撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

羽田離陸 2023年9月5日

2024-02-29 08:02:52 | 東京
2023年9月5日(火)北海道出張


羽田空港にて10時56分 鶴丸マークを見た後、保安検査を受け



搭乗口から搭乗する飛行機を見て



12時17分搭乗



新千歳行きJAL515便、12時30分発である。



外を眺めていたら動き出した。



12時35分、後進完了



滑走路に向けて動き出した。



12時45分、離陸


12時51分、たぶん木更津上空から東京方面を見たのだと思う。



12時53分、東京上空を経て、JL515便は一路北を目指したのであった。

西条蔵元 福美人 白牡丹

2024-02-27 07:41:08 | 広島
2023年8月16日(水)帰省Uターン途上、広島県東広島市に一泊、西条酒蔵通り観光案内所に入り情報収集


所内にあった映画のポスター、許可を得て撮影。西条を舞台にした2018年公開の映画である。



こちらは西条ではなく、同じ東広島市ながら瀬戸内海側に位置する安芸津を舞台にした2021年公開の映画だ。



観光案内所はひっきりなしに観光客が出入りしていたが応対は非常に親切で、辛口でおススメ、または地元以外では手に入りにくい銘柄を伺ったところ、いくつか教えて頂いた。ありがとうございました。


観光案内所で教えて頂いた蔵元の中からふたつを選び

まずは一か所目、福美人である。



入ってみた。



展示品があった。



そして水汲み場もあった。年配のご夫婦がペットボトルを並べて汲んでいた。筆者を見て「すいません、沢山汲みますのでお先にどうぞ」と言って下さったが、水ではなく写真を撮りたい旨申し上げ、撮らせて頂いた。お話を伺うと水は無料、お近くにお住まいで毎日汲みに来ると仰っていた。



日本国首相が書いた色紙もあった。最上段左端が 故 大平正芳、最下段右端 柱に貼ってあるのが増税メガネの色紙、古い順で並べてある様だが、皆揃って達筆とはいいがたい。



カウンターは結構混んでいたので少し待つ。が、客が引けると店員さんは奥に引っ込んでしまった。呼んだらしばらくして出てきた。ハッキリ言って観光案内所と違って素っ気ないが、聞いたら色々と教えて下さった。11時00分、晩酌用に吟醸酒五合を1本購入して



マンホールのフタや



賀茂鶴酒造株式會社本店を見ながら



11時16分、二軒目の蔵元、白牡丹に到着。



入ってみた。



ここで女房の実家への土産用に大吟醸五合を1本購入、箱つきだ。
ここも素っ気ない応対であったが、手に下げた福美人五合瓶入りのビニル袋を見た店員さんが、「大きいのがあった方がいいですよね。」と、デカめのビニル袋に福美人を一緒に入れて下さった。心優しい気配りだった。



西条本町歴史広場から見た白牡丹酒造。このあと公衆トイレを拝借して小用をたし



クルマを停めたコインパーキングに戻って西条駅を眺めた。西条酒蔵通りは写真に写っている交差点を右に折れて100mほど行けばたどり着く。
クルマで来て蔵元巡りをする場合、福美人を除き、蔵元に来客用駐車場はない。福美人だけ買って帰るのなら福美人前まで乗りつけて良いが5台分くらいしかなく、しかも狭い路地を行かねばならない。
酒蔵通りにもコインパーキングはあるが道路も狭く駐車可能台数が極めて少ないので通りを流してみて空きがなければ、駅前通りのコインパーキングを利用すべし。



11時28分、タイムズ駐車場から自宅に向け出発、2023年盆帰省のネタはこれにてお開き、ありがとうございました。

西条酒蔵通り

2024-02-26 07:32:24 | 広島
前日は22時ごろ広島県の東広島市に到着して投宿


2023年8月17日(木)10時39分、西条酒蔵通りにある西条本町歴史広場に至った。



歴史庭園という別名もあって



路面にデカデカと 吟醸酒発祥の地 東広島 と書いてあった。勉強になる。



江戸期の商家の土蔵、登録有形文化財






ひととおり見学したのち



酒蔵通りを東に進んで



くぐり門という所にある



西条酒蔵通り観光案内所へ入って情報収集したので以下次号

轟の滝

2024-02-25 07:35:39 | 佐賀
2023年8月16日(水)長崎帰省のUターン、ブログネタ集めと高速代を浮かさんというセコイ考えのもと、実家から下道を走り


15時37分、佐賀県嬉野市は塩田川にある轟の滝に至った。



滝の近くに橋が架かっていたので行ってみた。



滝見橋である。



滝を遠望す。滝壺は深そうに見える。不動明王の像もおわした。



下流の方。川は有明海へと流れていく。



川底は浅いが滑りやすそうに見える。



皆さんお気をつけ召されよ。



説明看板。轟の滝は数百万年前の火山活動によってできた滝で、高さ11m。滝下の川底は二千五百万年前にできた堆積岩が削られたものだそうな。また平坦部にある珍しい滝でもあるという。我が長崎県にも轟の滝というのが諫早市は小長井という在所にあり、拙ブログでも紹介したが、確かに平坦地ではない。



さらには滝から15km離れた所にある湧水池と轟の滝にまつわる伝説を記した看板。心憎い名文である。



名文に酔いしれて15時42分、轟の滝を後にした。駐車場完備、奥に見えるはトイレで小用をたしたが、個室は和式で昭和の香りぷんぷんだった。

この後国道34号線を走り、長崎自動車道の武雄北方ICから高速に乗って広島県の西条まで移動し一泊したのであった。

岩屋川内ダム

2024-02-24 07:51:54 | 佐賀
2023年8月16日(水)長崎帰省のUターンの途上、大野原高原から佐賀県道6号線大村嬉野線を下って


15時18分、佐賀県嬉野市は岩屋川内ダムに至った。



雄大で開けた長崎県側の景色とは異なり、佐賀県側は日本昔ばなし的な景色である。



ダムの放水口



放水口から嬉野市街方面を望む。



堰堤。たなびく煙は野焼きの煙だ。田舎の懐かしいにおいがした。



ダム湖面は禁止区域以外は釣りなど自由にできるようだ。



佐賀県道6号線を下ってダム堰堤を見ようとしたが、難しかった。



15時29分、岩屋川内ダム堰堤下を後にして嬉野市街方面へと向かったのであった。

大野原高原

2024-02-23 08:12:50 | 長崎
2023年8月16日(水)


15時07分、東彼杵町は大野原高原に至った。



海洋県 長崎とは思えぬ風景だ。北海道のどこかだと言っても疑われぬであろう。



標高450m、自衛隊の演習場が高原の多くを占めている。



この高原は佐賀 長崎の県境に位置する。長崎県道6号線大村嬉野線の長崎 佐賀県境の辺りから、やって来た方向、長崎県東彼杵町側を振り返る。何もない。



県境の辺りからこれから進む佐賀県は嬉野市側を見た。茶畑があって、民家も散在しており、ここに限って言えば、佐賀の方が長崎より都会であった。

龍頭泉

2024-02-22 07:36:52 | 長崎
2023年8月16日(水)


14時42分、東彼杵町は龍頭泉の入口に至った。



急坂を下ると



千綿川が見えてくる。



そして14時46分、龍頭泉に到着、落差およそ15mという。



説明看板。東彼杵町のHPによると、弘化2年(1845年)、当地を訪れた豊後日田の儒学者 広瀬淡窓がこの渓谷の美しさに驚き、千綿渓四十八潭と称し世に広め、かつこの渓谷全体を一匹の龍に見立て、上流にある一番大きな八間滝と呼ばれていたこの滝を「龍頭泉」と名付けたとの事。



接近



下流の方向、沢山の家族連れで賑わっていた。



滝を堪能後、戻る。坂を登っていると、白人男性二人と黄色人の女性ひとり、合わせて3人とすれ違った。
ここは東彼、クルマのナンバーも佐世保ナンバー、長崎の経済圏を外れて佐世保経済圏という土地柄を踏まえると、男性は行楽で来た米海軍関係者、女性は恰好からしてガイドの人だったかもしれぬ。



上りは結構急で汗だくとなった。



そして14時56分、駐車場へと戻ったのであった。

三井木場堤

2024-02-21 07:57:06 | 長崎
2023年8月16日(水)


14時31分、東彼杵町は三井木場堤に至った。



明暦元(1655)年、初代深澤儀太夫勝清によって作られた、溜池である。









初代深澤儀太夫勝清(1584(天正12)年~1663年(寛文3)年)は、現在の佐賀県武雄市生まれ。勝清は諸国武者修行の途上、和歌山県太地町で捕鯨を学び、大村に来て捕鯨組を組織し、五島灘での捕鯨で巨万の富を得た。大村藩の依頼により新田開発に私財を投じ、8月14日に訪れた野岳湖をも作っているのだ。
勝清の没後は 二代勝幸、三代儀平次重昌(勝幸次男)と三代にわたって公共事業に私財を投じ地域に貢献したのである。



鹿ノ丸村成立三百年を記念し、初代深澤儀太夫勝清、二代勝幸、三代儀平次重昌(勝幸次男)の三代の偉業を称え建てられた、深澤三代顕彰碑。平成十四年八月吉日 東彼杵町 とある。
青々と実った稲穂を目にして、お三方も喜んでいる事であろう。

下八龍の線刻石仏 おおむら夢ファーム シュシュ

2024-02-20 07:21:10 | 長崎
2023年8月16日(水)


帰省Uターンの途上の14時13分、大村市は下八龍の線刻石仏に立ち寄った。



ぱっと拝見したところでは、どこに線刻石仏がおわすのか判らぬが



近寄るとわかるのであった。彫られた時期は不明との事、合掌。


さてこの線刻石仏があるのは

おおむら夢ファーム シュシュという道の駅みたいな施設の駐車場なのであった。写真左側の建物は地元農産物の直売所、右手の建物では



焼き立てパンを売っていて盛況だった。フードコートみたいなものもあったと思う。



季節によっていちご狩りやブドウ狩りが楽しめ、別棟にレストランもあり、駐車場は分散するが100台分以上はあると思う。



眺めも良いゆえ、お近くをお通りの際は、立ち寄られては如何かと思う次第である。

今富キリシタン墓碑

2024-02-19 07:45:27 | 長崎
2023年8月16日(水)


14時03分、長崎県指定史跡である大村市は今富キリシタン墓碑を訪ねた。



史跡ではあるが、お墓ゆえ頭を垂れ失礼をお詫びして撮影。故人が眠っておられるので、接近撮影はやめておいた。

大村市や長崎県の観光案内HPをまとめるに

この墓碑は、半円柱型のキリシタン墓碑で、墓石の上部、本来なら伏碑にした場合、正面にあたるところに、「台付干十字紋」を刻んだ典型的なキリシタン墓碑である。
天正四丙子十一月十一日/不染院水心日栄霊/一瀬治部大輔」と墓碑に刻んであるため、ここに眠るは日本初のキリシタン大名 大村純忠とともに洗礼を受けた一瀬栄正と考えられてきた。
が、この看板が設置されたあとの調査で墓石に刻まれた「干十字紋」の横に「慶長十九年」(1614年)の文字が発見された事から、墓の主は別人の可能性が出ているらしい。
キリシタン禁教時代に入ってからはキリシタン墓地の探索と破壊が行われ、取り締まりが厳しくなった事から、墓碑を縦に起こし、仏教の戒名を刻んで仏式墓碑に改造して今に至るという。

故人が眠る墓碑まで破壊したとは、禁教の過酷さを思いながら、現地を後にしたのであった。