵隊付軍属通訳。当時の日本軍の所業にショックを受け、戦後は教師を経て英語塾を経営しながら私財を投じ、タイの子供たちに奨学金を与えたり、この地に戦没者慰霊の為の寺院を建立したりと人生を贖罪に費やしておられるそうです。元捕虜の方から「握手しても良いと思う唯一の日本人」と言われたとか。

小さな売店もあります。

この時の来館者はタイ人夫婦一組、フランス人3人のみで、日本人に向けられるまなざしはきついものではありませんでした。

博物館はこのお寺の敷地の一角に位置します。

境内には古そうな門が残ってました。

勝者敗者関係なく、アウシュビッツや広島長崎、アリゾナ記念館や南京、731部隊博物館等、世界各国の人々がこういった場所を訪れてくれれば、戦争は起こらないのではないかと思うのであります。ブッシュさん、胡錦濤さん、イラクやチベットに思いを悩ませているのなら、一度足を運んでみてはいかがかな。




アルヒル桟道の下

2008-04-10 01:50:32 | タイ王国
ここアルヒル桟道はれっきとした第二次世界大戦の「戦争遺跡」ですが、カンチャナブリにおけるJEATH、第二次大戦、DEATH RAILWAYの各博物館や ヘルファイヤパスにおける博物館のような資料館がなく、単に現存する鉄道と土産物屋があるだけで、風光明媚であることもあいまってその歴史的背景を見逃しがちとなります。
後世の為、何がしかの資料館があればと思うのですが。

かすかに見えるもう一方のタムクラッセ駅を目指し、引き返す。

線路は崖にへばりつくように敷かれています。何人の方が、この桟道を作る為になくなられたのでしょうか。

歩いて渡るとそうでもないが、列車に乗るとすごい迫力なのだそうです。

途中から下の小道に降ります。

橋桁はこんな感じで並んでおります。バンコク方面。

ナムトック方面。

こうやって見ると、当時の難工事が思い出される。日本軍はなぜこの川沿いのルートを採用したのか。おそらくこの地点は川からの建設資材の搬入ポイントでもあったのでしょう。

クワイ河。

今は使われていない台石。たぶん建設当時のものでしょう。ここアルヒル桟道でもがけ崩れや増水した川に流されたりなどして、沢山の東南アジア労務者、連合軍捕虜がなくなられたそうです。

何もない方のタムクラッセ駅へ上がる階段が見えてきました。

上りきって振り返るアルヒル桟道。その距離およそ300メートルだそうで、大した距離ではなく、歩いて充分渡れますが、線路上を歩く為、時間は20分ほどかかります。つっかけ履きは危ないのと、時刻表度通りに列車は来ないので、ホームに人がいる場合は、列車が来たかどうか尋ねてから渡るべし。

何もない方のタムクラッセ駅へ無事帰還。左に写っているのは乗ってきたワゴン車。運転手のソムさんは、ドアを開け放した車中で居眠りをしておりました。この炎天下よく寝られるなあ。

何もないタムクラッセ駅の上は、空が青かった。今、この地は世界各国からやって来る穏やかな顔をした観光客が絶えません。恐ろしい日本兵や酷使される捕虜、強制徴用労務者もいなければ、鉄道を爆撃に来る飛行機も飛んできません。