撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

サムットプラカンエラワン博物館を再訪した

2008-01-07 02:17:31 | タイ王国
1月6日(日)久々にサムットプラカンのエラワン博物館へ行って参りました。

近所のバス停から1141番で向かう。非冷房車で7バーツ。バンコクの非冷房バスはどこまで乗っても運賃均一ですが、8.5、8、7バーツの3種類の運賃形態があり。タイ語がわからんのでいつも10バーツ硬貨を出してお釣りをもらう事にしています。(ちなみに昔の日本のように車掌から切符を買うシステム)おかげで小銭が増えすぎて財布はパンパンです。

見えてきた。

門前のお供え売り。

バナナとサトウキビ。20バーツで買いました。

お供え売りのおばちゃん。「コップンカー(まいどあり~)」

荘厳です。今日は象の中の宝物館へは入らないので50バーツの入園料のみ支払い。

以前はなかった参拝者用の屋根が設置されていた。

タイダンスの奉納は以前通り。

下から見ると圧倒されます。

お供えを上げて参拝した後、象の周りの周回路を散策。マイナスイオンを頂戴します。

何かの撮影をやってました。

噴水のそばは気持ちがいい。しばらくタバコを吸いながらのんびりと過ごす。

1時間ほど過ごした後、帰路へ。バス停へ行くとちょうどソンテオが到着。飛び乗る。

帰りのソンテオの車内から後方を見る。

最初は座席が満員でステップに立っていましたが途中から座れました。この通りはバスの便も多いですが、ソンテオも結構来ます。運賃7バーツ。考えたらバス代と変わらず、ステップに立つんだったらバスを待てば良かった。




12月31日(月)パタヤ海岸から家路へと向かった

2008-01-06 03:34:22 | タイ王国
12月31日大晦日の朝。

ホテルの窓からの眺め。

ホテル玄関を出て

屋外で朝食

午前10時、早めのチェックアウト後海岸を散策

今から日光浴でしょうか。

無人の風景を撮影するには一苦労。

実を言うと周囲はこんなだったり。

こんなだったりするのです。

のんびり。

子供が操縦するジェットスキー。免許持ってんのかよ。

美しい風景ですが

海の水はさほどきれいというわけではありません。

でも皆さん楽しんでるのだから別にいいか。

海岸に別れを告げパタヤバスターミナルへ。やはり歩きを選択。

何かの催しの看板

バスターミナルへ向かう途上、街中を水着で歩く白人少女。服ぐらい着ろよ。

バンコク行きバスターミナルへ向かったつもりがとんでもない方角へ。
東へ歩いていたつもりがなんと北へ向かっていた。

着いた所がナクルア市場。磯の香りぷんぷん。

道は大渋滞

警察が出て交通整理

迷いついでに市場の裏へ。小さな海浜公園になっていた。

網をつくろう漁師

あの巨大ホテルのある岬の向こうから40分もかけて歩いてきて、道を間違ったことに気がついた。ええい、急ぐ旅でなし、ままよ。

うじゃうじゃいた白人がここにはひとりもいなかった。パタヤとは思えない。のんびりしてます。

と思っていたところに写真奥、上半身裸のクリストファー・リーブみたいなのがやってきた。公園を一周走って帰っていきました。

およそ1時間かけて引き返し、パタヤバスターミナルへ到着。

待合室。バンコク(エカマイ)行き12時40分にタッチの差で間に合わず、12時50分に乗車。117バーツなり。

エカマイ到着。14時35分。ああ疲れた。





パタヤウォーキングストリートからソイ6あたりまで歩いた

2008-01-05 14:13:36 | タイ王国
お得意先様をお見送りした後、既に運転手をバンコクへ帰してしまった為、ひとりでホテルへ帰らねばならない。地理に不案内で心細いのでソンテオはやめにしてデジカメ片手に歩いてホテルへ戻るという天をも恐れぬ不届きな行動に打って出る。

このビーチロードを2キロほど歩いてソイ6まで北上すべし。せっかくだから涼みがてら海岸側の歩道を選択。ご覧の様に反対側は歩道も狭く、店も多く人がいっぱいで歩きづらい。

隠れるようにして止まっている警察車両らしきもの発見。治安が悪いと聞いていたが多少酒の勢いもあり、構わず歩き出す。

せっかくだから夜の海岸を撮影。北パタヤを望む。夜中1時を回っても海岸には人がいる。そんなに危ないことはない。

海岸から通りへ上がろうとした瞬間うら若き女性がこちらを見て「ハロー」。携帯電話を使っていただけでした。

ビーチロードにもバービアは点在。

こちらはありとあらゆる食べ物屋が入ったビル。クリスマスのイルミネーションが12月31日午前1時をすぎてもそのまま。早く正月用のに変えろよ。などと思いつつ海岸沿いをそぞろ歩いて行きます。

ちょっと薄暗い所へ差し掛かるとデパートの化粧品売り場のようなにおいが急にしだす。それと同時に「Hello」「Where are you going now?」「Where do you come from?」と声が掛かる。ついに現る、木の下にたむろする、いわゆる立ちんぼの皆さん。陽のあるうちはもちろんいません。日没後、何時くらいからスタンバっているのかよく判らない。

ここにもいらっしゃいます。木の下に1人座っていますが、その右側にバッグを提げた2人。海岸の風景を撮る振りをして撮影。この後声をかけられましたが構わずやり過ごす。

通りの風景を撮る振りして撮影。言葉がわからない振りをして笑ってやり過ごす。その場で強盗のような事をするわけではないので(多分)、相手にしなければ大丈夫。絶対に引っかかってはいけません。睡眠薬を飲まされ、身ぐるみはがされる事件が多発しています。背後にはギャングがいるそうで、パタヤのギャングは凶暴らしいです。(よく考えたら写真を撮ること自体、きわめて危険。以前アジアの某国で街の通りを撮影していて治安機関に20分ほど拘束された経験がありますが、それよりやばいかも)

危険地帯を無事突破。明るい所は大丈夫です。非合法な手段を生業とする女性を見るのもいやだという場合は、海岸沿いでなく、人出も多い為 逆にスリ等に会うリスクが高くなるが、気をつけて反対側の歩道を歩くべし。

海岸の反対側はバービアだらけ。

ヨーロピアンの皆さん、いい加減飽きないのでしょうか。

これだけあったら過当競争でどこかつぶれそうなもんだが。

お姉さん夜食の買出し。ご苦労様です。

これだけあるということは需要もそれだけ大きいのでしょう。ただし言葉(英語かタイ語)ができなければつらいものがあるとの事です。

日本にもあるハードロックカフェ。営業は終了してました。

こんな夜中に中国人団体客用バスがスタンバイ。

ソンテオがヨーロッパ人客を乗せようと必死の営業。

ソンテオの角を曲がって人通りの少ない大通りをビーチロードからセカンドストリートに向かって歩く。少し不気味。

ようやくひとけのある、セカンドストリートへ出る。コンビニの明かりとヨーロッパ人酔客の大声にもほっとさせられます。

腹が減ったのでホテル近辺でレストランを探す。ホテルから北へ向かって歩く。

比較的ホテルすぐ近くにありました。午前2時近く。

レストランには客が誰もいない。大丈夫か。あまりに客がいないので外で何か売っている。それでも客は来ない。

バーミーナム(タイラーメン)に手羽先とビア(シンだったかチャンだったか失念)を注文。結構いける。

チェックビン(おあいそ)。「アロイ(うまかったっす)。」と言うと笑顔でワイ(合掌)「コップンカー(ありがとうございました)」良かった普通のレストランだった。無事になおかつ気持ちよく1日を締めくくることができました。おばちゃんありがとう。

次回はさらに大した事ないけど大晦日の朝、陽光きらめく健康的なパタヤの報告です。続く

12月30日(日)パタヤウォーキングストリート

2008-01-04 00:08:31 | タイ王国
ゴルフ終了後、初のサウスパタヤに進出、シーフード料理を賞味。

夕暮れ時のパタヤビーチ。南から北を望む。

海上レストラン。陽がとっぷり暮れて真っ暗になると「千と千尋の神隠し」に出てきた神様の乗った船そっくりになりました。

暮れなずむウォーキングストリート。まだ人出はまばら。

シーフードレストランの食材その1

その2

水槽の魚

レストラン内部

お客さんの入りはもう少し遅くなってからだそうです。うまかった。会社のドライバーの話ではタイの別のリゾートでシーフードを食べて見事大当たりし、9時間トイレから出られなかったらしく、「火の通ったモノ意外食べちゃいけませんよ」と言っていたのを思い出しましたが、生牡蠣を食べました。癖もなく、身も大きく、食あたりもありませんでした。

レストランを出てみると通りがとんでもない人出になっていました。

通りで変なものを売っていました。パイナップルジュースでしょうか。ハリーポッターに出てきそうで少し不気味。

夜の歩行者天国です。

沢山の人種が通りに充満しています。

いわゆるバービア。ネオンはすべて申し合わせたように赤に近いピンク色。

客はほとんどヨーロッパ系。

たまにアフリカ系もいます。

いわゆるゴーゴーバーの呼び込み。

ゴーゴーバー密集地帯。このあたりは日本人も何人か見られます。何件かハシゴしましたがバンコクよりドリンク代は安く、たかられることも少ないようにこの時は感じました。やばい所に入らなかったからでしょうか。

治安維持の為、観光警察も出動。

観光警察のマーク。意外とシンプル。

バービアの呼び込みに捕まったヨーロッパ人。足元ふらふらでまだ飲むのかい。

夜中12時を回ってもこの人出。皆さんいつまでいるのでしょうか。

ソンテオに乗車して移動するヨーロッパ人。戦争映画に出てくるドイツ軍のようだ。

夜中12時を30分ほど回ったところでお得意先様をお見送りし、これからホテルに帰らねばならない。ふと見ると乳母車に乗った小さな女の子が。両親と思われるヨーロッパ人夫婦に「どっから来たの」と聞くと「スウェーデンから」と答える。お嬢ちゃんご機嫌斜め。そりゃそうだろう、親の好き勝手で連れまわされて眠いわなあ。早く帰っておやすみなさい。

次回はたいした事ないけど 歩いてホテルまで帰った道すがらの状況報告です。続く

1月2日(水) ガラニヤ・ワッタナ王女 ご逝去 

2008-01-03 01:17:28 | タイ王国
タイ国王ラーマ9世の実姉であるガラヤ二・ワッタナ王女ががんの為、1月2日午前2時54分、入院先のシリラート病院で亡くなられました。84歳。ご母堂の希望もあって英国で生を受け、スイスの大学を卒業、英、仏、独語を操り、タイの芸術および医療発展に尽力されたそうです。

タイの王室は日本の皇室と親交がとりわけ深いそうで、謹んでお悔やみ申し上げます。

テレビの全てのチャンネルでは追悼特集が組まれており、アナウンサーも喪服を着用。しかし市中の様子は普段と変わらず。

入院しておられたシリラート病院入口。

病院内の一角では弔問客が三々五々訪れていました。喪服の人も結構目立ちます。

建物内には臨時の弔問所が設けられていました。

ご生前の遺徳を紹介したパネル。

ご肖像と一緒に記念撮影する人。弔問所ではめいめい写真を撮ったりビデオをまわしたり、お祈りにふけったりと、粛々とした雰囲気ではありますが、かなり自由な空気。

生い立ちを綴ったパネル。

テレビの実況中継も何局か出ていました。沈痛な面持ちで原稿を読むレポーター。

焼香を済ませ、ご遺体はどうなったかと病院の人に聞くと、午後3時にワットプラケオ(王宮)へ向け出発したとの事。もう4時を回っている。

ワットプラケオ前。交通規制が敷かれている。国王が弔問に来られるとの事。

警察車両ばかりが止まっている。

国王を待つ人々。

群集が警戒線をはみ出そうとしている所を押し戻す警察官。

衛兵。よく見ると一部の警察官は喪章を着用。

みな国王の到着を待っています。王女はすでに王宮の中に安置されております。

銀色のパトカーが到着。

警察官が降りてきて敬礼。白のベンツに国王が乗っておられるそうです。白ベンツが王宮に入った瞬間、ファンファーレと鬨の声が同時に起こりました。

続いて王族の乗った赤のベンツが続々と到着。

最後のベンツが入って警察車両が後を追うと警備は一旦終了。この後国王が家路に着かれるので道路封鎖は継続。


群集も大部分は解散。

それぞれ家路に着きます。

しかし熱心な人は国王のお帰りもお見送りしようとその場を離れません。

夕暮れの王宮。王女のご冥福をお祈り申し上げます。

12月30日(日)パタヤカントリークラブ

2008-01-02 00:17:38 | タイ王国
時は昨年、12月30日(日)パタヤカントリークラブにてお得意先様とゴルフ。11時スタート。集合時間より早く着きすぎ、デジカメを携え周囲を散策。

仮のクラブハウス。新しいのを作るようですが、まだ影も形もありません。

逆方向から

ロッカー。日本のゴルフ場と違い、タイのゴルフ場は地方へ行くとこういうロッカーが多いです。学校の体育館の更衣室のよう。

クラブハウス前のキャディー溜り場。キャディーは老若男女取り混ぜています。

カートもあり。

1番ホールスタート事務所。スタート地点にトイレはないのでクラブハウスで済ませておく必要あり。

1番ホールティーに集う白人団体客。この日の客層は圧倒的に白人が多く、みなパタヤの街中からソンテオで集団で乗り付けてきてました。次に韓国人、タイ人、一番少ないのが日本人と言う感じでした。

順番を決める白人団体客


そして入念なパターの練習

10番へ向かうカート

10番コース

10番コース横の荒地。ここへ打ち込んでもOBにはならず、大変苦労します。普通なら大丈夫ですが、私はやってしまいました。畑の中でゴルフをやっている感覚です。

周囲の風景。以前行った北海道の十勝か熊本の阿蘇の麓のようです。

この日のスコアはがたがたでしたがメンバーの方が皆さんいい方ばかりで、楽しいゴルフでした。

次回、パタヤでの晩餐のひと時を報告予定。

元旦のバンコクはいつもとあんまり変わらず というか人が少なかった

2008-01-01 21:26:11 | タイ王国
1月1日(火)、異国の地にて謹賀新年の雰囲気を求め、ひとり寂しく中心街へ。元旦と言えどデパート、スーパー、一部の銀行は通常通りの営業です。

タイ流行の最先端を行くサイアムセンター。店は開いているが人がいない。なんてこった。正月の雰囲気一切なし。


続いてパラゴン前ペデストリアンデッキへ。クリスマスの飾りつけの残党らしきもの以外何もなし。


王様の写真はありました。


パラゴンの中。トナカイの飾りつけしかない。どう見てもクリスマスの飾りつけ。クリスマスはとっくに終わったぞ。しかもいつもの休日には芋の子を洗うような賑わいの店内も、元旦というのに人影はまばら。


徒歩でセントラルワールドへ移動。道端の竹細工屋で20バーツのバッタを買って喜ぶ白人女性。いつもと変わらぬ光景。



道すがらのワットパトムワンナラム。初詣はないのか。何かあると思ってきたがいつもと同じ。写真に写っている白人のお姉さんも「いつもと変わらないわね」と苦笑い。「そうですね」とこちらも苦笑い。敬虔な仏教徒が多いタイでは正月も通常日も関係ないのかも知れません。正月とお盆と京都に行ったときくらいしかお寺に行かない己が身を少し反省。



王様の長寿を願う看板。タイの現国王は「タイのお父さん」として国民の絶大な人気を得ています。国王誕生日はタイの父の日になっているほどです。


セントラルワールド前。大晦日はカウントダウンをやったらしい。06年大晦日は爆弾が破裂して中止。07年は大丈夫だったようです。爆弾が怖いのと少し風邪気味なのと遠いのを理由にカウントダウンには行かず。行けばよかった。


カウントダウンの大道具の残骸その1

その2


王様の似顔絵。似てます。


セントラルワールド前の通行人。いつもの休日より人通りが少ない。


正月くらいへそだしルックはやめて欲しい。


某日系デパートの中でようやく見つけた新春恒例のもの。さすが日系、ありがとうございます。でも買い物客はいつもと変わらぬいでたち。


ハッピーニューイヤーの飾りつけはどこにあるんだ、どこにもないじゃないか と怒りながら結局せこくバスで帰宅。運転席後ろに座っている白人のおじさんが終始、ニコニコ笑っているのが一番印象に残ったバンコクの元旦であった。