撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

中津を後にした

2023-05-22 06:57:12 | 大分
2023年4月6日(木)大分県中津市へ日帰り出張、仕事が終わって耶馬渓を観光した後レンタカーを返却し


16時40分、中津駅は南口に戻ってきた。



駅前のスーパーにも福沢諭吉がいた。



みどりの窓口にもあった。



そして17時04分発のソニック44号で中津を後にしたのであった。

耶馬渓橋

2023-05-21 07:28:19 | 大分
2023年4月6日(木)大分県中津市へ日帰り出張、仕事が終わって帰りの汽車の時間まで観光した。


16時07分、青の洞門近くの耶馬渓橋に至った。



無料駐車場で見た説明看板によると、1923年(大正12年)竣工の国指定重要文化財で、日本唯一の8連石造アーチ橋で、日本最長の石造アーチ橋でもあるという。



橋の上はクルマも通れるが2代離合は無理そうな幅だ。



下流から上流を望む。



上流から下流を望む。



耶馬渓橋の別名はオランダ橋というそうだが、これは長崎県に多くある水平石積み工法によって作られた為という。

青の洞門

2023-05-20 07:26:57 | 大分
2023年4月6日(木)大分県中津市へ日帰り出張、仕事が終わって帰りの汽車の時間まで観光した。


15時18分、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の題材となった江戸時代の手掘りのトンネル、青の洞門駐車場に至った。駐車代無料である。



これは石工らとともに自らノミと鎚をふるって洞門を掘った禅海和尚の像である。



江戸時代、当地を巡礼の旅の途中に訪れた禅海和尚、奇岩の絶壁に作られた鎖付きの桟道を行く数多の旅人が転落して命を落とすのを知り、この奇岩にトンネルを穿つことを発起し、托鉢で資金を集めるとともに石工たちに交じって自らノミをふるったという。



現在は手掘りではなく重機により掘削されたトンネルが利用されているが、手掘り部分はわずかながら残っている。



どこが手掘りか判りづらかった。



いったん現代のトンネルを歩いて



駐車場と反対の洞門口まで行き



石碑を見て折り返した。



ここにも手掘りの跡があるそうな。



大きな穴が岩壁に開いていた。



手掘りの明かり取り窓である。



再び車道へ出て



駐車場へ戻る。



車道より駐車場方面を見る。道幅が狭いため、クルマは信号機によって交互通行となっている。



その昔、旅人が難儀したという桟道がここにあったのであろう。



青の洞門の着工は、享保20年(1735年)、完成は明和元年(1764年)という。手掘りで完成した江戸時代のトンネル、まさに現代人へなにかを語ろうとしているのだった。

日ノ出町商店街

2023-05-19 07:27:01 | 大分
2023年4月6日(木)大分県中津市へ日帰り出張


12時21分、中津駅北口にある日ノ出町商店街に至った。



道幅は細いが結構長さはあるようだ。帰宅後グーグル地図で測ったらおよそ290mと出た。出来れば往復したかったが業務の都合もあり断念し



中津駅南口からニッポンレンタカーまで出向いて予約済みのクルマを受領。接客が可もなく不可もないニッポンレンタカーというのが筆者個人の意見だが、ここはフレンドリーかつ親切だった。

JR中津駅

2023-05-18 07:23:59 | 大分
2023年4月6日(木)日帰りで大分県中津市出張


12時12分、ソニック17号にて中津駅着



ホームにあった日本一長いハモの椅子



待合室の壁には福沢諭吉



駅銘板にはハモと



やっぱり福沢諭吉だ。



改札へ通じる階段にも福沢諭吉



改札を出た所にも福沢諭吉



北口へ出てみた。



立派な高架駅だ。



そしてここにも福沢諭吉がいたのであった。

由布岳を見て大分を後にした

2022-10-18 07:29:36 | 大分
2022年8月19日(金)大分出張二日目


12時07分、大分駅のシティ屋上ひろばから景色を眺めた。山が見えた。



左が由布岳、右が鶴見岳だと思うが間違っているかもしれない。



大分駅の南口も見えた。



たしか赤い展望台から見たと思うが定かではない。



大分駅北口



白い展望台から見たと思うがこれも定かではない。



エスカレーターをおりてシティ屋上ひろばを後にする。往路は遠回りをしたようでこちらの方が近い。



エスカレーターの踊り場からも大分駅北口が見えた。都会だ。



12時45分発 ソニック17号にて素晴らしき大分を後にし帰路につく。



車内の意匠は斬新であったが、少々くたびれていたのが印象的だった。

シティ屋上ひろば

2022-10-17 07:24:19 | 大分
2022年8月19日(金)大分出張二日目


大分駅北口を見ても



南口を見ても屋上に五重の塔みたいなのが見えた。気になったので行ってみた。



大分駅屋上はシティ屋上ひろば という。



エスカレーターをのぼって屋上駐車場を過ぎ



12時06分、ここに行きついた。



五重の塔の正体は展望塔だった。中に入れる様だったが暑い中、工具が入ったリュックを背負って体力を消耗していたので断念した、



シティ屋上ひろばには軽便鉄道のレールみたいなのもあった。



屋台もあった。



夜はビアガーデンになるのだろう。以下次号

大分トキハ

2022-10-16 07:48:12 | 大分
2022年8月19日(金)大分市出張二日目、中央通りを歩く。


11時03分、大分銀行赤レンガ館の隣にあるデパート、大分トキハを見た。



デカいデパートだ。ちなみに鹿児島の山形屋記事でも触れたが、トキハは、ときは ではなく ときわ と読む。
小倉の井筒屋、福岡の岩田屋、熊本の鶴屋、鹿児島の山形屋と並びこのトキハ、九州地場デパートの雄であると個人的には思っている。

暑かったので店内に入って少し涼ませてもらったが1階の案内カウンターや化粧品売り場には大分県下一円から集めたと思わせる美女が揃っていた。
そして1階から7階まで見てみたが、7階には昭和の香り漂う大食堂があったり、店内ですれ違った小学校低学年くらいの男の子に「こんにちわ」となぜか挨拶されたりして、平日にも拘わらず店内は結構賑わっていた。

残念なことに山形と徳島はデパートがない県になったそうだが、デパートが元気なまちは、雰囲気が明るいと個人的には感じるのである。

大分銀行赤レンガ館

2022-10-15 07:07:30 | 大分
2022年8月19日(金)大分市出張二日目、大分市の中央通りを歩く。


10時57分、赤レンガの建物を発見



趣がある。恐らく明治が大正あたりの建物だろう。



撮影した場所は赤レンガ通りという片側式アーケード



建物は 大分銀行赤レンガ館 だった。
1913(大正2)年、旧二十三銀行、現大分銀行本店として建てられ、1966(昭和41)年8月本店移転後は府内会館という貸しホールになった。1996(平成8)年12月20日、国指定登録有形文化財となる。設計は東京駅など手掛けた、かの有名な辰野金吾。2018(平成30)年内装を改修、地場産品販売店やカフェが入居し現在に至る。



入ろうと思ったが、作業着姿に安全靴、リュックを下げたハゲおやじが入るのは憚られたのでやめておいた。



赤レンガ館の前には裸婦像もあった。ラ・メール(海)1962年作 高田博厚と銘板にあった。
芸術は全く不勉強ゆえ、高田博厚というを知らなかったので帰宅後調べたら著名な彫刻で、適当にシャッターを押した己の不明を恥じたのであった。

大分市中心街

2022-10-14 07:13:39 | 大分
2022年8月19日(金)大分出張二日目、大分の中心街を歩いた。


10時21分、中央通りと昭和通りの交差点、大分銀行本店前から県庁方面を望む。



逆方向、産業通り方面を望む。



北方向、大分港の方を望む。



北方向へ向かって大分中央警察署前まで来た。



大分中央警察署前から駅方向を望む。


駅方向に戻って

セントポルタ中央町前から駅の方を見た。



北の方、大分港方向を見た。大分市中心街は都会だった。