撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

旧平造材部飯場 森林鉄道機関庫

2023-01-31 07:47:35 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、北海道開拓の村の山村群に分け入り、炭焼小屋に続き


旧平造材部飯場に至った。



林業で伐採や造材に従事した労働者が寝泊まりした小屋だそうで、読み方は「きゅうたいらぞうざいぶはんば」である。



中に入れるようだ。



入ってみた。これはいわゆるタコ部屋と言うものの類に入るであろう。御料林すなわち皇室が保有する山林の飯場というから他の飯場に比べればマシなのかもしれぬが、当時の劣悪な労働環境が見て取れる。


飯場の次に見たのは

森林鉄道機関庫である。



大正末期に建てられた機関庫を再現したものと説明にあった。



これで伐りだした木材を運んでいたのだろう。若干の鉄分を含む筆者としては興味深く見学したが、飯場の労働者が伐りだした木材を運んでいた鉄道という事で、彼らの苦労に思いを致したのであった。

炭焼小屋

2023-01-30 07:51:14 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、北海道開拓の村の農村群から山村群に入り


炭焼小屋を見学した。



大正末期の小型のものを復元したという事で、実際にあった小屋ではないが、往時を偲ぶには十分であろう。



小屋というが、炭焼きの窯に屋根を被せただけのものである。



炭焼小屋を見学した後、実際には出ないと思うが、ヒグマが出そうな道を歩いて次へ向かった。

開拓小屋

2023-01-29 07:59:24 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、北海道開拓の村の農村群にある


開拓小屋を見学した。



この小屋は明治期の代表的な構造を再現したもので、どこかに実際にあった小屋ではない。



中に入ってみたが北海道でこのつくりでは、冬はどうしていたのであろうかと考えてしまう。
また1915(大正4)年の12月に起こった、7人が犠牲になった三毛別ヒグマ事件も、この様な小屋に住んでいて体長3m近いヒグマに襲われたというから、もっとしっかりしたつくりの小屋であったら7人は犠牲にならずにすんだのではないか。
とまれ、先人の苦労を思いながら次へ向かった。

旧ソーケシュオマベツ駅逓所(厩舎)

2023-01-28 08:03:30 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、北海道開拓の村の農村群に位置する旧ソーケシュオマベツ駅逓所の隣にある


旧ソーケシュオマベツ駅逓所(厩舎)を見学した。



1915(大正4)年築。1980(昭和55)年再現の馬小屋である。



入ってみた。



精巧な馬の模型があった。



人間が宿泊する部屋もあった。馬の世話をする人の為のものだ。寒そうな部屋だった。



当時の苦難を偲ばせる建物だった。

旧ソーケシュオマベツ駅逓所

2023-01-27 07:48:43 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、北海道開拓の村は漁村群から農村群のエリアに入り


旧ソーケシュオマベツ駅逓所に至った。



1907(明治40)年頃の築、1980(昭和55)年復元。官設の駅逓所と書いてあるが、しいて言えば国営の簡易宿泊所兼郵便局の様なものだろう。



玄関から中に入ってみた。廊下をまっすぐ進んで



一番奥は便所だった。紙はなかった。



そして幸い誰も使った様子はなかった。



玄関に向かって廊下の右側には客室があった。



左側はロビーみたいな部屋だった。中に入ると自動的に当時の雰囲気を醸し出す会話音声が流れるようになっていて、お茶を入れているオバチャンと、客のとっつぁんが、「今年の冬は寒くなりそうでねえか」「んだべなあ」とかなんとか喋りだすのがツボにはまったのであった。ただ残念なのは、彼らが可動式ではなかった点だ。



玄関入ってすぐ右には老板らしきお爺さんが何か書いていた。この老板の筆を持った右手が、いかにも字を書いている様に動けば感動もいや増したと思うが、リアルすぎて、ちびっこは怖がるかもしれない。



見学を終え、玄関から出ようとしたが、まだお茶くみオバチャンと、客のとっつあんの会話は続いていたのだった。

廊下 旧秋山家漁家住宅

2023-01-26 07:55:15 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、北海道開拓の村の漁村群にて


廊下を見た。



漁獲したニシンを収める倉である。漁をしない時期は舟倉として利用したそうな。明治から大正期にかけて建てられた様式を再現したものだ。



中には舟があった。



次は旧秋山家漁家住宅



1919(大正9)年築、1987(平成元)年復元。1978(昭和53)年まで実際に住んでいたとはすごい。



家の中。ここで1978(昭和53)年まで暮らしていたのである。



旧秋山家漁家住宅の前から眺めた景色。海を模した池越しに左から 旧土屋家はねだし、旧青山家漁家住宅、廊下となる。

旧土谷家はねだし 旧青山家漁家住宅

2023-01-25 07:53:51 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、北海道開拓の村見学は


漁村群に入り


旧土谷家はねだしを見学。はねだしとは、海側に突き出ている倉だそうな。1887(明治20)年頃の築とあった。



横から見た所。池を海に模して再現されていた。



続いてはこの大きな建物



旧青山家漁家住宅、1919(大正8)年築、小樽にあったものを移築再現したのだ。



屋内。往時の賑わいが偲ばれた。

旧北海中学校

2023-01-24 07:51:10 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、北海道開拓の村に遊んだ。


入場して時計回りに進み、次に紹介させて頂くのは



旧北海中学校、1909(明治42)年築、1982(昭和57)年移築復元、市街地群に属する。ここにも1987(昭和62)年3月に訪れた際に見た展示物で、時節柄ぜひ再び見ておきたいものがあったのだ。



展示室にはオルガンや



ピアノが置いてあった。



そして1987(昭和62)年に見て、再度見たかったのはこの教科書展示の中の



これ。阿倍 比羅夫の蝦夷討伐に関する記述がある。その内容を抜粋すると
比羅夫は・・・蝦夷が島へ来て従わぬものを征伐し、・・・比羅夫の征伐したのはアイヌ人ではなく、アイヌ人の頼みによって、アイヌ人をいじめていた、樺太や満州の粛慎人を討ったのでした。昔から正義のために戦うのが日本人の本領だったと見えます。
この記述の中の比羅夫をロシア軍、蝦夷が島をウクライナのドンバス、アイヌ人をドンバス住民、樺太や満州の粛慎人をウクライナのネオナチ、日本人をロシア人と置き換えれば今のロシアのウクライナ侵攻戦争にほぼ当てはまるのではないか。



展示室前の廊下には、ちびっこたちが描いた絵が貼ってあった。



児童写生絵画展を見ながら、プー沈よ、ウクライナからとっとと撤退しろと思いながら次へ向かったのであった。

旧浦河支庁

2023-01-23 07:44:18 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、アポイントは午後からだったゆえ北海道開拓の村に遊んだ。

北海道開拓の村のHPには「北海道開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を、54.2㌶の敷地に移築復元・再現した野外博物館です。」とあり、52戸もの建築物があり、建物は「市街地群」「漁村群」「農村群」「山村群」の4群に分けられているのだ。
2時間かけて速足で全てを見て回ったのだが、全ては紹介できないので個人的にツボにはまったものを選んで記事とさせていただく。


最初に見たのは旧浦河支庁、1919(大正9)年築、1981(昭和56)年移築再現、市街地群に属する。



入って左側にあった庁長室



展示室



人力車



迎賓用馬車


実は筆者はこの北海道開拓の村には1987(昭和62)年、学校卒業を控えた3月に一度訪れたことがあってその折見た

この国勢調査のポスターを再び見たかったのであった。調査に漏れては國民の恥(はぢ)だそうな。
しかし1987年に訪れて目にした展示物が、36年を経てもきちんと展示されているのは経営側の努力の結果であろう、深く感謝申し上げたい。



大正9年の国勢調査では、民籍と呼ばれた区分けがあり、内地人(北海道旧土人といわれたアイヌの人も含む)の他に植民地人として朝鮮人、台湾人、樺太人、南洋人といった区分があった。「北海道旧土人」などという表現でも判る様に、戦前の国勢調査における、時の権力の人民に対する意識が垣間見える貴重な資料だ。

この記事を書くにあたって調べたら、大正9年の内地人人口は56,884,992人、うち「北海道旧土人」は15,575人で大部分が北海道居住であったが東京に32人とか、我が故郷長崎県にアイヌ人男性4人の登録(南限でそれより南は登録なし)があったのは少し驚いたのであった。

北海道開拓の村

2023-01-22 07:52:08 | 北海道
2022年10月19日(水)三泊四日の北海道出張3日目、この日のアポイントも午後からだったゆえ


9時12分、北海道開拓の村に立ち寄った。



出入り口の建物は、旧札幌停車場、1908(明治41)年築を再現したものである。



入ってみたら土産物屋もあったが店員がいなかった。受付が目の前だったので客が来たら受付の人が対応するのであろう。
土産物屋の奥には休憩所なんかもあった。



明治期の日本兵のマンガもあったが実際の日本兵に長髪はいなかったと思う。足元が巻き脚絆ではなくブーツというのも変だ。



800円払って入場券を買って入る。



入場して目に入ってきた風景



542,000㎡の広大な敷地に開拓時代の再現建築物が配置されている。時計回りに回ってみたので以下次号