2023年5月4日(木)チェンカーンはメコン川沿いの遊歩道にて
20時27分、レストランを発見したので入った。
メコンの川風が心地よいのだが、なぜかガラ空きだった遊歩道側の席に陣取り、店内を見た。(ビデオキャプチャ)
オーダー後、店員さんに
ビアシンをついでもらった。
さらにパックブンファイデーンとカオスワイ。これにビールをチビチビやっておけば十分なのである。
メコンは真っ暗で見えなかったが、川風が心地よい。
食い終わって店を出た。ウマかった。
店の名は、フアン ルアンパバーン。ウォーキングストリ-ト側の玄関から見たらこんな感じでちらっと見はアラビア料理屋風に見えたゆえ、一度は入店を見送ったのだが実はタイ料理屋、入って正解。チェンカーンの心地よい夜に感謝しつつ、宿へ戻ったのであった。
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20時27分、レストランを発見したので入った。
メコンの川風が心地よいのだが、なぜかガラ空きだった遊歩道側の席に陣取り、店内を見た。(ビデオキャプチャ)
オーダー後、店員さんに
ビアシンをついでもらった。
さらにパックブンファイデーンとカオスワイ。これにビールをチビチビやっておけば十分なのである。
メコンは真っ暗で見えなかったが、川風が心地よい。
食い終わって店を出た。ウマかった。
店の名は、フアン ルアンパバーン。ウォーキングストリ-ト側の玄関から見たらこんな感じでちらっと見はアラビア料理屋風に見えたゆえ、一度は入店を見送ったのだが実はタイ料理屋、入って正解。チェンカーンの心地よい夜に感謝しつつ、宿へ戻ったのであった。
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2023年5月4日(木)チェンカーンはウォーキングストリートを歩いた。そろそろ腹が減って来たので、孤独のグルメを敢行せんと店を探した。
20時18分、ウォーキングストリートを二往復した。食うところはそこそこあるのだが、ピンとくる店がない。
路地にも分け入った。雰囲気はいいが、路地に入ると店はあまりない。
20時27分、メコン川沿いの遊歩道を歩いていたら、提灯がかかった店を発見、これ以上探索しても時間が過ぎるばかりゆえ、意を決して入店した。
20時18分、ウォーキングストリートを二往復した。食うところはそこそこあるのだが、ピンとくる店がない。
路地にも分け入った。雰囲気はいいが、路地に入ると店はあまりない。
20時27分、メコン川沿いの遊歩道を歩いていたら、提灯がかかった店を発見、これ以上探索しても時間が過ぎるばかりゆえ、意を決して入店した。
2023年5月4日(木)チェンカーンの宿、ウォンサイシリ スリチアンカンホテルの2階テラスから
19時35分、チェンカーンウォーキングストリートを見下ろした。
いやいや、雰囲気が良い。
1階にもテラスがあって
そこからもウォーキングストリートが見えた。夜市を見ると心が躍って仕方がないので
玄関から外へ出た。
宿の玄関の両脇ギリギリに屋台が出ていた。
玄関向かって左はジュースとロティ
右は何か小物を売っていた。
ともあれ、ウォーキングストリートを歩いてみた。このウォーキングストリートは東橋のワットターコクから西端のワットシークンムアンまでおよそ1.5kmの長さがあり、正式にはチャイコン通りといメコン川と並走している通りの一部で、夜は歩行者天国となって夜店や屋台が建ち並び観光客で賑わうのだ。
騒がしくなく、寂しくもなく、雰囲気が良い。
心に沁みる、夜市の風景だった。
19時35分、チェンカーンウォーキングストリートを見下ろした。
いやいや、雰囲気が良い。
1階にもテラスがあって
そこからもウォーキングストリートが見えた。夜市を見ると心が躍って仕方がないので
玄関から外へ出た。
宿の玄関の両脇ギリギリに屋台が出ていた。
玄関向かって左はジュースとロティ
右は何か小物を売っていた。
ともあれ、ウォーキングストリートを歩いてみた。このウォーキングストリートは東橋のワットターコクから西端のワットシークンムアンまでおよそ1.5kmの長さがあり、正式にはチャイコン通りといメコン川と並走している通りの一部で、夜は歩行者天国となって夜店や屋台が建ち並び観光客で賑わうのだ。
騒がしくなく、寂しくもなく、雰囲気が良い。
心に沁みる、夜市の風景だった。
久々の2023年GW訪泰記、2023年5月4日(木)18時23分にチェンカーンスカイウォークを出発して少し迷って
19時20分、チェンカーン中心部に位置する今宵の宿、ウォンサイシリ スリチアンカンホテルに至った。アゴダで予約、一泊3,843円。駐車場は別の場所、歩いて1分くらいの所にある。
玄関から入って右手にフロントがあった。
チェックイン終了後撮影、受付のお姉さんはちょっと不愛想だった。
部屋は2階という事で、ロビーの左右にある階段の左の方を上がった。
見下ろすとこんな感じだ。
2階。対面の部屋は1階からつながる吹き抜けによって分断されている。
部屋は14号室だった。
入って見たら、ベッドがふたつ。
壁にはテレビ、冷蔵庫もありエアコン完備。筆者のキャリーバッグと乞食バッグが写りこんでいるのはご容赦賜りたい。
部屋の奥には申し訳程度の小窓があり
その右手は洗面所兼トイレ兼シャワー室だった。広さは十分で掃除も行き届いていた。
ひとしきり部屋を点検して外へ出る。
ドアにはカンヌキがあっていい味を出していた。
19時35分、階段脇にテラスみたいなのがあった。以下次号
19時20分、チェンカーン中心部に位置する今宵の宿、ウォンサイシリ スリチアンカンホテルに至った。アゴダで予約、一泊3,843円。駐車場は別の場所、歩いて1分くらいの所にある。
玄関から入って右手にフロントがあった。
チェックイン終了後撮影、受付のお姉さんはちょっと不愛想だった。
部屋は2階という事で、ロビーの左右にある階段の左の方を上がった。
見下ろすとこんな感じだ。
2階。対面の部屋は1階からつながる吹き抜けによって分断されている。
部屋は14号室だった。
入って見たら、ベッドがふたつ。
壁にはテレビ、冷蔵庫もありエアコン完備。筆者のキャリーバッグと乞食バッグが写りこんでいるのはご容赦賜りたい。
部屋の奥には申し訳程度の小窓があり
その右手は洗面所兼トイレ兼シャワー室だった。広さは十分で掃除も行き届いていた。
ひとしきり部屋を点検して外へ出る。
ドアにはカンヌキがあっていい味を出していた。
19時35分、階段脇にテラスみたいなのがあった。以下次号
2023年10月19日(木)
10時19分、一ノ関駅に至る。
正面玄関から改札を経て在来線ホームが見えた。
改札を入ると新幹線ホームが見えた。
在来線上り、上野方面
下り、青森方
駅銘板
在来線から連絡橋を渡って
新幹線改札に至り
ホームに出て
やまびこ56号に乗って東京を目指したのであった。
10時19分、一ノ関駅に至る。
正面玄関から改札を経て在来線ホームが見えた。
改札を入ると新幹線ホームが見えた。
在来線上り、上野方面
下り、青森方
駅銘板
在来線から連絡橋を渡って
新幹線改札に至り
ホームに出て
やまびこ56号に乗って東京を目指したのであった。
2023年10月19日(木)出張業務を終えて移動日、宿をチェックアウトする前に
8時40分、平泉町は無量光院跡に至った。
世界遺産である。
藤原秀衡が建立した寺院の跡で建物は焼失し今はない。
この橋の向こうが
本堂があった場所という事だった。
京都の宇治平等院鳳凰堂を模して造られた寺院だったそうな。
駐車スペースも確保されていた。
8時47分、藤原三代の栄華に思いをはせ、無量光院跡を後にした。
8時40分、平泉町は無量光院跡に至った。
世界遺産である。
藤原秀衡が建立した寺院の跡で建物は焼失し今はない。
この橋の向こうが
本堂があった場所という事だった。
京都の宇治平等院鳳凰堂を模して造られた寺院だったそうな。
駐車スペースも確保されていた。
8時47分、藤原三代の栄華に思いをはせ、無量光院跡を後にした。
2023年10月18日(水)業務終了後、岩手県一関市は厳美渓に遊んだ後
17時10分、トイレを拝借するため
道の駅厳美渓に立ち寄った。
暮れなずむ空を見て感動し、いったん宿へ戻ってデスクワークして
19時26分、再び昨晩伺ったひといき酒場ヤッホにて同行者のH氏と10月16日(月)の札幌からこの日の一関に至る出張完遂の祝杯をあげた。
食ったのは
サラダ
もも、ねぎま、トリ皮の王道焼き鳥
昨晩に続きわさびサワー
豚肉入りニラ玉
レバニラ
20時53分、東日本限定であろうか、西国人の筆者が見慣れぬスタミナドリンクの広告を見て会計を済ませ、ひといき酒場ヤッホを後にした。店員さんも親切、二日連続で来てもウマかった。
17時10分、トイレを拝借するため
道の駅厳美渓に立ち寄った。
暮れなずむ空を見て感動し、いったん宿へ戻ってデスクワークして
19時26分、再び昨晩伺ったひといき酒場ヤッホにて同行者のH氏と10月16日(月)の札幌からこの日の一関に至る出張完遂の祝杯をあげた。
食ったのは
サラダ
もも、ねぎま、トリ皮の王道焼き鳥
昨晩に続きわさびサワー
豚肉入りニラ玉
レバニラ
20時53分、東日本限定であろうか、西国人の筆者が見慣れぬスタミナドリンクの広告を見て会計を済ませ、ひといき酒場ヤッホを後にした。店員さんも親切、二日連続で来てもウマかった。
2023年10月18日(水)業務終了後、岩手県一関市は厳美渓に遊んだ。
17時00分、長者滝橋近くの河原に降りて、長者滝橋を眺めた。
橋から上流の方は、磐井川が河原と面一の様に見えた。
そして
小さな滝があった。長者滝である。1087(寛治元)年から1189(文治5)年というから平安後期の奥州藤原時代、とある長者が財宝を隠したという言い伝えから名付けられた滝である。
流れ込みから
流れ落ち
滝壺に至って
磐井川は
長者滝橋をくぐって行き、北上川に合流したのち、太平洋へと流れて行く。
だいぶ空が暗くなってきたので
長者滝橋を再び望み
河原から上がって
17時05分、暮れなずむ厳美渓を後にした。
17時00分、長者滝橋近くの河原に降りて、長者滝橋を眺めた。
橋から上流の方は、磐井川が河原と面一の様に見えた。
そして
小さな滝があった。長者滝である。1087(寛治元)年から1189(文治5)年というから平安後期の奥州藤原時代、とある長者が財宝を隠したという言い伝えから名付けられた滝である。
流れ込みから
流れ落ち
滝壺に至って
磐井川は
長者滝橋をくぐって行き、北上川に合流したのち、太平洋へと流れて行く。
だいぶ空が暗くなってきたので
長者滝橋を再び望み
河原から上がって
17時05分、暮れなずむ厳美渓を後にした。